№ 53 Apex product 【世直し桃太郎&鼠小僧Zero吉 2人の世間話】青空と向日葵の会

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2024年

5月

02日

世界で100万人が泣いた RAM WIREのMV「僕らの手には何もないけど、」から生まれた感動の絵本『くものうえのハリー』刊行 ぼくとおかあさんのたからもの 株式会社パイ インターナショナル

株式会社パイ インターナショナル(豊島区)は、2015年12月10日(木)に、絵本『くものうえのハリー』(著者:城井 文)を刊行いたします。

羊年の終わりの12月16日に、活動15周年記念ベストアルバム「RAM WIRE BEST」を発売するRAM WIRE。
その発売に先駆け、最新シングル「僕らの手には何もないけど、」ミュージックビデオから生まれた城井文による感動の絵本『くものうえのハリー』が発売されます。

 今年の5月に動画サイトで世界公開されたMV「僕らの手には何もないけど、」は「象の背中」のアニメーター・城井文が描き下ろした切なくも心温まる羊の親子の物語と、RAM WIREの楽曲がリンクし、世界で100万人以上が泣いた感動のアニメーション動画として話題となっていました。

とりわけ子育て真っ最中のママからの反響が大きく、
「今いる子供をもっともっと大切にしなくてはと思った」
「見終わった後、号泣したまま、すぐに息子を抱きしめてしまいました」


といった“育児に疲れたときにママが泣く動画”としても拡散され、ママ向けサイト等でも紹介。
動画は口コミだけで100万再生を突破。世界中からも様々な言語で感動の声が届くなど、2015年最も泣けるアニメーションのひとつとなっていました。

絵本の帯には3児の母であるタレント・くわばたりえさんからの想いのこもった推薦コメントも紹介されています。
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 子供を持ちわかったこと。
「無償の愛」とは親が注ぐだけじゃない。子からも注がれている。
それを再確認できた素晴らしい絵本でした。

くわばたりえ
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  • あらすじ

大切なこひつじを亡くしてしまったお母さんは、毎日悲しみにくれていました。
そんなお母さんを雲の上から見ていたハリーは、もう一度お母さんにあいたい!と勇気を出して雲の上からおりていきます。
姿は見えなくても、ハリーの気配を感じたお母さんは、ハリーと過ごした日々を思い出します。思い出をたどるうちに、ハリーが与えてくれたのは、悲しみではなく、かけがえのない時間や喜びだったことに、お母さんは気づくのです。
「幸せは、なにげない日常にあるもの」だと気づかせてくれる、大切な人に「ありがとう」と伝えたくなる感動の絵本です。
 

  • 中面サンプル
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2024年

5月

02日

山崎パン工場で女性事故死 コンベヤーに挟まれ、千葉

 24日午前10時20分ごろ、千葉市美浜区新港の山崎製パン千葉工場で「作業中の女性が胸を挟まれた」と、工場関係者が119番した。千葉西署によると、同市若葉区のアルバイト加藤静江さん(61)がベルトコンベヤーに巻き込まれた。意識がなく、搬送先の病院で死亡が確認された。事故当時の状況を詳しく調べる。  事故は午前10時10分ごろ発生。加藤さんは菓子やパンなどを製造中で、異変に気付いた周囲の作業員らに救助された。

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2024年

4月

11日

お母さんの素敵な詩【青空と向日葵の会】

お母さんの素敵な詩です
お母さんが優しく見守ってくれているから
子供は大きく成長出来るのでしょう
しかし、これは簡単なことではありません
改めて母親という存在の偉大さに感動します。
私の場合は
苦労・心配だけを掛けました。
天に向かって頭を下げます。ごめんね。
そして本当に貴方と暮らした日々は幸せでした。   今さら遅いですが、ありがとう。
何も言っても、私の声は貴方に届きませんが。
Apex product 青空と向日葵の会
加齢なる親父より
**********************************
口に入れたら危ないと 部屋を片付け
あんよの時は 声を掛け応援する
子供がこけたら グッとこらえて起き上がるのを待ち
ケンカして泣いても 側で見守る
毎朝忘れ物はないかと 気に掛け
今日はどうだったかと 尋ねる
一番美味しいところはみんなにあげて
芯の固いところを自分が食べる
一番早く起きてきて
 
寝るときはみんながちゃんと寝たか見回る
大事な試合の時は お弁当を作り
勉強で疲れて寝てしまったら そっと肩に毛布を掛ける
呑んだくれて帰った時は 
ほどほどにしなさいと声を掛け
結婚の時は 傍らで幸せを願う
孫が出来れば 一緒に喜び
腰が痛いと言いながら 孫を抱く
最期の最期まで 
子供の幸せを願うのだから
いつまでたっても 
母を超えることなんてできないなぁ
母が結局出来ること 
それは一人で生きていけるように 
導き見守ること
死してなお 空から見守る
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2024年

4月

11日

最低だけど最高に輝いた夜 【青空と向日葵の会】

【最低だけど最高に輝いた夜】
https://yuru2club.com/wp/?p=248
中学生のとき、僕たちはいつも5人のグループで行動していた。
授業をサボって近くの港の防波堤の上で何時間もバカ話をしたり。
5人の中に一人、在日韓国人の友人がいた。
彼は日本名を使っていたし、みんな噂には知っていたけど、
あえて口には出さなかった。
僕たちにはそんなもん関係なかったし、
それに「差別」ってモノを身近に感じたことが無かったから。
彼がどんな境遇にあり、どんな思いをしているのか理解できなかった。
だから、今まで通りの親友の5人でずっといられるならそれで十分だった。
そんなある日、確か卒業式の数日前のある夜のことだったと思う。
その時に事件は起きた。
みんなで公園でダベっているところに
高校生らしき数人が通りかかり、
僕たちに向かってニヤニヤ笑いながら言った。
「そいつのオヤジ知っとるで。
 お前、****(蔑称)やろ。ここで何しとんじゃ!」
最初、僕は頭が真っ白になって、
何が起きたのか訳が分からなかった。
理解できなかった。
でも次の瞬間、こんな言葉が頭に浮かんだ。
コレガ サベツ トイウモノナノカ? 
コンナコトヲ イウヤツガ ホントウニイルノカ?
そう思った瞬間、反射的に僕はその高校生に掴みかかっていた。
怒りが抑えられなかったから。
別の仲間も、みんな叫びながらヤツらに突進していった。
このままコイツらに言われっぱなしでこの場をやり過ごしたら、
僕たちの今までの友情や思い出や、大事なモノまで汚されてしまう、
奪われてしまう、きっと後悔する、きっと。
暴力は何も生み出さない。そんなことは分かってる。
だけど未熟な中学生の僕らは、
ここで黙ってうなだれるような我慢が出来なかった。
どうしようもない怒りに衝き動かされた、
というのが正直な感覚だった。
それから数年後、1枚のハガキが僕の元に届いた。
在日韓国人のあの友人からだった

供が生まれたのでご報告します」と。

日本名は使わずに、本名を使ってあった。

ハガキには、……自分は子供が生まれるにあたって、 本名を名乗るかどうか、とても悩んだ。 でもあの夜のこと、お前らのことを思い出すと、 それがオレの背中を押してくれた。

オレはあの夜のことを一生忘れない。

オレたちの友情が最高に輝いた夜……オレもそう思うよ。

あの夜は最低の夜だったけど、 最高にオレたちが輝いていた夜だったよ。

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2024年

4月

11日

妻は、私のつらい秘密を知っていたのか?【青空と向日葵の会】

【妻は、私のつらい秘密を知っていたのか?】
https://yuru2club.com/wp/?p=265
ある日突然、私は失業した。
妻に本当のことを言い出せず、
毎日出勤しているふりをしていた。
「今日、僕の部署にきた新しい主任は、
 優しい人だったよ」
「今度、アルバイトで入ってくる女子大生は、
 とてもきれいな人でね」
などと、架空のストーリーを作っては
妻に話して聞かせた。
女子大生の話に、
妻は私の耳を引っ張りながら微笑んだ。
「あなた気をつけなきゃね」
朝の出勤時間になると、いつものように妻は
私のワイシャツの襟を整えて見送ってくれる。
元気な様子で家を出てバスに乗るが、
3つ目の駅ですぐに降りる。
行きつけの公園のベンチに腰掛け、
何もせずに、ぼうっと時間を過ごしていた。
夕方、退社時間になると、
私は無理に笑顔を作って帰宅した。
5日後、私はある小さな
セメント工場のアルバイトを見つけて働き始めた。
もちろん、妻には内緒だ。
肉体労働に慣れていない私にとって、
それはとても辛い仕事だった。
工場の作業場の環境は悪く、
粉じんを吸い込んでしまうため、のどが痛くなる。
いつも汗だくになりながら仕事をしていた。
一日の仕事を終えてシャワーを浴び、
スーツに着替えてから帰宅する。
「ただいま!」
と出来るだけ元気な声を出しながら家に入ると、
いつものように妻が笑顔で迎えてくれた。
食事の時、妻は仕事のことを尋ねる。
「今日一日、お仕事どうだった?」
私は、
「今日も素敵な一日だったよ」
と話し、いつもの作り話を聞かせた。
妻は何も言わない代わりに、
ご飯の上に「キクラゲ」をたっぷりとのせてくれた。
「お風呂入る?」
「もう入ったよ。
 会社の同僚と一緒にサウナに行ってきたんだ」
食事が終わると、
妻は鼻歌まじりに皿を洗っていた。
私は内心、
「良かった。今日も気づかれなかった」
と安心していた。
毎日、慣れない仕事にとても疲れていたので、
倒れるように眠り込んだ。
セメント工場で働き始めてから20日、
初めての給料日を迎えた。
少ない給与を知ったら、
妻に嘘がばれてしまうのではないかと心配した。
ある日の夕食の後、妻は突然、
思いがけないことを口にした。
そのことは、私たち夫婦の未来に
大きく関わることだった

が突然、口にしたこと…。

「今働いている会社を辞めてみたらどう?  ある会社で人を募集していて、  あなたの条件にぴったりなの。  面接してみない?」

と聞いてきた。

私は内心喜んだが、落ち着いてこう返した。

「なぜ仕事を変えたほうが良いと思うの?」

すると妻は、

「一度気分転換に職場を変えてみるのも  いいんじゃないかしら。  そこは給料もいいみたいだし」

と答えた。

次の日、妻の勧めた会社の面接を受けた。

後日、うれしいことに採用の通知が届いた。

その晩、私はたくさんのご馳走を作り、 妻と一緒に小さな宴を開いた。

しかし私はふと思った。

「はじめから、妻は私の 『自作自演のストーリー』を 見抜いていたのではないか」と。

これまでついた嘘や行動を振り返った。

落ち着かない態度や表情で気づかれてしまったのか、 それとも、毎日ひどく疲れて帰ってくるのを 不審に思われたのか。

さまざまなことが頭を駆け巡った。

私はあることに気が付いた。

セメント工場で働いていた頃、 いつも食卓には「キクラゲ」が乗っていた。

キクラゲには肺をきれいにする作用があり、 粉じんまみれの劣悪な環境で働く私の身体には、 それが必要だった。

妻は以前、一緒に連続ドラマを見ようと言っては、 毎日ビデオを録画していたが、 最近はそういう話もしていない。

私は、妻が最初から自分の秘密を 知っていたのだと確信した。

妻は黙って私を気遣い、 秘密を守ってくれた。

プライドの高い夫が仕事を急に失い、 自信喪失してしまったこと。

それに気づいた妻が、ただ黙っていたこと。

私にとって、そして妻にとって、

「愛する人に対する秘密」 だったのだ。

私はベランダに寄りかかって夜空を眺めながら、 しばらく自分の心の中を見つめた。

妻の深い愛に突き当たると、 胸が急に熱くなり涙が頬を伝った。

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2024年

4月

11日

親の本気が迷子の息子を目覚めさせた【青空と向日葵の会】

【親の本気が迷子の息子を目覚めさせた】
https://yuru2club.com/wp/?p=299
部活動が終わり、職員室で学級の仕事をしている時でした。
外はもう真っ暗。
職員室は、数人の職員だけでした。
突然、職員室の電話が鳴りました。
電話の近くにいた私が受話器を取ると、
「中野先生ですか?息子が今、家で暴れて…」
と、声にならぬ声でお母さんが話しだしたのです。
私は状況もわからぬまま、
彼の家に向かいました。
彼はここ数日間、学校をサボりはじめ、
親に対して反抗的な態度をとるようになっていました。
朝の会が終わり、クラスの生徒に、
「ちょっと出かけてくる」と言って、
私は何度か彼の家に行きました。
彼の家に入り、ベッドで寝ている彼の布団をいきなりはがし、
「朝だぞ!」と。
寝ぼけながら返事をする彼を起こし、
しばらく彼の部屋で話をしました。
「学校で待っているから」と伝え、
彼の家を後にしていました。
そんな生活が続いている時に、
彼が家で暴れたのです。
彼はいろいろと問題を起こし、
地域でも何かと目立つ存在になっていたのです。
何度も家庭訪問をし、保護者とも話をしてきました。
ある日、父親がつぶやくように話しました。
「息子は、みんなに迷惑をかけています。
『親がだらしない』とか、
『もっと親が厳しくしないからだ』とか、
 いろいろな声が入ってきます。
 一時はこの地域を歩くことも、辛かったです。
 でも、私は息子の親です。
 周りが何と言おうと、息子の親なのです。
 しっかり歩いていかなければ…」
玄関を入ると家の奥から、彼の大きな声が聞こえてきました。
「おやじ!!」
すぐに家に上がり、声のする方に行くと、
体の大きな彼と取っ組み合っている
父親の姿がそこにありました。
彼の目は涙でいっぱいでした。
私は二人の間に入りました。
そして、興奮している彼の手を取り、
「息子さんと少し話をさせてください」
と両親に伝え、外に出ました。
彼は素直に私の車に乗りました。
その素直さに、彼は誰かに止めてほしかったのだな、
ということが感じとれました。
彼と夜のドライブです。
彼は、助手席でずっと黙って下を向いたままです。
彼の足元に、涙がポツポツと落ちているのが、
運転している私にも分かるほどでした。
しばらく車で走りました。
運転しながら、「おい、どうする?」という私の言葉に、
彼は「うん」と小さな声でうなずきました。
親とのトラブルの原因など、
私にも彼にも、どうでも良かったのです。
彼の涙は、自分が親に手を出したことに対して、
自分を責めている涙だったのです。
「帰ろうか?」
「うん」
「あやまれるか?」
「うん」
こんな会話だけで、彼を家まで送りました。
玄関には、彼を迎えるように両親が立っていました。
彼は小さな声で、
「ごめん」と。
両親は安心した顔でしたが、
「声が小さいぞ~~」と、おどけて私が彼に声をかけると、
彼は、照れ笑いをしながらも、大きな声で、
「おやじ、ごめん!」と。
そのまま恥ずかしそうに、
彼は自分の部屋に飛び込んで行きました。
彼が成人してから、時々その学年の生徒と一緒に
お酒を飲んでいます。
ある日、彼が飲みながら同級生に
こんなことを話したそうです。
その話に、私はちょっとした驚きを禁じえませんでした

ろいろなことで悩んでいる同級生がいたそうです。

その同級生に対し、彼がアドバイスをしました。

「親父に何でも話をしてみろよ。

 意外に親父って頼りになるぜ。

 俺は今、親父が一番頼れるよ」と。

もう数年前のことでありながら、 私は、しみじみとした喜びがこみあげてきました。

あの夜、暴れ狂う彼に、親として 文字通り体当たりでぶつかったお父さん。

そんなお父さんの本気が、 彼の中に眠っていた 本来の彼を目覚めさせてくれたのです

教育者として暴力に暴力で向かうことを 肯定するわけではありません。

あの時は、ここぞという時に湧き上がってくる お父さんの「本気」が体当たりの形になったのです。

そう、親の「本気」こそが本来の 子供の姿を取り戻す引き金になる、 そのことを私もよく分かったのです。

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2024年

4月

11日

ほろ苦いクリスマス・プレゼントの交換会【青空と向日葵の会】

【ほろ苦いクリスマス・プレゼントの交換会】
https://yuru2club.com/wp/?p=302
私が小学校に入るまえに父が亡くなり、
母と姉妹3人で暮らしていました。
母は、パートの収入頼りでしたが、
当時は母子手当ても今より多かったことから
貧しいながらも、何とか暮らしていけたようです。
ある日、子供会のクリスマス会で、
プレゼント交換のイベントがありました。
各子供、500円までのプレゼントを持ち寄り、
それを音楽に合わせて回して交換するという、
どこにでもあるような催しだったんです。
私の家は、述べた通り貧乏で、
500円のプレゼントを3個買うのは厳しかったみたいです。
母が、家にある物を見つくろい、
それをプレゼント用として準備しました。
中身は、賞味期限間近の饅頭と鉛筆3本でした。
それを広告紙で包んで持っていきました。
公民館に着き、ケーキを食べた後、
いよいよプレゼント交換のイベントが始まりました。
みんなはプレゼントを、バックから出して
手にそれを持ち、輪になりました。
みんなのプレゼントは、
大きくてキレイな包み紙に包装されています。
私たち姉妹だけが、手にしているのは
広告紙に包まれたプレゼント。
とても場違いな空気に、私たちはオロオロしていました。
音楽がかかり、プレゼントが回っていきます。
私達のプレゼントが半周したところで音楽が止まりました。
「ええーーー!!なにこれーー!!」って、
広告紙のプレゼントを嫌そうに見つめる男の子。
大きな箱は私の手元にあり、気まずい空気です。
男の子は、広告紙を破って中身を確認しようとしました。
私は次の瞬間、箱を持ったまま走って
その男の子のところへ行きました

れ、代えようよ!私そっちがいい!」 と広告紙に包まれ、つぶれた饅頭を 無理やり奪って公民館を飛び出しました。

後ろからついてくる妹達、 妹達の手にも破れかけた広告紙のプレゼントがありました。

家に帰りながらつぶれた饅頭を姉妹で食べました。

饅頭を口にしながら、涙がこぼれ落ちてしまいました。

家に着くと鉛筆をポケットにしまい、 母にバレないように机に入れました。

なぜ気づいたのか分かりませんが、 目を真っ赤にした母が枕元に座り、しきりに理由を聞きました。

でも、私は答えることが出来ませんでした。

貧乏を憎いと思った、私のほろ苦い幼少の思い出です。

今では会社を起こし、周りからは若手起業家などと持ち上げられています。

でも、忘れません。

あの時の鉛筆は、今でも仕事のデスクに広告紙で包んで持っています。

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2024年

4月

11日

一番大切なものが残っているじゃないか【青空と向日葵の会】

【一番大切なものが残っているじゃないか】
https://yuru2club.com/wp/?p=311
ここ数カ月、色んな意味で忙しかった。
25歳で自営を始めてから10年と少し、
これまでやってきた店をたたんだ。
利益が出ず、妻の収入が主な生活費になっていて、
いつやめるかのタイミングを計っているだけだった。
そんな僕を妻は、
「13年間お疲れ様でした」と優しく迎えてくれた。
最後の2年くらいは、全然仕事にならず、
イライラして妻に当たり散らしたこともあった。
でも、そんな時でも妻は、
僕のストレスのはけ口になってくれて、
夜には抱きしめて眠ってくれた。
一時、共同経営してたヤツに騙されて、
借金を負わされた時、死のうと思ったこともあった。
色んなものが残ってたら、
妻が僕のことを思い出して辛いだろう、
そう思い、写真や身の回りの物を処分していた。
すると、妻はそれに気づいたようだった。
泣きじゃくって、僕を思いとどまらせる言葉が
飛んでくるかと思っていた。
しかし、妻はそうではなく冷静にこう言った。
その言葉が、人生の大きな曲がり角になったのだ

はこう言った。

「もし、本気で死ぬんなら、私も一緒に連れてって。  その代わり、1週間だけ時間をちょうだい。  私も身の回りを整理してから死にたいから」

1週間の間に、妻とは何度も話し合った。

結局、その間に、この難関は二人で 乗り越えていこうと決心するに至った。

あの時、妻が気づいてくれなかったら、 1週間待てと言われなかったら、 僕は今頃死んでいただろう。

何度も泣きじゃくりながら、妻と話し合ったのも、 今じゃいい思い出になった。

この年で、手に職もなく無職になったから、 これから大変だろうけど、僕には妻が残っているから。

一番大切なものが残っている以上、 どんなことでもがんばっていける、そう思った。

先月は、僕の誕生日だった。

毎年、誕生日には妻がごちそうを作り、ケーキを焼いてくれる。

特に今年は、幼稚園に入ったばかりの息子からは、 「パパ」というタイトルの似顔絵。

片言を喋れるようになったばかりの娘からは、 「パパチュキ」という言葉とチュウをもらって、 とても嬉しかった。

そのささやかなパーティの後、 寝ようとしてベッドに行くと、 サイドテーブルに小さな包みが置いてあった。

開けてみると、僕が前々から欲しかった フランクミュラーが入っていた。

こんな高価なものを・・・! 家計は大丈夫なのか。

妻に聞くと、ニコニコしながら、 家計からは一切出してないから安心して。 私のお金で買ったのよ、と言う。

妻は子供が出来てから、ずっと専業主婦だし、 家を買う時、妻名義の貯金もほとんど使ってしまっていた。

妻個人のお金でこんなに高いものを買えるはずがない。

その時、僕の脳裏に、数日前の妻の姿が浮かんだ。

独身の頃から大事にしてきた着物を、 なぜか突然取り出して、眺めていた妻。

愛おしそうに、一枚一枚触れながら、 思い出話をしていた妻。

着物用の箪笥を開けると、予想した通り、 それらが何枚も無くなっていた。

妻が祖母から受け継いだという、大切な着物まで・・・。

もう着ないから処分しただけよ、 あなたはいつも私にプレゼントをくれるけど、 私はいつもケーキくらいしか 作ってあげられなかったから。

あなたのお金を使わずに、 私自身のお金でプレゼントをしたかったの。

あなたへの感謝は、こんなものじゃ表せないくらいだけど・・・。

妻はそう言った。

僕はケーキだけで十分だったのに。 大事な思い出を売ってまで、 プレゼントなんてしてくれなくてもよかったのに。

でも、でもありがとう。 とても嬉しいよ。

あれから毎日、妻のプレゼントの時計をはめて、 会社に行っている。

妻の愛が詰まったこの時計を見ると、 俄然やる気がわいてくる。

二度と「死のう」などとは思わない。 あのとき死ななくて、本当によかった。 ・・・心底、そう思う。

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2024年

4月

11日

やり返す。弱者認定される前に。【Apex product 世直し桃太郎】

受けた恩は倍に返せ。恨みは忘れろ。

ただし、やり返さないともっとやられる状況なら、10倍返しで、徹底的にやり返せ。

「あっ、この人は、狙ったら駄目な人だった。」と、相手が分かるまで徹底的にだ。

やり返さないと、弱者認定されて、貴方は、ひたすらいじめられ搾取される。

普段は温厚でいい。しかし、やる時はやれ。俺は貴方に人を傷つける様な人間にはなって欲しくないけど、屈辱されて騙されて約束を破られて平気でいる様な人間にもなって欲しく無い。屈辱され騙されたら徹底抗戦出来る人間になって欲しい。
自分の身は自分で守れる強さと勇気を持って欲しい。

Apex product  加齢なる親父より。

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2024年

4月

11日

“斜陽産業”の製紙業界でも明暗が。「業界2位」は巨大工場建設が裏目に

エネルギー価格高騰の逆風が吹くも黒字を堅持

「個人向け段ボールの需要が伸びる」予想が的中

「業界2位の日本製紙」は巨大工場建設が裏目に

段ボールの需要は早くも減退気味だが…

日刊SPA!

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2024年

3月

30日

2024/3/30日土曜日・31日日曜日  みつわ台 桜祭り 【青空と向日葵の会】今年も恒例のさと志会で桜祭りやります。皆んな元気で逢えると嬉しいね!

祭り名 みつわ台桜祭り 
開催場所 みつわ台交番~みつわ台北小学校まで(若葉区みつわ台3丁目) 
住所 千葉県千葉市若葉区みつわ台3丁目 
主催者・運営 みつわ台祭り実行委員会 
主催者・運営の電話番号 043-254-4171 
最寄り駅 みつわ台駅動物公園駅都賀駅

※ スナック 白い道のマスターお元気ですか?人生100歳時代ですからまだまだ長生きして楽しいお店続けて下さいね。また寄らせて頂きます。
Apex product    華麗なる親父より。

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2024年

3月

25日

清水建設が有名超高層ビルの解体で新工法、独自のロボットやARシステムを駆使

 2024年3月末の工事完了に向けて、東京・日比谷公園に隣接する「みずほ銀行内幸町本部ビル(旧第一勧業銀行本店)」の解体が大詰めを迎えている。高さ約140mのこの超高層ビルは芦原建築設計研究所(東京・千代田)の設計で1981年に竣工。日本建設業連合会が表彰する「BCS賞」を82年に受賞した有名建築だ。

 内幸町1丁目街区の再開発に伴い解体が決まり、新築時の元施工を担当した清水建設が工事を進めている。同社は今回の解体工事で、新工法「グリーンサイクルデモリッション」を初導入した。同社が2023年12月下旬に発表した新工法の詳細を解説する。

東京都千代田区の「みずほ銀行内幸町本部ビル」解体工事の現場。2024年3月末の工事完了に向けて、作業は大詰めを迎えている(写真:日経クロステック)

 

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2024年

3月

25日

王子ネピアが下請法違反 発注取り消しで公取委勧告

 マスク製造を委託した下請け業者への発注の一部を不当に取り消したのは下請法違反に当たるとして、公正取引委員会は15日、紙パルプ加工品等製造販売大手の王子ネピア(東京都中央区)に再発防止を勧告した。  公取委によると、王子ネピアは下請け1社と2021年度で委託を終了することで合意し、1年間の発注書を交付した。だが、途中の21年12月に発注の一部取り消しを通告。当初の発注数量の約3割に当たる製品は、製造しても受け取らないとした。  下請けは既に製造に必要な不織布や内装袋などの資材や人員を手配していたが、王子ネピアはこの不利益分を負担しなかった。

マスクの一方的な発注取り消しは下請法違反 公取委が王子ネピアに勧告

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2024年

3月

25日

王子製紙と工場操業長の男性を書類送検 転落した作業員に腰ベルトなど使用させなかった疑い

CBCテレビ

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2024年

3月

25日

「SAF用バイオエタノール」量産へ…製紙4社、それぞれの生産計画

王子HDが東京都江戸川区の工場内に設置するベンチプラント。非可食性の木材から乳酸やエタノールを製造する

製紙4社で非可食性の持続可能な航空燃料(SAF)用バイオエタノールの生産計画が出そろった。大半の企業がバイオ系ベンチャーとの連携で進め、2027年度には供給で足並みがそろう見通しだ。大王製紙は古紙などを用いてエタノールのほかアミノ酸、バイオプラスチック原料を製造。レンゴーは建築廃材を使うエタノール生産に向け、完全子会社の大興製紙(静岡県富士市)を拠点に公的支援分を含む約195億円を投資する。(編集委員・山中久仁昭)

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2024年

3月

25日

TOPPANとENEOS、古紙からバイオエタノール 生産実証

古紙をバイオエタノールの原料として活用する

TOPPANホールディングスとENEOSは1日、古紙を原料とするバイオエタノールの事業化に向けた実証事業を始めると発表した。2030年度以降の事業化を目指し、バイオガソリンや再生航空燃料(SAF)の原料として活用する狙いだ。

古紙から不要物質を分離・除去するTOPPANの技術と、バイオエタノールを効率的に製造するENEOSの技術を組み合わせる。26年度にもパイロットプラントを稼働させる予定で、1日あたり1〜3トンの古紙を投入し、300リットルのバイオエタノールを生産する。

バイオエタノール由来の燃料は化石燃料に比べて二酸化炭素(CO2)排出量を大幅に削減できるため、需要が急拡大している。現在はサトウキビやトウモロコシを原料とするものが多いが、廃棄物や木質ペレットから製造する技術の開発も進んでいる。

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2024年

3月

12日

おばあさんからの切ないナンパ 【青空と向日葵の会】

【おばあさんからの切ないナンパ】
https://yuru2club.com/wp/?p=296
昨年の夏休みの話です。
会ったこともない遠い親戚の葬式。
親父が出席するはずだったんだけど、
どうしても行けなかったので、
僕が代わりに出席することになりました。
新幹線に乗って、ある田舎町へ…。
周りも見たことない人しかいないので、
重い空気に気圧されていました。
葬式が終わり、退出しようとしたとき、
出口で見知らぬおばあさんに突然腕をつかまれました。
けれども、つかんだきり何も話さず目を丸くしているだけです。
かなりのご高齢だったので、認知症状かなと思い、
何でしょうかと質問すると、
「○○さん?○○さん?」としか言いません。
やはり認知症なのだろうと思い、
周りをみても誰も知り合いがいる様子にありません。
この人も僕と同じく遠縁の人のようです。
しばらくおばあさんのそばにいて、話を聞いてあげました。
そうすると、おばあさんに食事に連れて行かれました。
お腹も空いていたので一緒に食事をすることにしました。
食事中にも、おばあさんは昔話ばかりしていました。
食事の後も、僕はあちこちに連れ回されました。
帰りの新幹線の時間もあるので、おばあさんにそのことを言って、
別れようとすると、今度は引止めにかかられました。
もう行ってしまうのか、
今度は直ぐに帰ってくるのかと、
聞き取りにくい方言で何度も僕に聞いてきます。
いよいよ僕も面倒くさくなってきたので、
また直ぐに会えますよ、
と返事をしつつ別れることになりました。
おばあさんは駅まで一緒に行くと言い、
さらに、途中何度も行かないでくれと言われ、
しつこく引き止められたのです。
散々な葬式代理出席でした。
数日後、また親戚の葬式の連絡です。
今度は親父が、この間よりも近い親戚なので
僕にも一緒に来いと言います。
バイト仲間にまた葬式かと冷やかされて葬式に行きました。
式場に着いて驚きました。
亡くなった人は、あのおばあさんだったのです。
驚きつつも、そうか、あのおばあさん亡くなったのか、
ぐらいの思いしか湧き上がってきませんでした。
葬式の喪主は、おばあさんの弟さんが行っていて、
どうやらおばあさんは、ずっと独身の様子でした。
式後改めて喪主の弟さんに会いに行きました。
そこで、喪主である弟さんは、僕の顔を見て驚愕したのです。
どうしたことでしょう。
僕はまた○○さんと間違えられたようです

くなったおばあさんにもそう言われたことを教えると、 いつ会ったのだと聞かれ、前の葬式で会い、 食事やら散歩したことを話しました。

そうしたら弟さんが泣き出して、少し待っていてくれと言います。

しばらくして弟さんが写真を持ってきました。

その写真には僕が写っていました。

写真は白黒でかなりぼろぼろでしたが、 ゲートルを巻いて、国民服を着た僕が立っていたのです。

そして隣には十代後半に見える女性がいました。

良家のお嬢さんに見えます。

弟さんが話してくれました。

その女性はあのおばあさんで、 隣の僕そっくりな人が○○さんだということ、 戦争が終わったら結婚するはずだったこと。

終戦後その人は帰ってこなかったけれど、 おばあさんは、帰ってくると言い続けたこと。

おばあさんは戦後の農地改革で家が没落し、 結婚を薦められても頑なに拒否し続けたそうです。

おばあさんが死ぬ直前に、弟さんに対し、 やっとあの人が帰ってきてくれた、 今度は直ぐ戻って来るんだと嬉しそうに語っていたとのことです。

弟さんは、死の直前に幻覚を見ているのだろうと思ったそうです。

だけど、そうじゃなかった、 あの人の生まれ変わりが最後に会いに来てくれたんだ、 と号泣しながら語り、僕に何度もありがとう、ありがとうと言いました。

僕も涙が止まらなくなりました。

おばあさん、今頃僕のそっくりさんと、天国で寄り添っているのだろうか。

またいつか、お墓に花を添えて会いに行きますからね。

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2024年

3月

12日

あおぽん「さんま御殿」出演 「水ダウ」ドッキリ企画で注目されたギャル界の新星の活躍続く。【もしかしてだけど、旭駅から都内に通ってるモデルさん。出身校は、旭農高ですか?】


あおぽん

 昨年末のTBS系「水曜日のダウンタウン」出演などで話題となったタレントあおぽん(24)が12日放送の日本テレビ系「踊る!さんま御殿」(火曜午後8時)に出演する。「水ダウ」企画で注目を集め、今度は明石家さんまMCのゴールデン帯バラエティーからも声がかかるという活躍ぶりが反響を呼んでいる。 【写真】ラウンドガールを務めるあおぽん  「さんま御殿」では千葉から長距離通勤するギャル界の新星として紹介され、自宅から東京まで電車で2時間半かけて通っていることなどを紹介。「都会に染まりたくない」と語るトークに、周囲から「一番都会っぽい」と総ツッコミを受け、笑いを誘う。  昨年末放送の「水ダウ」では「怪しい自称プロデューサーから『100万払ったら“水曜日のダウンタウン”に出してあげるよ』と持ちかけられ、ホントに払ったヤツが、ホントに出演できるホントドッキリ」で登場。他のタレントらが二の足を踏む中、事務所に借金をするなどして支払い、見事にスタジオゲストとしての出演権をゲット。SNSのトレンド入りを果たすなど話題となっていた。  あおぽんは千葉県出身の24歳で、22年には格闘技イベント「RIZIN」のRIZINガールにも就任。趣味はアニメ鑑賞で、リアルすぎるキャラクターのコスプレ姿なども人気を集めている。

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2024年

3月

12日

「何回もやった」逮捕の女子中学生が美人局繰り返していたか 大学生から現金奪おうと転落死させた容疑で逮捕 


FNNプライムオンライン
逮捕された女子中学生が、ほかにもいわゆる「美人局(つつもたせ)」をしていた疑いがあることがわかった。
14歳の女子中学生と15歳の男子中学生は2月、大阪市中央区で、SNSで知り合った男子大学生(22)を脅して現金を奪おうとし、ビルから転落させ死亡させた疑いが持たれている。
女子中学生は「お金をとるつもりだった」と話し、いわゆる「美人局」をしようとしたとみられる。
捜査関係者によると、女子中学生は「何回もやった」などと話していて、当時13歳の男子中学生とほかにも美人局をした疑いがあることがわかった。
警察は、余罪についても捜査している。
関西テレビ
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2024年

3月

12日

「苦しみを知ってもらいたい」実名・顔出して父親からの性被害訴えた24歳の娘【会見詳報】当時10代の娘に性的暴行の疑いで父親逮捕

8年前、富山県黒部市で当時10代だった実の娘に性的暴行を加えたとして父親が逮捕された事件で、実名で被害を訴えていた24歳の娘・里帆さんが12日、記者会見を開きました。
【写真を見る】「苦しみを知ってもらいたい」実名・顔出しで父親からの性被害訴えた24歳女性【会見詳報】当時10代の娘に性的暴行の疑いで父親を逮捕
里帆さんは去年3月、中学2年生の夏ごろから母親が外出中の自宅で少なくとも8回被害にあったとして警察に告訴状を提出。3月6日、準強姦の疑いで父親で会社役員の大門広治容疑者(52)が逮捕されました。大門容疑者は黙秘しているということです。 
里帆さんはきょう(12日)午前11時、富山市内で記者会見を開き、父親が逮捕されたことを受けたいまの心境を語りました。
被害を訴え記者会見を開いた 福山里帆さん:「本日はたくさんの方にお集まりいただき誠にありがとうございます。社会の方にこうやって注目していただいて、自分自身も緊張していて、うまくお伝えできないところもあるかもしれないですけど、なかなか家庭内の性犯罪というのは社会に出てきにくいと思うので、このように実名、顔出しでできるだけたくさんの方に私があった被害、特に私が過去にどう思っていたのか、どんなところに苦しんでいるのかを皆さんにお伝えして、社会の皆さんに知っていただければと思います」
父親の大門容疑者は2016年、当時高校2年生だった里帆さんに対して、抵抗できない状態だと知りながら性的暴行を加えた疑いが持たれています。
里帆さんは、中学2年から高校2年までの約3年間、母親が外出中の自宅で少なくとも8回、被害にあったといいます。
弁護士:「親族からは、本件はなかったことにできないのか、訴えることそのものをするなと言っている。バカなことを考えるなと。あたかも里帆さんが理不尽なことをしていると…、やむなく告訴となりました。現に被害を受けている、過去に同様の被害を受けた方の助けになりたいと、匿名ではなく自分の声、自分の顔でお話ししたいと考えています。家庭内の性犯罪を未然に防止する社会になってほしい。そのための手助けになってほしいとの思いです」
■里帆さん自身が当時の状況を語る
記者:「改めて里帆さんの口からご自身に何があったのか、お話してしていただけますか?」
里帆さん:「私は中学2年の時から高校2年生まで保健室の先生に通告して、児童相談所に一時保護されるまで、実の父から性的虐待を受けていました。それまでは中学1年生のころから胸を触られたりですとか、太ももを触られるなど、そういったことはありましたが、そのあと実際に性交を強要されるということで、私としては拒否できない状況で、父から性交を受けていたような状態になります。
記者:「どういった思いできょう会見に?」
里帆さん:「私としては過去にあった父からされたことというのは変えられないことなので、自分の中で納得するしかないと思います。苦しいんですけど。ただ、父から性行為を受けた時、一時保護されて大学に行っていたときにやはり何度か自分の、親にも事情があったのかもしれない、そういったいろいろ納得しようと思ったんですけれども、やっぱり自分の中では納得できず、同じように性被害に遭った方、特に家庭内の性暴力は実質的に支配されているというか、親がいないと子どもは生きていけないので。そして、18歳を超えてしまうと児童相談所は保護してくれる対象ではないので、そんな中で自分で生きていかなくてはいけない。そういった自分を絶望しながらもなんとか生きる道を見つけて、その難しさを感じたので。いま家庭の中で性暴力に実際、遭っている方、過去に遭っていま苦しんでいる方、そういった方の何か力になれば、そういうふうに思って、いまこの場に立っています」
■同じ家の中にいて、ゆっくり眠ることができない…
記者:「2つお伺いしたい。1つは精神科に通院、どんな症状で?もう1つは会見を開くことで被害に遭った方の力になりたいということですがお顔を出すことへのためらいや決意は?」
里帆さん:「1点目は、被害に遭っていた当時というのは自分の感情がないような、無気力感がありました。生きていたくない。自分を外から俯瞰したような。被害に遭った後に自分の中から感情がなくなってしまった。中学生だったので、勉強しなくてはいけなかったんですけど、思考することや暗記することが全くできない状況でした。ですから目に見える形では成績が以前より目に見える形でがたんと落ちてしまったり、思春期という時期だったが自分の感情がコントロールできないような感情の起伏が、普段は無気力ということもありますが、突然感情が表出してしまって暴れてしまったりとか、なんでそういうふうになっているのかというのは、まわりが実際は知らないので、ひどい思春期なのかなとか。精神的に理由があるかなとかわからないまま、家族としてはうまくサポートできなかったりとか。あとは肉体的な部分で言うとやはり朝起きられなくなったりですとか。どうしても夜、自分に対して加害をしてくる人が同じ家の中にいて、ゆっくり安心して眠ることができないので。眠ることはできるんですけど、安心して眠れずに日中、眠たいような状態だったりとか、そういうのが当時の状態です。
ですので、中学生、高校生の間も保健室の先生に助けていただいて、熱とかが出ているわけではないのですが、ベッドで休ませていただいて。学校では父がいないので安心して眠れる環境で、心と体を休息しながら過ごしていました。その当時は、張り詰めていたので、どちらかというと何とかやっていたんですけど、離れて、特に大学に進学した後の方が精神的な被害は大きかったかなと自分の中では思います。例えば、保育の勉強をしていたんですけど、虐待の実際のエピソードを聞いているうちにフラッシュバックしてしまって、授業に出られなくなってしまったりですとか、その場を退出してしまって、しばらく学校に行けなくなることもありました。あとは、ニュースなどで同じような被害に遭った人を電車で見ていると、電車に乗っていられなくなって吐きそうになったりということもありました。そのあと肉体的な部分で出たのは、いまも薬を飲んでいるんですけど、吐き気でご飯を食べられなくなる日もあります」
■自分の信念に基づいているから、隠れることはない…
記者:顔も名前も出して被害を訴えるのは勇気が必要と思うが、その思いは?
里帆さん:「もちろんこういった顔出し、実名を出すことは社会的影響、日常生活に難しくなることに対して葛藤はありました。ですが、主人とも何度も話して私がなにか悪いことをしたわけではありませんので。性加害に遭っている人全員だと思いますけど。ですので、自分は悪いことをしていない、自分の信念に基づいてから、隠れることはないかな。自分が恥ずかしいわけではない。主人から何度も言ってもらって自信をもって、この場にいます。あとはこれまでの経緯としては、最初はこういった形ですと、父だけでなくどうしても親族に影響が行くことはわかっていたので、家族で円満に解決できることを私は一番望んでいました。ですので、何度か話し合いを重ねていたんですけども、私の望むこととしては父の反省を望んでいて、それを私が見られたなら、その場で許そうと、自分の中で納得できると思っていたんですけど、私にはそうは見えなくて、残念だけれどだったら、父と私ではなく別の形で反省できる形、話し合いをしていく中でなかなかどうしても親族としても、私をかわいい気持ちもあると思うんですけど、実際に被害のことを思うと恐怖だったと思うので…私の納得のいく形にはできないのと、実際に話し合ってみて思ったので。いま私がここで主人がサポートしてくれて、周りの方がサポートしてくれる環境というのはないと思うので、私のやりたいことができる環境がある私だからこそ、実名顔出しで皆さんの前にお伝えして少し社会が変われば、もうできればこういった被害はなくせるかな、私でできたら最後にしてほしい、そういう思いで実名顔出しに決意できたかな、そういう風に思います」
記者:「警察や検察に求めること、処分について。行政機関に家族間の性加害がなくなるような仕組みづくりを要望されるのか?」
里帆さん:「具体的な処罰というのは、私は法律に明るくないのでわからないですけど、ただ今は逮捕されている状況なので、ここまで来たからには起訴してほしい。そこがまず一つの思いです。あとの具体的なことというのは自分の中でわからないですけど、実際に自分が被害に遭ったことに見合う罰というのはないとは思うんですけど、少しでも自分が過去遭ったことに納得できるような、それくらいの罰を与えていただけたらいいかなと思います。
2点目の行政に関していえば特に、家庭内のことなので本当に証拠というのは出すのはまず難しかったかと思います。指紋があったり、毛髪があったりしても、特に不思議なことはないですし、そこの証拠のハードルを何か考えてほしい。難しいとは思うんですけど、そこは感じたのと。そのあとの精神的なサポート、児童相談所に行った後に、被害が終わったとしても心が癒やされるわけではないので、思い出して苦しみますし、かといってカウンセリングとか精神科というのも通うのもお金がかかりますから、そういったところのサポートがあればいいのかなと思いました。あとは生活のサポート、たぶん被害に遭って自立したとしても若いと思うので、なかなか金銭的な余裕だったりとか少しでも体調を崩して働けなくなると、先が不安だと思いますから、もう少し、家庭内で性加害に遭うと一般的な家庭の仲がいい方だと親に頼ったりですとか、そういったこともできると思いますが、なかなか難しいので不安に思うと思うのでサポートしていただきたいと思います」
記者:「ご職業や肩書は?」
里帆さん:「いまは家庭内で主婦をしております」
■自分が壊れてしまって無になったような…
記者:「被害に最初に遭った中学2年生の時の思いは?」
里帆さん:「実際に被害に遭った時というのは今振り返ると何も感じられなかった。というのは感情が悲しいとか、苦しいとか、未来に対して不安だとか、これからどうしていいかわからない、そういったいろんな一定の感情がたまってしまって、自分が壊れてしまうような感じで無になったような、自分から魂というのがあるかわかりませんけど、感覚としてはそういったものが抜けた感じ。しばらくは不安よりも絶望、いまはあまりそうは思わないですけど、当時はそれこそ中学生だったので、結婚とかそういったことができるのかなとか、自分は汚れてしまったのかなとか、そういったこともそのあとは考えましたし、誰かに、特に親族に知られてしまったら悲しむだろうと、だから自分が一生懸命隠さないといけないとか、でも助けてほしいとか、でも親族に助けてもらえなかったらどうしようとか、そういったいろんな、未来に対してこれからどうなっていくんだろうという不安もあったと思います」
■“自分をどう守ろうか” いつも不安にさいなまれていた…
記者:「加害者が家の中にいることについての恐怖や不安は?」
里帆さん:「ありましたね。本当に家庭内なので被害に遭った次の日に朝ご飯を親族、家族でダイニングテーブルを囲んで食べるんですけども、私の前に父が座るので、どういう顔していいのだろうかと。その隣には、ほかの家族もいますから、そこには何か、いつもとの違いを受けられないようにというか、いつもどおりで次の日に過ごさないといけない。言ってみれば、自分に対して、そういった性加害をしてきた人とご飯を食べるという通常だと考えられないと思うんですけど。それが家庭内の性暴力の実際というか。ほかの家族にも不安にさせないように、自分の前には自分に対して性暴力してきた本人が座っていて、普通に会話してきたりとか。きょう学校でどんなことがあったのとか。なんで答えないといけないのかなと思うんですけど、それでもほかの家族に不思議に思われないように一生懸命答えて。そこが苦しかった。家庭内なのでどうしてもずっとほかの家族がいるわけではない、本来であれば家庭ではそういったことはおきないので注意している家族もいませんし、いつ次、父と2人になるだろうか、2人になったらまた性暴力が行われるのだろうかとか、そういった不安の中で過ごしていて。できるだけ1人になろう、できるだけ対策をしようとは思うんですけど、中学生ながら何ができるのかわからない中で、必死に考えて、うまくいかないこともあって、その中で自分をどう守ろうか、そういった不安にいつもさいなまれていました」
■“一生隠さなくていいんだ”という安ど感…
記者:「一時保護された後の心境は?」
里帆さん:「まずは、一時保護された後はこれからどうなるんだろうという不安がありました。というのも、母が知ってしまったら私に対して怒るだろうかとか、悲しむだろうかとか、ほかの親族はどう思うだろうか、そういった不安もありましたし。自分が高校生だったのもあって、進路やこれからの未来はどうなるのか不安もある中で、一時保護の間は過ごしていたと思います。家に帰ってからは、もう家には来ないということで聞いていたので、終わったのかなという少しの安ど感。あとは周りの方に知ってもらって、もう無理に父と話したり、演技というか、一生懸命隠さなくていいんだという安ど感もありました。ただ、住んでいたのが家の真裏のアパートで、たとえば会社から帰ってくる車の音が分かったりですとか、用事があると家に来れる環境だったので、いつまたもしかしたら被害に遭うのかなと。でもそうではないだろうと。保護される前よりは恐怖はなくなったんですけど、家の近くに住んでいる、見える状態だったので、東京に行くまでの期間、特に不安だったなと感じます。
記者:「東京に行くまでばったり会ったりとかしたのか?」
里帆さん:「そうですね。ありました」
記者:「そのときは普通に話したのか?」
里帆さん:「家の裏なので、休みの日とか、自分とちょうど父が家をばったり出るタイミングで顔を合わせてしまった時は話さないですけど。ほかの親族がいるときに何度か、2こと、3こと交わしたこともあります」
記者:「父親の直筆の反省文や音声データは捜査機関に提出しているか?」
弁護士:「しています」
記者:「中学校2年から高校生まで8回、当時、メモとして残されたりしていますか?」
弁護士:「そのあたりも捜査に支障がありますので」
記者:「近年、性加害の告発がありますが、どのように見ているか?」
里帆さん:「私は家庭内の性暴力ですけど、大きなくくりで見ると、性暴力に過去遭った方というのが言いやすくなってきたのかなというのが特に注目して、大学生の間とか、高校生の間とか、少しずつニュースで確認していました。そういった前例があると、私も社会的に自分がもしかしたら悪かったのかなという思いもあったんですが、社会の方が、皆さんが悪くないと。加害者が悪いという意見も目に見えて、私としてはそういった前例の方が、私がここにいるのも後押ししてくれたというか。今後どうなっていくんだろう、もしかしたら自分は批判的なことを言われるんだろうといった不安も、ほかの方たちを見て、批判的なことはないなと、自分が悪いわけではないと、後押しをしていただいたなと個人的には思っています。特に私は、ただ見ていて、家庭内の性暴力というのは裁判とかは見ていましたが、実名顔出しでやっている方は私の見ていた中では少なくて、どうしても自分の大事にしたい親族にも影響が行きやすかったりとかもあるのかなと思っていた。ただ表に出てこないだけで、家庭内の性暴力は確実にあると思うので、特に私は家庭内の性被害に対して、どうして家庭内ので起きるのか、みなさん疑問に思っていると思うので、なんで起きたんだろうということを皆さんにお伝えできればいいなと思いました」
記者:「夫としてサポートすることについて」
夫:「彼女が私に対して、死ぬ日を1日1日伸ばしてきたと出会った日に言っていました。それを聞いてよく私と出会うまで生きていてくれたなと、そんな思いでいっぱいです。あとはよくここまできょうまで頑張ってくれたなと思っています」
記者会見は午前11時に始まり、質疑では里帆さんが当時の状況や心境、今の思いなどを話して約1時間半後に終わりました。
チューリップテレビ
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2024年

3月

10日

鳥山明さん急死 表に出さなかった私生活の姿 実は面倒くさがり 主要キャラ以外忘れる

 超人気漫画家であった鳥山さんはプライベートを明かさないことで知られた。交友関係もあまり広くはなく、人付き合いが苦手と公言。家族構成や素顔も83年放送の「徹子の部屋」で年上の妻で漫画家のみかみなちさんとのエピソードを語って以降は、積極的に表に出すことはなかった。テレビ出演することで近所のスーパーで指をさされ、サインを求められることが増えたため「テレビには二度と出ない」と決意。以降、公の場で素顔を出すことはめったになかった。 【写真】世界中で愛される「ドラゴンボール」…孫悟空の巨大オブジェの前でポーズを決める海外ファン  お互いの作品に登場させるなど公私で親しかった桂正和氏は「電話をするたびに、疲れるほど笑ってました。面白い人だった。すけべで、可愛くて、毒舌で、謙虚で」と鳥山さんの人柄を明かした。  面倒くさがりの性格だったことはファンの間で有名だ。「ドラゴンボール」では主人公の孫悟空らが変身する超サイヤ人の髪色を金髪にしたのが「ベタを塗る手間を省くため」というほどだった。  1日1箱は吸う愛煙家でもあった。キャスターを愛用していたという。  芸人を中心に結成されたバンド「jealkb」の活動を通して、鳥山さんと15年来の親交のあったお笑いコンビ「チキンナンバン」の大川知英(45)は本紙の取材に応じ「気さくで着飾らない本当に優しい方」と振り返った。プライベートでは携帯を持っておらず、連絡はパソコンメールだったという。ドラゴンボールのキャラクター、ベジータが大猿に変身するイラストを頼んだ際には「大猿ってどんなだっけ?」と忘れていたという。「主要人物以外忘れていかないと次のキャラクターが生まれない」と、その理由を話していたという。

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2024年

3月

09日

不良候補の少年は、なつかれた子供から教わりました【青空と向日葵の会】

【不良候補の少年は、なつかれた子供から教わりました】
https://yuru2club.com/wp/?p=280
何年前か、1月の朝がとても寒い時に、必ず思い出す少年がいます。
当時、私は狭心症で休職して、九州の実家で静養していた時でした。
毎朝、デッカイ黒のラブラドールレトリバー、
愛犬テツと散歩していた時に、
いつも遅刻して実家の前の中学校に通ってた、
少し不良な少年のことです。
いつの間にかテツと仲良くなり、
私ともよく言葉を交わすようになりました。
家庭環境は複雑みたいですが、
彼はよく私の部屋に遊びに来るようになったのです。
しかし、何を語るわけでもなく、
テツと部屋でよく遊んでいました。
2月、3月と時が過ぎていき、
次第にその少年は不良のボルテージが上がり、
髪も染めていきました。
ただ私の部屋ではいつも純粋な少年の目で、
テツと遊び、よく無邪気に笑っていました。
そんな時でした。
彼は急に部屋に遊びに来なくなり、
学校にも行っていないようでした。
心配していたら、突然夜中に部屋に訪ねてきて、
さよならを言いに来たと言うのです。
どうしたのか聞いても俯いたままで、
テツの頭を悲しそうに撫でて部屋を出ました。
やっと暖かな春が来たのに、
それから少年は来なくなりました。
暖かくなったら、遠くまでテツと一緒に散歩に行こうって、
約束をしていたのに、来なくなりました。
何があったのだろう…。
とても心配な気持ちで、
何故かテツも寂しそうな顔に見える毎日を過ごしていました。
半年が過ぎ、
もうすぐで1年が経とうとしている、まだ寒い時期。
いつしかその少年のことも、気にしなくなっていた頃、
寒かった夜のことです。
愛犬テツが寿命を全うし、静かに眠っていきました。
寂しさで胸が引き裂かれる思いでした。
家族同然に育ったテツ。
テツと別れることが、こんなにも悲しいものなのかと、
とても落ち込んでいました。
そんな悲しみのどん底であったと思います…、
何もしたくない、何もできない、何も考えられない。
私は、そんな悲しみの底に沈んでいました。
そんな時、1年前に来なくなったあの少年が、
急に部屋に遊びに来ました。
私は、その少年の顔を見て、
なぜこんなに明るい顔になったんだろう?
何が彼にあったんだろう?
とても興味をひかれながら、
テツが亡くなったことを告げると、
少年は笑顔から一変して、みるみる顔を曇らせました。
目に涙をいっぱいにため、頬から流れ落ちました。
私も涙がこぼれました。
テツとの別れを、私と同じように悲しんでくれる、
少年のその思いに泣いてしまったのです。
「良かったな、テツ!」
「お前のことをこんなにも思ってくれた人がいたよ」
「嬉しいな! 会いたかったよな!」
私と少年は、悲しみを共有して泣き続けました。
どれくらい時間が経ったのか、
少年がポツリポツリと語り始めました。
両親の仲が悪く、家にいたくないことから、
不良仲間とつるんで犯罪を犯し、
昔でいう少年院に入ってたようです。
ところが、半年で出られるのに、親が引き取り拒否をして、
「学園」という親と一緒に過ごせない子供たちが
生活する施設に入っていたようです。
そうだったのか…。
いろいろあったんだね…。
彼の話を聞きながら、私は帰ってきて、
その後の彼が、なぜそんなに明るい笑顔になったのか、
その疑問を聞いてみました。
多くを語る少年ではありませんが、
その話を精一杯私に話してくれました。
その話が、あまりに私に衝撃を与え、
またとてもかけがえのない、
素晴らしい人間の愛情を感じたので、
ここにご紹介したいと思います

は、半年の少年院が終わって 両親からの引き取り拒否をされ、 寂しい思いで「学園」という施設に入りました。

施設に長期は入れないらしく、 3か所目の施設に行った時のことです。

その施設には、4歳から5歳になる小さな男の子がいて、 その男の子が、少年によくなついてきたそうです。

最初はびっくりし、どうしていいか分からず、 戸惑いもありましたが、先生から言われました。

君になついているので、 お兄ちゃんみたいにお世話をしてあげなさい。

他のお兄ちゃん達にはなつかない子だから、 大事にしてあげてね、と言われたそうです。

その子供は、すごくワガママらしく、手を焼いていた時のことです。

一緒に風呂に入ると、 その子供の背中に違和感を感じました。

背中に、

何度も、何度も、何度も、何度も…

同じところに、タバコを押し当てられたような ケロイド状のアザがたくさんあったそうです。

少年は、その子供のアザを見て、涙が出たそうです。

こんなにちっちゃいのに、 こんなにひどい目にあったのか。

どれだけ悲しかっただろう。

どれだけ痛かっただろう。

辛かったろうなぁ…。

自分が両親からされたことに比べたら、 こんなにちっちゃい子が こんなに可哀想なふうになるまで…。

それを考えたら、涙が幾度も幾度も流れてきて、 止まらなかったそうです。

その子供がびっくりして少年に聞きました。

「どうしたのお兄ちゃん?」

「ゆうくん痛かっただろう…?」

「うんにゃー、覚えてないよ」

「痛かったかどうかも覚えてないよ」

それを聞いて少年は、さらに涙が止まらなくなったそうです。

僕だけじゃないんだ。

僕だけが、辛かったり、悲しいんじゃないんだ。

悲しいなぁ、こんなに僕の心、ちいちゃかったんだ。

それから少年は、その子供と仲良く、 毎日元気に施設で暮らしたそうです。

そして、やがてその少年が、その施設を出る時のことです。

その子供が少年から離れません。

お兄ちゃん、行かないで。

お兄ちゃん、行かないで。

泣きながらその子供が、少年にすがりつきました。

少年は、どうしていいか分からず、 ただただその子供の目を見つめて、抱きしめるだけでした。

すると先生が言ってくれました。

「お兄ちゃんは、今から頑張るために行くんだぞ。  だから、ゆうくんの大好きなお兄ちゃんが頑張るんだから、  ゆうくんもここで頑張らなくちゃね。  ゆうくんがここで頑張れなかったら、  お兄ちゃんはすごく悲しいと思うよ」

その子供は、涙をふきながら、小さい声で言いました。

「ぼくがんばる!

 お兄ちゃん、ぼくがんばる

 お兄ちゃん、ぼくがんばるから!」

小さい声が次第に力強い声になったそうです。

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2024年

3月

08日

声優のTARAKOさん急死 63歳 「ちびまる子ちゃん」を35年 最近までアフレコ参加

 フジテレビで放送中の国民的アニメ「ちびまる子ちゃん」(日曜後6・00)で主人公、まる子を演じている声優のTARAKOさん(本名非公開)が急死したことが8日、分かった。63歳。群馬県出身。死因は明らかになっていない。遺族は悲報をフジテレビと所属事務所に伝えており、葬儀は家族葬で営む。鳥山明さんと時を同じくして、日本アニメ界は大切な存在を失ってしまった。 【写真】「ちびまる子ちゃん」の収録に臨むナレーション担当のキートン山田、TARAKOさん、さくら友蔵役の富山敬さん(94年撮影)  遺族から報告を受けたフジテレビ関係者は「TARAKOさんは今年に入って体調を崩した」と話した。「最近までアフレコに参加されていた。とにかく突然のことで、何があったのか…」と言葉を失った。今月22日に公開になるアニメ映画「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」にも出演しており、2月末にキャストが発表になった際には「ここまできたら根性決めます!私命をかけて演じますね」とコメントしていた。  「TARAKO」という個性的な芸名。学生時代に「サザエさん」のタラちゃんのような話し方だったことから、友人が呼んだことに由来すると言われる。デビューは1981年、アニメ「うる星やつら」の幼稚園児役。声優のイメージが強いが、活動の軸足は演劇畑で、演劇集団「WAKUプロデュース」を主宰。シンガー・ソングライターの肩書もあった。  芸能活動が一変したのは、やはり「ちびまる子ちゃん」への抜てきだった。1990年1月7日の初回放送から現在まで35年にわたりまる子を演じているが、実は当初、まる子役は別の声優に決まっていた。2018年に亡くなった原作者さくらももこさんが、自分の分身であるまる子のイメージと違うと再度オーディションを行い、自身の声に似ているTARAKOさんを選んだ。それ以来、独特の声でまる子を演じ続け「TARAKO=まる子」のイメージで国民的な人気者だった。  体調の急変と、突然の知らせに周囲は驚くばかりだが、昨夏に受けたインタビューでは「死生観」について語っていた。両親が急死だったことを明かし「死は怖くなくなった。天国に行けば、両親や、愛犬、愛猫に会える。天使になった友人たちにも会える」と吐露。自身の葬儀についても「喪服は着ないで。普段会う時のような服で」と要望し、自分が書いた演劇の脚本を追悼上演してほしいとも願っていた。  TARAKOさんは、さくらさんが亡くなった際「私がそっちにいったら似たような声でいっぱいいっぱいおしゃべりしてくださいね」とメッセージを送っていた。さくらさんと天国で再会し、どんな話をするのだろうか。

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2024年

3月

07日

英雄で、愛され信頼された警察犬の安楽死【青空と向日葵の会】

【英雄で、愛され信頼された警察犬の安楽死】
https://yuru2club.com/wp/?p=261
2007年に警察犬として働き始めたジャッジは、
所属する部署でそのひときわ優秀な働きに一目置かれていました。
2013年に歯を傷めたため、惜しまれつつ引退、
その後は普通の犬として、
温かい家庭で穏やかな日々を送っていました。
しかし、翌年6月にジャッジの身体に異変が起こりました。
嘔吐、脱毛、そして浮腫を発症。
すぐに病院で運ばれましたが、
獣医はジャッジの身体に複数の大きな腫瘍を発見。
もはや手遅れの状態でした。
ここまでであれば、元警察犬に対する同情や憐憫が
集まるというだけのお話だったかもしれません。
しかし、ジャッジの場合は違いました。
ジャッジの病気を知った警察官や地域の人々によって、
$13,000(約150万円)が寄付されました。
さらに病院は無料で治療を施すことを申し出ました。
それだけでも、いかにジャッジがこの街の治安を必死で守り、
多くの住民からの信頼と愛情を集めていたかが判ります。
しかし、既に病魔はジャッジの身体を蝕み、
食べることすらできなくなっていました。
長年同僚、そして家族として、
ジャッジと過ごしてきた警察官たちは、苦悩の末に
ジャッジの安楽死という難しい決断を下したのです。
現役時代のハンドラーであり、引退後は飼い主として、
ジャッジを引き取ったマイク・フランクスCpl.に導かれ、
病院に入ったジャッジ。
病院敷地に入ったフランクスCpl.とジャッジ。
そこには目の前に驚くべき光景が待っていました
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2024年

3月

06日

母 【青空と向日葵の会】

「母」
30歳で統合失調症を発病した貴女
木造の脳病院での13年間の入院生活
「いつか退院して結婚し家族を築き
 幸せな生活をしたい...」
そんな決して贅沢でも大きくもない
ささやかな夢を抱き続けていた貴女
ベルトコンベアから流れてくるオシボリを
たたむ工場での作業での障害者ばかりの寮に
退院
同じ病の父と出逢い
晩婚での私の出産
民生委員さんから
「あんたは生活保護にかかりこの子を育てなさい」
との助言にも
「いや、働く」と
当時は副作用のきつい精神薬を服薬しながら
鐵工所等で働いた貴女
父は精神障害1級で働くどころか
地域での生活などほとんど無理だった
父の分も働き
私を育て
仕事から帰ると夕食を作っては
自分は食べずに疲れて横になって居た貴女
お弁当等は買って来たことは無かった
「お薬飲んでたらハンデがある...」と少しずつ少しずつ
精神薬の粉薬の服薬を主治医の許可なくやめて
働き続けた貴女
父は精神科に再入院
貴女の精神病の再発もみるみるうちに
府営住宅の団地での生活の中
貴女は幻聴をかき消したい為に深夜、早朝関係無く
暴れまわってました
窓ガラスはいつも割れていた
ふすまは形を失ってガレキ状態
それでも清掃業を転々としながら働き続けた貴女
「幸せになりたい...」
その一心で歩み続けた貴女の後半の人生
働き者の貴女のそのふしくれだった手から
掴みたかった掴みたかった けど掴み切れ無かった
小さな幸せさえ 無情にもすり抜けっていった
イイことなんて何ひとつ無かったはずの
貴女の人生
なのに私に
「礼子、 頑張ってたらイイことあるから」って
微笑んでたっけ
どうして
そんな風に想えるの
どうしたら
そんな風に健気に笑えるの
「笑顔の向こうに
笑顔があるんやで...」
と教えてくれた貴女
95歳で貴女の苦しかった苦しいだけだったんじゃない
その人生、その命はもう終わってしまったけど
終わってしまったけど
いつも待って居てくれた貴女との人生は
決して幸せでは無かった
だけどね貴女と過ごした最期の3年間
私「幸せの入り口」に立てたように思えます
ありがとう
ありがとう
貴女の笑顔
大好きです
貴女の生き方
大好きです
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2024年

3月

01日

ときに100円玉とはいえ、ずっしり重くなる【青空と向日葵の会】

【ときに100円玉とはいえ、ずっしり重くなる】
https://yuru2club.com/wp/?p=185
何回数えても100円玉が一個足りません。
総額が99,400円しかないのです。
「たかが100円」と思ってみたものの、
金額が合わないというのは、何とも気持の悪いものです。
封筒の中、かばんの中、果ては車の座席の下まで、
心当たりのところはくまなく探しました。
これは、私がボランティアとしてかかわっている、
ある団体の会費なのです。
7月末の猛暑の一日、汗水たらして駆けずり回って
集めてきたお金なのです。
あきらめました。
「足りなかったのが一万円札ではなく、
 100円玉だったのが不幸中の幸い」と、
ポケットマネーから、100円玉を一個補充して
事務所に収め、一件落着。
と、夕刻、電話がありました。
昼間訪問したある家庭からです。
集金の労をねぎらってくださった後、
「ところで…、集金した金額はぴったり合いましたか…?」
と言うのです。
電話の主の真意を理解した私は、
「100円不足」の顛末を手短に話しました。
「やっぱりそうでしたか。
 その100円玉は私どもでお預かりしております…」
この一言で今までの私の心のもやもやは晴れました。
しかし一方、心の片隅では、宵闇せまる今、
「100円玉をもらいに行くこと」と、
「一刻も早い晩酌」の、どちらをとるか、天秤にかけていました。
私は、
「ご厚意ありがとうございました。その100円玉は、
 後日お伺いしたときにいただきます」
と一方的に電話を切ってしまいました。
次の機会というのは、来年になってしまうかもしれないのにです。
詳細を聞いていた妻は「それでいいの?」と言います。
ハッと我に返りました

かが晩酌、そのためにせっかくの人の善意を 踏みにじった行為を私は恥じました。

すぐさまお詫びの電話を入れました。

ご主人、奥様お揃いで私を迎えてくださいました。

冷茶をごちそうになり、玄関マットに半分隠れるように落ちていた 100円玉を発見した時の様子などを静かに話してくださいました。

真新しい封筒に入れられた100円玉。

胸のポケットにしっかりおさめさせていただきました。

「100円玉」という貴重な善意をいただいた私は、 宵闇も一段と濃くなった街並をぬって家路につきました。

ハンドルを握る私の心は、晴れ晴れとしていました。

参考本:涙が出るほどいい話「小さな親切」運動本部編

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2024年

3月

01日

長渕剛「私に向けた刃ならいつでも立ち向かう」 自身に寄せられる声に決意

 歌手の長渕剛が1日、自身のインスタグラムを更新。自身に寄せられる声に対する思いをしたためた。

長渕剛 (C)ORICON NewS inc. 

拡大する

【写真】この記事の写真を見る(全1枚)


 長渕は、太陽と、どアップの手が映った写真を添えて「何も知らない人間が虚構を切り刻み、貼り付けそして汚い金になる。そんな社会が確かにある。私に向けた刃ならいつでも立ち向かう。なぜなら自尊があるからだ」と投稿。

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2024年

3月

01日

柔道元オリンピック選手・丸山顕志容疑者を逮捕 暗号資産名目で約4000万円詐取か 千葉県警

FNNプライムオンライン

フジテレビ,社会部

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2024年

3月

01日

無許可盛り土、男女2人逮捕 市残土条例違反疑い 大網白里の山林 千葉県警

高山容疑者=28日午前6時10分ごろ、

東金市

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2024年

3月

01日

僕みたいなヤツが飼い主でごめんなさい!【青空と向日葵の会】

【僕みたいなヤツが飼い主でごめんなさい!】
https://yuru2club.com/wp/?p=208
小学校2年の時、隣の家のご主人の、
田舎で一人暮らししているおじいさんが、
柴犬の子犬を連れて泊まりに来ていました。
あまりにもかわいかったので、軽い気持で
おじいさんにこんなことを言いました。
「この犬が大きくなって、子どもを産んだら、
 一匹ちょうだい」
それから3年経ち、僕が5年生になった時、
小さな子犬が一匹我が家に来ることになりました。
「約束してたからな・・・」と
おじいさんが生まれたばかりの
子犬を連れてきたのです。
僕はずっと犬が欲しかったので、
とても嬉しくて嬉しくて、
夜寝るときも一緒なほど可愛がりました。
しかし、中学校に入りしばらくしたら、
僕は少し荒れ始めました。
友達の家にいりびたり、
家にあまり帰らなくなったのです。
それでも、たまに帰ると犬はとても喜んでくれました。
高校生の頃に、僕は突然高熱が出て、
病院に行くことになりました。
検査の結果、重大な病気が見つかり、
そのまま入院することを言い渡されました。
入院生活は2ヵ月にも及びました。
ようやく退院することができ、
僕は久しぶりに家に帰りました。
家に帰って、ふと犬を見ると、
可愛がっていた時の面影はどこにもなく、
無残な姿になっています。
やせ細って、ところどころ毛が抜け落ちて、
ボロボロの状態だったのです。
そんな状態になりながらも、僕に気づいた犬は、
腰を抜かすほど喜んでくれました。
なぜこんな状態になってしまったのか、親に聞くと、
どうも原因は、僕にあるようでした。
僕が入院したのと同時に落ち着かなくなり、
ご飯もろくに食べず、
どんどん衰弱してしまったとのことでした。
心配した両親が動物病院に連れていくと、
思いがけない診断結果だったのです

断結果は、 「相当強いストレスがかかっている」とのこと。

犬にとって、僕は唯一の飼い主だったのです。 その飼い主がいないことで、不安に陥り、 ご飯も喉にとおらない状態になってしまったのでした。

その後、少しは回復しましたが、しばらく経ち、 また衰弱し始め、受診すると癌と診断されました。

いよいよやせ細り、最期を覚悟しなければいけなくなりました。

ある日、夜中に帰宅した僕は、 家の裏にいる犬が気になり、 いつものように小屋を覗きに行きました。

僕が行くと、いつも必ず小屋の中から顔を出して、 すり寄ってくるはずなのですが、 この日はなぜか、入り口に尻を向けて、 こちら側に出てこないのです。

声をかけると、唸って追い払おうとします。

犬の顔を見れないまま、僕は家に入りました。

翌朝早くにまた犬が気になり、小屋に行くと、 その時の姿勢のまま冷たく硬くなっていたのです。

僕は覚りました。

犬は最期の弱った姿を、僕に見せないよう 力を振り絞って唸っていたんだと。

自分が一番苦しいであろう時に 最期まで弱みを見せなかった。

その時を気づいてやれなかった自分を悔やみました。

一緒に成長したのに、

僕が荒れてた頃は、 八つ当たりしたり、放ったらかしにしていたのに、

でも犬は、全力で僕を愛してくれたのです・・・

こんな飼い主で幸せだったのだろうか…。 もっといっぱい愛してやればよかった…。

申し訳ない気持でいっぱいになり、 涙が止まらなくなりました。

それから大人になった今、 新しい犬を飼い始めました。

子どもの頃一緒に暮らした、 あの犬によく似ています。

今は、玄関の横で、僕や僕の子どもたちを 見守ってくれています。

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2024年

2月

28日

消しゴムとれた? 【青空と向日葵の会】

【消しゴムとれた?】
https://yuru2club.com/wp/?p=203
先日、デパートの文房具売り場に行ったときのことです。
小学1年生くらいの女の子が、
棚から消しゴムを取ろうと、必死に手を伸ばしていました。
あと少しで届きそう。
でも消しゴムは、偉そうに女の子を見下ろしています。
取ってあげようと近づいた時、
向こうからひと組のカップルがやってきました。
彼女の方が先に女の子に気づき、助けようとしましたが、
彼氏が手で制して、ふたりで棚の陰に行ってしまいました。
「ひどいなぁ、最近の若い・・・」
言いかけてやめました。自称ですか、私も若者です。
私はため息をついて、女の子に声をかけようとしました。
するとさっきのカップルが戻ってきて、
意外な行動を起こしました

には脚立。 そっと通路に置いて、彼らはまた棚に隠れます。

彼氏の古風な咳払いに、女の子が振り返り、 脚立に気づいた様子。

消しゴムは女の子の手に収まりました。

「こんな親切もあるんだなあ」

すぐに手を差し出すだけが優しさではないのだと、 私は彼らから学びました。

そして、彼らのさらに向こうで、隠れて見守っていた女性。

女の子の母親だと確信しました。

参考本:あのときはありがとう 涙が出るほどいい話(「小さな親切」運動本部編)

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2024年

2月

28日

飼い犬が教えてくれた絆と優しさと…【青空と向日葵の会】

【飼い犬が教えてくれた絆と優しさと…】
https://yuru2club.com/wp/?p=165
「おたくの近くの車道に、山から出てきたキツネがひかれているぞ」
知人がそこを通り見かけたので、連絡をくれたらしい。
電話を受けた父と私は、早速、飼い犬を連れて現場へと急いだ。
近所の子供たちも集まっていた。
「キツネがひかれてるっぺー」
とキツネを見て騒いでいる。
父は、すぐ道路からキツネを抱きかかえ連れてきた。
キツネは血だらけで目をつぶっている。
もう死んでいる…と私は思った。
飼い犬のハッピーが、キツネの方に近づこうとするので、
私も近づいてみた。
するとハッピーは、とっさにキツネの出血部分を必死になめだした。
私は、可哀想だがもう死んでしまっているし、
ハッピーに毒でも入ったら…と判断し、
ハッピーを引き離そうと引っ張った。
しかし、それをまったく気にせず、必死でキツネを助けようと
なめ続けるハッピーの姿に、私はこの時強く胸を打たれた。
同時に、同じ生き物同士の「絆」というモノを、
じかに感じ取った。
私は頑張ったハッピーのためにも、
無事天国へ行けるように強く願い、埋葬した。
この時のハッピーの姿をずっと忘れない。
先日、私と妹が買い物へ行く途中、
車道に猫がひかれて生々しい血を流している所を見かけた。
周りにいたおじさんやおばさん達が、
「このままにしておいたら、またひかれるわよ。
 どうしましょう」と話していた。
私は、ここだ!と思い勇気をだした

私は思い切って言った。

「私たちがやります」

あの時のハッピーを思い出して、勇気をふり絞り、 猫の死体を妹と二人で協力して段ボールへ入れ、 車道の脇の方へ寄せた。

周りのおじさん、おばさん達は目を丸くして驚いていた。 私たちは悪い気はしなかった。

その後、市役所の人が無事引き取っていったらしい。

あの時のハッピーのおかげで出来たことだ。

ハッピーは、私に深い愛情と勇気をくれた。

それはかけがえのない宝物。

参考本:とっておきのワンシーン(弘久社)

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2024年

2月

28日

子どもたちに教えられる日々です【青空と向日葵の会】

【子どもたちに教えられる日々です】
https://yuru2club.com/wp/?p=193
保育園で、二歳児のクラスを担当していた頃のこと。
その日の夕方は、自由遊びの時間でした。
お部屋の中は、カタコトの言葉がにぎやかに飛び交い、
子どもたちは思い思いのおもちゃで遊んでいました。
A子ちゃんは、最近お家でのストレスが少し貯まり気味なのか、
お友達におもちゃを貸してあげずに、「ひとり占め」をしていました。
仲良しのB子ちゃんが、「これ貸して?」と言っても、
「ダメ」「いや」の連発でした。
B子ちゃんは仕方なく、遠くにあるおもちゃ箱の中から、
少々くたびれたクマのぬいぐるみを持ってきました。
「お耳がとれちゃったのね。お薬をつけましょう」と、
B子ちゃんが遊んでいると、それが楽しそうに見えたのか、
A子ちゃんは、
「Bちゃん、それ貸して」と言ったのです。
するとB子ちゃんは・・・

るとB子ちゃんは、唯一のおもちゃをニッコリ笑って、 「いいよ」と差し出しました。

そのB子ちゃんのさわやかなこと!

媚もせず、驕りもせず、ただ善意だけであふれていました。

きっとB子ちゃんの心は、何のひっかかりもない、 サラサラ流れる小川のようなんだ…と感じました。

二人のやりとりを見守りながら、 B子ちゃんのように素直な心になりたいな、と思いました。

保母の仕事は、 「子供たちに教えられる日々」でした。

あの時のB子ちゃんのきれいな笑顔はいつまでも忘れません。

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2024年

2月

28日

ディズニーのことをもっと好きになりました【青空と向日葵の会】

【ディズニーのことをもっと好きになりました】
https://yuru2club.com/wp/?p=196
ディズニーランドのミッキーでちょっと感動した出来ごとがありました。
私と彼の前を目の不自由なご夫婦
(二人とも白い杖をついてたんです)が歩いていました。
キャストの方が付き添い、丁寧に説明をしながら歩いていました。
そして、ミッキーに会う部屋に入り、そのご夫婦の番になりました。
キャストの方が、「ここがミッキーの耳ですよ~!」
と言うと、ミッキーがその夫婦の手を持って、
自分の耳に持っていきました。
ご夫婦は手を探りながら、うなずいて、とても嬉しそうでした。
ミッキーは他にも、鼻とか口に手を持っていき、
このご夫婦を大いに楽しませていました。
何回も何回も、ご夫婦を抱きしめてキスをしていました。
でも私が感動したのは、その後のことです

して、ミッキーはドアの所までお見送りし、 目の見えないご夫婦なのに、 ちぎれるように手を振ってサヨナラしていました。

そんな光景を見せられた私はつい涙ぐんでしまいました。

そして泣いてる私の所にミッキーが来て、頭をなでてくれました。

あの日のことはずっと忘れないと思います。

あのご夫婦のとても嬉しそうな表情も。

当たり前のことがどんなに幸せなことなのか。すごく考えさせられました。

ディズニーランドが夢と魔法の王国だということを、 あのご夫婦とミッキーに教えてもらったように思います。

前からディズニー、好きだったけど、 もっともっと好きになりました。

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2024年

2月

27日

天国のあなたへ【青空と向日葵の会】

【天国のあなたへ】 
娘を背に日の丸の小旗をふって、 
あなたを見送ってから、 
もう半世紀が過ぎてしまいました。 
たくましいあなたの腕に抱かれたのは、 ほんのつかの間でした。 
三十二歳で英霊となって天国に行ってしまったあなたは、 今どうしていますか。 
私も宇宙船に乗ってあなたのそばに行きたい。 
あなたは三十二歳の青年、 私は傘寿を迎える年です。 
おそばに行った時、お前はどこの人だなんて云わないでくださいね。 
よく来たと云って、あの頃のように寄り添って座らせてくださいね。 
お逢いしたら娘夫婦のこと、孫のこと、また、すぎし日のあれこれを話し、思っきり、甘えてみたい。 
あなたは優しく、そうかとうなずきながら、慰め、よくがんばったねと、ほめて下さいね。 
そうして、 そちらの 「きみまち坂」 に連れて行ってもらいたい。 
春のあでやかな桜花、夏、なまめかしい新緑、秋、ようえんなもみじ、冬、清らかな雪模様など、 
四季のうつろいの中を二人で手をつないで歩いてみたい。 
私はお別れしてからずっと、あなたを思いつづけ、愛情をささえにして生きて参りました。 
もう一度あなたの腕に抱かれ、ねむりたいものです。 
力いっぱい抱きしめて絶対にはなさないでくださいね。 
(柳原タケさん 八十歳 無職) 
--------------------------------------
戦争で亡くなったご主人を80歳になった今も思い続ける
姿に心を打たれました。
生涯ひとりの人を愛しつづけるなんて素敵ですね。
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2024年

2月

26日

元アナ高橋茉莉氏、生活保護受給中のラウンジ勤務は「事実と異なる」 法令違反の疑惑に反論も「政界を引退」

国民民主党は公認を取り消し、公式サイトから画像と略歴を削除

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2024年

2月

24日

胡蝶しのぶと蝶屋敷はシスターフッドの世界なり『鬼滅の刃』蟲柱

2月24日は『鬼滅の刃』の蟲柱・胡蝶しのぶが生まれた日です。

言うまでもなく物語での話ですが、そうだとしても彼女が現実社会に与えた影響は決して小さくないと感じます。

女性像のアップデートが画期的だったからです。

若い世代だけでなく、今まで違和感を抱いていた層にも支持されたゆえに、社会現象にもなったと思われるほど……と、まどろっこしいことはさておき、具体的に見て参りましょう!

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2024年

2月

24日

おじいさんが好きだったたこやきは今日も旨い!【青空と向日葵の会】

【おじいさんが好きだったたこやきは今日も旨い!】
https://yuru2club.com/wp/?p=176
先日、バーで偶然となりに座っていた男性と、
「たこやき」の話になりました。
とあるお店のたこやきが美味しい、と私が言うと、
その男性は突然「ありがとう」と言います。
疑問に思い、よくよく聞いてみると、その男性は、
私が味を褒めたお店のオーナーさんでした。
驚く私に、オーナーさんは、店であった
こんな話をしてくれました。
毎週のように、たこやきを買いにくるおじいさんとおばあさん。
おじいさんは、いつもスーツをバシッと着て、
小さな店内でいつものたこやきを食べて帰ります。
常連さんだったので、店員さんたちもみな、
おじいさんが来るのを、毎週楽しみにしていました。
ところが2ヵ月ほど、おじいさんの顔を見なくなったのです。
店員たちが「体調をくずしたのかな?」と思っていると、
おじいさんが、いつも通りスーツをバシッと着て、
おばあさん、息子さん夫婦、お孫さんと一緒に来店しました。
店員がおじいさんに、
「突然いらっしゃらなくなると、心配するじゃないですか。
 これからもよろしくお願いします」
と言うと、おじいさんは深々と挨拶をして、
家族と共に、いつものたこやきを食べて帰りました。
それから1週間ほど過ぎた日のことです。
おじいさんの息子さんがいらっしゃいました。
「あのあと、親父は亡くなりました

子さんの話です。

「あのあと、親父は亡くなりました。  亡くなる前に病院を出ることができて、『何がしたい?』と聞いたら、 『いつものたこやきを食べたい』と言ったんです。  ただ病院のパジャマで行くと、たこやきを美味しく作る方に申し訳ないと、  わざわざスーツに着替えて、病院から食べに来たんです」

それを聞いた店員さんが、驚きながらも、 「何も知らず『また来てください』と言ってしまって、  申し訳ございませんでした」と言うと、息子さんは、

「親父は天国でも、このお店のたこやきを応援していると思います」 と言って下さったそうです。

その日から、オーナーさんは、それまで以上にお客様に心から感謝をし、 それを言葉にして「ありがとう」と言うことを徹底していると言います。

オーナーさんは、話し終えると、私にも再度、 「ありがとう」と言ってくれました。

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2024年

2月

24日

デコトラ映画といえば「トラック野郎」……だけど名作はまだまだあった! デコトラ好きの血を熱くたぎらせる映画5選

 ここ最近は、お正月の娯楽のひとつとして「芸能人格付けチェック!」や「月曜から夜ふかし」などTVバラエティ番組の特番が人気だが、かつては映画館に新春映画を見に行くというのが定番だった。

【写真】「泣いた数だけ幸せに」「口は弁護士 心は詐欺師」! デコトラの「ロマンチック文句10選」と「オモシロ文句10選」が面白い!  

とくに昭和の時代は、松竹「男はつらいよ」シリーズ(主演:渥美清)や東映「トラック野郎」シリーズ(主演:菅原文太)は、それぞれの映画会社において大ヒットしたドル箱シリーズであり、“トラトラ対決”と呼ばれていたという。どちらも物語中盤でマドンナが現れて、終盤でほぼ振られるというオチは同じだが、より娯楽色が強く、派手なカーアクションや「下ネタ」が取り入れられ、コミカルで若い年齢層にも人気が高かったのが「トラック野郎」シリーズだ。  腕っぷしは強いが惚れた女にはめっぽう弱いという、『一番星』こと星桃次郎(菅原文太)と、子だくさんで元警察官という『ヤモメのジョナサン』こと松下金蔵(愛川欽也)が、各地でマドンナと出会い、そして振られ、ライバルと喧嘩をし、最後は誰かのために警察相手に満艦飾を施したデコトラでカーチェイスを繰り広げるのだ。  予定調和ではあるが、ロッキード事件に端を発する政治家の汚職(第4作オープニング)や医療機関による患者のたらいまわし(第7作終盤)などの同時代の時事ネタが盛り込まれ、登場する「一番星号」と「ヤモメのジョナサン号」も飾りやペイントが毎回新調されるなど、映画館来場者を引き付ける楽しさがあった。  1975年8月30日公開の第1作『ご意見無用』は、急遽ボツになったほかの映画の穴埋めとして、1話限りの予定で作られた。低予算映画だったが、意外や興行収入8億の大ヒットとなりシリーズ化が決定。第2作『爆走一番星』は1975年12月27日に公開され、以降、お盆と正月の東映定番作品となった。惜しくも第10作『故郷特急便』を最後にシリーズは終了したが、いまでも根強いファンがいることはご承知のとおりだ。  じつは世界に目を向けると、トラックが題材として使われる映画は珍しくない。油田の火災を消すために500km離れた場所からニトログリセリンを運ぶ1953年公開のフランス映画「恐怖の報酬」や、赤いプリムスに乗るセールスマンが、ハイウェイで追い越したタンクローリーから執拗な煽り運転を受ける1971年公開のアメリカ映画「激突!」、その他にも同じアメリカ映画だけでも、1976年公開の「爆走トラック‘76」、1977年公開の「トランザム7000」、1978年公開の「コンボイ」、1998年公開の「ブラック・ドッグ」など、枚挙に暇はない。  日本映画としては、この東映「トラック野郎」シリーズのインパクトが強すぎるため、メジャーにはならなかったが、劇場公開されたデコトラ映画が他にもいくつかある。そのなかからとくに人気があると思われる5作品を紹介しよう。いずれの作品も、「一番星号」や「ヤモメのジョナサン号」のような映画会社所有の劇用車ではなく、個人所有のトラックを借りてロケを行ったものである。

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2024年

2月

23日

イジメと戦ってくれた兄貴 【青空と向日葵の会】

【イジメと戦ってくれた兄貴】
https://yuru2club.com/wp/?p=171
中一の頃、僕はイジメにあっていました。
クラスのほぼ全員からだったのです。
机には、腐ったミカン、牛乳瓶、
カバンはゴミ箱、体育のサッカーでは21対1
付き合ってた彼女に飛び火するのが嫌で、嫌いになったと言って別れました。
ある日の休み時間、トイレから戻るとクラスの全員が廊下に座っています。
その中央には、みんなを座らせている僕の2歳上の兄貴が立っていました。
「お前は来るな!」
そう言われて、僕は教室の中で座っていました。
兄貴がみんなに何を言っていたのか、最初はよく聞こえませんでした。
しかし、よく耳をすましていると、少しずつ聞こえてきました

貴がみんなに問いかけていること…

なぜ弟をいじめるのか?弟が何をしたのか?

…そんな内容のことを、兄貴はクラスのみんなから聞き出していました。

家に帰って僕は兄貴に言いました。

「なんで余計なことをするんだ、逆効果だろ!!」

兄貴は、「うるせえっ!!」

「弟がイジメられているのに、  知らんふりしてる兄貴がどこにいるか!」

僕は恥ずかしかったし、兄貴の言葉の勢いに驚きました。

それで、嗚咽してしまいました。…激しく。

「もういいよ、いいんだよ」ずっと同じ言葉を繰り返してました。

今まで家族にも教師にも言わず、我慢してきたんだ。 辛かった。悔しかった。

でも、…いや、だからこそかな? 兄貴の一喝は僕の胸に刺さったのです。

恥ずかしく、驚きもしたけど、心の内では嬉しかったのです。

その日から少しずつイジメが減っていき、いつの間にか元に戻っていました。

まだ兄貴には、あのときのお礼を言ってません。 今さら恥ずかしくて言えないと思ってました。

僕があの日のことを忘れてないこと、 そしてありがとうを言いたいと思い続けていたこと、 それをいつか、何かのきっかけで伝えようと思っています。

参考:泣ける2ちゃんねるより

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2024年

2月

23日

株価史上最高値を記録した35年前「あの頃」どんな時代だった?

22日、東京株式市場の日経平均株価は、1989年12月につけた史上最高値を更新し歴史的な節目を迎えました。

35年前は「バブル絶頂期」。株価や地価が高騰し、日本の企業がアメリカの名門企業を買収するなど“ジャパンマネー”が市場を席けんしていました。

当時、日本はどのような時代だったのでしょうか。
主な出来事から振り返ります。

ー 1989年(平成元年ー

 

【1月8日】元号が昭和から平成に

1989年1月8日、60年以上続いた「昭和」の元号が改元され、新たに「平成」の時代が始まりました。

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2024年

2月

23日

日経平均株価 バブル期につけた史上最高値を更新

22日の東京株式市場、日経平均株価は、バブル期の1989年12月29日につけた終値としての史上最高値を更新して3万9098円68銭まで上昇しました。

日経平均株価がバブル絶頂期の水準を超えたことで、日本経済がバブル崩壊後、失われた30年と呼ばれた低迷期を本格的に脱することができるかが焦点となります。

“失われた30年”低迷期脱出なるか

22日の東京株式市場は日本時間のけさ、アメリカで発表された大手半導体メーカーエヌビディアの決算が市場の予想を上回る好調な内容となったことを受けて取り引き開始直後から多くの銘柄に買い注文が集まりました。

そして、午後の取り引きが始まった直後に日経平均株価の値上がりの幅は700円を超え、1989年12月29日につけた取り引き時間中の史上最高値、3万8957円44銭を上回って3万9000円台まで上昇しました。

その後も上昇幅は800円以上に拡大し日経平均株価は取り引き時間中に3万9156円97銭をつけました。

終値でも1989年12月29日につけた史上最高値、3万8915円87銭を更新し、21日の終値より836円52銭、高い3万9098円68銭で取り引きを終えました。

東証株価指数、トピックスは33.41、上がって2660.71。1日の出来高は17億6948万株でした。

日経平均株価はバブルの絶頂期にピークをつけてから再びこの水準に回復するまでに34年2か月かかりましたが、日本経済がバブル崩壊後、失われた30年と呼ばれた低迷期を本格的に脱することができるかが焦点となります。

岸田首相「デフレ脱却へ官民の取り組みを加速化」

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2024年

2月

21日

【速報】消えた700億円…架空の投資運用で1200億円集めた「スカイプレミアム」の幹部ら4人逮捕

テレビ西日本

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2024年

2月

16日

小学6年生がポツリもらしたひと言【青空と向日葵の会】

【小学6年生がポツリもらしたひと言】
https://yuru2club.com/wp/?p=128
5年前、当時小学1年生の娘を残して、俺の弟は死んだ。
弟の嫁(義妹)は、その娘を連れて実家に帰った。
時には、こちらの両親に孫の顔を見せるため、
遊びに来てくれる。
ただ、時が経つにつれ、訪ねてくれる回数も減ってきた。
以前は、3ヶ月に一度だったのが、半年に一度になり、
やがて今は、1年に一度ほどになってきた。
親父もおふくろも少し不満げ、寂しげな感じだ。
だけど無理を言うことはできない。
義妹は、自分の実家にいながらも、
生活の糧を得るためには、働かなければいけないから。
ピアノを教えたり、コンビニでのパートで働いたりで、
何とか食っている状態だった。
だけど姪っ子は、明るい性格に育ってくれた。
いや、そういう素振りが身についていたのかもしれない。
できるだけ、周囲に心配させないように振舞いなさい、
それが義妹の、娘に対するしつけだったのかもしれない。
先日、俺は6年生になった姪っ子に
「おじさんとデートしよう」と誘った。
「欲しいものは何でも買ってやる。でも車とかいうのは無しだぜ」
「行きたいところに連れてってやる。でもハワイとかいうのは無しだぜ」
俺がふざけて言うと、姪っ子はケラケラと笑った。
その日は早起きして、渋谷までジブリの映画を見に行った。
それが終わったら、お昼に鯨料理を食べさせて、その足で原宿へ行った。
正直、俺は原宿なんてよく知らないんだけど、姪っ子に言った。
「なんでも買ってやるからな。欲しい服選びな」
真剣な目でお気に入りを物色する姪っ子の横顔。
なんだか、…というか当然だけど、バカな弟の面影を宿していた。
いくつかの服を、時間をかけて迷ってる
姪っ子のさまはとてもいじらしかった。
俺は姪っ子をびっくりさせたくて、
迷ってる服全部をレジに持っていった。
姪っ子は目を丸くして、キョトンとした。
はっきり言って、韓国あたりに数泊で
旅行に行けそうな合計額になったけど、
俺は涼しい顔でカードで払った。
もちろん、冬のボーナス一括払いだ。
両手一杯の紙袋を持って、
「うれしい、うれしい」と何度も繰り返す姪っ子。
俺は照れくさくって
「やっぱり気が変わった、お店に返しに行こうか」
とか言ってからかった。
だが、次の瞬間、姪っ子の言ったひと言で、
俺は照れくささなんか吹っ飛んでしまった。
多くの人が行き交う往来で、
人前かまわず涙が込み上げてきた。
そのひと言とは…

っ子は言った。…ポツリとひと言。

こんなにうれしいことがたくさん一日に起きるなんて、もったいない

もったいない、か……姪っ子があまりに明るかったから気づかなかった。

きっと色々あるんだろう。

母親が忙しくて、寂しくて、心細くて、 6年生の小さな胸の中にしまいこんで我慢していることが…。

こんな小さな少女から、まさか「もったいない」 という言葉が出てこようとは。

同じ年の女の子ならば、もっと甘えて、 もっと飽きっぽくて、もっと贅沢に慣れてるだろうに。

本当は教育上、よくないことかもしれないけど、 たまにしか会えないからな。

おじさんは、お前の父さんと同じでバカだから、 こんな愛情表現しかできないんだ。

「疲れてないか?…そうか、ようし!  これからディズニーランドに行くぞ!!」

参考:2チャンネル「掲示板」より

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2024年

2月

15日

「千葉最東端への高速」銚子連絡道路ついに延伸 3月に18年ぶり開通 目指せ“銚子~千葉1時間以内”

乗りものニュース編集部

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2024年

2月

15日

大王製紙と北越コーポレーション、戦略的業務提携に向けた検討を開始

大王製紙株式会社と北越コーポレーション株式会社との戦略的業務提携に向けた検討開始に関するお知らせ

大王製紙株式会社(以下「大王製紙」といいます。)と北越コーポレーション株式会社(以下「北越コーポレーション」といいます。)は、紙パルプ業界を取り巻く厳しい経営環境の下で、両社が抱える経営課題を解決し、両社の企業価値の更なる向上を図るために、戦略的業務提携(以下「本業務提携」といいます。)に向けて具体的な検討を開始することに本日合意しましたのでお知らせいたします。

1.本業務提携の背景・意義

大王製紙と北越コーポレーションは、それぞれ「ものづくり」を通じて地域社会との共生に取り組んできた製紙メーカーであり、今後も、顧客・株主・取引先・地域社会・従業員などあらゆるステークホルダーから信頼される企業を目指しております。

両社は、印刷情報用紙をはじめとした国内紙の需要の減少や需要構造の変化、木材チップ・石炭・重油など原燃料価格の高止まりなどに加え、国内物流における2024年問題や環境負荷低減対応などの社会課題解決が求められる厳しい経営環境の中、基幹工場の構造改革による競争力強化及び事業ポートフォリオの変革が重要な経営課題であるとの認識を共有しております。

これら課題解決に向けてそれぞれが個社単位で施策に取り組むよりも、両社が協業して構造改革・収益基盤の強化を目指していくことが、より迅速に効果を発現できるとの考えに合意し、本業務提携に向けて具体的な検討を開始してまいります。

本業務提携では、両社の独立性と健全な競争関係は維持しつつ、各々の強みを活かして補完し合うなど、両社の中長期的な企業価値向上に資する取組みについて積極的に検討を進めてまいります。

2.本業務提携に向けた検討開始に至った経緯

大王製紙と北越コーポレーションは、両社の関係改善に向けてトップマネジメント間の面談を含めて意見交換を重ね、2023 年9月に両社間で秘密保持契約を締結し、「生産技術」「原材料購買」「製品物流」などの取組テーマにおいて分科会レベルでの初期的検討・協議を重ねてまいりました。

今後、本年5月頃を目途に本業務提携の契約締結を目指して、両社間で協議を進めてまいります。

※以下は添付リリースを参照

リリース本文中の「関連資料」は、こちらのURLからご覧ください。

添付リリース

https://release.nikkei.co.jp/attach/668347/01_202402131701.pdf

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2024年

2月

14日

札幌女子中学生いじめ自殺 ”黒塗り”外され…いじめの実態明らかに

■いじめの実態…“追い詰められた心境”明らかに

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2024年

2月

14日

天国ってどこにあるか、パパ知ってる?【青空と向日葵の会】

【天国ってどこにあるか、パパ知ってる?】
https://yuru2club.com/wp/?p=110
私には一人の娘がいます。
先日、4歳の誕生日を迎えたばかりの娘です。
私は、自分の会社を経営しているため、普段から多忙の日々でした。
娘は祖母にすっかり任せているという具合でした。
母親は、娘が2歳の時に家を出ていき、
その後、他の男性と再婚しました。
再婚相手には、連れ子の娘がいて、
私が娘を引き取ることになりました。
娘には、母親は「天国へ行った」
そう話しています。
とてもお利口で、空気の読める娘は、
何一つワガママを言わない子で、
私としては、とても助かっていました。
私が助かっているということは、
娘の側に、いろんなストレスが溜まっていたのでしょう、
その時は、そんなことにも気づいていませんでした。
娘がある日、ポツリと「奇妙なこと」を言い出しました。
その奇妙なことの意味が分かった瞬間、
私は初めて娘の真の気持と
心の叫びを知ることになったのです。
いつも私は、朝6時に家を出て、
帰宅は23時を回る多忙の毎日でした。
経営者という仕事柄、どうしても手を抜けない、
忙しい日々が続いていました。
元妻も、そういった多忙の私に、
愛想をつかしての行動だったのでしょう。
寂しかったから、自分の居場所を求めたのだと思います。
休日とはいえ、不定休な上に休みでも
自宅で仕事を消化していた私は、
ろくに娘をどこかへ連れて行ったり、
遊んであげることもしていませんでした。
一切、ワガママを言わない娘に、
安心していたのかもしれません。
まるで、娘に父親の方が甘えていたようなものです。
元妻が家を出て、私と娘、それに祖母との
このような「すれ違い生活」を送るようになって、
2年が過ぎようとしたある日のことです。
それまでの生活と、私の意識を
ハッとさせる大きな転機が起こったのです

つも通り仕事を終え、 23時過ぎに帰宅してリビングに向かうと、 ソファに娘が腰かけて、まだ起きていました。

「こらこら、何でこんな時間まで  起きているんだ? おばあちゃんは?」

「お帰りなさいパパ。  おばあちゃんと一緒に寝たんだけど、  お部屋抜け出して、パパを待ってたの」

「何時だと思ってるんだ。  早くおばあちゃんの所へ行って寝なさい」

「……」

「どうしたんだ?」

「ねぇ、パパはママと最近いつお話しした?」

「ママは天国へ行ってしまったから、  もうお話は出来ないんだよ」

私は疲れていたこともあり、 少し適当に対応してしまいました。

「天国ってどこにあるか、パパは知ってる?」

「雲のずっとずっと上だよ」

こんな細かいことを今まで口にしなかった娘に、 少し不思議な気持ちでいました。

聞き分けがよく、 それ以上の追求はしてこなかった子だけに、 何かあったのかな・・・と。

すると娘がこう続けます。

「違うよ。パパは知らなかったんだね!」

「え?」

天国はね、すぐ近くにあるんだよ!  ママはね、すぐ近くにいるんだよ!  ママはね、新しいパパと、新しい私と近くにいるんだよ!」

いきなり大声で、 泣きながらそう強く訴える娘。

私は、娘が何を言っているのか、 見当もつきませんでした。

あまりの大声に、祖母が驚いて起きてきて、 重い口を開きます。

そして、やっと娘の必死な訴えの意味が分かったのです。

祖母に話を聞くと、 今日、祖母が娘と少し離れたスーパーへ買い物に行った時、 前妻に偶然会ったそうです。

会ったと言っても、 何か会話をしたわけではなく、 前妻は「新しい夫」と「新しい娘」を連れて、 買い物をしていたそうです。

その光景を娘が目にしてしまい、 娘は必死に「ママ!」と叫んで、 駆け寄ろうとしたそうです。

祖母が必死にそれを制止したため、 再会し、”真実”を知らずに済んだそうです。

この話を聞き、私は意を決しました。

娘にできるだけ分かるように真実を話すことを…。

幼いながらも娘は、 私の話が理解できたのでしょう…

今までの素直な娘ではなく、 「ヤダヤダ」と泣き叫びながら、 私の胸を叩き続けました。

娘は、このとき私にストレートな感情を出して、 初めて、私の「娘」になれたのかもしれません。

私も、このことをきっかけに、 娘にとっての”本当のパパ”になることを決意しました。

出来るだけ、仕事を調整し、 必ず一日のうち、一定の時間は娘とともに過ごすようにしています。

まだまだ、娘の心にできた空洞を埋めてあげるには、 不十分かもしれませんが、でも少しずつ少しずつ、 私たちは、本当の父娘に近づいているような気がします。

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2024年

2月

10日

「がん治療にカネが必要」とウソ 交際女性から現金詐取か 他にも10人ほどから4億円以上の可能性

「がんの治療にカネが必要」などとウソをつき、交際していた女性から現金190万円をだまし取ったとして、40歳の男が逮捕されました。男は他にも10人ほどの女性から4億円以上をだまし取った可能性があるとみられています。 警視庁によりますと、野並信秀容疑者は2021年、当時交際していた40代の女性に「がんの治療にカネが必要」などとウソを言い、現金190万円をだまし取った疑いが持たれています。 野並容疑者は、実際には無職でしたが、「航空自衛隊の医官」と名乗った上で婚活アプリを使って女性と出会い、交際中には結婚をほのめかしていたということです。 調べに対して容疑を認め、「競艇に使った」などと話しているということです。 警視庁は、野並容疑者が女性からあわせて3000万円をだまし取った他、同時期に交際していた10人ほどの女性からもあわせて4億円以上をだまし取っていた可能性があるとみて調べています。

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2024年

2月

08日

「犬に噛まれた」 2つの公園付近で体長約1メートル30センチの四国犬に小学生らが次々噛まれる 12人がけが 群馬・伊勢崎市

TBSテレビ

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2024年

2月

07日

PCR検査キット販売事業で32億円“投資詐欺” 社長ら5人を再逮捕 貸付金装いマネロンか 【Apex product 世直し桃太郎】

ウソのPCR検査キット販売事業でおよそ32億円を集めたとみられる“投資詐欺”事件で警視庁が検査事業会社社長ら5人を詐欺やだまし取ったカネをマネーロンダリングした疑いで再逮捕したことがわかりました。この事件は先月、新型コロナのPCR検査事業大手「ICheck」社長金子賢一容疑者(44)ら6人が投資家3人から実態のないPCR検査キットの販売事業への投資を募りおよそ6000万円をだまし取った疑いなどで逮捕されているもので、これまでの捜査で6人は全国で135の法人や個人からおよそ32億円を集めたとみられています。その後の捜査関係者への取材で金子容疑者と入江正和容疑者(51)、仙石健一郎容疑者(51)、遠江富士男容疑者(51)の4人が別の都内の会社役員の男性からもおよそ5000万円をだまし取った詐欺の疑いで再逮捕されたことがわかりました。さらに、無登録で投資の勧誘をしたとして逮捕されていた曽我郁人容疑者(29)についても2022年4月から10月までの間に、複数の投資家から受けた出資金およそ4億円を曽我容疑者の会社への貸付金に偽装してマネーロンダリングしたとして警視庁は組織犯罪処罰法違反の疑いで再逮捕しました。ウソの投資名目で集めたカネであることを隠そうとしたほか、貸付金と偽装することで曽我容疑者が無登録で投資を持ちかけたことを隠す目的もあったとみられています。今回のウソの投資事業は新型コロナの流行時にPCR検査事業大手「ICheck」の知名度を利用して出資を募ったとみられていて、「出資金で海外から仕入れたPCR検査キットをICheckが販売し、得た利益から配当金を投資家へ支払う」として元本保証や配当月利5~8%をうたっていました。 警視庁はおよそ32億円という出資金を集めたとみられる今回の事件の全容解明を進めています。

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2024年

2月

07日

組員に「紹介料」、数百万円還流 フラット35詐欺 【Apex product 世直し桃太郎】

 住宅ローン「フラット35」の融資金をだまし取ったとして、住宅ローン専門会社「SBIアルヒ」の店舗運営会社の元社員や暴力団組員ら5人が詐欺容疑などで逮捕された事件で、警視庁が、組員の男に融資金などから「紹介料」として数百万円が流れたとみていることが捜査関係者への取材でわかった。 住宅ローン専門会社「SBIアルヒ」のパンフレット。「3つの強み」など書かれている  警視庁暴力団対策課は6日、5人の逮捕を発表した。逮捕されたのは、いずれも不動産仲介会社元社員の藤原輝(47)=さいたま市北区=、折田智仁(58)=埼玉県川越市=、指定暴力団池田組系二次団体幹部の塚田修(51)=東京都墨田区=の各容疑者ら。  5人は共謀して2020年6月、偽造した健康保険証などでフラット35に申し込み、アルヒから2780万円をだまし取った疑いがある。認否は明らかにしていない。  藤原容疑者が塚田容疑者から、申し込み名義人で住居不定、無職の河口慎二容疑者(44)を紹介され、河口容疑者名義の偽造書類をアルヒの埼玉県内の店舗に提出。同店舗の従業員だった遠山清二容疑者(47)=埼玉県蕨市=が、不正と知りながら受け付けたという。

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2024年

2月

07日

スシロー事件再来か『ラーメン山岡家』で“ペロペロ”迷惑行為動画に運営「すでに男性を特定」

すでに動画の男性を特定、被害届を提出へ

対策講じても迷惑行為がゼロになるのは難しい

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2024年

2月

06日

キッチンでホイップクリームを直接口に... 「しゃぶ葉」でもバイトテロ、運営・すかいらーくHDが謝罪「重く受け止める」

「事実関係を確認した上で、厳正な対応を行ってまいります」

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