【 お薦め映画 ④】Apex product

Apex Product  fashion 事業部担当 SATO(40代) 私は、子供の頃から映画好きで小遣いが貯まると近所の映画館に通ってました。娯楽も少ない時代です。映画を見ると心が騒ぎました。見た後は主人公になった気分で映画館を出ます。任侠映画でしたら、なんとなくやさぐれてみたり、人情映画でしたら、人に優しくしてみたり、どっぷり映画につかる、おばかな子供でした。働き始め社会にもまれ、打ちのめされた時に映画に助けられました。自分を人生の主役と考えどうプロデュースしていくか。精一杯生きるにはどう共演者とうまくやって行くか。

そんな事を映画から学びました。今でも年間200本は、観ます。ほとんどかDVDを借りてきて自宅で夜中に観賞するか、ネットフリックスです。リアルタイムに、これは観たいと思う作品は、必ず映画館に観に行きます。基本ハッピーエンドが好きです。ラストに嫌な気分になる映画も当然観ますが、やはり基本ハッピーエンドのヒューマン映画が好きです。こだわり親父の映画紹介ですから、良かったらお薦めする作品観てください。必ずあなたの心に残るでしょう。そしてその感動を人に話したくなるでしょう。それが映画の醍醐味です。人を動かし、その人の人生まで変えてしまうかもしれない影響力が映画にはあります。是非 お楽しみください。 

初春の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。日頃は格別のお引き立てをいただき、ありがたく御礼申し上げます。 さて、このたび弊社は創立10周年を迎えるに至りました。 皆様方のご支援、ご厚情による賜物と深く感謝いたしております。
とうとう、10周年を迎えることができました。2013年の3月から数えて、10年が経ったわけです。どんなことでも、毎日10年やり続けられたら、一丁前になれるとある作家の方が言われていました。このことばを、一番信じていたのは、私達だったのかもしれません。大変なようで意外に短い期間のようでしたが、そして、とうとう待ち望んでいた10年に到達しました。これもひとえに皆様のおかげであると感謝をしております。の10年に向けて新しいスタートを切るにあたりどのようなことが必要になってきているかを日々考えてきました。私どもは伝えること、元気になること、頑張りたい人たちのきっかけとなり、力いっぱい背中を押す役割になることができますよう、幅広い視野を持ち常にチャレンジ精神を持って、皆様のご期待にお応えできるよう従業員一同最大限の努力をしてまいります。今後も格別のご理解とご支援を賜りますようお願い申し上げます。
2023年 3月吉日 Apex product 代表 柳伸雄

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「シザーハンズ」。1990年公開のティム・バートン監督、ジョニー・デップ及びウィノナ・ライダー主演のファンタジー映画です。繊細で心優しい純真無垢な心を持つ、両腕がハサミの人造人間・エドワードと人間の少女・キムの間に芽生えた愛を描いていました。エドワードが彫刻を作る最中に飛び散った細かい氷の粒が雪のように舞い、その中で踊るキムの姿はこの世のものとは思えない美しさでした。

「銀嶺の果て」(1947年)
〜黒澤明脚本をもとに三船敏郎が鮮烈なデビューを果たした山岳アクション〜
[ネタバレ注意❗️] 内容について書いています、未見の方はご鑑賞後にお読みください。
「銀嶺の果て」は、東宝争議の影響で、看板スターたちが一斉に離脱したため、東宝ニューフェイスの一人として、本作で俳優・三船敏郎が鮮烈なデビューを果たした。黒澤明脚本を元に、趣味が登山であった谷口千吉の長編劇映画監督デビュー作であり、サード助監督に岡本喜八、主演の志村喬など、後々まで三船を支えるメンバーたちが揃った骨太な山岳アクション映画である。
銀行強盗のリーダー野尻(志村喬)、高杉(小杉義男)、江島(三船敏郎)らは、北アルプスへと逃走。追手が近づいているのを察知した3人は潜伏先の旅館を脱出、雪崩で高杉を失いながらも、二人は山岳地帯の山小屋へ辿り着く。野尻は山小屋の老人と孫娘にほだされ改心し始めるが、苛立つ江島は次第に凶暴になっていく。やがて野尻と江島の対立が始まる。
何よりも三船敏郎の日本人離れした風貌と威圧感で日本の映画史に新たなページを刻んだ記念すべき作品。三船はファーストカットからワイルドでふてぶてしい佇まいを持っており、ギラついた目と精悍で不機嫌そうな表情には、観るものの胸をザワつかせる不穏な気配に満ちている。最後までチンピラの三船敏郎に対して志村喬は、さすがの貫禄てあり、悪党ながら人間味に溢れている。山小屋で「懐かしきケンタッキーの我が家」のレコードを聴いて、善人として生きていく決意をする志村喬には安定した魅力がある。
実際に冬の北アルプスでロケを敢行した映像は迫真。険しい山道を新人の三船敏郎がスタッフの機材を自ら運んだというエピソードがある。一方、山小屋の老人・高堂国典(「ゴジラ」の大戸島の長老、「七人の侍」の村の長老)と初々しい孫娘の若山セツ子によって犯罪者である志村喬の冷えた心に温もりを灯してくれる様子は静かな感動を呼ぶ。
映画自体、若干テンポがもたつく箇所もあるが、情感に流れ過ぎずドライなクライム・サスペンス・ムービーに仕上がっており、三船敏郎のギラギラした悪役ぶりと志村喬の老練なギャングとの激闘、敗戦間もない傷跡を微塵も感じさせない硬質なエンターテイメントに徹した黒澤明の脚本、「ゴジラ」の伊福部昭の映画音楽デビュー作、そして谷口千吉監督のスケール感溢れる雪山の描写に戦後の日本映画の夜明けを感じさせる作品となった。この映画で見せた志村喬と三船敏郎の関係性は、その後の黒澤明監督作品「酔いどれ天使」(1948年)で結実、数々の名作が生まれていく。
大阪のフィルム名画館 新世界東映
「明治侠客伝 三代目襲名」(1965年/昭和40年)
「日本女侠伝 血斗 乱れ花」(1971年/昭和46年)
(雑談)→今週は、可憐な藤純子と絶対悪玉の 大木実特集😆
      
●「日本女侠伝 血斗乱れ花」
「鉄火芸者」に続く藤純子のスーパーシリーズ第4弾。
明治の中頃 九州からやってきた平野藤吉(津川雅彦)と妻てい(藤純子)。
しかし藤吉は不慮の事故で命を落としてしまう。ていは夫の遺言、平野鉱山を守り発展させることを胸中に誓った。しかし、その平野炭鉱買収を企てる組一派と激突することになる。
いつもながら 目を惹きつける藤純子の立ち回り アクションに拍手喝采!
ヒロインを迎え撃つ悪徳炭坑主や 石炭問屋。
そんな時に味方となって戦うのが高倉健。 第1、2作目で高倉健が藤純子の相手役、第3作では 悪役も演じた菅原文太が お相手。そして本4作目に 『待ってました!』高倉健が復活! 
また彼の父で炭坑の鉱脈を判定する重要な専門家が、水島道太郎。死んだ夫の友人で もしかするとヒロインに 仄かな恋を寄せる山本麟一。
悪だまが 大木実。石炭運搬の船問屋で善と悪に挟まれて懊悩する天津敏。この豪華絢爛たる男優群の 命懸けの熱演に燃える!
●「明治侠客伝 三代目襲名」
『血をとめろ、声をあげるな!ぐっとこらえろ男一匹!俺は木屋辰一家の三代目!鶴田浩二の魅力がスクリーンいっぱいに爆発する任侠巨編!』
東映任侠映画史上に輝く傑作! 明治の大阪が舞台。任侠渡世を守り抜いた親分の跡目を継いで三代目を襲名し、権力争いをしかける新しい組との闘争劇。その中で自らの道を切り開こうとする男の美学をダイナミックに描き出す。
才匠・加藤泰監督の旗印のもと、 鶴田浩二が正統派侠客を演じて極めつけの三代目に扮する。また、木屋辰二代目に嵐寛寿郎、その息子に 津川雅彦。丹波哲郎、毛利菊枝。敵役に、またしても大木実(善良な役も多いのよ)、安倍徹、遠藤辰雄、まさに豪華配役陣。
娼妓・初栄に扮した藤純子の お鉾さ、可憐さが強く印象に残る名編。
★新世界東映ラインナップ
(東映 春の前進!)
●色と掟  春の任侠映画
4月7日(金)~13日(木)上映
「明治侠客伝  三代目襲名」
「日本女侠伝 血斗乱れ花」
4月14日(金)~20日(木)上映
「車夫遊侠伝 喧嘩辰」
「血と砂の血斗」
4月21日(金)~27日(木)上映
「博徒一家」
「緋牡丹博徒 一宿一飯」
4月28日(金)~5月4日(木)上映
「仁義の墓場」
「荒野の渡世人」
●娯楽映画 五月晴れ
5月5日(金)~11日(木)上映
「安藤組外伝  人斬り舎弟」
「新網走番外地 嵐を呼ぶダンプ仁義」
5月12日(金)~18日(木)上映
「水戸黄門」1957年版
「関東テキヤ一家 天王寺の決斗」
5月19日(金)~25日(木)上映
「女番長ブルース 牝蜂の挑戦」
「お祭り野郎 魚河岸の兄弟分」
5月26日(金)~6月1日(木)上映
「シルクハットの大親分 ちょび髭の熊」
「唐獅子警察」
(日劇シネマ ラインナップ)
『不檄(ふれぶみ) 男たちの生きた証 』
4月21日(金)、22日(土) ★上映時間 だけ未決定。
(出演)長原成樹/高山トモヒロ/島田まさし/北川忠明/海道力也/赤松紘季/くどうりゅうや/平宅亮/城明男/今野悠夫/翔/
吉田ヒロ//桂小枝/末成映薫//宮本ヒロシ/早瀬波李/安藤光造/春田純一
監督 河本政則 長原成樹
脚本 小勝有紗
大木ミノル監督作品 「妖怪剣客」
5月19日(金) 20日(土) 26日(金) 27日(土) 
7月 14日(金) 15日(土)16日(日)
  ★上映時間は未定
  (出演)稲森誠 /上野貴彦/羽田野裕美 /多田志典 /長原成樹 /城谷歩 /河本政則 /たもつ/ 冨田亜紗子 /門谷正理 /上原由子 /成子理絵 /岩切志穂 / 大田アキラ 他
 監督  脚本 VFX 大木ミノル 
 撮影 下山天 
【新世界東映  日劇シネマ】
【住 所】
 大阪府大阪市浪速区恵美須東2-2-8
【電 話】
 06-6641-8568
新世界東映は 全作フィルム上映、入場入れ替えなし。
これからも、新世界東映のフィルム上映を どうぞ お楽しみください!
ノック 終末の訪問者
感染対策をシッカリして観てきました。
 家族3人、山小屋で過ごす終末。
そこに現れたのは大男をリーダーとする狂信的な4人組。そして理解不能でとても受け入れ難い要求を突きつけてきた…。
 当たりハズレの波のあるM・ナイト・シャマラン監督。オチがピタっとキマれば快哉の"オチ職人"だが、今回の着地点は、んん〜ん💦💦
黙示録に精通していないと肩透かしを食うかもしれません。
小津安二郎『浮草』(1959)
南紀の小さな港町に、嵐駒十郎(中村鴈治郎)率いる旅芸人の一座がやってきます。しかし、駒十郎の愛人である一座の看板女優すみ子(京マチ子)には、こうした小さな田舎町に立ち寄る理由がわかりません。
実は、この町には駒十郎が若い頃愛した女お芳(杉村春子)と、お芳との間にできた子の清(川口浩)が住んでおり、駒十郎は、清と釣りをしたり将棋を指したりして、わずかな父子の時間を楽しみます。しかし、お芳は駒十郎が実の父親であることを清には明かしていなかったため、すみ子は、駒十郎とお芳母子の関係に気付き、嫉妬心から復讐を思い立ち、一座の妹分加代(若尾文子)をそそのかして清を誘惑させます・・・・・。
標記は、『浮草物語』(1934)を大映での製作にてリメイクした作品です。その点、宮川一夫氏の撮影によるアグファカラーの映像が際立ちます。
小津の常連俳優といえば、わずかに笠智衆氏と杉村春子さんを残すばかりで、あとは大映勢で固められたフレッシュな布陣となってはいますが、それまでの情緒豊かな小津作品とは趣を異にした、大映ならではの祝祭感が満ち溢れたコメディ要素も取り入れた前作を換骨奪胎した傑作となっています。
従来作品に様々なシーンで登場した瓶は、バックの灯台と相似形を成した冒頭シーンとしてここでも映し出され、この構図はジョルジュ・スーラの『グラヴリヌの港』からの影響を指摘されてもいますが、小津作品には珍しい港のロングショットに驚かされます。
また、小津作品が広重を筆頭とした浮世絵の影響を良く受けているという定説の通り、この作品でも「フォーカルポイント」が多用されています。
色彩美については赤色を基調とした多用がここでも顕著で、プロットの展開を追いながら、ここでも1つ1つのショットそのものを絵画として追っていく楽しさに満ち溢れた作品になっています。この赤色の強調は、お芳の庭に植えられた葉鶏頭にも観られるのですが、この葉鶏頭は既に『東京物語』にも登場しました。この葉鶏頭は、小津監督の盟友でもあり後輩でもあった、戦病死した山中貞雄監督が好きだった植物であった事から導入され、葉鶏頭は小津監督による山中監督へのオマージュとも言われています。こうした過去作品にも伺える「反復」は、『お早う』で登場した勇役だった島津雅彦君が、扇升(伊達正)の孫である正夫として登場してプロット開始当初に「立ちション」をしますが、小津作品の特徴の1つとして伺うことが出来ます。
またその配色を基にした梅迺家のインテリアは、正に「モンドリアン・コンポジション」を思わせる鮮やかさですし、その幾何学図形は、日本映画史上に残る傑作シーンとして有名な駒十郎とすみ子との「雨中の罵り合い」が展開するシーンの舞台となって描かれてもいます。
更に、その鮮やかさは浴衣を中心とした衣裳に小津監督の拘りを観ることが出来ます。
小津監督はこの作品の主題を「もののあわれ」だと述べていましたが、そこに現れているのは、前作の『浮草物語』同様、家父長制的家族やその疑似家族的な中間共同体の崩壊であると受け止めることが出来るでしょう。
『浮草物語』の主人公は喜八であったことから、そのキャラに引っ張られる展開でしたが、ここでは駒十郎にキャラを変えることで、「旅役者がやくざな商売だからこそ、息子には真っ当な人生を送ってほしい」という願いがより強く現れており、家族内では権威的にふるまえなかった自身は、旅芸人一座の座長としてその地位を疑似的に確保して了解してきたのだと思います。
しかし、息子の抵抗と同様に、一座の三文役者である吉之助(三井弘次)の窃盗による裏切りと、そこから綻び出す一座の経営の破綻を迎えても、存続に協力する座員も出てこないという点は、小津美学が得意とする相似形の画面描写のみならず、プロット自体も同じ構造となっており、そこに観られる時代の流れには逆らえないあり様をもって、「もののあわれ」と受け取ることもできると思いますが、駒十郎の描く家族像とは、その自身の暴力性も含め既に時代に取り残されたものとして描かれていると言えるでしょう。
また、脇で光る一座の男衆3人組(信吉(三井弘次)、仙太郎(潮万太郎)、矢太蔵(田中春男))のとぼけたやりとり(中でも梅迺家での三井弘次氏による、賀原夏子さんを前にした潮万太郎氏との掛け合いシーンは、今ではセクハラ話題ですが、何度見ても笑えるシーンです)は、後の『秋日和』でソフィストケイテッドされた「おじさまトリオ」として「反復」されます。
しかしこの作品は、駒十郎を演じる中村鴈治郎氏の漂々とした演技による所が大きく、すみ子を演じる京マチ子さんやお芳を演じた杉村春子さんとの絶妙な絡みによって、過去の小津作品にはないダイナミズムに魅了される作品となっています。
また、『東京暮色』のテーマ曲である「サセレシア」が、相島喜久子が登場の際に流れたのと同様に、ここでも「ポルカ」が駒十郎の現れるところでは必ずといって良いほど流れていたのは印象的でした。これは「小津調ポルカ」と呼ばれ、以降「秋日和のポルカ」「秋刀魚の味のポルカ」へと続き、後期の小津映画を象徴する音楽となったようです。
「上を向いて歩こう」(1962)は、坂本九の同名ヒット曲から「太陽は狂ってる」の山田信夫が脚本を書き「暗黒街の静かな男」の舛田利雄が監督した歌謡青春ドラマ。
日活青春映画の全盛時代の映画。出演は、坂本九、高橋英樹、芦田伸介、吉永小百合、浜田光夫、石川進、清水将夫などのほか、ダニー飯田とパラダイス・キングのバンドメンバーの面々が運送会社の社員として出演。
小百合16歳、英樹17歳だが、大人びた印象。高橋英樹は今では恰幅のいい刑事役などが定番だが、当時は二枚目ぶりが目立った。
坂本九の大ヒット曲「上を向いて歩こう」は1961年の10月にレコードが発売で、映画は半年後の1962年4月に公開されている。映画が量産されていた時代だなと感じる。
この曲が外国で「SUKIYAKI」ソングとして大ヒットする前。吉永小百合と浜田光夫のコンビの映画は多いが、この映画ではラブストーリーの要素はなく、主演は歌手の坂本九ということだが、他の俳優の様なオーラがなく、素人っぽさが出ている。
東京オリンピックを2年後に控えた東京の雑踏のような風景が描かれている。「松下電器」(現パナソニック)の大きなビルと看板や、市内を走る軽自動車やスナック、飲食店などの街の看板も懐かしい。まさに映画は時代と世相を映し出す鏡(笑)。
壁のレンガの上にタイトル文字が出る。少年鑑別所(少年院)のサイレンが鳴り響き、少年院の脱走シーンから話が始まる。
河西九(坂本九)と左田良二(浜田光夫)は脱走して、金を稼ぐために当り屋をやる。あたったオート三輪トラックは刑事で保護士・永井徳三(芦田伸介)のものだった。
永井は2人を自分の魚の運送会社においてやろうとするが、良二は逃げて、ドラムの師匠のところにいき、バンドボーイになる。
そこには喫茶店の用心棒でノミ屋で稼ぐ松本健(高橋英樹)がいた。健は妾の子で父親を見返すために大学を目指していた。
九は永井の会社で仲間たちと仕事をするがミスも多く、なかなかうまくいかないが、そこにいた永井の娘・紀子(吉永小百合)やその妹・光子(渡辺トモコ)と仲良くしながら、なんとか慣れ、永井から新車をもらえるまでになる。
健は大学に受かり、父親と対峙するが拒否されてしまう。健は昔、永井のところにいて、永井らとも敵対していた。良二は師匠の借金を返そうとしドラムをとられてしまう。
ドラムは健をひと泡吹かせようとした永井の会社の若者たちのところにもっていかれるが、九はそれを腕づくで取り返す。しかし、良二は九の車を売ろうとする。2人は殴り合うが、仲裁に入った紀子の説得で仲直りをした。若者たちには新しい朝が待っていた。
エンディングでは、坂本九、高橋英樹、浜田光夫、吉永小百合ら出演者が横一列に並んで主題歌である「上を向いて歩こう」を一部原曲とは異なり、追加された歌詞で合唱した。♪上を向いて歩こう、涙がこぼれないように~♪。
日活映画の古き良き時代の映画。
ミシェル・ヨーほか「グリーン・デスティニー」
ーアカデミー4部門受賞の武侠映画ー
「グリーン・デスティニー」(原題: 臥虎蔵龍、英語題: Crouching Tiger, Hidden Dragon)は、2000年の映画。
監督はアン・リー。
キャストは・・・チョウ・ユンファ、直近でアカデミー主演女優賞を受賞したミシェル・ヨー、チャン・ツィイー、チャン・チェンほか。
映画は・・・・
400年前に作られ、太古のパワーに満ちた秘剣“グリーン・デスティニー”。その使い手として名を轟かせる英雄リー・ムーバイ。
秘剣を保持することが、絶えることのない流血な修羅の道を杖づけることになると、ムーバイは、手放すことを決意。
しかし、彼の手を離れたことで、波乱の運命の変転と激闘の幕が開くことを知る由もなかった。
かれ、ムーバイとその女弟子シューリン。貴族の娘イェンと、盗賊の頭ロー。神秘の名剣に魅せられた4人の男女の死闘、復讐、そして運命の恋が繰り広げられることになるのだったが・・。
全編、派手なワイアークションが展開、ミッシェル・ヨーとツィイーとの対決シーンも・・・。
この映画、続編が「Crouching Tiger Hidden Dragon: ソード・オブ・デスティニー」。劇場公開でなく、動画配信サービスで配信、DVDリリースも、日本ではされなかったせいか、あまり浸透しなかったきらいが・・。この続編では、ミシェル・ヨー、ドニー・イェン他が出演している。
#グリーンデスティニー
ウディ・アレン「マンハッタン」
アレンの初期の映画は、どちらかというと、周囲と均衡を保てない主人公が起こす、アクシデントの連鎖による笑いだったが、「アニー・ホール」(「インテリア」を間に挟む)のあと、この「マンハッタン」以降、主人公の独白というアレン流のスタイルが目立つようになる。
それに加えて、カフカ的な世界観で展開する「影と霧」と、同じく、この「マンハッタン」でも、モノクロの映像による陰陽の描写がいい。バックに流れるのが、ガーシュインの名曲で、いかにもニューヨークという雰囲気が出ている。
マリエル・ヘミングウェイと馬車に乗るシーンでは、ふとシド・チェリシーとアステアの「バンドワゴン」を連想してしまった。
ラスト近く、珍しくアクティブに走るアレンを観る。息を切らしながら走り続けるアレンというのは、ともすれば内向的なシーンが多いなかでは、新鮮でありましたよ。
『君よ憤怒の河を渡れ』(1976年)
ツッコミどころ満載でした!
ネット検索すれば、レビューも色々出ていて、私のツッコミどころも同じ。
中野良子との出会いや濡れ場や、馬が新宿の街中に登場してくるとこや、セスナ機操縦しちゃうことや(離陸して旋回してくるの不思議だし着水シーンミニチュアってもろバレだし)、その後の逃亡シーンも長野県善光寺とか山梨県とかほんとに必要だったのか?、
西村晃への発砲シーンも、?警察官の原田芳雄が撃っちゃてそれで正当防衛とか言っちゃて。
なぁ~~~んかね~。。?
これが中国でヒットしたとかいうのも、?
この内容で?ほんまかいな?
この映画で、私が特筆しておきたいと思ったのは、製作者が永田雅一だということ。
大映を倒産させた永田雅一の、映画製作復帰第一作め。
最も、永田雅一はお金がなかったから、資金調達したのは徳間康快だったそうだ。
日蓮宗信者だった永田雅一は、『日蓮』(1979年)もつくっている。
映画製作者のみならず、野球球団のオーナーや馬主もしたり、その他の会社経営もしていて、永田雅一の一代記で映画になる様な人だった、と思う。
ロビーカードの魅力 
  「軍旗はためく下に」(1972年/昭和47年  東宝)
    深作欣二監督作品
(大阪 シネヌーヴォー 4/29日(土)「丹波哲郎祭 死んでも生きられる」にて上映。)
予告編→
https://youtu.be/q8wSm5_Kcpg
(ネタバレあります)
72年、深作欣二監督「軍旗はためく下に」は、それ以前の市川崑監督「野火」、後年の原一男監督「ゆきゆきて神軍」の偶然にも同じ題材~戦争中に飢えの為に戦友の兵隊を殺して人肉を食べた事件~を描いた衝撃作です。丹波は戦地の不正と戦った男でありながら人肉食いの濡れ衣を着せられ、戦友二人と銃殺刑に処せられます。この時に丹波は『日本の方向はどっちですか?』と上官に問い 向きなおし 兵隊が銃を自分達に向けると、二人の戦友に『おい、俺の手を握れ!!俺たちはな、戦場にかりだされた時も、死ぬ時も一緒だ!!…天皇陛下!…』
三人の身体に銃弾が撃ち込まれ 崩れるように倒れます。
天皇の名を呼んだ丹波は何を叫ぼうとしたのか?国家に対する万感の恨みではなかったでしょうか。
この映画は、当時小学2年のボクの心を矢のように貫きました。そして これまで見ることのできなかった役者丹波哲郎を意識してしまうきっかけとなりました。
『キネマの神様』2021
https://youtu.be/IuaK2ZZvB68
松竹映画100周年を記念する、山田洋次監督作品。
原作である濱田マハさんの小説と映画はだいぶ違うらしい。
当初は、志村けんさんを主役に予定していた作品とのことだが、コロナ禍での悲しい別れがあり、沢田研二さんの代役で話題になっていたものの、連日のコロナの加速報道に映画の話題は消し去られていたような気がする。
タイトルから想像するに、人情味溢れた青春懐古作品なのだろうなぁ〜と、思っていた通りではあったものの…
わたし的には沢田研二さんの、酒とギャンブルに溺れて借金まみれとなり、家族に疎まれているお気楽自堕落な老人役が、結構気に入ったのだけど。
若き熱い青年期を、
・沢田研二→菅田将暉(どうしても同一人物に思えないのは、顔や雰囲気だけではないような気がしないでもないのだが。)
・小林稔侍→野田洋次郎(人気のアーティストと後に知り、こちらは違和感なく。)
・宮本信子→永野芽郁(永遠のマドンナの素直な愛くるしさが徹底的に発光されているからこそ、後年の苦労の末のやつれ具合の差が凄い。) 
銀幕女優役の北川景子さんは、眩しいほどに綺麗で、まさにスタアさんであり
異存なし。
娘の寺島しのぶさんの配役は、もう少しアクが強くてもよかったのかなぁ。
物語の中で沢田研二さんが『東村山音頭』を歌うのであるが、わたし的には『時の過ぎゆくままに』だったら更に感激ひとしおなのに(そのシーンには似合う曲ではないのだけど)とも思ってしまった。
超絶美しかった壮年期ジュリーを知っている世代が、この作品を観てどう思うか…それも青春懐古なのでしょうね。
ロケ地であるギンレイホールの前を、少し前に通ったばかりなので、私の懐古とこの作品を観た時期がマッチしていたのかもしれない。
タイトルバッグに、志村けんさんへの想いが詰まっているのを見つけて温かい気持ちにはなったのであるけれど、
主演が沢田研二さんでなければ、また全く違う作品となったとは思うし、コロナ禍でなければ興行的にも全く違ったのだろう。
何にせよコロナという恐ろしい嫌なウィルスが、いろんなものを変えてしまった。
これからの世代を生きる若者は、それもまた懐古するのだと思うと、なかなかに感慨深いのでもある。
そして、この作品で再び『カイロの紫のバラ』が観たくなった。
映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」監督ダン・クワン& ダニエル・シャイナート🎬
マルチバースの複雑な世界観で、家族の絆、母と娘との関係を圧倒的な編集技術で描いた作品。
多元世界で様々な人生を送る主人公。
でも一番大切なのは今を生き抜く事。
素晴らしい演技、複雑な脚本を纏め上げた監督の手腕の高さ。
アカデミー賞を受賞するのは当然だと思います。
私の地元では今日がラストの機会。
ご覧に成って無い方は是非‼️
ユナイテッド・シネマ前橋で鑑賞。
六郎太、たわけ!
小冬も十六、わたしも十六!
命に何のかわりがあろうぞ!
凛々しいねぇ〜
祖国再興を目指す姫君役の上原美佐さんが凄くいい
当時は新人で演技も何かと叩かれたらしいけど、あのはねっ返りの強い感じが映画に多大な貢献をしてると思うのだけど
姫を守り敵の包囲網を突破しようと奮闘する三船敏郎に、財宝に目がくらむ小悪党の百姓たち
もう問答無用の面白さ
クライマックス、500人以上のエキストラが踊り狂う火祭りのシーンも圧巻!
侍と百姓の戦国サバイバルを描いた娯楽大作
クロサワは幾つになってもテンション上がるなあ
毎度500円で名作が堪能できるのはありがたい〜
@京都文化博物館
『ザ・コア』 2003年:米国、監督:ジョン・アミエル
 地球では北極と南極が定期的に入れ替わり磁場の問題で生物の絶滅が……なんてネットニュースを読みました。
 そうだ、磁場と言えば『ザ・コア』!
 人類の英知と選ばれし者たちの勇気で地球を救う物語です。『アルマゲドン』を地底で描いています。
 地球の自転停止に伴なう地場の変調により世界各地で起こる異変。このジャンルで必須な異変が『アルマゲドン』のような破壊力より、鳥などを使った不気味さで描かれます。
 さあ、自転をどう復活させるか。そのため地球の核・コアに“どのような刺激”を“どのように与える”かが縦糸、その過程の人間ドラマが横糸になり、物語は進みます。
 当時から多くレビューされているように隕石の場合に比べて矛盾多々です(いただけないのは自転停止の理由)。それでも、宇宙に比べて写し様が無い地中への進行をスリリングに見せてくれます。地底船内と幾度となく発生する難題への対処が、いろいろな疑問浮かぶ余地を与えません。
 少佐役ヒラリー・スワンクのイメージピッタリの凛々しさと共に、地底に挑んだ制作陣に向け、日劇の大スクリーンに拍手を送りました。
「仕掛人・藤枝梅安2」
〜前作同様、文句なしの面白さ!仕掛人・藤枝梅安の活躍を描いた2部作の第2弾〜
[ネタバレ注意❗️] 内容について書いています、未見の方はご鑑賞後にお読みください。
前作を"静"とするならば今回の2作目は静止することがない"動"の佇まいである。近年、これほどまでに完璧に作り込まれた時代劇に出会ったことがない。まさにメイド・イン・ジャパンの勝利である。本作は時代劇の可能性を確実に広げている。一作目と同様に原作の忠実な映像化に何度も鳥肌が立った。
主人公・藤枝梅安は、多面的な見方ができる実に魅力的な時代劇ヒーローである。表の顔は患者の命を助ける腕のいい鍼医者。裏では、金を貰って人を殺す仕掛人。生と死の狭間に生きる男。彼は将来に夢や希望を持っていない。演じる豊川悦司は、どこか哀しみと厳しさを携えて刹那的に生きる梅安を表現している。クリント・イーストウッド監督・主演「許されざる者」(1992年)でイーストウッドが演じたウィリアム・マニーと藤枝梅安が重なって見えた。
恩師の墓参りのため京に向かっていた梅安と相棒の彦次郎。彦次郎は通りすがりの侍の顔を見て「あの野郎は許しておけねえ」とつぶやく。侍は彦次郎の妻と子を死に追いやった憎い仇だった。一方、梅安は上方の顔役から殺しの依頼で彦次郎の仇の仕掛を頼まれる。その時、梅安の顔を見て復讐を誓う凄腕の浪人・井上半十郎が現れる。梅安と井上もまた憎悪の鎖で繋がれていた。
池波正太郎の「殺しの四人」と「秋風二人旅」の2つの原作を脚本の大森寿美男は、巧みに交差させて見事に脚色、梅安と彦次郎の過去の因縁が複雑に絡み合い、まるで合わせ鏡のような因果な物語として一級の娯楽作品に仕上げている。
彦次郎の仇の双子役を演じた椎名桔平の一方の山犬のように獰猛な浪人役の非道ぶりが良かった。一方、梅安に妻を殺された井上半十郎役の佐藤浩市の梅安へ向ける恨みと嫉妬の眼差しが悲哀に満ちて素晴らしかった。2人の日本映画界を代表する実力派俳優が作品を牽引して見応えがあった。
今回、梅安と彦次郎はより息のあった仕掛を見せてくれる。梅安にとって彦次郎は、自分の裏の顔を知っている唯一の心許せるバディー。梅安の仕掛針と彦次郎の吹き矢が殺しの見せ場として観客を楽しませてくれる。特に彦次郎の毒矢を受けた相手の死へのカウントダウンが小気味いい。ハードボイルドに生きる仕掛人たちにくどくど友情を確かめ合う野暮なやり取りは必要ない。2人が料理に舌鼓を打ち、のんびりと酒を酌み交わすシーンが心に沁みてくるのは、このシリーズの醍醐味である(鑑賞の際、エンドロールで池波正太郎原作のもう一人の主人公「鬼平」と梅安が出会うシーンが用意されているので席を立たないように!)
『ヌーのコインロッカーは使用禁止』(監督・脚本/上西雄大)
ようやく公開されたヌーを観に行く。主人公は、〝スケッチブックを抱えた、コインロッカー生まれの無垢な天使〟。いまどき珍しいくらい純でまっすぐなお話。生乾きのまま提出された絵のような、粗彫りしただけの彫刻がそのまま作品になったような、脚本にもまあツッコミどころは多く、洗練やスマートさとは遠い映画なんだが、それがいい。
自分が捨てられていたコインロッカーを守り、毎日好きな絵を描いている純真無垢な女の子と、刑務所から出所したばかりの無骨な男の出会い。こんなお話を成立させてしまうのは、発達障がいのあるヌーことかなえちゃんを演じる古川藍(すばらしい)と、金のため覚せい剤の売人となる黒迫・通称カーブを演じた上西雄大。
この上西さんは、「西成ゴロー」シリーズや『ひとくず』同様、監督・脚本・プロデュースも兼ねている。自分が思うに上西さんは、「オレ、金が要るんや」というセリフが日本一似合う俳優である(^^)  そしてカーブという役名ながらやることはほぼ直球。小細工も駆け引きもなし。やや無茶な展開もキャッチャーの変化球サインも目に入らない。強引にまっすぐ。しかし、それがいい。
なんといっても主題歌は山崎ハコのオリジナルである。自分が本作を待ちわびた最大の理由はそれ。疲弊し人の心もすさんだ令和の世の中に、ハコの歌とヌーの純真がひとすじの光をもたらす。自分には、もうそれで十分である。
この映画は5年前に撮影され、長く公開延期となっていた。ようやく封切りとなり、ヌーは日の目を浴びた。制作チームは劇団が母体で、何しろ映画にすると決めたものを以後も実現し続けていることがすごい。能書きや体裁よりも闇雲な実行力こそいまは貴重だろう。「西成ゴロー」では闇金姉妹^_^を演じていた徳竹朱夏や、白川和子、田村亮、田中要次らのベテランがしっかり脇を締めたのも嬉しい。池袋での舞台挨拶もいい雰囲気で、田村亮さんは相変わらずカッコよかった。
この映画は映画史に残ると思う。
ラストは私、咽び泣いてしまった。
周囲の他の観客も、グスグスと鼻をすすっている声が聞こえた。
アカデミー主演男優賞、特殊メイクアップ賞は当然だが、作品としても私的には早くも今年No.1。
舞台はほぼ主人公のアパート一室でありながらも、全く目が話せず、脚本も素晴らしい。
本作の原作が戯曲というのも納得である。
公開直後なので、ストーリーは詳しく語るまいが、
⭐️題名の『THE WHALE』は、メルヴィルの小説邦題『白鯨』の原題と同じで、小説『白鯨』は、この映画の重要な伏線となっている。
⭐️ブレンダン•フレイザーが演じるチャーリーは、自力歩行が困難なほど太ってしまい、日中は自宅リビングのソファから殆ど動かず、寝室、バスルームへの移動は命がけである。
生計は、エッセイ文のオンライン講座講師で得ており、中々のインテリ。しかし講座中カメラオンされる事はない。
何故チャーリーはこんなにも太ってしまったのか?彼のヘルパー(?アジア系の女性で非常に重要な役柄)、娘、キリスト教系の新興宗教の勧誘者(?若者男性)等との邂逅で、徐々に明らかになるのだが、チャーリーは自堕落に暴飲暴食を重ねて太ったわけではなく、癒されない喪失を抱えて、およそ自傷行為の如く過食し続けている。
人は大小あれども、生きていれば幾つかの喪失を経験し、過ちも犯す。
それら喪失と贖罪、赦し、未来への希望が本作の重要なテーマとも言える。
一人で観ても良し。親子、パートナーと観ても良し。一生消えぬほど傷ついた人と人との関係でも、それを再生させる希望は果たしてあるのか?
を終始考えさせてくれる。
「Crouching Tiger Hidden Dragon: ソード・オブ・デスティニー」
「Crouching Tiger Hidden Dragon: ソード・オブ・デスティニー』(原題:Crouching Tiger, Hidden Dragon: Sword of Destiny、臥虎藏龍:青冥寶劍)は、2016年の作品にして、「グリーン・デスティニー」の続編。あの物語から18年後の設定。
前作に出演したミシェル・ヨ―が、続けて出演。さらに、新たにドニー・イェンらが加わった。
映画は・・・
リー・ムーバイの死から18年。隠居していたシューリン(ミシェル・ヨー)はムーバイの碧銘剣(グリーン・デスティニー)を預けたティエ家の当主の葬儀の為北京に向かう。
ムーバイの残した伝説の剣グリーン・デスティニーを手に入れ、武林界の頂点に立つことを狙うヘイデスがいることをシューリンは知る。 
秘剣「グリーン・デスティニー」がまたもや狙われていると知ったシューリンは用心棒のために義士を募る。その報せに名乗りをあげたのは4人の剣客と、サイレントウルフと呼ばれる男。彼こそかつてシューリンの許嫁でありヘイデスとの対決で死んだはずのメン・スージョウ(ドニー・イェン)。彼女とムーバイが愛し合っている事に気がつき、2人の為にわざと死んだことにして身を引いて、長い間山中で修業を続けてきたのだという。
伝説の剣グリーン・デスティニーをめぐる過去の因縁と運命の糸が綾なす宿命は、やがて4人をヘイデス一派との激しい戦いへとむかわせるのだったが・・・。
う~ん、CGを使ったらしい風景は美しいし、ドニー・イェンのアクションも、ワイヤーとはいえ、相変わらずキレキレなのは、当然にいいのだけれど・・・。秘剣を守るために、集まった剣士が、皆を数えて七人?となると、鑑賞したあとで、ふと連想するに、「七人の侍」的なものか??と。それにしては、それぞれの描き方は、あまり深みがないようで、結局、派手なアクションの見せ場の連続で終わった感が・・・・。正編のような余韻を楽しむような作品を期待すると、見事にうらぎられるかもしれないか・・・と思ったのでしたよ。
#グリーンデスティニー続編
Dear フランキー
 ひとり息子に母子家庭の引け目を感じさせまいと奮闘するシングルマザーのリジー。"父親が不在なのは、世界を旅する船乗りだから"とウソをついていたが、偶然その船が地元に入港するニュースが息子フランキーの目にとまり…。
 愛情深く芯の強いリジー役のエミリー・モーティマーがいい。
そしてジェラルド・バトラーの無骨さがドンピシャのハマり役。
フランキーの健気さ、母子愛。滂沱の涙がどうにもとまらない傑作ヒューマンドラマ。
エコエコアザラクWIZARD OF DARKNESS 
          1995年 佐藤嗣麻子監督
⚠️ネタバレありかも⚠️
猟奇的な殺人事件が続発する中、聖華学園に一人の少女・黒井ミサ(吉野公佳)が転校してくる。やがてミサの周囲に何者かの想念が渦巻きはじめる。それは彼女の存在を疎ましく思う、もう一人の魔女の仕業であった...
古賀新一が週刊少年チャンピオンに1975年から連載された同名人気漫画の映画版第一作。
『エコエコアザラク〜エコエコザメラク〜エコエコケルノノス〜エコエコアラディーア〜〜』
『アンフェア』など脚本家としても多数手掛けた佐藤嗣麻子監督の初期作品。特撮は山崎貴(現夫)が担当して低予算ながら頑張っています。『SPACE BATTLESHIP ヤマト』は夫婦揃って頑張ったけど痛い作品でした。
主役ミサを演じる吉野公佳は映画初出演。物静かな雰囲気はまぁまぁですが、もう一人の出演者に完全に食われてます。
それは、学級委員長の倉橋みずき役で、ブレイク前の18歳・菅野美穂の存在感。前半のキャピキャピ感と後半とのギャップ。さすが"桜っ子クラブ"からの出世組。演技には定評があったらしいですが、不気味に"ハッハッハッハッ"と高笑いして真面目な顔に戻る時の目がイってる名演技と鼻声の長セリフ。
『ルシファーよ 生命と真実の神の名において汝を召喚する 強大な神の名において汝を召喚する オンアルファ オメガ エロイ エロエム ヤー セデエマニュエル メシアス ルシファーよ、よみがえれ そして私に力を与えよ VとCとXの文字の中に秘められた名前とエホバ...........ペルビグラマルビ トリメンタルメライ 偉大なるルシファーよ、我が全身全霊全力を尽くして仕えるお方 我が身に宿り 我に力を』このセリフはややこしい。NG出して何回も撮ったのかと想像してしまいます。
黒魔術師はルシファーを召喚するため、13人のいけにえを捧げる儀式を学校で実行しようと追試験で集められた生徒たちが、学校に閉じ込められる。最初の犠牲者はトイレで水責めに遭い溺死。職員室に閉じ込められる4人はバラバラに惨殺される、窓に挟まれ首チョンパされる、階段から落ちて頭を打って死ぬなど続々と生徒たちが死んでいく。青の照明や暗さでスプラッター描写をうまく誤魔化しているからそれなりに見れます。
ミサは黒魔術を使ってなんとか学校から脱出しようとするが魔術で結界を張られ苦戦するが...
本作の一番の凄さは無駄にエロいシーンが多い!校門で身体検査で胸をまさぐり、スカートに中までチェックするエロ教師、こんなシーンわざわざ挿入するセンスの良さ。白井先生役の高樹澪と生徒・和美役の角松かのり(現在・柚木涼香)とのレズシーンは、一瞬ロマンポルノかと思ってしまうクオリティ。ダンスは上手く踊れなくてなくても和美との絡みは上手いです。
みずきも百合感出しまくり、改めてオカルトと百合の相性の良さは抜群と思いました。他にも意図的に編集しないパンチラ・シーンなどは女性監督ならではの演出なのでしょうか!?
https://youtu.be/OuAYy9g6BIk 予告編
劇場版 奥様は、取り扱い注意
 2021年 ‧ ドラマ/アクション ‧ 1時間 59分
元工作員の妻と、公安警察の夫は、名前を変え、地方都市で新生活を始める。その町は新エネルギーの発掘で活気づいていた。しかし、市長をはじめとする発掘推進派と、開発調査で失われるかもしれない美しい海を守ろうとする反対派の争いにより、落ち着かない日々が続く。やがて、対立の裏に国家レベルの陰謀が潜んでいることが判明する。
公開日: 2021年3月19日 (日本)
監督: 佐藤東弥
出演:西島秀俊、綾瀬はるか、水上恒二、佐野史郎
WOWOWで録画してたのを自宅鑑賞
元々はTVドラマなんですね。知りませんでした。
アクション有り、ユーモア有るのは良いですね。佐野史郎が悪役演じてるのも良いなと
この子は邪悪(日) 〇+マッド心理療法士 アマプラで鑑賞
幸せな家庭が交通事後により一変します。その事故を切掛けに心理療法士の父親は悪魔の治療の封を解きます。一人だけまともな長女花が家族達に違和感を持ち、友人の少年と共に事実を探り始めます。しかし秘密を知ってしまったことでこの家族と少年に悲劇が訪れます。ポイントはこの家族が飼っている多数のウサギなのですが、最初は可愛く見えたウサギ達が真相を知った後は、とても不気味で哀れに見えます。けっこう良く出来たホラー・サスペンスです。その手の映画が好きな方は是非ご覧ください。
昨日見た作品:(Netflix)
「ドリームプラン」(King Richard)(2021)
 やりたいことは、計画的に作り上げよう。。。もちろん、ハードだけど、諦めないことで実現できる可能性はある。。。無理難題でも、投げ出すことはないのだぁ。。。
 という、よく聞くフレーズではあるものの、それをやり遂げた人物のトゥルー・ストーリー。。。まさしくアメリカンドリームだねぇ。。。
 ウィル・スミス、初の米アカデミー主演男優賞。。。トマトメーター90%、オーディエンススコア98%。。。
 このウィリアムズ姉妹、この作品で、初めて知って、ちと調べてみたのですが、凄いですねぇ。。。テニス、全然わかってないんだけど、その戦勝の数といい、相当なものにお見受けします。。。
 その天才「姉妹」の存在があれば、そのお父ちゃんはどんな人物なのかって、世間は当然にように着眼する。。。
 娘達をビッグにさせたい思いを後押しするきっかけになる、犯罪の蔓延るその過酷な「環境」についても納得感もあるし、自慢という名のアピールは、微笑ましいし、その熱心さに有名コーチが動くところも面白い。。。
 あんたは、マッケンロー以上に扱いづらい、というセリフにも笑える。。。そのジョン・マッケンローも、現在は御歳64歳なんですねぇ。。。
 よく参考にしている雑誌の映画評は、いつもの辛口評論家さんの文章ではなかったものの、辛口でしてねぇ。。。
 その姉妹がヒーローの筈なのに、結局、ウィル・スミスがヒーローになってるじゃないかぁ・・・とのこと。。。
 まぁ、いいじゃないかぁ・・・こちとら、ビンタ事件の後で視聴してるし・・・ウィル・スミスには、早く復帰してほしいなぁ。。。
 自分、あのビンタ事件に関しては言及してこなかったけど、(お年を召したせいもあって)カーッとなってやっちまったのは、確かに冷静さを欠いた行いであることは間違いなく。。。
 暴力は絶対にダメ、というこの世の中において、テメェこの野郎、となった場合には、怒りに任せて手足を動かすことはなんとしてでも堪え、代わりに、その血圧を脳に回すこと。。。
 できることなら、その怒りは、一旦傍に置き、自身がその感情に支配されるのを回避する。。。
 すると、感情部位のその他の脳の部位が、血圧が上がっているために十分に提供される酸素や養分をうまく活用し、「自動的に」今いるその環境はどういう状態か、相手の人物はどの立場にいるのかなど、色々と分析してくれて、最適な結論に導いてくれる。。。
 その結果、たとえば、揶揄された奥さんの状況をまず確認し、必要なら奥さん連れて会場を後にするとか・・・
 これならだけでも、会場の雰囲気も変わってしまって、原因作った司会者もただ一人で動揺する可能性・・・わかんないけどね。。。
 相手を治したくて、どついても、その相手も危険な「隠れ牙」を剥き出しにするかもしれんし、被害が大きくなるだけで、暴力は、柔軟な対応に向かない上に、破壊された箇所の修正に、資源を使って、いらぬ損害も発生させる。。。
 逆に言えば、この世の中、特に経済システムにおいては、感情の置き場がないとも言えるけどね。。。
 ひょっとしたら、何だか生きづらい、と感じる要因の一つかもしれない。。。
 とにかく、今回はウィル・スミスを楽しめることができたし・・・
 映画や連ドラというコンテンツは、豊かな感情を豊かに表現して、ひたすら心にしまって「無」にしそうな感情を、「有」にしてくれる、ありがたいものかなぁと・・・
 物議を醸し出すコンテンツもあるけどね。。。
♥️聖闘士星矢 The Beginning🖤
新田真剣佑初のハリウッド映画主演作となる『聖闘士星矢 The Beginning』(原題:ナイツ・オブ・ザ・ゾディアック)が、4/28日(金)より全国公開。
ゴールデンウィークに、真剣佑の超絶アクション(ペガサス流星拳を含むw)をぜひ劇場で😎🖤
映画「ビルマの竪琴」(1956)は公開後、数十年してから見た。第二次大戦でビルマ(現・ミャンマー)に出征していた日本兵の小隊が、戦争終結で帰国命令が下る中で、水島上等兵(安井昌二)だけが、僧侶としてビルマに骨を埋める覚悟で残る、という話だが、かなり奥の深いストーリーではある。
安井昌二が水島上等兵をストイックに演じている。水島上等兵からみた、戦争による日本兵の死骸の山は目を覆うものがあり、これらを残して日本に帰るわけには行かないと決意するのである。
映画には、実在のモデルに近い人物がいることが後からわかったようだ。ビルマの老婆を演じた北林谷栄の演技も絶品。
水島上等兵を英雄視はしていない。ナレーションでは、水島が帰国しなかったことを家族にどう説明するのだろうというセリフがある。隊長がうまく説明するからいいか・・・という、やや冷めたような言葉も。
そして、映像は「ビルマの土は赤い」で、僧侶になった水島の歩く後ろ姿で終わる。映画はカラーの予定だったが、機材などの関係でモノクロに変更されたという。
・・・
(ストーリー…少し長くなります)
1945年7月、ビルマ(現在のミャンマー)における日本軍の戦況は悪化の一途をたどっていた。物資や弾薬、食料は不足し、連合軍の猛攻になす術が無かった。
そんな折、日本軍のある小隊では、音楽学校出身の井上隊長(三國連太郎)が隊員に合唱を教え込んでいた。隊員達は歌うことによって隊の規律を維持し、辛い行軍の中も慰労し合い、さらなる団結力を高めていた。
彼ら隊員の中でも水島上等兵(安井昌二)は特に楽才に優れ、ビルマ伝統の竪琴「サウン・ガウ」の演奏はお手の物だった。部隊内でたびたび演奏を行い、隊員の人気の的だった。
さらに水島はビルマ人の扮装もうまく、その姿で斥候(せっこう)に出ては、状況を竪琴(たてごと)による音楽暗号で小隊に知らせていた。
ある夜、小隊は宿営した村落で印英軍に包囲され、敵を油断させるために「埴生の宿」を合唱しながら戦闘準備を整える。小隊が突撃しようとしたそのとき、敵が英語で「埴生の宿」を歌い始めたのだ。
両軍は戦わないまま相まみえ、小隊は敗戦の事実を知らされる。降伏した小隊はムドンの捕虜収容所に送られ、労働の日々を送ることになる。
しかし、山奥の「三角山」と呼ばれる地方では降伏を潔しとしない日本軍がいまだに戦闘を続けており、彼らの全滅は時間の問題だった。彼らを助けたい隊長はイギリス軍と交渉し、降伏説得の使者として、竪琴を携えた水島が赴くことになる。しかし、彼はそのまま消息を絶ってしまった。
収容所の鉄条網の中、隊員たちは水島の安否を気遣っていた。
そんな彼らの前に、水島によく似た上座仏教の僧が現れる。彼は、肩に青いインコを留らせていた。隊員は思わずその僧を呼び止めたが、僧は一言も返さず、逃げるように歩み去る。
大体の事情を推察した隊長は、親しくしている物売りの老婆(北林谷栄)から、一羽のインコを譲り受ける。そのインコは、例の僧が肩に乗せていたインコの弟に当たる鳥だった。
隊員たちはインコに「オーイ、ミズシマ、イッショニ、ニッポンヘカエロウ」と日本語を覚えこませる。数日後、隊が森の中で合唱していると、涅槃仏の胎内から竪琴の音が聞こえてきた。
それは、まぎれもなく水島が奏でる旋律だった。隊員達は我を忘れ、大仏の体内につながる鉄扉を開けようとするが、固く閉ざされた扉はついに開かない。
やがて小隊は3日後に日本へ帰国することが決まった。
隊員達は、例の青年僧が水島ではないかという思いを捨てきれず、彼を引き連れて帰ろうと毎日合唱した。
歌う小隊は収容所の名物となり、柵の外から合唱に聞き惚れる現地人も増えたが、青年僧は現れない。隊長は、日本語を覚えこませたインコを青年僧に渡してくれるように物売りの老婆に頼む。
出発前日、青年僧が皆の前に姿を現した。
収容所の柵ごしに隊員達は「埴生の宿」を合唱する。ついに青年僧はこらえ切れなくなったように竪琴を合唱に合わせてかき鳴らす。
彼はやはり水島上等兵だったのだ。
隊員達は一緒に日本へ帰ろうと必死に呼びかけた。しかし彼は黙ってうなだれ、「仰げば尊し」を弾く。
日本人の多くが慣れ親しんだその歌詞に「今こそ別れめ!(=今こそ(ここで)別れよう!)いざ、さらば。」と詠う別れのセレモニーのメロディーに心打たれる隊員達を後に、水島は森の中へ去って行った。
翌日、帰国の途につく小隊のもとに、1羽のインコと封書が届く。
そこには、水島が降伏への説得に向かってからの出来事が、克明に書き綴られていた。
水島は三角山に分け入り、立てこもる友軍を説得するも、結局その部隊は玉砕の道を選ぶ。戦闘に巻き込まれて傷ついた水島は崖から転げ落ち、通りかかった原住民に助けられる。
ところが、実は彼らは人食い人種だった。彼らは水島を村に連れ帰り、太らせてから儀式の人身御供として捧げるべく、毎日ご馳走を食べさせる。
最初は村人の親切さに喜んでいた水島だったが、事情を悟って愕然とする。
やがて祭りの日がやってきた。盛大な焚火が熾され、縛られた水島は火炙りにされる。ところが、不意に強い風が起こり、村人が崇拝する精霊・ナッの祀られた木が激しくざわめきだす。
「ナッ」のたたりを恐れ、慄く村人達。水島上等兵はとっさに竪琴を手に取り、精霊を鎮めるような曲を弾き始めた。やがて風も自然と収まり、村人は「精霊の怒りを鎮める水島の神通力」に感心する。
そして生贄の儀式を中断し、水島に僧衣と、位の高い僧しか持つことができない腕輪を贈り、盛大に送り出してくれた。
ビルマ僧の姿でムドンを目指す水島が道々で目にするのは、無数の日本兵の死体だった。葬るものとておらず、無残に朽ち果て、蟻がたかり、蛆が涌く遺体の山。
衝撃を受けた水島は、英霊を葬らずに自分だけ帰国することが申し訳なく、この地に留まろうと決心する。そして、水島は出家し、本物の僧侶となったのだった。
小隊が船で日本に帰国する途上で、水島からの手紙は読まれた。そこには、祖国や懐かしい隊員たちへの惜別の想いと共に、ビルマにとどまらなければならない強く静かな決意で結ばれていた。
手紙に感涙を注ぐ隊員たちの上で、インコは「アア、ヤッパリジブンハ、カエルワケニハイカナイ」と叫ぶのだった。
「シェーン」昭和28年アメリカ作品
   昭和49年、中学生のときにテレビのロードショーで観ました。
  シェーン、カッコ良かった。男の美学と哀愁が詰まってましたね。
  美しいワイオミングの山並みをバックに流れるテーマ曲「遥かなる山の呼び声」 も印象的でした。
    この時かははっきりしないのですが、ラストの名場面、「シェーン!カンバッーク!」のところは吹き替えではなく、原版の英語で放映されたのがうれしかった。
『東京リベンジャーズ2 血のハロウィン編 運命』
—とにかく、早く続きが観たい—
原作コミックは、これまで読んだことは無いが、映画化された前作の面白さに魅かれ、俄かファンとなった『東京リベンジャーズ』の第2弾・前篇。本作の公開を待ちわびていた一人。
前作で、無事にドラケン君が殺されるのを阻止して、ヒナタの命を救ったタケミチ。しかし、生き返ったヒナタとのデート途中で、再びヒナタはタケミチの目の前で殺され、しかも、その犯人が、アッ君というから、最初から謎が深まるシーンで幕を開ける。
本作も、再び愛するヒナタの命を救う為に、タケミチが、タイムリープを繰り返して、過去を変えようと東奔西走するストーリー。しかし、そこには、東京卍会の創設当時のメンバーの中で起こった、語られてこなかった忌まわしき出来事があった。それを機に、創設メンバー同士の亀裂と憎悪が交錯し、卍会が反紗組織へと変貌を遂げるきっかけとなっていく。
タケミチは何とか、卍会が変貌することを阻止しようと奮闘する中で、現代に存在するドラケンから聞き出した真相は、あまりに衝撃的な一言。観る者に「エッ?」「何で?」と、次の展開がすごーく気になる所で、エンド・ロールのto be counteinued…。というのも、作り手側の上手い戦略。続きが気になり、早く後編を観たくなる。
本作が、単なる青春群像劇ではなく、タイム・リープを絡めたファンタジーでもありながら、極上のサスペンス・ミステリーとしての面白さも加味した、エンター・テイメント作品としての魅力もある。過去と現代が交錯する中で、練りに練られた構成と脚本は、観る者を引き付ける。
出演者も、若手の生きのいい俳優が勢ぞろい。主演のタケミチには、北村匠海。そして、卍会のマイキーは吉沢亮、ドラケンに山田裕貴、ヒロイン・ヒナタには、唯一の女性出演者である今田美桜が演じ、ヒナタの兄・ナオトには杉野遥亮、三つ谷には眞栄田郷敦、等の不動のメンバーの他にも、永山絢斗、村上虹郎、高杉真宙、間宮祥太朗、磯村優斗、清水尋也等、豪華俳優陣が顔を揃えているのも、本作の魅力だ。
とにかく、早く続きが観たい
『座頭市と用心棒』
 ☆☆
 1970年度作品。カラー、ヴィスタ・サイズ、製作、主演、勝新太郎、共演、三船敏郎、若尾文子、滝沢修、嵐寛寿郎、岸田森他、脚本、岡本喜八、吉田哲郎、撮影、宮川一夫、音楽、伊福部昭、監督、岡本喜八、上映時間116分。
 座頭市シリーズ20作目、シリーズ最大のヒットとなったそうである。そりゃそうだろう勝新の市と三船の用心棒が対決とくれば誰もが観たいと思う。おまけに紅一点は若尾文子だし。
 他にも豪華キャストである。新劇の大御所滝沢修は出てるわ岸田森は殺し屋で出てるわ元鞍馬天狗の嵐寛は石工役で出てるわでほぼオールスターである。
 スタッフも監督は東宝から招かれた気鋭の岡本喜八だし撮影は名手宮川一夫である。期待するなと言う方が無理だ。
 しかし、しかしである。出来は芳しくない。
やはり両雄並び立たずというか船頭多くて何とやらというか。。
 あまりにあれこれと詰め込もうとし過ぎたのではあるまいか。市と用心棒だけでも凄いのに岸田森の殺し屋まで登場させるがちょっと黒澤明映画の仲代達矢を意識したようなキャラなのにほとんど生かしきれていない。嵐寛の使い方などもあまりに勿体ない。
 物語的にもおそらくジョン・ヒューストン『黄金』(48)あたりを意識したのであろう争いまで持ち込んでお話と役者の交通整理がついていない感じだ。
 クライマックスの雪が降り風が吹き砂金が雪と共に風に舞うあたり演出的にも撮影的にもノリノリでやりたかったのだろうと想像は付くのだが。。
 結局の所、エンターティーナー岡本喜八と芸術派カメラマン宮川一夫の悪い所が勝手に野合したような仕上がりになってしまったという言葉につきるという気がする。何とも惜しい映画であった。
郵便配達は二度ベルを鳴らす(1980)
当時32の主婦役のジェシカ・ラングは妖艶だ。その主婦を自分のものにする悪党のジャック・ニコルソンの間男もピッタリ役。しまいには主婦の夫を2人で殺す。裁判もえげつない弁護士の作戦で無罪となる2人。結局この2人は似たもの同志。やがて2人は新たな道を歩み、子供を作り2人の幸せな家庭を夢見るが、そうはいかないラストに因果応報を感じる。悪い事をすれば悪い結果の報いが有る。神様はちゃんと見てるよ、と思ってしまう。
ロビーカードの魅力
『エレファント・マン』デヴィッド・リンチ監督作品
       (🇬🇧🇺🇸1980年製作/東宝東和 昭和56年日本公開)
ただの "つけ物"は やがて化け物(大ヒット作)になる!
最後まで配給が決まらなかった奇跡の大ブーム!
19世紀のイギリスで「エレファント・マン」と呼ばれた青年ジョゼフ・メリックの半生を描く実話。日本では 「レイダース 失われたアーク」を押さえて 1981年度洋画興行収入ベストワンになりました。
しかし、意外にも この映画を買い付ける配給会社がなかったのです。東宝東和は「ミュージック ミュージック」を配給しました。映画を製作元から買い付ける場合、1本買えば 売れ残った映画数本が つけ物として加算されます。配給会社は それらの つけ物映画を 地方の二本立て上映に回すか、1985年以降は 劇場公開をせずにビデオだけでリリース、または宣伝費などで初めから赤字が見込まれる時には お蔵入りしてしまうことも。
「エレファントマン」は実は「ミュージックミュージック」の つけ物だったのです。
しかし、「ミュージックミュージック」は興行的には失敗。この時 「エレファントマン」はイギリス アカデミーで注目され、海外での反響が高まり始めました。
東宝東和は、緊急的上映を決め 2ヶ月弱の宣伝に懸けました。ポスター、チラシに見られる美しいビジュアルの数々。予告編でも 主人公の素顔を見せず、時には 作品性に反して いかがわしい表現も少なくはなかったのです。
布袋の中の顔が見たい、大ヒット その初期の理由は 「怖いもの見たさ」だけでした。しかし座席に座った観客は その映画が 見世物として強いたげられた 不幸な青年の魂のドラマである事を知り 涙します。
そして その感動は 口コミとして伝えられ 封切り館は 溢れるような動員に成功したのです。
そして、時期もタイミングも良かった。この年は「国際障害者年」。これは 国際連合が指定した国際年の一環で、「精神薄弱者の権利宣言」、「障害者の権利宣言」、それらを単なる理念としてではなく社会において実現したもので、日本では ドイツが「ブリキの太鼓」、東宝が「飛鳥へ そして見ぬ子へ」「典子は今」を公開。これらは身体にハンディを抱えながらも多感に生きていく人々を描いた作品です。
エレファントマン、ジョン・メリックを演じたジョン・ハートの演技は素晴らしく それはイギリスアカデミー 最優秀男優賞を 獲得しました。ジョンを守る医師にアンソニー・ホプキンス。 花形舞台女優に アン・バンクロフト。これは夫で 監督のメル・ブルックスが本作のプロデューサーだからキャスティングされたのでしょう。
まだまだ封切りして すぐレンタルビデオの棚に並ぶじだいではなかったのですが、本作は劇場公開の翌年、1982年にブラウン管に登場、TBS 月曜ロードショー。
26パーセントの数字を記録。これは1982年の洋画放送視聴率の一位でもありました。
解説の荻昌弘先生は こう語っています。
「接するすべての人が、みなどんな地金で生きているのか、どんな人間の本音で生きているのか、それをむき出しにされてしまう、そういった力を持っていた人だったのだと思います。この映画はつくづくそれを教えてくれます」。
『ミアとホワイトライオン 奇跡の1300日』(2018年製作)
監督 : ジル・ド・メストル
原案・脚本 : プルーン・ド・メストル
少女とホワイトライオンの友情、家族の再生を通し、南アフリカで社会問題となっているトロフィー・ハンティングの一種「缶詰狩り」をテーマにしたドラマ。3年以上の年月をかけて撮影され、少女とライオンのリアルな関係性や南アフリカの大自然をCGなしで描く。
ーーーーーー
ライオンファーム経営のために、家族とともにロンドンから南アフリカに移り住んだミアは、心の病んだ兄にかかりきりな母、ファーム経営に必死な父の間に孤独を感じていた。
新しい環境に馴染めない日々が続く中、クリスマスの日にホワイトライオンのチャーリーが誕生する。当初は心を閉ざしていたミアだったが、まとわりついてくるチャーリーの世話をし、ともに成長していくうちに互いに特別な友情で結ばれていく。
それから3年がたったある日、ミアは父がファームで育てたライオンを、囲いの中で野生動物を狩る「缶詰狩り」の業者に売っていたことを知る。ミアはチャーリーを守るため、様々な危険に立ち向かいながらティムババティ野生保護区を目指すが・・・。
ーーーーーー
実は、観る前に動物系ホッコリを想像していましたが、そういう感じはなかったです。
序盤である3年弱かけてライオンの成長を捉えながら、主人公や兄を演じた子役俳優も明らかに成長しているというドキュメンタリー的要素が面白い。
主人公と家族の葛藤という主軸が、しっかりと成り立っているおかげで、最後まで目が離せないような感覚でした。
人間のエゴと尊い絆が上手く混じり合っており、人間と野生動物の共存についてのメッセージも感じます。
「キャスト・アウェイ」(原題:Cast Away, 2000)は、ロバート・ゼメキス監督とトム・ハンクスのコンビ。1994年の「フォレスト・ガンプ/一期一会」(ハンクスはアカデミー賞主演男優賞受賞)以来2度目となる。
トム・ハンクスは「キャスト・アウェイ」で第73回アカデミー賞で主演男優賞にノミネートされた(ゴールデン・グローブ賞主演男優賞獲得:ドラマ部門)。
 
無人島に流れ着いた男性のサバイバル生活を描き、シーンのほとんどをトム・ハンクス1人で演じた。Cast Awayとは”漂流者”のこと。
トム・ハンクスが最初に登場するときには、おなかもでっぷりしていたが、最後のほうでは、激やせで、同一人物とは思えないほどだった。極限状態に置かれた人間が、何を目標に生き延びることができるか、など様々なヒントも含まれていた。
チャックは、生き延びることができるのか。救援はやってくるのか。どうやって食料を補給するのか。壮絶な孤独で、生死をかけた苦闘が始まる…。
・・・
映画のオープニング・シーンは、テネシー州メンフィスのメンフィス国際空港に拠点のある国際運送会社大手のフェデックス(FedEx)の配送トラックと荷物。エルビス・プレスリーの生誕地として名高いメンフィスだけに、トラックからはエルビスの曲が流れる。
荷物がトラックに積み込まれ、やがてトラックの荷物は、”北の国”へ。雪の北国(ロシア)で、荷物を受け取るシーンまで、淡々と描かれる。
 
・・・
フェデックスに勤めるチャック・ノーランド(トム・ハンクス)は、時間との戦いに執念を燃やす幹部社員。”2分遅れです” という報告があれば、「2分、4分、6分、と遅れる。そうなれば、USメール(米国郵便サービス:USPS)と同じになってしまう」と従業員に、ハッパをかける。
 
社用機で飛ぶ出張先にも自らストップウォッチ入りの荷物を送って時間を計るほどの徹底ぶり。今回も、メンフィスを出て、ロシアの目的地到着までに87時間もかかっていると不満をぶちまける。
チャックは、仕事も充実しており、結婚を考えている恋人のケリー(ヘレン・ハント)もいて、不満のない人生だった。ある日「すぐに戻るから」といつものようにケリーに告げ、社用機で出張に出かけるチャックだったが…。
 
それは突然やってきた。乱気流に衝突したのか、飛行機がものすごい揺れをおこし、操縦士も、モノにぶつかり大けがを負う。チャックもなんとか、救命具を身に着けるが、飛行機は、操縦不能となり、海に突入、浸水。操縦士など他の5人は全員死亡。奇跡的に生き残ったのはチャックただ一人だった。
 
・・・
チャックは、懸命に浮き輪にしがみつき、目が覚めると、南太平洋の無人島の海岸に打ち付けられていた。命はあったが、まわりにいくつかのFedExのパッケージが落ちており、それらを回収。そこは人っ子ひとりいない、完全に孤立した孤島であることがわかる。
 
FedExのボックスを、”あるひと箱”だけ開封せずに、あとはすべて開いてみると、パッケージには様々な人生が詰まっているようだった。”離婚届”が入っていたり、”VHSビデオテープ”や”誕生日のお祝いメッセージ”や、”衣類”や”スケート靴”や、”バレーボール”(Wilsonのロゴが描いてあった)などであった。
実は、この空けなかったボックス1個とボールが、チャックの運命を大きく変えるのである。 チャックの叫び声:Wilson, I'm sorry! (ウイルソン、許してくれ!)と何回も。
なかなかの名シーンだった。
 
・・・
チャックは、この無人島で、1,500日(約4年間)も過ごすことになり、バレー・ボールの表面に、目と鼻と口を描き、ウイルソンと名付けて、人間と同じように、語りかけながら、火をおこし、ヤシの汁、魚などを獲って生き延びたのだが、いかだを作って、大海原に出て、陸をめざして、荒波に向かうたびに出るのだった。
 
4年後に、ケリーと再会するが、ケリーは、チャックは死んだものと思い、棺桶で葬儀も行っており、チャックのかかりつけの歯科医と結婚していたのだった。
 
過酷な運命を経て、チャックは、これからどのような人生を送っていくのか。ラストシーンは余韻を残すエンディングだった。
『吸血鬼ゴケミドロ』
 ☆☆
 1968年度作品。カラー、シネマスコープ・サイズ、主演、吉田輝雄、佐藤友美、共演、高英男、金子信雄、高橋昌也他、脚本、高久進、小林久三、撮影、平瀬鎭雄、音楽、菊池俊輔、監督、佐藤肇、上映時間84分。
 海外でも人気の怪奇SF映画である。クェンティン・タランティーノもこの作品のファンを公言しており『キル・ビル』(03)の夕焼け空は本作からの引用である。
 飛行機が不時着し9人の生存者のサバイバル・ドラマとなる。今風に言えばゾンビSFという事になろうか。ベトナム戦争時代を反映している。宇宙人の侵略だが怪奇と恐怖の度合いが強い。まだ日本ではUFOという言葉が浸透していなかった時代のアダムスキー型空飛ぶ円盤のレトロな味わいが懐かしい。
 奇しくも同年にアメリカでは怪電波で死者が蘇るというジョージ・ロメロのモノクロ、スタンダード・サイズ映像作品『ナイト・オブ・リビング・デッド』(68)が作られている。
 あちらは作者が意図した以上のものが表現された傑作であったとは思うが怪奇とSFのバランスとカラー作品ならではの夕焼け空、血の色、アメーバ状の青い色などの色彩演出とシネマスコープの画面構成など本作もなかなかにいい。特撮映画をほとんど手がけていなかった松竹が『宇宙大怪獣ギララ』(67)に続いて放った意欲作である。『宇宙大怪獣ギララ』はユルユルの凡作であったが本作は上出来であったと思う。この路線も監督もこれで終わってしまったようなあたりいささか惜しまれる。
『あの胸にもういちど』
 ☆☆★
 1968年度作品。イギリス、フランス合作、カラー、ヴィスタ・サイズ、出演、アラン・ドロン、マリアンヌ・フェイスフル他、原作、アンドレ・ピェール・マンディアルグ、脚本、ロナルド・ダンカン、音楽、レス・リード、台詞、撮影、監督、ジャック・カーディフ、上映時間88分。
 3度目の鑑賞。上映時間88分のバージョンだったがオリジナルは91分。初公開時に過激なシーンはカットされていたようだ。もしかしたら僕はノーカット版は未見かも知れない。90年代以降何度かリバイバル公開されているがタイミングを逃してスクリーンでは未鑑賞のままとなっている。ノーカット版ブルーレイはリリースされているようだ。廉価版を待とう。
 かなり好きな作品である。戦後イギリス色彩映画の素晴らしさを世界に知らしめたカメラマン、ジャック・カーディフが撮影、監督の他台詞まで手がけたワンマン的映画でやはりその映像感覚が何よりの魅力と言うべき異色の官能的メロドラマである。
 早朝、夫の横のベッドを抜け出し裸体に黒革のつなぎ服を身につけてオートバイに跨がり国境を越えて愛人に会いに行く若妻の回想と妄想が描かれている。
 60年代らしくネガポジ反転のサイケデリック的な画面もあるが全編耽美的といっていい映像感覚はやはりパウエル&プレスバーカー作品の名カメラマンだと思わせる絵づくりである。
 風景の捉え方や花をあしらった構図などもいい。女のように横たわるアラン・ドロンの局部のあたりに薔薇の花の花瓶をあしらった構図など後の日本のポルノ映画演出にも大きな影響を与えているようだし何よりヒロイン、マリアンヌ・フェイスフルがこの時代のポップ・アイコンとなって日本アニメの金字塔「ルパン三世」の峰不二子のモデルとなったと言われている。
サブ・カルチャー史的にも重要な作品である。
 いずれ又ノーカット版で鑑賞したいと思っている。
『野性の証明』
  森村誠一
1980年、過激派の人質となった米国大使を、自衛隊特殊工作隊が救った。味沢はその中でも、トップクラスの優秀な隊員だった。味沢が岩手県の山中で、単独訓練中、村では大量虐殺事件が発生。5戸12名が惨殺。
集落唯一の生存者は、13歳の頼子だけ。頼子は恐怖のあまり記憶喪失になっていて、「青い服を着た男の人..」と呟くだけだった。事件後、味沢は除隊して、羽代市で保険外交員となり、記憶を失った少女・頼子を養女にして暮らしていた。
味沢は、大量殺人事件で姉を殺された朋子と親しくなるが、記者である朋子は、ある交通事故の取材をしていた。交通事故で死んだ女性には、一週間前、6千万円の保険がかけられていて、味沢の顧客だった。同乗していた男は、羽代市を牛耳っている裏稼業一族の不正を暴露するメモを持っていた。記者の朋子は事故とは思っていない。味沢も独自に調査をする。
保険金事故の真相や、不正な土地取引を明るみに出されたくない一族は、じりじりと味沢を追いつめていく。事件を捜査している岩手県警の刑事は、同時に、大量虐殺事件の捜査の中で、味沢の隠された過去に目をつけていた。
はたして
 味沢と羽代市を支配する一族との闘いはどうなるのか
 大量虐殺事件の犯人は誰なのか
 「野生の証明」って何なのか..
カッコイイ場面が印象的❣
脅しをかけてきた暴走族に対して、あるモノを使って一台のバイクを急停止させる。搭乗者は放り出されて、激しく地面を転がる。元自衛隊員で、特殊な訓練を受けていた味沢。その実力チラ見せのかっこいいシーン!
森村節も冴えてる❣
・・・高度化する機械文明のなかで、精神だけ未発達のまま取り残されてしまった哀れな若者の姿である。彼はせめて高性能のマシンにまたがって、精神の遅れを取り戻そうとしていたのかもしれない・・・
凄いな、と思いました。
無惨な大量虐殺事件から始まり、主人公が犯人なのか~!という疑いはラストまで消えない。なのに、主人公への感情移入は昂まり続ける。森村さんお得意の、警察や極道をも支配する地方都市の暴君のバイオレンスもの。
不安や怖さで、手に汗にぎりながらの爆裂終盤突入!!
ず~ッと前に、映画は見ていたものの、最後までドキドキは止まりませんでした
✨✨✨
「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」
は、1966年の東宝映画。監督は本多猪四郎ではなく、福田純。前年の「怪獣大戦争」のあとの作品。小生は、劇場リアルタイムで鑑賞。
キャストは・・・
宝田明、水野久美、砂塚秀夫、平田昭彦、田崎潤ほか。
今回は、日本、首都東京から離れて、南海の孤島が舞台。
消息をたった漁船の乗り組員の兄の行方をおって、弟の良太が、ひょんなことから知り合った二人組(砂塚、当銀 長太郎)と、港に停泊中の太平洋横断ヨットの一艘に、潜り込む。
そこには、銀座で大金強盗の犯人・吉村(宝田明)が、密航。三人は、翌朝、ヨットから降りる予定で眠りに着くが・・・
良太は、兄を探しに行きたい一心でヨットを出航させてしまう。
しかし、運悪く、嵐に会い、船は転覆、南海の見知らぬ孤島に四人は流れ着く。
そこは、ひそかに核兵器を開発する悪の組織「赤い竹」の秘密基地がある島だった。さらにインファント島から奴隷として拉致してきた島民を強制労働を強いてもいた。島のまわりには、エビラという突然変異の怪獣がひそみ、通りかかる船を襲う。唯一、黄色い実からとった汁を嫌うため、拉致島民に、その製造を強制している。
ひょんなことから、連れてこられた島民の中から逃げ出したダヨ(水野久美)と行動を共にすることになった吉村ら四人。しかし、運の悪いことに、赤い竹に発見され、追われることに。偶然に逃げ込んだ洞窟。そこには、深い眠りに落ちたゴジラが・・・。一か八かで、落雷の電気ショックでゴジラを蘇らせ、赤い竹を混乱に陥れようと画策する吉村たち。運よく、嵐のなか、ゴジラがよみがえり、赤い竹やエビラと一戦を交えることに・・・。そして、インファント島では、連れ去られた島民を救うため、長い眠りについていたモスラを目覚めさすため、小美人と島民が祈りと踊りを続けていて・・・。
この作品では、南海の孤島が舞台のため、ポンポン砲をはじめとした地球防衛軍の兵器、逃げ惑う大量の人々、外星人などなどは、登場しない。ゴジラに対峙するのは、新怪獣のエビラと、巨大コンドルのみ。モスラは、特別出演的な出方にとどまる。また小美人は、二作で、その役をつとめたザ・ピーナッツではなく、ベア・バンビがつとめたのでしたよ。
ちなみに、リバイバルでない新作怪獣映画は、このころ、劇映画との二本立てが普通、前作「怪獣大戦争」の併映が「エレキの若大将」だったのに対して、今回の「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」の併映は、夏木陽介・主演の「これが青春だ!」。
タイトルから、テレビドラマで竜雷太・主演の同名青春ドラマと混同しそうだが・・。この映画は、夏木陽介・主演の青春ドラマ「青春とはなんだ」の劇場版。
原作は、あまり知られていないかもしれないが・・かの石原慎太郎で、初映画化は、この作品ではなく、日活で、弟の裕次郎主演「青春とはなんだ」で映画化されていたのでした。
#東宝怪獣映画
#南海の大決闘
『愛と哀しみの果て』
 ☆☆★
 1985年度作品。カラー、ヴィスタ・サイズ、出演、メリル・ストリープ、ロバート・レッドフォード、クラウス・マリア・ブラウンダー他、原作、カレン・ディーネセン、脚色、カート・リュードケ、撮影、デビット・ワトキンス、音楽、ジョン・バリー、製作、監督、シドニー・ポラック、上映時間161分。
 メリル・ストリープ主演の女性映画というかアフリカを舞台に展開する大河メロドラマである。アカデミー賞では作品、監督、脚色、撮影、美術、音響、音楽の7部門受賞。
 ウーマンリブの先駆のような女性の半生が描かれたメリル・ストリープのワン・ウーマン映画ではあるが今となっては「最後の正統アフリカもの」の趣が強い。
 現地ロケの「アフリカもの」は数多く作られてきたがすべて実写で雄大な大地を捉え本物の動物を多数登場させた「アフリカもの」はおそらく本作が最後だったのではあるまいか。この後クリント・イーストウッドの『ホワイト・ハンター、ブラック・ハート』(90)があったがあれはある種メタ映画であったし登場する動物の多彩さや風景の雄大さのスケールでははるかに小さくまとまった仕上がりであった。
 近年も「アフリカもの」はぽつぽつと作られているがCGを多用していたりそれどころか全編CGであったりで僕は「どっか違う」という違和感を抱きながら鑑賞した。
 それに対して本作はやはり雄大かつロマンを感じさせる「アフリカもの」となっている。
 公開時の鑑賞ではさほど感服しなかったが今回の再見で評価が上がった。やはり撮影賞受賞のデビット・ワトキンスのカメラによる雄大な風景は魅力的だ。猛獣との共演もかなり手間がかかったであろうと想像される。
 ハリウッド映画に相応しいジョン・バリーの主題曲も情感たっぷりだしポラックの演出も堂々たる格調がある。
 レッドフォードの墓の回りにライオンが住みつくというラストも余韻があった。『風とライオン』(75)に倣って言えば彼は世界に吹き抜ける風であると同時に大地の王者ライオンでもあったという事か。
増村保造『兵隊やくざ』(1965)
子供の頃には、日曜日の夕方から民放TVで日本映画を毎週放映していたと記憶しています。標題は、その中でもシリーズとして放映していたのですが、その記念すべき第1作です。最近、CSで放映したので、半世紀以上も昔に観たこの作品を改めて観直しました。
舞台は昭和18年のソ連国境に近い孫呉の丘にそびえ立つ関東軍兵舎です。
ここに、浪花節語りからやくざになった札つきの暴れ者と噂される大宮貴三郎(勝新太郎)が初年兵として入隊してきます。早々に大宮は浴場で大立ち回り、十数人の砲兵隊をブチのめしてしまいます。指導係を任された大学出のインテリ上等兵の有田(田村高広)は頭をかかえますが、規律に縛られない奔放な大宮に奇妙な友情を感じていきます……。
有馬頼義氏の「貴三郎一代」を原作として菊島隆三氏の脚本によるこの作品は、有田のナレーションでプロットが展開する事により、有田の軍隊を嫌うインテリのキャラは、アナーキーなメンタリティも持った人物として既に明確に造形されています。冒頭には次のような呟きが印象的です。
「兵隊の話は、もうごめんだって? 私も同感だ。20 年経ったいまでも、カーキ色を見るたびに、胸糞が悪くなる。なにしろ、故国を何百里と離れた満州の、それも北の果て、ソ連との国境に近い孫呉という街で、四年も兵隊の生活をしていたのだから」
その点、大宮の寡黙な佇まいでの登場は、その出自も含めて謎めいたキャラとして登場している印象が強かったのですが、ラストに向けた展開はその頭の良さを上手く描いています。
「インテリとやくざ」の組み合わせでのその関係を、現在ではBL的な解釈も成立するのかもしれませんが、この第1作が、同年には田村高広氏も出演している傑作の『清作の妻』が公開された増村保造監督作品であったことは、改めて吃驚した作品でした。
この作品の特徴が、戦場を舞台とするも戦闘シーンの無い内務班の宿舎内の出来事を描いていることから、その主題としては、日本軍が劣勢となっている戦争末期の極限状況の中、軍隊組織は階級ではなく年功序列が貫かれていて、日常化している制裁に観られる非人間性や、戦争自体の愚かさを痛烈に批判している点が受け取れます。
更に増村監督らしい点としては、報復シーンに観られる暴力描写のリアリティや、特に身体性を強調するような映像表現に、単なるアクション・コメディに留まらない独自性も改めて垣間見ることが出来るでしょう。
「悲しみは星影と共に」(1965)は、イタリア映画で、哀切のメロディと、チャップリンの娘、ジュラルディン・チャップリンが印象に残る映画だった。サウンドトラックを聴けば「あぁ、あの曲だ」と蘇る。一度聴いたら忘れない曲。 
大戦下のユーゴスラビアを舞台に、激動の時代に青春を謳歌した少女の姿を描くドラマ。
・・・
第二次大戦下のドイツ占領下のユーゴスラビア。
当時、ユーゴスラビアは、ドイツの占領下にあった。パルチザンに恋した一人の少女レンカが、ドイツ軍の目をくぐって恋人と密会を重ねる。彼女には盲目の弟ミーシャがいるが、恋人と会うときは柵に縛り付けたりする。
若いレンカにとって、青春の唯一の甘美な思い出は、保育園でのイヴァンとの淡い恋の数日だけだった。ある日、戦争で死んだと思った父が帰還して喜ぶが、負傷した娘の恋人をかばって死んでしまう。そして、彼女は捕らえられ、収容所に送られるのだった。
ミーシャには「目の手術のため病院に行くのだ」と話した。
「もうすぐ、何んでもみえるようになるのよ」ミーシャの肩を抱きしめ、貨車の中でしゃべり続けるレンカの頬を、涙がとめどなく流れるのだった。
泣かせる映画だった。
監督: ネロ・リージ
音楽: イヴァン・ヴァンドール
出演:
ジェラルディン・チャップリン(「ドクトル・ジバゴ」)
フェデリーコ
ニーノ・カステルヌオーヴォ(「シェルブールの雨傘」)
ステファニア・カレドゥ
「半落ち」(2004)は「2003年週刊文春ミステリーベスト10」第1位に選ばれた横山秀夫の同名ベストセラー小説を「ツレがうつになりまして。」などの佐々部清監督が映画化したサスペンス。
妻を殺し、自ら警察に出頭してきた元警部。しかし、彼の行動には不透明な部分があった。家族の愛を描いた、胸を締め付ける切ないストーリー。
骨太映画で、生きるとは、など考えさせる映画だった。
・・・
ある時、とても悲しい事件が日本国内で起きた。長年警察に所属し、正義のために尽力してきた梶聡一郎(寺尾聰)という警部が、自分の妻(原田美枝子)を殺したと、自ら警察署に出頭してきたのだ。梶の妻は、長年アルツハイマー病を患っていた。
たとえ警部相手で、例え相手が罪を認めていたとしても、取り調べは行わなければいけない。取り調べを担当することになったのは、取り調べの腕を認められている志木(柴田恭兵)という男性警官だった。
梶がすでに容疑を認めているため、取り調べは滞りなく進んでいくはずだった。しかし、よくよく話を聞いてみると、梶が妻を殺したのは今日から数えて三日前だった。つまり、梶は妻を殺してから2日経過してから警察に出頭してきたのである。
志木はそのことに触れ、この2日間何をしていたのか梶に問いかける。しかし、今まで包み隠さず正直に答えてきた梶が、その空白の2日間に関しては一切口を割らなかったのだ。志木は、この2日間に何か重要なことが隠されていると考える。
・・・
謎がわからないまま、ミステリーを残してストーリーは、展開されていく。
警察による供述の捏造、県警の不正なども浮かび上がるが、ついに裁判の時を迎える。
その結末は・・・。
・・・
2005年度の日本アカデミー賞で、最優秀作品賞、最優秀主演男優賞(寺尾聡)などを受賞。主人公の妻を演じた原田美恵子の演技も光っていた。樹木希林の裁判での証言は、文字通り”鬼気(きき)”迫るものがあった。
骨太映画で、生きるとは、など考えさせる映画だった。
出演:
梶聡一郎:寺尾聰 - 元県警警部
梶啓子:原田美枝子 - 聡一郎の妻
藤林圭吾:吉岡秀隆 - 裁判官特例判事補
藤林澄子:奥貫薫 - 藤林の妻
藤林圭一:井川比佐志 - 元裁判官で藤林の父
辻内:本田博太郎 - 裁判長
中尾洋子:鶴田真由 - 新聞記者
片桐時彦:田辺誠一 - 洋子の上司
佐瀬銛男:伊原剛志 - 検事
植村学:國村隼 - 弁護士
植村亜紀子:高島礼子 - 学の妻
高木ひさ江:奈良岡朋子 - 啓子の主治医
島村康子:樹木希林 - 啓子の姉
岩村肇:石橋蓮司 - 県警刑事部長
加賀美康博:嶋田久作 - 県警本部長
小国鼎:西田敏行 - 検事正
伊予数男:中村育二
志木和正:柴田恭兵 - 県警捜査一課強行犯係指導官(警視)
古賀誠司:笹野高史 - 刑務官
野村萬斎「陰陽師」
「陰陽師」は、2001年に夢枕獏の同名小説を映画化。監督は、滝田洋二郎。
キャストは・・・
野村萬斎、伊藤英明、真田広之、小泉今日子、今井絵理子、夏川結衣、柄本明、萩原聖人、岸部一徳ほか。
映画は・・・・
魑魅魍魎がばっこする都。帝に誕生した親王の周辺で起こる怪異に挑む陰陽師・安倍晴明。そして、清明との出会いがきっかけで親交を結ぶことになる源博雅。ふたりは、其の怪異の真相を探っていくのだったが、そこには、陰陽をつかう道尊の血濡れた陰謀が隠されており、かつて150年前に無実の罪で追われ悪霊として封印された早良親王の復活による呪いの成就という恐ろしい企みが・・・。清明と博雅は、共同してこの大きな脅威に立ち向かうのだったが・・・。
この映画で、みどころは、なんといっても、狂言師である野村萬斎が見せる、舞。続編ではより、其の見せ場が際立つのでしたよ。
【怪物】
〜日本映画界の叡智が結集した極上の逸品〜
[ネタバレ注意❗️] 内容について書いています、未見の方はご鑑賞後にお読みください。
「凄い映画を観た!」というのが率直な感想である。繊細な日本人だからこそ描くことができた映画だと言える。演出、脚本、撮影、美術、音楽、そして俳優たちの日本映画界の叡智が結集した逸品である。黒澤明の「羅生門」だとか、「バラバラになったパズルを1ピースごと組み立てる」だとか、ありきたりの表現では計り知れない知性と感性に満ちた奥深い作品である。
人は小説や映画などの物語の中に、無意識のうちに「善」と「悪」の図式を頭の中に描きながらストーリーを追ってしまう。現実の中でも、自分の経験や価値観、道徳観念で物事を捉えて、賛同したり、反感を持ったりする。この映画は、そんな人々が普通に持っている感覚に、痛烈な「罠」を仕掛けてくる。既に「怪物」というタイトル自体が観客を惑わせる強烈な「罠」となっている。登場人物も観客も「怪物」探しを仕向けられている二重構造が秀逸である。
冒頭の火事のシーンから映画は不穏な空気を纏い、シングル・マザーの安藤サクラとその息子で小学生の湊との日常が描かれていく。ある日、母親は湊が学校でいじめに遭い、担任の教師の永山瑛太から暴力を振るわれているのではないかと疑念を抱く。息子を守るべく学校へ乗り込んだ母親は教師たちの不誠実な対応に絶望感を感じる。だが、映画は教師の永山瑛太の視点で描かれる次のステージで、映画の様相がガラリと変わる。
映画は3部構成となっており、母親の視点、教師の視点、そして湊と同級生の星川君との視点となり、この映画の最大の核心部分となっていく。2人の子供が紡ぐストーリーに心が揺さぶられ、心も体も成長過程にある2人の小学生の純粋な心根が観るものの胸に突き刺さってくる。ある意味、LGBT版「小さな恋のメロディ」と言える。
この映画は大人も子供も何かを「守る」ために行動を起こしていた物語である。大人は何かを「守る」ために一方的な決めつけで「悪」を見つけ、結論を急かし、相手の立場に立って物事を見極める事をしない。それらの指摘は、そのまま我々観客に向けられている。
映画はクライマックスの嵐の夜が明け、快晴の朝陽の中を湊と星川君が駆けて行く希望に満ちたエンディングとなっているが、ここにも「罠」が仕掛けられている。湊が言う「僕たち生まれ変わったのかな?」というセリフが象徴しており、観客ひとりひとりの想像と感想に委ねられている。説明過多に陥いりがちな日本映画とはかけ離れたグローバル意識の高さに感銘を受けた。この映画は鑑賞後、必ず誰かと語り合いたくなる。是枝裕和監督と脚本・坂本裕二からの極上の映画体験に拍手。
前科者
考えさせられる重厚な映画です。
保護司というのは尊い職と感じました。千差万別だろうけれど。
弱い人間に寄り添う者は強い人より弱い人間の方が良い。傷みが解る。
有村架純は迫真の演技。
🐱旅猫リポート
有川浩
これは泣ける
涙がとまらない。。。
物語の主人公は、一人の青年と一匹の猫。
《⋆吾輩は猫である 名前はまだ無い
と仰ったえらい猫がこの国にはいるそうだ
その猫がどれほどえらかったのか知らないが
僕は名前があるという一点においてのみ
そのえらい猫に勝っている》
誇り高い野良猫。
ある日、交通事故に遭います。助けたのは、心優しい青年サトル。つけてもらった名前はナナ。かぎ型の尻尾が《7》に見えるし、縁起がいいラッキーセブンだから、とサトルは言う。でも、オス猫なのに女の子みたいだと
ニャーッ!《そんな名前はいやだ!》、と反論する。
でも、ナナの鳴き声を、喜んでいる、と勘違いするサトル。
そんな一人と一匹の、ささやかな楽しい暮らしが始まります。
いつもナナのことを一番に考えてくれる優しいサトル。
それなのに、ある事情でサトルはナナを手放す決心をする。
ナナの新しい飼い主を探すため、サトルはナナを愛車に乗せ、最初で最後の旅に出た。でも、これっぽっちも納得していないナナは、旅先で出会うサトルの友達に心を開かない。
小学校時代の友人のところでは、ゲージから出ようとしない
高校時代の友人夫婦のところでは、飼い犬に喧嘩を売る..
困り果てたサトルは、子どもの頃からお世話になっている叔母のもとを訪ねるのだが…。
『旅猫リポート』の面白いところは、登場する人たちの人生模様がリアルに描かれているところかな、と思います。
 幼い頃の友人とのすれ違い
 親との軋轢
 大人への不信感
 思春期の恋心と三角関係
 夫婦問題 など…。
そして、小生意気で、常に上から目線で、けど、憎めない。
そんな、したたかで、しなやかな
ナナの目線で描かれる世界がとても楽しい。
サトルとナナの、相性ぴったりなやりとりは、微笑ましく、心温まります。
感動のラストは、本を持っている手、そして心が震え、悲しくも温かい涙が頬を伝います。
猫好きの方はもちろん、誰かを愛している、誰かを愛した、というすべての人に、深く刺さるのでは、と思います。
強い絆で結ばれた一人と一匹の
おかしく 切なく あたたかい物語です🐾。
熊井啓『海と毒薬』(1986)
軍の命令により、生きたまま米軍捕虜を解剖する実験を行うため、撃墜されたB29搭乗員8名が九州の帝大医学部に連れてこられます。
その内の1人を対象に、人間の肺の一部をどの程度摘出しても生きていられるのかという、異常な生体解剖実験に参加せざるを得ない医学部研究生の勝呂(奥田瑛二)は、参加を選択したものの良心の呵責にさいなまれます。
そんな勝呂の様子をせせら笑う同期生の戸田(渡辺健)も、極限状態で何も感情が湧かない自分自身を疑い始めます。そこには学部内での権力闘争も相まって、1つの構造的な問題も露になっていきます・・・・・。
原作小説に忠実なプロットで見逃せない描写は、入院患者である桑原のおばはん(千石規子)の手術を実験的な意味合いで行おうとする過程を描いている点と、学内で権威ある教授の親族に当たる田部夫人(黒木優美)の手術を、橋本教授(田村高廣)が自らの学内での立身出世の手段として描いていることであり、その先に2人の「死」があることは、後の米兵の生体解剖のみを異常な行為として浮上させるのではなく、そこに至る行為の背後には、手術を行う当事者が日常的に持っている共通したメンタリティがあることを示唆しながら描いていると言えますし、当事者が置かれている個々の背景やその実存についても、原作のキャラ造形を上手く映像化しています。
そこには、戦時中であることで、空襲で人が簡単に死んでいく日常が繰り返されているというニヒリズムも背景にあることを、しっかり描かれていることも重要です。
勝呂自身は、そうした当時の学内でのモラルについての疑問を持ちながら、強制ではなく自身の判断として生体実験に参加して悩んでしまうことが1つの見どころにもなっています。
しかし一方で、生体実験を行った戸田が、そこに罪の意識を持てずにその結果をあくまでも「社会(世間)の罰」としてのみで受け止めている点が、むしろこの作品の最大のテーマと言えるでしょう。
モノクロで映し出したこの作品は、手術描写の背景となる白と黒のコントラストを強調した手術室などが、逆にリアルな情景として上手く描かいていています。また、いくつかの背景に題名である「海」を1つの象徴として映し出している点や、田部夫人の手術中の裏で起きたエピソードで登場する橋本教授の妻であるヒルダ(ワタナベ・マリア)の存在に準えることが出来ますが、この同じ手術場面を後に再現しながら描いている映像手法には目が留まりました。
原作は遠藤周作氏の同名小説ですが、この作品の最も注目すべき演出は、原作には無い設定として、この実験の顛末を戦後においてGHQのハットリ調査官(岡田真澄)が尋問することで、勝呂や戸田、上田看護婦(根岸季衣)などが過去を振り返りながら告白するという形をとっていることです。
この視点は、社会派作品を得意とする熊井啓監督ならではの脚色であり、既に勝呂達の行為を「1つの基準」から見つめるという手法を採っていることが伺われます。
つまり、いくつかの場面で挿入される勝呂や戸田によるモノローグとしてナレーションの形で描かれるその心情をも鑑み、観る側にその原作小説のテーマとなるこの「1つの基準=神」として、そのドストエフスキー的な「問い」を突きつけた形になっている点に、熊井監督による鮮やかな演出を観ることが出来ます。
そこには結論めいた答えが描かれている訳ではありません。だからこそ、この作品で大事なのはこの「問い」であり、その「意味」を受け取ることなのでしょう。
『ふるさと』1983年
監督・脚本 神山征ニ郎
舞台は岐阜県徳山村。人口1600人あまりの集落が日本一のダム湖にとって変わろうとしていた。村人たちもこの半年あまりの間にこの地を離れなければならない。
建設ラッシュが始まった。日毎ダイナマイトで山が吹っ飛ばされ、運搬のダンプが粉塵を上げて、引きも切らさず走り去ってゆく。
村人たちには立ち退き金が支払われるというが、それもままならないため、伝六(長門裕之)、花(樫山文枝)夫婦は工事現場で働く。
その間、伝六の父・伝三(加藤嘉)は家で留守番をするのだが、妻が亡くなってからボケが始まってきていて、夫婦の営みの最中に部屋に入ってくるなど、手を焼いた伝六郎はプレハブ小屋を立てて隔離する。
そんな時、隣家の少年千太郎(浅井晋)が来て、伝三はアマゴ釣りを教えて欲しいと頼まれる。
伝三は千太郎と釣りをすることで元気になり、ボケは軽くなったが、雨の日が幾日も続いて、釣りに行けない伝三は狂いだす。
目に余る奇行に伝六はプレハブ小屋に鍵を掛け外に出られないようにする、これに伝三は激昂し窓を叩き割るなど「親をなんだと思っているんだ!」と反発を強める。
そこに千太郎がやってきて窓の修復を手伝う。そして「爺、そんなするから」と窘められる。
やがて夏の終わり、伝三は大アマゴが棲む秘境・長者ヶ淵に千太郎を連れてゆく。
千太郎の竿にアマゴが掛かる。千太郎は釣り上げたアマゴを見せに伝三のもとに行くが・・
アマゴ釣りし川は湖底に沈み、故郷は追憶の彼方に去ってゆく。痴呆症の親と向き合う夫婦、その老人と少年の友情。この映画を観て在りし日の故郷を想い、自分の行く末に思いを巡らせ、そして涙する。
昭和の名優加藤嘉。ここにありという圧巻の演技を見せてくれました。
加藤さんはこの作品で、第13回モスクワ国際映画祭最優秀主演男優賞を受賞されています。
「ロスト・ケア」 葉真中 顕
プロローグで裁判の判決が降されるシーンから始まります。主要登場人物のナレーションとその事件及び犯人が明らかにされ、劇的に本章に引き込まれました。ただし犯人の特定を伏せ、ミステリーの頂点で意外性が明らかになります。
倒叙ミステリーと呼ばれるプロットとも違うようですが、結論から始まる手法は、あまりミステリーを読まない私には新鮮でした。
介護社会の実像に踏み込んだ完全犯罪の成りゆきが、日本の超高齢社会の問題を見事に洗い出した、本格的社会派ミステリーだと思います。事件を捜査する検事が、証拠固めではなく、該当介護施設のデータを積み重ねながら論理的に犯行を詰めて行くのが、非常に面白いです。また検事がクリスチャンである設定は、介護制度と殺人の矛盾を浮き彫りする重要な軸になっていると思います。
犯人が最初に犯した殺人は、一人で介護をしていた認知症の父親に対してでした。43人もの殺害を続けた原点がここにあり、最終の前章での語りですが、93歳の母をみる私にはとても身につまされる話でした。検事がある被害者家族に訊ねるシーンがあります。「お母さんを殺害した犯人にどのような思いがありますか。一生懸命介護されてきた○○さんはさぞや無念でしょう。」 はいと答えるしかない被害者の胸には、じつはくやしさも無念も無く「自分も母も救われた」という微かな感謝があることは否定出来ないのでした。
「家族介護は日本の呪い」と言う一文が私の胸にも覆い被さりました。
最終章で、刑務所で検事と犯人が対峙するシーンは、執拗な解説じみて私には不要だった気がしますが、章のまとまりとして必要としたのかな。
映画は日本のトップ俳優が演じているのでぜひ見たいですが、まだ見ていません。
ジェームズ・マンゴールド
『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』(2023)
標記は、シリーズ最終作です。“人間の想像を超える力”を持つ謎に満ちた伝説の秘宝を巡り、考古学者にして冒険家のインディ(ハリソン・フォード)が、因縁の宿敵、元ナチスの科学者フォラー(マッツ・ミケルセン)と全世界を股にかけて陸・海・空と全方位で争奪戦を繰り広げます・・・!
新作なので、プロットの詳細は割愛し、その設定の面白さについてのみ触れたいと思います。
冒頭は、プロットのガジェットのなる「運命のダイヤル」の奪い合いをめぐって、第二次世界大戦末期のナチスの列車を舞台に、当時の年齢の姿によるその動きの素晴らしさに目を見張るインディの活劇がみられます。
その若々しいインディの雄姿は、AIによる映像処理の面白さなのですが、メインの舞台は1969年です。
教授定年を迎えるインディは、70歳(実際のハリソン・フォードは80歳)であり、早朝から近所でけたたましく奏でられる『Magical Mystery Tour』を騒音として受け止め、大学の授業では生徒に注目されない、激動する時代に取り残されたような存在として、年齢に応じた等身大のキャラとして設定されています。
その時代背景から、息子はベトナム戦争で戦死し、その失意から妻は精神的にバランスを崩すも、自身はそれに対して支えることもできなかったことから2人は離婚して、現在のインディはその初動において、過去の栄光を懐かしむ孤独な老人であると受け止めた事が興味深い点です。
敵対するナチの残党であるフォラーは、「運命のダイヤル」を手に入れて歴史修正を目論んでいるのですが、インディ自身もその目的は違えども、ラストのクライマックスに向けて、同じように歴史修正を肯定する心性が基調にあることでプロットは展開されてきたという受け止めをしました。しかし、そこには最終章の完結にふさわしいサプライズエンディングも用意されてはいます。
その点、プロットの中には過去作品へのオマージュと見受けられるシーンも盛り込んでいるのですが、1981年の初回作から40年以上に渡りシリーズ作品を観てきた現在の老齢である自分として感じることは、考古学者としてのインディだからこそ、1969年時点で、孤独な自身の過去に振り返りながら、現在の自分をどのように受け止められるかという存在論的なテーマを内に秘めている作品であるというのが、率直な受け止めです。その点は、メインの活劇シーンの素晴らしさを中心に、子供から老人までの全世代に受け入れられるエンターテイメント作品となっているようです。
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