Apex product 【 昭和の楽しい時代 60 】

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しあわせの一番星(1974)
監督:山根成之
出演:浅田美代子、山形勲、西城秀樹、篠ヒロコ、津坂匡章、ジャネット八田、左とん平、夏木マリほか
浅田美代子の歌がタイトルになってます。
「寺内貫太郎一家」と同じく西城秀樹がクリーニング屋店員役で出てて、なぜかステージで歌を歌ってる場面も何回も出てきますwなんで??w
でも、この映画は浅田美代子のアイドル映画というよりほゞ、山形勲主演の映画と化しています。
一人娘(篠ヒロコ)が言うこと聞かずに、飲み屋の板さんと恋仲になり、腹も大きくなる。
そんな娘を勘当してしまう山形勲に居候の浅田美代子が同情し、なんとか仲直りさせようと奮闘する話しです。
70年代まででしょうか、こんな頑固おやじが通用するというか、まだ同情されるのは。
80年代になると金属バットで殺されそう。。。
そんな星一徹を思わせる頑固おやじを見たいならおススメでございますm(__)m
P.S.
山形勲だけが真面目に芝居をしている。
これが本当なのだが、なんか不自然だった気が。。。
伴淳三郎さん
(1908年1月10日-1981年10月26日)
昭和期のコメディアン、俳優。
愛称は「バンジュン」。
「アジャジャーにしてパーでございます」が大ウケし、
それを短くした「アジャパー」が大流行。
(伴淳三郎)
1969年7月、学生たちが大隈記念講堂に保管されていたピアノを無断で担いで早稲田キャンパス4号館(現在の8号館)に運び出し、思想的に対立する学生たちが集まった殺伐とした状況下で、山下洋輔トリオによるフリージャズライブが開催されました。
引用元 フリージャズと学園紛争の歴史
長門裕之さん
(1934年1月10日-2011年5月21日)
俳優。
昭和時代の日活映画の「青春スター」。
(今村昌平監督と組んだ)『にあんちゃん』で
1959年(昭和34年)のブルーリボン男優主演賞受賞。
『豚と軍艦』『秋津温泉』などで主演。
テレビドラマなどでも活躍。
俳優の津川雅彦は実弟。
[著名な家族]
祖父(竹芝傳蔵)
父(沢村国太郎)
母(マキノ智子)
弟(津川雅彦)
叔父(加東大介)
叔母(沢村貞子)
外祖父(牧野省三)
母方の外叔父(マキノ雅弘)
母方の外叔母(轟夕起子)
母方の外従弟(マキノ正幸)
義妹(朝丘雪路)
姪(真由子)
遠縁(宮川大輔)
(長門裕之)
あおい輝彦さん
(1948年1月10日-)
俳優、歌手、声優。
身長170cm。
日本大学鶴ヶ丘高等学校、日本大学芸術学部卒業。
[主な作品]
『二人の世界』
『あしたのジョー』
『犬神家の一族』
『二百三高地』
『大日本帝国』
→ 第6回日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。
『水戸黄門』
(あおい輝彦)
いちどは行きたい女風呂(1970)
監督:江崎実生
出演:浜田光夫、夏純子、沖雅也、岡崎二朗、前野霜一郎、深江章喜、小松方正、由利徹ほか
驚いちゃうのが、あんなにホッソリしていた少年のような浜田光夫がおっさんになってる事。
悲劇的な事故の後、サングラスが必需品になってしまったのも老けて見える要因かもしれない。この後のテレビ「アイアンキング」ではより一層おっさん感が出てくる。
でも今だ存命なのは過去作から知ってるファンには嬉しい。
あと、前に「野良猫ロック」でも書いた記憶があるけど、前野霜一郎が出ていてうれしい。
かれは児玉誉士夫邸に神風のようにセスナで突っ込み、死亡。
さらには京王プラザホテルから飛び降りた沖雅也。
そして、息子が公安の監視対象となってる岡崎二朗と色々問題がある俳優さん勢ぞろいな異色作。
たしかみんな学生の役で前野霜一郎が先輩役だったかな、で沖雅也んちが風呂屋で浜田光夫なんかが女風呂を覗き見しようとすんのw
最後は風呂場で素っ裸の男と女の大バトル!?
おそらく同時期のテレビドラマ「時間ですよ」を意識してるんだろうけど、さすがにテレビより裸が見れますw
なんでも当時の流行歌の「女風呂の唄」に着想を得たみたいですね。
沖雅也がこの頃日を追うごとに芝居が上手くなってるのが分るのが面白い!
不良番長 暴走バギー団(1970)
監督:内藤誠
出演:梅宮辰夫、谷隼人、山城新伍、鈴木ヤスシ、砂塚秀夫、カルーセル麻紀、上田吉二郎、天津敏、八名信夫、中田博久、三原葉子、由利徹、根岸明美、園佳也子、藤村有弘、南利明、殿山泰司、菅原文太ほか
最初に言っておきますが、あまりにゲスなので、万人にはオススメできませんm(_ _)m
梅宮さん主演の「不良番長シリーズ」の第九作目です。
第一作目からのルーティンが今作から変更になる。
まず、一作目から続いていた梅宮さん歌う主題歌が変更になった。前の歌は好きだったけど、今作からの歌もカッコイイ!w
あと、メンバーも変更に。
一作目から梅宮さんの相棒だった谷隼人が今作で死亡。
次作の第十作目より、山城新伍が相棒になります。
で、この「不良番長シリーズ」はお話が決まってます。
梅宮さん率いる愚連隊が何か商売を始める。そうすると、すでにその商売をしていた暴力団からの嫌がらせをうけ抗争に発展。ラストの殺し合い!みたいな感じですw
今作は仕事にあぶれて腹を空かしてる愚連隊の面々。
野良犬がやって来て、メンバーが撫でで可愛がる。そうするとメンバーの誰かが「この犬食ったら美味しそう!」とか言い出し、「可愛いいなぁ」と良いつつ、みんなその案に乗る。
そこに梅宮さんがさらに良い案を思いつく。
「野良犬を集めて、高級犬と称して金持ちに売り込もう!」
で、海外から高級な犬を輸入してる悪い奴らと抗争になる、みたいな話だったかな。
この作戦に失敗すると宅地の空売りとかもしだしちゃうんだったかな。
とにかく全作を通じてハチャメチャな映画です。
でもかなり人気があって、東映のシリーズ映画で最長の16作まで作られてるんです。
で、この映画はある超有名映画にパクられてる事でも有名!
というか、昔、深夜の山城新伍がホストのテレビ番組で山城新伍自身が言ってたんです。
ヒントは香港映画です。
答えは夜にアップしますm(_ _)m

トニーの死後10年後リバイバル上映を大阪の茨木市の映画館で「霧笛が俺を呼んでいる」と「抜き打ちの竜」2本立てを見て唯かっこよさと芝居の下手なところに衝撃を受けた。それ以来ずっとファンであり続ける、その中でも「錆びた鎖」って作品があるんだけどこれが内容が「エデンの東」と似てるんだね。少しジェームスディーンと少し被るところも無きにしも非ず、個人的見解ですが。霧笛が俺を呼んでいるでの最初のシーン船から降りてくところからはいるけど黒のスイングトップなんか着て色が赤じゃないってところもきずく。そこがまた自分的に好きなシーンなんだけど。

41歳の童貞男 2009年アメリカ
      グレイグ・モス監督
キモすぎる胸毛のせいで童貞を卒業できないアンディ(ブライアン・カレン)は、仲間に連れられた怪しい脱毛サロンで心機一転。その効果あってか、セクシー美女のサラ(マーセア・モンロー)のお持ち帰り成功。ついに念願の初エッチ...と思いきや、アホな同居人が彼女とやりまくって妊娠させてしまい....
原題が『The 41 Year Old Virgin that Knocked up Sarah Marshall and Felt Superbad about It』でジャド・アパトー製作の4作品の題名にもじってます。
『40歳の童貞男』を軸に『寝取られ男のラブ・バカンス』『無計画の命中男/ノックトアップ』が途中にあり、アンディの同居人のバカ連中は『スーパーバッド童貞ウォーズ』のパロディをやってる感じです。どれもこれも下ネタ満載のコメディ映画で、それをパロディにするとお下劣極まりなくなるのは当然です。他にも同居人が段々と子供になっていく『ベンジャミン・バトン数奇な人生』や『トワイライト』のアホらしいネタもあり。
胸毛の脱毛シーンは、日本人女性ではなく中国人女性になり乳首まで剥がしてしまったり、飲酒運転のサラが大量のゲロをアンディに吐いたり、変態趣向だったりと、本家『40最高の童貞男』のネタを過激に超下品にしたのがいいですね。
マウイ島の謎の男たち、141歳のヨーダ風とメース・ウィンドゥ風から『童貞のままで41歳を迎えると恐ろしいことが起こる』と告げられる。彼らも、禁欲生活を送っていてキン○マが異常に発達している。そんなのになりたくいと、慌てて恋しているキム(ヌリーン・デブルフ)と....
エンディングは、本家の『ヘアー』のアクエリアスに対抗して『スラムドッグ$ミリオネア』のエンドロールに流れる曲"Jai Ho"に合わせて踊るシーンをパロディにする徹底ぶりです。
自分は、このジャンルの作品は好きなんですが、おバカ、下品さはトップクラスと思いますので上品な方にはオススメできません!
https://youtu.be/23i3YLBiHJQ予告編

夜叉。高倉健、田中裕子共演。大阪ミナミで人斬り夜叉と言われた元ヤクザ英治、高倉健は若狭湾に面した小さな港町で、壮絶な過去忘れさせるように、妻と子と静かに暮らしていた。ある日ミナミから蛍子と言う綺麗な女がやってきて居酒屋を始める。魅力的な蛍子目当てに街の男たちが通い始めるが、彼女には矢島、ビートたけしという覚醒剤中毒の男がいた。覚醒剤に犯されたの狂気の男をたけしが好演している。

『マッシブ・タレント』
借金まみれで落ち目の映画スター、ニコラス・ケイジ。
再起をかけて自ら売り込んだ役を得ることができず、俳優引退を心に決めて、100万ドルの報酬でスペインの大富豪ハビの誕生日パーティーに参加することに。
当初気乗りがしなかったものの、話してみると映画の趣味が合い、仲良くなっていく二人。
ハビには、実は他の思惑もあるのだった。
夜、一人飲みながら脳内で対話する若かりし頃の自分が「ニコラス・ケイジはチューがうまい!」と叫んだ直後、突然黒いバンに拉致された。
中にいたのはCIAで、ハビは武器カルテルのボス、冷酷な悪党であり、首相候補の娘を誘拐したと言うではないか。
「あのハビが!?役者も人の性格や気持ちを理解する(能力がある)。断言する、ハビは武器商人じゃない。俺のニュー憑依型演技力を信じろ」
だが押しきられ、ハビをスパイすることになり‥
これぞニコラス・ケイジ祭り!
切っても切っても金太郎飴のように、煌めく万華鏡のように、いやもはや曼荼羅のように。世界はニコラス・ケイジで染められて✨
特に熱烈なファンというわけではなく、もうネタとして面白い、というスタンスで受け止めていた彼を、こんなにも愛おしいと感じる日が来るなんて!
期待以上に面白かった、相当面白かった、かーなーり面白かった、私にはどハマりでずーっとニヤニヤダハダハでした😆😆💕
WOWOWオンデマンドで。
ああ、私を離さないで!!ずっとずっと愛してる。貴方は私だけのものなのよ!
【ルーム・フォー・レント】アマプラ無料
久しぶりにサイコーに最高なサイコなババアを観たのでご紹介🤣🤣❤️
あ、でも作品としては酷すぎるのでスーンスーン蝉が泣くほどではないがホラーとして観たはずなのにえ?これ?コメディ?ってくらいめちゃ笑っちゃいましたw
本当は嫌いじゃないかも🤫
B級ホラー好きで熟女好きな方で暇な時間がたっぷりある時にどうぞ!
あらすじネタバレ
亭主関白なDV夫フレッドに連れ添い
献身的に支え続けてきた妻ジョイス
(リン・シェイ)
その夫が不慮の事故で突然死んでしまう。
さらに暴力亭主フレッドは多額の借金まで残して死んでしまったのだった。ニャロー💢
ジョイスに残ったものは土地家屋だけ!
お金も仕事もない年老いたジョイスは
空き部屋を貸し収入を得る事を思いついた😆
なんだか突然リボン🎀や可愛らしいお洋服を着て張り切るジョイスさん。最初の夫婦のお客様は干渉し過ぎたので失敗し、即座に引き払われてしまうが、奥さんのサラとはペンパルになるほど仲良しになる。そこに次のお客様ボブがやって来て、あまりのイケメンぶりに夢中になる。そこでジョイスは完全に理性を失い始めるのだった。
うーん、ジョイス婆さん良かったですねー!
お客様のカバンを漁るのは普通レベル!
もうお客様にお出しするコーヒーのティースプーンをレロレロ🤣
デオドラントを脇に塗り塗り!
歯ブラシをガシャガシャお口に入れちゃうサイコ❤️その表情や仕草がたまらなかったですねー。
なんだろ、あと少しで素晴らしい作品になりそうなのにダメだったのは…しかしお婆ちゃん1人でここまで物語を引っ張れた力技は素晴らしかった❤️
駄目駄目なのに、幸せになって欲しいと願ってしまうジョイスさん、ラストで先は見えているけれど、あの部屋を見た時に、束の間の幸せができる限り続く事を祈らずにはいられませんでした。
ALWAYS 三丁目の夕日(2005)
ALWAYS 続・三丁目の夕日(2007)
ALWAYS 三丁目の夕日'64(2012)
監督:山崎貴
出演:吉岡秀隆、小雪、堤真一、薬師丸ひろ子、堀北真希、小清水一揮、須賀健太、もたいまさこ、三浦友和、麻木久仁子、小日向文世、小木茂光、奥貫薫、石丸謙二郎、マギー、温水洋一、木村祐一、ピエール瀧、神戸浩、松尾貴史、益岡徹、平田満、浅利陽介、吹石一恵、上川隆也、渡辺いっけい、手塚理美、貫地谷しほり、森山未來、大森南朋、米倉斉加年、高畑淳子、染谷将太、蛭子能収、庄司照枝ほか
漫画「三丁目の夕日」の映画化作品。
当時のっていうか、まだぼくは生まれていないんだけど昭和の高度成長期の雰囲気は良くて、イイ感じだった。
だけど、あざとい。だいぶあざといと思う。
当然ぼくなんかハードルひっくい人間だから泣きましたよ。
だけど、泣かせよう感がハンパないw
それと演者の芝居がクサすぎる?
コメディ―要素があるから、演者の芝居はこの程度でいいのか?
でもちょっと酷すぎないか??w
それと作品的にただ郷愁を誘う、それだけの映画に成り下がってやしないか?
ぼくは捻くれてるところあるから、みんなに評判いい映画は斜に構えて見てしまう欠点があるんですけど、3作通じてあまり好かない、というかぼくの映画魂に引っ掛からない映画でした。
P.S.
何か所か非常に気になった点があったんだけど忘れてもーた💦
 
1985年、新藤栄作の親父役の植木等、
やはり役者ですね😊
年齢を調べてみたら当時58才、
今の私より10才も若い事に驚いた😅
吉幾三も良かった👍
.
ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け 
  山川直人監督
 
ビリィ・ザ・キッドはモニュメントバレーの荒野を馬に逃げられ、
とぼとぼと歩いていた。立ち止まり、あたりを見渡そうとした次の瞬間、
彼は奇妙な酒場スローターハウス(食肉解体場)に立っていた。
ビリィは店のマスターに用心棒として雇うよう、早打ちを披露するが、
宮本武蔵の神業的居合抜きの前には破れてしまう。
だが、マスターの一人娘テイタムに一目惚れし、何とかタダ働きのウェイターとして雇ってもらった。
愛妻家で芸術家のサンダース軍曹、
詩人の中島みゆき、
念力を繰る104、合体人間マルクス・エンゲルス、
彼らはそれぞれ、修理屋、ウェイトレス、レジ係、皿洗いとしてこの店で働いている。
だが、それは仮の姿であり、実はギャングたちの襲撃から店を守るため、
雇われた用心棒たちだった。
ロックバンド、ゼルダのライヴコンサートを3日後に控え、ビリィは店の客になりすましたギャングを見つけだそうとやっ気になっていた。。。。。。
観てください
こういうバカバカしい映画がだいすきです
高橋源一郎の短編3編を原案としてますな
高橋さん自体も出演してたよな
当時のキャッチ・コピーが良いー
"活字発光シネマ。グッバイ、日本映画のコレステロールよ。"ですわ
新しいことやってやろうという匂いがプンプンしましたね  実際やってるし
ビリィザキッド、宮本武蔵、中島みゆき などなど
良いー
それぞれが
個性爆発してます
言葉にするよか
観てください
まさに
カオス  ハチャメチャ
だいすきです  基本 映画は娯楽だから
夢 監督:黒澤明 黒澤プロ1990年作品
「乱」から5年を経て発表された黒澤明監督作品。「どですかでん」から本作まで5年間の間隔を経て作品発表となっている。当時、黒澤監督ほどの巨匠でも映画製作がなかなか困難な時代だったようである。本作も前作同様に外国資本が関与している。配給はアメリカのワーナーブラザーズが担当している。原作ではなく、監督自身の見た夢に基づき、いろいろな夢をオムニバス形式で構成されているのが特徴。エピソードの前に必ず「こんな夢を見た」という字幕が出る。
この中で気になるのは復員してきた主人公が兵士の亡霊に遭遇する話。黒澤監督は戦場経験はないのだが、何故こういうエピソードが作られたのか。監督自身の忸怩たる心象があったのだろうかと思う。ゴッホの鴉では何とマーティン・スコセッシ監督がゴッホ役で登場する。また笠智衆の出る最終話は今後の願望のようなものがあるのだろうか。このエピソードで行進する楽隊が登場する。かつて黒澤作品に出ていた俳優などが顔を出しているし、本作で雪女に扮した原田美枝子も参加しているようだ。そして、エンドロールはイッポリトフ=イワーノフの組曲「コーカサスの風景」の中の「村にて」が使用されている。演奏はウラディミール・フェドセーエフ指揮・モスクワ放送交響楽団。たまたま同じ音源をCDで持っている。穏やかな音楽で民族音楽的な部分もあって静かに終わる。余韻のある映画の終わり方だった。本作は大阪の映画館で観た。
水戸黄門漫遊記 怪力類人猿(1956)
監督:伊賀山正徳
出演:月形龍之介、加賀邦男、月形哲之介、千原しのぶ、喜多川千鶴、阿部九洲男、江原真二郎ほか
月形龍之介の黄門様シリーズ第7弾です。
この月形の黄門さんって結構おかしなシリーズが多くてぼくは好き。どうおかしいかって、鬼だとか幽霊ものだったり化け猫だったり、人食いライオンだったり。
今回は変わりダネ中の変わりダネ、キングコングです。
じゃなかった、ゴリラですw
ポスターの写真見てお分かりでしょうが、着ぐるみで見た目がコングぽいです。
この自称ゴリラが江戸の街で人々を惨殺していきます。
始めは「誰がこんな惨い残忍な殺し方をするのか!?」
なんていってるけど、なんてことはないゴリラさんでした。
しかも実はこのゴリラさん、とあるお姫様の笛により自由自在に動かされているのでした(ジャイアントロボかよ!)。
途中で、助さんの刀をひん曲げちゃったㇼ、角さん助さんとの殴り合い?も見れますw
お話しは言わぬが花、テレビシリーズとほぼ同じw
なので安心して見てられますが、途中で黄門さん一行が捕まって樽に入れられて岸壁から海へ投げ落とされるのですけど、よく生きてたなーとwww
まぁ、水戸黄門好きもだけど、コングなどの猿系の着ぐるみ好きには堪えられませんw
おススメでごじゃる(´_ゝ`)
リプレイスメント・キラー(1998)
監督:アントワーン・フークア
出演:チョウ・ユンファ、ミラ・ソルヴィノ、マイケル・ルーカー、カルロス・ゴメス、ケネス・ツアン、ユルゲン・プロホノフ、ダニー・トレホ、クリフトン・コリンズ・Jr、アル・レオンほか
チョウ・ユンファのハリウッド進出第一弾!
で、アントワーン・フークアの初監督作品。
バックにジョン・ウーがいると知ってイヤな感じはしていました。
残念ながらの駄作になってしまってましたね。
日本の映画会社も売れると見込んでたんでしょう。
確か丸の内ルーブルで公開でした。
「ハードボイルド新・男たちの挽歌」が銀座松竹2という極狭な劇場でしたから、格段のアップだったわけです。
かなり期待されてたのにも関わらず、開けてビクーリ。
惨敗だったんですな!
ジョン・ウーや、それに従ったチョウ・ユンファにしてみれば、名刺代わりの一作だったのかもしれませんが、名刺代わりはキョーレツでなきゃ!
デ・ニーロやイーストウッドと組ませる位の映画が見たかったワケですよ。
それが香港時代と変わらぬ感じ、それも劣化した感じではガッカリな気持ちにもなります。
チョウ・ユンファがハリウッドで失敗した原因はこの1作目にあったと確信しておりますm(_ _)m
P.S.
マイケル・ルーガーがだけが良かった!

劇団旗揚げ当時は美輪明宏さんもいた、美術監督で横尾忠則さんもいた「演劇実験室 天井桟敷」は、1967年1月1日に寺山修司さんが旗揚げしてから、1983年の寺山さんが亡くなるまで存続した。

昭和のデコトラ&現在のデコトラ、

LEDで派手に成りました。

加藤嘉さん
(1913年1月12日-1988年3月1日)
俳優。
東京市芝区新堀町(現在の東京都港区芝)出身。
慶應義塾大学中退。
4度結婚しており、
前妻は山田五十鈴、後妻は女優の中村雅子。
祖父は材木商、
父は無職で、不動産収入で生活。
母・長子との長男として誕生(妹が1人いたが、早くに死去)。
鎌倉師範付属小学校から慶應義塾商工学校に入り、
慶應義塾高等部に進み、
在学中、
先輩の徳大寺伸が主宰するアマチュア劇団に誘われ、公演に助っ人として参加。
その後は素人劇団に出演。
1934年(昭和9年)1月、
東京宝塚劇場の専属俳優募集の広告を見て俳優を志し、
既成俳優を含む1300人の応募者から男16人、女9人の合格者の中に選ばれます。
合格者の中には
谷幹一、森野鍛冶哉、伏見信子、伊藤雄之助ら。
1936年(昭和11年)、
新築地劇団付属研究所に入所、
同期に殿山泰司、千秋実、多々良純ら。
同劇団での初舞台となった水谷八重子主演の『女人哀詞』で茶店の親爺役を演じ、
23歳にして早くも老け役を演じています。
翌1937年(昭和12年)4月、
研究所を卒業して正式に座員となり、
『桜の園』『土』『どん底』などの作品に出演して頭角を現します。
1940年(昭和15年)、
新劇弾圧により薄田研二、本庄克二ら多くの劇団員が検挙され、
加藤も築地署に1週間ほど留置され、劇団は解散。
翌1941年(昭和16年)、
南旺映画製作の『流旅の人々』で映画に初出演。
同年5月、
井上演劇道場・水谷八重子一座合同劇に水谷の相手役として出演。
1942年(昭和17年)には明治座にも出演し、
やがて井上正夫主宰の井上演劇道場に入るも、
1943年(昭和18年)に応召。
横須賀海兵団に入隊し、
海軍経理学校の警衛分隊に勤務するうちに終戦を迎えました。
1946年(昭和21年)、
道場を解散して第2次新協劇団に参加した井上に従って同劇団に入るも、
1947年(昭和22年)に東京芸術劇場公演『林檎園日記』にフリーの立場で出演。
これを機に、
同年7月28日に滝沢修、宇野重吉らが結成した民衆芸術劇場(第一次民藝)に参加し、
旗揚げ公演の『破戒』に出演。
1950年(昭和25年)には劇団民藝(第二次民藝)創立に参加し、『その妹』等に出演するも、
翌1951年(昭和26年)に民藝を退団。
以降は活躍の場を映画に移しましたが、
1965年(昭和40年)には文学座に入り、
『女の一生』『五稜郭血書』などの舞台に立ちました。
戦後の映画初出演作は吉村公三郎監督の『わが生涯のかがやける日』。
1950年代は山本薩夫監督の『真空地帯』などの独立プロ映画に出演し、
やがて東映専属に。
1957年の映画「米」では半身不随の老人役を演じましたが、
役作りのため前歯を全部抜いて撮影に挑みました。
出演した映画の中でも1974年の映画『砂の器』は、
ハンセン病を患う和賀英良の父親役を、
回想シーンおよび物語終焉シーンにて生死の狭間と父親の深くも悲しい愛を演じました。
鬼気迫る演技を見せ、代表作の1つとされます。
1983年の映画『ふるさと』では妻を亡くした痴呆気味の老人役を好演し、
モスクワ国際映画祭最優秀主演男優賞を受賞。
今井正、山本薩夫、内田吐夢、今村昌平、野村芳太郎ら多くの巨匠監督に重用されており、
出演映画総数は360本以上。
1988年2月29日午後11時40分、
自宅の寝室で倒れ、
救急車で井上病院に運ばれましたが、
3月1日午前0時3分になって間もなく脳卒中により死去、75歳。
(加藤嘉)
市原悦子さん
(1936年1月24日-2019年1月12日)
女優・声優。
千葉県千葉市出身。
身長160cm、夫は舞台演出家の塩見哲。
千葉県千葉市に銀行員の父と元教員の母の長女として生誕。
9歳で疎開先の四街道市で敗戦を迎えました。
中学校2年生で千葉市末広中学校へ転校。
ここで演劇クラブに入り、
教師から演劇の楽しさを教わります。
千葉県立千葉第一高等学校(現在の県立千葉高校)に進学すると、
演劇部で活動し、
伊藤貞助作の『村一番の大欅』で県大会に出場して個人演技賞を受賞。
高校卒業後、
富士銀行に就職が決まっていましたが演劇への思いが断ちがたく、
劇団俳優座養成所に6期生として入所。
同期には
近藤洋介、宮部昭夫、川口敦子、大山のぶ代、阿部百合子、阿部六郎、佐伯赫哉、山本清ら。
1957年に入団し、『りこうなお嫁さん』でデビュー。
同年、雑誌『新劇』の新人推賞を受賞。
1959年に『千鳥』で芸術祭奨励賞を受賞。
1963年には新劇演劇賞、
1964年にゴールデン・アロー賞新人賞に輝き、
新劇女優として高い評価を受けます。
私生活では
養成所同期の演出家・塩見哲と1961年に結婚。
1971年10月に夫とともに退団し、
1972年に番衆プロを設立。
1987年4月、
「有限会社ワンダー・プロダクション」を設立、
塩見が社長に。
1975年に始まったテレビアニメ『まんが日本昔ばなし』では、
すべての登場人物の声を常田富士男と2人のみで長年演じ続けて親しまれました。
放映終了後から復活を望む声が多く、
2005年にはゴールデンタイムで再放送。
同年、
『赤い殺意』で強姦された強盗と恋に落ちるという主人公の主婦を演じ、
17.5%と当時の放送時間帯としては高視聴率を獲得。
1983年からは『家政婦は見た!』に主演し、
四半世紀以上に渡って演じ続ける当たり役に。
シリーズは好評で高視聴率を獲得し、
土曜ワイド劇場を代表する作品となりました。
1990年、
映画『黒い雨』の演技により第13回日本アカデミー賞の最優秀助演女優賞を受賞。
2012年、S状結腸腫瘍手術のため、
翌2013年1月に公開予定だった映画『東京家族』をクランクイン前に降板。
代役は吉行和子。
2014年4月には53年間連れ添った夫の塩見哲と死別。
2017年1月13日、
自己免疫性脊髄炎の加療のため休業を発表。
6月27日に翌年のNHK大河ドラマ『西郷どん』のナレーションでの復帰が発表されましたが、
11月22日、
体調が優れないことを考慮して降板し西田敏行に変 変更。
その後、
2018年3月21日放送の『おやすみ日本 眠いいね!』(NHK) で1年5ヶ月ぶりに仕事復帰(3月12日収録)。
2018年12月下旬に盲腸のため入院。
手術は行わず投薬治療開始。
一時復調し正月を自宅で過ごすも再び体調を崩し1月5日から再び入院。
一週間後の1月12日13時31分、
心不全のため、東京都の病院で死去。
82歳。
(市原悦子)
青山京子さん
(1935年11月23日-2020年1月12日)
1950年代から1960年代にかけて活動していた女優。
東京府東京市世田谷区(現東京都世田谷区)出身。
夫は俳優・歌手の小林旭。
香蘭女学校中等科卒業後、
玉川聖学院高等部在学中の1952年に、
東宝の丸山誠治監督作品『思春期』に登場する女子高校生役のオーディションを受け、
2000人の中から合格し、
本名名義でデビュー。
映画公開後に青山京子と改名。
同年に退学処分となったために、
文化学院へ転校して卒業。
東宝の5期ニューフェイスとして演技の勉強を続け、
1953年以降50本余の東宝作品に出演。
中でも1954年の『潮騒』は相手役の久保明とのコンビで、
女優として大きく躍進する作品となりました。
1958年にフリーとなり、
松竹の『江戸遊民伝』など時代劇女優で脚光を浴び、
1960年だけで18本の映画に出演。
1967年、小林旭と結婚し引退。
その後亡くなるまで芸能界に復帰することは全くありませんでした。
2020年1月12日、
肺がんにより東京都内の病院で死去。
84歳没。
(青山京子)
深作欣二さん
(1930年7月3日-2003年1月12日)
映画監督・脚本家。
愛称はサクさん。
茨城県緑岡村出身。
6人兄弟姉妹の次男(第5子)として生誕。
茨城大学教育学部附属中学校、水戸第一高等学校、日本大学芸術学部卒業。
1953年(昭和28年)に東映へ入社。
1961年(昭和36年)、
千葉真一の初主演作品となる『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』で監督デビュー。
千葉とはこののち17作品でコンビを組み、ヒットを連発。
日米合作映画『トラ・トラ・トラ!』の日本側監督を黒澤明が降板したため、
後任となった舛田利雄から懇願され共同監督を引き受けたりしていましたが、
当時の深作は創りたい映画を東映になかなか認めてもらえず、
東映に籍を置きながらにんじんプロダクションの國光影業の共作映画『カミカゼ野郎 真昼の決斗』を監督。
1973年(昭和48年)から公開された『仁義なき戦いシリーズ』は邦画史に残るヒットを記録。
映画『柳生一族の陰謀』『復活の日』『魔界転生』『蒲田行進曲』『里見八犬伝』『忠臣蔵外伝 四谷怪談』『バトル・ロワイアル』など、
発表した一部の映画がヒット・話題作に。
テレビドラマでは『キイハンター』のほか、
『傷だらけの天使』、『必殺シリーズ』、『影の軍団II』などを演出。
92年の『いつかギラギラする日』では、
大量の車、火薬、銃弾を消費したため、
当初予算の3億円が11億円にまで膨張。
1997年(平成9年)、紫綬褒章受章。
2002年(平成14年)には
カプコンのプレイステーション2用ゲームソフト『クロックタワー3』のイベントCGムービーの監督を務め、
これが撮影終了まで関わった最後の作品となりました。
2002年9月25日、
前立腺ガンの脊椎転移を公表、
『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』の製作を発表。
12月16日からクランクインするも、
21日にがんの骨転移の痛みから、
放射線治療のため予定より2日早く入院。
23日に定期の放射線治療、
29日に体力の低下による風邪から肺炎を併発、
31日に自力呼吸が困難になり、
人工呼吸器を装着し、一時危篤状態に。
2003年1月初頭、小康状態に回復。
5日に同作のプロデューサーで長男・深作健太が監督を代行することに。
7日、
配給を担っている東映が会見を開き、
健太と岡田茂が出席し、「翌月早々に復帰」と説明されましたが、
4日後の11日夕方には容態が悪化。
妻・中原早苗と健太、菅原文太、
健太から連絡を貰った渡瀬恒彦や藤原竜也が、
臨終に立ち会いました。
12日の午前1時、死去。
72歳没。
(深作欣二)
天使の歌声を持つミニー・リパートンの「ラヴィング・ユー」です。31歳の死は、悲しいですね😢
https://youtu.be/9I3UTG1dSTc?si=nN_2pKjD-HNZtt-B
昭和48年にキーハンターが終了して、翌年49〜50年にこんな番組があったとは知りませんでした。
下の段に写っている谷隼人と松岡きっこは後に結婚しましたね。
その後はほとんど見る事がありませんでしたが、数年前からBSテレビの通信販売番組のサクラを夫婦で出演しているのを見てビックリしました。
最近、テレビの通販番組で昔とても売れっ子だったタレントがサクラとして出ているのを見ると何だか複雑な気持ちになります。
好きなTVドラマ。
[プロハンター]。
草刈正雄、藤竜也、柴田恭兵、名取裕子、小川真由美、水上功治、宍戸錠、小林稔侍、榎木兵衛、等出演。
1981年4月〜9月まで日本テレビで21:00から全25話で放送されたアクションドラマ。
横浜を舞台に警察も手を出せない難事件に2人の探偵コンビが挑みます。
草刈正雄、藤竜也の共演は後にも先にもこのドラマだけだったのでかなり珍しい組み合わせです。
藤竜也、柴田恭兵は先に投稿したドラマ[大追跡]でも一緒に出ていました。
やはり刑事、探偵ドラマの舞台は横浜が似合いますね。
好きな俳優の3人が出ている良いドラマでした。
バブルよもう一度!
W浅野

男女7人の不死身の貞。

不幸な役が似合うイメージでした。

お土産はペナント

■1948年の1/13日この日、
映画監督 相米慎二生まれる。
助監督を経て、薬師丸ひろ子主演の
「翔んだカップル」(80)で監督デビュー。
演技の説明をせず、役者自身に芝居を考えさせて、監督が納得するまで何回でも繰り返し演じさせることで有名。
あまりもの厳しさに撮影現場で多くの女優が泣いたが、彼の作品への出演を機にアイドルから女優に進化したケース多し。

風吹ジュンさんが宣伝していたんですね。スタイルがいいです。

田の中勇さん
(1932年7月19日-2010年1月13日)
男性声優。
身長163cm。
東京都台東区出身。
三男坊として誕生。
慶應義塾高等学校時代の同級生に日下武史、小林亜星がおり、
コーラス部で一緒に歌っていたといいます。
同高校を出てすぐの1951年、
新聞広告に出ていた国際総合芸術研究所のラジオ科に通いはじめます。
そこの面子で劇団を結成し、
宮澤賢治の『カイロ団長』を初めとして公演を行いますが、
マネージャーに金を持ち逃げされ、
劇団員のつてで劇団東芸に入ることに。
研究生仲間に富田耕生。
東芸入団後、
『青いりんご』『警察日記』と、立て続けに舞台に立ち、
劇団の先輩だった森山周一郎、大塚周夫らが、
ラジオ、テレビの放送に出演していたことから、
研究生だった田の中らにもしばしば出演の機会が与えられます。
その時、ラジオの仕事をして、
ラジオドラマに出演。
1955年頃、
桜井センリに習っていた事があり、
桑原たけしと一緒に習っていました。
テアトル・エコー在団中の頃に、
TBS劇団の試験に合格し、
講習を受けていた時期がありましたが、
結局、入団せず。
25、26歳で声優としての活動を始め、
アテレコでのデビューは『ライフルマン』。
2010年1月13日、
心筋梗塞のため東京都世田谷区の自宅で亡くなっているのを家族によって発見。
満77歳没。
(田の中勇)
志賀勝さん
(1942年1月13日-2020年4月3日)
俳優・歌手・タレント。
身長162cm。
京都府京都市出身。
父親は東映時代劇で活躍した加賀邦男。
兄は俳優・亀山達也。
平安高等学校卒業。
1960年に東映京都に入社。
東映京都撮影所の大部屋俳優出身であり、
下積み時代は時代劇やヤクザ映画の斬られ役などが主でした。
後にピラニア軍団として売り出す室田日出男・川谷拓三・岩尾正隆らと『仁義なき戦い』シリーズに出演。
ピラニア軍団の創立メンバーとしても知られ、
1970年代後半からはピラニア軍団の一員として映画出演のほか、
テレビ番組『欽ちゃんのドンとやってみよう!』にレギュラー出演し、
凶悪なイメージを逆手に取ったコミカルな個性で広く知られるように。
1980年のテレビドラマ『大激闘マッドポリス'80』と『特命刑事』では、刑事役でレギュラー出演。
以降もバラエティ番組・テレビドラマ・CMなどに出演する一方、
歌手活動も展開しており、
シングルEP『情』や『女』などを発表。
2020年4月3日午後8時14分、
拡張型心筋症のため京都市の病院で死去。
78歳没。
(志賀勝)

中学、高校時代に流行りました❗

昭和の伝説「渋谷のロープウェイ」
2021年、横浜で開業したYOKOHAMA AIR CABINは珍しい都市型ロープウェイとして注目を浴びています。その構想は1989年(平成元年)に開催された横浜博覧会で運行されていた横浜そごうの2階から会場までを結んだロープウェイ。子供の頃、横浜博覧会に行った際に乗りましたが街と海の上を飛んでいる様な不思議な感覚に感動しました。
そして本題ですが、なんと東京渋谷にも都市型ロープウェイは存在したのです!
…と、言っても昭和好きの皆様には説明不用なくらい有名ですね(笑)
昭和26年(1951年)に開業した東横百貨店の屋上遊園地と玉電ビルの屋上までの75mを結んだロープウェイ、空中電車ひばり号。実際に見た事がある人が言うにまだ緑じゃなくて茶色の頃の山手線の窓から見えたそうです。
残念ながら玉電ビル改装の為、わずか2年で営業終了しました。
なんて夢のある…と思いましたがレプリカを見て驚いたのですが結構、ちっちゃい。風が吹くとかなり揺れたとも聞きます。
…やっぱ乗りたくない。
夏木陽介さん
(1936年2月27日-2018年1月14日)
俳優、ラリードライバー。
身長175cm。
東京府八王子市出身。
桜美林高等学校を卒業。
1954年、明治大学経営学部に入学。
同級生だったホキ徳田の祖母の家に
画家の中原淳一が寄宿していたことが縁で
中原が編集者を務めていたひまわり社を見学した際、
中原が発行する雑誌「ジュニアそれいゆ」のモデルにスカウトされ、
1958年、大学卒業と同時に東宝へ入社。
数日後には『美女と液体人間』で映画デビュー。
同期には桐野洋雄や小川安三。
当初、
会社からは佐藤允・夏木・瀬木俊一の3人組で「スリーガイズ」と売り出されましたが、
瀬木が引退したために自然消滅。
同年、
石原慎太郎が監督した『若い獣』に出演。
続いて熊谷久虎監督の最後の作品となった『密告者は誰だ』で早くも主演を飾り、
『狐と狸』で新人賞を得ます。
『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』で役者としての気持ちが固まった後は、
黒澤明監督の『用心棒』や稲垣浩監督の『野盗風の中を走る』などの作品で順調に出演を重ねていきます。
特に東宝の助監督が一本立ちして監督となる出世作のほとんどに主役として出演。
爽やかさと野性味を兼ね備えた二枚目として、
現代アクション、戦争映画、時代劇、怪獣映画、青春映画、サラリーマン物、文芸映画、コメディと
東宝がカバーする多彩な領域にくまなく対応。
1964年頃より、
徐々に俳優業への情熱が冷めてきて、
房総半島に作るレジャーランド計画(行川アイランド)に幹部待遇で迎えられ参画するなど、
ビジネスへと関心が傾いてゆき、
1968年、個人事務所を設立。
そんな折にテレビ映画の出演が持ちかけられ、
ビジネス優先を考え固辞していましたが、
東宝の助監督であった松森健がこの作品で監督デビューすることなど、
親しいスタッフの三顧の礼もあり、出演を引き受けます。
それが1965年に放送開始された日本テレビの日曜20時枠青春ドラマシリーズの第1作となった『青春とはなんだ』の主演教師・野々村健介役。
後に様々なバリエーションで作られる学園ドラマの魁となったこの作品は高視聴率を誇り、
一気にお茶の間での知名度を上げることに。
翌1966年にはこれに肖って作られた主演映画『これが青春だ!』も大ヒット。
また1967年に主演した木下恵介監督の映画『なつかしき笛や太鼓』でも同じく教師役を演じています。
1968年から1970年まで、
竜雷太と共に刑事ドラマ『東京バイパス指令』に主演、
1972年にはNHKで『明智探偵事務所』に主演するなど、意欲的な活動を展開。
1973年、
東宝の先輩でもあった三船敏郎より「力を貸して欲しい、俳優が必要なんだ」との誘いを受け、
竜雷太と共に「三船プロダクション」に移り、
テレビドラマに活躍の場を移し、
『荒野の用心棒』、『Gメン'75』、『江戸の激斗』などの人気ドラマに出演し、
引き続きお茶の間で親しまれる存在に。
映画でも
『ゴジラ』(1984年版)や『海へ 〜See you〜』などの話題作に出演。
1982年に「三船プロダクション」を退社後は個人事務所で活動し、
1988年に「株式会社夏木プロダクション」社名を変更。
自身の活動の傍ら、
芸能プロダクションの社長を務めました。
その後はラリー参戦のため、
俳優としての仕事のオファーを断ることが多かったそうです。
自動車好きとして有名で、
日本でも石原裕次郎、力道山、夏木の3人だけと言われたメルセデス・ベンツ・300SLを所有するなど免許を取得してから
当時の高級車・スーパーカーを中心に数百台は乗り換え、
その後は
ジャガー・SS100、ジャガー・Eタイプ2台、レクサス・SC430、ローバー・ミニなどを自身の愛車とし、
ラリードライバーとしても活躍しており、
1985年・1986年にドライバーとしてダカール・ラリーに出場。
その後1987年から1993年までは「チーム三菱・シチズン夏木」の監督として篠塚建次郎・増岡浩らを出場。
自動車好きという事もありトヨタ・チェイサー2代目GX61系後期型テレビCM、三菱パジェロのテレビcmに出演。
2009年7月、軽度の脳梗塞が見つかり、
約1週間の入院治療を受けます。
また2010年3月には、
1984年頃から患っていた胆石の経過観察のため検査を受けたところ、
左腎臓に腎臓癌が見つかり、
5月14日に摘出手術を受けています。
2014年、
自身の高齢を理由として夏木プロダクションを営業終了・解散。
2015年には再び自身の個人事務所を作って活動。
2018年1月14日午前10時46分、
腎細胞癌のため、東京都内の病院で死去。
81歳。
(夏木陽介)
深江章喜さん
(1928年1月14日-2015年11月1日)
俳優。
東京府(現・東京都)出身。
俳優の深江卓次は息子。
戦時中は海軍特別年少兵として空母信濃に乗り込み、九死に一生を得ました。
舞台活動を経て、
1954年、
映画製作を再開して間もない日活に入社。
当初は端役が多かったですが、
アクション映画の台頭と共に頭角を表し、
小林旭の『渡り鳥』シリーズをはじめ数々の作品でギャングなどの悪役を演じました。
1971年に日活を退社し、
東映を中心に各社の映画に出演する一方、
テレビドラマにも本格的に進出。
日活映画での凄味のある悪役とは対照的に、
子供向けドラマなどではコミカルな役も演じて持ち味を発揮。
2015年11月1日都内の病院で心不全のため死去。
87歳没。
(深江章喜)
『どうなってんだ⁉️』シリーズ
怪しい…
秘密結社かな?
ついに、念願であった、
長渕剛 兄貴も使っている
Gibson J45を花の都
大東京でGet しました‼️
Takamine 同様に
弾いて、弾いて、
弾きまくります!
1977年東宝チャンピオンまつり
のパンフレット📕
🎦キングコング対ゴジラ
🎦巨人軍物語 進め!栄光へ
🎦まんが日本昔ばなし
🎦円盤戦争バンギット
🎦ヤッターマン
の豪華5本立て
当時中学3年生でしたが劇場に行き
ちびっ子に混じって観ていました。

一曲100円だったと思う、サテンで聞いていたよ

1970年代中半過ぎ頃,171cm52gガリガリで筋肉を付けようと雑誌の通販で買った⭐ブルーワーカー⭐2ヶ月過ぎた頃,バネが伸びたか?抵抗が少なく成りました,体系はガリガリのままでした。

神山繁さん
(1929年1月16日-2017年1月3日)
俳優。
身長175cm。
広島県呉市出身。 
旧制麻布中学校卒業後、
1945年4月10日(火曜日)海軍経理学校第38期に入学、
戦後山王ホテル勤務、進駐軍の通訳などを経て、
1952年に文学座に演出部研究生として入座。
後に俳優に転じます。
1956年、文野と結婚。
1963年、
芥川比呂志、小池朝雄、高木均、仲谷昇、岸田今日子らとともに同座を脱退し、
劇作家・福田恆存を代表とする現代演劇協会の設立に参加、
劇団雲を結成。
『夏の夜の夢』『リア王』『コリオレイナス』『テムペスト』などのシェイクスピア劇や、
遠藤周作の『黄金の国』『罪と罰』『スカパンの悪だくみ』などの舞台で活躍。
1975年、
芥川と福田との対立が決定的になると、
芥川と行動を共にし、
雲(現代演劇協会)を脱退して演劇集団 円の結成に参加。
円では、『ペリクリーズ』『から騒ぎ』などに出演し、
『ママに捧げる鎮魂歌』『山の巨人たち』『ほんとうのハウンド警部』では演出を務めました。
1987年、文野と死別。
以後はしばらく仕事からも離れていましたが、
1990年に仕事で訪れていた京都で一般人女性と知り合い、
これを契機に京都へ移住。
1992年にこの女性と再婚し、
逝去まで連れ添いました。
1991年に演劇集団 円を退団。
舞台の傍ら、冷徹な悪役や知的な役柄をこなし、
市川崑、岡本喜八、森谷司郎、山本薩夫など、
非日常性の強い娯楽作品を得意とする監督らに好んで起用されていました。
高倉健、宇津井健、いかりや長介、仲代達矢、児玉清、木村拓哉との共演が多数。
中でも、
いかりや長介とは『独眼竜政宗』での共演以来、
プライベートでも親交が深かったそうです。
テレビドラマでは『ザ・ガードマン』での役柄が当たり役となったほか、
サントリーのCMでも馴染みの顔となりました。
2016年1月に肺炎と診断され療養していましたが、
妻に看取られながら、
2017年1月3日に京都の自宅で死去。
87歳没。
(神山繁)
高橋元太郎さん
(1941年1月15日-)
俳優、歌手、陶芸家。
身長161cm。
東京都出身。
小学校在学中に上高田少年合唱団に参加。
私立育英学院育英中学校を経て、
東京都立松原高等学校を卒業し、
証券会社に就職するも、約1年で退社。
ジャズ喫茶「銀座テネシー」のオーディションで合格しウエスタンバンド「ワゴンスターズ」の専属。
その後、
「スリーファンキーズ」のメンバーとして
1962年1月に東芝レコードよりアルバム『スリー・ファンキーズ・ヒット・パレード』でレコードデビュー。
同年5月に1stシングル『でさのよツイスト』が発売。
同年6月、
スリーファンキーズを脱退し、ソロ歌手として独立。
ソロ活動では、
テレビアニメ『マッハGoGoGo』の主題歌のカバー(コロムビア・カヴァーヴァージョン)や
特撮ドラマ『兄弟拳バイクロッサー』の主題歌、
大阪近鉄バファローズの球団公式ソング「近鉄バファローズの歌」「炎(も)えろ!近鉄バファローズ」なども歌っています。
俳優・歌手以外では、講演会講師としても活動中。
趣味は陶芸で1995年から備前焼作陶を本格的に始め、
2001年より定期的にデパートや百貨店などで陶芸個展も開催。
独立後、
1965年4月から1967年3月までNHK『おかあさんといっしょ』に出演。
ナショナル劇場(TBS / C.A.L)には、
まず1970年3月16日から9月21日までで放送された『大岡越前』(第1部)に岡っ引き・すっとびの辰三役で出演。
以後、
全シリーズ(第15部と最終回スペシャル)を通してレギュラー出演。
翌週の9月28日から始まった『水戸黄門』(第2部)にもうっかり八兵衛役でレギュラー出演し、
これにより名が知られることに。
「食いしん坊でひょうきんなキャラクター」が人気を集め、
以後、2000年の第28部まで30年間、
ほとんど休まずに出演。
なお、
出演回数は歴代レギュラー出演者では第1位の871回。
八兵衛・辰三とも、
初登場から放送終了まで一貫して演じ通しました。
(高橋元太郎)
大島渚さん
(1932年3月31日-2013年1月15日)
映画監督、脚本家、演出家、著述家。
フィクションだけでなくドキュメンタリーも制作。
妹の大島瑛子は女優・プロデューサーで大島プロダクションの代表を務めました。
美術監督の戸田重昌は瑛子の夫で義弟。
妻は女優の小山明子、
長男の大島武は東京工芸大学芸術学部教授、
次男の大島新はドキュメンタリー作品監督。
[主な作品]
『青春残酷物語』
『日本の夜と霧』
『儀式』
『愛のコリーダ』
『愛の亡霊』
『戦場のメリークリスマス』
『御法度』
(大島渚)
三谷昇さん
(1932年4月9日-2023年1月15日)
俳優・声優、芸術家。
広島県福山市出身。
広島県立福山葦陽高等学校卒業。
特技は広島弁。
高校時代から演劇活動を開始。
1951年に高校を卒業後、
画家を志望して東京藝術大学を受験するも失敗。
郷里に帰るのが嫌で文学座に裏方として入団。
4年後、役者へと転身。
絵心は晩年まで持ち続け、
舞台でピエロを演じた経験から「役者は道化」と思い定め、
ピエロを描いた「道化石」を共演者らに送ったり、
新美南吉の童話『いつのことだかどこのことだか』を紙芝居化したり、
公演先でスケッチしたりしており、
没後には遺作展も開かれました。
29歳の時に自動車事故で片目を失明。
1963年、
芥川比呂志らと文学座を退団し、
劇団雲の旗揚げに参加。
1970年、
黒澤明監督の映画『どですかでん』で浮浪者の父親役に起用され、
映画やテレビドラマからの出演オファーが増加。
1975年、
演劇集団 円に設立メンバーの一人として参加。
別役実作や、蜷川幸雄演出の舞台作品に数多く出演。
気の弱い男性役や不当に虐げられる役、詐欺師、道化などの役を幅広く担当。
特異な風貌から悪役も数多く演じており、
男性でありながら妖婆役を演じることも。
深作欣二監督に重用され、
伊丹十三作品には常連出演。
2008年に演劇集団 円を退団後も、
フリーとして舞台を中心に精力的な活動を続けました。
2015年、
第50回紀伊國屋演劇賞・50回記念特別賞にて男優賞を受賞。
2023年1月15日、
慢性心不全急性増悪のため死去。
90歳没。
(三谷昇)
外国人初の優勝力士です。
高見山大五郎関です。
旭国関をやぶっての優勝でした。
夢一族 ザ・らいばる(1979)
監督:久世光彦
出演:郷ひろみ、森繁久彌、岸本加代子、内田裕也、結城しのぶ、伊東四朗、成田三樹夫、亜湖、叶和貴子、三谷昇、由利徹、志賀勝、小林亜星ほか
公開当時、テレビの「ムー」・「ムー一族」の映画版だと思ってました。
「ムー一族の」完成披露パーティーで樹木希林が監督の久世さんの浮気、愛人(ムー一族出演者)、その愛人の妊娠を告発したおかげで久世さんはTBSを辞めることに。
当時、久世さんの浮気は実はみんな知っていることだっただけに、樹木希林は当時ドラマ関係者(スタッフ・キャスト)から総スカンを食らい嫌われていた。
そういう事もあって、周りは久世さんに同情的ですぐにでも復帰させようと虎視眈々としていた。
で、久世さんが辞めた同じ年の年末にこの映画で復帰したわけですよ。
映画には久世ファミリーがこぞって出演しております。
で、樹木希林の代わりに内田裕也が良い役で出ていますw
休眠口座ってあるじゃないですか?
多額の貯金があるにも関わらず、使われていないと言う事で銀行が新聞に口座名義人と一緒に広告を出したわけです。
で、火事で一家死亡、その際死体が見つからなかった当時4歳の子供が休眠口座の持ち主だった。
その行方不明だった子供が大きくなりましたよ!っていう体で主人公の郷ひろみが成りすまして金をせしめようとするも、住民票やらが必要と言われる。
で、住民票を取りに行ったら、その火事で孫が亡くなった!という体で金をせしめようとしていた老詐欺師(森繁久彌)と出会っちゃう。
そんな二人の疑似家族的映画なのです。
この映画大コケしてしまったのですが、テレビの「ムー一族」見てる人なら面白くないと思うでしょうね。
郷ひろみのキャラがヤケに悪っぽくて暗い。
郷ひろみ自身とは真逆なのだ。
彼のファンは戸惑うでしょうね。
この映画、「トラック野郎」の最後の作品との併映でした。
ぼくも最後と言う事で「トラック野郎」目当てで浅草東映に見に行ったと思います。
で、こちらの映画の記憶は最初内田裕也はたしか役所の受付の男で出てたんですが、途中で伊東四朗と組んで森繁&郷を脅そうとしてる悪い奴らになってた!?
そこら辺が何故だったか抜けてますね💦
あと成田三樹夫の坊さん役とストリップ劇場の踊り子の美しさに唖然!!
それと森繁さんお約束の岸本加代子の胸モミモミ。
キョーレツだったのが郷さんが森繁さんの顔面を両手で挟んで罵倒するシーンね!
あぁ、あと大地震と郷さんが森繁さんを助けてたか。。。
ラストはどんなだったか覚えてません。
機会があったら再見してもいいかな?
あ、でもこの映画見るならテレビ版を「ムー」から見た方が絶対面白いとおもうなぁwww
山本昌平さん
(1938年1月17日-2019年10月30日)
俳優、声優、ナレーター。
身長168cm、体重76kg。
台湾の澎湖島生まれ、熊本県育ち。
東京都立江戸川高等学校卒業。
学生時代、
走高跳で九州大会第2位となった実績を持ちます。
1957年に劇団七曜会の研究生。
その後、
劇団三期会演出部を経て、
浅草フランス座のコメディアンとして3年間活動後、
1963年にフリー。
フリーとなって以降は
『荒野のダッチワイフ』(1967年)などのピンク映画を中心に活動するも、
一時俳優を廃業。
芸能活動を休止していた時期は船員。
その当時、
内外タイムスの当時の編集長から
映画『暴力街』の製作元である東映から山本の捜索願が出ていることを聞き、
『暴力街』の監督である五社英雄と面会して出演が決定。
1974年の映画『暴力街』で復帰後は、
『女必殺拳』(1974年)、『ルバング島の奇跡 陸軍中野学校』(1974年)などで悪役として活動する一方、
『太陽にほえろ!』『大江戸捜査網』などのテレビドラマでも悪役を多数演じました。
特撮テレビドラマ『プロレスの星 アステカイザー』(1976年)、『スターウルフ』(1978年)、『電撃戦隊チェンジマン』(1985年)に悪役でレギュラー出演。
1983年、
同じ悪役俳優の八名信夫の呼びかけで、
悪役スターらによるグループ「悪役商会」の結成に参加。
バラエティ番組にも活動の場を広げ、
『笑っていいとも!』には1年間レギュラー出演。
その後も
『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』や『コメディーお江戸でござる』にゲスト出演。
『ダウンタウンのごっつええ感じ』では川谷拓三と一緒にショートコントにも出演。
また、
警視庁が総会屋対策として一般企業向けに制作した
暴力団対策法の解説ビデオにも暴力団幹部役で出演。
長きに渡って悪役を演じ続けた自身の想いや経験をもとに、
暴力追放をテーマにした講演活動も行っていました。
近年は老人ホームなどの福祉施設をボランティアで訪問し、
子供の頃からの特技であるハーモニカ演奏を披露。
2019年10月30日、
肺炎のため東京都内の病院で死去。
81歳没。
郷里大輔さん
(1952年2月8日-2010年1月17日)
声優、ナレーター、俳優。
身長176cm。
東京都江東区出身。
東京都立化学工業高等学校、
テレビタレントセンター東京校卒業。
デビュー後しばらくは、
アルバイトを掛け持ちしながら活動。
アニメのデビュー作は、
1973年に放送された『キューティーハニー』でのナレーション。
1979年、
『機動戦士ガンダム』にてドズル・ザビを演じ、
以降は本人いわく「ケダモノ役」が専門に。
デビュー当初から吹き替えが中心でしたが、
青二プロへの移籍後は初めてナレーションを務めました。
また、
着ぐるみをかぶってのテレビ出演、歌の披露などを経験することが多数。
2008年、
俳優として山田洋次監督作品『母べえ』に出演。
2010年1月17日午後3時頃、
東京都中野区本町の路上で、
腕や手首などから血を流し倒れているところを通行人に発見され、死亡が確認。
自殺による失血死とみられています。
57歳没。
加藤精三さん
(1927年2月14日-2014年1月17日)
声優、俳優。
身長175cm。
東京府東京市麻布区(現:東京都港区麻布)出身。
東京俳優生活協同組合に所属。
戦時中は、
海軍飛行予科練習生で飛行機乗りを目指していた少年兵。
青山学院(現青山学院大学)建築学科卒業後は証券会社に勤務。
しかし役者の夢が捨てがたく、
退社して俳優になり、
1956年、劇団日芸を結成。
1968年に東京俳優生活協同組合へ移籍。
1958年に吹き替えで声優としての活動を始め、
1960年の『探偵マイケル』が吹き替えでの初レギュラー。
1963年から声優業が活動の中心に。
『ぼくらの社会科ノート』の出演がきっかけとなり、
同番組の撮影が行われていた銚子市にて毎年語りの公演を行っていました。
晩年は東京都板橋区の病院で静養していましたが、
2014年1月17日午前11時40分、
膀胱癌のため死去。
86歳没。
村田英雄さん
(公称1929年1月17日-2002年6月13日)
演歌歌手、俳優。
身長160cm。
佐賀県東松浦郡相知町(現・唐津市)出身。
出生は福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)。
愛称は、ムッチー。 
浪曲で鍛え上げた歌声と男らしい風貌、
世界観を持ち味に、
戦後歌謡界の黄金期をリードした演歌界を
代表する歌手の一人。
井沢八郎さん
(1937年3月18日-2007年1月17日)
演歌歌手。
青森県弘前市出身。
女優の工藤夕貴と元俳優でクラブDJの工藤正貴は実子。
2番目の妻は声優の青羽美代子。
青森県弘前市のひとかどの名家に出生、
中学生の頃から歌唱力は評判でした。
中学卒業後、歌手を目指して上京。
1963年に「男船」(作詞・松井由利夫、作曲・大沢浄二)で東芝音楽工業よりレコードデビューを果たし、
同曲は30万枚を売り上げました。
デビュー第三弾の「あゝ上野駅」は井沢八郎の代表曲であると同時に、
高度経済成長期の日本の世相を反映する代表曲に。
同曲は2003年、
JR上野駅広小路口前にて、
ファイティング原田や集団就職で上京した中小企業経営者らによる有志団体により、歌碑が竣工。
また2013年7月からは、
JR上野駅16・17番線(上野駅始発の常磐線特急ホーム)発車メロディーに同曲が採用。 
他にも「男傘」「北海の満月」などのヒット曲が。
作曲家・大沢浄二が恩師。
伸びやかでボリュームのあるハイトーンを特徴とする美声で、
晩年はショーやテレビ番組などで活躍。
私生活では料亭経営者の令嬢と結婚、
長年連れ添い一男一女(夕貴・正貴)を授かりました。
世田谷の邸宅にて暮らし、
自宅は度々テレビ番組にて披露され、
周囲から羨望の目を集めましたが、
家を空けることが多く、
帰宅しても酒を呑むと豹変し、
夕貴らに激しく絡んでいました。
1980年、
妻との関係が悪化し、妻を自宅から追い出しました。
1983年に交通違反の不出頭、
1985年にデートクラブで16歳の女性を買春しての淫行といった不祥事を起こし、
さらに隠し子の存在が明らかに。
これらのスキャンダルのため、
一時、芸能活動ができなくなった上、
婚姻関係が1989年に破綻。
その後交際をしていた青羽美代子と1994年再婚し、亡くなるまで連れ添いました。
2005年秋頃、
体調不良を訴え検査の結果食道癌が見つかり手術を受けるも、
翌年5月には癌がリンパ節に転移。
同年秋に再入院し、治療に努めました。
2007年1月17日午後11時18分、
食道癌のため自身の転機の地でもある上野の永寿総合病院にて死去。
69歳没。
怪獣ブーム表紙をかざる
少年サンデー、マガジン、令和はグラビアアイドルが定番。1967年は水着のお姉さんはいません。ザンボラー先輩が表紙に。
ゴジラはおめでとうとばかりにシェ~!
第一次怪獣ブーム とは、テレビ番組『ウルトラQ』や『ウルトラマン』の影響で、巨大な「怪獣」が登場する特撮テレビ番組が相次いで制作され、児童を主体として爆発的に怪獣がブームとなった日本の社会現象。
期間としては1966年(昭和41年)から1968年(昭和43年)頃とされる。
ちょうど私が生まれた頃。「第一次怪獣ブーム」との呼称で文献に現れるのは、1979年(昭和54年)発行の『別冊てれびくん1・ウルトラマン』(小学館刊)、『空想特撮映像の素晴らしき世界・ウルトラマンPART2』(朝日ソノラマ刊)。
当時、両方買いましたね。
私は、新マンやミラーマン、シルバー仮面やアイアンキングがストライク。
遅れてきた児童は再放送でウルトラマン、セブンを見たクチです。
(昭和特撮遺産)
1969年東映まんがまつり
石ノ森章太郎原作の長編アニメ
空飛ぶゆうれい船
当時、小学二年生!
人間を溶かしてしまうボワジュース
、ロボットゴーレムが印象的でした。
当時のポスターとソノシートレコード
です。
美空ひばり塩酸事件
複雑ですね女性心理は

岩下志麻さん🥰1941年1月3日生まれ・・・超美人~超貫禄のある女優さんになられました😍✌

【ニッポン無責任時代】
いやぁ久し振りに観たけど、めちゃくちゃ面白かった!
植木等演じるお調子者のサラリーマン無責任男・平均(たいらひとし)が口八丁でスイスイ面白いように成り上がっていく姿を描いた大ヒットコメディー
知恵と度胸と図々しさで、サラリーマン社会をのし上がっていく様は、もう愉快痛快
やってることは詐欺やペテンの類いで、犯罪スレスレ、当然周りには反感を買うが、その超陽性キャラで、いつしか周りを幸せにするという展開に、拍手喝采してしまう
よく練られた二転三転する脚本も素晴らしい
どこか落語の【居残り佐平次】がモデルのようにも見える
彼こそ高度経済成長期の日本が生んだ、異色のスーパーヒーローだろう
大好きな八代亜紀さんが亡くなったので。
夜の歌謡シリーズ なみだ恋(1973)
監督:斎藤武市
出演:中島ゆたか、谷隼人、佐々木功、殿山泰司、須賀不二男、関山耕司、小林稔侍、八代亜紀
八代亜紀の「なみだ恋」をテーマにした映画です。
夜の歌謡シリーズの第十弾ですね。
監督が斎藤武市なのでシリーズの中でも良くできてる方かな。
今作で八代亜紀は「なみだ恋」を5、6回くらい歌ってるんじゃなかろうか。
八代亜紀好きにはたまりません。
ドラマパートは中島ゆたかが主演。
谷隼人との恋愛モノですが、このドラマパートでの見ものは
実は佐々木功(ささきいさお)なんです。すげえ悪をやってますが、かれの顔芸はかなり見ものですw
俳優さんは向いていなかったのかなぁw
よくミュージカルではなんとかなったものだと感心するほどのくっさい演技を見せてくれますw
笑うためにこの映画を取り上げたわけではないのですが、笑って八代さんを見送りするのも悪くはないでしょう。。。
八代亜紀さんのご冥福をお祈りいたしますm(__)m
のど自慢(1999)
監督:井筒和幸
出演:室井滋、尾藤イサオ、大友康平、伊藤歩、小林稔侍、松田美由紀、佐々木すみ江、りりぃ、北村和夫、光石研、山谷初男、近藤芳正、笹野高史、坂上香織、石丸謙二郎、木下ほうか、徳井優、菅原大吉、岸部一徳、田口浩正、金子辰雄、坂本冬美、大川栄策、桜金造、九十九一、古尾谷雅人、でんでん、由利徹、竹中直人ほか
ビッグ・ショー!ハワイに唄えば(1999)
監督:井筒和幸
出演:室井滋、尾藤イサオ、原田芳雄、都はるみ、加藤茶、竹内結子、大森南朋、山本太郎、菅原大吉、武田久美子、玉置宏、久米明ほか
「のど自慢」は群馬県の桐生市で行われるNHKののど自慢大会に参加する人々の群像劇。クライマックスののど自慢本番は歌を聴いてるだけなのに、泣けてきます。
「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」は「のど自慢」の続編です。
「のど自慢」に出ていた売れない演歌歌手、赤城麗子(室井滋)と、そのマネージャの須貝(尾藤イサオ)がハワイのインチキプロモーターのジョー坂上(加藤茶)の口八丁手八丁に乗せられて、女子プロレスとの抱き合わせ興行の営業でハワイにやってきました!というお話し。
実は同時期にハワイでは都はるみのコンサートツアーが行われていて、都はるみのマネージャーの田代(原田芳雄)の思惑で、赤城麗子は都はるみの前座を務めることとなる。しかし、赤城麗子は過去に都はるみの付き人をしていて二人には因縁があった。。。
尾藤イサオの役者としての素晴らしさは「のど自慢」でも垣間見れたが、今作でそれが間違いでなかったことが分かりますね。本当に良い役者です。
それと加藤茶のいい加減な存在!素晴らしすぎます!
たしか同時期に志村けんが「鉄道員」に出た影響もあるのかもしれません。
健さんを含め、みんな志村けんを絶賛するので、あえて言いますが、加藤茶の方が上です。
志村けんの場合は、本当は恥ずかしがり屋で舞台の上で全く自分とは違う人物を演じるのに長けてますが、加藤茶はそれが分かりません。この人天然なんじゃなかろうか?と不安にもなります。
とにかく加藤茶が素晴らしすぎでした。
尾藤イサオ&加藤茶の本来はミュージシャンである二人が生粋の役者さんたちを圧倒してるのが面白い!
ラストに赤城麗子が「大阪しぐれ」を歌います。
そういえば、さっき投稿した「熱海殺人事件」でも仲代さんがラストに歌ってたわ。関係ないけど名曲ですねん!
超おススメです(^^)/
熱海殺人事件(1986)
監督:高橋和男
出演:仲代達矢、風間杜夫、志穂美悦子、竹田高利、高橋かおり、岡本富士太、平泉成、三谷昇、石丸謙二郎、酒井敏也、益岡徹、野村昭子、隆大介、江藤潤、高橋悦史、大滝秀治ほか
つかこうへい原作の戯曲の映画化。
深作さんの「蒲田行進曲が」大ヒットしたおかげで、どう考えても二匹目のどじょうを狙った作品。
だけど大ヒットどころか大コケ。
この映画になって、ますます演者たちの大袈裟な演技が鼻に付きます。
特に風間杜夫。
舞台じゃないのにやたら大声で捲し立てるのは自分の芝居に自信がないからではなかろうか?とさえ思っちゃう。
なんか、話も今見るとかなりの人が抵抗を示すような内容だった記憶があります。
「ブスなのによく生きてるな」
「ブスは死んでもイイ。」
「ブスは殺されて当然。」
そんな言葉が仲代さんや大滝秀治に風間杜夫の口からポンポンでます。
なんか笑えない。。。
クライマックスになって急に風間杜夫がイイ子ちゃんになっちゃうんだけど、遅し!!
それと、後半に志穂美悦子と、「コント山口くんと竹田くん」の竹田が延々と10分以上もの間二人芝居をする場面が出てきます。
あまりにも唐突すぎるし、時間配分のバランス的にもおかしい。
そんな感じで最後まで笑えずの映画でございました💀
これはおススメできましぇんm(__)m
ビートたけしさん
(1947年1月18日-)
お笑い芸人。
身長168cm。
漫才師・俳優・映画脚本家・監督としても活動。
東京都足立区島根出身。
東京都立足立高等学校を卒業し、
明治大学工学部(現理工学部)機械工学科を除籍(のちに特別卒業認定)。
東京芸術大学大学院映像研究科特別教授(2005年 - 2008年)。
明石家さんま、タモリと共に、
日本の「お笑いBIG3」として知られます。
落語立川流Bコースの一員。
1980年代初頭に起こった漫才ブームで、
漫才コンビ・ツービートとして活躍。
社会風刺を題材としたシニカルな笑いで人気を獲得し、
テレビ番組『THE MANZAI』『オレたちひょうきん族』などに出演し、
それらも大ヒット。
1980年代後半からは俳優として映画やテレビドラマにも出演し、
1990年代からは映画の脚本家・監督としても活動。
1989年の『その男、凶暴につき』で映画脚本家・監督デビューし、
『ソナチネ』(1993年)では世界的に高い評価を得、
1997年の『HANA-BI』ではベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞。
2010年にフランス芸術文化勲章コマンドゥール、
2016年にレジオン・ドヌール勲章オフィシエ、
2018年に旭日小綬章を受章。

欽どこ懐かしい〜、良い子悪い子普通の子😄

女優・タレントの池上季実子さん👀⤴️
数多くのドラマや映画に出演されていますが、
男女7人夏物語やラジオびんびん物語などが印象に残っています☺️
1959年1月16日生まれ😋
お誕生日おめでとうございます🎂🍰🎉
宍戸錠さん
(1933年12月6日-2020年1月18日)
俳優・タレント・司会者。
身長174cm。
愛称は「エースのジョー」。
郷鍈治は実弟、
宍戸開は長男、
宍戸史絵(現・紫しえ)は長女、
ちあきなおみは義妹(実弟・郷鍈治の妻)。
大阪府桜宮(現在の大阪市都島区)出身。
宮城県白石高等学校卒業、日本大学藝術学部演劇科中退。
小学6年生の頃に東京大空襲で敷地に焼夷弾240発が落とされて自宅が全焼、
跡地はドサクサに紛れた何者かに居座られ、奪われてしまいます。
遠い親戚を頼り宮城県斎川村(現在の白石市)に疎開。
当地に父が家を建て、高校卒業まで当地で育ちます。
勉強もスポーツもよく出来、
高校ではバスケットボール部に所属。
1952年高校卒業後、
早稲田で演劇をやろうと試験を受けましたが落ち、日本大学藝術学部に進みました。
同期に
ケーシー高峰、砂塚秀夫、赤江瀑、嵐徳三郎ら。
大学へ入学するも、
2年のときに日活に合格したために中退。
1954年、
日活ニューフェイス(第1期生)として入社。
1955年、『警察日記』での若い巡査役で銀幕デビュー。
1956年にトレードマークとなる豊頬手術を受けました。
これを機に「アクの強い役=悪役」への転向。
1962年に一才歳上の女性と結婚、
3人の子供がいて、長男が宍戸開。
1966年、鈴木恂の設計で邸宅を建てました。
1992年、弟の郷鍈治が病死。
2001年、
豊頬の際に注入された異物(オルガノーゲン)を摘出手術で取り除きました。
映画や創生期のテレビドラマ『事件記者』などに出演。
タフでハードボイルドな役柄で小林旭らとともに名を知られ、
日活アクション映画の需要もあって、
「エースのジョー」と呼ばれて親しまれました。
映画の衰退と共にテレビへと活動の場を移し、
テレビドラマの他に『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』に出演したり
息子と『くいしん坊!万才』のレポーターを務めました。
2006年、
息苦しさを感じ、
心臓血管研究所付属病院での検査の結果、
虚血性心不全と診断されて即入院。
冠状動脈カテーテル・バルーン手術を受けました。
2010年4月16日、妻と死別。
2013年2月4日、
1966年に建築した自宅が全焼、
妻の死去後は独り暮らしで外出時の出火でした。
直後のホテル住まいを経て、
翌月からは賃貸マンションで暮らし、
2020年1月18日、
虚血性心疾患のため東京都内の自宅で死去。
86歳没。
新宿二丁目の老舗のちゃんぽん。
1990年代初頭に良くゲイバー、ゲイクラブに行っていたので帰りは友達と一緒にそこのちゃんぽんで食べていた。
その友達も日本人だけど英国領生まれでいつの間にか日本から居なくなっていった。風の便りでヨーロッパ在住だとか。また会いたい。
その頃の日本はまだLGBTQの法律がなかったので世界に散った仲間たちがいる。

ピラニア軍団

1977年のニュートラ。ニュートラ初期です。