Apex product 【東日本大震災・脱原発】④

いつも、ご訪問頂きありがとうございます。

2011年3月11日の東日本大震災と、東京電力福島第1原発事故から4年。犠牲者は1万8000人を超え、いまだ20万人以上が避難生活を送っています。一方、復興への取り組みは本格化し、産業面など新たなモデルを目指す試みもあります。東日本大震災に関連するニュースをまとめました。ご覧下さい。そして忘れないで下さい。

まだまだ、これからです。私達に出来ることをやっていきましょう。

今も苦しんでいる全ての人に、笑顔が戻るその日まで。援助支援活動は続きます。震災で亡くなられた方々のご冥福と被災された方々の安寧な生活が一日も早く訪れますことを、町が元気に復興されますことをお祈り申し上げます。

 

 

2015年3月11日

- 青空と向日葵の会  Apex product  代表 柳 伸雄-

【東日本大震災12年】津波の記憶、次代へ語り継ぐ 旭、実話基にした紙芝居に涙 旧仮設住宅には当時の新聞展示

震災発生時刻に合わせて黙とうする参加者=11日午後2時46分、旭市萩園

震災での実話を基にした紙芝居を上演するNPOのメンバー

 

 東日本大震災から12年を迎えた11日、津波で大きな被害を受けた旭市で、震災の記憶を語り継ぐイベントが開かれた。参加者は震災発生時刻に合わせて黙とうした後、竹灯籠に火をともすなどして犠牲者を追悼した。多くの人に目にしてもらおうと当時使われた仮設住宅が展示されている場所を会場に選び、震災を題材にした紙芝居も上演。次の災害に備え、記憶の継承に努めた。

 イベント「東日本大震災12周年祈念 語り継ぐいいおか津波」はNPO団体「光と風」が主催。当時の仮設住宅は現在、防災教室などに活用されており、この日は特別に室内に被災当時の新聞などを展示した。参加者は黙とう、献花の後、竹灯籠に点火。竹灯籠に書かれた「友」や「愛」の文字をじっと見つめていた。

 市原市の小学5年、米澤秋穂さん(11)は、旭市が本年度創設した「旭市ふるさと文芸賞」小学生の部で大賞に輝いた詩「ぼくはテトラポット」を紹介。「みんなの住むこの町を守るために 今も毎日波とたたかっているんだよ」と読み上げた。

 被災した子どもの実話を基に作成した紙芝居「マーくん がんばれ!」も、笛や太鼓を使って臨場感たっぷりに披露。親子が津波で離ればなれになったり、意識が遠のきながらも住民同士で声をかけ合いながら救助をまったりする場面も。「海は暴れると恐ろしいね。でも海を憎めないの」「飯岡は豊かな海とともに暮らしてきた町なの」とのせりふに、涙ぐむ参加者もいた。

 イベントの最後に「名前は生きた証。東日本大震災から学んだ多くの教訓を語り継いでいきたい」と、津波で亡くなった旭市の13人らの名前や年齢などを読み上げた。同法人の渡辺義美理事長(78)は「多くの人の協力を得て、なんとか前向きに活動を続けてきた。記憶の語り部が高齢化している。仮設住宅などを残して震災を次世代に伝えていきたい」と話した。

大切な人思い前へ 東日本大震災12年、各地で鎮魂の祈り

東日本大震災、東京電力福島第1原発事故は11日、2011年3月の発生から12年となり、県内各地で追悼行事が行われた。関連死を含め4166人が犠牲となる中、県民は12年分の思いを胸に刻み、13年目への一歩を踏み出した。

 発生から12年、本県の復興への歩みは着実に進んでいる。帰還困難区域に設けられた特定復興再生拠点区域(復興拠点)のうち、葛尾、大熊、双葉の3町村は昨年、避難指示が解除され、浪江町は31日、富岡町は4月1日の解除が決まった。飯舘村も大型連休ごろの解除を見込む。

 一方、第1原発で発生する処理水を巡っては、政府が「今年春から夏ごろ」を見込む海洋放出について国内外の理解が進んでいるとは言えない状況が続く。復興拠点外の帰還困難区域については、政府が国費で除染する「特定帰還居住区域」を設置して環境整備を進める。大熊、双葉両町で新年度に先行除染が始まるが、他の市町村を含め「2020年代」とする、希望する住民の帰還時期は見通せない。

 課題が山積する中で迎えた12度目の「3・11」。津波で多くの住民が犠牲となった相馬市原釜の慰霊碑前では、訪れた人たちが地震発生時刻の午後2時46分に黙とうをささげ、木の葉の舟を海に流した。

 福島市のパルセいいざかで執り行われた県主催の追悼復興祈念式では、両親を亡くした遺族代表の宮口公一さん(南相馬市)が「自助の大切さ」を、若者の言葉を述べた会津高の生徒3人が「次世代への伝承」を説いた。安積黎明高合唱団は「今、咲き誇る花たちよ」「楽譜を開けば野原に風が吹く」の2曲を献唱した。

 祈念式は昨年までの3年間、新型コロナウイルスの感染拡大で縮小を余儀なくされてきた。今年は4年ぶりに県外からも関係者を招いて行われ、岸田文雄首相や15カ国の大使ら324人が参列、徐々にコロナ禍前の日常に戻りつつある。

 原発事故の影響で今も2万7千人余りが避難生活を続ける。この日の県民の祈りは犠牲者への鎮魂とともに震災前の日常を取り戻し、さらなる復興・発展への願いも込められている。

 

【星になったママ】

「一番きれいな星が、ママだよ」

パパに教えられ、澄んだ夜空を見上げる。

岩手県陸前高田市の保育園児、及川律ちゃん(4)は、
東日本大震災で母久美子さん(32)を亡くした。

「ぼくも流されて、ママに会いたいなあ。波になりたい」

小さな手で描いた母の似顔絵。

いっしょに暮らし始めたおばあちゃんは、
孫の無邪気な言葉を絵の裏に書き留めた。

市立図書館の職員だった久美子さん。

あの日、大きな揺れの後で隣接する市立体育館に
同僚らと避難し、そこで津波にのまれた。

仕事着のエプロン姿のままだった。

律ちゃんと弟の詠(えい)ちゃん(2)は
保育園で昼寝をしていた。

旋律の「律」と歌の「詠」。

ピアノ好きだった久美子さんが名前をつけた。

兄弟は保育士に導かれ、
靴を履かず上着も着ないで大津波から逃げた。

「靴下だったから途中で足が痛くなって、
 先生にだっこしてもらったの」と律ちゃん。

市職員の父克政さん(33)も無事だった。

兄弟はいま、近くの母方の祖父母宅に避難している。

久美子さんを思うと、祖母まみ子さん(62)は思わず涙ぐむ。

律ちゃんも泣き顔になるが、すぐ笑顔を見せる。

詠ちゃんは「バアバを守ってあげる」と
得意のウルトラマンのポーズを取る。

津波が起きて7日後のことだった。

こたつにいた律ちゃんがボールペンで絵を描いた。

にっこり笑う母の顔。

「ぼくも流されてママに会いたいなあ」

津波の恐ろしさをまだ理解できず、
母に会いたい思いを口にする律ちゃん。

切ない気持ちで、
まみ子さんは絵の裏にその言葉を書き込んだ。

兄弟の写真や成長の記録を
きちょうめんに整理していた久美子さん。

「すべて流されたので、私が代わりにやってあげないと……。
 いつかこの時のことを孫たちに伝えるためにも、
 大事にとっておきます」

2人の孫の「作品」を水色の箱にしまっている。

「ママがいるか、確かめるんだ」

律ちゃんは、
パパやおばあちゃんと別棟にあるお風呂に行く時、
夜空を見上げる。

「真ん中の一番きれいな星がママ。
 抱っこされて、夜空のキラキラお星になって、
 一緒に街を見たいな」

ママに会えたら、律ちゃんは伝えたいことがある。

「パパは無事だったよ。ママ、おうちにずっといてちょうだい」

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2011年(平成23年)3月11日(金)に発生した
「東北地方太平洋沖地震」とそれに伴って発生した津波

地震の規模はマグニチュード9.0で、
日本周辺における観測史上最大の地震であった。
波高10m以上にも上る巨大津波が発生し、
東北地方と関東地方の太平洋沿岸部が壊滅的な被害を受けた。
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時とともに、記憶は薄れていく。

島国日本には沿岸部で生活する人の割合が非常に高い。
また、いつどこでこのような地震が発生するか、
それは、明日、あなたの住んでいるところかもしれない。

地震を止めることはできないが、
それに備えておき、被害を最小限にすることはできる。
そして、その備えのおかげで、
愛する人を守ることができるかもしれない。

この子たちと同じ悲しい想いしなければならない子を
増やさないために、今一度、備えの確認をお願いします。

3.11「忘れない」が支援の新たな一歩となる】

来月3月3日(金)、東京国際フォーラムで『東北4県・東日本大震災復興フォーラム in 東京』が開催されます。ステージイベントのみ事前申込制となっておりますので、お早めにお申し込みください※2月20日(月)締切
[ステージイベント事前申込]▶ https://fukkou-forum.jp/contact/

今回は、東京都主催の風化防止イベントと同日・同会場開催。被災地支援を続ける企業の事例発表や“被災地の今”を伝える展示、特産品・郷土料理の販売など、多彩なプログラムで支援の継続を呼びかけます!

まもなく東日本大震災から6年を迎えます。私たちと一緒に被災地の復興について考えてみませんか?

震災支援かたった詐欺の疑い、詐欺グループの男逮捕TBS系(JNN) 6月2日(木)8時58分配信

東日本大震災の被災者への支援をかたり、高齢者から現金をだまし取っていたとみられる詐欺グループの男が警視庁に逮捕されました。

 逮捕されたのは東京・板橋区の無職・山本将吾容疑者(28)ですでに逮捕・起訴されている仲間と共謀し、今年3月から4月にかけて秋田県の女性(71)に対し東日本大震災の被災者への支援をかたって電話をかけ、現金290万円をだまし取った疑いが持たれています。

 山本容疑者らは宅配便で第三者の自宅に現金を送らせたうえ、自宅前で待機するメンバーらに受け取らせ現金を回収していたということです。山本容疑者は、この詐欺グループでレンタル携帯電話やアジトとして使う事務所を手配していたとみられています。

 山本容疑者は容疑を否認していますが、警視庁は、今年1月から4月にかけて2500万円以上をだまし取っていたとみて裏付けを進めています。(01日18:43)

最終更新:6月2日(木)8時58分

TBS News i

3.11亡くなられた多くのかたのご冥福をお祈りし、震災に遭われたかたがたのお幸せをお祈りします。
岐阜駅前。壇上には200羽ほどの折り鶴とボードの文字。小・中学生の東北へのメッセージ。市内の人が赤い鶴を折って3.11と絆の文字。通りすがりの人も東北へメッセージを書いてくれました。

東日本大震災から5年。岐阜駅前の信長ゆめ広場に、小学校と中学校の子ども達が「命」「絆」「友」のメッセージボードと鶴。鶴には東北へのメッセージ。”祈り”と”願い”2時46分黙とう。夜は「3.11絆」の文字でキャンドル

◆福島原発事故後に甲状腺ガン 20歳女子の悲痛な日々  2度の手術も、リンパや肺に転移。弟2人も甲状腺にのう胞が… (2015年9月25日号 FRIDAY)

 

『女子高生の怒り』

旅行先での駐屯地祭の話。

例によって変な団体が来て、
私は厭な気分。

その集団に向かって
一人の女子高生とおぼしき少女が
向かって行った。

少女
「あんたら地元の人間か?」

団体
「私達は全国から集まった市民団体で……」

少女
「で、何しに来たんや?」

団体
「憲法違反である自衛隊賛美につながる……」

少女
「私は神戸の人間や。
 はるばる電車に乗って何しに
 ここまで来たかわかるか?」

団体
「……?」

少女
「地震で埋もれた家族を
 助けてくれたのはここの部隊の人や!!

 寒い中ご飯作ってくれて…
 お風呂も沸かしてくれて…

 夜は夜で槍持って
 パトロールしてくれたのも、
 ここの部隊の人や!!

 私は、その人達に
 お礼を言いに来たんや!

 あんたらにわかるか?

 消防車が来ても
 通り過ぎるだけの絶望感が…。

 ここの人らは
 歩いて来てくれはったんや…。」

最初、怒鳴り散らすように話し始めた
少女は、次第に涙声に変わっていった。

団体は撤退…

彼女が門をくぐった時に守衛さんが
社交辞令の軽い敬礼ではなく
直立不動のまま敬礼していた…。

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最後の守衛さんの敬礼で
涙がこぼれました。

自衛隊については
いろいろなご意見をお持ちの方が
居らっしゃいます。

しかし確かなのは
災害時、自衛隊の皆さんは
自分のことのように
身を挺して助けてくれます。

国内だけでなく、
今もフィリピンの被災地に
国際緊急援助隊として
千人規模で派遣され、
日夜活動されています。

私自身、反対意見を持っていても、
ちゃんと口に出して
言えないことは多いです。

この様な女子高生の行動には
頭が下がる思いです。

先日、東日本大震災から
1,000日が経過しましたが、
自衛隊の皆さんの活躍を絶対
風化させてはいけませんね。

今年もやります!
福島プロジェクションマッピング はるか!

会津若松市の鶴ヶ城で平成25年から3年連続で開催していましたが、今年は「白河市」で全国初!植樹した縁で開催されることになりました。

...

夜はプロジェクションマッピング、お昼は白河市観光をオススメします!

▼詳しくはこちら
http://www.fukushima-ichiba.com/blog/?p=5020

「もっと身近に福島第一原発を感じる」 知ってますか? 福島第一原発で働く人向けのwebについて

福島第一原発という言葉を聞いただけで、忌避感がいまだ続く現状ですが、3月11日が近付くにつれ「作業員の方々を紹介してください」といったご依頼を受ける事が多々あります。

普段、筆者が働く方を中心とした活動を続けてきた事が一因ですが、もっと大きな要因は働く方が未だ「不透明なモザイクのかかった存在」とされているからでしょう。

ここで知る人ぞ知るweb、1 FOR ALL JAPANについてお届けします。2015年10月に開設されたものです。福島第一原発で働く方向けに作られたものですが、不透明でモザイクのかかった存在として決めつけてしまっている私達にとっては、働く方の姿を知る貴重な場ともなっています。

というのも、基本働く人向けですから食堂のメニューやバスの時刻表などが掲載されていますが、月刊いちえふ。という発電所構内で手に入るフリーペーパーを私達も見ることが出来ます。そちらに働く方のインタビュー記事が掲載されているからです。

月刊いちえふ。

月刊いちえふ。働く方はどなたでも自由に持ち帰れます。視察した際に頂いてきました。

こちらは福島第一原発の入退域管理施設や大型休憩所等で、無料で働く方に配られているフリーペーパーです。視察に訪れた方も自由に持ち帰ってよいものです。漫画いちえふを意識したような題名ですが、良く見るとモーニング娘。さながら「。」がついています。

ここで大切な事は、働く方が写真つき、所属、お名前付きでインタビューに答えている点です。これまで5年間、働いている人の声としては、本当に働いている方か?と思うような裏どり出来ないモザイクのかかったものばかりで、言わば伝える側に信を置くしかありませんでした。断片的に伝えられる内容に、抱いたイメージは負のイメージ一辺倒だったのではないでしょうか。ここでは働く方の誇りを感じることが出来ます。私達はそういった部分にあまりにも触れてこなかったように思います。

また、サイト内の1Fで働くみなさんへの中にある1F構内サーベイマップは私達にとっても有益な放射線情報とも言えます。

東京電力 1 FOR ALL JAPAN サーベイマップより抜粋

サーベイマップから、私達生活圏への影響を読み取る

画像で表示されている数字は全て、単位はマイクロシーベルト/毎時です。非常に高線量の場所は限られています。1~4号機廻り、そして画像左にある瓦礫置き場です。低い方に目を向ければ、1マイクロシーベルト毎時ほどとなっています。この状態が維持されているということを確認していくことができます。すると少なくとも”発電所入口付近で抑えられているならば、私達の生活圏まで影響を及ぼさない”と言えます。大きい数値に目がいき、危険な場所という見方もありです。ですが私達にとっては低い方を監視することが重要です。

働く方にとっても、今日働く場所の線量は必要な情報です、その延長線上に私達の生活圏への影響があると考えると、こういった情報は私達にとっても有益なものとなります。

筆者は原発事故前後の福島第一原発を知る者として、現場で働かれる方の思いと、福島第一原発を見守る社会の方々の思いには大きなギャップがあるようにいつも感じます。

1 FOR ALL JAPANの言葉に感じる思い

お気づきになられましたか?福島第一原発は通称「1F」と呼ばれています。福島の「F」と第一の「1」からなります。ちなみに福島第二原発は2F、柏崎刈葉原発はKKと呼ばれます。この1Fがwebのタイトルにかかっています。

今、福島第一原発は国内の様々な企業が、まさにALL JAPANで取り組んでいます。東京電力単体の力で成り立っている分けではありません。1日約7000人もの方が働いています。

原発事故後、廃炉はどういった意義を持つ場所になったでしょうか。国費を投入してなぜやる必要があるのか,利益を生まないにも関わらずです。それは私達が望んでいるからにほかなりません。

言い返れば、社会に安心を生み出すそれが福島第一原発の廃炉の意義です。ですが、私達は知らぬ存ぜぬと距離をおいています。それは廃炉の意義を現場の方ですら、見失うことに繋がりはしないでしょうか。

ALL JAPANの中には、私達が含まれている、そう感じてなりません。

吉川彰浩

一般社団法人AFW 代表理事

1980年生まれ。元東京電力社員、福島第一、第二原子力発電所に勤務。放射性廃棄物処理設備の保守管理(現場管理、工事設計発注、官庁検査対応)を担当。原発事故により福島県双葉郡浪江町より福島県いわき市に避難生活中。福島第一原発、原発事故被災地域の一次情報を社会に伝える為に2012年6月に退職。民間一般人としての震災後初の福島第一原発視察を実現。「次世代に託すことが出来るふるさとを創造する」をモットーに一般社団法人AFWを運営し、福島県双葉郡地方の復興活動、暮らしにおける福島第一原発に対するリテラシー向上活動を被災地域住民の方々と協働で行っている。

akihiro.yoshikawa.716

official site

一般社団法人AFW  次世代に託せる”ふるさと”を描こう

東日本大震災で身分を隠しボランティアに参加…日本国民なら誰でも知るこのお方をご存知ですか?

秋篠宮ご夫婦の長女、眞子さま。

秋篠宮文仁親王と紀子さまとの第1女子で、今上天皇の孫にあたり、身位は内親王。

成年に伴い宝冠大綬章受章され、各種行事、儀式に出席をしています。

 

そんな眞子さまが、大学時代に自分の身分を隠し、東日本大震災の被災地でボランティア活動されていたと話題となりました。

 

ボランティアに向かったのは、2011年の7月。

当時大学2年生であった眞子さまは、今できることをしたいと強く思い、一人の大学生としてボランティアに参加したようです。

 

その当時のことを、2011年の10月にご成年をお迎えになられた際の記者会見で話されました。

 

 

私は両陛下始めほかの皇族方のようにお見舞いという形の被災地訪問は致しませんでしたけれども,夏にボランティアの一人として被災地でお手伝いする機会がございました。東京で関係者の方にお話を伺ったり,また,メディアの報道を通して,震災の状況について理解したように思っておりましたけれども,実際に行ってみないと分からないことがあると実感いたしました。

実際に被災地に向かい、現地の人たちの話を聞いたことについても話されています。

 

 

被災した方にお話を伺ったこともございますし、あと、また言葉にするのが難しいですけれども、実際自分の目で見てみないと、どういう状況かというのは感じ取れないのではないかと思いました。

 

 

 

 

メディアを通して知るということとは、また別に実際に行くことでしか感じられないことがあると、そういうふうに思いました。

 

 

当時19歳で未成年であった眞子さま。

高校時代のニックネームであった「まこしー」という名前で、あくまで一個人のボランティアに参加。

 

大人も子供も、眞子さまであることに全く気付かなかったようで、子供達は「お姉ちゃん」と親しみを込めて呼び、駆け寄ってくるような状況だったそうです。

 

このボランティア活動を行っていた事実に、ネット上では驚きと称賛の声が多数あがっていました。

 

  当時はまだ余震が続いたり、瓦礫が多数残るなど、危険を伴う被災地に向かった眞子さま。

一般人でもなかなかできないボランティア活動に、皇族である眞子さまともなれば、様々な問題があったのではないでしょうか?

 

それでも自分の目で現地の様子を体験し、被災された方の声にしっかり耳を傾ける眞子さまの行動は、被災地の方々を深く思う気持ちが表れているように思えます。

 

そのことを公にせず、人のためになることをやり遂げる眞子さま。

このような姿勢に心から尊敬し、私たちも見習っていきたいものですね。

 Writing by S.Shingo of cadot

出典:Twitter、宮内庁

画像引用元:http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/5be3034bc23d6de9a40eaa2f4ace04d9

外国人カメラマンが撮影した、福島第一原子力発電所 周辺の『現在』

現地を訪れた第一印象は「そこだけ時間が止まっている」だったそうだ。スーパーマーケットの棚にはまだ商品が残っている状態で、学校の黒板にはその日学生らが書き残していった文字が刻まれている。

道路に置き去りになった車は深い緑に包まれ、宴会場の座敷のテーブルには皿が並んだままだ。世界各地にあるゴーストタウンと同様の光景の中、ただ1つ、異質だったのは、地面に規則正しく並んだ汚染土を入れた無数の黒い袋である。

福島県の一部地域にだされていた避難指示だが、徐々に解除されつつある。福島県楢葉町の避難指示が先月9月5日をもって解除された。町に帰ることを決めた住民、帰ることをためらう住民と様々な思いが交錯する。

それでも今尚、浪江町・双葉町・大熊町が帰宅困難区域に指定されており、飯館村・富岡町は居住制限区域となっている。

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悲しい現実です・・・・・

佐々木るり(福島県二本松市在住 5児の母)


忘れてしまいなさいと誰かが言う これからこの子に降る雨のことを
忘れてしまいなさいと誰かが言う これからこの子が吸う風のことを
忘れてしまいなさいと誰かが言う これからこの子が口にする食べ物のことを...
そして忘れてしまいなさいと誰かが言う
この国はこんなにもあっさりと人を見捨ててしまえるという事実を。

でも、福島

私たちは忘れない
母乳から放射能が出たとむせび泣くあのお母さんを

私たちは忘れない
わが子を被曝させてしまったと、自分を責めるあのお父さんを

私たちは忘れない
外で遊びたいとせがむあの女の子を

私たちは忘れない
どうか福島を見捨てないでください、たすけてくださいと叫んだあの男の子を

そして私たちは忘れない
この全ては、間違いなく私たち一人一人が原発に加担し、見過ごし、
自分たちだけの豊かさに耽ってきた結果であるという事実を。

私たちを信じきって笑いかけてくる子供たちに、あやまっても、あやまっても
つぐなえない未来を押し付けてしまうこの情けない現実の中で

でも、それでも、
今、ごめんなさいから始めよう。
ナムアミダブツの風を受けて、原発はあかんと声を上げよう。
ナムアミダブツの光を受けてひとりひとりが輝こう。
忘れなさい 忘れなさいと誰かが囁くこの社会の中で
デモ、忘れない 福島!

(2012ナムナム大集会「表白」より)

日本一のおもてなし!岩手県
三陸鉄道南リアス線・恋し浜駅のホタテ絵馬
全国の皆さんから心温まるメッセージが寄せられています!
‪#‎三陸鉄道‬ ‪#‎恋し浜駅‬ ‪#‎ホタテ絵馬

美女旅×いわて『一関・奥州・平泉~世界遺産の旅~』編発行しました♪ 
地元を愛する地元の一般女性6名のモデルが、一関市、奥州市及び平泉町にある観光名所や伝統工芸品を紹介しています。
パンフレットは、美女旅公式HPで見ることができます。ぜひご覧ください! http://www.bijotabi.jp/
美女旅×いわてFacebookページもあります! https://www.facebook.com/bijotabi.iwate

 8月11日は東日本大震災から4年5カ月。追悼と復興の祈りを込めた「気仙川花火大会」が竹駒町の気仙川河川敷で開かれ、美しい花火が陸前高田市の夏の夜空を彩りました。

全人類に大拡散希望!!
7月16日 東電福島第一原発K排水路排水口
ストロンチウム90 推定550ベクレル/L!!
法定濃度の18倍超!!
東電HPを開いて我が目を疑いました...
排水口ですから「海」です!!
http://keibadameningen.cocolog-nifty.com/…/07/post-f43f.html

空き仮設に大学生=一緒に住み、高齢者支援―福島

東京電力福島第1原発事故で避難した住民が暮らす福島市の仮設住宅で21日、ボランティアの大学生が空き部屋に住む「いるだけ支援」が始まった。高齢者が多い仮設住宅で、空白の世代となっている若者との交流を通じ、コミュニティーを活性化させる狙いがある。
 仮設住宅への訪問を重ねてきた学生団体「福島大災害ボランティアセンター」が提案し、復興庁の「心の復興」事業の一つに採用された。
 支援が始まるのは、同市飯坂町の仮設住宅。全域が避難指示区域に指定されている福島県浪江町の住民269人が暮らし、約6割が60歳以上だ。
 この日は朝から10人ほどの学生が部屋の掃除や家具の組み立て、搬入を行った。入居する福島大4年の佐藤俊一さん(22)は「ボランティアとして気負うのではなく、目標は住民として受け入れてもらうこと。今まで出会えなかった人と話せるのも楽しみ」と、やや緊張した様子で語った。
 学生は2人ずつ3カ月交代で、1年にわたり仮設住宅で生活。住民への声掛けのほか、買い物など身の回りの世話や自治会活動の支援を続ける。
 提案を聞いて「二つ返事でオーケーした」という自治会長の菅野栄一さん(63)は、「ぶれずに支援を続けてくれた彼らのことは、住人もよく知っている。若い人のセンスで活性化してほしい」と期待を込めた。 

最終更新:6月21日(日)18時29分

時事通信

今日宮古では、宮古港開港400周年の記念イベントが開催されています。

仮装行列や式典、歴史復興展が行われています。400周年記念事業は1年かけて行われるようなので、ぜひ宮古へお越しください。

南部の殿様や宮古、盛岡、遠野、二戸、青森県南部、八戸、七戸、三戸の首長さんのユーモア溢れるあいさつには、会場から大きな拍手と笑い...声が起きていました。

記念イベントと美味しい食で楽しんだら、ぜひ ‪#‎さんてつ‬ にも乗ってくださいね。

記念イベントはこちら。
http://www.city.miyako.iwate.jp/…/port_4…/project_event.html

【チェルノブイリ事故後、汚染地の子供に起こっていること】

大川小学校の生徒が書いた


     自衛隊への感謝の手紙


じえぃたいさんへ。

げん気ですか。

つなみのせいで、
大川小学校のわたしの、
おともだちがみんな、
しんでしまいました。

でも、じえいたいさんが
がんばってくれているので、
わたしもがんばります。

日本をたすけてください。
いつもおうえんしています。

じえいたいさんありがとう。

             うみより

一人の隊員(石井3曹)が
受け取ったこの手紙。

この手紙は、またたくまに
隊員の間にコピーされ、
再び隊員たちを奮い立たせたらしい。

中にはこの手紙をコピーして、
手帳に挟んで励みにした隊員もいた。

石井3曹に封筒を渡した少女は、
名前も告げずに走り去っていった。

少女は、母親と思しき
女性の運転する車でやってきて、

偶然近くを歩いていた石井3曹に
この手紙を渡したのである。

石井3曹は込み上げるものを
必死で堪えた。

『胸がいっぱいになりました……。

 あの頃は、発災から1か月が
 経とうとしており、
 疲れもたまっていたのですが、
 
 あの手紙で、
 「明日からも頑張るぞ!」
 
 と皆、勇気が湧いてきたのです。

 そして自分たちのやっていることが
 人々のためになっているんだ、
 とあらためて認識しました。』

その後、この手紙は
第14旅団長・井上武陸将補の
陣取る女川の指揮所に届けられ、
たちまち各派遣部隊に伝わった。

井上旅団長は言う。

『手紙を見た時は、
 もう体中の血が逆流するほどの
 思いでした。

「よし、どんなことがあっても
 全員を捜し出すぞ!」

 という思いが漲ってきましたよ。

 うみちゃんは、
 どんな思いでこの手紙を
 書いてくれたんだろうと思うと……」

利府町の加瀬沼公園に
宿営地を設営した

北海道の第1高射特科群のある
中隊指揮所にも、

この手紙のコピーが
ボードに貼り付けられた。

東日本大震災から
49日目にあたる4月28日、
飯野川第二小学校の体育館で、

大川小学校の犠牲者の
合同慰霊祭が営まれた。

祭壇には74の
可愛らしい児童の顔写真が並んだ。

その中には、
いまだ行方不明の6人の
児童の写真もあった。

その間も、
第14旅団の隊員たちは、
うみちゃんの手紙を胸に、
行方不明の児童を捜し続けた。

さよなら「松島水族館」最後のGWにぎわう

まもなく88年の歴史に幕を下ろす事になる宮城県松島町のマリンピア松島水族館では、連休最終日の6日も最後の思い出を残そうと訪れた人たちでにぎわっている。

 1927年(昭和2年)にオープンしたマリンピア松島水族館は老朽化のため、今月10日の営業を最後に閉館する事が決まっている。連休最終日の6日も家族連れなどでにぎわい、動物たちがかわいらしいしぐさを見せるたびに歓声があがっていた。

 水族館によると、きょう1日で通常の休日の2倍となる約6000人の入館者を見込んでいるという。

最終更新:5月6日(水)14時0分

日テレNEWS24

 
東日本大震災から12年。瓦礫で覆い尽くされていた景色から、万里の長城のような堤防、真新しい建物がポツポツと再建されていてかつての風景とは異質な街が造られていく。生きている人々は上辺は乗り越えて日常を過ごしているように見えるが、大きな十字架を背負いながら、あがらえない視えない鎖に縛られていることにひとつひとつ気付いていく。
仙台の書店員が芥川賞を受賞した作品、心に染み入りました。

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『命に嫌われている 』作詞 カンザキイオリ 作曲 カンザキイオリ

「死にたいなんて言うなよ。」 「諦めないで生きろよ。」 そんな歌が正しいなんて馬鹿げてるよな。 実際自分は死んでもよくて周りが死んだら悲しくて 「それが嫌だから」っていうエゴなんです。 他人が生きてもどうでもよくて 誰かを嫌うこともファッションで それでも「平和に生きよう」 なんて素敵なことでしょう。 画面の先では誰かが死んで それを嘆いて誰かが歌って それに感化された少年がナイフを持って走った。 僕らは命に嫌われている。 価値観もエゴも押し付けていつも誰かを殺したい歌を 簡単に電波で流した。 僕らは命に嫌われている。 軽々しく死にたいだとか 軽々しく命を見てる僕らは命に嫌われている。 お金がないので今日も一日中惰眠を謳歌する。 生きる意味なんて見出せず、無駄を自覚して息をする。 寂しいなんて言葉でこの傷が表せていいものか そんな意地ばかり抱え今日も一人ベッドに眠る少年だった僕たちはいつか青年に変わっていく。 年老いていつか 枯れ葉のように誰にも知られず朽ちていく。 不死身の身体を手に入れて、一生死なずに生きていく。 そんなSFを妄想してる 自分が死んでもどうでもよくて それでも周りに生きて欲しくて 矛盾を抱えて生きてくなんて怒られてしまう。 「正しいものは正しくいなさい。」 「死にたくないなら生きていなさい。」 悲しくなるならそれでもいいならずっと一人で笑えよ。 僕らは命に嫌われている。 幸福の意味すらわからず、産まれた環境ばかり憎んで 簡単に過去ばかり呪う。 僕らは命に嫌われている。 さよならばかりが好きすぎて本当の別れなど知らない僕らは命に嫌われている。 幸福も別れも愛情も友情も 滑稽な夢の戯れで全部カネで買える代物。 明日、死んでしまうかもしれない。 すべて、無駄になるかもしれない。 朝も夜も春も秋も変わらず誰かがどこかで死ぬ。 夢も明日も何もいらない。 君が生きていたならそれでいい。 そうだ。本当はそういうことが歌いたい。 命に嫌われている。 結局いつかは死んでいく。 君だって僕だっていつかは枯れ葉のように朽ちてく。 それでも僕らは必死に生きて 命を必死に抱えて生きて 殺してあがいて笑って抱えて 生きて、生きて、生きて、生きて、生きろ。

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