Apex product 【 昭和の楽しい時代㊴ 】

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山崎浩子さん
 60年  鹿児島県(現・指宿市)出身
 東京オリンピック新体操、地元のスター 喜田純鈴選手見ていて思い出しました。
84年ロサンゼルスオリンピック新体操で8位入賞後に引退
テレビタレントとして活躍してましたが
90年ころからの統一教会騒動で婚約、脱会などテレビを賑わせました。
https://youtu.be/ifYFTYYmqjM
https://youtu.be/M--ZkKnP3ek
🟤アルファベットチョコレート  
🟫1970年発売、名糖産業
🤎チョコレートが高級なお菓子であった昭和45年、家族で分け合える袋入りのチョコレートとして誕生しました。
山本圭子さん
(1943年8月7日-)
女性声優、ナレーター。
大阪府出身。
代表作は
『サザエさん』(花沢花子)、
『天才バカボン』シリーズ(バカボン)、
『がんばれ!!ロボコン』(ロボコン)、
『ちびまる子ちゃん』(山田笑太)、
『ひみつのアッコちゃん』第2、3作(チカ子)など。
相愛女子短期大学家政科卒業。
短大卒業と共に、
当時劇団泉座でマネジャーをしていた兄を頼って上京し、泉座に入団。
青二プロダクションの創立メンバーのひとり。
声種はアルト。
『サザエさん』(花沢花子)や『ちびまる子ちゃん』(山田笑太)で演じる、
だみのかかった役が多いですが、
1960年代のアニメでは、
『戦え!オスパー』(オスパー)
『もーれつア太郎』(ア太郎)など、
ハスキーボイスで演技をすることもありました。
『ゲゲゲの鬼太郎』では第5作まで出演しており、
第2作・第4作・第5作ではレギュラーキャラクターの砂かけ婆を演じており、
実質持ち役となっていました。
また、
第1作(1968年)の第1話「おばけナイター」では妖怪バットを拾う少年を演じましたが、
1985年に放送された第3作の「おばけナイター」でも同じ役柄の少年を演じるなど、
数十年間隔で同じ役を演じました。
第3作では砂かけ婆ではなく、
シーサー役でレギュラー入りしており、
このシーサー役は第5作でも準レギュラーとしてメインの砂かけ婆と二役で演じました。
『がんばれ!!ロボコン』のロボコンを演じたときにはロボコンの人気が高く、
NET(現:テレビ朝日)の番組はニュース以外全部出演し、
丸一日ロボコンの仕事という日もあったそうです。
1999年制作の『燃えろ!!ロボコンVSがんばれ!!ロボコン』で
22年ぶりにロボコンの声を担当。
役者間での愛称は「ドドコ」(名前の圭の字が「ど(土)」を2つ重ねたように見えることから)。
身近な人には「圭子姉さん」と呼ばれています。
関西出身であるため、関西弁が得意。
『ひみつのアッコちゃん(第3作目)』で共演した
こおろぎさとみに関西弁を教えたこともありました
(こおろぎ自身が自身のラジオ番組『ひので街探偵事務所』で過去に話題にしていました)。
『チキン・リトル』の声の担当は当初ゲームだけという話でしたが、
山本の声を聞いたディズニー社のスタッフが気に入ったことから、
映画でも声を入れることに。
マネージャーはその報告を聞いて喜びの電話を送りましたが、
本人は「チキン・リトル」のことを忘れていたといいます。
テレビでの顔出し出演はあまり無し。
そのほかでは2015年の最初の『サザエさん』の放送では体調不良のため、
この回のみ花沢花子役を一龍斎貞友が務めました(翌週からは山本が復帰)。
それ以降サザエさんにて他に演じていた、
花沢夫人とマスオの母、タケオの母は川崎恵理子に既に変わっています。
2020年9月10日、
所属事務所である青二プロダクションから
下肢骨折の治療のため一時休養することが発表され、
『サザエさん』の花子役は伊倉一恵が代役を務めました。
花子役は同年10月18日放送回より復帰。
2022年5月には『サザエさん』の穴子の妻が落合るみに、
『ちびまる子ちゃん』の大石先生役が山本百合子に交代。
(山本圭子)

♥️2023💃8/9 木南晴夏(38歳)𝑯𝒂𝒑𝒑𝒚 𝒃𝒊𝒓𝒕𝒉𝒅𝒂𝒚🕺🖤

1965年から90年まで放送された寺内貫太郎一家と双璧の(勝手に) 時間ですよ。

由美かおる・合気道四段😉

ウルトラマン科学捜査隊
フジ・アキコ役の桜井浩子さん

1971年から83年まで続いた、視聴者参加型歌手オーディション番組 「スター誕生」 多くの歌手が巣立って行きました。

黒柳徹子さん
(1933年8月9日-)
女優、タレント、テレビ司会者、エッセイスト。
日本史上最初のテレビ出演者のひとりで、
ニュースショーのキャスターや、
トーク番組の司会を女性では初めて務めました。
愛称はトットちゃん、チャック。
日本芸術院会員。
日本でテレビの放送を開始した初日からテレビ出演を続ける(1953年2月1日)、
日本史上最初のテレビ女優。
テレビ草創期から活躍を続けるタレントの一人として知られ、
日本史上最初のテレビ女優としては唯一、
21世紀に至るまでテレビ番組のレギュラーを継続して持ち続けており、
日本のテレビ放送史を代表する芸能人の1人。
冠番組の『徹子の部屋』では、
同一司会者によるトーク番組の最多放送世界記録保持者として、
記録更新中。
幅広い層が観るバラエティ番組に数多く出演しており、
大御所同士だけでなく若手芸人とのトークも好評であるため、
21世紀においても国民的人気を維持。
『徹子の部屋』や『NHK紅白歌合戦』などの司会業、
累計800万部を記録し、
戦後最大のベストセラーとなっている『窓ぎわのトットちゃん』の著者、
長年ユニセフ親善大使を務めていることで知られます。
テレビ番組だけでなく、舞台に出演したり、
コンサートなどのイベントで司会を務めることも多数。
(黒柳徹子)
はだしのゲン
コンビニに売ってたので買いました
昔は怖くてちゃんと読めなかったような、50にしてやっと読みました。
ゲンの家族が原爆の前から、戦争に反対していたため理不尽な目にあったり、貧乏なために物乞いをしたり
今の子供には理解できないんだろうな、その背景まで説明するのは難しいかなとは思いましたが、娘は、
エグいな!エグいな!って言いながら読んでます。
吉行和子さん
(1935年8月9日-)
東京府(現:東京都)出身の女優、エッセイスト、俳人。
父は作家の吉行エイスケ、母は美容師の吉行あぐり。
兄は作家の吉行淳之介、妹は詩人の吉行理恵。
2歳で小児喘息を患い、病弱な子ども時代を過ごす。
父は和子が4歳のときに死去、
母は美容師として働いていたため、
ひどい喘息の発作が起こると、
岡山の祖父の元に預けられていました。
1954年、女子学院高等学校を卒業。
卒業前に劇団民藝付属水品研究所を受験して入所。
女優になるつもりはなく、
絵を描くことや裁縫は得意だったことから
「衣装係にでもなれれば」と思って受験したところ、
思いがけず女優候補として採用。
1955年、初舞台。
1955年、
津島恵子主演の『由起子』でスクリーンデビュー。
1959年、日活と契約。
同年、『にあんちゃん』『才女気質』での演技で
毎日映画コンクール女優助演賞を受賞。
1957年、民藝所属。
『アンネの日記』のアンネ・フランク役に抜擢され、
主役デビューも果たしますが、
その後は地味な「農民の娘」役ばかりであったといいます。
1969年、33歳で退団してフリー。
1974年の舞台『蜜の味』で、
紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。
舞台女優としては
2008年の『アプサンス〜ある不在〜』を最後に舞台から引退することを表明しましたが、
好評を博したため、
2009年にアンコール公演が決まりました。
1978年、
性愛を大胆に扱った大島渚監督の『愛の亡霊』に主演して(40歳を過ぎての出演には周囲の反対がありました)世間を驚かせ、
日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。
2002年には『折り梅』などで
毎日映画コンクール田中絹代賞を受賞。
テレビドラマのほか、
かつては『おかあさんといっしょ』でのお話のお姉さんとしても活躍。
文筆の世界では、
1983年にエッセイ集『どこまで演れば気がすむの』を出版し、
1984年の第32回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。
2000年には母の日に贈った五行歌が大きく紹介されました。
(吉行和子)
南城竜也    48年  東京都東村山市出身
(変身忍者嵐)
潮 哲也       49年   京都府出身
(怪傑ライオン丸)
2人はともに東映演技研修所の同期生で遊び仲間でもあったそうな。
不思議な因縁で、ともに72年放映開始の変身特撮時代劇のヒーローとして活躍。良きライバルとして意識しあっていたそうです。

♥️2023💃8/10 安倍なつみ(42歳)𝑯𝒂𝒑𝒑𝒚 𝒃𝒊𝒓𝒕𝒉𝒅𝒂𝒚🕺🖤

佐藤蛾次郎さん
(1944年8月9日-2022年12月9日)
俳優・タレント。
身長155cm。
大阪府高石市出身。
息子は俳優の佐藤亮太。
1953年に朝日放送児童劇団に入団。
1961年に『神州天馬侠』の泣き虫蛾次郎を演じてから、
芸名を佐藤蛾次郎に。
1968年にはテレビドラマ『男はつらいよ』に出演。
1969年からは映画『男はつらいよ』に
柴又題経寺の寺男・源吉(愛称:源公、源ちゃん)役で出演。
最新作の2019年まで出演し続け、
本シリーズに欠かせない存在となりました。
第8作の『男はつらいよ 寅次郎恋歌』のみポスターに名を重ねているものの
撮影直前に交通事故に遭い緊急入院したため出演していません。
1970年代から1980年代には
アフロヘアーにしていましたが、
テレビドラマ『柳生一族の陰謀』、
映画『戦国自衛隊』、
テレビドラマ『服部半蔵 影の軍団』などの時代劇でも丁髷のカツラを被らず、
人の良い男をコミカルに演じ、
そのヘアスタイルは佐藤の売りにもなっていました。
2022年12月10日午前10時過ぎ、
東京都世田谷区の自宅浴室で風呂に浸かった状態で動かなくなっているのを親族が発見し、
その場で死亡が確認されました。
死因は虚血性心不全とみられています。
78歳没。
(佐藤蛾次郎)

ゴム動力の飛行機、 休みになると近所のお宮の境内で飛ばしっこをしていたものだが今の子供はクーラーの効いてる部屋でゲームか。

石橋蓮司さん
(1941年8月9日-)
俳優、演出家。
東京府荏原区(現在の東京都品川区)出身。
日本大学高等学校卒業、日本大学藝術学部映画学科中退。
「劇団第七病棟」主宰。
身長178cm。
妻は緑魔子。
建具職人だった父と母が離婚し、母のほうにつきました。
母、姉、弟の4人と戸越の連れ込み旅館で育ちます。
中学生時代の1954年、
母親に連れられ当時近所にあった劇団若草に所属。
同年13歳のとき東映児童劇映画第1回作品『ふろたき大将』で主役デビュー。
17歳で劇団若草を辞め、東映児童劇団に身を預けます。
大学中退後の1965年、劇団青俳の養成所に入所。
1968年、共に青俳を脱退した
劇作家の清水邦夫、演出家の蜷川幸雄、俳優の蟹江敬三、岡田英次、真山知子らと
劇団現代人劇場を旗揚げ。
1971年に現代人劇場が解散した後、
1972年に
清水、蜷川、蟹江と劇結社「櫻社」を結成。
1974年に蜷川が商業演劇に活動の幅を広げたのを機に櫻社が解散した後は、
1976年に緑魔子と劇団第七病棟を旗揚げ。
第七病棟の公演では、
使われなくなった建物を劇場に改造して唐十郎や山崎哲の作品を上演し、
その多くで自ら演出を手掛けています。
2008年には、
東映が実施する若手俳優の育成を目標とした
「東映大学」プロジェクト(東映作品に重点的に出演する機会を若手俳優に与える)の校長に就任。
2016年には
NHK広島のヒロシマ8.6ドラマ『ふろたき大将 故郷に帰る』で
自身のデビュー作である『ふろたき大将』の宮田徳三役を60年ぶりに演じました。
2020年公開予定の
阪本順治監督のハードボイルドコメディ映画『一度も撃ってません』で、
『黄昏流星群 星のレストラン』以来18年ぶりに長編映画で主演。
(石橋蓮司)
タコ社長こと桂梅太郎社長
いいか寅、
てめえなんかにな、
中小企業の経営者の苦労がわかってたまるか
単純で短気で喧嘩っ早いけど人情味のある何処か憎めない人間臭い社長でした。

8月10日は元 #フォーリーブス メンバー #青山孝(#青山孝史)さんのご生誕日です。ご存命なら今年72歳でした。合掌。

菅井きんさん
(1926年2月28日-2018年8月10日)
女優。
身長155cm、体重45kg。
特技は三味線。
東京府東京市牛込区早稲田町出身。
頌栄高等女学校卒業。
1943年から第二次世界大戦終戦直後までに、
男性職員出征のため、
文部省総務課・東京帝国大学学生課で事務職員として勤務。
しかし、演劇への情熱が捨てられず、
1947年に東京芸術劇場に入所するも解散。
劇団俳優座に入団して舞台に立ちます、
新劇時代に映画女優としてスカウトされ、
1951年に『風にそよぐ葦』でデビュー。
1954年、『ゴジラ』に代議士の役で出演、
1955年の『愛のお荷物』(日活)にも
ほとんど同じ格好をした野党の議員役で登場。
1973年、
『必殺仕置人』の主要人物・中村主水を「婿殿!」といびる姑・中村せん役で出演。
その後も必殺シリーズ(主水シリーズ)に必ず登場し、
シリーズを語る上で欠かせない存在となり、
この役によって現在の地位を築きますが、
この役があまりに有名になり、
「せん役のイメージのせいで、娘の縁談に支障が出る」
と降板を願い出たことも(無事に娘が結婚したため、降板願いは撤回されたといいます)。
同年、
『太陽にほえろ!』には松田優作演じる柴田純(ジーパン)刑事の母・柴田タキ役で出演。
夫を亡くして女手一つで息子を育て上げ、
息子も大の母親思いという理想的な親子を演じきりました(松田は最終的に殉職という形にて1年で番組を卒業するものの、
菅井は、その後も同役でゲスト出演)。
下町の古い住宅街でひょいと勝手口から裏通りに顔を出し、
隣近所に
「若いんだから頑張んなさいよ、アッハッハ」と
相手の腕を叩いて別れるような、
豪快な母親役がハマり役と評され、
藤商店のCMにも起用されていました。
1980年代からは
バラエティー、ワイドショーにも出演。
『タモリのボキャブラ天国』では、
当時高齢だったにもかかわらずスカイダイビングを経験。
『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』等の
コント番組にもレギュラー出演。
1994年、『家なき子』での「鬼婆演技」で話題に。
夫は
映画『砂の器』『八甲田山』などに携わった映画プロデューサーの佐藤正之で、
流産を経験後に一女を儲けました。
佐藤が亡くなった1996年以降は
娘夫婦と一緒に暮らし、2014年の時点では曽孫もいました。
80代に入ってからも女優業を精力的にこなし、
2008年に製作された映画『ぼくのおばあちゃん』では
82歳にして映画初主演を果たし、
世界最高齢映画主演女優としてギネスに申請し認定。
2009年には
資生堂のCM「ウーノ フォグバー」で
エリザベス女王に扮装して若手俳優と共演。
しかし
2010年にNHK大河ドラマ『龍馬伝』及び映画『瞬 またたき』に出演したのを最後に、
女優として事実上引退。
2018年8月10日午後2時頃、心不全のため、
東京都内の自宅で死去。
92歳没。
(菅井きん)
復興工事中の大阪城天守閣。
昭和3年、関一大阪市長が天守閣の復興を提案。
同5年に当時の最新技術である鉄骨鉄筋コンクリート造で工事が始まり、昭和6年に完成。
写真は南東から見たもので、天守閣は鉄骨の骨組みが完了したところ。

8月11日は俳優・作曲家 #小林亜星 先生のご生誕日です。数多くのCMソングや特撮・アニメ主題歌、ヒット歌謡曲を手がける一方、ドラマ『#寺内貫太郞一家』シリーズでは短気な石屋の主 貫太郎役を熱演されました。

合掌。

吉本の桑原和男さんが亡くなりました ●ごめんください どなたですか? お入りください ありがとう●ご冥福をお祈りします🙏

昭和44年(1969)3月末で大阪市電が65年の歴史を閉じた時

8月11日はお笑いトリオ #レツゴー三匹 故 #レツゴー正児 さんのご生誕日。「じゅんで~す」「長作で~す」の後 「三波春夫でございます!」の正司さんのボケに、両サイドからの容赦ないツッコミ。ベタだけど、毎回腹筋が痛くなるくらいに笑いました。名乗りの順番通り2014年、18年、20年 鬼籍に。合掌。

8月11日(金)は山の日です。
この日は、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」という国民の祝日です。緑に包まれに山を訪れたり、遠くから眺めているだけでも気持ちいい気分にしてくれる山。
豊かな自然を感じながら、良い休日をお過ごしください。
August 11 is Mountain Day in Japan.
Today is to appreciate the blessings of the mountains that makes you feel good just by visiting it surrounded by greenery and looking at it from afar and whole nature.
Place yourself in rich nature and spend a refreshing holiday.

♥️2023💃8/12 諸星和己(53歳)𝑯𝒂𝒑𝒑𝒚 𝒃𝒊𝒓𝒕𝒉𝒅𝒂𝒚🕺🖤

♥️2023💃8/12 吉岡秀隆(53歳)𝑯𝒂𝒑𝒑𝒚 𝒃𝒊𝒓𝒕𝒉𝒅𝒂𝒚🕺🖤

♥️2023💃8/12 武田久美子(55歳)𝑯𝒂𝒑𝒑𝒚 𝒃𝒊𝒓𝒕𝒉𝒅𝒂𝒚🕺🖤

♥️2023💃8/12 東幹久(54歳)𝑯𝒂𝒑𝒑𝒚 𝒃𝒊𝒓𝒕𝒉𝒅𝒂𝒚🕺🖤

♥️2023💃8/12 貴乃花光司(51歳)𝑯𝒂𝒑𝒑𝒚 𝒃𝒊𝒓𝒕𝒉𝒅𝒂𝒚🕺🖤

日航機墜落事故の犠牲になられた  坂本九さん

坂本九さん、、、追悼😢
1985年8月12日  悲しい事故がありました😥   この画像は、川崎生まれ川崎育ちの坂本九さんの為に  川崎駅前に建てられました❗️
1978年公開 トラック野郎・男一匹桃次郎
ふぐ料理にあたってしまい、解毒のために首まで埋められている星桃次郎(菅原文太)を跨ぐ、この回のマドンナ役の夏目雅子。
高速道路.渋滞.渋滞❗いちばん先頭も⁉️
渋滞なんでしょうね⁉️あなた、気になりません⁉️これを考えると、夜、寝られなくなっちゃうんですよ⁉️
(春日三球照代さん S63年)

昭和24年当時の平均寿命

日本でコカ・コーラの一般販売が開始されたのが昭和27年(1952)。それから僅か5年後の昭和32年、あの『スカッとさわやか コカ・コーラ』のキャッチ・フレーズがテレビCMとして流れました。高度経済成長に向かう日本人のアメリカ文化への憧れなどもあり、このキャッチ・コピーは大成功しました。その後日本コカ・コーラ社はアメリカのコカ・コーラ社も注目するほどの急成長を遂げました。爾来半世紀以上、日本コカ・コーラは清涼飲料業界のトップの座を守り続けています。

ハットリくんの実写と言えば

昭和32年初夏の夕日に映える建設途中の東京タワー。富士山の山頂には残雪も薄っすら見えています。
美しい一言ですね。
「色どり豊かな人生」
 与えられた時間を、病気の色だけに
  支配されることは、やめました。
 なりたい自分になる。
  人生をより色どり豊かなものにするために。
   だって、人生は一度きりだから。
  ー小林麻央ー
最愛の夫に伝えた最期の言葉は
「愛してる」だったそうです。
乳がんが発覚してから2年8カ月、
懸命に病と闘い続けてきた麻央さん
でしたが、22日帰らぬ人となりました。
34歳と短い一生でしたが、とても
濃密な時間を過ごされたと思います。
謹んで心よりお悔やみ申し上げます。
映画の全盛期から活躍して国民的大女優となった吉永小百合氏。
そんな彼女は人気絶頂だった昭和38年、モンスターファンに自宅で襲撃されたことがあった。
そしてそのモンスターファンはただモノじゃなかった。
手製のピストルを持ってやってきて警官に発砲、重傷を負わせているし、
自分の名前を吉永氏の体に入れ墨しようとして墨汁と針を持参してきていたのだ。
https://www.kkinternational.work/2022/03/22/sayuri-yoshinaga-monster-fan/
とんでもない野郎である。

皆さまも…若い頃は良く利用されたかと思いますが😅  【ラブホ😘】  楽しい部屋が沢山ありました🤣😍  現在は、閉店が相次ぎ マンションやオフィスビルに建て替えられているところが多いですね。😅✌

8月14日は「#水泳の日」。
元水泳選手・タレント 故 #木原光知子 さんは1964年当時身長168センチ・体重62キロの女子高生。同年、東京五輪に出場。実家は材木屋。趣味レコード鑑賞、好きな学科は生物。ドラマ『#金メダルへのターン』などにご出演。ご存命なら今年75歳でした。合掌。

夏休みになると、テレビで朝から何時間も海外のアニメが再放送されてた。もちろんビデオなんか無い時代だから、何度か見た内容でも新鮮に感じた。この他にもマイティハーキュリーやキングコングやチキチキマシン猛レースなんかもあったな〜😄

昔は街にこんな光景がありましたね…