Apex product 【 ③がんばろう千葉!! 】

【千葉県を、もっともっと、楽しもう!!】 №3

千葉県では、東日本大震災による津波や液状化などの被害に加え、農林水産物の買い控えや観光・イベントの自粛などにより、経済活動にも影響が生じています。

そこで、千葉を元気に、千葉から日本を元気にしていくため、県民、企業、行政等が一体となった県民運動「がんばろう!千葉」キャンペーンを実施しました。現在は終了致しました。このキャンペーンは、二つの取組を組み合わせて進めていました。

一つは「がんばろう!千葉」を合言葉に、各種イベント等を通じて気運を高める取組です。県の主催するイベントのみならず、趣旨に賛同する企業等が自主的に実施する県産品の即売会や、県のマスコットキャラクター「チーバくん」の統一シンボルマークを使用する商品ポップなど、独自の取組も進んで出来ました。

もう一つは、県民一人一人が身近にできることを積み重ねることで千葉を支える「がんばろう!千葉」応援隊の結成です。県産の農林水産品を応援する「ちば産品応援隊」に続き、県内を旅することで観光を元気にする「ちばめぐり隊」、さらには、この夏懸念される電力不足に対応するための「ちば節電協力隊」を結成しました。募集開始から1ヵ月程度で、企業・団体から250を超える参加を、個人の方で約3,000名を超える参加をいただきました。その後も続々と賛同者が増えており、県民運動は盛り上がりを見せました。このキャンペーンに弊社も参加して共に元気を発信できて良かったと思っております。キャンペーンは終了致しましたが弊社は、引き続き「がんばろう!千葉」を合言葉に、元気のないコロナ禍の千葉県に勢いを与えたいと願い活動を続けます。千葉を元気に、そして、千葉から日本を元気にしていきます。 

Apex product 社員一同

初春の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。日頃は格別のお引き立てをいただき、ありがたく御礼申し上げます。 さて、このたび弊社は創立10周年を迎えるに至りました。 皆様方のご支援、ご厚情による賜物と深く感謝いたしております。
とうとう、10周年を迎えることができました。2013年の3月から数えて、10年が経ったわけです。どんなことでも、毎日10年やり続けられたら、一丁前になれるとある作家の方が言われていました。このことばを、一番信じていたのは、私達だったのかもしれません。大変なようで意外に短い期間のようでしたが、そして、とうとう待ち望んでいた10年に到達しました。これもひとえに皆様のおかげであると感謝をしております。の10年に向けて新しいスタートを切るにあたりどのようなことが必要になってきているかを日々考えてきました。私どもは伝えること、元気になること、頑張りたい人たちのきっかけとなり、力いっぱい背中を押す役割になることができますよう、幅広い視野を持ち常にチャレンジ精神を持って、皆様のご期待にお応えできるよう従業員一同最大限の努力をしてまいります。今後も格別のご理解とご支援を賜りますようお願い申し上げます。
2023年 3月吉日 Apex product 代表 柳伸雄

【 日本一 安心・安全な千葉へ!! 】

千葉県誕生150周年記念 千葉県は、明治6(1873)年6月15日に当時の木更津県、印旛県の両県が合併して誕生しました。 そして、令和5(2023)年に千葉県は誕生150周年を迎えます!

屏風ケ浦

屏風ヶ浦(びょうぶがうら)とは、千葉県銚子市名洗町から旭市上永井の刑部岬までの海岸線に連なる断崖絶壁、海食崖のことである。水郷筑波国定公園に属する。イギリスとフランスの間のドーバー海峡にある崖に似ていることから、東洋のドーバーとも呼ばれる。

今日の九十九里は風が強いです

最近、ながらみのご注文がだいぶ落ち着いてきました

たくさん煮てあればお持ち帰りも出来ますので
よろしくお願いいたします

あっ宅急便でも遅れますよぉ

『ちば見聞録』#001 城下町と蘭学の地~佐倉~(前編)【チバテレ公式】 

『ちば見聞録』#002 城下町と蘭学の地~佐倉~(後編)【チバテレ公式】 

『ちば見聞録』#003 南総里見八犬伝と里見氏(前編)【チバテレ公式】 

『ちば見聞録』#004 南総里見八犬伝と里見氏(後編)【チバテレ公式】 

『ちば見聞録』#006 貝塚と古墳群が語る房総の古代(後編)【チバテレ公式】 

『ちば見聞録』#007 鷹狩りの道・御成街道を歩く(前編)【チバテレ公式】 

『ちば見聞録』#008 鷹狩りの道・御成街道を歩く(後編)【チバテレ公式】 

『ちば見聞録』#009 門前町成田 その歴史と魅力(前編)【チバテレ公式】 

『ちば見聞録』#010 門前町成田 その歴史と魅力(後編)【チバテレ公式

『ちば見聞録』#011 利根川紀行(前編)【チバテレ公式】 

『ちば見聞録』#012 利根川紀行(後編)【チバテレ公式】 

『ちば見聞録』#025 ちばベイエリア 今昔物語(前編)【チバテレ公式】 

『ちば見聞録』#026 ちばベイエリア 今昔物語(後編)【チバテレ公式】 

ちばの妖怪祭り

赤鬼コスのちーばくん

ボランティアによる自作だそうです。

ちょっとレアです。千葉中央博物館

噂のチーバ君カップ
新都心イオンにてゲットしました♪(´ε` )

千葉市にお茶農園・・・??
すごい努力家の社長さんです。
チーバくんのこのお茶は…・121円/本
ふれあいマルシエにも展示

マッサンとエリーが「福は内」 ── 成田山大阪別院の節分行事で豆まき

交通安全祈願などで知られる大阪府寝屋川市にある「成田山大阪別院明王院」で3日、恒例の節分祭が行われ、NHK連続テレビ小説「マッサン」でマッサンこと亀山政春を演じる玉山鉄二やエリー役のシャーロット・ケイト・フォックスが登場。舞台からたくさんの豆をまき、訪れた2万人の参拝者でにぎわいをみせた。

【動画】マッサンとエリーが「福は内」 ── 中村鴈治郎、おけいはんも登場。「おさむちゃんです」映像も


中村鴈治郎や「おけいはん」らが豆まきに登場

 この行事は毎年恒例のもの。会場では開始1時間以上前から大勢の人でごったがえした。

 「マッサン」の2人のほか、鴨居英一郎役の浅香航大や京阪電鉄のCM「おけいはん」でおなじみの畦田ひとみ。宮川大助・花子やぼんちおさむらが「おさむちゃんでーす」と叫びながら登場。そして、歌舞伎俳優の中村鴈治郎が登場すると、参拝客から「成駒屋」の声援も聞かれた。

 地元から来たという主婦(49)は「8時前から来てたけどすごい人やったよ。そらあマッサンみたいもん」と話し、豆をまく前から盛り上がりをみせた。

「鬼は外」なしの豆まき、会場には紙袋の花が?

 不動明王が祭られた境内には鬼がいないとされるため、ここでは「鬼は外」は言わず、掛け声は「福は内」のみとなっている。玉山らが豆をまこうとすると、境内に集まった参拝客が「待ってましたー」とばかりに、両手を広げ、紙袋の花を咲かせた。

 これには、玉山らも驚きの表情と笑みを浮かべたが、日本一大きな升に盛られたピーナッツを両手でつかんで思い切り「福は内」とまくと、大歓声があがり受け止めていた。

 この光景にシャーロットは後に行われた会見で「(この風習を)初めて知った。アメリカにも火にものを投げる祭りがあるけど。気持ちよかった」などと話した。


参拝客「豆は家まで。途中で食べたら福逃げる」

 参拝客は紙袋を手に「ほらみてみぃ、とったでー」と大はしゃぎ。京都市から来たという女性(63)は「いっぱいとったから、福を家に持って帰るわ。途中で食べたら福が逃げるって聞いたから。たぶんこれ、エリーちゃんのやで」と話し、大事そうに袋をかかえて帰っていった。

 同院では、午後1時から大関の豪栄道豪太郎が登場。同3時からは西川のりおや桂米團治、桂春之助らも登場し豆まきを行う。


昭和の思い出があちこちに残る街、銚子に、昭和のヒーローが登場します。
仮面ライダーV3やゴレンジャーへの出演でおなじみ、しかも、銚子出身の宮内洋氏に、日本が輝いていた当時のエピソードや銚子の思い出を語っていただきます。

「昭和40年男」の編集長、北村明広氏も参加決定!
今の社会で、昭和の価値観をどう活かせるか、切り込んでいきます。

40代の皆さま、「日本を、銚子をどうやって元気にするか」をヒーローと一緒に考えるトークショーに参加してみませんか。

「昭和のヒーローが銚子を救う」トークショー
お申し込み方法
① 住所、氏名、年齢、連絡先、人数をご記入の上、下記
  のメールアドレスにお送りください。
  複数人で参加希望の場合、参加される方のお名前を
  すべてお書きください。
もしくは、Facebookのイベントページの「参加する」を押してください!

② こちらから、参加確定のご連絡をした時点で参加が
  確定となります。
③ 締切:1月31日 24:00
mail@colorcode-inc.com

【千葉市の昭和】懐かしい写真

千葉銀座のライオン堂前。陽射しの射し方と歩道の人の服装から、真夏の写真と思われます。

アーケードの影と打ち水で、店前は涼しかったでしょう。当時は今の酷暑などはありませんでした。

市民の楽しみでもある出店も数店並んでいます。出店の中は、かなり暑いと思います。それだけ市民に喜ばれる商売をしたかったのでしょう。

ライオン堂に入ろうとしている写真左の女性は、下駄を履いています。これでも笑う人のいない千葉市は、まさに自由都市に相応しいですね。

昭和29年撮影。写真は千葉県立中央博物館にあります。

どこかで見たことがあるような……。と、思われる方もいらっしゃると思います。

ここは蓮池の酒場で、ビールや洋酒を飲んでいるのは、千葉医科大学(今の千葉大学医学部)の学生の皆さん。

学生服の上にスーツというスタイルが当時らしさを表しています。

命を助ける知識と技を身につけ、病魔と戦う特訓に明け暮れる医学生の皆さんは、時にはこういう休憩も必要だったのでしょう。

いつの時代も、医者の戦いに終わりはありません。当時を偲んでビールを飲むのも、悪くないと思います。

昭和10年撮影。

国鉄千葉駅を今の場所に移転するための工事が始まっています。

大通りはほぼ出来上がっているものの、駅舎はまだまだで、女の子の遊び場となっています。この位置からなら、見晴らしはいいですね。がらーんとした空き地に、そごうやニューナラヤ、大手銀行が立ち並ぶとは、この時点では想像に難しいです。

このくらいの広さの遊び場を、今の子供達に用意してあげられたらと、常々思います。千葉っ子は、遊ぶことが大好きです。当時同様に、いくらでも遊び方を考えるでしょう。

昭和36年頃撮影。

中央通りから京成千葉駅を見たながめです。右の建物は奈良屋。

京成千葉駅ビルの屋上には、観覧車が見えます。

手前に自動車と一緒に自転車が信号待ちをしています。実は自転車は軽車両で、本来なら車道を走る乗り物なのです。

平和な一コマです。

昭和34年撮影。写真は、千葉市立郷土博物館にあります。

京成千葉駅跡地

京成千葉駅が、国鉄本千葉駅跡の現在地へ移転し、その後に中央公園を建設中。

写真右手の型枠はステージを作っている様子。写真中央から左にあるコンクリートの上には、中央公園のシンボルだった噴水のある池が作られました。

昭和40年撮影。写真は、千葉市立郷土博物館にあります。

京成千葉駅ビル

営業初日の京成千葉駅ビルの中の様子です。押すな押すなの大盛況!

千葉県初のターミナルビルとあって、県内初のエスカレーター、東京名店街。地下食品売り場にはセロリやカリフラワーなどの西洋野菜が並び、流行に敏感な千葉市民も、さすがにカルチャーショックを受けました。

県の中心部である千葉市に相応しい先鋭ビル。しばらく混雑が続いたそうです。

昭和33年撮影。

建前式

道場南の民家の建前の様子。屋根には破魔矢と鏑矢の飾があります(大きいですね)。

神主さんを中央に、関係者が集まっています。当時の千葉市には、腕の良い大工さんが大勢いて、関東大震災にも耐えられることを目指し、強風にも耐えられる工夫が民家にも凝らされていました。

行政からとやかく言われる前に、能動的に腕を磨いた大工の皆さんの努力は、市民の安全に直結していたのです。

昭和7年撮影。

扇屋デパート

綺麗な現代的ビルの扇屋デパートです。先行していた奈良屋デパートと住み分けをして、老舗の呉服店は、昭和34年に百貨店となりました。

平和に生きる千葉市民は、伝統行事も大好きでしたが、流行にも敏感で、扇屋デパートは市街のスポット的存在でした。

昭和47年には、マクドナルド千葉市1号店が1階に入り、更に盛況しました。

しかし周囲の発展や、国鉄千葉駅周辺の発展も影響し、昭和51年に扇屋ジャスコとなり、後にジャスコとの提携を解消して、平成4年に閉店しました。

写真を見ると、時代の最先端が集結した扇屋デパートの前には露店が並んでいます。高級品に胸を躍らせた後に、出口には庶民の味が待っていて、二重の楽しみもあったのですね。

ミスマッチにも見えますが、のんびりとした平和に生きる千葉市民は、より多くの楽しみを求めていたので、こういう光景が出来上がったわけです。

昭和35年撮影。写真は、千葉県立中央博物館にあります。

タイヤ再製工場

幕張5丁目の旭タイヤ再製工場。自動車が普及するにつれて、タイヤの需要が増加し、トラックを中心に再製タイヤが重宝されました。

航空機と異なり、自動車には合成ゴムが適していたため、資源保護の観点からも、現在再製タイヤが見直されています。

写真の再製工場は、現在エネオス旭石油になっています。

この場所の特定は、案外簡単かも知れません。

昭和26年撮影。

婦人会

割烹着にタスキをかけた皆さんは、大日本国防婦人会の方々。小深の八幡神社前での撮影。

本当は農作業に時間を使いたかったのが本音なのですが、特高(警察署特別高等科の刑事)を恐れるあまりに、仕方なくやらされていました。

本音を言えないとは、本当に不便ですね。監視システムが行き届いていたので、千葉市民の平和な心も隠さなければなりませんでした。

昭和10年代撮影。

映画鑑賞

銀座通りから西に路地を入った千葉中劇場。入り口に並んでいるのは小学生で、おそらく映画鑑賞授業と思われます。

それにしても、小学生に「悪徳警官」??...
近現代風に言えば、小学生に「あぶない刑事」を見せるようなものでしょう。

映画館のさきには、清古医院と東京相互銀行がありました。

出征記念撮影

パッと見ると、誰が出征するのか、わからない写真。
後ろに旭日旗と日の丸旗はありますが、人の陰に隠れ誰一人として旗を持っていません。

この写真は、千葉市屈指の名工、金庄の金親親方ご一家の写真。出征されるのは親方の一番弟子の渡邉陽太郎氏。後列右側の、学生服のような服を着られています。

学生服のような服は、海軍の第1種軍装で、下士官の軍服です。皆さんの顔に笑みはなく、複雑な胸中が如実に表れています。

これが本来の千葉市民の出征なのです。タスキをかけられた軍服姿の写真は、よく見かけます。昇り旗で見送られる姿も多々ありました。

しかし、海と平野に守られた千葉市は平和そのもの。戦争しなくても幸せに暮らしていました。

戦闘機や軍艦に乗って命を落とす努力より、田んぼや畑の世話をしていた方が有益ですね。

渡邉陽太郎氏は無事に金親親方の元に生還し、その後、独立されています。

戦争中に本音を写した、非常に珍しい写真です。

昭和18年撮影。

米は政府により統制され、稲作農家は供出米を割り当てられていました。

米は出荷日と集荷場所を決められて、検査をうけていました。

それにしても、すごい米俵の数!平野に恵まれた千葉市では、広大な水田を作っていたため、割り当ての量も多かったわけです。

この時代、供出米のほとんどは軍に納められており、米を積んだ輸送船はアメリカの潜水艦にことごとく撃沈されていました。

青年を兵役にとられ、供出米は海の藻屑。千葉市民にとって戦争は、迷惑千万。余計なお世話。

市民が充分食べていける量を確保したら、残った米を米が取れない場所に分けてあげればいい。

いくら太っ腹な千葉市民でも、作物を粗末にされる屈辱には耐えられませんね。

愛情を込めて守る海。愛情を込めて育てる農作物。無駄にされては怒って当然です。

昭和18年撮影。

扇屋デパート屋上で、白馬の馬車の遊具で幼子が遊んでいます。

デパートの屋上は、子供の遊び場というのが当時の常識でした。白馬の遊戯は、確か一回10円だったと思います。

後ろの柵の向こうに、ナショナルの看板が見えています。当時はそれだけ高層建造物が少なかったのですね。

昭和38年撮影。

ちゃぶ台を笑顔で家族が囲んでいます。この時代になると、白黒テレビや扇風機などの白物家電が爆発的に普及していた。

千葉市民は流行にとても敏感。当時、白黒テレビを台付きで買うとしたら、サラリーマンなら一年貯金しなければ買えない金額だった。

海辺の都市、千葉市は、家に入れば笑顔があふれ、最先端の文明の利器があったのですね。千葉市民には、笑顔が似合います。

昭和40年代撮影。

レトロなスタイルのバスに自動車、オートバイが、何とも良い味を出しています。

片手に買い物籠、もう片手に小さな手を握る親子の姿は、実に微笑ましいです。汽車で買い物に出かけるのでしょうか。

ここは房総東線(今の外房線)の国鉄土気駅前。もちろん駅舎は木造です。

開発された今からは、想像に難しいのんびりした姿です。昭和44年に千葉市と合併し、その後の大規模開発により人口は爆発的に増加。

それに呼応するように、国鉄も昭和47年に電化され、路線名も現在の外房線に改名。昭和48年には複線となりました。

昔の土気は田畑が広がり、千葉市の重要な食物生産地でしたが、今は市民の暮らしを支える街として、成長を続けています。

昭和44年撮影。写真は千葉市立郷土博物館にあります。

検見川小学校が創立100周年を迎え、町の表通りで全校生徒が参加しての壮大なパレード!

警察官が交通整理をし、パレードは片側車道を埋め尽くしています。当時の学校の催しは、このように手厚く守られていました。

小学校の祭典。道を譲るドライバーの方々。見守る町の方々。思いやりが凝縮された姿を見せられているようです。

昭和47年撮影。

建物時々畑のほぼ中央に位置する県立千葉商業高校。

人文字を見れば一目瞭然ですね。当時の同校は道路側のフェンスもなく、とても開放的です。

簿記など、実社会で使う知識を充分に学んだ千葉商業高校卒業生は、あらゆる産業で歓迎されました。

昭和32年撮影。

【千葉県をもっと知りましょう】 イベントに行きましょう!!

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「死にたい」「消えたい」「生きることに疲れた」など、あなたのそんな気持ちを素直にメールして下さい。
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