Apex product 【懐かしい昭和の時代⑥】

昭和の懐かしい画像 TVがお茶の間の主役だったね

昭和の迷信『アイドルはウンコをしない』

初春の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。日頃は格別のお引き立てをいただき、ありがたく御礼申し上げます。 さて、このたび弊社は創立10周年を迎えるに至りました。 皆様方のご支援、ご厚情による賜物と深く感謝いたしております。
とうとう、10周年を迎えることができました。2013年の3月から数えて、10年が経ったわけです。どんなことでも、毎日10年やり続けられたら、一丁前になれるとある作家の方が言われていました。このことばを、一番信じていたのは、私達だったのかもしれません。大変なようで意外に短い期間のようでしたが、そして、とうとう待ち望んでいた10年に到達しました。これもひとえに皆様のおかげであると感謝をしております。の10年に向けて新しいスタートを切るにあたりどのようなことが必要になってきているかを日々考えてきました。私どもは伝えること、元気になること、頑張りたい人たちのきっかけとなり、力いっぱい背中を押す役割になることができますよう、幅広い視野を持ち常にチャレンジ精神を持って、皆様のご期待にお応えできるよう従業員一同最大限の努力をしてまいります。今後も格別のご理解とご支援を賜りますようお願い申し上げます。
2023年 3月吉日 Apex product 代表 柳伸雄

夢、あふれていた俺たちの時代 1974-1976

雑誌『昭和40年男』に連載してきた特集「夢、あふれていた俺たちの時代」を6冊にわたってまとめるクロニクルシリーズの第2弾。昭和40年男たちが少年から青年を経て大人への道をまっしぐらに歩んでいた時期は、日本経済が沸点へと向かって急上昇していた時期とピッタリ重なる。そうした勢いを肌で感じながら成長できた俺たちには、今では決して感じることのできない高揚感を数多く体験してきたはず。そんな“夢、あふれていた時代”からある時期を切り取って、当時の希望に満ちていた日々を振り返る──。第2弾は昭和49(1974)年から昭和51(1976)年までをプレイバック!

 

【藤 圭子】★女優☆ 
🎵
とてもお美しいですね 私が一番印象に残っているのは1970年公開の🎥映画(東映)『ずべ公番長 夢は夜ひらく』で演じた歌手役が印象的でしたね。皆さんご存知の🎵『宇多田ヒカル』のママでしたね。
2013年8月22日没(享年62歳)合掌

 

【老人と子供のポルカ】
1970年大ヒットしたこの曲!歌うのは,左卜全とひまわりキテイーズ。左卜全のオトボケな歌と(子供達の歌も)ノリのいいリズム,メロデイが素晴らしくいい曲です🎵 左卜全は俳優・オペラ歌手で,昭和の初期より活躍をし,映画でも名脇役とし黒澤映画に数多く出演した。しかし大ヒットした翌年1971年に亡くなってしまう。味のある俳優・歌手でしたね

汚い僕のトップサイダー。海に行くならこのデッキシューズ。

そろばん塾の帰り道よくお肉屋さんに寄って揚げたてのコロッケを買い喰いした
小学校5年生の頃コロッケが¥15で肉まんは¥30だった

熱い夏には。。!?

昔は...井戸水で西瓜や野菜を〜

冷やしてましたよねぇ‼(^-^)

夏は冷たく。。冬には暖かった⁉

タライで洗濯。。懐かしいです♪♪(笑)

覚えていますか??

クシャおじさん!

顔が一瞬で小さくなりました(>.<)y-~

これを使っていた頃が懐かしい。100円札を持って、おばあちゃんが引くリヤカーの醤油団子を買いに行くのが楽しみだった。

1980年~サンキュー先生
石松純器(西田敏行)6年生の子供達との
交流が良かったですね( 〃▽〃)

女子プロレスを、キワモノ扱いからスポーツ・エンターテイメントに引き揚げた、昭和の主役たち。
マッハ文朱、ビューティ・ペア(ジャッキー佐藤・マキ上田)、ミミ萩原、ジャガー横田、ダンプ松本、クラッシュ・ギャルズ(長与千種・ライオネス飛鳥)、ブル中野、集合写真は前列左からソチ浜田、風間ルミ、後列左から伊藤勇気、キューティー鈴木、試合中の事故で亡くなったプラム麻里子

。。お待たせしました〜♪♪(o^^o)(笑)

今でも☆お綺麗で〜ご活躍されており

ますこと嬉しい限りです(^-^)

70年~80年代、ナウでミーハーなヤングマンを胸キュンさせた、海の向こうの女優たち。
ソフィー・マルソー、フィービー・ケイツ、ジョディ・フォスター、ジェニファー・コネリー、ナスターシャ・キンスキー、ブルック・シールズ。

あ〜な〜た〜に〜♪今夜は〜♪
ワ〜イ〜ンを〜ふりか〜け〜♪
心まで酔わせたい♪酔わせたい♪(^o^)

伊達男。粋。セクシー。色男。...
そんなフレーズが似合う男。
ケンジさんを集めてみました。(^^)v

昔、この時期、仲間と心霊スポットに、肝試しに行ったり、
これをよくやりましたぁ~!

【コント55号】

昭和40年代に、良くも悪くも爆発的人気を誇ったお笑いコンビ。メンバーは「萩本欽一」「坂上二郎」。

昭和41年、浅草松竹演芸場で「萩本欽一」の考案したコント「机」を、上席前座として披露したところ、好評だった事から支配人から「コント55号」と名付けられた。

...

「55号」の由来は、結成2年前に読売ジャイアンツの「王貞治」選手が記録した年間最多本塁打記録にちなみ、また当時流行っていた「GOGOダンス」からも来ているとされている。

コントの筋は、坂上扮する善良な普通の一市民が、萩本扮する異常な人物に振り回されるパターンが多く、所々オーバーな動きがコントに抑揚を付け動きが大きくなり特徴の一つとなった。とりわけ、萩本のツッコミは執拗でかつ想定外のものが多く、これだけでも十分笑いは取れていた。しかし、これに坂上が倍返しともいえるナンセンスなボケで対処し、笑いを増幅させた。

「ビートたけし」は55号の笑いについて、「萩本さんのセンスと坂上さんの芸に尽きる」と分析している。

代表的ギャグは、テレビ番組にもなった萩本の「なんでそうなるの⁉️」、坂上の「飛びます❗️飛びます❗️」。

また、日本テレビの「コント55号❗️裏番組をブッ飛ばせ‼️」(昭和44年4月〜昭和45年1月)は、本当に裏番組(NHK大河ドラマ「天と地と」)の視聴率を追い抜き、「ブッ飛ばした」。

この番組内のコーナー「野球拳」で女性の服を脱がせていく下りが、良くも悪くも一世を風靡し、時代の寵児となった彼らだったが、同時期のドリフターズの「8時だよ❗️全員集合❗️」(「加藤茶」の「チョットだけよ❗️」)と共に、子供に見せたくないハレンチな俗悪番組としてPTA、地婦連、そして主婦の投書などで槍玉に挙げられた事は、当時子供であった我々の世代の記憶には鮮明に残っている(笑)。

昭和50年以降は、メンバーとしての活動を大幅に自粛、本人たちはコンビではなく独立した単体コメディアン同士のユニットと位置付けていた。従って、解散はしていない。しかし平成22年12月、坂上が脳梗塞により首から下が麻痺してしまった事により、萩本が「コント55号は終わった」と発言した。

【萩本欽一】(昭和16年5月7日生〜 満74才)
【坂上二郎】(昭和9年4月16日生〜平成23年3月10日 脳梗塞で死去 享年76才)

1960年代に第一次お演芸ブームがあった。テレビのコンテンツとして、各局は寄席に目をつけた。寄席では漫才や漫談、音曲は落語の前座だったが、テレビ的であり、コント55号やトリオ・ザ・パンチ、ドンキーカルテットなどの寄席とは違うテレビ的スターを産み出すことになる。一方、芸としての落語はテレビ的ではなかったのだが、小円遊、歌丸、圓楽、円鏡、歌奴などの二つ目は水を得た魚のようにテレビの中で飛び跳ねた。牧伸二司会の『大正テレビ寄席』米丸司会の『日曜演芸会』東京ぼん太司会の『お茶の間寄席』が演芸ブームをけん引した。牧伸二や東京ぼん太はこの司会でスターになった。『お茶の間寄席』は15分番組にもかかわらず、圓生、志ん生、文楽などを登場させ、芸を冒とくしていた。10分で、彼らの落語を電波に乗せようとしたのだ。彼らは、二度と番組に出ることはなかったが真打の中で、後の人間国宝、小さんだけは、若手と一緒に、テレビの意向を取り入れていたことを覚えている。テレビを寄席の情宣素材として意識していたのだろう。

【 昭和の懐かしい写真集 】あったあった( ´艸`)

私が子供の頃のクリスマスケーキは、大体がバタークリームケーキで、近所のパン屋さんで買ってました。兄とどちらがサンタさんを食べるかで、喧嘩をしていました。謎のチェリーも懐かしいですね。

「加代‼️おみゃーの言うとおりにゃさせにゃーで‼️」『犬に食わせる飯はあっても、おみゃーに食わせる飯はにゃーだでよ』
幼少の頃、両親が欠かさず見ていたドラマ「細うで繁盛記」🎶ここに出てくる小姑のそれはそれは憎たらしいこと😤幼心に大嫌いでしたが、後の思春期にこの役が冨士 眞奈美という女優さんだと知り、お若い頃の画像を見て、「おお神よ、なんて罰当たりな、こんな美しい方にあんな演技をさせていたなんて‼️」😡と怒りすら覚えたほど、皆様の中にはファンだった方もいらっしゃいますよね😍💕
「バロム・1」。1972年によみうりテレビ系で放映された、東映制作の特撮ヒーローアクションドラマです。原作は、1970年に「週刊ぼくらマガジン」に掲載された、さいとうたかをのマンガです。「バロム・1」とは、白鳥健太郎と木戸猛の2人の少年がお互いの右腕をクロスさせることによって、二人の友情のエネルギーから生み出される正義のエージェントでした。この設定はドラマ版独自のもので、原作とはだいぶ違っていました。敵のドルゲの設定も、ドラマ版と原作ではだいぶ違っていました。2002年から2003年には「バロムワン」のタイトルでアニメ化されましたが、ドラマ版と同様に設定やストーリーが大幅に改変されていました。

『成田紛争』私は当時子供でしたがしっかり覚えてます。

肥え桶。バキュームカー。

久しぶりに「変身忍者嵐」を観ました!全話47作品のDVDなので、まだ全話は観れてないです。まああの当時のSF変身忍者ものなので、今観たらハチャメチャですが、反対に新鮮でした。九ノ一役は若い頃の林寛子(カスミ)さんで超ミニスカで頑張ってました。仮面の忍者 赤影で白影を演じていた牧冬吉さんも出演しています。嵐の変身する時にナレーターが話す文句が一番のお気に入りです。「その刀の鍔に特殊な振動を受けると脳神経が異常活動を始め身体の細胞が配列を替え変身するのだ!」なかなかのハチャメチャです。でも面白い!原作は石ノ森章太郎先生です。

『七色仮面』は、日本のテレビドラマ。変身ヒーローを題材とした特撮作品で、1959年6月3日から1960年6月30日までNET系で放映された。1960年1月7日の第5部から主演が波島進から千葉真一へ交代、タイトルも『新 七色仮面』(しんなないろかめん)と改められた。制作は東映テレビ・プロダクション、スポンサーはカバヤ食品の一社提供。映画や漫画化もされている。『月光仮面』の川内康範が、七つの顔を持つ男・多羅尾伴内をモチーフにして作り上げた。東映初の仮面ヒーローものであり、『月光仮面』と並び黎明期のテレビ番組を代表するヒーローである。映画『月光仮面』を製作した東映が新たな連続テレビ映画の企画を川内に依頼し、自社制作のテレビドラマを再編集映画として公開する『東映特別娯楽版』の一本として、本作は製作された[3]。劇場公開を前提として35mmフィルムで撮影されており、撮影費用は一本500万円という当時のテレビ番組としては破格の金額で製作された。
『海底人8823』(かいていじんはやぶさ)は、1960年に製作された特撮テレビ番組、および劇中の主人公であるヒーローの名称。大映テレビ室製作。1960年1月3日から1960年6月28日まで(近畿地方では6月26日まで)、フジテレビ系で放映された。宮本製菓(現:カンロ)の一社提供。放送時間は毎週日曜日18:15 - 18:45。フジテレビ(関東地方)のみ、第15話「隼太郎と名乗る男」から毎週火曜日18:15 - 18:45に移動したが、近畿地方では放送時間そのままで放送された。海底人8823は遠い昔に彗星ツイフォンの接近により海底に没したエルデ大陸[注釈 5]からやってきたという。本名はエルデ10008823。ただし長い名前なので周りからは簡略してはやぶさと呼ばれる。短時間だけ相手の脳神経に激痛を与えて気絶させる特殊な光線銃が武器。肉眼では確認不可能であり、発射中は特殊な音が鳴る。自らと同じ姿をし8823の2などの名前を持つ機械と呼ばれる分身に偵察を行わせ、自らも背広姿で行動する。任務が終わると波しぶきを残し海底に帰って行く。
『ウルトラQ』1966【五郎とゴロー】
『巨大猿 ゴロー』第2話『五郎とゴロー』に登場。
・身長 : 50m・体重 : 1万t、視聴率 : 33.4% ニールセン調べ(東京地区)
当時、モノクロで、とっても怖かったんです。
『甲状腺ホルモンのバランスが崩れて異常な発育を示すことが我々人間の場合にもあります。そうです、ここは全てのバランスが崩れた恐るべき世界なのです。これから30分、あなたの目はあなたの体を離れてこの不思議な時間の中に入っていくのです。』ナレーション : 石坂 浩二
最初の設定では猿を巨大化させたものは、ホルモン剤の一種の『へリプロン結晶G』として撮影されていましたが、1965年9月にスポンサーが『武田薬品』に決まったことで『薬品ではまずい』ということになり『へリプロン結晶G』は『青葉くるみ』に変更にされて、一部シーンの撮影とアフレコがやり直されたそうです。
また『巨大猿 ゴロー』の着ぐるみは『キングコング対ゴジラ』の『キングコング』が改造されたもので、東宝美術スタッフの手でゴローの顔と尻尾が付けられました。😃
銭湯で飲んだなあ。
フルーツ牛乳こと「明治フルーツ」
1958年(昭和33年)〜2019年(平成31年)
「リンゴ、バレンシアオレンジ、パイナップル、洋ナシ、バナナ、レモンの6種類の果物と乳製品」から出来ていたんだって。
『ウルトラQ』1966【ガラモンの逆襲】
『隕石怪獣 ガラモン』第16話『ガラモンの逆襲』に登場。
・身長 : 40m・体重 : 6万t・出身地 : チルソニア遊星
1966年4月17日放送 監督 : 野長瀬三摩地 視聴率 : 31.2%% ニールセン調べ(東京地区)
当時、モノクロで、とっても怖かったんです。
ガラモンの名称は、『ガラダマモンスター』を略したものでした。
なお、この話で壊した東京タワーの高さ(333m。展望台までなら150m)とガラモンとの身長 (40m) が吊り合っていませんが、気にしたらウルトラQを語れません。😊
『平和な大宇宙の静寂を破って飛ぶ巨大な隕石群。人々はそれをガラダマと呼んで恐れていた。ロボット怪獣ガラモンを積んだガラダマが青い地球に向かって飛んでいるのです。』ナレーション : 石坂 浩二

 

『1/8計画』1966 ウルトラQ
『1/8人間』第17話『1/8計画』に登場。
・身長 : 人間の1/8・体重 : 人間の1/8・出身地 : S13地区。
1966年4月24日放送 監督 : 円谷一 視聴率 : 31.7%% ニールセン調べ(東京地区)
当時、モノクロで、とっても怖かったんです。
人口増加の為に政府が推し進める延命政策の一環として、食料や衣服が全て安く済む、8分の1サイズに縮小された人たちの物語。
1/8サイズに縮小後、徹底的な管理下の元、S13地区と呼ばれる1/8サイズで作られた街に居住させられます。
でも、ラストで、これは気を失った由利子が見ていた夢であったことが判明。テレビの前で安堵したこと思い出します。😀
ちなみに今回は小さくなった由利ちゃんこと『桜井浩子』さんは、後番組のウルトラマンでは、なんと巨大化!。巨大フジ隊員としてビルを破壊したりするのでした。😀
『地球上のどこにでも存在するなんの変哲もない街。だが世界第一の人口密度をもつこの街では、今深刻な戦いが始まろうとしているのです。これから30分。あなたの目はあなたの体を離れてこの不思議な時間の中に入っていくのです。』ナレーション : 石坂 浩二
『1/8計画』は、元企画『UNBALANCE』の『空想都市』がベースとなったお話で『ウルトラQ』の怪獣路線が決定した時点で、製作が見送られてもおかしくなかったんですが、プロデューサーが『S13地区に現れる2人 (万城目と一平) を怪獣に見立てることも可能』という見解を示したために、製作が可能になったそうです。😀
"アイム・セクシー"
     (Da  Ya  Think  I'm  Sexy?)
by   ロッド・スチュワート
ベースのフレーズがカッコいい🎶🥰

1970年代の向島の花街。向島といえば玉の井や鳩の街などの私娼窟・赤線が有名だが、その近くには芸者の花街もありました。良い雰囲気ですね。

ビリー・ジョエル
あの娘にアタック
https://youtu.be/JyqFkGmygBE
聴いてた当時は気づかなかったけど、これもキャンハリビートですね。
まさかビリー・ジョエルまでとは思ってませんでした。マンイーターと同じ年の作品、全米1位に輝きました。
ベースラインを追ってみると、パート毎でベースのリズムが変わります。Bメロとサビは「キャンハリビート」ですね。

 

“ストレンジャー"
    by  ビリー・ジョエル
哀しげなピアノのイントロは鳥肌が立ちます。🎶🎶🥰
1960年高校1年生の吉永小百合さん
3月に中学を卒業して高校入学と同時に日活に入社して半年後、「ガラスの中の少女」で初めて主役に大抜擢。この初主演映画が大ヒットして、女優人生がスタートしました。身長157cm愛称はラビット
パン子(パンが好きだから)写真は雑誌月刊平凡12月号より。

吉永小百合さんのファーストキスは、15才の時、映画「天使が俺を追い駆ける」の中で三木のり平さんと、、。ファーストキスの撮影後、悲しくなり大号泣して辞めたくなったそうです。「ほのぼの昭和館とDIY日記」より引用。

月光仮面(げっこうかめん)は、KRテレビ(現・TBSテレビ)と宣弘社が制作し、『タケダアワー』第1作として1958年2月24日から1959年7月5日まで放送されたテレビ冒険活劇番組。日本のヒーロー番組の元祖でもある。時代劇と探偵活劇の要素を組み合わせた作風は、その後のヒーロー番組に多大な影響を与えている。漫画化された後に実写映画化されている。その後、1972年にテレビアニメ化、1981年に実写映画化、1999年にはキャラクターを転用したテレビギャグアニメ化もされた。
長年にわたって「日本初のフィルム収録によるテレビ映画」と言われていたが、本作以前の1957年に放送を開始していた『ぽんぽこ物語』のフィルムが2019年に発見され、現在はそちらが日本初とされている。
今ではすっかり死語となった「ドカベン」❤
正確には「土方弁当」ですが、この「土方」というのが今では放送コードに引っかかるそうで。それでも、見るたび「The・体育会系!!」って感じで食をそそりますよね~♬
50年前の本日1973年(昭和48年)2月25日、日本テレビ系列にて「おこれ!男だ」放映開始。前年の「おれは男だ!」に続く松竹制作青春ドラマ。
当時の青春スター2トップ、森田健作と石橋正次のW主演。主題歌は森田の唄う「青春に悔いはないか」。これから12年後の昭和60年、森田自身のセルフカバーで復刻発売される。
石橋はこの日19時からの「アイアンキング」でも主演を努めている。
世間的には前作「おれは男だ!」に比べるとマイナー扱いだが、幼稚園児の当時の私、毎週見ていた記憶があります😅
昭和30年代に大活躍した軽3輪トラック✨
ダイハツミゼットとマツダK360。懐かしいです。
フロントバンパーはほぼ飾りの役割でしかありませんね。
有難や有難や 有難や有難や
金がなければ くよくよします
女に振られりゃ 泣きまする
腹が減ったら おまんま食べて
命尽きれば あの世行き
有難や有難や 有難や有難や