Apex product 【 昭和の楽しい時代 57 】

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昭和を代表する日本映画🎬『男はつらいよ』の舞台となった、京成電鉄金町線『柴又駅』
寅さんファンの聖地です。
生まれた年が1960年代の後半くらいまでの方々には強烈に懐かしい、1973年に”サミー・デイビスJr. ”が出演したサントリー・ホワイト・ウイスキーのテレビCM。国際的な広告賞でグランプリを獲得したことは有名です。
1973年に放映された、サントリー・ホワイト・ウイスキーのテレビCM。アメリカのエンターテイナー”サミー・デイビス・ジュニア(Sammy Davis Jr.)”がノリの良いリズムを口ずさみながら、最後にはコミカルな決めゼリフ。
サミー・デイビスJr.の愛嬌のある風貌も人気の要因だったでしょう。このテレビコマーシャルは大きな話題を呼び、子どもたちはこぞってリズムと決めセリフの真似をしていました。
この日本で人気が爆発したCM動画は、サミー・デイビスJr.の公式YouTubeに投稿されています。
九月の冗談クラブバンド(1982)
監督:長崎俊一
出演:内藤剛志、伊藤幸子、室田日出男、古尾谷雅人、諏訪太郎、山野上智子、樋口達ほか
暴走族映画。
ぼくはあまり好きくない。
主演の内藤剛志が暴走族の伝説的なヘッドなんだけど、どうみても暴走族っぽくない。不良とも思えない。
不良は若い頃はネクタイなんかしちゃダメ!
なんか違うんだよなぁ。
仲間死んでバイクに乗らなくなって集会にも来なくなった内藤剛志演じるリョウ。
仲間も敵対する暴走族のヘッド(古尾谷雅人)も仲間の死後1年経つ頃には戻って来るだろうと思っている。
それとリョウの彼女が族を抜けて会社勤めを始めた。
それと共にその会社の上司(室田日出男)の女になってしまう。
この上司は昼間は普通のサラリーマンだが夜は密かに暴走族狩りをしていた。
リョウの敵対する族やリョウの仲間たちが襲われ始めた時、リョウは。。。
非常にお話が作り物っぽくてぼくは受け付けなかったです。
70年代から80年代中ごろまでは暴走族映画が結構作られましたが、その中でも偽物っぽさが感じられて仕方なかったですね。
これを見るならまだ本物の岩城滉一の映画の方がマシかも。
でも音楽だけはすっごく良い!!
宇崎竜童だ!!
P.S.
スチールは伝説のストリート写真家、倉田精二だ!
昭和33年12月23日
【東京タワー完成記念日】
当時18歳で上京して港区の東京タワーの近くに下宿する。
 
建設中の東京タワーを間近に見て過ごした日々…
「ALWAYS 3丁目の夕日」
そのものの情景でした!
東京タワーのように、、
大きな人間になろうと、青雲の志を抱いた多感な青春時代!
東京タワーは青春時代のシンボル!1ページでした!
(60余年を経て…回想)
1964年東京オリンピック
(1964ねんとうきょうオリンピック)は、1964年(昭和39年)10月10日(後のスポーツの日)から10月24日までの15日間、日本国 東京都で開かれた第18回オリンピック競技大会[1]。一般的に東京オリンピックと呼称され、東京五輪(とうきょうごりん)と略称される。大会後には同一都市では初となるパラリンピックも開催(第13回国際ストーク・マンデビル競技大会として開催)された。
1940年東京オリンピックの開催権を返上したため、日本およびアジア地域で初めて開催されたオリンピックで、標準時子午線で開催される夏季オリンピックは、1956年メルボルン大会以来8年ぶり2回目となった。また、「有色人種国家における史上初のオリンピック」である。
さらには、1952年のヘルシンキ(フィンランド)、1960年のローマ(イタリア)に続いて第二次世界大戦の旧枢軸国の首都で開催されたオリンピックである。
星空のマリオネット(1978)
監督:橋浦方人
出演:三浦洋一、亜湖、武井一仁、牟田悌三、馬渕晴子、山科ゆり、野呂圭介、絵沢萠子、江角英明ほか
これも暴走族映画。
これは大好きです。
主演の暴走族のヘッドの三浦洋一も良いし、何と言ってもその三浦洋一に恋してる弟分の武井一仁が良い!
この武井さんは今はもう役者辞めちゃってるみたいだけど、ダンススクールの講師をしてるらしいです。
やはりね70年代の不良映画と80年代の不良映画では不良が違うんだよなぁ。
70年代の不良な若者は親の世代が戦争行ってて、戦後急に手のひら返したような人間になってしまったのを肌で感じてる。
そういう親の世代である大人たち、社会への反抗が色濃い。
80年代はそういうのが無くぽっかり穴の開いた世代で何不自由ない事をへのいら立ちが感じられます。
で、この映画は主人公と父親との確執が裏テーマ。
なにもかも親父のせいにしたい主人公。
だけど憎み切れないロクデナシ、というかね親父に自分の妊娠した女をあてがっちゃって、その親父も生まれてくる子供を育てちゃうし、女も面倒見るなんて息巻いてる。
敵対する族に瀕死の重傷を負わされた主人公は退院後に今までの仲間からもつま弾き。
何もかもイヤになった主人公。
ラストに対向車線を走ってくる巨大ダンプにバイクで猛スピードで突っ込んでいく姿はやはり特攻隊を想起させます。
三浦洋一は凄く良い俳優なのにこの人も早くに亡くなってしまって残念。
それとこの人は「つか劇団」なのに、風間杜夫と平田満に人気さらわれちゃった感があります。
なにわともあれ、邦画の暗いところが凝縮された映画でして大好きなんです。
だれにでもおススメできる映画ではありませんが、興味がる方はどうぞご覧になってくださいm(__)m
「ビッグコミックオリジナル」に1973年から長期連載している、ジョージ秋山作の漫画の実写ドラマ化
幕末時代の江戸・東海道の宿場町『品川宿』で問屋を営む「夢屋」の主人・雲(くも)は妻・かめ、11歳の長男・新之助(しんのすけ)、8歳の長女・お花(おはな)の4人暮らし。
雲は仕事そっちのけでいつも遊んでばかりで、無類の酒好き女好きである。動乱の世ではあるが、ささやかな庶民の家族や人間模様をコミカルかつシリアスに描いた作品。
【キャスト】
雲:渡哲也
かめ:桃井かおり
伊藤洋一 柴俊夫 佐藤蛾次郎 小鹿番 山本麟一 苅谷俊介 志賀勝 片岡五郎 岩尾正隆 高月忠 壇喧太
下之坊正道 佐藤博 岡田可愛 谷啓 笠智衆
なかにし礼さん
(1938年9月2日-2020年12月23日)
小説家、作詞家。
満洲国の牡丹江省牡丹江市(現在の中華人民共和国黒竜江省)に生誕。
終戦後、
満洲からの引き揚げでは家族とともに何度も命の危険に遭遇、
この体験は以後の活動に大きな影響を与えました。
実兄・正一は立大から学徒出陣として陸軍に入隊し、
特別操縦見習士官として特攻隊に配属されるも終戦となり、
8歳の時に小樽に戻りますが、
兄の事業の失敗などで小学校時代は東京と青森(青森市立古川小学校)で育ち、
中学から東京品川区大井町に落ち着きます。
青森市在住時には
入会していた読売ジャイアンツのファンクラブの誘いで
青森市営野球場での試合のバットボーイを担当。
東京都立九段高等学校卒業後、
シャンソン喫茶でアルバイトをし半年ほどアテネフランセに通い、
シャンソンの訳詩を手掛け、
大学の入学資金も稼ぎ、
大学在学中にヒットメーカーに。
一浪して1958年に立教大学文学部英文科に入学。
中退と再入学と転科を経て、
1965年に立教大学文学部仏文科を卒業(立教仏文の第1期生)。
大学在学中、1963年に最初の妻と結婚。
一女をもうけ、1966年に別居、1968年に離婚。
元タカラジェンヌで、
シャンソン歌手の深緑夏代に依頼されたことがきっかけで始めたシャンソンの訳詞を手がけていた頃、
妻との新婚旅行中に静岡県下田市のホテルのバーで
『太平洋ひとりぼっち』(映画1963年公開)を撮影中の石原裕次郎と偶然出会い知遇を得ます。
石原に
「シャンソンの訳なんてやっていないで、日本語の歌詞を書きなさいよ」と勧められ、
約1年後に作詞作曲した作品(後の「涙と雨にぬれて」)を自ら石原プロに持ち込み、
それから数ヶ月後、
石原プロがプロデュースした「涙と雨にぬれて」がヒット。
1969年には、
作品の総売上が1,000万枚を超え、
コンサートや舞台演出、映画出演、歌、作曲、翻訳、小説・随筆の執筆や
文化放送『セイ!ヤング』パーソナリティ、
NHK『N響アワー』レギュラーなども務めます。
1971年、
週刊ポスト(7月9日号)に俳優や歌手などの乱れた関係を暴露する「芸能人相愛図」を掲載するも、
後に、
週刊ポストの記者から強要されて書かされたものだとして告訴。
記者2人が逮捕される事件へ発展するも、後に和解。
1974年9月には、
兄・正一と共に重役を務めていた芸能事務所、
アド・プロモーションと風吹ジュンの契約問題でトラブルが発生し、
風吹から刑事告訴。
若い頃から何度も繰り返した心臓疾患や離婚に加え、
1970年代後半には、
特攻隊の生き残りで戦後はニシン漁に投資して全財産を失うなど、
破滅的な人生を送った兄・正一の膨大な借金を肩代わりして返済に苦しむ困難を抱えたことも。
1998年にはその兄の人生を描いた小説『兄弟』で第119回直木賞候補となり、
2000年に『長崎ぶらぶら節』で第122回直木賞を受賞。
NHK連続テレビ小説『てるてる家族』の原作となった『てるてる坊主の照子さん』を始め
『赤い月』『夜盗』『さくら伝説』『戦場のニーナ』『世界は俺が回してる』『夜の歌』などを執筆。
1990年代後半から、
テレビ朝日系列で放送されているワイドショー『ワイド!スクランブル』のコメンテーターを務めていましたが、
2012年3月5日の放送で食道癌であることを報告。
治療のため休業することを明らかに。
闘病の結果がんを克服、同年10月に復帰。
執筆、コメンテーター等の仕事も再開し、
『ワイド!スクランブル』には2014年3月31日まで出演。
2015年3月、
自身のラジオ番組『なかにし礼「明日への風」』で癌を再発し、
休養することを明らかに。
その後、同番組を休止することが発表。
2015年6月、
単行本「生きるということ」刊行。
2015年6月、『サンデー毎日』で小説「夜の歌」連載開始。
2016年4月、
植え込み型除細動器(ICD)と心臓ペースメーカーを体内に植え込む手術を受け、
2016年12月、
サンデー毎日に連載していた「夜の歌」が単行本化され発刊。
2016年、BS日テレの報道番組「深層NEWS」に毎月1回のペースでほぼ定期的に出演。
2017年10月、『サンデー毎日』でエッセイ「夢よりもなお狂おしく」連載開始。
2018年10~12月、読売新聞連載記事「時代の証言者」(「言葉を紡いで」なかにし礼)。
2020年秋に持病の心臓病が悪化し療養していましたが、
同年12月23日午前4時23分に心筋梗塞のため東京都内の病院で死去。
82歳没。
(なかにし礼)

1986・87年に放送された『メリークリスマスショー』😍 桑田佳祐&ユーミン&明石家さんま等々…超豪華なメンバーでした🎤🎶😍

🎅Xmas🎄と言う事で✨マライヤキャリー✨⭐恋人たちのクリスマス⭐

お金持ちの家の子のクリスマス・プレゼントでした。

奥村公延さん
(1930年3月31日-2009年12月24日)
俳優。
身長176cm。
秋田県出身。
専修大学卒業。
もともとは普通に勤め人をしていて、
1955年、
銀座にたまたま行きつけの飲み屋があり、
ここの女性従業員が新劇劇団「近代劇場」のプロデューサーと知り合いだったことから、
このプロデューサーからテレビ番組の『ダイヤル110番』(日本テレビ)での役探しを頼まれ、
奥村を紹介したところ、これが俳優デビューに。
早速この劇団のプロデューサーに入団を申し込むも、
「とにかく食っていけませんよ」と念押しされ、
独身だったので構わず入団しましたが、
入ってみるとこの劇団は難しい芝居ばかりで、
もっと大衆的なものを演りたかったことから2〜3カ月で辞めることに。
「近代劇場」退団後、
いくつかの劇団を転々としましたが、
「最初に言われた通り、本当に食っていけなかった」といいます。
その後、
さまざまな劇団から呼ばれたり、
事務所にかけもち所属してテレビに出たりという生活を続け、
河津清三郎らが所属していた「第一協団」に入ったこともありましたが、
「無名の役者を売るのは疲れる」と言われ、
1年でクビになったことも。
この年、『ゴジラの逆襲』(東宝)に群衆役で出演。
ゴジラから逃げ惑う役をもらい、
うれしくて親戚に電話をしましたが、
劇場で観たところ、
怪獣ゴジラとの対比で人間が小さすぎて、
自分でもどこに写っているのかわからなかったといいます。
創生期のTBSのドラマに数多く関わり、
飯島敏宏監督のもと、
1961年の『月曜日の男』に多数ゲスト出演。
TBSでは『ウルトラQ』や『ウルトラマン』など、
ウルトラシリーズ(円谷プロ)にも出演。
達者な動きから、
1967年の『ジャイアントロボ』(NET・東映)では、
被り物をつけて宇宙怪物「吸血鬼ドラキュラン」を演じました。
1971年の『仮面ライダー』(毎日放送・東映)では、
ゲスト出演作である第10話「よみがえるコブラ男」が
ちょうど主演の藤岡弘が撮影現場で事故で重傷を負った回に当たり、
このときちょうど奥村はロケバスで待機中でしたが、
事故の一報を聞いて現場に駆け付け、
「救急車!」と叫んで駆け回ったといいます。
1984年、『お葬式』では、
最初に監督の伊丹十三から脚本を一読させられたあとに「何の役だと思います?」と聞かれ、
伊丹から「死体の役ですよ」と言われた時はびっくりし、
この死体役を演じるために練習を重ね、
数分間息を止められるようになり、
結果的にこの努力が高く評価されて「日本一の死体役」と絶賛され、
「この役をやってから、
やっと食えるだけのギャラがもらえるようになった」との事。
2001年の『BROTHER』では、
初めてヤクザの親分を演じました。
2002年、
NHK総合テレビの『スタジオパークからこんにちは』に出演。
特技のドラム演奏を披露したり、
浴衣で踊る姿が反響を呼び、
この年から全国各地の福祉施設の依頼を受けて公演に回りました。
アクの強くないタイプで、
小市民役を得意としていました(マンションの管理人役などは非常に多数)。
大滝秀治とは将棋仲間でした。
2003年の『爆竜戦隊アバレンジャー』(テレビ朝日・東映)に、
杉下竜之介役で出演。
同作の映画版『爆竜戦隊アバレンジャー DELUXE アバレサマーはキンキン中!』では、
ビキニ姿にされるシーンが。
2009年12月24日午前3時27分、
東京都武蔵野市の病院で呼吸器不全のため死去。
79歳没。
(奥村公延)
三船敏郎さん
(1920年4月1日-1997年12月24日)
俳優・映画監督・映画プロデューサー。
身長175cm。
第二次世界大戦後の日本映画を代表する俳優のひとりで、
黒澤明監督作品への出演で知られます。
国際的にも知名度が高く、
1960年代以降は日本国外の映画にも出演。
1961年と1965年にはヴェネツィア国際映画祭で男優賞を受賞。
[家族]
⚪︎妻・吉峰幸子
昭和21年東宝ニューフェイス第1期として吉峰幸子の本名でデビューした女優
⚪︎長男・三船史郎
俳優、三船プロダクション社長
⚪︎孫・三船力也
三船プロダクション所属の俳優
⚪︎次男・三船武志
(三船敏郎)
作るの楽しかった😆正月大会が町であった。
懐かしいプレーン飛行機‼️
白い恋人たち 1968年フランス
          クロード・ルルーシュ監督
       フランソワ・レシャンバック監督
1968年、フランス・グルノーブルで行われた第10回冬季オリンピック大会を美しい音楽と鮮やかな映像で仕上げたドキュメント作品。
日本国内で酷評され映画界から一時期干された市川崑監督の『東京オリンピック』に影響を受けたルルーシュ監督。音楽担当は名匠フランシス・レイでメインテーマ曲は名曲ですね。
https://youtu.be/FgwD7JyNJF8?si=Hqqrkv4QT5rTWkYO  メインテーマ曲
開会式に始まり、ランダムに映し出される人々。即興的な映像、脈絡のない映像が繰り出される。開会式のリハーサル中、バラバラの演技者達に怒り指導員の女性がマイクで演説を始めるシーンや、夜の選手村での華麗なパーティ・シーン等、演技の合間の場面にもカメラは回る。ただ、町中でベトナム戦争の新聞記事を読む人の描写は意図的だと思う。
滑降、回転のアルペン種目を追った豪快な撮影は、後に007シリーズのスキーアクション・シーンを撮影したり、スタントやコーディネーターになるドイツ人のウィリー・ボグナーの存在が大きい。まだV字飛行が無い時代のスキージャンプ、スピードスケート、ノルディック、屋外場でのフィギュア・スケート、ソ連vsポーランドのアイス・ホッケーの迫力のバトルなど素晴らしい。そして、4年後の冬季オリンピックは札幌オリンピックでしたね。
https://youtu.be/O4aSFejaetQ?si=vadZqRPmBfcLXoTu   予告編

ウルトラセブン1967年~68年迄、友里アンヌ隊員役の❤ひし美ゆり子・さん❤

🎄クリスマスミサへ🎄
そう、今日は主イエスキリストの生誕祭。
「おめでとうございます」の
挨拶で迎えられます。
こちらの教会は、
神田正輝さんと松田聖子さんが
結婚式を挙げられた場所としても有名です。
そして今日は生誕祭なのに、懺悔の日。
今年一年を振り返ります。
讃美歌が心に沁みます😭
撮影日 2023.12.24 — 場所: カトリック碑文谷教会(サレジオ教会)
こんな時代もあったんだなあ。
遠くなる昭和。
猪木さんが昔タバスコの日本での販売権を持っていると聞いたことがある。(アントントレーディング)
六本木にアントンリブという店もあったなあ。
しかし、幸せそうな一枚。
娘さんはどうしているんだろう。😌
遊郭、吉原
戦後まであったんですよね。
今日はクリスマス🎄🎅🎁✨
皆さんに、たくさんのハッピーが訪れますように🎅⛄️🎄✨
おはようございます!
クリスマスですね
植木等さん
(1926年12月25日-2007年3月27日)
俳優、コメディアン、歌手、ギタリスト、タレント。
身長165cm。
「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバー。
仲間内での愛称は「ボンさん」「植木屋」「植木やん」。
長男は作曲家の比呂公一。
妹の夫に部落問題研究者の川村善二郎。
御木本幸吉は、父方の祖母の親類。
(植木等)
植木 等さん
1926年12月25日生まれ。
2007年3月27日没、享年80。
愛知県 名古屋市出生
三重県出身
俳優、コメディアン、歌手、ギタリスト、タレント。「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバー。
舞台『シカゴ』
昭和58年
シアターアプル公演 
出演
植木等
上月晃 
草笛光子 
小野ヤスシ 
笹野高史 
諏訪マリー
岡本敦郎さん
(1924年12月25日-2012年12月28日)
小樽市出身の歌手。
武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)声楽科卒業。
1946年にラジオ歌謡のホームソング「朝はどこから」でデビュー。
抜群の伸びのある美声と正統派の歌唱で、
戦後の歌謡界で活躍。
1949年の「街の艶歌師」の小ヒットを皮切りに流行歌のヒットが増加。
そして、
「白い花の咲く頃」の大ヒットや「チャペルの鐘」「あこがれの郵便馬車」などのヒットを経て、
1954年にリリースした「高原列車は行く」は
爆発的ヒットとなり現在までの岡本敦郎の代表曲に。
その後も
「ピレニエの山の男」「自転車旅行」「若人スキーヤー」などさまざまなヒットを飛ばし、
多くのラジオ歌謡を吹き込んだことから、
ミスターラジオ歌謡の異名を持ちます。
NHK紅白歌合戦に7回出場。
舟木一夫の大ヒット曲「高校三年生」は岡本の吹き込みを想定して作られたもの。
また、歌手活動の傍ら音楽教師としても活躍。
1980年から84年には
日本歌手協会の理事長を務めました。
1995年には戦後50年及び自身のコロムビア専属50年を記念し、
同じく専属50年の並木路子・池真理子と共に新曲を発売し、
日比谷公会堂でジョイントコンサートを行いました。
80歳を超えても「思い出のメロディー」(NHK)やテレビ東京の懐メロ番組へ出演。
2007年9月18日に脳梗塞のため入院するも早期発見が幸いして投薬治療で回復。
翌2008年1月21日放送の「ラジオ深夜便」で仕事復帰。
2010年頃からは心臓の不調もあり仕事から遠ざかっていましたが、
2012年8月10日放映の「懐かしの昭和メロディ」(テレビ東京)へ出演。
約2年半ぶりのテレビ出演となりましたが、
これが生涯最後の仕事に。
2008年、
第50回日本レコード大賞で功労賞を受賞。
2012年12月28日、
脳梗塞のため東京都内の病院で死去。
88歳没。
(岡本敦郎)
夏八木勲 さん
(1939年12月25日-2013年5月11日)
俳優・声優・歌手。
身長176cm。
愛称はなっちゃん・パパ。
東京府東京市足立区千住(現・東京都足立区千住)出身。
東京都立墨田工業高等学校卒業後、
1年間の浪人生活を経て慶應義塾大学文学部仏文科中退。
1963年に劇団俳優座の養成所へ入所。
同期には俳優座花の15期生と呼ばれるメンバーが。
特技は乗馬・合気道・空手。
1966年にデビューし、
鍛え上げた身体で野性味あふれる男らしい演技や、
晩年は円熟味と重厚さが加わり、
生涯300本以上の映画・テレビドラマに出演。
(夏八木勲)
1972年昭和47年第23回NHK紅白歌合戦。
初出場は天地真理・朱里エイコ・欧陽菲菲・野口五郎・上条恒彦・青い三角定規・石橋正次・沢田研二。大トリを務めた美空ひばりは、実弟のかとう哲也が暴力団に関わっていたことで逮捕されたことがもとで視聴者アンケート支持が低下してゆき、翌年は落選、正規の歌手としては、この回が最後の出演となった。紅組白組46組の歌手がステージを飾り、紅組司会は佐良直美、白組司会は宮田輝、優勝は紅組。
テレビ東京で深夜に放送していた銀と金。
福本さんの原作漫画を実写化した作品。それにしてもリリー・フランキーさんはどんな役を演じさせても上手い。
SADA(1998)
監督:大林宣彦
出演:黒木瞳、片岡鶴太郎、椎名桔平、嶋田久作、ベンガル、石橋蓮司、赤座美代子、根岸季衣、池内万作、坂上二郎、井川比佐志、三木のり平、小林桂樹、入江若葉、田口トモロヲ、林泰文、河原さぶ、竹内力、天宮良、渡辺哲、伊藤歩、左時枝、山本未來、宝生舞、藤谷美紀ほか
大林宣彦監督版「阿部定」映画です。
他の「阿部定」映画との違いは定の幼少時から描いてるとこですかね。
それと、戯作という体をなしてます。
なので、近年では公開時とタイトルが変わり「SADA〜戯作・阿部定の生涯」となってますね。
阿部定には何故か縁があって、昭和39年から43年にかけて、ぼくの両親は阿部定が勤めてた浅草は竜泉の小料理屋の2階に住んでたんです。ぼくが生まれた43年に竜泉から千束に引っ越してしまいましたが。。。
阿部定はその後45年まではその小料理屋にいたそうです。
それと阿部定が犯行に及んだ町屋の待ち合いはおふくろの実家の墓のある寺の近くでもありました。
阿部定事件自体はもう超有名なので割愛しますけど、他の「阿部定」映画と見比べるのも面白いかもしれないですね。
ただ、今作は大林調が色濃く出てるので、評価は分かれるかもしれません。
でもこういった「阿部定」映画を見る度に思うのは大島渚の性と行為に特化した「愛のコリーダ」の凝縮された男女間を描いたのが神がかり的に思えてくるのです〜。
主演の黒木さんは頑張ってますが、淫婦って感じがしないのは残念ですね。
阿部定がマニアの方は見ないではおれませぬよ!
P.S.
阿部サダバダバとかいう曲(だったかな?)がすんごく良いです!
【あんたがたどこさ】
女の子の遊びですね
グリーン・インフェルノ
2015年公開のホラー映画。
学生たちは、ジャングル部族を自然破壊から救うため現地へ飛行機で向かう途中に飛行機が墜落。必死に助けを求めるが生存者たちの前に現れたのは、人間を喰らう食人族だった。
生きたまま生でも喰うけど調理もする。
いゃーグロぉ〜い。
謎な終わり方だったけど面白かった。
#グリーンインフェルノ

今でも武豊は、スーパースター

児玉清さん
(1933年12月26日-2011年5月16日)
俳優、タレント、テレビ司会者、作家。
身長178cm。
元児玉清事務所代表取締役。
事務用品の販売・卸会社の株式会社チカダ元専務取締役。
妻は元女優の北川町子。
長男は元タレントで児玉清事務所代表取締役兼事務用品の販売・卸会社の株式会社チカダ代表取締役社長の北川大祐。
東京市滝野川区出身。
学習院大学文学部ドイツ文学科卒業。
(児玉清)
千石規子さん
(1922年4月29日-2012年12月27日)
女優。 
身長150cm。
死去するまで東宝芸能に所属。
東京府荏原郡駒沢村(現東京都世田谷区駒沢)出身。
駒沢小学校卒業。
9人きょうだいの第5子として誕生。
小学校卒業後、
1936年にムーランルージュ(水谷八重子一座)へ入団。
1942年、芸術座へ移籍、
その後、
音楽座、新協劇団といくつかの劇団を経て、
1947年に東宝へ入社。
同年、森繁久彌とともに『女優』でデビュー。
1941年に結婚。
戦時中には
広島原爆で全滅した移動劇団桜隊に所属していましたが、
出産で広島にいなかったため、被爆を免れました。
1954年頃から数年間東映に移籍していましたが、
再び東宝へ戻りました。
黒澤明の監督映画は7作に出演しており、
『野良犬』ではリメイク版(1973年)にも出演。
名脇役として高く評価されており、
意地悪な女将さん役を得意としていました。
テレビドラマでは老け役もこなしました。
生涯芸能活動を続け、
晩年には『踊る!さんま御殿!!』にも出演。
2012年12月27日、
老衰のために東京都内の病院にて永眠。
90歳没。
(仙石規子)
役所広司さん
(1955年12月27日- )
俳優・ナレーター・声優。
身長179cm。
長崎県諫早市で誕生。
長崎県立大村工業高等学校卒業後、
上京して千代田区役所土木工事課に勤務。
友人に連れられて観劇した仲代達矢主演の舞台公演『どん底』に感銘を受け俳優への道を志します。
200倍もの難関である仲代が主宰する俳優養成所無名塾の試験に合格。
芸名は前職が役所勤めだったことに加え、
役どころが広くなることを祈念して仲代が命名。
当初は所属する無名塾の舞台公演に出演。
1980年のNHK連続テレビ小説『なっちゃんの写真館』でテレビデビュー。
主に時代劇で評価を得ていました。
1983年のNHK大河ドラマ『徳川家康』の織田信長役で注目を集め、
1984年のNHK新大型時代劇『宮本武蔵』の主人公武蔵役で初めて主演に抜擢。
民放の時代劇作品では、『三匹が斬る!』シリーズなどが代表作。
1985年には出身地の諫早を舞台としたテレビドラマ『親戚たち』に主演。
その後は時代劇以外にも活動の場を広げます。
映画では、
伊丹十三監督作品の『タンポポ』などに出演。
1988年の日本・スイス合作映画『アナザー・ウェイ ―D機関情報―』(西村京太郎の小説『D機関情報』の映画化作品。山下耕作監督作品)の主人公・関谷海軍中佐役で映画初主演。
『オーロラの下で』で初めて日本アカデミー賞の優秀主演男優賞を獲得。
1995年、
『KAMIKAZE TAXI』で毎日映画コンクール主演男優賞を受賞。
1996年公開の主演映画『Shall we ダンス?』で
社交ダンスに魅了される平均的なサラリーマンを演じ、作品は大ヒットを記録。
さらに、
同年の『シャブ極道』(細野辰興監督作品)、
『眠る男』(小栗康平監督作品)における演技も絶賛され、
その年度の主演男優賞を総ざらい。
さらに、
1997年の『失楽園』では不倫相手と許されざる愛の末に心中するサラリーマンを演じ、
こちらもその年の邦画としては大ヒットを記録。
また、
同年の今村昌平監督作の『うなぎ』がカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した上に、
自身も黒沢清監督作の『CURE』で東京国際映画祭の男優賞を受賞し、
2年連続で20以上の国内映画賞も獲得。
2000年以降も青山真治監督作の『EUREKA』が
カンヌ国際映画祭で国際批評家連盟賞とエキュメニカル審査員賞を受賞するなど、
出演作が国内外の映画祭で受賞を重ね、
自身も1996年から7年連続で日本アカデミー賞の優秀主演男優賞を受賞するなど、
毎年の映画祭でその名前を挙げられないことはないほど名実共に、
日本を代表する映画俳優の一人に。
2005年には
アジアを代表する俳優、ハリウッドを牽引するスタッフが集結したことで話題を呼んだ『SAYURI』でハリウッドデビューを果たし、
作品は同年のアカデミー賞で3部門を受賞。
また、
翌年のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督作『バベル』では
ブラッド・ピットと共演し、
同作品はカンヌ国際映画祭におけるイニャリトゥの監督賞受賞に加え、
ゴールデングローブ賞 作品賞(ドラマ部門)受賞、
さらには第79回アカデミー賞で作品賞を含む7部門にもノミネートされ、
自身も出演者の一人として
映画レースにおけるキャスト賞といった出演者全員に送られる賞に名を連ねました。
また、
2023年のヴィム・ヴェンダース監督による日独合作映画『PERFECT DAYS』では
主演に加えて製作総指揮も務め、
第76回カンヌ国際映画祭で柳楽優弥以来19年振りとなる男優賞を受賞。
(役所広司)
昭和のアクションスターと言えば
千葉真一さんですね〜
銀幕では、人気漫画作品の実写版
🎦空手バカ一代
🎦ゴルゴ13
🎦ドーベルマン刑事
の主演、めちゃくちゃかっこよかったなぁ〜😄

食べたことがありますか?

懐かしい…大好きな、アメリカTV番組でした✌ 【バイオ二ックジェミー】&【600万ドルの男】

45年前の本日、1978年(昭和53年)
12月28日の悲報。
田宮二郎は既に主演ドラマ「白い巨塔」の撮影を終えており、翌年1月6日に最終回が放映される。
上原げんとさん
(1914年12月28日-1965年8月13日)
昭和期の日本の作曲家。
弟も同じく作曲家の上原賢六。
青森県西津軽郡木造町出身。
実家は蓄音機店。
1936年(昭和11年)から、
演歌師などをしながら全国放浪。
1938年(昭和14年)2月、
歌手の岡晴夫と組み、「国境の春」でキングレコードからデビュー。
その後も、
岡晴夫の黄金期を支える作曲家として数々の曲を作曲。
戦後はコロムビアレコードに移籍し、
美空ひばり、初代コロムビア・ローズ、島倉千代子などに曲を提供。
作詞家・石本美由起もコロムビアレコードに移籍させコンビを組みます。
1965年(昭和40年)8月13日、
避暑地に向かう車中で心筋梗塞を発症し急死。
50歳没。
(上原げんと)