【 JOINT VENTURE GROUP 】

共に成長発展を目指す事の出来るパートナー企業様を募集しております。

人材や案件の情報交換を行いつつパートナーとしての関係を築いて行きたいと思って

おります。弊社グループの活動内容に、ご興味を持たれたりご協力頂ける

可能性がある場合には、ご連絡頂けますようにお願い致します。

Apex product  社員一同

酒井商店 佐倉営業所【Blog②】

【ご挨拶】

2016年7月1日 

いつも大変お世話になっております。弊社のホームページに、足を運んで頂きありがとうございます。ホームページと、ブログスタートして早いもので、2年が経ちました。日々のつまらない日常のブログをご覧頂き誠に有難うございます。当ブログでは

日々の生活、日々思うこと、地元の心温まる情報等について広く深く語っております。日々更新出来るよう頑張りますので、どうぞごゆっくりとお楽しみ下さい。文章を読んで頂き、何か思われる事が御座いましたらどうぞコメントをお願い致します。今後のブログ運営において参考とさせて頂きます。微力ですが、全力で恩返し出来るよう日々、精進して参りますので、今まで通りのご指導ご鞭撻 宜しくお願い致します。最後に今日と言う日が、皆様にとって素晴らしい1日に、なりますようお祈り致します。今後共、宜しくお願い致します。

 

- 酒井商店 佐倉営業所 代表 酒井新 -

2023年

4月

16日

今だから思い出す明日への一歩(幼き日の夢)酒井商店 代表 酒井新

丁度、25年前の4月7日に俺は100円のおにぎりをかじりながら、ベンチで空を見上げてこの業界でやっていく、稼いでいくと決めました。
社会に出たての頃、儲ける所か日々日頃の生活もままならぬ状態で、先輩のお父さんから貰った軽バンで、昼間は自分の仕事をしながら、夜は色々バイトをして居たのを、今思うととても懐かしく思い、そこで色々な方に出会い、話をして、色々と学び、その時は若さ故に理解も出来ない事もありましたが、時を追う毎に思い出し、無い頭の中で知恵を使い、生かし、繋げて歩んで来た25年だった様な気がします。
人より早く社会に出た私は、僅かな銭を持っていて、学校に通う同級生や後輩、先輩は、俺を羨ましく思い、逆に俺は彼等を羨ましく思い、駅前や繁華街できゃっきゃっと意味なくくだらない事も楽しく、過ごした事もありましたが、ある日、このままじゃ俺は目標にたどり着かないと思い、死んだじいさんの口癖のひとつ「肉になる人、血になる人を選んで付き合え」という言葉を思い出し、自分から遠離り、「今に見てろよ、コイツら、世間の奴ら今に見てろよ」って思いで、全力疾走ではありませんが、自分なりに考え、行動して、皆より伸びしろは小さかったですが、歩んで来ました。
無論、歩んでる最中にも色々な事がありました。
昔の同級生達は、学校を出て、社会に出て、ぽつりぽつりと家庭を築く頃に、まだ私はようやくひとり歩きが出来る頃でした。
100万の4トン車を買い、坪3000円の田んぼを夜な夜な埋めて、スーパーハウスに住むような生活でしたから、無論、バカにされていたのは重々承知でした。
「今に見てろよ、コイツら、世間の奴ら今に見てろよ」と思い、この人が嫌がる嫌う仕事で財を成し遂げようと思いガッツリ働いた10数年、その最中で起きた東日本大震災、財を成し遂げ、他人よりも1番の生活を送りたいという想いから、世の為、人の為、このクソみたいな業界からこの生業で世間に認めて貰ってナンボだと思い、始めたボランティア活動
そんな中で、昔の悪い仲間がひとり、ふたりと寄って来て、力を貸してくれて、盛り上げて貰い、次第に会社らしくなった10年でした。
思えば、25年前にいつかはあれ乗りたいなって思っていた先輩達が乗っていたトラックは時を経て大分減り、でも諦め切れずに日本全国から探して、乗ることが出来たのはつい最近の事でした。
あんちゃん、ねえちゃんは子供だから、よそよりも高い給料を払い、俺よりも良い家に住み、良い車に乗り、良い家庭を築く、嫁はお父さん良い会社に行ったね。子供は大人になったらお父さんと働くよと言って貰えるのが俺の給料かなと思って来ました。
よその会社なら社長が良い車に乗り、良い家に住み、良い生活をする、それが当たり前かも知れませんが、俺もそうするチャンスはあったかも知れませんが、そうしたら今はなかったと思います。
運ちゃんが好きな車種のトラックを買い与え、飾りを付けて、仕事をさせる
上がりから経費を引いて、あんちゃんに払い、残りは会社の利益
俺は何も残らない…それだから皆がついて来る気もします。
それが俺らしいかなって…
だから、この考えとスタイルでやれるところまでやってダメなら、そこでキッパリ諦める。
その日までもう少し頑張ろうと思います。
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2022年

9月

13日

酒井商店【拾い主から園児にスイカ】酒井新社長

     

風船運ぶおいしい出会い…千葉まで飛んだ

 

上野原市の認定こども園「上野原こども園」の園児が、風船にヒマワリの種とカードをつけて飛ばしたところ、約100キロ離れた千葉県佐倉市で男性に拾われた。この男性からは千葉県名産のスイカが届いたため、園児は7日、七夕飾りの前でスイカを味わった。

 同園は先月7日、ヒマワリの種を入れた袋と、クレヨンで花の絵などを描いたカードを結びつけた風船約160個を飛ばした。カードには「上野原こども園」とだけ記し、住所や電話番号は書かなかったが、「風船を拾った」という電話が、千葉県から4件、埼玉県から1件寄せられた。「連絡先を調べてまで電話をくれたことがうれしかった」と、清水薫園長は、電話をくれた全員に、風船を飛ばす園児の写真を添えた礼状を贈った。

 すると今月3日、うち一人の千葉県佐倉市、運送業酒井新さん(34)からスイカ8個が届いた。スイカを入れた4箱全てに「いつかすてきな出会いがあることを楽しみにしています」などというメッセージが書かれていた。

 酒井さんによると、経営する運送会社に駐車場を新設したところ、最初に着いたのが同園の風船だった。インターネットで電話番号を調べ、同園に「風船を拾った」と電話したという。酒井さんは「このような縁はお金では買えない貴重なものだ。感性の豊かな人に成長してほしいという願いを込めてスイカを贈った」と話している。

 同園では7日、園児約50人がおやつの時間にスイカを食べた。清水園長は「スイカをきっかけに、人とのつながりの大切さに気づき、人を思いやる気持ちを育んでほしい」と話している。

※ 酒井社長は、記事をブログに載せないでと言われましたが、私の勝手で掲載させて頂きました。むしろ拡散希望です。

人は優しさで生きている。そんな感じですよね。私は日頃から酒井さんの仕事のやり方に感心してます。20年以上 商いをしていれば、財も有ると思いますが、全く飾らず
日々 汗水たらして社員の先頭に立ち自ら朝から晩までキビキビ働く姿勢に頭が下がります。デコトラでボランティアをしながら、人の幸せを願う。将来日本を背負って立つ子供達に目一杯 今自分が出来る事をする。本物の漢ですね。口では何とでも言えます。瞬時に行動する事が出来る人だけが、本当の本物では無いでしょうか。
今回の記事は、たまたま報道されただけです。人に知られずボランティアや啓蒙活動してる酒井社長さんや、大勢の仲間が、世間に知られなくても、1人の笑顔が見たいから行動する。とてもとても素晴らしい事ではないですか。少しでも心が洗われたなら、外車乗って仕事中にお姉ちゃんとゴルフに行き、酒や女におぼれ、社員に愛想尽かされて、だんだん小さくなっている中小企業の代表さんに是非読んでもらいたいです。見栄ばかり張って全部が借金と言うあわれな鎧を付けて重くて歩けないんでしょう。早く裸の大将だと気づいてください。コロナ禍で自分に勝つ事が出来る人間こそ
優しい人じゃないでしょうか。
この記事を読んで反省猿になり今日から生き方を変えてください。今日は、気持ち良いですよね〜。お天道様ありがとう。ちゃんと見ていてくれて。ご褒美ありがとう。でも何も欲しくないんですよ。とっても清々しい朝でした。
やる気がでました。酒井社長ありがとう。
Apex product 代表 柳伸雄
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2018年

10月

31日

【新鮮な魚さよなら 築地の野良猫20匹も引っ越し】

◇都の委託を受け中央区が保護 晴海に保護施設

 解体工事が始まった旧築地市場(東京都中央区)には長年、野良猫がすみ着いてきた。魚やネズミなど好物が豊富にあったためで、市場移転を前に、約20匹が都の委託を受けた動物愛護団体に保護されて引っ越した。区が来年4月までに保護施設を整備し、猫はそこに移って、引き取り手が見つかるのを待つ。

【観光客の人気者】黒猫くうちゃん、築地場外市場で会えるかな

 都などによると、10年ほど前には市場内に100匹以上の猫がいたという。保護と去勢手術で年々減ってきたが、解体工事に巻き込まれる危険もあり、本格的な保護作戦を実施した。

 作戦の準備は2年ほど前から秘密裏に進められた。エサに困らない市場に猫を捨てる人が絶えず、作戦が表に出るとさらに増える可能性があったからだ。昨年には一度に母子7匹が捨てられたこともあった。

 担当職員らは、巡回時に目撃した猫の特徴▽時間と場所▽餌付けをしている人の有無--などを記録し、「茶トラの子」「白いでっかいやつ」などと名付けて「場内ネコ生息マップ」を作製。今春から、愛護団体がマップを参考に捕獲器を設置するなどして保護した。

 最後に保護した猫が見つかったのは市場の営業終了3日前の今月3日午後3時半ごろ。職員は「めったに見かけず『幻』と名付けていた。保護できてよかった」と胸をなで下ろした。

 区は市場にいた猫のために臨時保護施設(鉄骨造り平屋建て2棟、計約30平方メートル)を区立晴海臨海公園内に整備し、愛護団体がそこで引き取り手を探す。整備費として電気や上下水道などのインフラ工事も含め約5600万円を見込む。

 一方、旧市場の隣接地で営業を続ける商店街「築地場外市場」の路地裏にも野良猫がいる。「くうちゃん」と呼ばれる雄の黒猫は人を恐れず、観光客の人気者。80年以上続く珍味店を経営する北村公子さん(80)は「くうちゃんには引き続き『築地』の看板猫でいてほしい」と目を細めた。【高橋昌紀】 毎日新聞より転載。
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2018年

9月

15日

【子どもの絵が生み出したドライバーの笑顔と安全な社会】株式会社宮田運輸!

「娘が5歳のとき、父の日に描いてくれた絵なんです」。

はにかみながら説明してくれるドライバー・尾本さんの目線の先にあるのは、自身が運転する14トントラック。その背面に、娘さんの可愛い絵がラッピングされている。宮田運輸が進める「こどもミュージアムトラック」の第1号車だ。現在、同社が保有する125台のうち、25台に子どもたちの絵が描かれている。

同社がラッピングを始めたきっかけは、3年前の死亡事故。「大好きなトラックが悲しみを生んでしまった……。苦しくて、苦しくて」。

そう打ち明けるのは、子ども時代からトラックが好きで、会社を継ぐまでハンドルを握り続けた宮田社長。悩んだ挙句、「いっそ、世界中からトラックが無くなればいいのにとまで思い詰めた」と振り返る。

従来からIT機器を駆使したさまざまな安全対策を講じてきたが、管理するには限りがある。最終的にはドライバーの心にゆとりや優しい気持ちがなければ事故は無くならない。

「運転士の良心をどうすれば呼び起こせるのか」と模索していたとき、尾本さんからダッシュボードに飾っている娘さんの絵を見せてもらい、「これだ!」と直感した。

当初はポスターにして社内に掲示しようと考えたが、交通事故は自社の環境だけ良くなっても食い止められない。「ならばトラックにラッピングして、社会全体を笑顔にしよう」と始めたのがこどもミュージアムトラックに発展した。

「子どもの絵を背負うと自然と優しい運転を心がけるようになるし、後続車の人たちが絵に気づいて笑顔になってくれるのが嬉しい」と尾本さん。サービスエリアに停車中、「写真撮ってもいいですか?」と声をかけられることもあるという。


「子どもが懸命に描いた絵は大人の心に真っ直ぐに届き、人に優しくしたいという気持ちを呼び起こしてくれるんです」。

宮田社長がそう語るように、こどもミュージアムトラックは運転士はもちろん見る人の心を和ませ、事故の抑止力にも貢献している。実際、ラッピングしたトラックが事故を起こした例は一度もないという。

同社の取り組みは口コミで他社に広がり、現在、60台のこどもミュージアムトラックが駆け抜けている。夢は、日本中、さらに世界中にこどもミュージアムトラックを走らせること。「そして事故を無くし、みんなで仲良く暮らせる社会をつくりたい」。

苦しみの中で生まれた取り組みだからこそ、夢の実現に向けた思いは本気だ。

▲代表取締役社長 宮田 博文氏

(取材・文/高橋武男 写真/福永浩二)

株式会社宮田運輸 
代表取締役社長   
宮田 博文氏
事業内容/運送事業から倉庫管理まで物流業務全般
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2018年

9月

14日

【<北海道地震>唯一の同僚ひつぎに 葬儀会社社長、最後に】毎日新聞より転載!

最大震度7を観測し、北海道内で最も多い36人が犠牲になった厚真町の遺体安置所で、地震直後から町民たちの変わり果てた姿と遺族らの悲しみに接してきた葬儀会社の社長がいる。笠原道徳さん(53)。人口約4600人の小さな町だから、犠牲者の多くは顔見知りだった。そして、地震発生から1週間の13日、唯一の同僚だった三上昭人さん(54)と三上さんの母とも子さん(79)をひつぎに納め、最後の仕事を終えた。【土江洋範】

【写真特集】北海道地震1週間 被災地は鎮魂の祈り

 地震が起きた6日、厚真町から約20キロ離れた苫小牧市に住む笠原さんは、町から遺体安置所で町民の遺体をひつぎに納める仕事を頼まれた。社長を務める町唯一の葬儀会社「厚真公益社」は三上さんと2人で営む。しかし、町に住む三上さんにいくら電話してもつながらなかった。

 町役場に隣接する施設に設営された遺体安置所は、現実とは思えない光景が広がっていた。床には1人分ずつの灰色のシートが敷かれ、土砂崩れの現場から運び込まれてきた遺体が入った黒い袋が並べられていた。避難所の名簿には三上さんの名はない。悪い予感を振り払うために仕事に集中し、袋を開けていった。

 葬儀という「仕事」を通じて知り合った人々が冷たくなっていた。仏具や仏花を買ってくれたお年寄りたちもいた。シートで仕切られた遺体の身元を確認するスペースからは、家族の泣き叫ぶ声が響いた。

 淡い期待は翌7日に砕かれた。三上さんは黒い袋に入れられ、安置所に運ばれてきた。笠原さんは袋を開けることができず、安置所に駆けつけた三上さんの妹の前でも、あふれる涙と悲しみで言葉を交わせなかった。

 町で最後の安否不明者が10日に遺体で見つかり、安置所は閉鎖された。犠牲者36人のうち大半の納棺を続け1週間がすぎた13日、厚真公益社の事務所で、三上さんととも子さんの葬儀が営まれた。スーツを着込んだ笠原さんは、三上さんのひつぎを霊きゅう車に積み込んだ。

 15年間にわたって二人三脚でやってきた同僚は同い年だった。だから、社長と従業員という立場を超えた友人のような関係だった。笠原さんは火葬場へ向かう霊きゅう車に乗り込む前、手を合わせた。「生まれ変わっても、また一緒に仕事をしよう」と別れを告げた。
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2018年

8月

26日

【<閉館水族館>とり残されたイルカやペンギン助けて 千葉】酒井商店 代表 酒井新

老朽化のため今年1月に閉館した民営水族館「犬吠埼マリンパーク」(千葉県銚子市)には今もバンドウイルカ1頭とフンボルトペンギン46羽がとり残されている。譲渡交渉の難航が原因とみられる。県保健所は「飼育状況に問題はない」としているが、銚子市には他の園へ移すよう求めるメールや手紙が800件超寄せられている。
市などによると、残されているイルカは雌の「ハニー」。和歌山県太地町沖で2005年に捕獲され、水族館ではイルカショーなどで人気を集めた。

 水族館は1954年に市営の銚子市水族館としてオープンし、63年に民間に売却された。11年の東京電力福島第1原発事故などで来場者数が落ち込み、耐震工事が必要になったことなどから閉館した。

 関係者によると、閉館後も運営会社が餌やりなどを続けており、関東地方にある水族館と譲渡交渉をしていた。だが、交渉の途中で運営会社と突然連絡が取れなくなり、市が問い合わせの電話を入れても4月以降、出なくなったという。

 千葉県海匝(かいそう)保健所は閉館後も月1回、立ち入り調査を実施。7月26日の調査では「イルカやペンギンの飼育状況に問題はなかった」としている。

 動物保護団体が今月12日に「ハニーを助けて」と呼びかけたことをきっかけに、市に要望が殺到している。「ひとりぼっちで可哀そう」「早く引き取ってあげて」などと、他の水族館へ移すよう求める内容が大半という。一方、市観光商工課は「市に立ち入り権限がなく、民間企業に介入できない」と話し、手が出せない状況だ。

 毎日新聞が運営会社に電話をしても出ることはなく、園内にいるスタッフに声をかけても取材に応じない。

 全国151の動物園や水族館が加盟する公益社団法人日本動物園水族館協会(東京都台東区)は同水族館が閉館した際に、加盟する動物園や水族館に受け入れを呼びかけており、「運営会社からの要請があれば協力する用意はある」としている。【近藤卓資】 
毎日新聞より転載

毎日新聞

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2018年

8月

14日

【我々の思いはひとつ。 平和と幸せです。 何故、人々いがみ合わなくてはいけないのか。 平和は人類共通の願いです。】酒井商店 代表 酒井新。

73年前の8月6日、広島、8月9日に長崎に人類初の原子爆弾が投下されました。一瞬にして街は焼き付くされ、多くの人が亡くなりました。

後に放射能の後遺症に苦しむ事になりました。


73年前の今日、8月15日に終戦を迎えました。

それから、俺達の先先人、先人達は、今の俺達の何倍も何十倍も汗水垂らして泥まみれになり、朝から晩まで働いて働いて働いて、芋や麦を食べ、犬小屋の様なバラックで貧しくとも暮らし、テレビや洗濯機を買うのを夢見て家族の為、国の繁栄の生活してました。

そして、東京オリンピックを迎え、一気に波に乗り高度成長期を迎え、日本は世界最高水準国になった今日、物は溢れ、経済発展し、豊かさを得ましたが、心がすたんだヤツが増えた様に思いました。

感謝の心、人を思いやる心、人を助ける心、古来日本人が持つ本来の心が失われかけてると思います。


今の若者には遠い昔ばなしでしかないのでしょうか?

命の尊さ、重みが理解されないから、いじめが当たり前の様に黙認されて…

命の大切さを考えず…

弱いものをいじめ、人を殺してしまう…


本当の意味での心を持たない偽善者が増えて来たように思います。


話は脱線しましたが、戦争を忘れず、私達が見て来た物や聞いた事を次世代に語り継ぎ平和を願い、今の日本の為に犠牲になり、また戦争によって不自由を余儀なくされた方々に手を合わせ、黙祷を捧げる事が日本人ではないでしょうか?


俺達は、都合の良い時だけ、やれ国が悪いだの、政府が悪いだの、税金が高いだの、バカだのちょんだの言って流行りに乗って皆と同じカッコして、善悪の判断も付かずに右向け右の様に、バカみたいにスマホ片手に生きるくそみたいな人間にはなりたくないので、長い間俺も半端商売してますが、信念を貫き、その辺の生きざまだけは変えたくないので、1年に1度は日本人として、先人を敬い、各所へ黙祷を捧げに行きます。


8月6日の広島平和式典には、毎年5万人近くの方々が8時15分に黙祷を捧げます。幼い子供も若い奥さんも学生さんも社会人もじいちゃん、ばあちゃん、警察官も機動隊も右翼もヤクザも皆、思いはまちまちでも一斉に黙祷を捧げます。


俺はあの場所に集まる人.、集まれず離れていても、手を合わせる人が、真の日本人の様な気がします。


今日の日本があるのは

稀もなく、無き戦没者ご英霊、先人達の苦労の賜物である事を忘れてはなりません。


今の日本と平和をたまには考えてみませんか?


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2016年

9月

22日

酒井商店 「家族団らん」(^o^)

こんにちは。

久々のブログ更新になってしまいました。

 

台風、秋の長雨と雨続きですが・・・・・

皆さんはいかがお過ごしですか?

今日は我が家の出来事を書いてみます。

 

今日は祝日でしたが、最近は交代で休みになっています。

自分は休みの日だったのですが・・・・・

やっばり一度は行かないと気が済まないので、会社に顔を出しに行きました。

 

数台は既に出庫し、事務所には権田君がいました。

「あれ~今日は休みではなかったでしたっけ?」

「気になって寄って見た」と言いながら、パソコンを開きチェックしました。

 

10時過ぎに一度自宅に帰りました。

嫁さんは洗濯が完了して、掃除機タイム。

娘はその横でコロコロを持って、お手伝いをしていました。

「会社大丈夫だったーぁ?」

と娘。

 

まず祝日の昼間に家に居ることなどないので、変な気分でした。

夕方まで時間が空いたので、久々に買い物がてらお昼ご飯に行く事にしました。

 

イオンタウンへ向かいました。

たまにはゆっくりとと思い、娘と自分、嫁さんと別々行動にしました。

特に買う物も無いのですが、娘とおもちゃを見たり、本屋さんに行ったり、

嫁さんは娘と息子の服を買い、自分の物を少しぶらぶら見ていた様です。

 

ウロウロしてると聞き覚えのある声が・・・・・

「兄貴ぃ~何してんすか?」と

地元の同級生と息子の男の子でした。

娘は

「わー久しぶり~」

と立ち話。

約束の時間になったので、

待ち合わせ場所に向かい、お昼ご飯にしました。

「混んでるよね~」

「待ちそうだね~」

と嫁さん。

「別にいいんじゃない~時間はあるから」

と言い、どこにしようかと三人で行ったり来たり。

 

娘が好きなスパゲティー屋さんに入りました。

嫁さんと娘はメニューを行ったり来たり。

 

「父ちゃんどうする?」

「何にするの~」

と聞いて来ました。

自分は

「好きなの頼んでもいいけど、きちんと食べてね!」

と言うと、娘はお腹を両手で叩き始めました。

「う~ん、朝サンドイッチ作って食べちゃったからきついみたい!」

「でも・・・・・・」

と・・・・・

残したら食べるのを手伝ってと言わんばかり。

嫁さんが何にしたいの?と聞くと。

「ミートソース!」

と即答。

「じゃあ、パパに少し食べて貰って、ママと半分ずつにしようね!」

と言い、ママはナポリタン、娘はミートソース、自分はいつも通りハンバーグランチにしました。

 

娘はいつも通り色々な話をしてきました。

そんな話をしながら、ふと横の席の家族に目をやりました。

娘と同じ位の女の子とおばあちゃん、お母さんと食事に来ていました。

孫でしょうか?お婆ちゃんが女の子に話しかけるも回答も無く、ゲームに夢中。

お母さんもスマホに夢中でした。

ちょっびり可哀想な気がしました。

 

自分達より先に料理が来ました。

お母さんとお婆ちゃんは食べ始めましたが、なかなか女の子が食べようとしません。

お腹がいっぱいだったのか、嫌々パスタをフォークで回し始めて、一口食べて終わると、

「もういらない!」

と言い始めました。

お婆ちゃんが、

「食べられなくて死んでしまう人も居るんだから、頑張って食べないと」

と言うと、女の子はまたフォークで回して一口。

その時でした。

衝撃の一言が・・・・・

「食べても食べなくてもお金払うんだから、食べられないならいいから・・・・・・」

と言いました。

自分達も、

料理が出で来たので、食べ始めました。

娘は

「父ちゃんのジュゥジュウ言ってる~」

「お米いいね~」

 

嫁さんは

「すみません、取り皿頂けますか?」

と取り皿で娘のミートソースの半分以上を自分に取り分けてくれました。

「どの位欲しいの?」

と娘に聞くと

「一口でいいよ」

とご飯一口にハンバーグ一口、ミートソース一口にナポリタン一口で一人前になりました。

「頑張って食べてね!」

と言うと

「いっただっきまーす。」

と周りの人が振り返る声で食べ始めました。

すると、となりのお客さんが立ち上がり、出で行きました。

 

娘さんのパスタはほとんど手付かず。

お母さんも少し残してありました。

お婆ちゃんは完食したようです。

 

年配の店員さんがお皿を下げに来た時、一瞬手が止まりましたが、素早く下げて行きました。

 

うちの娘はやっぱり少しお腹がきついせいかスローペースになって来ました。

「お腹キツイの?」

と嫁さんが聞くと。

「うん、でもご飯食べたい」

と言うので、自分がパスタを手伝う事に。

 

何とかかんとか完食し、娘は

「ふぅ~食べた食べたごちそうさま~」

とお会計をして、お店を後にしました。

 

すぐに帰ると気持ちが悪くなってしまうと可哀想なので、

今夜のおかずを買いに生鮮売り場へ・・・・・

嫁さんと二人で・・・・・

「お腹いっばいだと何も思い浮かばないね・・・・・」

と手巻きずしにする事に。

娘の好きなマグロ、いくらを買い、帰る事に・・・・・・

 

帰りの車の中で

嫁さんと・・・・・

「隣の親子みた?」と話し始めると

娘が

「ねぇ、隣の女の子が残したスパゲティー捨てられちゃうんでしょ?」

「何で食べられるのに、残されたらごみにされちゃうの?」

「店員のおばちゃん、悲しい顔してたよ・・・・・」

と後ろから聞こえてきました。

 

「そうだな・・・・・・」

「じゃあ次買い物に行くまでの宿題だな」

と言うと

「うん。宜しくね!」

と。

食べられるのに残されたらごみになってしまうのか?

難しい質問だなと思いました。

 

 

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2016年

9月

02日

月曜名作劇場「天下御免トラック野郎・銀ちゃんの事件街道!」で舘ひろしが新しいタイプのトラック野郎を演じる。9月26日夜9時放送。

デコトラ満載!舘ひろしさんがトラック野郎に!

 

月曜名作劇場「天下御免トラック野郎・銀ちゃんの事件街道!」で舘ひろしさんが新しいタイプのトラック野郎を演じる。
9月26日夜9時放送。是非見てください。
酒井さんの愛車も登場するよ。柳より(笑)
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2016年

8月

25日

酒井商店 (2016・お盆) 酒井新

こんにちは~

今年の夏はいかがお過ごしですか~?

自分の夏は・・・・・

う~ん・・・・・

充実している様な・・・・・

不完全燃焼の様な感じですね~

 

いとこのちびっこがお盆休みに実家で絵日記を書いていたのを思い出し。

自分も慌てて絵日記を書いてみました~

 

お盆前のブログで~す。

以前から厚意にして頂いてる自動車解体屋さんにアルミホイールの買い取りに行きました。

 

1、2、3~と本数を数えての積み込みです。

 

キロ単価で買うのが普通ですが、

ここの会長さんはうちの社長が2トン車でやっている昔から1本いくらで売ってくれます。

 

社外のホイール(カーショップでスタッドレスとセットで売っている物)は軽いので、トントンですが、

純正ホイール(ディーラーで新車)で付いて来るホイールは純度も高く、重いので、多いとその分儲けになります。()

 

さてさてこれで何本でしょうか?

 

昔は結構いいホイールも多かったですが、

最近は若い子の車離れで、なかなか「おぉ~」と思うホイールも出てこないので、

そのまま問屋さんに直行になります~

 

またまたアルミに生まれ変わり~

そのうちに「こんにちは~」って帰ってきます。

 

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