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「天間荘の三姉妹」
―突然の天災で失ってしまった大切な人へのそれぞれの深い思いがエンディング後の余韻にも残る作品かな、とー
「天間荘の三姉妹」は、2022年の日本映画。監督は北村龍平。
漫画家・高橋ツトムの代表作「スカイハイ」のスピンオフ作品「天間荘の三姉妹」を実写映画化。
キャストは・・・
のん、大島優子、門脇麦、高良健吾、寺島しのぶ、三田佳子、柴咲コウ、永瀬正敏ほか。
映画は・・・
天界と地上の間にある街・三ツ瀬で、老舗旅館「天間荘」を切り盛りする若女将の天間のぞみ。妹のかなえはイルカのトレーナーで、母親で大女将の恵子は逃げた夫をいまだに恨んでいる。ある日、謎の女性イズコが小川たまえという少女を連れて天間荘を訪れる。たまえはのぞみとかなえの腹違いの妹で、現世では天涯孤独の身だったが、交通事故で臨死状態に陥ったのだという。イズコはたまえに、現世へ戻って生きるか天界へ旅立つか魂の決断ができるまで天間荘で過ごすよう話す。
急に現れた腹違いのたまえに、戸惑うところもあった姉妹や、母親だったが、荘の雑用をこなすようになったたまえの存在が、不思議に、いろいろな人の心に溶け込むように、和ませるようになり・・・。しだいに、心通わせ、そんな天間荘の暮らしがずっと続くように思い始めた「たまえ」だったが、いつかは別れなければならない運命を知ることになる。
能年玲奈の名義だった「カラスの親指」、「ホット・ロード」「海月姫」、のんに改名後の「星屑の街」「私をくいとめて」「さかのこ」など、彼女の出演映画のいくつかを観てきたが、ジャスト・ミートだった「あまちゃん」が、あまりにはまり役かつ、そのイメージがつよかったこともあって、いまひとつ、映画での印象は、あまり強くない感じが・・・。
今回は、どうかな、と思ったのだが、この映画での「のん」は、小生は、いい印象を持った。東日本大震災の津波でなくなってしまった姉たちと、臨死状態になっている「たまえ」役ののんという設定をみて、ちと大林宜彦監督の「あした」を連想してしまった。あちらは、海難事故で亡くなってしまった人々(赤川次郎の原作では、バス事故だったが、ここは設定が変えてあった)が、それぞれ大切なひとたちに、一夜だけ会いに来るという話だったが、どちらも、大切な人への深い思いは、共通しているような気がした。
石川慶『ある男』(2018)
主人公である在日三世から帰化した弁護士の城戸章良(妻夫木聡)は、かつての依頼者である谷口里枝(安藤サクラ)から、里枝の亡くなった夫「谷口大祐」(窪田正孝)の身元調査の依頼という奇妙な相談を受けます。
里枝は次男の遼を病気で亡くしたことをきっかけに離婚を経験した後、長男の悠人(坂元愛登)を連れて故郷に戻り、やがて出会う「谷口大祐」と再婚します。新たに生まれた子供の花(小野井奈々)も含め、4人で幸せな家庭を築いていましたが、ある日突然、夫が職場で不慮の事故死を遂げます。
悲しみに暮れる中、大祐の法要の日、長年疎遠になっていた大祐の兄・恭一が(眞島秀和)訪れ、遺影を見ると「これ、大祐じゃないです」と言い放ちます。愛したはずの夫「谷口大祐」は、まったくの別人でした。「谷口大祐」として生きた「ある男」は、いったい誰だったのか。何故別人として生きていたのか、その謎の解明に城戸章良が動き出す展開です。
上記のプロットからは、文学作品を原作とする映像作品として勅使河原 宏『他人の顔』を横に置き、野村芳太郎『砂の器』や内田吐夢『飢餓海峡』を思わせるミステリーとしても受け取れるプロットが展開します。
しかし、作者の平野啓一郎氏の原作小説でのテーマは「愛」であり、「愛にとって過去は必要なのか」という切実な問いから小説は刊行されたようです。尚且つ、この映像作品を通して私が受け止めたのは、「アイデンティティとは何か」という存在論的な主題でした。
そこには、殺人事件を契機とした犯人家族にのしかかる世間の不条理、民族差別やヘイトスピーチ、SNSでの成りすましといった社会性を加味し、普段は当たり前のように思っている「国民」や「市民」という社会的な自己の存在証明の揺らぎを読み取ることもできるでしょう。更には自己を支えてきた要因としての「血縁」、「過去」、敷いては「歴史」というような点まで想像力を巡らし、自らのアイデンティティの根拠を問うていく展開に作品の深さを感じます。
そこには日常では意識せずとも生きていけるような事柄が、「負」の形で登場人物にのしかかりますが、それは偶然とも言えるような状況で起こります。
特に身に起こった不幸は、その因果を遡及して納得した解釈を導くことで意識を安定させていくのが一般的でしょうが、どうしてもそうした必然性を導き出せない場合は人により「運命」や「宿命」として内面化し、アイデンティティを補強していくのも1つの方法かもしれません。
しかし、そうした「運命」や「宿命」という被投的な観念に対し、「愛」という形で物語を提出したのがこの作品と言えるかもしれません。
この作品の特徴は、原作同様に登場人物のキャラをリアルにとてもうまく描いている事です。谷口大祐(X)役の窪田正孝氏のみならず、いやらしさ満点キャラである小三浦憲男役を柄本明氏が演じた点などは、特に印象的なキャスティングです。
三島有紀子『ビブリア古書堂の事件手帖』(2018)
五浦大輔(野村周平)は、祖母の遺品から夏目漱石の直筆と思われる署名が入った『それから』を見つけ、著者のサインの真贋を確かめてもらうために北鎌倉の古書店「ビブリア古書堂」を訪れます。
店主である篠川栞子(黒木華)は極度の人見知りでありながら本に対して並外れた情熱と知識を持っており、サインの謎を解き明かし、本には大輔の祖母絹子(渡辺美佐子)が死ぬまで隠し通してきた50年前に“秘密の恋"をしていたことを解き明かします。
そんな栞子の推理力に圧倒された大輔は、足を怪我した彼女のために店を手伝うことになりますが、やがて大輔は、栞子が所有する太宰治『晩年』の希少本をめぐり、大庭葉蔵と名乗る謎の人物が彼女を付け狙っていることを知ります・・・・。
三上延氏のベストセラー小説を原作とした標記は、その第一話「夏目漱石『漱石全集・新装版』」で触れた絹子の“道ならぬ恋”をについて、1964年を舞台に脚本化している点に大きな特徴があります。当時の絹子(夏帆)は夫が有りながら、近隣に住む画家志望の青年である田中嘉男(東出昌大)と恋に落ちます。その田中嘉男が尊敬してやまない作家が太宰治であり、原作の第四話である「太宰治『晩年』」と繋がるプロットになっています。
その結末は、栞子が所有する太宰治『晩年』の希少本をめぐり、何故、大庭葉蔵と称する男が、『晩年』を必要に欲しがるかというミステリーの謎が絹子と嘉男に絡めて解き明かされる展開は、原作小説を改変したこの作品のプロット上の見所と言えるでしょう。
興味深い点としては、ヒロインの栞子は文学オタクですが、生身の人の心がわからない褊狭な性格として設定しており、それに対して大輔は幼い頃に祖母から叱られたことで、本が読めないメンヘラ・キャラとして登場していることです。
プロットは、そんな大輔の行動が、読書のみに耽溺し希少本に大きな価値を見いだす栞子の世界像を打ち破る点に、この作品のテーマが見え隠れするのですが、そのガジェットとなる『晩年』を筆頭に、太宰治の文学的世界が、一方で大庭葉蔵のストーカー的なメンタリティを支え、一方で嘉男の持つ作家性の背後にあることを執拗に描いています。
彼らを引き付ける太宰の言葉は次の通りです。
「自信モテ生キヨ 生キトシ生クルモノ スベテ コレ 罪ノ子ナレバ」
特に、田中嘉男は1960年代までにはよく見かける文学青年として造形されており、その自身が志向する文学観が、こうした太宰を媒介として、絹子に対する「絶対感情」としてもリンスさせて描いている点は、原作で扱った「本」というガジェットのみならず、そこで表現されている小説の意味や背後にいる作家までをも意識させることで、単にミステリーに留まらないより豊かなオリジナリティを受け取る作品になっています。
その点、文学オタクの栞子は、狂言回しの役どころとも思われ、この作品の核は嘉男と絹子によって紡がれた“悲恋”のシーンがその超越性において、観る者を引き付けるような気もします。
どこから書いていいかわからないくらい
面白かった‼️😆
物語は
目的は違えど守るものの為に命を捧げる 
屈強身体を持ち
鉄の意思の持つ
2人の勇者の物語
この2人の関係の描きかたが実に素晴らしい
序盤中盤終盤と
3つの描きかたを分けて描いてます
まぁストーリー的にはそこまで目新しいものではないものの
この作品の素晴らしさは
とにもかくにも
この監督の手腕が全てと思わせる演出!🎥
映像美!✨
ド迫力❗
ほんとーーに
見事でした!!
こんな作品ハリウッドでも観たことない!😆
ていうほど
見ごたえありました!!
3時間もある作品でしたが
全く長くは感じませんでした!
みなさんの評価が高いのが納得でした!!
エンタメ映画はハリウッド!
という時代ではなくなりつつありますね
インド映画
韓流映画といい
アジアンテイストが
スパイスが効いてて深みがあります
邦画もそうあって欲しいですね
とにもかくめちゃめちゃオススメです!😆
PS
初めてインドのダンスカッケー😆と思いました
♪ナートゥ ナトゥナトゥナトゥナトゥ~♪
山田洋次さん
『東京家族』(2013)
2012年5月、瀬戸内海の小島で暮らす平山周吉(橋爪功)と妻のとみこ(吉行和子)は、子供たちに会うために東京へやってきます。
郊外で開業医を営む長男の幸一(西村雅彦)の家に、美容院を経営する長女の滋子(中嶋朋子)、舞台美術の仕事をしている次男の昌次(妻夫木聡)も集まり、家族は久しぶりに顔を合わせます。
最初は互いを思いやるのですが、のんびりした生活を送ってきた両親と、都会で生きる子供たちとでは生活のリズムが違いすぎて、少しずつ溝ができていきます。そんななか周吉は同郷の友人を訪ね、断っていた酒を飲み過ぎて周囲に迷惑をかけてしまいます。一方、とみこは将来が心配な昌次のアパートを訪ね、結婚を約束した紀子(蒼井優)を紹介されます。翌朝、とみこは上機嫌で幸一の家に戻って来るのですが、突然倒れてしまうのでした・・・・。
標記は、小津安二郎監督作品『東京物語』の舞台を現代に置き換えたオマージュ作品と言われていますが、特に前半は、リメイクと言ってよいほどのプロットの展開がみられます。
その時代背景の違いみならず、ここでは三男と次女にあたる人物が登場せず、次男の昌次(『東京物語』における昌二)は存命ですが紀子とは結婚前であり、この昌次に三男の設定が一部移管されています。
『東京物語』での紀子がヒロインであったように、ここでも紀子が作品全体を引っ張っていると言えるでしょう。そこには山田監督のオリジナリティとして、昌次と父親の周吉との間には昔から確執がある親子として描いており、その事が、昌次の恋人である間宮紀子の存在をより強く打ち出す背景となっています。その点、この作品の見せ場は、『東京物語』とは違うプロットによる紀子が登場した後半に充てられているようです。
この昌次と紀子とは、東日本大震災のボランティアで巡り合った2人であり、山田監督の描いたこの2人は、現代の若者一般の中でも、誠実に生きているやさしい若者として描いています。それに対し、周吉は旧友の沼田三平(小林稔侍)と共に、居酒屋で管を巻く「通俗道徳」(安丸良夫)に縛られた老害と捉えている点が面白いところです。
ポイントは、老夫婦が今回の上京で紀子と初めてあった設定になっている点です。
ネタバレになるので詳細は割愛しますが、私は、とみこが昌次のアパートを訪れ、紀子と初めて会ったシーンが、この作品のハイライトだと受け止めています。
そこでの紀子は非の打ちどころのない女性として描かれており、それを実感したとみこが、翌朝に上機嫌であった理由なのですが、周吉はその詳しい事情を知らずにとみこの心情を受け止めたことが、ラストに向けての上手い伏線になっています。
その点、『東京物語』同様に、周吉と紀子との別れのシーンには泣かされるのですが、そこに亡くなったとみこの想いもオーバーラップさせているのは、この作品ならではのテーマを描いた出色のシーンでしょう。
ラストシーンは、『東京物語』同様に和室でのローアングルで捉えた周吉と共に、カラーの小津作品に観られる様な「赤」の色彩も散りばめられた映像も鮮やかでしたが、次女の京子(香川京子)が傍にいない孤独な周吉であっても、その悲哀をテーマにしたことのみならず、困難な現代社会においてもニヒリズムに陥らず、昌次と紀子に象徴されるような誠実な若者が健在であり、未来への可能性があることを示唆した作品ともいえるでしょう。
その意味では『東京物語』が「家族崩壊」の物語であるのに対し、この作品は大半を同じプロットで展開していくのですが、紀子を仲立ちにした昌次と周吉との親子に観る「家族回復」の物語と言えるかもしれません。

ホラー映画の金字塔『エクソシスト』続編、予告編公開!90歳エレン・バースティンが50年ぶり復帰

 ホラー映画の金字塔『エクソシスト』(1973)の直接的な続編となる映画『ザ・エクソシスト:ビリーバー(原題) / The Exorcist: Believer』の予告編(海外版)が、米ユニバーサル・ピクチャーズ公式YouTubeチャンネルで公開された。続編3部作の第1章となり、10月13日全米公開を予定している。

【動画】悪夢再び…50年ぶり続編『ザ・エクソシスト:ビリーバー(原題)』予告編

 作家ウィリアム・ピーター・ブラッティの同名小説に基づく『エクソシスト』は、12歳の少女に取り憑いた悪魔と二人の神父の戦いを描いたホラー。少女がブリッジをして階段を降りる“スパイダーウォーク”など、多くの観客にトラウマを植え付け、世界中でオカルトブームを巻き起こした。その後、続編2作や前日譚となる『エクソシスト ビギニング』、2016年には後日譚テレビシリーズも制作されている。

 約50年ぶりに製作される1作目の続編映画では、突然森に失踪した二人の少女が、何者かに取り憑かれて戻ってくるところからスタート。少女たちの精神状態が不安定になり、次第におぞましい姿へと変わっていく。

 少女の父親が助けを求めて訪れた先は、1作目で同様の出来事を経験したクリス・マクニールだった。予告編には、現在90歳のエレン・バースティンが50年ぶりに再演したクリスが登場し、悪魔に対して「私たちは以前会ったことがある」と話しかける。もちろん、トラウマ楽曲で知られるお馴染みのテーマソングも使用されている。

 メガホンを取ったのは、リメイク版『ハロウィン』を手がけたデヴィッド・ゴードン・グリーン監督。なお、米ユニバーサルは予告編公開と同時に、第2章となる次回作『ザ・エクソシスト:ディシーバー(原題) / The Exorcist: Deceiver』を2025年4月18日に全米公開することを発表している。(編集部・倉本拓弥)

平山秀幸『やじきた道中 てれすこ』(2007)
時は太平。大阪で「てれすこ」という怪魚の噂が飛び交っている頃、江戸の品川遊郭では、花魁のお喜乃(小泉今日子)に惚れた飴細工職人の弥次郎兵衛(十八代目中村勘三郎)が、女郎屋からの足抜けを手伝い、彼女の故郷である沼津まで一緒に旅することになります。
弥次の幼なじみで、舞台で大失態を演じた歌舞伎役者の喜多八(柄本明)も同行するのですが、3人は詐欺に遭遇したりヤケ酒におぼれたりで一文無しになってしまいます・・・・・。
製作者の佐々木史朗氏によれば、『寅さんシリーズ』の亡き後、真正面からの喜劇映画がなく、そうした日本人ならではの映画を打ち出したいというのが動機でした。
また、落語立川流の顧問であるほど落語に造詣が深い中村勘三郎氏も随分前から温めていた企画らしく、更には平山秀幸監督と脚本の安倍照雄氏も、落語を舞台とした『しゃべれども しゃべれども』でもコンビを組んでいるように、落語を基調としたこの作品への意気込みを感じます。
そうした背景から、ネタバレになるので詳細は割愛しますが、タイトルになっている『てれすこ』と『兵庫船』を筆頭に、『三枚起請』、『お見立て』、『品川心中』、『高砂や』、『狸賽』、『淀五郎』、『中村仲蔵』、『二十四孝』、『野ざらし』、『反魂香』などの古典落語の演目をガジェットにしたプロットが展開していくのが面白くい点で、その味付けは落語ファンにも納得がいくシーンの連続であり、理屈なく笑える作品です。
その点は、稀代の名優の勘三郎氏と怪優の柄本明氏に加え、小泉今日子さんの持ち前の役者としての個性も全開で、その3人が醸し出すインタープレイも絶妙です。
そうしたプロットと3人の「粋」な身ぶりから想起するのは、やはり川島雄三監督作品『幕末太陽傳』ですが、この作品は「道中もの」とはいえ、その笑いから共通して味わえることは、「米の飯と天道様は何処へ行っても付いて回る」という楽観的な世界観でしょう。
さらに目を引くには、この3人を支えている名バイプレイヤーたちが脇を固めていることです。冒頭シーンの淡路恵子さんと笑福亭松之助師匠から、ラサール石井氏、吉川晃司氏、鈴木蘭々さん、間寛平氏、南方英二氏、松重豊氏、國村隼氏、波乃久里子さん、麿赤児氏、柳家三三師匠などです。中でも、てれすこを食べさせる怪しげな茶屋主人のお仙に扮した藤山直美さんの怪演は、印象深い一幕でした。
この作品は、今の時代に逆行していることから深いメッセージ性は無いのですが、その点は古典的な日本の時代劇としては、大映の放った「狸もの」などのポリシーを引き継いだ作品と言えるでしょう。
『ミッション・インポッシブル  ゴースト・プロトコル』
—今観ても、凄いアクション―
本シリーズの4作目の作品。先週公開された『デッドレコニング』を観て、その面白さと緊迫感によるエンタメ性を痛感。前シリーズ劇場で観たが、改めて、これまでのシリーズの観直し、その中で本作がまだレビューしていなかったので書き留めた。
本作辺りから、イーサンのアクションも、単なるスパイ・アクションからド派手で命がけのスリリングなアクションの度合いが増してきている。作品冒頭、ロシアの象徴であるクレムリンを吹きとばすという爆破シーンは、現代のきな臭い世界情勢では、社会問題にもなるのではないだろうかと思われるシーンだ。
それに、ドバイの世界最高のビル・ブルジェ・ハリファでの、外の窓伝いの宙づりシーンは、緊迫感がマックス。ワイヤーで固定されているとはいえ、スタント無しであの撮影に挑むのは、トムしかいないだろう。また、ラストの駐車場でのファイティング・アクションでは、本当に怪我したとか…。常に、観る人を楽しませる為に、私達の想定以上の演出、演技に取り組むトムの俳優魂には、頭が下がる思いだ。
今回のミッションは、クレムリン爆破の容疑者とされてしまったイーサンのチームに対してアメリカ政府は『ゴースト・プロトコル』を発令し、IMFを無きモノにしてしまう。政府のバックアップ化亡くなったイーサン達は、自分達の濡れ衣を晴らす為、クレムリン爆破犯を追う。しかしその裏には、核弾頭を狙うテロ組織の存在が浮上し、核断頭発射阻止を巡り、テロとの攻防戦が、繰り広げられる。
本作の舞台も、ロシアから始まり、ドバイ、インド、そしてアメリカと世界を股にかけてのオール・ロケ。そして、本作からイーサンの仲間のウィリアム役として、ジェレミー・レナーが、派手なアクションに果敢に挑んでいる。また、紅一点のジェーン役には、『デジャブ』でデンゼル・ワシントンと共演したポーラ・パットンが、強靭な女スパイを演じている。
大林宜彦監督作品「この空の花 -長岡花火物語」
ーささやかな映画ファンの喜びの記憶とともに・・・ー
何気にニュースみていたら・・・・長岡の花火大会が行われたという。なかでも、最大級の尺玉により打ち上げられたな花火の様子は、実に見事だった。この長岡の花火は、世界平和を願って打ち上げられるものだという。
太平洋戦争下での長岡大空襲、そしてこの長岡花火誕生までの成り立ちを描いた大林宜彦監督による初のデジタル撮影作品だったのが、「この空の花 -長岡花火物語」。
これ以降、大林監督の作品は、ガンに侵されながらも、執念の完成をみた「海辺の映画館~キネマの玉手箱」まで、戦争の残していった深い爪痕を一貫して描くようになる。
個人的にだが、小生は、大好きな大林作品のなかでも、この「この空の花 -長岡花火物語」には、他とは違った思い入れがいささかある。
ちょうど、この映画が製作されるという前後、偶然だが、長岡市のホームページで、映画へに寄付を募集する記事をみた。高額なら、スクリーンで名前がクレジットされるというが、とても、そのような大々的なサポーターにはなれない。大好きな大林監督の映画に、少しでも力になれば・・・とほんの一万円だけ、明記された住所に書留でおくった。その後、長岡市からピンバッチ、ホームページに、寄付者の名前に自分を発見して、それだけで幸せな気分にひたったのを今でも覚えいる。
劇場では、タイミングがあわずに、観ることができなくて、あとでブルーレイで鑑賞。せめて、パンフだけでもと、オークションサイトで入手したが、その出品者は、かの映画でエキストラをつとめたという。なんとも、うらやましい体験をされたと思いつつ、ことのかかわりの大小はあるけれど、大林監督のあの映画に関係するひとと、偶然にも結び付いた不思議を、感じたのでしたよ。
#長岡花火
#大林宜彦監督
#この空の花
#私的でささやかな映画での幸せ
「日輪の遺産」
浅田次郎の同名小説を、
「半落ち」の佐々部清監督が堺雅人主演で映画化。
小説を読んで泣いて、映画見てまた泣きました。
昭和20年8月10日、帝国陸軍の真柴少佐は、陸軍が奪取した900億円ものマッカーサーの財宝を移送し隠匿せよと密命を受ける。
その財宝は、敗戦を悟った軍上層部が祖国復興を託した軍資金だった。
真柴は小泉中尉や望月曹長、そして勤労動員として呼集された20人の少女たちとともに任務を遂行するが……。
少女と彼らには強い絆が生まれていく。
少女達は本当によく笑う。
大変な作業でも、励ましながら笑う。
箱の中身も知ろうともなく、自分の妹達のためのもの?を大切に運ぶ。
彼女達を引率する先生にユースケ・サンタマリア。
無事に任務も終了すると、本部から残酷な命令が下る。
それは少女たちを毒殺しろというもので、青酸カリも一緒に同封されていた。
何とか殺さないようにと懇願する真柴たちだったが、命令は却下されない・・・。真柴は命を張る。
たまたまこの話をドア越しに聞いていた少女の一人。
家に帰りたい‼️
でも、大好きな少佐さん達が、どうなるか?
死ぬかもしれない、自分達のかわりに。
悩む・・・。
なんとか、それを回避した真柴。
ホッとして早く薬を処分しようと、カバンの中を探るがない。
いくら探してもない。
二人はハッとして顔を見合せて、慌てて豪内に走りもどる。
財宝を隠した洞窟の祠前に彼女達の荷物が綺麗に並べて置いてあった。
その後マッカーサーは、通訳の日系人イガラシとこの現場を訪れる。
洞窟の中に入ると凝固した。
金塊の周りに少女達の白骨が輪になって、手を繋ぎ座り守っている
彼らは金塊も少女たちの白骨もそのままにし、洞窟を封印することにした。
「私達がこれを守るの‼️妹達のために、解ってほしいの」。
全てを知った
ユースケ・サンタマリアが、洞窟に一人入っていくのも、堪らない。
「僕は彼女達の先生です。僕が彼女達をつれて行ってあげないと」
銃声が一発響く。
一人だけその時風呂掃除をしていて、知らずに生き残った八千草薫が孫に、その場所で話す。
「もう話してもいいわね」
話終わって・・目の前に、少女達と先生が現れる。
「私だけ生きてごめんなさい。なんで言ってくれなかったの?」
「生きていてくれてありがとう。」
「八甲田山」も好きですが、浅田さんの中では一番すき作品です。壬生義士伝も🙏
『バカ塗りの娘』
 バカ塗りとは❓塗っては研いで塗っては研いでを繰り返すー日本が誇る伝統工芸。津軽弁が繋ぐ父娘の物語。プレスの惹句をそのまま引用してみた。青森県弘前市を舞台に津軽塗職人の父と父の仕事を手伝う娘の物語。
 父はいかにもな古風な職人風の似合う小林薫、娘の堀田真由は実は知らなかったのだがNHK連続TV小説「わろてんか」(17)で注目を集めたのだそうだ。
 監督は鶴岡慧子、本作で初めて知ったが注目していい監督であると思う。原作は地元で勤務しながら創作活動を続けているという高森美由紀の「ジャパン・ディグニティ」、なるほど女性らしい繊細な感性に彩られた作品に仕上がっている。
 タイトル通りのバカを描いた映画だと言っていい。バカ丁寧、バカ正直のバカ、「ものづくり」に情熱を傾ける褒め言葉としてのバカの魅力を描いた味わい深い映画である。
 さてここからネタバレに抵触する事となる。もっともそれは本編開始後30分余りで明らかになる事ではあるのだが。。
 ヒロインの兄は家業を継ぐ事を拒否して美容師になっている。その兄が彼氏を連れてくる。つまり兄は同性愛者だったのである。この設定は必要だったのかな❓と思ってしまった。何だか近年のLGBTブーム(?!)に迎合しているかのようなゲスの勘ぐりをしてしまった。小林薫が抵抗も葛藤もなくスンナリ認めてしまうあたりも不自然に思えた。
 父娘やその他の登場人物は方言なのに同性愛カップルがほぼ標準語なのも違和感あったしピアノを漆塗りする為に学校に侵入してしまうのは不法なのではないかと言うあたりも気になった。
 そこらの疑問や不満を除けばキャストも良く伝統工芸の素晴らしさや継承する事の大切さ、そして職人の匠の技への敬意が込められた秀作であると思った。「映画美学校」試写室にて鑑賞。
 9月1日(金)全国公開。
 8月25日(金)青森県先行公開。
 公開劇場の情報無し。
42年前の1981年(昭和56年)8月8日、「連合艦隊」(監督松林宗恵)公開。この年の邦画興行収入1位に。
本当に泣ける映画😢
中井貴一デビュー作。ラストで谷村新司の「群青」が流れるともう😭
平和の大切さを感じることの出来る作品でした。
『福沢諭吉』
 1991年度作品。カラー、ヴィスタ・サイズ、主演、柴田恭兵、共演、若村麻由美、南野陽子、中村トオル、哀川翔、榎本孝明、勝野洋他、脚本、笠原和夫、桂千穂、撮影、仙元誠三、音楽、久石譲、監督、澤井信一郎、上映時間123分。
 レンタルDVDにて初見。公開時何かダサダサの映画のような気がして未見のままに来てしまった事を深く反省。情報を入れていなかったのか澤井信一郎監督である事すら知らなかった。
 脚本は大御所2人だし撮影も音楽も好きな人達である。今回、鑑賞してよかったと思う。
 おそらく本作は映画やTVも含めて福沢諭吉を主人公とした唯一の作品なのではあるまいか。福沢諭吉が慶應義塾を開校するまでを描いている。低脳未熟な僕は坂本龍馬と同時代人という程度の知識しかなかった。
 なるほど戊辰戦争の時に塾で勉強教えていたような人だからドラマチックな主人公にはなりにくいであろうとは思った。「学問のススメ」が有名だが「ペンは剣よりも強し」もこの人が日本語として定着させたわけだ。
 先駆的な「脱亜論」を発表するに到る過程をドラマ化すればより興味深いと思うが近隣関係からいって難しそうだ。
 澤井信一郎は長回しと移動による演出に冴えをみせて、同時代の志士(獅子)たちと比べておとなしめの座学的人物の物語を動的に躍動感を持って映像化している。大量に雨を降らせて劇的な効果を上げている。特に榎本孝明と柴田恭兵の雨の野外での大芝居のロングテイクや戊辰戦争の戦場に南野陽子がやってくるあたりは時代劇映画の継承と発展を期待させる要素を含んでいたのではないかと思った。
 どうやら山師的人物の介入による賛助金の強制や前売り券の大量押し付けなどのトラブルもあったらしいが僕的には物語も演出も「福沢諭吉伝」パート1としてそれなりに納得出来た作品であった。
 「キネマ旬報」誌ベスト17位。
「母と暮らせば」
小説家・劇作家の井上ひさしが、
広島を舞台にした自身の戯曲「父と暮せば」と対になる作品として、
実現を願いながらも叶わなかった物語を、戦後70年を記して、山田洋次監督が映画化したもの。
主人公の福原伸子役を「おとうと」「母べえ」でも山田監督とタッグを組んだ吉永小百合が演じ、
その息子・浩二役で二宮和也が山田組に初参加。
「小さいおうち」でベルリン国際映画祭銀獅子賞(女優賞)を受賞した黒木華が、浩二の恋人・町子に扮する。
1948年8月9日、長崎で助産婦をして暮らす伸子の前に、3年前に原爆で死んだはずの息子・浩二が現れる。
2人は浩二の恋人・町子の幸せを気にかけながら、たくさんの話をする。その幸せな時間は永遠に続くと思われたが……。
物凄い台詞量。
戯曲は、本当の演技力が試されるけど、二ノ宮君、頑張りました。
殆どのシーンは、息子の写真のある部屋で、二人だけの親子の懐かしい会話。
吉永さんはやっぱり上手い❤️
始まってすぐ、落下。
授業受けている最中に、急に無音になり、周りがオレンジから白くなり、硝子のカケラがゆっくり舞っている。
一瞬ってこんな感じなんだなと思った。
母は毎日、写真に話しかけても夢にも出て来ない息子に、あんたは冷たいって。
いくら探しても遺品の一つもない。
三年して。
何一つ残らなかった、あなたももう忘れなさいって、お墓参りで、町子さんや自分自信にもけじめをつけた。
写真にそれを伝えていると、
なんか後ろで人の気配がして、振り替えると。
「やっと、諦めてくれた。中々諦めないから出てこれなかった(笑)」と、
階段に腰掛けながら、亡き息子が笑ってる。
降りてきて、伸び伸びと息子が両足投げ出して寝っころがる。
人は、亡くなったもの恋しい、逢いたい、愛しいが強い時は、そのものは夢にもでない。
自分も大切なものを亡くした時も、どんなに神様に頼んでも逢わせてくれなかった。
その「死」を受け入れたら、夢で逢えて。今は夢にもあまり出ない。もう転生したかな(笑)13年だし。
吉永さん、毎日、楽しくて嬉しくて。
でも、やっぱり少しずつ弱ってく。
ラスト、
「もうそっちには来れないんだ。」
「行かないで一緒にいて頂戴、もう独りにしないで!」
「いつも一緒だよ、これからもずーと。
母さんはね、もうこっちの人間なんだよ(笑)いいかい?」
自分が逝くときは、迎えに来てくれるかな。
優しいラスト。いいなーと思う。
『リボルバー・リリー』
―綾瀬はるかの為の、綾瀬はるかの映画―
西洋文化を取り入れ、モダンな街並みとなってきた大正ロマン漂う日本が舞台。その裏では、軍国主義をひた走ろうとする、きな臭い時代に生きた、一人の敏腕な女スパイ『リボルバー・リリー』を綾瀬はるかが演じた、ハードボイルド作品。
日本では、ハリウッドの様な逞しい本格的なアクション女優が、なかなか生まれない。その中で、これまでアクション作品にも、果敢に挑戦してきた綾瀬はるかは、それなりによく頑張って、冷徹なスパイ役を演じていたと思うが、ハリウッド・アクションには、やはり到底かなわない。
それ以上に、脚本と演出の無理押しも甚だしく、ラストの陸軍との死闘は、あまりにもリアリティーがなさ過ぎて、結局、日本のアクション映画の大きな壁を感じた。手に汗握るアクション・シーンは、壮大さや派手さ、ギリギリ寸前のタイミング等、もっと観ているものがハラハラしたり、感情移入できるように製作できないものなのか…?その点で『キングダム』は、ハリウッドの壁に近づけたように思うが…。
夫と子供を亡くし、スパイ活動からは引退し、花街で女将をしていた綾瀬演じる小曽根百合が、乗り合わせた列車の中で、ある組織に襲われていた少年・慎太の命を救う所から始まる。実は、その組織というのが、日本陸軍。国家予算規模の多額の資金に関わる秘密を握る一人の少年・慎太を拉致して、その金を軍事資金に利用しようと考え、その後も執拗に少年と百合の命を狙ってくる。
百合も陸軍の刺客達を、往年のスパイ活動で磨いてきた能力を発揮して倒していくが、最後に、百合達が助けを求めたのが、海軍の山本五十六だった。陸軍と海軍が、軍事資金を巡り敵対関係となって、少年を奪い合う展開がラストシーンに描かれていくのだが…うーん?
一言で言えば、「綾瀬はるかの為の、綾瀬はるかの映画」といったところ。脇を固めた長谷川博己、野村萬斎、豊川悦治、佐藤二郎、橋爪功、阿部サダヲ等の豪華なベテラン俳優陣も、今ひとつ存在感が薄かった。また、百合と敵対する軍人には、ジェシーが抜擢されたが、主人公の宿敵としてのオーラや凄味という点では、物足りなさを感じた。そんな中でも、佐藤二郎だけは、相変わらずだった(笑)
「キングダム 運命の炎」(2023)
大迫力のスペクタクル巨編。
古代中国の春秋戦国時代末期における戦国七雄の争乱を描く漫画家・原泰久による大人気コミックの実写化第三弾。興収は43億円を突破。まだまだ伸びそう。
個性的で存在感のある俳優が多いが、中でも大沢たかおが演じる伝説の大将軍・王騎(おうき)が圧巻。壮絶な最期を遂げる紫夏(しか)を演じる杏も強烈。
第1作に登場し、今回、ラストでその雄姿を見せる長澤まさみがカッコいい。
最後の最後に、次回作につながるとみられる李牧(小栗旬)と龐煖(吉川晃司)がサプライズで登場。シリーズがまだまだ続くことを示している。
・・・
500年にわたり、七つの国が争い続ける中国春秋戦国時代。
戦災孤児として育った信(しん)(山崎賢人)は、亡き親友と瓜二つの秦の国王・嬴政(えいせい)(吉沢亮)と出会う。
運命に導かれるように若き王と共に中華統一を目指すことになった信は、仲間とともに「天下の大将軍になる」という夢に向けて突き進んでいた。
そんな彼らを更なる脅威が襲う。
秦国に積年の恨みを抱く隣国・趙の大軍勢が、突如、秦への侵攻を開始。
残忍な趙軍に対抗するべく、嬴政は、長らく戦から離れていた伝説の大将軍・王騎(おうき)(大沢たかお)を総大将に任命する。
決戦の地は馬陽。これは奇しくも王騎にとって因縁の地だった…。
出撃を前に、王騎から戦いへの覚悟を問われた嬴政が明かしたのは、かつて趙の人質として深い闇の中にいた自分に、光をもたらしてくれた恩人・紫夏(しか)(杏)との記憶。
その壮絶な過去を知り、信は想いを新たに戦地に向かう。
100人の兵士を率いる隊長になった信に、王騎は「飛信隊」という名を授け、彼らに2万の軍勢を率いる敵将を討てという無謀な特殊任務を言い渡す。
失敗は許されない。
秦国滅亡の危機を救うため、立ち上がれ飛信隊。運命に導かれ、時は来た。キングダム史上最大の戦いがいま始まる…。
・・・
主な出演者:
信:山﨑賢人…百人将/飛信隊・隊長。亡き親友・漂と約束した「天下の大将軍になる」という夢をかなえるため、己の腕ひとつで武功をあげる。ともに王宮奪還を果たした中華統一を目指す盟友・嬴政とともに、乱世を突き進んでいく。伝説の大将軍・王騎より“飛信隊”の名を授かる。
嬴政(えいせい)/漂:吉沢亮…秦国の若き王。異母弟・成きょうのクーデターを信とともに平定し、玉座を奪還。
河了貂(かりょうてん):橋本環奈…軍師見習い。鳥を模した不思議な蓑をかぶった山民族の末裔。
羌瘣(きょうかい):清野菜名…飛信隊・副将。特殊な呼吸法を操る“巫舞”(みぶ)で、その身に神を堕として戦う。徐々に心を開き、飛信隊を自分の居場所だと感じ始めつつある。
壁(へき):満島真之介…千人将。昌文君の副官で、嬴政に忠誠を尽くす武将。信を気にかける兄貴的存在。
尾平(びへい):岡山天音…飛信隊。信と同じ村出身で、チンピラ兄弟と言われる“尾兄弟”の兄。お調子者だが、仲間思いな一面もある。
尾到(びとう):三浦貴大…飛信隊。信と同じ村出身で、チンピラ兄弟と言われる“尾兄弟”の弟。穏やかながら芯の強い性格。
紫夏(しか):杏…趙国の闇商人。敵国で虐げられていた若き嬴政を見て、亡き義父の教えから秦国への脱出計画を請け負う。
万極(まんごく):山田裕貴…趙国軍・副将。秦国のすべての民を根絶しようとしており無差別な惨殺行為を繰り返している。
昌文君(しょうぶんくん):髙嶋政宏…秦国・文官。嬴政の忠実な側近の一人。
騰(とう):要潤…王騎軍・副将。実力は謎。
肆氏(しし):加藤雅也…秦国・文官。かつては竭氏の参謀として王弟の反乱の指揮を執っていた。鎮圧後は、嬴政の側近。
干央(かんおう):高橋光臣…王騎軍の軍団長。
尚鹿:渡辺邦斗…壁の幼馴染であり千人将。
蒙武(もうぶ):平山祐介…秦国・将軍。呂氏四柱の一人で、秦随一とも言われる武力を誇る軍事をつかさどる猛将。
馮忌(ふうき):片岡愛之助…趙国軍・副将。巧みな軍略と優れた知略から「頭脳の馮忌」という異名がある。
趙荘(ちょうそう):山本耕史…趙国軍・総大将。周到な軍略を網目のように張り巡らせ、執拗に王騎軍を追い込んでいく軍師。
楊端和(ようたんわ):長澤まさみ…山民族王。山民族からは「山界の死王」と呼ばれている。嬴政とは強固な盟で結ばれている。
昌平君(しょうへいくん):玉木宏…呂氏四柱の一人で、秦の軍総司令官を務める天才的な軍略家。
呂不韋(りょふい):佐藤浩市…権力を欲しいままにする丞相。元商人として天才的な商才で巨万の富をたくわえ、秦王・嬴政の座を脅かす。
王騎(おうき):大沢たかお…秦国軍・総大将。秦国六大将軍のひとり。その存在感は秦国武将の中でも別格。
亜門:浅利陽介…紫夏とともに脱出計画を請け負う闇商人。
道剣:杉本哲太…敵国に潜入する秦の文官。
蒙毅(もうき):萩原利久…軍師見習い。昌平君の軍師学校で河了貂とともに学ぶ兄弟子。秦の未来を担う若き軍略家。
澤圭(たくけい):濱津隆之…飛信隊・伍長。頼りなく見える風貌のため、いつも残り物のメンバーで伍を組んでいる。
沛浪(はいろう):真壁刀義…飛信隊・伍長。百戦錬磨の伍長で、強者を集めて伍を結成する。
輝蓮(こうれん):栄信…飛信隊。
竜川(りゅうせん):佳久創…飛信隊随一の怪力の持ち主。巨大なこん棒で敵をなぎ倒していく。
有義(ゆうぎ):やべきょうすけ…飛信隊。
渕(えん):田中美央…飛信隊・副長。
東美(とうび):桜井日奈子…尾平の恋人。
友里(ゆうり):村川絵梨…尾到の婚約者。
李牧:小栗旬
龐煖:吉川晃司
カイネ:佐久間由衣
志乃ちゃんは自分の名前が言えない
G 2018年 ‧ ドラマ ‧ 1時間 50分
高校1年生の新学期、吃音に悩む大島志乃はクラスの自己紹介で自分の名前もうまく言えず、笑い者になってしまう。それ以来、孤独な高校生活を送る彼女だったが、ひょんなことから同級生の加代と友だちになる。志乃の歌声に心奪われた加代は、彼女をバンドに誘う。そして2人は、文化祭を目標として猛練習を始める。
初公開: 2018年7月14日
監督: 湯浅 弘章
映画脚本: 湯浅 弘章、 押見修造
出演:南沙良、萩原利久、蒔田彩珠、山田キヌ、渡辺哲、奥貫薫
NHKBSプレミアムチャンネルで録画したのを鑑賞しました。原作はコミックスだそうですね。監督もキャストも、私は存じませんでした。主人公の大島志乃さんは、吃音で悩んでる。私も緊張して吃音分かります。こういう映画は、なかなか上映してる映画館無いかもなので観れて良かったです。
~頑張りたいのに頑張れない、すべての人にお届けするやさしい映画が完成しました~
間瀬垣勤、40歳。元教師。現在タクシー運転手。売上成績、万年最下位。家では、妻にも娘にも頭が上がらない。仕事からも家庭からも見放された完全な負け組。そんな間瀬垣の前に現れた、一匹の野良猫 “御子(みこ)神(がみ)さん”。ふてぶてしく、何があってもマイペースな御子神さんのおかげで、自分自身も変わり始める間瀬垣。そして、人付き合いが苦手な間瀬垣は、御子神さんを助手席に乗せて「ねこカフェ」ならぬ「ねこタクシー」をはじめることを思いつく…。 あなたは人生に行き詰っていませんか?いつからだろう、自分がこんなにオーラを無くしてしまったのは・・・年齢や環境が、生き甲斐や想像力を変えてしまって、なんとなく生きてきた。何でもいいから、背中を押してほしい。これは、そんな誰もが待っている「きっかけ」の物語です。
★カンニング竹山主演!超メジャー級の豪華出演陣!
主演はレギュラー・準レギュラー20本以上のカンニング竹山。主人公の奥さん役に「沈まぬ太陽」の鶴田真由、娘役に。「書道ガールズ!!-わたしたちの甲子園-」の山下リオ。その他、室井滋、内藤剛志、高橋長英、芦名星、甲本雅裕、塚本高史、根岸季衣、水木一郎など多彩な出演陣も見どころの一つ!
余命1年の妻に 僕は何が出来るだろう。
草彅 剛主演"僕シリーズ"初の映画がDVD&Blu-ray化!
【内容解説】
「僕の生きる道」シリーズ最新作にして初の映画作品がDVD&Blu-rayに!
SF作家・眉村卓と、余命一年を宣告された悦子夫人の愛の実話をベースにした奇跡と感動のラブストーリー。
主人公は、SF作家の牧村朔太郎〈サク〉と、彼を献身的に支えてきた妻・節子。
慎ましく穏やかに日々を過ごす夫婦に、
ある衝撃の知らせが突きつけられるところから物語は始まる。
大腸がんに冒された節子の余命は、あと1年――。
動揺し、絶望しながらも節子に事実を告げまいとするサク。
「人は笑うと免疫力が上がる」という医師の言葉を頼みの綱に、1日1編の短編小説を妻に贈ることを決意する。
世界中でたったひとりの読者のために。そして、奇跡が起きた…。
吉野耕平『沈黙の艦隊』(2023)
日本近海で、海上自衛隊の潜水艦がアメリカの原子力潜水艦に衝突して沈没する事故が発生します。
全乗員76名が死亡したとの報道に衝撃が走りますが、実は全員が生存しており、衝突事故は日米が極秘裏に建造した日本初の高性能原子力潜水艦「シーバット」に彼らを乗務させるための偽装工作だったのでした。
しかし艦長の海江田四郎(大沢たかお)はシーバットに核ミサイルを積み、アメリカの指揮下を離れて深海へと消えてしまいます。海江田をテロリストと認定し撃沈を図るアメリカと、アメリカより先に捕獲するべく追う海自のディーゼル艦「たつなみ」。その艦長である深町洋(玉木宏)は、海江田に対し並々ならぬ感情を抱いていました・・・・。
かわぐちかいじの原作漫画を映像化した標記は、新作なのでネタバレに考慮し、プロットの詳細は記しませんが、特に印象深かったのはその劇伴音楽であり、オリジナル・スコアの他に、モーツァルトの名曲が効果的に使われていることでした。
冒頭には、船室でアナログ盤に針を落とし海江田がヘッドフォンで聴いているのが、モーツアルト『レクイエム ニ短調』の第2曲『キリエ(憐れみの賛歌)』であることを映し出し、航海する潜水艦の「沈黙さ」を後押ししていました。
その他にも『ピアノソナタ第18(17)番 ニ長調 K. 576』の『第3楽章 アレグレット』や『交響曲第35番 ニ長調 K. 385≪ハフナー≫』も流れていましたが、何といっても注目したのは、潜水艦の戦闘において、高性能原子力潜水艦「シーバット」の艦内に流すシーンで『交響曲 第41番 ハ長調 K.551≪ジュピター≫』を導入している事でした。
そこには、戦闘においていかに敵の動静を探知するのには「音」が重要であるかという点からも、効果的な演出となっていたようです。
海江田がその攻撃パターンに応じて、このシンフォニーの楽章である「Molto allegro」「Andante」「Menuetto(Allegretto)」「Allegro assai」という指示をすることにより、船員が動いていくのですが、そうした一糸乱れない行動が、戦闘国家「やまと」となった運命共同体としての戦艦の姿を余すところなく映し出していました。
余談ながら、原作漫画自体が長編なので、この1作のみで結末を観ることはできないため、続編が製作されると面白いとは思っています。
ポレポレ東中野で観た『国葬の日』、サンシャイン・シネマ池袋で観た『ロスト・キング/500年越しの運命』、『BAD LANDS/バッド・ランズ』、以上3作品に付いて。
     【以下ネタバレ注意】
国葬の日は安倍元総理の国葬が執り行われた日の風景を切り取ったドキュメンタリーです。うぅ~んとても公平に描いていると思いますが、毒が無いので面白くない。安倍さんはネトウヨと2チャンネラーみたいな人が賛美しているだけで、何の功績が有ったのだろうか?実際のところ取り巻きはその様な人で固められていたように見えました。あまり政治的な事は言いたく有りませんが…私はあの人が嫌いでした。
次のロストキングはリチャード3世を巡る実話です。行方不明の遺骨を発見したのは難病を抱えた1人の主婦でした、彼女には脳の疾患が有りましたが、シェークスピアのリチャード3世を鑑賞してひとつの疑問を持ちます。それから一心不乱にリチャードに没頭しますが、日常生活にもリチャードが現れて来ます。勿論妄想ですが、それに導かれたように発掘現場に向かいます。その様子をサリーホーキンスが上手に演じていました。彼女が演じてアカデミー賞を獲得した『シェイプ・オブ・ウォーター』はあまり好きではありません。ハンディキャップを抱えた主人公を演じた『幸せの絵の具』の方が私は好きです、とても上手な役者さんです!!
バッド・ランズは大阪の詐欺師集団のお話ですが、なかなか面白かったです。詐欺師と警察の攻防、そういう環境で育ってきた家族の葛藤などが描かれています。私はつい最近少額ですがネット詐欺に遭ってます(笑)その様な事情もありとても興味深く楽しませて貰いました。
「BAD LANDS バッド・ランズ」(2023)を見たが、上質なクライム・サスペンス・エンタテイメントとして面白かった。内容がディープで、2度3度と見てみたい。
ダークヒーロー(ヒロイン)ともいうべき安藤サクラが何といっても目が離せないほど、カッコいい。
監督は「クライマーズ・ハイ」「わが母の記」「日本のいちばん長い日」で3度日本アカデミー賞優秀監督賞を受賞している原田眞人。
映画のテーマが「特殊詐欺」。オレオレ詐欺の特徴も複数の連携により巧妙化している。ターゲットは金持ちの高齢者に変わりはないが、詐欺グループには、老人が多く住むアパート、マンションの住人の名簿があり、ターゲットはA、B、Cマイナス、などランク付けされている。
組織化された特殊詐欺グループの指示役から下見、受け子の存在などの手口が明かされると同時に、警察との攻防がスリリングで、導入部からワクワクさせられた。
出演する俳優陣が豪華で、日本を代表する女優の一人、安藤サクラに加えて「燃えよ剣」に続いて原田作品に出演する山田涼介のW主演で詐欺グループのバディを演じる。
そのほか、生瀬勝久、宇崎竜童、天童よしみ、江口のりこなどがわきを固めている。安藤サクラと江口のりこは、雰囲気が似ているが直接のからみはない。
前作「ヘルドッグス」で主演を演じた岡田准一がワンシーンで登場するなどあっと言わせるほど贅沢な布陣となっている。
社会の最底辺ともいうべきドヤ街の舞台セットもすばらしい。機関銃のように繰り出す大阪弁による会話やスピーディーな展開もいい。
銀行から大金をおろして、受け渡し場所に向かう女性の後を数人の詐欺チームが追い、受け子たちに指示を出すコーチ役(通称三塁コーチと呼ばれる)のネリ(安藤サクラ)の指の動きで、ゴーサインか中止の合図が出る。
警察が現場を押さえようと目を光らせていることを知ったネリが中止と合図すると、撤退、中止となる。警察の防犯カメラのチェックも厳しい。
銀行内のほか、通りなどの主要ポイントに同一人物、車などがあったことなどをくまなく監視して、詐欺グループを追う。
映画が始まって15分ほどして、映画のタイトルが初めて登場する。このあたりもインパクトがある。
・・・
舞台は大阪・西成。特殊詐欺チームに身を置く女性ネリ(安藤サクラ)の前に、出所した異父弟のジョー(山田涼介)が戻って来る。
チームの元締めである名簿屋に、弟を雇ってほしいと頼み込むネリ。しかし、大胆不敵なことを思いつき、実行するジョーは、サイコパスで、その暴走によってネリの人生は揺さぶられ、やがて決断の時がやって来る。
ネリの父親が明かされたりといった親子の葛藤や、血のつながらない姉と弟の兄弟愛、底辺で暮らす仲間との信頼といったドラマが織り込まれて重厚。
・・・
特殊詐欺の舞台裏を描いてタイムリーだ。昨日の6日の夕方のニュースで、今年1月~8月までの特殊詐欺の被害額は52億円という数字が紹介されていた。
映画の中でも、2億円、3億円というキャッシュをどのように海外に持ち出すかというのがあった。裏賭博を操る金髪女性の林田は、暗号資産であるビットコインにして、アジアなどの海外で現金化できると提案する。手数料の交渉などにもたけているネリと折り合いが成立。
山田涼介の狂ったはじけっぷりも見どころ。賭博で大負けし、裏でネリが保証人にされたことで「トロ」(借金の隠語)が250万円に膨らむ。利子はトイチ(10日で1割)という闇金のお決まりの高利子(中にはトサン=10日で3割というのもある)。
”曼荼羅(まんだら)”と呼ばれるベテランの元ヤクザを演じる宇崎竜童も全身刺青で、強烈な凄みがある。電池(寿命)が切れるのも近いとみて、お金には執着せず瞑想にふけることが多い。
裏賭博を仕切る金髪女性のサリngROCKという女優もインパクトがある。どこか和製シャロン・ストーンのよう。
「なめたらあかん」のCMの言葉も登場する天童よしみも、関西のおばちゃん感が良く出ている。  
大阪・西成の街並みは、滋賀県の彦根にセットを組んで再現しているということだが、空気感が良く出ていてリアルだった。
「BAD LANDS」というのは隠れ喫茶店のようなところの店の名前で、BAD LANDSの店主がNBAのミネソタ・チームの大ファンというのも小ネタで登場している。
個人的には、邦画では、見た中では今年のNo.1映画。「怪物」も印象に残る安藤サクラの賞獲りレース(日本アカデミー賞最優秀主演女優賞など)に期待したい。
「ある男」(2022)は、暗い映画だが身を乗り出して見入ってしまった。「ある男」が過去を捨てて、他人に成りすまして生きるという話だが、「ある男」以上にこれを調査する弁護士に視点を当てた映画で、弁護士自身の精神状態が揺らぎ、複雑な心境に追い込まれるというのが重くのしかかる。
ラストシーンはある意味衝撃だった。
日本アカデミー賞で、主要部門を独占したように、2022年の最大の話題作の1本だった。作品賞、監督賞のほか、主要な演技部門では、妻夫木聡が最優秀主演男優賞、窪田正孝が最優秀助演男優賞、安藤サクラが最優秀助演女優賞を受賞した。
特に安藤サクラは、この映画の後、今年は「怪物」(6月2日公開)「BAD LANDS バッド・ランズ(9月29日)、「ゆとりですがなにか インターナショナル」(10月13日)と続き、11月3日には「ゴジラ-1.0」の公開が控えているという超売れっ子で、今や日本を代表する演技派女優の一人。
また、名わき役俳優の”トップ2”ともいえる柄本明とでんでんがいい。囚人役の柄本明の不気味で底知れぬ怖さと迫力は迫るものがある。面会に来た弁護士に「(弁護士のくせに)あんた、何もわかっちゃいない」と凄むシーンはゾクゾクさせられる。
でんでんは、ボクシングコーチの役が檄はまり役でよく似合っている。主演の妻夫木聡は、弁護士役とエリート的な役だが、ラストシーンは考えさせられる余韻を残している。窪田正孝は、一見つかみどころのないような人物「ある男」で3役を演じ分けている。
清野菜名は「キングダム」もよかったが、この映画でもなかなかいい。
・・・
弁護士の城戸(妻夫木聡)は、以前依頼者だった里枝(安藤サクラ)に、事故で亡くなった夫の“大祐”の身元調査を相談される。
里枝によれば、疎遠だった大祐の兄(眞島秀和、厭味ったらしい役は秀逸)が、法要で遺影を見て別人だと告げたという。“ある男”の正体を追う城戸の胸には、真実に近づくにつれ複雑な思いが芽生える。
ヒッチコックの交換殺人というのはあったが、戸籍交換屋なる人物がいるとは驚き。しかも1回のみならず2回も…。
偏見や差別も描かれる。在日三世の弁護士城戸に対して、妻の母親は「三世なんだから日本人よね」というのもきつい。城戸は苦笑いするしかない。
妻との間にはいつしか隙間風が吹き、スマホの履歴で妻の浮気を知ってしまう城戸が、戸籍を変えた元の人物「X」(=ある男)を調べるうちに、その気持ちは理解できると複雑だが共鳴してしまうような着地点だった。
「蜜蜂と遠雷」の石川慶監督がメガホンを取り、妻夫木聡、安藤サクラ、窪田正孝、清野菜名、眞島秀和、小籔千豊、柄本明、でんでん、など多くの演技派俳優が出演。
石井裕也『月』(2023)
“書けなくなった”元・有名作家である堂島洋子(宮沢りえ)は、彼女を「師匠」と呼ぶ夫の昌平(オダギリジョー)と、ふたりで慎ましい暮らしを営んでいました。
深い森の奥にある重度障害者施設で新しく働くことになった洋子は、他の職員による入所者への心ない扱いや暴力を目の当たりにしますが、それを田所円朝(モロ師岡)に訴えても聞き入れてはもらえません。
そんな世の理不尽に誰よりも憤っているのは、職員の1人であるさとくん(磯村勇斗)でした。彼の中で増幅する正義感や使命感が、やがて怒りを伴う形で徐々に頭をもたげていきます・・・・。
現在劇場で上映中の新作なので、ネタバレを考慮してプロットの詳細は割愛しますが、原作では、施設に寝たきりで動けない「きーちゃん」の視点で書かれており、その想念が展開されるのですが、本作では新たな洋子というヒロインを設定し、その夫の昌平と職場の同僚のさとくんと陽子(二階堂ふみ)という4人にスポットを当てたプロットになっています。
その点、さとくんは相模原障害者施設殺傷事件の植松聖がモデルですが、現実や小説から離れたここでのキャラ設定は、何処にでもいそうなごく普通の青年としている特徴が観られます。
そこには、本作の題材になった重度障害者への選別殺人という「事件が突きつける「排除」の問題と、障害者の親になるかもしれないという自然発生的にわきあがってくる不安の感情は、決して無関係だとは言えない。」とした観る者にリアリズムをもたらすモチーフから、石井裕也監督は「当事者ではない、安全圏にいる私たちが「命は平等だから、この事件はひどい」と簡単に言うのは、あまり意味がない。」とも述べています。
しかし私は、本作が事件そのものをテーマとしているというよりも、この4人自身を存在論的に描くことに力点があるような印象を受けました。
その分、4人のキャラはとても上手く造形さてており、共通しているのが、絵の好きなさとくんを筆頭に、創作活動に自らのアイデンティティを置いているという設定がポイントです。
しかしそうした創作活動は生の価値として、それぞれの実存的な煩悶や喪失を昇華させる役割になっておらず、人形作家の昌平は現実逃避とも受け取られるように、障害をもって3歳で他界した息子に向けられています。また、宗教的な家庭にあっても父親の欺瞞を目にした陽子は、世の中に対する「本来性=真偽」の有り方に固執し、東日本大震災を題材にした洋子の作品に、リアリズムが描けない作家の「倫理性=善悪」としての問いを迫ったり、さとくんの重度障害者への眼差しは、においも含めた汚いものを根拠とした「審美性=美醜」として、理念ではなく身体的に否応なく受け取っているという点などを含め、4人の中でこの「真善美」という価値基準が複雑に絡み合っていると観ることができるようです。
そこにはアイデンティティ・クライシスに襲われたそれぞれの自己実現(社会的な承認欲求)が背景に隠れてもいるようですが、そうした彼らに重度障害者が同じ地平で「必死に生きている」という事が映像から受け取れることが印象的で、そこには劇中で洋子が口ずさむ「生きててよかった」という言葉がより強く浮上してきます。
しかし、中絶する権利が妊婦とその配偶者にある現実を前にした堂島夫婦の「決断」の日と、さとくんが障害者を殺害するという「決行」の日を、実際の事件が起きた2016年7月26日に設定してクライマックスを迎える展開は、本件が突きつけた「排除」の問題と「出生前診断」の問題とを、“あえて”分離することなく受け取る必要に迫られた作品と受け止めるべきでしょう。
また、映像表現は、陰影を主体とした夜のシーンの情景描写が秀逸ですが、それを背後から支えた岩代太郎氏のロマン派的な重厚なサウンドも印象的でした。また、さとくんの口ずさんだ井上陽水氏の『東へ西へ』も、過酷な労働に耐える日常を現わすシーンで効果的に使われていました。
定価の半額ほどになっていたのでDVDBoxを遂に購入
『戦争と平和』
リドリー・スコットの『ナポレオン』の公開も控えていますし、このソ連の国家プロジェクトで上映7時間の超々大作を鑑賞します
主役のひとりピエール役も演じる監督の娘さんは『惑星ソラリス』の妻役だったのね
スウィングガールズ
矢口史晴
高校野球を応援する吹奏楽部が
食中毒になりピンチヒッターとして
集められた落ちこぼれの女子高生が
ジャズの魅力に引き込まれ
成長する青春物語
今活躍している役者の若かりし頃堪能
最近余り見かけないけど題材が稀有な
コメディ監督
また撮ってほしいです
ジャズやるべ
スィングするべ😊
この映画は泣けました
昭和36年公開の核の恐怖と平和の尊さを取り上げた世界大戦争
戦中は、戦意高揚映画に協力していた円谷が、本作でも威力を発揮してますね
北極海上空での空中戦、核爆発で吹き飛ばされる建物の特撮は、息をのみます
フランキー堺家の家族揃っての最後の晩餐、宝田明と星由里子が無線電信で最後の言葉を交わすシーン、保育園に預けたままの娘を出稼ぎ先から、必死で迎えに行こうとする母親とか
本当に核戦争が起これば、逃げ場なんかないですね
いくら日本政府の首脳が努力しても、結局、戦争は抑止出来ないのが、事実を表せてますね
『ボーダー 二つの世界』
(監督/アリ・アッバシ)
もう50年以上映画を観てきているわけだが、いまだかつて見たこともない世界が目の前に現れるーーという得難い体験をできるのは、いい年こいた現在でも大きな喜びなんである。この映画もとんでもない世界を描いている。驚きと恐れと、初めはやや居心地の悪いざわざわした気分を感じるかもしれない。
主人公の女性ティーナの容貌が尋常ではない。北欧系のファンタジーロマンを期待した人はここでひるむだろう。ティーナは人並み外れた嗅覚で人のネガティブな感情を嗅ぎわけ、犯罪者を見つけ出すという税関職員(上唇をひくつかせヤコブソン器官も使って匂いを嗅いでいる!)。昔から劇映画は美男美女か一定水準以上の容姿の者しか主役級にはなれなかった。不細工とか並以下とか××とか言われる容姿の主人公を1時間半も見続けるのは、娯楽にならないし正直しんどいはずである…。しかしこの映画、主人公に絡む重要な役のヴォーレもまた、ティーナに似た怪異な容貌である。
先日観た『ジョーカー』のアーサーは社会に疎外され裏切られ不適合者として悪への境界を超えるが、ティーナはそれなりに社会に受け入れられている。そこへこのヴォーレという同じ種の匂いを持つ存在が現れたことで、ティーナの野性が覚醒し、種族や性別の境界さえ揺るがすオドロクべきことが起こっていく。
「人間はいずれ滅びる存在だ」「この世界はまやかしだらけ」と言うヴォーレが、そのつまらぬ人間界の悪に加担するなどマイナス点もあるんだが、大変なものを見せるわりに画面は静謐、北欧の森の湿気や彼らの肉体も妙に生々しい。突然変異のように独創的作品だが、原作があり(あの悲しきヴァンパイア映画『ぼくのエリ 200歳の少女』と同じ作家)もとは北欧民間伝承だという。ありきたりの映画では満足しない人におすすめ。
岩井俊二『キリエのうた』(2023)
岩井監督作品の新作である為、予備知識なしに劇場鑑賞に臨みました。
過去にも小林武史氏とのコラボでは、『スワロウテイル』、『リリィ・シュシュのすべて』という傑作を生んできた岩井監督ですが、標記はそれを凌ぐ作品として、中盤からは流す涙を止められなかった178分の長編作品でした。
新作なので、プロットの詳細は割愛しますが、ヒロインは、東日本大震災で母と姉を亡くした住所不定の路上シンガーのKyrieである小塚路花(アイナ・ジ・エンド)。彼女は歌うことでしか“声”を出せません。そして、マネージャーを自称する謎多き女であるイッコ(広瀬すず)が彼女に寄り添います。しかし、路上での2人の出逢いは初めてではなく、彼女達の高校時代の過去に時は戻り、更には幼かった路花の震災経験という過去をも描き出しています。そんな二人の過去と現在に数奇な糸で結ばれているのが路花の姉である小塚希(アイナ・ジ・エンドの二役)のフィアンセだった潮見夏彦(松村北斗)です。
そうした3つの時間を基に、石巻、大阪、帯広、東京という岩井監督のゆかりある地を舞台に、出逢いと別れを繰り返す4人の壮大な旅路を描いたことは、東日本大震災で亡くなった多くの人々への鎮魂であり、今でも癒されない傷を抱えている人々と寄り添う地元出身の岩井監督だからこそ描けた再生へ至る道筋を示した1つの回答と受け止められるでしょう。
そこには、音楽の力がいかに大きいものである事を再確認しましたが、作品主題の前提とされる愛する者の「喪失」という事に向き合う時、自分自身に即してみれば、それは結局、毎日の暮らしの中で後悔の無い一瞬を積み重ねているかという問いしか紡ぎだせず、この作品の大きさとその深さにたじろぐ事しかできないのかもしれません。
また、冒頭に路花の歌うオフコースの『さよなら』や井上陽水『帰れない二人』、久保田早紀『異邦人』はリアルに聴いてきた世代ですが、その中でも小林氏のペンによるテーマ曲『Christ ist erstanden』である「キリエ」は、元々、死者のためのミサ曲であるレクイエムの中で歌われることから、劇中に流れるそのバリエーションもHIP系の古楽的なサウンドを展開していたのが興味深く、それぞれのシーンにぴったりと寄り添って大きな効果を上げていました。その点は、Kyrie自身の歌のみならず、その劇伴音楽の完成度の高さにも圧倒された音楽映画としてのハイレベルなセンスを聴くことができます。
『異端の鳥』(監督/ヴァーツラフ・マルホウル、2019/チェコ/ウクライナ)
先の戦争の末期、東欧のどこか。
疎開先の老女が急死し、家が燃えてしまう。
取り残された少年は、あてどなく一人で旅に出る。
行く先々で少年は残酷な仕打ちに遭い、辱めを受ける。
さらには、邪悪な本性をむき出しにした大人たちの
おぞましい行為をいくつも目の当たりにする。
その地獄巡りのような悲惨を、映画は淡々とつないでいく。
少年はものを言わない。
聞こえるのは、忌まわしい夜に耐えきれず泣く声だけだ。
それでもわずかな光がさし、
つぶされるはずの彼の命を老兵が救う。
ただ一人慈愛の目を向けた教会の司祭は、
神の無力を示唆するように、あっけなく死んでしまう。
神なき土地をさまよう子羊のようだった少年に、
生き抜こうともがく、強さが芽生えてくる。
人間は愚かなものだ。
理性も知性もさずかった唯一の動物なのに、
動物以下の醜悪な行為を平気で行う。
人間の究極の愚行である戦争のかげで、
人はもっと恥ずべき行為をさらしている。
しかし、それも人間のすがたなのだ。
耐えて、ときに微力であっても抵抗し、
なんとしても生き延びること。
希望は、生き延びるその先にしか見えてこない。
最後にようやく自分の名前を取り戻す少年に
人は救いを見るだろう。
原作はポーランドで発禁書になっている『Painted Bird』。残虐な描写は多いし「こんな映画を見せるな」と拒絶する人もいるはず。でも、人間とはどういうものなのか・・を描くのが映画だとすれば、これを否定する理由はどこにもない。
画面に釘付けとなる9章3時間。モノクロ映像が見事です。ハーヴェイ・カイテル、ステラン・スカルスガルド、ジュリアン・サンズら名優も出演。知った顔が出てくると(ああこれは映画だった…)とほっとします(-__-)
予告編
https://www.youtube.com/watch?v=_8ga9YvFfSA&feature=emb_logo
1983年の公開なので、まだバブル期では無かったと思いますが、この作品に限っては既にバブリってたと感じずにはいられませんでした。
当時、結構宣伝してましたね。
芥川賞作家の作品でしかも監督。
その監督はこの前にも自身の作品を監督して、必ずしも成功したとは言えなかった訳なんですが(限りなく透明に近いブルー)。
この次はやったるぜ!
てな感じで、配役の目玉は言わずもがなの『イージーライダー』ですよ。脇を固めるのは話題になりそうな方々が贅沢に起用されています。
音楽でも加藤和彦の主題曲『だいじょうぶマイフレンド』。これはそこそこ売れたんだと思います。
そんな所謂鳴物入り的な作品でした。
ワタシもそれにつられて日比谷まで観に行ったのでした。
感想から言うと、まあ、面白かったですよ。おもちゃ箱をひっくり返して片付けずに散らかったままとでも言うのでしょうか?
撮影機材も当時日本では初めて導入の『なんたら』とか言うのを導入したとか言ってたような気が致します。
なんか、もう一度観たくなってきました。
「わらの犬」(原題:Straw Dogs、1971) は、アクション、バイオレンス映画の巨匠だったサム・ペキンパー監督作品。この映画でも、バイオレンスが炸裂した。
暴力が横行する現代アメリカに嫌気がさして、平和を求めてイギリスの片田舎に妻とともに逃れてきた若い数学者(ダスティン・ホフマン)。しかし、そこで待ち受けていたのは…。
平凡に見える人間の奥底に潜む本能。極限状態の中で、抗しきれない暴力の本能がめらめらと湧き上がる恐怖。
ダスティン・ホフマンが「真夜中のカーボーイ」「小さな巨人」などのあとに取り組んだバイオレス・アクション。大人になりきれていない弱い人間が主人公というところか。
奥さん役にはこれが代表作でもあるスーザン・ジョージが扮している。
STRAW DOGS(わらの犬たち)とは、中国の思想家・老子の語録の中からとった言葉だそうで、超人間的存在である天から見れば、人間の行動は護身のために焼くわらの犬のようにちっぽけな存在にすぎないという意味だという。
アメリカの若い宇宙数学者デビッド(ダスティン・ホフマン)は、自らの平和主義の信念に従い、暴力に満ちたアメリカの現体制に反発し、エミー(スーザン・ジョージ)と共にイギリスに渡った。
コーンウォール州の片田舎にある農家に住み、何ものにも煩わされることなく数学の研究に専念し、書物にしようと考えていた。エミーも、コーンウォール出身で、この村に移ってくるとたちまち村の若者の眼をひいた。
デビッド夫妻は、農家に落ち着くと、早速職人たちを雇って納屋の修理をさせることにした。ところが、その中に、エミーがデビッドと結婚する前に関係のあったベナー(デル・ヘナー)がいた。
ある日、デビッドが村の若者たちにすすめられ、彼らがあらかじめ用意しておいた狩場へ鳥を撃ちに出かけた留守中に、彼を誘いだす計画をたてたベナーとスカットがエミーに暴行を加えたのだった・・・。
村人たちの懇親会が、人間関係のもつれ、運命の歯車の狂いから、やがて恐ろしい地獄図のような暴力の嵐に巻き込まれるとは…。
ダスティン・ホフマンの演技には、このころから非凡さが感じられたが、この映画でも、一見おとなしそうな数学者が、信じられない行動に出るさまが、リアルに描かれていた。
ペキンパー映画の真髄だった。代表作は大ヒットした「ゲッタウエイ」(1972)(スティーブ・マックィーン主演)と「ワイルドバンチ」など。
「悪魔のはらわた」
(🇮🇹1973年/昭和49年日本公開)
     ポール・モリセイ監督作品
①初公開B5版パンフレット (日本ヘラルド配給)
②初公開チラシ
殺害した男女2体の人造人間作り出し、身体をを交わらせ、完璧な新人類創造を考えたフランケンシュタイン男爵を描く、当時成人指定を゙受けて公開した映画です。
日本では3週間前に公開した「エクソシスト」が旋風を起こした「オカルト映画ブーム」に乗って話題になった1本。
今では考えられない話しですが、日本テレビ「木曜スペシャル」オカルト映画特集で、「エクソシスト」「ヘルハウス」を゙中心に、「謎の死を遂げたスターの因縁」〜「ドラゴン怒りの鉄拳」ブルース・リー、「荒馬と女」マリリン・モンロー(リバイバル)、「人類は滅亡する」〜「日本沈没」「ノストラダムスの大予言」、「失われた世界」、の流れでオカルト映画最新作として「悪魔のはらわた」は、その内容の1部がブラウン管に映ったのです。
さらには、「お昼のワイドショー」〜「私は幽霊を゙見た」(「あなたの知らない世界」の前身)でも、恐怖体験ドラマのあと、中山千夏に紹介され、裸の男女(フンドシみたたいのはしてたけど)の性交実験場面まで映されました。
さらには数年後、この映画がお気に入りの淀川長治さんの解説で「日曜洋画劇場」収録までされながら土壇場で放送中止(のちに深夜放送された。)。
もともとは、アングラ作家アンディ・ウォーホルが考え出した異色ホラーであり、異常な人々が織り成すグロテスクな行為の数々を二人の子供が覗き見しているという描写。
のちの「処女の生血」もそうでしたが、本作もウド・キアーの公開処刑のような映画で、反逆した男の人造人間(ジョー・ダレッサンドロ)に、鉄格ドアをいきなり閉められて手首が飛んだり、背中から杭を突っ込まれて内臓が串刺しにされたり。当時は3D映画として上映され、相当えげつなかっただろうな、と思いますが当然ボクは封切り時は見ていません。
ゴジラ-1,0
鑑賞しました。
山崎監督は苦手なのですがゴジラは観たいです!
スクリーンでゴジラを観る。これはもうお祭りです。映画が面白いかどうかはおまけみたいなもの。ビックリマンチョコでいえばシールがゴジラでストーリーがお菓子みたいなもの。怒られそうですがごめんなさい🙇‍♀️
1945~1946年という時代設定。山崎監督のお家芸です。軍艦や戦闘機、昭和の街並みなど、美術やガジェットは流石にしっかりとしています。
ゴジラもかなりカッコよかったです。背鰭の描写や熱線も迫力ありました。スクリーンに大きなゴジラ。スピーカーから伊福部さんのテーマソング。これはもはや発明ですね。
ゴジラ-1.0(日) ※この内容をネタバレと言うのならそうかもしれない
絶賛の声が9割、批判の声は1割の最新ゴジラ映画をやっと観ることが出来た。政治風刺を盛り込んだ前作の「シン・ゴジラ」とは全く違う。簡単に言えば昭和40年代盛んに作られたゴジラ作品へのオマージュ、ただし人間の味方的部分は1mmも無い。ただただ戦後の復興をマイナス1どころかマイナス∞にしてしまいそうな邪悪な怪物である。まさに「許しちゃくれない」。特に口から吐く放射能光線の威力が凄まじい。ミニ原爆ぐらいの威力。主人公役の神木隆之介と浜辺美波の息はピッタリ合って良い感じ、さすが朝ドラコンビである。迫力十分で思い切り楽しめたし、少し予定調和的ではあるが主なメンバーは皆助かり大団円となる。でも私的には絶賛とまでは言えない。何かもう一つ工夫があればもっと面白くなったような気がするので(偉そうだが)書いておきたい。そして忘れていけないのは音楽、伊福部昭の有名なゴジラマーチが帰って来た。やはりこの曲はゴジラ映画に不可欠、気持ちが上がる。続きが是非早く観たいのです。 ☆☆☆++
— 場所: TOHOシネマズ 市川コルトンプラザ