とんでもないものを運ぶ軽トラの写真が話題になっています。
その写真がこちら
共に成長発展を目指す事の出来るパートナー企業様を募集しております。
人材や案件の情報交換を行いつつパートナーとしての関係を築いて行きたいと思って
おります。弊社グループの活動内容に、ご興味を持たれたりご協力頂ける
可能性がある場合には、ご連絡頂けますようにお願い致します。
Apex product 社員一同
ブログをご覧頂き誠に有難うございます。当ブログでは
日々の生活、日々思うこと、地元の心温まる情報・・・などなど
について広く深く語っております。日々更新出来るよう頑張りますので、
どうぞごゆっくりとお楽しみ下さい。文章を読んで頂き、何か思われる事が御座いましたらどうぞコメントをお願い致します。今後のブログ運営において参考とさせて頂きます。
- 酒井商店 佐倉営業所 代表 酒井新 -
2014年7月1日
2016年
6月
30日
木
http://www.ntv.co.jp/gyoten/backnumber/article/20160629_11.html
こんばんは。
久々の更新になります。
昨晩、自宅へ帰り食事をしていると
居間のテレビから聞き覚えのある地名が出て来ました。
アグボグブロシー
ガーナにあるとある街の名前でした。
素早く食事を済ませ、居間のテレビと向き合いました。
ガーナのアグボグブロシーは今は世界最大の家電廃棄物処理場です。
その入手ルートは様々です。
中古品と扱いが出来る家電と共にコンテナに送りこまれたり、他のスクラップや製品と色々なルートで掻い潜り到着します。
世界各国からコンテナに積み込まれてこの地に送られて来ます。
その廃棄家電を少年達が買い取り、この地で解体し、高価で取引される金属を売却し、またそのお金で家電を買う。
その金属はどこで消費されているか知っていますか?
また、ヨーロッパや日本に輸入されているのです。
人体の危険を冒し、土地を汚染し、破格で買い取られた資源をまた先進国が買い取って行く。
残されるのは猛毒な有害物質と資源にならない利用価値のない残骸のみ・・・・・
従来は日本国内で適正に処理されなければいけない家電品は様々なルートから流失して行きます。
家電四品目と言われる冷蔵庫・洗濯機・エアコン・テレビは法律によってリサイクルが義務付けられています。
消費者が買い替えの際にリサイクル料金を支払い、家電量販店などに引渡、その後専門の国の指定工場で解体処理をされ、再資源されて行きます。
一方で小型家電と言われる四品目以外の品物は法律の整備がまだまだ進んでおらずに、行政任せの部分もただあります。
パソコンなどは任意でリサイクル基準もありますが、消費者はお金をかけて処理をする事に戸惑いも多いのが実情です。
その様な家電品の多くは実際は産廃として処理されて来ました。
業者が収集運搬し、中間処理場に持込、破砕し金属部分のみ取り除き、残りは管理型最終処理場に埋め立てをする。
以前から最終処理場から汚水の漏れの事故がただ多く報道されて来ました。
家電の基盤(コンピュータ)部分には金・銀・銅と言った金属がつかわれており、カドニュウムや水銀と言った重金属が流れ出すからです。
それらは人体に多くの影響を及ぼします。
日本での水俣病や香川県の豊島問題が代表的な例です。
何故、家電が国外に流失していくのか。
通常では家電四品目以外の家電は市町村の粗大ごみなどによって集められて処理されるのが一般的になりました。
ただ財政難等の問題により、有料化している自治体も多く見受けられます。
多くの市町村では家電品などの複合物で出来た製品の処理は困難を極めている為、専門の処理施設を持つ産業廃棄物業者に委託している事が大半です。
産廃業者は受け入れた物を破砕し、その時に出る粉じんは集じん機で吸い取り、破砕した物から金属屑を取り出し、残りの物を高熱処理の溶解処理をして、無害化にし埋め立てられます。
悪質な回収業者や処理業者から引取られた家電は、スクラップ(有価物)として扱われます。
実際には価値の低い家電製品でも、価値の高い家電製品と混ぜられて、コンテナや船積みされるケースもあります。
処理業者や回収業者の多くは、きちんとライセンスを取ったり、輸出先の現地にリサイクルプラントや提携先を持つ業者も多くなりましたが、やはりその一方で隙間を縫って流失していく様です。
今、消費者が出来る事は
廃棄料金が安いからと言って処理フローの見えない業者に依頼したりせずに、
法律にのっとって家電リサイクル法や市町村処理にゆだねるのが先決だと思います。
日本で廃棄された家電製品が世界のとある所で生活や環境を脅かしいている事に・・・・・
買い替えの際には本当に必要なのか?
まだ使えるのでは?
買え替える品物の中身の原産地はどこなのか?
日本は資源の国です。
今、ここで少し考えてみてはいかがですか?
2016年
5月
24日
火
こんにちは!
元気いっぱいの権田です!
いよいよ夏到来って感じの天気でした!
海に、ジェットに、スイカに、花火に・・・・・
と楽しい事づくめの時期になりました!
てか、遊びばっかりですね(笑)
今日は解体屋さんに買い取りに行って来ました~
社長が独立当時から付き合いのある会社で、スクラップ関係は全部出してくれます!
でもでもマックスで買い取りしちゃうので・・・・・
運賃程度の稼ぎにしかなりませーん!
今はみんな単価を知っちゃってるので、出してくれるだけでもありがたい限りです!
ほとんどは自分で運んじゃいますからね~
検収は小うるさいゆうとくんと行きました!
ちょっと障害持ちなんですが、社長に仕込まれてるので会社で一番目利きがうまいんですよ~
今日は込中(真鍮と付きものの付いたもの)が満載でした・・・・・
みんなも見た事あるかな(笑)
割と重いので、積み過ぎてちょいと怒られました(笑)
皆さんも熱いので、水分は良く良くとってくだーさい。
2016年
5月
06日
金
こんばんわ。
いつも生意気全開の権田です!
柳さんのBMWも納車になり、いや~いいですね。高級車。
内装も高級感溢れて、ソファーみたいなシート。
お洒落なエアロにでしゃばり過ぎないアルミとツラウチの引っ張りタイヤ。いいですね~
大切に、良く走る車ですから安全運転で、疾走してくださいね。
今日の話題は!
男のプライドです。
今回、柳さんが車を買ったことに色々なコメントがありますが、男ならひとつ位の拘りがないとダメだ!って事です。
うちの親父は、飾った車で仕事をすること。
来た依頼は断らない。無限大のパフォーマンスで還元する。
自社で難しい案件は協力会社に依頼し遂行する。
トラックは前の型の日野、いすずが基本。2トン車は前の型の三菱。
エンジンは6発・出来たらターボ。
グレードは必ずカスタム。
納車後は、運転手の意向でフルスペックナビかオーディオのどちらかを付けて貰い、そこからスタート。
運転手さんに対しての労いらしい。そこからは運転手の好きな様にカスタマイズ。
昔、納車になった次の日にレンタカー屋さんからレンタカーを借りて、2か月間も預けっぱなしになって、伝説の車を作ったのが、うちの専務。
うちの車が揃うと顔が同じになるが、中身は十人十色。
ちなみに、今月から6トンユニックから3トンユニックに乗り換えになった自分は納車になったその日に内張りを剥がし…
親父と専務は呆れ顔
キャビン全部をデットニング。
デッキはDENON、アンプはオライオン、ミーディメンション、スピーカーはフォーカルの大黒仕様を製作中です。
もちろんウーファーはオライオンです。
これにはみんな呆れ気味!
でも、DVDも見たいから、ストラーダのナビも付ける予定です!
モニターもフリップダウンを付けたいし、荷台回りもステンで作り込みたい!
そうご期待下さい!
まぁ、やっと親父も普通に戻ったみたいで、良かったです!
2016年
4月
29日
金
こんばんは。
久々のブログ更新になります。
年度末の先月から色々とバタバタ続きで、
なかなか更新出来ませんでした。
今日はあるスクラップ問屋の営業さんとのやり取りをブログアップします。
この営業さんとはかれこれ10数年の付き合いになります。
仕事以外にも、飲みに行ったり、遊びに行ったりと良くお世話になっている営業さんでした。
先日、仕事の相談案件がありました。
来月の半ばに、営業さんのお客さんから重量物の撤去運搬と買い取り案件があるとの事でした。
しかし、その重量物は高さ3400×長さ3400×幅2900と言う代物でした。
自分は聞いた瞬間、低床中落ちトレーラーと先導車付き、なおかつ自社の車両と人工出しと判断していました。
考えながら、
「その案件、どうすればいい?」
「運搬だけうちでやればいいの?」
「あとあと取った取られたになると嫌だから、運搬だけうちで運賃請求でもいいよ」
と言うと、
「いや、うちの車両じゃ元々出来ないし、卸し先も重すぎて無理だから、紹介するんで、今回はお願いします」
と言う話になりました。
「ところでいつ?」
「場所は?」
「どんな感じよ?」
と言うと
と言われ、
「さすがに今日の明日は無理だよ。写真送ってよ、手配するから」
と言う事になりました。
こちらは同時進行で、トレーラーと先導車を手配する事になりました。
いつもだったら、年度末あけのこの時期、多少の余裕はあるのですが、
今回は熊本に重機廻送で殆ど取られてしまっているとの事でした。
紹介先も荷主も大手の為、念には念をいれてました。
すると、話を聞き付けた同業の若社長から電話が来ました。
「どーも、トレーラー探してるんだって。」
「確定の仕事か?」
「だったら押さえられるよ」
「割高だけど、○○だよ」
と言われました。
この業界では大手の運送屋さんでした。
自分は「では宜しくお願いします」
と言うと、そこの若社長は
「昔だったら低床の大型にあおり切って、両サイドはみ出して、高さも4000位だったら大通りで走っちゃったけどなぁ・・・・・」
「今じゃそんなんで走ったら、警察より住民から通報の方が早いし、荷主やら施工会社に話でも行ったら、大事になっちゃうもんな・・・・・」
「昔だったら、そんな積み方して、大出振って走って、これがプロだぜ!位の勢いだったけどな。今じゃ逆だよな」
「金で安全を買う時代だよな・・・・・ところでそこまで運賃払って合う?」
と聞かれました。
「微妙ですよね・・・・・中身が非鉄ならいいですけど、重さ的に鉄臭いですよ・・・・・」
「トントン、少し残りますよ」
と言い、笑いながら依頼して、電話を切りました。
中一日たった日の事です。
自分は積み込み場所と荷主を知っていたので、配車を組んでいましたが、細かな時間と担当者さんがわからなかったので、
先方の営業に電話をしました。
「配車の件、どうしますか?予定は組んで、手配はしてありますよ。」
と言うと、衝撃な言葉が戻って来ました。
「いや、実はグループの○○工場に聞いたら、今○○工場の売り上げがきついので、是非やらせて欲しいとの事なんですよ。」
と濁った回答が来ました。
いつもの自分だったら、マシンガンの様に言うのですが、
今回は様子を見てみました。
「じゃあ、しょうがないじゃん!そっちでやれば?」
「でも車両の手配が付かないから、うちに振って来たのに、どうやって運ぶの?」
と言うと、
「低床でやれるって・・・・・」
「すみませんね・・・・・また今度お願いします」
と最初から断りの電話の様でした。
最後にと思い、言いました。
「悪いけど、今度は無いよ」
「仕事の付き合いは以後お断りするし、あんたには信用はないから」
「おたくは雇われで、会社に行けば給料出るかもしれないけど、俺は仕事しなきゃ金にならないんだよ」
「12日だって、うちの仕事蹴ってるって言うのによ」
「トレーラーだって無理くり取ってるのにキャンセル出来ないべよ」
「まぁ、いいよ、先方には俺が気に入らないから仕事蹴ったから無くなったって言うから」
と言い、電話を切りました。
すぐさま、先方の運送会社の若社長に電話を入れました。
理由を話すと
「いや~営業日で行くと10日以内になるからキャンセル料はかかるよ~」
と言われました。
自分は
「無理して取って貰ったし、仕事があるないに限らず、今回は全額払うからその様に伝えて下さい」
「じゃないと気が収まらないし、次頼めないから」
と言うと、「聞いて、電話するよ」
と言われました。
しばらくして、
見覚えのない番号から電話が来ました。
電話に出ると先方のトレーラー屋さんの社長でした。
「いや、気持ちはわかるけど仕事はしてないから全額は貰えないよ・・・・・」
自分は、「いや、連休明けの予定ですから、今のキャンセルじゃ、空いてしまうじゃないですか?」
「お互い仕事なんで、請求出して下さい」
「俺、一回言った事は撤回しないんで、宜しくお願いします」
と言うと、
社長は
「じゃあね、配車の者と相談して仕事が空いてしまう様なら、また相談させてもらいますよ」
「うまく入れば、キャンセル料だけでいいから」
「ところでどこの仕事だったんだい?」
と聞かれました。
あまりみずかけっこをしていても仕方ないですし、
請求が来なければ、施工費用を全て振り込んでしまえばいい事なので、とりあえず流しました。
そして聞かれた事に対して、
いつもは
濁らすんですが、
今回ははっきり答えました。
「荷主は○○です。紹介は○○ですよ」
と言うと
「えっ、○○なのかい?うちのトレーラーも毎日行ってるよ」
「信用できないね」
と言い、電話を切りました。
昔、良く解体屋のオヤジに言われました。
人間は1失敗したら、10頑張るしかないんだよ。
1信用をなくしたら、10頑張って、100努力するしかないんだ。
金じゃ買えない。
信用だ。
といつも言われました。
そのオヤジの口癖を思い出し、
正直者がばかを見る時代になったなと思い。
でも、反対側には行きたくないなとつくづく思いました。
人間失敗はいくらでもありますが、
相手の事を考えられなくなったら終わりですね。
自分は貧乏でも相手の事を考えられる人間でいたいです。
連休は12日の穴埋めで大変です(笑)
2016年
3月
26日
土
こんばんわ。
最近は年度末と月末、いろいろな事が重なりバタバタの1ヶ月でした。
今日はみんなに聞いてもらいたい事があり、書いてみました。
先日、山陽道でトンネルの火災事故がありました。
事故渋滞で停車していた車に追突し、そのまま走行。
数台の車を跳ね飛ばし、停車。そして炎上。
2人の尊い命が奪われ、71人が怪我をする大惨事となりました。
事故当日から数日間報道各所で報道されていました。
自分達もトラックを運転して商売をする以上、けして他人事として受け入れられずに
ニュースが始まると真剣に見入ってしまいました。
事故の原因が段々と明るみになると、ネット等では事故を起こした運送会社の事を「ブラック企業」だの何だのと叩かれる様になりました。
確かに事故を起こした運転手、運転手を雇ってる会社、会社を運営している経営者に問題があります。
今回の事故では何の罪も無い人の命を奪ってしまい、多くの人を苦しめ、迷惑を掛けてしまいました。
運転手は、ハンドルを握る=他人の命を奪ってしまうかも知れない・・・・・・
経営者は、ハンドルを握らせる=運転手の命をさらす事になるかも知れない・・・・・
運転手は過重労働を会社に訴えられずに、経営者は運転手の気持ちに察することが出来なかった。
そして、こんな重大事故を起こしてしまった訳です。
私はけしてこの会社の肩を持つ訳ではありません。
ただ、運送業を営む本当の心を聞いて下さい。
そして、この記事を読んでいる人(消費者)も肩棒を担いでいる事を感じて下さい。
今、運送業は悪化の一途をたどっています。
以前、法改正に伴い、営業ナンバーの取得が安易になりました。
そこに来て、運送業の登録数は倍増しました。
倍増すると、運賃は叩きに叩かれ、ダンピング状態でした。
最安値の値段で走る事を余儀なくされました。
そこに来て、燃料高です。
燃料も上がれば、オイルも上がります。タイヤも上がります。
車検の整備部品もあがります。
走れば走るほど赤字の時もあります。
これでは仕方ないと、荷主さんに値上げ交渉をすれば、
「○○さんより安い所あるよ。」
「じゃあ、来月から他に頼むよ。」
と言われるのが、関の山です。
要するに弱い者いじめが横行していました。
経営者としては荷主に切られれば、他の荷主を探さなくてはならない。果たしてそれが今の荷主よりも条件が良いかどうかはわからない。
最悪の場合、会社の財産とも言える従業員やトラックを手放さなくてはならない。
そうならば、今のまま続けよう。
続けて、空のトラックで帰らずに、帰り荷を積んで帰ってこよう。
と経営を続けて来ました。
すると、帰り荷を出す荷主も
「おたく、帰り荷でしょ。」
「安くしないと出さないよ。」
とも言われる様になりました。
そこへ来て、運送屋のブローカー(みずや)さんの出現です。
みずやとは荷主から荷物の依頼を受け、運送の手配をする人の事です。
当然、ブローカーさんも商売ですから、ピンハネして仕事が回って来る訳です。
時には複数のブローカーさんが入り、数万円の仕事が数千円で回って来る事もあります。
これが現状です。
でも、いくらかの足しになればと、多くの運送業の方は請け負っています。
今はブローカーさんと運送屋さんの交流サイトがあり、登録するとそこから仕事のやり取りを出来る仕組みになっています。
そこへ来て、免許改正です。
前の免許では普通免許で4トン車(車体総重量8トン)まで乗れましたが、
今の免許では普通免許で車体総重量5トン、普通免許を取ってから2年後に中型免許(車体総重量11トン)、また、そこから3年後に大型免許が取得出来る様に法改正になり、
高校を卒業してすぐに4トン車を乗れない為、運転手を希望する若者が激減して行きました。
それ以外も排ガス規制等で、数年で数千万円の車両の入れ替え、月賦が終わり、これから稼ぎ時になった際に入れ替え。今は排ガス問題で対策になった車はコンピュータ化しており、修理も多くの金額と時間が掛かる様になりました。
大手の引越し会社の一例を取ってみます。
Aさんは千葉県から大分県に引越しになりました。
合わせて4トントラック2台分の荷物です。
もちろん、安く、丁寧な仕事に越した事はないので、数社に見積を取りました。
当然安いA社に依頼しました。
A社は当日4トントラック2台で引越し荷物の引取りに来ました。
月曜日の朝から始めた積み込みも夕方に終わりました。
到着は水曜日の午後1時の到着予定です。
Aさん一家はしばしお荷物とのお別れです。
お荷物を積んだトラックはA社の営業所に到着しました。
丁寧に積んだはずの荷物を一度降ろしました。
荷物を卸し始めて、日付がまたぐ火曜日の夜中、1台の大型トラックが来ました。
千葉で荷物を卸して、大分に帰る会社のトラックです。
もちろん帰りなので運賃は割安です。
4トントラック2台分の荷物を15トン車に積み込みます。
積込のは大型トラックの運転手さんたった一人です。
A社は荷物を出してやっているという考えです。
積み込みを始めて3時間。日が上がり始めた頃積み上がり出発です。
残された時間はまる1日半。
そこには大型からの降ろしの時間と、4トントラックへの積み込みの時間があります。
それを換算すると約1日もありません。
運転手さんはわずかな休憩で走るしかありません。
普段みんなが使う郵便や宅急便も同じです。
集荷をして、地域のセンターまでは自社が走ります。
地域のセンターから統轄までも自社で走りますが、
統轄から目的地までの統括センターまでは下請けの運送屋さんが走る事もしばしばです。
地域によってさまざまな条件があります。
雨だったり、晴れだったり・・・・・
大雪だったり・・・・・
そんな道でも運転手さんは自分達を差し置いて、時間の為に走ります。
今のデフレ経済の象徴とも呼べるでしょう。
「安くて良いもの」
を求め、当たり前の様に要求し、当然と思っていた消費者も肩棒を担いでいると言えると思います。
俺達は何を言いたいのか。
こういう状況が今日の日本の現状だと言う事です。
それを見て見ぬふりをして、問題が起こった時には表面上で「ブラック企業」
違反企業として片付けてしまう。
それでは何の解決にもならず、
またこの様な悲劇は繰り返されてしまいます。
事故を本気でなくそうと思うのならば、
今の運送業の実態を正確に報道して頂きたい。
そして、その問題を世論して頂きたい。
世論して、消費者に受け入れ、転換して頂きたい。
物質文明を持っている以上、運送業はなくなりません。
運送業が無くならない以上、事故もなくなりませんが、それを解決するキーワードはあるはずです。
運転手も人間です。
大切な人も居ます。
経営者も人間です。
この文を読んで頂いている人と同じです。
最後に事故でお亡くなりになった方にお悔やみを申し上げるとともに、事故にあわれた方々にお見舞いを申し上げます。
ドライバーとして、経営者として、こんな悲惨なトラック事故が無くなるのが、
私達の願いです。
皆さんにも今の状況を少しでも理解して頂き、行動して頂けたら幸いです。
2016年
3月
16日
水
今日も元気いっぱいの権田です。
天馬さんのブログにBMWが載っていたので、こちらも欲しいものをアップします。
今欲しいのは・・・・・
今欲しいのは・・・・・
これです。
何とユンボちゃんです。
このユンボ普通とは違うのですよ。
キャブが空まで上がって・・・・・
飛行機にぶつかるまでは上がりませんが、
トレーラーやアームロールに積込に楽々。
中を覗けるので、箱の四隅にも綺麗に積めて、車も痛まず、なおかつ安全。
気が向かない時は、キャブを上げたままにしていれば、
下の人が何か言っても知らぬ顔(笑)
エアコンも付いてて、1日中快適モード。
これエレベータキャブって言うんだけど
これをコンマ45で作ると、びったりうちの回送車で定量。
解体現場に持って行って、積込専用にもよし。
ゴムパットを付けて、夜のイベント会場にもよし。
置き場で積込タイムにもよし。
終わったら次の車が来るまで、キャブアップして昼寝も良し。
街中でキャブアップして、鋼板の上からギャルウォッチングも良し。
何でも良し。
ってことで買わないかな・・・・・
今から楽しみなんだけどなー。
しばらくは古いユンボで人間エレベータ。
すなわち操作しながら立って乗るしかないのかなー(笑)
2016年
3月
01日
火
2011年3月11日 14時46分
あの日からまもなく5年がたとうとしています。
皆さんはもう5年ですか?まだ5年ですか?
それとも時は止まったままですか?
色々な思いがあると思います。
あの日の事を少しだけ思い出して、今の現状を少しは同じ日本国民として考えてみませんか?
国土を守る為に、
放射能を浴びながら福島では毎日何千人もの人々が原発と言う目に見えない怪物と戦って、自分の命と引き換えに
終息活動をしています。
岩手、宮城、福島の海岸では、警察官の方々が1列に並び、網を片手に砂浜で砂をふるいにかけ、行方不明者の方々につながるものを探し続けています。
被災地の子供達は、大切な家や使い慣れた物だけではなく、大切な人を失い、通いなれた学校にも行けずに、他の学校へ通い、隙間風のある寒くて、狭い仮設住宅で生活しています
。
仮設住宅に住むじいちゃん、ばあちゃんは以前の顔見知りがいなくなり、外に出歩く事も少なくなり、体が弱って、孤独死して、何日も見つからない事もあります。
港町で生計をなり立ててた人達は、色々な事がハードルが高く、思う様に事業を再開出来ずに、奮闘している人もいます。
奮闘する事に疲れ果てて、せっかく助かった命を自らたってしまった人もいます。
大切な人がいまだに見つからず、あの日から止まったままの人もいます。
町並みは復興したと言う人がいました。
先日、石巻の街を歩いて来ました。
確かに他の街と代わり映えは無い気がします。
よく目を凝らして見ると、道路と歩道との境界のコンクリートや生き残った電柱には、無数の傷があり、道路と道路の間には取り切れない、掃除しても掃除しても砂や泥が貯まっています。
まだまだ更地も目に着きます。
足を延ばしてみると、解体されずに残っている家やドライバーが引取りに来るのを待っているかの様な車もあります。
そして何より、全ての人が自分の家に帰れていない現状があります。
数百キロ先にまだそういう現状があるって事を・・・・・
同じ日本でそういう思いをしている人がいると言う事を。
再度、ここに誓います。
俺達、酒井商店グループ一同は
東日本大震災における壊滅被害を受けた東北3県が全て復興し、
全ての人々が自分の家に戻り、普通の生活を取り戻し、笑いが絶えない港町になるその日まで、
原発が終息して、除線が終わり、もとの街並みに戻り、穏やかな生活が送れるその日まで、
東北3県の被災地復興物資の輸送、東北3県からの発送を優先的に受け入れ、走り続けます。
トラッカーとして、
日本人として、
同じ国に住む者として、
トラックが日本の物流を支えているとプライドを秘め、俺達は笑顔が溢れるその日まで走ります。
全ては日本の為に。
東北の笑顔の為に、俺達が耐えられる限りやり続けます。
3月11日 14時46分 1分間の黙とうを宜しくお願い致します。
2016年
2月
24日
水
こんにちは。
もうすぐ2月も終わりですね・・・・・
25日前になると、
銀行の残高やら、月末の振込みの準備の計算やら・・・・・
この時期が1番バタバタしています(笑)
今日は午後からバイヤーさんの仕事で、
バイヤーさんのヤードからバイヤーさんのヤードへの移動の仕事でした。
途中で忘れ物を取りに、自宅へ寄る事に。
トラックの音で気づいた娘は玄関へ・・・・・
「おかえり~」
「まだまだだよ~」
「どうしたの~?」
と会話をしながら、忘れ物を見つけ、玄関へ。
またまた娘は
「どこ行くの?」
「○○さんの所・・・・・」
「あっ・・・・・○○社長だ・・・・・」
と言っている娘に
「たまには乗って行くか?」
と言うと
娘はご機嫌で
「行く!行く!」
といつもの習慣でお手洗いへ。
素早く支度をし、トラックへ・・・・・
娘は何積んでるの~
「雑品・・・・・」
と答えると
「安くて大変ね・・・・・」
と大人顔負け。
走りながらもずっーとミラーを見続けている娘に
「どうしたの?」と聞くと、
「落ちて誰かに当たらないか見てる。」
「大丈夫だよ・・・・・」
「シート掛けてあるから・・・・・」
と言うと、くつろぎタイム。
しばらく走り、信号で止まり、ふと目を左側にやると
回転寿司屋さんが閉店して、中の什器を出していました。
自分は心の中で・・・・・
「あれ、ステンかな?クロームかな?」
「冷蔵庫10万で売れるな・・・・・」
と考えていると
娘が
「あっ、お寿司屋さん辞めちゃったよ・・・・・」
「ここのお姉さんにヘリコプターのおもちゃ貰ったんだよ・・・・・」
「働いた人達大丈夫かな・・・・・」
と言い始めました。
「いつ来たの?」
と言うと、
「前にお土産買っていった時だよ・・・・・」
「じぃちゃんとばぁちゃんとみんなで来たんだよ・・・・・」
「また来たかったな・・・・・」
と言いながら、通り過ぎました。
しばらくして、
バイヤーさんの置き場に着きました。
自分は
「車の中絶対に触っちゃだめだよ」
と言い、
ナビに魔女の宅急便をセット。
娘が夢中になっている間にシートをすばやく剥がし、畳み、台貫へ乗ると
そこの従業員さんが
「今日は楽しそうだね!」と片言で話しかけてくれました。
いつもは自分でユンボを乗って卸すのですが、
娘がいた為、今日はオペレートは任せる事に・・・・・
指定の場所へパックをすると荷降ろし開始。
荷台がユンボで揺さぶられると、
娘は
「ジェットコースターみたいだ・・・・・」
とまたまたミラーからじっーと外を見ていました。
しばらくするとオペレートからユンボのクラクションと同時にダンプアップ。
一気にアクセルを吹かし、ダンプアップすると25トンアームロールボデーが上昇。
綺麗になった所で、荷台を卸し、台貫へ乗ると
そこの社長が近付いてきて・・・・・
「酒井さん、ごめんね・・・・・今は安いからあまり払えなくて・・・・・」
と言いながら、
「これで子供とご飯食べて・・・・・」
とくしゃくしゃの1000円札を3枚くれました。
「いいよ~気にせんといて」
と言っても差し出すので、
「すみませんね・・・・・」言い、受け取り後にしようとした時です。
さっき話しかけて来た片言の作業員さんがジュースとコーヒーを持ってきてくれました。
「これサービス」
と言い、貰うと
娘は
「サンキュー」とピースサイン。
クラクションを鳴らして後にしました。
帰りの車の中で
娘は
「いい人だね・・・・・優しい顔してた。」
と言いながら、
じっとDVDを見ていました。
なかなか接することが出来ないけど、
人の事も考えられる優しい大人になって貰いたいものです。
2016年
2月
14日
日
いいだろ~☆2月14日のブログです。
こんばんは。
酒井商店の権田です。
今日は☆バレンタインデー☆です!
自慢げにアップします。
誰に貰ったのかな~
誰が貰ったのかな~
どんなお味かな~
全て想像にお任せ致します☆
2016年
2月
05日
金
運転手さんは俺と同級生。
元々、お父さんがトラックの運転手さんで、当時お父さんが乗っていた日野のマーク入りのトラックをいつか乗ってやるぞ!
と思って、運転手さんを目指していたが、女性と言う事でなかなか面接をしても、どこのトラック屋さんも採用にはならなかったらしい。
彼女との出会いは同級生を通じて知り合う事になった。
当時、彼女は母子家庭で、2人の子供と彼女のお母さんとの4人家族だった。
お母さんが糖尿病を持っていて、小さい子供がいる彼女は、
なかなかフルタイムで働けない状況化にあった為、夜の世界に浸っていた。
色々と話をして、無理のない様に昼間の配送を週何回か頼む事になった。
最初は大変だったようだ。
トラックの長さ、幅、高さ、運転間隔、道路、お客さんの詳細、荷物の積み方、伝票・・・・・
なんだかんだ覚えるのに1年位かかった。
休みの平日もよく会社に出て来ては色々と調べたり、他のドライバーの脇に乗って行って、事細かにノートに書いていた。
そんな彼女の長男が今年高校受験を迎えた。
去年から今年の冬休みに手伝いに来ていた息子に、みんなが声を掛けていた。
高校受験の話になると、彼はきっぱりこう言い放った。
「俺、高校行かないし。働くから・・・・・」
となかなか固い意志だった。
俺は「将来何やりたいんだ?」と聞くと
すかさず、「トラックの運転手」と返って来た。
先週の話だった。
運転手さんか事務所でちょっといらっとしていた。
話を聞いていると
滑り止めに受けるはずの私立に願書を提出に行かなかった様だ。
公立一本で行くしかないから気が気では無い様だ。
今週の月・火曜日が公立の願書提出日だった。
火曜日の昼に運転手さんから電話が来た。
「あいつ、必ず出しに行くって言ったのに・・・・・行ってないらしいんだよね。」
「今学校から電話来てさぁ・・・・・配達終わったらちょっと学校行かなきゃいけないんだけど、トラックのまま行ってもいいかな?」
と言う話だった。
自分は「いいけど、ちょいと電話して見るよ」
といい、息子に電話をしてみた。
構えて電話するとすんなり電話に出た。
「今何してる~お母さんから電話来たけど、願書出しに行ってないみたいだな・・・・・」
「本気で行かない気か?運転手になりたいのはわかるけど、今は18で免許取っても4トンは乗れないし、16じゃ雇ってくれる所も今はから、高校位きちんと出でおけよ・・・・・」
と言うと、意外な回答が来た。
「うちさ、オヤジいないし、妹まだ小さいし、ばあちゃん具合悪いし、この調子でかあちゃん働いたらかあちゃんも具合悪くなっちゃうかも知れないからさ。」
「俺、少しでも働いて家に金入れたいんだよ・・・・・」
「だから学校行ってる場合じゃないんだよ・・・・・」
と返ってきた。
「でも、お母さんとちゃんと出しに行くって約束したよな・・・・・」
「それに、うちがお母さんが生活出来る金額の給料を払って無いみたいじゃないかよ・・・・・」
「今、お前に取っての親孝行は高校に行く事だよ」
と言い放った。
すると、「そっか・・・・・今から出しに行って来る」
と明るく答えた。
俺は「どこに居るんだよ」
と聞くと、
「高校近くのコンビニの隣の駐車場に居るよ」
きっと、彼は迷っていたに違いない。
電話を切り、
すぐさま、運転手に電話をした。
「今から出しに行くってよ・・・・・」
「マジで・・・・・何であいつ私の電話に出ないのにさぁ・・・・・」
「今夜は怒らないで、普通に話してやれよ・・・・・」
「兄貴がそういうんじゃね・・・・・」
とちょっと納得いかない様子でした。
ほっとした様な、何とも言えないひと時でした。
人間口に出さなきゃ伝わりませんからね。
たまには自分に素直になってみませんか?
2016年
2月
02日
火
16歳の時、地元の漁港に荷積みに来ていたねじり鉢巻きに長靴姿で、フォークリフトを乗りこなし、
素早く積込、威勢良く話している社長の姿を見て、運転手に憧れ、止まっていたトラックを舐め回す様に見ていた自分に
「こんなの好きなの?」と声を掛けて頂き、「今から貯金しておけばいくらでも飾れるよ」
と言われた言葉が今でも耳に焼き付いています。
それから何度も言葉を掛けて頂き、卒業間際、「そんなに運転手になりたきゃうち来れば?」
と言われた一言で決意し、母親と自分とのつかの間の時間に顔合わせした時に
社長の一言にまた衝撃を受けました。
「最初から出来るのはいねえから・・・・・好きなら努力するし努力しなきゃできねえから」
と言い、面接という名の面接は終わり使って貰う事になりました。
入社してびっくりした事は、運送屋が副で、ごみ屋さんが本職だったってこと。
それも全部の従業員が、産廃も古紙も鉄屑も青果・生花・鮮魚の種類や場所、納品先、お客さんの名前全て知り尽くしていると言うこと。
全ての機械も車も乗れて、仕事が出来るのはホントにびっくりの連続でした。
右も左もわからない小僧にみんなはひとつひとつ教えてくれました。
ロープの掛け方、結び方、シートの掛け方やゴムの貼り方・・・・・
基礎から全てみんなが教えてくれて。
今思えばなんきん縛りがなかなかできなくて、毎晩ダンプの荷台で練習していました。
なんきんがけが出来ると今度はワイヤーの使い方と・・・・・
1年後に社長が初めて買った日野のクルージングレンジャーのウィングを任されました。
そう、地元で初めて見た車・・・・・
最初は2台つるんで、関東中心でした。
高速で先輩と並行走行したり、無線機でやりとりしたり・・・・・
知り合いのトラックが来るとパッシングしたり、ラッパコールをしたり・・・・・
次第に慣れる為に、卸した先で積んで、先輩より一足先に他へ行ったり、昼間の配達に行ったりする様になってからは
1人行動が増えました。
楽しくて楽しくて・・・・・
関東から中部・・・・・
中部から関西・・・・・
関西から九州と気が付けば沖縄以外は全部行く様になりました。
4年目に付き合っていた彼女との間に子供を授かってからは余計に力が入り、
毎日生き生きと充実していました。
もう少しで子供が生まれるか生まれないかの時に社長に呼ばれました。
社長「どうだ。仕事は慣れたか?」
自分「慣れたと言われれば慣れましたケド・・・・・」
社長「ケドって何だよ・・・・・」
自分「今の割り当ての青果は完ぺきに近いですけど・・・・・」
「生花と鮮魚もわかりますけど・・・・・」
「産廃とかはいまいちわかりません・・・・・」
社長「そりゃそうだろ、運送屋なんだから」
「ところでお前、そろそろ独り立ちしねえか?嫁も貰って、これから子供も生まれて、嫁とお前だけじゃなくなる」
「双方の親戚やら何やら大所帯と付き合う事になる。そんときに幽霊みてえな会社に勤めてトラック転がしてるんじゃかっこ付かないだろ。」
「子供もすぐに大きくなっちまう。そんな時に子供同士が運転手よりも僕のお父さん社長だよ。の方がかっこいいに決まってる」
「だから、自分でやれや」
と言いました。
あまりにもとっさの事にぽか~んとしていると
社長は
「独り立ちすると言う事はもう1社会社が増えると言う事だ。俺が取ってやり切れなきゃ、お前がやればいい。その反対でもいい。」
「ものは考えようだ」
と言い、最後に
「トラックはお前が今乗っている奴を持っていけ。お前の相棒だ。」
と言い残し後にしました。
自分は「でも・・・・・」
と呟くと
「俺は男だから一度口にしたら訂正しない。お前が持って行かなきゃ解体に出すからな。」
と、言われて半ば強引に独立を決意しました。
1か月後、初めての決算の日、びっくりしました。
燃料、高速、保険、修理代、その他もろもろを引き、残った金額を見ると今まで貰っていた給料よりはるかに少なかった事に・・・・・
独立した事を後悔したのではなく、社長が、会社がこんなにも負担していてくれてたんだなと初めて思いました。
売り上げを上げる為に努力の毎日。
集荷場にパレットを届けたり、ラップを渡したり、
缶コーヒーをみんなに差し出したり・・・・・・・
あの手この手を使いました。
独り立ちした後は、社長から譲り受けたトラックに仕事を貰い、お客さんと仲良くなり、またそこから仕事を貰う。
時には怒られ、怒鳴られ、謝る。
謝る時は膝を付いて、頭を付いて本気で謝る。
そうしなきゃ、本気で怒っている人に失礼にあたる。
反省して行動を見せるとお客さんが評価してくれる。
毎日その繰り返しでした。
俺は今でも追っかけと呼ばれる運送屋スタイルを貫いてます。
追っかけ・・・・・
文字の通り、お客さんの決められた場所へ決まった荷物を時間通りに届ける。
いかなる理由も許されない。
産地から市場。
市場から物流センター。
物流センターから店舗。
条件はまちまちだ。
一台積みの場合は時間は読めるからまだいい。
問題は混載積み。
産地で複数の生産者の荷物の場合、時間通りに集まらない事もしばしば・・・・・
物流センターで混載の時も地方の車が遅れるのもしばしば・・・・・
渋滞でした・・・・・
通行止めでした・・・・・
理由は理由にならない。
そんなのは全て理由にならない。
最終ランナーの俺が時間を間に合わせる。そして正確に、びた一文のミスも無い様に配達しなくてはならない。
それがプロ。
信用と実績になる。
毎日その繰り返し。
でも楽しい。
好きな仕事だから。
休みの日にスーパーに行くと、息子が青果を指さしてこう言う。
「パパ運んだやつぅ~」
嫁と笑いながら買い物を楽しむ。
買い物中にもひっきりなしに電話が来る。
有り難い事だ。
社長が良く言う。
「電話も来なくなったら終わりだ。」
「勧誘も会社に来なくなったら、はたから貧乏と思われている事だ」と。
俺達の仕事は花火みたいなものだ。
ダッシュで走って、届けて。立ち去る。
その後にその食品を手に取り、口にして笑顔がこぼれる。
こんな苦労誰も知らない。
花火師さんも泥まみれ、命がけでセットする。
みんなの笑顔の為に・・・・・・
うち上がりの瞬間、感動よりも不安があるだろう。
楽しむ間もなく、次のセットへ。
この仕事の醍醐味・・・・・
世間の縁の下の力持ちになっている事が俺の誇り。
そして、社長が買った初めての4トンを譲り受けたのも俺の自慢。
当時の社長に助言をしてくれた人の誕生日のナンバーと共に
250万キロを走破したレンジャーは今宵も関東近郊を走っている。
2016年
2月
01日
月
ご無沙汰していました。
久々のブログの更新です。
今年から配車係長になった権田くんです。
今日は社長との会話をアップします。
昨日の出来事です。
自分は週末なので、担当のトラックの掃除機をかけ、窓を拭き、グリスピンのグリスアップをしている所に
お弁当の差し入れを持って、社長がやってきました。
社長は「ごん、そんなに綺麗にすると大雪になるで・・・・・」
俺、「どー言うことっすか?プロですから・・・・・」
社長、「珍しい事言うな・・・・・やっぱり大雪になるな・・・・・」
「いいから早く飯食えよ・・・・・」
と言いながら、
事務所でお昼ご飯にする事になりました。
金曜日から、千葉~長野~川崎の荷降ろしの2台が帰って来ていなかったので、
雪の影響はあったものの、冬タイヤを履いて、チェーンを持って出ていて、
朝、報告の電話は来ているものの、社長は少々心配気味。
俺は、何も考えずに能天気に唐揚げを食べ、味噌汁を飲み、それでも足りないので、
カップめんにお湯を足している時でした。
社長がぼそっと呟きました。
「おい、ごん、お前のプロの流儀って何だ?」
と言われて、
「俺のプロの流儀は頼まれた仕事はけして断らず、無理だとしても200パーセントを尽くし、荷主の期待に答え、その荷物を待つお客さんに答えることです。」
と答えると・・・・・
社長はそうだよな・・・・・
「俺がいつも言っている事だよな・・・・・俺達をかってくれる人達の期待を裏切っちゃいけないってな・・・・・」
でも・・・・・
「もっとなんかねーか?」
と言われると
自分は
「う・・・・・ん」と唸ってしまいました。
社長はそこで、
「お前もこれから今までと違って会社のドライバーとしてトラックに乗っているだけではなく、指示する上に立つ者として、わからなくてはいけない事もある。」
「もちろん、運転手上がりだから、運転手の気持ちも荷主の思いもわかっているとは思うけど、会社の内情や状況も判断していかなくてはいけない事もあるんだ。」
と言われてぽか~んとしていました。
すると社長は
俺達の本当のプロの流儀は
「機材や機械、車両を人の倍、3倍使う事だ。」
「他が50万キロで廃車にするんだったら、うちは100万キロ大きな修理なしで乗る事だ。」
「それによって出費が抑えられて、荷主にも負担を求める事なく、お前達の給料にも反映する事なく、会社も負担することなくなり立って行くんだよ。」
と言いました。
確かに・・・・・
うちの車は全て50万キロ以上・・・・・
一番古い社長が初めて買ったクレーン車は昭和60年車
次に古いのは平成3年車・・・・・・
どれも50万キロ~100万キロ・・・・・
俺が乗っているウィングは70万キロで、大きな故障も無く乗っていて、パッカー車は104万キロ・・・・・
たぶんパッカー車は回収している時もエンジンをかけっぱなしだから、倍として208万キロ・・・・・
よくよく考えると凄いなぁ・・・・・と実感。
たまに、同業者やお客さんから
「儲かってるでしょ?」とか言われるけど、
社長や常務の培った経験を生かして、社員に教えて、生かして、
それを受け継いで、もうかる仕事を会社が取っているのではなくて、儲からない仕事から儲ける仕事にしてるんだな・・・・・
と思いました。
そう思いながらラーメンを食べていると
社長は
「そういう事でしばらく新しい車は入れないから・・・・・」
「○○号車は今年、全塗装と板金と鉄板張り直しだな・・・・・」
と言い、後にしました。
新車もいいけど、
中古も味が合って、愛着もあるからいいか。と思ったひと時でした。
2015年
12月
17日
木
こんばんは。
いつもブログを読んで、コメントを頂きありがとうございます。
たまにはブログのコメントを頂いている方に対して、感謝の気持ちを込めて書いてみようと思います。
ある方のコメントを抜粋しました。
と頂きました。
従業員も私も私の両親も戦争は経験しておりません。
無論戦後生まれです。
戦後生まれの世代です。
小中学校で戦争の話を学び、幼いながらにも内容は全てわかりませんでしたが、
戦争は双方にとって、大変むごいことなんだと、そして二度としてはいけない事なんだと、
今の平和は先人たちの耐え難い苦痛の上にあるものだと感じました。
おばあやおじいから、御国の為に命を捧げた方々の上に今があると教えられ、ご飯を粗末にしてはいけない、靴のかかとは踏んではいけない、人に死ねと言ってはいけないと教えられ育ったものです。
今、私達の仕事では、中国や韓国、朝鮮、ロシアにベトナム、スリランカと多くの諸外国の方々に支えられてるのが事実です。
その方々の多くは、私達は○○人だが、日本で働いて、生活して、日本で税金を払っているから、半分日本人だよ・・・・・
過去は過去と捉えて、私達でこれからやっていくしかないんだよ。
私達の祖先も苦労した。
そして、あなたの祖先も苦労した。
だから、私達は子供達に苦労させてはいけない。
国境を関係なく、それでいいじゃないの・・・・・と言われました。
それも日本人ではありません。
外国人の方です。
外国人の方がこういう考えが出来るのに、今の日本人は・・・・・
と思いました。
私は右でも左でもひしでもまるでもありません。
日本人として日の丸の下で生まれ、育ち、生きている。
過去、日本で起きた事を未来に伝える。
いいモノはいい、悪いものは悪いと未来に永遠に伝えるのが、
私達の責務と感じて、伝えております。
日本には言論の自由があります。
私達が伝えて、語り、一億五千万人の何パーセントの方々と手を結び、1人では出来なくても多数の人がいれば、出来なかった事が出来ると信じています。
直近の話をすれば、
安全神話で原発が稼働し、確かに過疎化した町を潤したのは事実かもしれません。
日本の経済も潤った事でしょう。
しかし、化け物の様に様変わりした原発を止める事も終息する事も出来ません。
出来ると断言出来るならば、今すぐ福島県の避難している人々が戻れるはずです。
核廃棄物も処理できるはずです。
今もなお汚染水は溢れています。
今もなお除線は終わっていません。
それが、未来の子供達に誇りをもって安心だと言えますか?
言えないならどうしますか?
そのままですか?
声を荒げますか?
みんなで声を上げ、起ち上がりますか?
みんなで声を合わせれば、原発を止めることだって、
占領されている領土だって、拉致被害者だって取り戻せるかも知れない。
出来ない事は無いはずです。
話は脱線しましたが、
今の日本を、過去の日本を少しでも考えてみませんか?
過去があるから、今がある。
それは当り前ではありません。
それが当たり前だとしたら、
ゼロ戦に乗り、機関銃で撃たれ、原爆で熱く、苦しんで散っていった先人に、
何の罪も無く津波に飲まれ、原発で帰還できない避難している人々に申し訳が立ちません。
日本人として育って、生きているのであれば、少しは考え、
私達と同じにしてくれとはいいませんが、
少しは陰から見て、感じて伝えて言ってほしいと思います。
今こそ、失われかけた愛国心と道徳心を取り戻すべきです。
難しい事ではありません。
日々の自覚です。
8月15日、正午に戦没者に対しての黙とうだけでもいいんです。
出来なければ、心の中での黙とうでもいいんです。
戦後70年、裸一貫焼け野原から立ち上がり、大復興を成し遂げた日本にはまだまだ熱いものが残っていると信じています。
その力にさらなる力を付けて、
全ては未来の子供たちの為に
日本の為に
語ろうではありませんか?
ながながとお付き合い頂き、ありがとうございました。
2015年
12月
15日
火
こんばんは。
いつも元気いっぱいの権田です。
さてさて、
12月になり、
今年も終わりだな~と思う人。
早かったなぁ~と思う人。
長かったなぁ~と思う人。
う~ん
僕は・・・・・・
♪苦しみま~す♪
♪苦しみま~す♪
メリーくるしみま~す
チキンも買えない、ケーキも買えない
メリーくるしみま~す
って感じの12月です。
今日の出来事です。
今日は珍しく、社長と帰り道スタンドで一緒になりました。
いつも行く馴染みのスタンドで
社長が初めに給油をしていて、パートのお姉さんと話していました。
自分はその後ろで給油を始めると、店長さんが近付いて来て、雑談タイム。
すると、社長の反対側に・・・・・
ちょっと怪しげな感じの男性が二人で給油しようとした時です。
「姉ちゃんどうやって入れるんだよ・・・・・」
「あっ?てめえら接客業だろ・・・・・」
「運転手と話してて、何なんだよ・・・・・」
と声を荒げていました。
じきに社長は給油を終えて、窓を拭き始めた時です。
「お客さん・・・・・もうちょっと穏やかに話し出来んかね・・・・・」
「相手は女だで・・・・・」
と切り出しました。
「何だと・・・・・」
「てめえ誰に言ってるかわかるんか?」
と言ったその瞬間マシンガンの様に社長が始まりました。
「誰かしらねぇよ」
「弱いモノいじめするのが、お前らの仕事かい?」
「だったら俺もお前らの事いじめてやるから、呼んでやろうか?」
「俺は日本人だよ・・・・・」
「日の丸の下で生まれて、育ってな・・・・・
日本人が日本人いじめてるのが、気に入らねえんだよ・・・・・」
「ましてや自分より弱いのいびってよ・・・・・」
「戦後70年たった今日にまだまだ大和魂は健在だよ。」
「バカ野郎・・・・・」
と一撃を下しました。
すると、その2人はあっけに取られて、そそくさと給油を済ませて出て行きました。
お姉さんは「どうもすみません・・・・・」とちょっとしょんぼり。
社長は
「あ~ゆうの気にいらねぇんだよ。」
「ホントに強いのは心が強い奴なんだよ。そういうやつは一本芯通して貫いて生きてるからな・・・・・」
と言いながら、窓を拭き、車に乗り込みました。
自分も店長さんにどうも・・・・・
と言い残し、スタンドを後にしました。
会社に戻って来てから・・・・・
社長がこう呟きました。
ああいうのが、いるから本物が迷惑するんだよ。
本物はいつでもプライド持ってやってるんだからよ。
といつもより重たい感じで語りながらごみを下していました。
「心が強い奴・・・・・」
自分もそうなりたいと思ったら・・・・・
髪の毛を染めて、ちゃらちゃらしている自分がめちゃんこ恥ずかしくなりました。
チャンチャン・・・・・(笑)
2015年
11月
12日
木
こんばんは。
と、言うかかなり久々の登場の権田です。
最近は周りからは信号機と呼ばれています(笑)
知ってる人は知っているので・・・・・・
それはさておき・・・・・・
今日はなかなか更新しないので、自分が書きますね(笑)
うちの会社は10日給料日です。
給料日は社員以外にも、協力会社の社長や持込の運転手さんなどが入れ換わり立ち替わり押し寄せ
夕方から会社は大忙しになります。
その後、社員のみでミーティングになります。
今回は・・・・・・
特に何もなく・・・・・・
だったのですが、
うちの会社はとっても格安で効き目のあるお守りがあります。
それは・・・・・・
それは・・・・・・
各自担当の車のルームミラーに
そのドライバーの大切な人の写真が貼ってあるんです。
家族だったり、子供だったり、
彼女だったり、彼氏だったりと・・・・・・
う~ん、
うちの社長のミラーには、井川遥さんの写真が貼ってありますが(笑)
お守りと言うか、慌ただしくバタバタしたり、イライラしている時こそ、ふと見て我に帰ってワンテンポ考えろって事らしいんです。
それもミラーだと確実に目に入ると言う事から、ルームミラーって決まってます。
ちなみに俺の車は、トイプードルの写真が貼ってあります。
まぢ、可愛い・・・・・
半端無い位可愛いですよ・・・・・
それはさておき、
今回の議題は・・・・・・
何の為に働くか・・・・・・と言う小学校みたいな話になりました。
色々と意見は出ましたが、
結論、社長は「大切な物を守る為、またその大切な物を満たす為に銭が必要だから働くんだ。」
と言う話になりました。
単純に大切な物の為に頑張ってるんだ・・・・・
と言う話になりました。
単純明快ですが、
普段考えない事、
仕事があり、
大切な人がいて、
みんながいて、
働けて、
銭が稼げて、
色々と満たされてる事が当たり前と感じていた事がとっても新鮮に感じました。
たまにはそんな単純な事も考えてみませんか?
で、
何で、
俺は信号機かと
言うと
悪乗りを
して
頭を
金髪(黄色)にして
怒られて
茶色(赤)みたいな
赤になり、
今は
緑色の帽子をかぶっているからです。
ちゃんちゃん・・・・・・
2015年
10月
10日
土
2015年
7月
01日
水
2015年
6月
28日
日
2015年
6月
13日
土
2015年
6月
08日
月
こんばんわ。
今日は久々のお休み…とはいきませんが、木曜日、金曜日と通常業務+夜間作業もあり、朝はゆっくり出社し、嫁さんが用事があり、留守の為、お昼は一度自宅に帰る事になりました。
一度会社から自宅へ戻ると娘は息子と二人でお留守番中で、息子は午後から友達が来るので、娘と二人でお昼ご飯とお買い物に行く事になりました。
買い物の為、目当てのホームセンターに着くと、休日の昼なので、家族連れでいっぱいでした。娘は、入口に置いてあるお花を見ては、「きれいだね~今度これ植えようよ~」と言い、ガーデニンググッズの前に立ち寄っては、「このテーブル、焼肉やるときにいいね~今度買おうよ」とご機嫌満点。
そんな娘を横目に、手を引きながら目当てのビニールシートとゴムバンドその他諸々を買う為、売場へ向かうと付いて来ているはずの娘が何かの前でじっとビデオ画面の様に一時停止。
「何見てるの?」の問い掛けながら、引き返すと
「可愛いね~きれいだね~イルカさんが泳いでるみたいだよ」
とイルカさんの風鈴の様な物を指差しました。
ちょこっと指で揺らすと、和やかな音色に綺麗なクリスタル調で夏にピッタリでした。
「欲しいの?」の問い掛けに、「う…ん」と戸惑い気味の娘。「一つ買って行こうか?」と娘に言うと、「うん、いいのぉ~買おう、買おう」と大ハシャギ。
自分はカゴを片手に娘の手をとり、娘は片手に風鈴の箱にアンパンマンの折り紙を手にレジへ。
無事に買い物をすませ、車を走らせ始めると、目に入ったハンバーグレストランでお昼にすることに。
正直、休日の昼間に家族でお昼ご飯を食べに来た事のない自分は家族連れの多さにビックリ。
お店に入ると、窓側の椅子の席に案内され、娘は「お洒落だね~いいね~」とご満悦。
メニューを見ながら、中々決まらない二人は別々の物を頼み、半分ずつすることに…
ご飯が来る間、娘は一週間の出来事や昨日の夜ご飯の話やらお風呂の話やら全てに夢中。
しばらくするとご飯が到着し、これまた二人で食べるのに夢中。
娘は一人前の三分の一も食べないので、結論ニ人前食べる事に。
お腹一杯になった所で娘を送り、家の窓際に風鈴を付けて、会社へ戻りました。
風が吹くと音色をならす風鈴に初夏を感じるこの頃です。
皆さんの自宅にもひとついかがですか?
2015年
6月
02日
火
2015年
5月
13日
水
2015年
5月
06日
水
こんばんわ😄
ご無沙汰しております。
権田です✨
社長の代わりにレポートしますよ~😁皆さんはGWは何をされてますか❓
自分は毎年定例の田植えの手伝いで、お仕事をお休みを頂き、実家に帰郷しております⭐
実家に帰郷といっても、🚗で1時間で着きます(笑)
自慢ではないのですが、うちの実家、村で1番の面積のたんぼをやっているので、田植え、稲刈りは一大イベントなんですよ。
運ぶ苗もハンパないんです💦
田植え機、トラクター、コンバインも最新鋭🎶 軽トラや2トン車じゃ話にならず、今年は会社の新車の6トンユニックを借用し、じいちゃんと考えて作った特注の苗棚を積み込み、6往復😖
クレーンは最新の6段ブームでダブルジャッキなので安定感バッグン💪
たんぼに落とさない様に慎重にバックで進入して、ジャストの場所に特注の苗棚をブームで移動して、空棚を持ち帰るのを往復🏃
後は苗をセットして田植え機にお任せ…
という訳には行かず、コーナーや狭いところは人力なんですね😂
うちの方は手間返しと言って、金銭のやり取りはせずに互いに手を貸し合うやり方で昔から続いています。
今日は隣の秋田さんちが手伝いに来てくれて、機械の入らない所を手で植え込みを手伝ってくれました🌟
何年か前に隣の村のたんぼは区画整理がされて、全ての隅まで機械が入れる様になりましたが、うちのじぃちゃんは反対して、区画整理をしなかったので、いびつな形のたんぼだらけです🌀
じぃちゃんは「あんなに綺麗にしてもどうしょうもねぇ、昔ながらでいいだ。」の一点張り。
となりの秋田のばぁちゃんは、「ごんちゃん、こんなでかいの乗れるんけぇ~」と大笑い。
昔は「何かあるとばぁちゃん、ばぁちゃんと大泣きしてたんに、立派になっちゃって…」とまたまた大笑い💦
色々とある毎日ですが、何故かほっとする一瞬です⭐
明日は秋田さんちのおじいちゃんがもう歳なので田植え機の運転を自分がやりますよ(笑)
お茶の時、お茶とキュウリの一本漬けを食べると実家だなと実感しました😊 たんぼでもカリスマの権田隊長のレポートでした❗
2015年
4月
27日
月
2015年
4月
19日
日
2015年
4月
05日
日
2015年
4月
04日
土
2015年
3月
18日
水
こんばんわ😄
久々の登場の権田隊長です✨
今日は…
会社の話をしょうと思います👍
良く会社の中の話で出て来る言葉
「ヤンボコ」
社長、自称専務、龍さん言わく、ヤンキーは自分より強い奴にボコられて、痛みを感じ、時には我慢をしてお互いで分かち合い、仲間が生まれる」と言う意味らしい💨
自分も少し道を外れた時もあったが、多分社長と専務、特に龍さんは半端じゃなかったらしい💦
それはさておき、
11日の深夜にちょいとした出来事があった😱
社長、専務、自分で深夜の撤去中の出来事だった。
3台で同時積み込みをしている最中に、社長が「イテー」と叫び声が聞こえた💦
振り返り見ると、社長がよろめきながら、立ち上がっていた。
話を聞くと、積み上がった荷台から飛び降りた所に運悪くレバーブロックがあり、その上に足が乗り、くじいたみたいだ🌀
社長は立ち上がり、「大丈夫だ」と言い、積み込みを始めた❗
良く見ると、足をびっこを引いている。
大丈夫かな~と思いつつも作業続行。
が、問題は次の朝。
社長はびっこを引くどころが足が付けられずに、一歩出すのも数十秒かかる程になり、足は靴が入らない位に膨れ上がり、アンパンマンみたいになっている。
にも関わらず、湿布を張り、段ボール回収に出かけた。
気になり、昼間電話をすると「楽勝」との事。
が、悪化したのはその晩。
今度は激痛と熱で寝られず、翌朝また出社。
今日は病院に行く様に説得するも、午後に行くとやはり回収へ。
ようやく午後に病院に行くと、骨にヒビが入り、靭帯が切れる寸前まで伸びてるとの事😱
ギプスで固定するといわれるも断り、サポーターと湿布と薬を貰い帰社🏃
社長は笑いながら、「すぐ来ないとダメだよ~と怒られた半面、良く仕事してたね~と褒められたよ」と言いながら、「こういう風にするといいんだってよ」と足を心臓より高くするように椅子に座りふんずり返りながら呟いた。
「こんだけ痛いのは生きてる証拠だよな…」
「みんなもっと苦しんで、痛い思いしたんだべな…そう考えれば大したことねぇな」と呟いていました。
確かに社長が震災直後後に言った一言。
俺らがどんなに現場に行っても、話し掛けても、何かしても同じ気持ちにはならない…
でも、自分の大事な家が流されて、車が無くなって、大切な人が亡くなってしまって、全て無くなってしまったらどんな気持ちになるかわかるべ?と言われたのを思い出しました。
社長のブログには想像以上のコメントが来ています。それは真実で現実だと実感しました。
俺達も何度も被災地に運送で行きました。
その時、社長は「銭じゃねぇ…やれまわり近所は銭いいだのなんだの言ってるけど、俺達の運ぶ荷物を必要としている人に思いを運んでるんじゃけん」と呟いてました。
いつも、専務が言う言葉、「誰かは見てるからいつか評価される。苦労無しに評価無し、苦労せずに頂いた評価に感動無し」と言っています。
お礼を言うのは、俺達かも知れません。
こんな平々凡々に生きている俺達が色々な感謝の気持ちやお礼を貰い、すまない気持ちもあります。
でも、うちの会社は日本の誰よりも被災地を思い、出来る事は全力でしょうと言う気持ちは負けないつもりです。
これからも親父の言うように、出来る事やうちの会社は被災地優先の荷を運ぶと思います。
荷を運ぶ。思いを運ぶ。
その荷を待ち、喜ぶ人の顔を思い浮かべて、また来週から走り始めます。
震災の4月に、石巻で被災した街で、津波にのまれ、ボコボコになり横転していた車の窓ガラスから顔を出していた坊やを思い出しました。
その坊やはこう言いました。
「これぼくんちの車」
それ以上は語りませんでした。
それ以上聞けませんでした。
こんな自分みたいなくそガキでも熱くなるんだな、思うこともあるんだなと思いました。俺達も見たもの、聞いたもの、感じたものを伝えていこうとおもいます。
俺は頭がないんで、コメントを頂いた方々に何て言えばいいかわかりません。
でも、助かった命粗末にしないで下さい。
生きる事が亡くなった人の供養だと思います。
亡くなった大切な人の元に行きたいのもわかります。仕事も家もなにもかもない辛さもわかる気がします。でも、生きてればきっと。
絶対、何かあると思うから。
すんません。
何もわからない奴が色々言ってすみませんでした。
2015年
3月
12日
木
こんばんは。
いつもご覧頂き、有難うございます。
酒井商店の酒井です。
毎回、大したブログではありませんが、
読んで頂き、また、顔もお会いした事のない方々から色々なお言葉を頂き、本当にありがとうございます。
本当でしたら、毎日更新しなくてはいけないのですが、
気が向かないとなかなか文章を打つ気にならずに、そうしている間に1日、2日、1週間、とたってしまっています。
今日は、あの東日本大震災から丸4年経ちました。
2、3日前から特集番組が放送されています。
また、明日になれば違う番組が放送される事でしょう・・・・・
何か報道の矛盾を感じる瞬間でもあります。
今回、ブログに3人の方から書き込みを頂きました。
東北復興支援ご苦労様です。居酒屋の親父です。あの日の辛さを風化させない為に。お願いします。
トラック野郎さま。ありがとう。まだ見つかって無い先生や子供達に成り代りお礼致します。四年経ちましたがまだまだ問題は山ほどあります。御支援宜しくお願い致します。
もう一度、家族に。もう一度だけ、会いたい。
と3名の方から頂きました。
前にも話をしましたが、
皆さんが思う程、すごくも立派な人間でもありません。
幼児期に観たトラック野郎の劇用車「福の神」のごみ収集車を見て、憧れを抱き、
小学校の頃はずっ~とごみ収集車に夢中でした。
それがきっかけとなり、10代半ばのアルバイトは産廃業者で働きました。
危険、汚い、キツイと呼ばれる業界で、周りの同級生やその家族、近所の人など一部の人に偏見みたいな変な目で見られていた気もします。
少し道を外しかけた時もありました。
自分は何も気にしてなかった・・・・・って言えば嘘かもしれませんが、
汗水たらして働けば、金になる。
ごみ屋は一生なくならない。
天職だと。
その時、実感しました。
いつか、小ばかにしているあいつらを見返してやる。
人に笑われる社会の底辺みたいな仕事で、俺は必ず天下を取る。
みたいな事を抱き、独立しました。
その当時、稼ぐどころか燃料代もままならない自分はとある産廃屋の社長と出会い、回収した屑鉄をくれると言うのです。
ちょうど夕方、屑鉄を取りに行くと、
出入りしていた産廃屋の社長は、毎日夕方になると、ビシッとした格好にスーツを纏い、ピカピカのベンツを颯爽と走らせ、
毎回の様にとっかえひっかえ綺麗な女性を乗せてはゲートから入って来ては、泥まみれになって積込している自分に缶コーヒーをくれます。
とある日、電線の山がありました。
それも持って行っていいとの事でした。
翌日、屑屋さんに持ち込み、換金し、あまりにも金額が張ったので、
半分を茶封筒に入れて渡した時の事です。
「あ、酒井ちゃん、銭はいらねぇよ。」
「お前が足しになれば、いいだろうよ。」
「俺も昔、お前くらいの時、みんなに助けて貰ったんだよ。」
「だから、今度は俺がお前にする番だ、お前が儲けたら今度は下っ端にしてやれ。」
と茶封筒をおり、俺の胸ポケットに返して来ました。
少し戸惑っていると・・・・・
そこの社長は
こういいました。
「日本人の持つ、結の心だ」
関東大震災も戦後も阪神大震災も何もかも日本人は助け合いで生きて来た。
お前もそういう大人になれ。
と話して、ベンツで颯爽と夜の街に消えていきました。
その頃からですね・・・・・・
「世の為、人の為、みんなの為・・・・・」
やれば、必ず誰かが見てて、評価してくれる
と思いながらやって来ましたね・・・・・・
やっと、何とか会社が形になるつつある時に
東日本大震災が起こりました。
同じ日本に生まれて、日本で育ち、日本に暮らしている。
その中で困っている人がいれば、手を差し出す。
100%は出来ないかも知れません。
被災地全てに物資を配りにはいけません。
欲しいものすべてを配り、思いを聞きとり、実現出来る訳でもありません。
前にも言いました。
本当に東北の被災地の被災した人の気持ちにはなれません。
でも、同じ人間として何かしたい、出来る事を出来るだけ・・・・・
俺らみたいに東北に荷物を運ぶ人、ボランティアで写真を洗い、まとめる人
被災地で高齢者のお世話をする人、イベントを企画する人、4年たった今の景色を目にする為、出かける人。
きっと、今日から何か出来る事はあるはずです・・・・・・
俺は関係ねぇや・・・・・
私は知らない・・・・・
で済ませないで下さい。
原発もまだまだ終息していません。
福島の大熊町、双葉町の一部はあの日のまま、
時計が止まったままになっています。
自分の故郷に許可なく入る事すら出来ません。
先祖が築いた土地や家、楽しい時間を過ごした家財道具や乗り物がいまもなおそのままになっています。
持ち出す事すら出来ません。
原発のせいです。
福島で会った人が「原発さえなければ、くそったれ・・・・・」
と涙を流して、唇をかみしめていました。
東電が原発で発電した電気を首都圏で使っているこの現実。
その犠牲になっている人の事も少し考えませんか?
これから、5年、10年と毎年3月11日を迎えます。
その時、あの時と一瞬でも思い出して頂けませんか?
今日は長文ですみませんでした。
コメント頂いた方には、本当にお礼を申しあげます。
自分も大切な人が多くいます。
その人が突然仏になってしまったら・・・・・・
会いたいですよね。
会いたいよな・・・・・
思い、察します。
世間が忘れても、俺達はわすれません。
風化もさせないから、居酒屋頑張って下さい。
被災地の方の方がつらい思いをしているのに、みんなに代わってお礼頂き、ありがとうございます。
出来る事は大したことはありません。
でも、俺達の記憶や見たもの、聞いたものは残して行こうと思います。
これからが本当の復興の小さな一歩です。
行方不明の方々、早く暖かい家族もとへ帰れる日を・・・・・
仮設がなくなり、早く暖かく、快適な暮らしに戻れる日を・・・・・
福島の大熊、双葉に1日も早く明りが灯る日を・・・・・
全ての人々が笑顔で笑える日を・・・・・
祈ります。
2015年
3月
08日
日
2015年
2月
24日
火
今夜は家で久々にゆっくりとしていて、たまたまつけていたNHKで、SONGSと言う番組が始まり、工藤静香さんの出演でした。
自分が初めて買ったカセットテープは工藤静香さんの黄砂に吹かれて
初めて買ったはシングルの8センチCDでやはり工藤静香さんの慟哭と言うタイトルのCDでした。
当時またまだガキだった自分は、静香さんはマドンナ的な存在で、歌詞もあの大人の色気プンプンの静香さんに惹かれていました。
当時はウォークマンと言えば、カセット。ポータブルCDプレーヤーなんて、高価で手が届きませんでした。レンタルで借りて、ダビングしたりと、今とは大違い(笑)
それはさておき、今、思えばませた奴ですよね。(笑)
それから、しばらくして「ムーンエンジェル北へ」と言うデコトラを使った映画に工藤静香さんが出演していたのを見た時には、衝撃を受け、自分もいつかあんなデコトラに、工藤静香さんみたいな色っぽい女性と付き合って、助手席に乗せて、トラックを転がして、運送会社をやるみたいな事を言っていました。
免許を取り、まあまあ工藤静香さんみたいな色っぽい女性を乗せて…
とは行きませんでしたが、工藤静香さんの曲を流しながらトラックを走らせていましたね。
歌は当時の色々な事を思い出させてくれたり、勇気をくれたり、癒してくれたりと色々と無限大に与えてくれますね。
忘れかけてた青春の1ページにタイムスリップして見行った一時でした。 古い曲ですが、静香さんのFU-JI-TSUはオススメです。
みんなの青春の1ページの曲はなんですか?
たまには押し入れから引っ張り出して聞いてみませんか?
『爆走!ムーンエンジェル-北へ』:1996、日本
デコトラ“ルナ号”に乗るルナは、カミオンのマドンナと呼ばれている。“風に吹かれて号”に乗る夏子はルナをライバル視し、勝負を挑んで来たりする。ルナを信奉する和美は押し掛け弟子になっており、同居生活をしている。
ルナは北海道に住むキヨコの手伝いをするのが毎年の恒例になっており、今年も和美を連れて釧路へ向かった。キヨコには幼い息子の治がいたが、元気だったはずの彼が半年前から何も喋らなくなっていた。キヨコの離婚が原因らしい。
釧路でキヨコの仕事を手伝い始めたルナだが、なぜか夏子も来ており、またも勝負を挑まれる。ところが釧路警察の兵藤に車を止められ、許容積載量を超えていたために積み荷を降ろすはめに。そこへ11トントラックの竜神丸に乗った一匹狼の運転手・如月大五郎が現れる。
如月の好意で、ルナの積み荷を運んでくれることになった。ルナは如月に淡い恋心を抱く。そして夏子も如月に惚れる。後日、今度はキヨコが兵藤に止められる。キヨコの“鶴姫号”は改造車チェックに引っ掛かり、取り上げられてしまう。
ルナは抗議するために釧路警察署へ行くが、そこで兵藤という警官がいないことを知らされる。兵藤は窃盗団の一味で、ロシアマフィアと取り引きするために“鶴姫号”を盗んだのだ。取り引き現場の根室港に向かったルナだが、既に鶴姫号を乗せた船は出航した後だった。
現場から逃走しようとする兵藤を追いかけるルナだが、惜しくも逃げられてしまう。しかし優れたドライブテクニックに感服した如月が自分の竜神丸を譲る話を持ち掛けてくる。キヨコと共に待ち合わせの場所に向かったルナは、偶然にも窃盗団のリーダーの正体を知るのだが…。監督は山口和彦、原案&脚本は高田純、製作は田中迪、企画は表参三&武政克彦&伊藤潤、撮影監督は加藤雄大、録音は本田孜、照明は大久保武志、音楽は澤近泰輔、音楽監修は工藤静香。
主演は工藤静香、共演は清水宏次朗、永島瑛子、嶋村かおり、岡田理江、斉藤洋介、林泰文ら。
2015年
2月
15日
日
2015年
1月
30日
金
北海道運輸局は28日、トラックの運転手に基準を超える長時間労働をさせていたとして、運送会社「ほくうん」本社営業所(札幌市東区中沼三条、配置車両41両)に対し、30日間の事業停止を命じた。運転手の勤務時間に関する違反行為で営業所単位の事業停止処分を行うのは、全国で初めてという。
同運輸局は昨年8月から10月にかけて同社の監査を実施。連続運転時間が4時間を超えたり、1日の拘束時間が16時間以上に及んだりするなど、運転手の勤務に関わる国の基準を超える長時間労働が繰り返し行われていたことが判明した。
具体的には、70人余りの運転手のうち46人で拘束時間などの基準違反が確認され、1カ月間に31回以上の違反行為が見つかった運転手も3人いたという。
厚労省が発表した「平成24年自動車運転者を使用する事業場に対する監査指導、送検の状況」では、6007者が対象になっているが、うち4325者がトラックだった。平成22年2666者、同23年2789者に比べて倍増していることがわかる。
トラック運送事業者のネックになっているのが労働時間。主要な違反事項を見ると、労働時間2425(56.1%)、割増賃金960(22.2%)、休日232(5.4%)となっている。改善基準告示の主な違反内容は、最大拘束時間で2238(51.7%)。ほかには、休息時間1766(40.8%)、連続運転時間1535(35.5%)となっている。どれもこれも「長時間労働」と切り離せないものばかりだ。
平成24年に労働基準監督機関が自動車運転者を使用する事業場(運輸交通業)に係る労働基準関係法令違反で送検した件数は80件。うち51件がトラック関係だった。トラック事業者と営業部長を労働基準法違反の疑いで送検した事例では、「運転者に対し、時間外労働・休日労働に関する協定で定めた上限時間である月80時間を超える月99時間の時間外労働を行わせていた。再三の指導にも関わらず、拘束時間及び時間外労働を削減しなかったことから、悪質と判断し送検した」としている。
また、「トラック運転者が歩行者を轢き死亡させるという重大な交通事故を起こしたことを契機として臨検監督を実施したところ、運転者に対し、時間外労働・休日労働に関する協定で定めた上限時間である月100時間を超える月190時間の時間外労働を行わせていたため送検した」という事例もある。
さらに、トラック事業者を労働安全衛生法違反の疑いで送検した事例では、「飼料会社の工場敷地内で、貨物自動車に設けられた高さ約3mの作業床で安全帯を使用させるなど、同所からの墜落を防止する措置を講じることなく労働者に飼料の積み込み作業を行わせたため、労働者が作業中に作業床から墜落し、死亡するという重大な結果を招いたと判断し送検した」としている。
長時間労働だけでなく、ドライバーの安全をどのように守るか。もう一度、社内の体制、システムを確認してはいかがだろう。
2015年
1月
13日
火
2014年12月31日はデコトラ、トラック野郎のイベント
全日本アートトラック連盟&全国哥麿会
初日の出大会 菅原文太さん追悼式(群馬)
2015年
1月
12日
月
本当だったら「おめでとうございます」の挨拶から始まるブログでしたが、
そうとは言い難い年開けになり、なかなか更新する気にもなりませんでした。
訃報は突然来るものです・・・・・
昨年は天馬さんと一緒にやっていた解体とスクラップをやっていた親方がなくなり、鈴木監督、ジョニーさん、健さん、文太さんと続き、年末には同業者の方が都心で事故に巻き込まれて亡くなりました。
知り合いの業者の運転手さんも不意な出来事で亡くなったり、仲間のケガも多かった一年でした。
そんな年を開けた2015年1月に同業者から訃報の電話が来ました。
以前お世話になっていた問屋さんの所長さんが突然亡くなったとの事でした。
自分はショックと何が何だかわからずに話を聞いていました。
この所長さん、2年ちょっと前に問屋さんのヤードで片付け作業をしていた所、古紙のプレスとフォークリフトの間に挟まる様な・・・・・
はっきりとはわからないんですが、事故に巻き込まれてしまいました。
それから入院とリハビリをしていたのですが、復帰する事も無く、再会する事も無く、亡くなってしまいました。
当時、自分は真っ黒のパッカー車を乗り回して回収をしていました。
たまたま、この問屋さんの営業所は週一回だけ通り道だったので、入れさせて頂く事にしました。初めて行って挨拶をした時に、所長さんから
「様相ワリなぁ・・・・・」
「俺と同じ香りがするよ・・・・・」
と言われたのが第一印象でした。
他の日に、うちの入りたてのドライバーがトラックを壊してしまい、回収を手伝って貰い、帰り足のないドライバーを駅まで送って頂きました。その時は、ありがとうございました。そのお礼と挨拶がてら、カップラーメンを1箱持って挨拶に行った際に、所長は「よっしゃー一食助かったぜ」と言っていたあの笑顔が今でも忘れられませんね。
それからも、結構うちは混載回収が多いのですが、嫌な顔一つせずに卸してくれたり、誘導してくれました。
「わりいね・・・・・」と一言言うと、
「しょうがねぇよ・・・・・暇だから分けておくよ・・・・・」
と毎度嫌な顔せずおろしてくれました。
そんな矢先、事故に遇い、入院してしまい、それからそのルートがなくなってしまったので、行かなくなってしまいました。そんな方だったので、まさか、亡くなるなんて信じられませんでした。
何を考えても、いいことしか思い浮かばないんですよね。何で・・・・・何故。
息子さんも同じ系列会社で働いてるので、ごく稀に会うと「おやじさん、元気にしてる?」と聞くと「元気ですよ・・・・・」と言っていたので、安心していたのですが…
復帰して、またバカ話しながら卸しに行きたかったですね。
まさか、事故後それっきりになるなんて思ってもいませんでした。
息子も孫も居たのに、死んだら負けです。でも、所長さんの死は何かを訴えている気がします。人って何か弱いモノなんだなと。ふと考えた時でした。
長い様で短い人生お疲れ様でした。
ゆっくり休んで下さい。
2014年
12月
18日
木
大晦日の夜、群馬県太田市の利根川河川敷では、新年へのカウントダウンの合図とともに華々しい電飾と極彩画で飾られたデコトラのクラクションが一斉に鳴らされる──。
全国から約300台が集結する、このデコトラ界の一大イベントが、今年は菅原文太さんの追悼を兼ねて行なわれる。
イベントを主催するのは、映画『トラック野郎』シリーズの撮影協力団体「全国哥麿(うたまろ)会」で、今年は菅原さんが映画で運転した「一番星号」も参加予定。現在、滋賀県草津市で電飾の整備などが進められている。
「一番星号」の整備を任されている整備士の生駒雅巳さんは、「生まれ変わった『一番星号』を文太さんに見てもらいたかった」と語る。
「星桃次郎」は、全国のトラック野郎たちの手で盛大に天へと旅立つ。
2014年
12月
15日
月
おはようございます。今朝は一段と冷え込みましたね。。
昨日の晩の帰りはみぞれ混じりでした。。
選挙が終わり、開票された。
昨晩から今朝は選挙で持ち切りだ。
悪さをして、辞任してもまた当選する議員がいる。
俺達で言えば、違法行為の不当投棄や野焼きをして業を廃業し、翌日から今まで通りやっている様な物だ。
今朝もすれ違う多くの人はスマホをいじり歩いている。
君たちはそのスマホで何を見ている?
スマホなら自分達の地区の候補者など意図も簡単に調べられるだろう。
そんな事もせずに、投票し、街角インタビューにヘラヘラ答える人がいる。日本は豊かだとか成長している?
とか綺麗事ばかり言う神経がわからない。なぜ、本音を言わない。報道しない? 文太あにぃじゃないけど、日本はメルトダウンしているかも知れない。そんなことも出来ない奴等に俺達は否定される必要はない。
ボケた婆ちゃんが、ひとつ悪いことをしたら百個いいことをしなければ、信用されないと言っていたのを思い出した。
そんな一日の始まりでした。
2014年
12月
09日
火
2014年
12月
03日
水
11月28日に死去した菅原文太さん(享年81)をしのび、全国の長距離トラック運転手が駆けつける追悼セレモニーが大みそかに行われることが2日、分かった。
主演映画「トラック野郎」シリーズに撮影協力した装飾トラック(デコトラ)団体「全国哥麿(うたまろ)会」が主催する。毎年大みそかに群馬県太田市にある新上武大橋の利根川河川敷でカウントダウンイベントを開催してきたが、今年は菅原さんの追悼セレモニーが行われることが決まった。撮影で菅原さんが乗ったトラック「一番星号」も運ばれる。関係者は、1万人以上が集まると予想している
2014年
11月
26日
水
お疲れ様です。
今日は雨の一日でしたね。
何か雨降りだと憂鬱ですね・・・・・
今日の出来事を書きます。
今日は段ボール回収の一日でした。
みんな雨が降ると運転がしずらいといいますが・・・・・
雨の日は自転車も歩行者も少なく、歩行者の方々は必ず傘をさしているので、視界にも大きく映り、自分的は楽な様な気がします。
さてさて、今日は某引越センターの段ボール回収の日でした。
住宅地の中に会社があり、また、進入路が細く、くねくねしているので、
いつもより慎重に徐行運転で入って行きました。
すると、ちょうどカーブの所で、
自転車が横たわり、おじいさんが転んでいました。
スーパーの帰りでしょうか?
買い物の品が散らかってしまっています。
あらら・・・・と思っていた所に対向からも車が来ました。
自分は車を止め、おじいさんの自転車を起こし、荷物を拾い始めた時です。
相手の車の奥さんがこっちを睨みつけています。
細い通りに停めてしまったので、すれすれだったんですね。
でも、ふと思いました。
自分より先に気が付いたはずなんですけどね。
自分も腹が立ち、睨みを利かせると目をそらし、ネットフェンスにミラーを擦りながら去って行きました。
荷物をまとめて、「大丈夫かい?」
と声を掛けるとおじいさんは「あぁ・・・・・すみませんね。」
と一言。
別にすみませんね・・・・・と言われる事じゃないんですけどね。
人を助ける事も出来ない・・・・・
そんな人が子供を育てるんだから、子供にも教育出来ませんよね。
と思いながら、回収先に向かいました。
皆さんはどう思いますか?
率直にお聞かせ下さい。
2014年
11月
23日
日
2014年
11月
20日
木
こんばんわ。
午後から冷たい雨になりましね。 昨日と今日は、新聞、テレビともに高倉健さんの追悼番組と報道の1日でした。
俺が世話になったおやっさんが「高倉健」と言うあだ名で、面影も似てました。
自分も、八甲田山、南極物語を見て、幼いながらに渋い人だな…と思ったのを今でも思い出します。
渋いながらに、目が優しく、顔全体に人柄が出ていた方でしたね。日本、世界を代表する俳優さんが他界されてしまったのはとても残念に思います。
今年の夏は東映の鈴木監督に続いて、高倉健さんの訃報…
いつまでも、俺達の心の中にいつまでも生き続けます。
死んだのではなく、また第2の俳優人生を歩むために天国に旅立ったのかも知れませんね。
高倉さん本人やファンの悲しみの涙の様に、今夜は冷たい雨が降りしきっています。
安らかにお休み下さい。長い間お疲れ様でした。
2014年
11月
20日
木
お疲れ様です。
いつもご覧頂き、ありがとうございます。今日は、事務所に帰ると見覚えのある車が停まってました。
2年前に退社した女性ドライバーがたいやきを持って、遊びに来ていました。
母子家庭の子で、弟と3人家族だったのですが、お母さんが糖尿病を患ってしまい、目が見えなくなってしまい、家の事とお母さんの介護をしなくてはならなくなり、やむを得ず退社しました。
最近はお母さんが多少回復し、弟が結婚して弟夫婦も手伝ってくれている様です。
彼女は背も小さく、小柄で体重も軽く、引き取りに行くと荷物が自分の背丈より大きかったり、重かったりと色々苦労の連続でしたが、毎日笑顔で真面目に仕事をしてくれていました。
久々の再会でしたが…
彼女は
「相変わらず好きだね~」とトラックを見て回ってました。
「てか、びっくりしたよ
ブログやってるとはね~」
と色々と話してました。
最後に
「また、時間あるなら、手伝ってよ」
と自分が言うと、
「悪い会社じゃないからね~
でも、出戻り禁止じゃなかったっけ?」
と言って、帰って行きました。
そうなんですよ。
うちの会社は出戻り禁止なんですが…
一度、退社したスタッフが遊びに来て、以前の話をしたりするのもいいものですね。
また、一緒に仕事出来るといいなぁと思いました。
2014年
11月
17日
月
いつも、お世話になります。
権田隊長です。
皆さんは風邪はひいてませんか?
昨日、車庫で薄着で洗車をしていたら・・・・・
まんまと風邪をひきました。
朝一発目に、社長から「体調管理も出来んで、何がトラック野郎だっ・・・・・」
「どーしょうもね・・・・・」と機嫌悪めに言われました。
皆さんも気を付けて下さいね~
昨日は久々にゆっくりでした。
洗車に、片付けに、草取りにと・・・・・
雑用満載でした。
そこに社長の友達、いつもお世話になっている社長さんが遊びに来ました。
その中での会話の一部分をブログアップします。
「いや~酒井ちゃん、このユニックいくらするんだい?」
「自慢じゃないけど・・・・・」
「スタンダードだったら、2台買えるわ」
「だったら、2台買って稼いだ方がいいべ?」
「いや~そんな事ないよ」
「確かに俺んちの車は銭は掛かってる。」
「キャビンもカスタムだし、ユニックもフル装備、ボデイだけで高級車買えるわな。」
「でもよ、仮に他の会社が10年使って、ボロボロになるとしたら、うちの車は20年使えるよ。」
「それに、これだけボデイも丈夫作って、使い勝手と積荷を理解しながら、ボデイ屋にオーダーしているから、車がダメになってもボディは板の張替位で載せ替えられるのさ」
「だてにステンや2B材、使っている訳じゃないんだよ・・・・・」
「磨けば光るし、他の運転手や現場でも一目置かれる」
「結果、乱暴に使わないから持つんだよ」
と社長は話していました。
そこの社長さんはまじまじとうちの車を見ては、
「社長これ何よ?」
と運転席側の小扉を開きました。
「あ~軍手入れだよ」
と言うとびっくりしてました。
確かにうちの社長のこだわりは半端が無いんです。
ぱっと見普通のパッカー車もカスタムキャブに、巻き込み板や負荷の掛かる所に補強の指定をしたり、シリンダーを大型用、オイルクーラーを付けたり、
油量を増やし、圧力を増したりと色々と指定します。
結果、一度に大量輸送が可能になり、しかし、補強も入れたりするので車も壊れないんですよね。
メーカーや修理屋さんがわからないと、図に書いたり、自分でやってしまいます。
アームロールのコンテナも制作時、何度も図に書き、制作時もボディ屋に通い詰め、指示する。
社長の頭の中にはスタンダードと言うものはありません。
全てを覆し、制作する。
うちの車はこだわりが満載なんですね・・・・・・
最後に社長がこう言ってました。
「いや~確かに銭はかかるよ~」
「こんな車作らなきゃ、LSでも何でも乗れるけどよ・・・・・・」
「こういった車を乗らせると運転手の輝きとかやる気が違うだよ」
「そういったもんの積み重ねが会社の信用だったり、財産になるんじゃないの?」
と誇らしげに言っていたのが印象的でした。
ちなみに自分のトラックは101万7100キロ・・・・・・
社長はあと10年乗ってくれと言われてます。(笑)
2014年
11月
10日
月
2014年
11月
08日
土
2014年
11月
03日
月
こんばんは。
久々の登場の権田です。
すっかり、朝夕は寒くなり、あと二カ月で今年も終わりですね~
年賀はがきに、クリスマスケーキ、おせち料理の予約と街中はにぎわっております。
さて、さて、
昨日は社長の幼なじみ?戦友?親友?
が来ました。何回か会った事はあるのですが、こわもての方なんですね~
社長が独立した同時期に、トラック運転手としてその方も独立し、持ちつ持たれずの関係で一緒に歩んで来た様です。
今では、青果、生花、鮮魚専門の市場トラッカーとして毎日忙しく走りまわっているみたいですが、
時折、何の前触れもなくふらっと立ち寄ります。
今回も何の前触れも無く・・・・・
社長に電話が入り「置き場にいるよ~」
と言うとわずか数分後にバタバタバタぁ・・・・・ぴゅるる・・・・・と豪快なマフラー音と共に現れました。
「よぅ権田・・・・・元気してっか?」
「荷台に荷物卸してくれ~」
と荷台には綺麗なシクラメンのお土産付きです。社長も「いつも悪いね~」と言うと「なんのこれきし」と一言。
いつものビールケース会談が始まりました。
築地も移動だな・・・・・
寂しくなるよな・・・・・
と2人で話始めました。
あそこはデコトラの聖地だからな・・・・・
築地で相手にされる様になったら運ちゃん一人前みたいなぁ・・・・・
そうだよね・・・・・
俺なんか何百回どやされて、フォークでトラック押されたかわかんねぇ~よと社長。
でも、酒井ちゃん世渡り上手かったよね・・・・・
しらねえ運ちゃんでも誰でも所構わず話しかけて挨拶しちゃったり、
助手席にコーヒー1箱積んでおいて、すれ違い様に渡しちゃったり、
フォークマンに500円渡しちゃって卸されちゃったり・・・・・・
見ず知らずの運ちゃんのパレットの積替え手伝ったりなぁ・・・・・・
と話してました。
まぁ、頭ないし、右も左もわからないから色々と知恵使ったよな~
と2人で話していました。
怒鳴られてこずかれて何ヶ月かすると自然と顔を覚えてくれてなぁ・・・・・
卸し場キープ出来たり、フォーク借りたりしたよね・・・・・
時間帯によっては俺達が仕切ってたり・・・・・
しらねぇ運ちゃんのおろしてやったりしたよね~
覚えるか?あの年末・・・・・・
身動き取れなくて12時位から5時位まで場内でハマったよね・・・・・
と色々と語ってました。
すると、でもよ・・・・・
今度の豊洲は青果と鮮魚がわかれる上に、どうも近未来的なトラックターミナル的な市場になるらしいぜ。
しかも、仲買人や地方発送は出来なくなるから、一度、買い子さんが築地に持ち帰り、再発送するみたいだよ。
だから、反対に対して、築地はなくならないって言うが主張らしいよ・・・・・
でも、仲買人や買い子さん段々高齢化してるし、今度は小口の渋滞になっちゃうんじゃないの?
まぁ、都や国の考えは浅はかだからな・・・・・それにしても・・・・・・
日本の台所、いや世界の台所かもよ。
あれほどの外国人が観光や取材に来てるんだぜ。俺のトラック見て・・・・・「ビューティフル」なんていいやがってよ・・・・・
それの代替えを豊洲の東京ガス工場跡地の汚染土の上に作るってどうなのよ・・・・・・
どんなセレブも芸能人も口にする食材が汚染土の上で流通するんだぜ・・・・・
最近は仕事が溢れた運送屋の運ちゃんが良く来てるけど・・・・・
場違いだよな・・・・・
これで、豊洲になったら、改造車は出入り禁止、やれ何はダメ、かにはダメになっちゃうんじゃないの?
市場の醍醐味も消えてくよね・・・・・
築地は戦前、戦後、高度成長と来たからね。 てか、もともとはトロッコ電車だぜ・・・・・
確かに老朽化は否定できないけど、築地だってお寺とかみたいに国宝なんじゃないの?今のまんま行ったら、
○○急便とか○○○運輸みたいな車だらけになっちゃうんじゃないの~
あんな奴ら定量でしか来ないから、どんどん物価は上がって、買うやつもいなくなるよね~。俺ら位だべ・・・・・
寝ないで走り回って・・・・・
4トンに○○トン積んで、真冬に汗ぶんながして、ネックレス振り回しながら、
何百箱もて降ろしして、場内走り回ってるのなんて・・・・・
そんな奴ら首絞めちゃうんだからね・・・・・
と寂しそうに話していました。
最後に社長の友達がこう言いました。
「まぁ、豊洲になってリーマン運ちゃんばかりになって、今までみたいに飾ったトラックでやれなくなったら、
きっぱり運転手辞めるわ。」
「プライド捨ててまで、そんな奴らとは仕事できねぇ~」
「そん時はトラック維持出来る位稼げればいいから、酒井ちゃん使いぱしりでつかってよ。」
と力強く語っていました。
自分は下っ端ながらに・・・・・・
何か熱いモノを感じ取りました。
男のカッコよさはこういうのなんだなと・・・・・
と、また、社長にそっくりな考えなんだなと、だからいつまでも気が合い、付き合ってるんだなと思いました。
俺もそんな仲間を作りたいです。
明日は、うちの新入りくんの紹介をします。
恒例となりました「築地秋まつり」、本年は10月11日~12日の2日間にわたり
開催致します。
■時間 : 9:00~15:00
■会場 : 築地場外市場、市場橋駐車場(イベント特設会場)、波除通り
2014年
10月
27日
月
2014年
10月
25日
土
とんでもないものを運ぶ軽トラの写真が話題になっています。
その写真がこちら
こちら非常に危険な行為です。積載重量は完全にオーバーでしょうし、荷台での固定の仕方も問題大有りです。 いつ、落ちても不思議ではないので軽トラに限らず、危険な車と遭遇したらまず離れましょう。
2014年
10月
25日
土
お疲れ様です。
火曜日と水曜日は雨降りで、昨日は一日寒い一日で、また今日は暖かな一日したね。皆さんも体調には気を付けて下さいね。今日はある県内にあるスクラップ問屋さんのお話をします。
2014年
10月
24日
金
調子こいて、2曲目です。
走るぜ~♪ 行くぜ~♪
新聞野郎~♪ 新聞野郎~♪
昔は、ちり紙交換~♪
一回り。てんこ盛り~○万円
儲かったその日は、昼からワンカップ片手に
夜はキャバレー通いよ~♪
宵越し銭はもたず~♪雨降りゃ休み~♪
銭なくなれば~♪ ラッパで町内一周~♪
そんな時代長くは続かね~♪
今は新聞屋の下請けよ~♪
折り込み広告に入れられた回収日に
せっせと一件ずつ回収だ~♪
オバタリアンに出くわすと嫌味を言われる~♪
「うちのめいいっぱい入ってて、重いわよ。」
「ロール2つにして」と 目くじらたてられる~♪
積んだら、走って~♪ 積んだら、走る~♪
年寄りにはキツいぜ~♪ 楽しみはワンカップじゃない~♪
新聞屋の余った残紙だ~♪
重くて、束ねてあるから、積込楽チンだぁ~♪
積みながら顔がにやける~♪
高い問屋を選ぶ~♪ 満タン積んで~♪
財布も満タン~♪
晩飯何にしょ~♪ 猫のエサもかってこ~♪
スーパー寄ってこ~♪
新聞親父~♪ 新聞野郎~♪
一生廃品回収だ~♪ 一生廃品回収だ~♪
明日もがんばろ~♪ みんな新聞読んでよ~♪
頼むよ~♪ 宜しくね~♪
2014年
10月
23日
木
2014年
10月
20日
月
行くぜ、行くぜ!!
パッカー号♪
ちびっ子ギャングの声援受けて、俺の希望を乗せて
目的地に直行だぁ~!!
むしゃむしゃ食べるぜ~!
ドンドン入れるぜ~!
段ボールならお任せだ~!
回転板と作業員のフットワーク~!
一つ間違えると命取り~♪
そろそろお腹いっぱい~!
裏技登場~!♪
水道ホース引っ張って、子供のみずあそび~!
水で流し込め~!
頼むぜ~頼むぜ♪
頑張ってくれ~♪
頑張ってくれ~♪
と拝んで、何とか入ったぜ~!
お腹いっぱい~♪
お腹いっぱい~♪
張り裂け寸前
頑丈な鉄板も反発には時には負けるぜ
勇気と希望満載で問屋の計りに乗るこの瞬間~!
ドキドキもんだぜ~
まるで初恋もんだぜ~♪
よっしゃー!!
今日も最高新記録~♪
アクセル吹かして、吐き出しだ~!
細切れ段ボールが吐き出て来るぜ~!
モリモリ出て来るぜ~!!
空にして足取り軽やか明日の希望を乗せて会社に帰宅だぁ~!
明日も頑張ろう~♪
明日も頑張ろう~♪
おいらは天下無敵の段ボールマン~♪
2014年
10月
19日
日
お疲れ様です。
昨日は久々に天馬さんと千葉で食事&夜のお茶をしてました。
まぁ、まぁ、深い話はさておき、二軒目のお店でご一緒させて頂いた方とは色々と真面目な話をさせて頂きました。
その方、広島出身の方な様で単身で千葉に来ていて会社の所長さんの様です。話の中で、自分意識してないんですけど、顔、目つきが怖いらしいんですよ~
事務員さんに言われて、ショックなんですよね~と怖いと言えば怖いかも?!男前なんですよね。
自分の仲間にも広島の友達が何人もいて、確かに目つきが鋭いんですよ。一度だけ、広島友達に、あにやん、何でそんなに目つき鋭いん?と聞いたら、済んだ話かもしれんけど、広島と長崎は原爆落とされたやろ?東京と言う首都があるにも関わらず、地方が実験台にされたんや。
終戦後、国は何もしてくれんで、先人達は色々言われて苦労したんや。
東京オリンピックとか、浮かれてる時も広島や長崎は行ったらガンになるとか、広島や長崎の嫁は貰ったり、嫁いだらアカンって言われてな。俺達の先祖は全て誰も頼らずにのし上がってきたんや。だから、団結力や民族心が強いから、それが顔に出ちゃうんだよな。
だから、おのずと怖い顔になっちゃうし、言うことも過激なんだよ。と言ってました。
色々とその方と天馬さんと話をしていた時に、良く上司が部下の手柄を取って、俺が教えたんですよ~とか俺のおかけだとかいうやつがいるけど、それはその部下の器量で伸びた訳だからそれを評価してやらんかったら、あかんよね。みたいな話をしていました。
他にも色々と、ざっくばらんな話がオンパレード。
今のせちがない世の中、こんな風に初対面で
話せる機会も減りましたよね。
【 一期一会 】大切にしたいものですね。
また、どこかで会えるのを楽しみにしております。
ちなみに僕の職業は、〇×△ではありませんから。(笑)
これがわかるのは、三人だけですみませんです。
2014年
10月
14日
火
うちの社長は13年落ちの26万キロのワンボックスに乗っている。
もちろん、中も外もガタガタ。パートナー会社の社長は、可愛らしいワンボックスに乗っているらしい。やり手のお客さんの社長は、ジャガーに乗っていて、毎日ピカピカなんだけど、社長は、毎日作業着に安全靴で乗りまわし、中はドロドロ。しまいにはトランクにハツリや銅線の束を積んでくる。笑いながら足車だよと微笑む。最近、離れ気味の社長は、クラウンとエルグランドに乗っていて、昼間に私服ですれ違いに手を振られた。その周りの人はベンツや外車を乗っているらしい。社長が眼中にもないけど、千葉の古紙回収の社長はアストロに乗っているらしい。ちなみに最近まで入れさせて頂いてた古紙問屋、社長姉妹はベンツのピカピカに乗り回していると業界中の噂話真っ只中。社長に前にもう少し社長なんだからいいの乗れば、と言ったら、バカ野郎、いいの乗ってるよと、大型のアームロールを指を指された。親父がこう言う。
いい車乗って、いい格好してれば一流か、金持ちか、だったら、ベンツ位俺でも買えるわ。何が一流で二流だからしんねーけど、それが金持ちのアピールだったら、心は貧乏の空財布だな。金は無くても、 心まで貧乏にはなりたくないと。今日は家に帰って、小学校の時の道徳の教科書を引っ張りだし、読み直します。皆さんはどう思いますか?
腹減ったから、今日は撤収しまぁ~す。お疲れでした。
2014年
10月
11日
土
お疲れサマです。
今日も元気な権田です。え~初めてお給料を貰った時の事を書いてみます。会社に入ったばかりの時に俺はオヤジに「何でもいいから夢を持て…例えば初めての給料で大トロをカウンターで食べたいとか免許取ったら車は何を乗りたいとかまあ何でもいいからその夢を叶える為に何をしたらいいか考えろ」と言われました。当時、ガキんちょだった俺は何でも面白く、夜間の改修工事の繁華街の搬出に行くと必ずといいって目にするドレスにピンヒールを履いた夜の蝶と豪遊したい思い、毎日勝手な妄想をして、働きました。←馬鹿ですよね~
初めての給料日、10万円を母親に渡し、残りの5万弱を財布に押し入れ、会社の先輩と繁華街に出掛けました。
それはそれは楽しい一時でした。綺麗な女性がよりどりみどり。
フルーツは食べさせてくれるわ、おしぼりは手渡してくれるわ、甘い声で話し掛けてくれるわ、ミチの世界でした。
約2時間弱で財布の中をすっからにし、帰りの電車賃もなく、とぼとぼと帰り際に、先輩とファミレスに入った時でした。他のお店の夜の蝶が数人食事をしてました。何やら耳をすませると…
「○○さん、ちょっとしつこいよね~」「○さん、ちょっとあれだけベタベタされるとキモいよね~」「でもお金落としてくれるから、アフター付き合うけど…」と色々とはなしているのを聞いて、我、現実に。
そりゃ、そうですよね~
お仕事ですもの。
優しくもチヤホヤしてくれますよね~。
相手も女性ですから、いやなこともありますよね~。
そう自分も思われるのかなと思うと虚しくなり、いい社会勉強は1日で終わりました。
それを翌日オヤジにはなしたら、「ん~なもん、当たり前だんべ。
髪の毛染めて、いいかっこして、チャラチャラしてりゃ、女なんか寄ってくんだんべ。それより、男が男に惚れるような男になんなきゃ、ダメなんだんべ。」
「そんなんで寄ってくる女なんかろくなもんじゃねぇーだんべ」と力説され、納得。
それから、毎日毎日自分探しと夢を探して仕事に励む毎日。
今の目標はオヤジみたいにみんなに好かれる男になりたいです。
あ~あん時の5万円もったいなかったなぁ~
母ちゃんに電動チャリンコ買ってあげれば、良かった。
この場を借りてごめんなさいです。
また明日も何か考えて書きます。
2014年
10月
09日
木
2014年
10月
07日
火
お疲れ様です🌷
権田です✌
今日は自分の担当車🚙のメーターをアップします。
✨「012345キロ」🔔
並びましたね~🎶
でも、この距離数メーター一周なんですよ~👍
だから、
実際は「10012345キロ」
なんですよ(笑)💨
確か、自分が預かった時は40万キロ位だったんで、良く乗りましたね~😄
初めて社長が買った4トン車なので、もう一周大切に乗ります🍁
また、御嶽山や台風で犠牲になられた方々にご冥福をお祈りします。
早く、みんな家族の元へ帰り、休めたらいいと思います。
若い人や子供が多く犠牲になり、とてもやるせない気持ちでいっぱいです。
ご冥福をお祈りします。
それと共に、日夜問わずに捜索に当たっている自衛隊や消防、村役場の方々に敬意を表します。
早くみんなが帰れるといいです。と願うしか出来ません。
2014年
10月
07日
火
2014年
10月
05日
日
天馬さんが辰吉丈一郎さんの記事を書いていたので、思い出して書いています。
自分がまだ中学生の頃、辰吉さんは現役のバリバリでした。同級生のちょっととっぽい奴もみんな髪型を真似したりして、辰吉さんのスパークリングを真似したりして。とある日のテレビ放送で、辰吉さんがこう言ってました。
「男やったらとことん暴れてなぁ、悔いは残したらあかんのや、人様に迷惑掛けたらあかんけどな、男やったらとことん暴れてなぁ・・」「結果が出るんや、ついてくるんや・・」と言ったのが今でも鮮明に覚えています。
前にも話をさせて貰ったかと思うのですが、自分は昔、トラック野郎に出て来た「福の神」と言うパッカー車に憧れ、
よく、スーパーや街の至る所に回収に来るパッカー車を見ていました。みんながゲームや公園で遊んでいても、段ボールの箱でパッカー車を作って遊んだりしてましたね。 免許を取ってから、「会社を興し、いずれは飾ったトラックで商売をする」これも自分のシナリオの中にあって。 運転手さんを使う様になってからは、「仕事は出来んでもいいから、とにかく身なりと挨拶だけはしろ」
「ただでさえ、あんなトラックを使ってるんだがら、お客さんに倍、三倍のサービスをしろ」と言っていた気がします。
うちの運転手にピアスやネックレス、髭を生やしたり、頭髪を染めたり、個性のある髪型をしている者は誰ひとりいません。彫り物を入れている人は真夏でも長袖を着て、もくもくと働きます。
たまに、夜勤明けや連勤が続いて、無精髭を生やしている位です。そうすると、誰かしらが「鏡見た方がよくねー」と言い合います。 俺達はそれらを守るのは、仕事をする上で最低のルールだと思います。飾ったトラックで仕事をする事でさえ、難しくなりました。
その上、ドライバーがそんな態度だったら、世間はどう思うのでしょうか?
「所詮、運転手なんてあんなもんだろ」と程度に思われてしまいます。
先人が築いたトラック野郎を汚す事になります。飾ったトラックで仕事をする。自分の主義主張を貫き通すのは並大抵ではありません。
「トラックは派手だけど、良くやるね~、いい運転手だね~、またおたくに頼むよ。」と言って貰うのが、目標です。
知り合いの運送屋さんにこんな子がいます。20歳そこそこのドライバーです。
会社のトラックですが、毎日ピカピカにしています。出来る飾りをして、仕事をしています。良く、電話を掛けて来てくれて、久々に会いました。
髪の毛は両サイドを刈上げ、耳にはピアス、自家用車は古いマーク2だったか、クレスタを乗り、シャコタンのタケやりマフラー、ミュージックホーンを付け、
ナンバーを折り曲げ、まるで俺らの先輩の時代にタイムスリップしたようです。
話をしていると「何々やりたいですね~」「何々いいですね~」だったら、トラックか乗用車か絞ってやればいいのにと思いました。この会社の社長は何考えてるのかなと。1人認めたら全員を認める事になる。もしも全運転手がこんな車に乗って来て、服装をしてきたら、会社の信用はなくなるんじゃないの?
荷主はこんな会社に運んで貰おうとは思わないんじゃないのかな?とふと思いましたね。
まぁ、うちも人の事は言えませんけどね。トラックを飾っているだけで、他人に何かを言われる筋はないと思いますし、飾ったトラックを乗っているから、運転も穏やかだから、荷崩れや事故も少ない。荷主の信用、ドライバー教育もしているからクレームも少ない。
ドライバーが取って来て、お客さんと相対でやっている事も多く、報告されてからわかる事も多いぐらいですからね。
「己の生きざま、貫き通すこの勇気」
とトラックに書き込んでありますが、これが俺の生き方です。
人に流される事が多いこの世の中を何か寂しく思いました。
2014年
10月
01日
水