Apex product 【 昭和の楽しい時代㊹ 】

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[浜田省吾]
1975年に[愛奴]というバンドでプロデビューして吉田拓郎のバックバンドをしていました。
1976年に(路地裏の少年)でソロデビューをして売れない期間を経験し、1979年にカップヌードルのCMソングに採用された(風を感じて)がスマッシュヒット。夜のヒットスタジオとかにTV出演するが合わないと感じ以降はラジオ番組以外はほとんど出る事はなくなりました。LIVEでファンを増やしていき1986年に出した2枚組の(J・BOY)で初のチャート1位になり人気を確実なものにしました。メディアには出ないでアルバム、LIVE等で大人気になった数少ないミュージシャンです。1992年にはドラマ[愛という名のもとに]の主題歌(悲しみは雪のように)が初のシングルで1位になりますが、ファンの自分からしたら何を今更感が強かったです。名曲は沢山あるし、LIVEも素晴らしいミュージシャンです。

♥️2023💃9/1 若山富三郎(62歳没)天国にて𝑯𝒂𝒑𝒑𝒚 𝒃𝒊𝒓𝒕𝒉𝒅𝒂𝒚🕺🖤

♥️2023💃9/1 花園ひろみ(83歳)𝑯𝒂𝒑𝒑𝒚 𝒃𝒊𝒓𝒕𝒉𝒅𝒂𝒚🕺🖤

♥️2023💃9/2 キアヌ・リーブス(59歳)𝑯𝒂𝒑𝒑𝒚 𝒃𝒊𝒓𝒕𝒉𝒅𝒂𝒚🕺🖤
ジョン・ウィック:コンセクエンス(ジョン・ウィック4)が9月22日いよいよ公開、絶対に見逃せない😎🖤
石井ふく子さん
(1926年9月1日-)
テレビプロデューサー、舞台演出家。
東京府東京市下谷区池の端(現・東京都台東区下谷池之端)出身。
元TBSテレビプロデューサー。
父は、
劇団新派の俳優伊志井寛(ただし、戸籍と血縁ともに関係がなし)。
母は分川本の君鶴と呼ばれた芸者で、
小唄の家元になった三升延。
文化学院に入学した後、
東京女子経済専門学校(または女子経済専門学校附属高等女学校)に転校し、
卒業後は新東宝の女優に。
女優業を辞めて
1950年に日本電建へ入社して宣伝部に務め、
1961年にTBSへ入社。
ほどなくして出会った
橋田壽賀子、平岩弓枝などの脚本家たちとタッグを組んで
TBSでドラマ制作に携わります。
以降プロデューサーとして、
『肝っ玉かあさん』『ありがとう』を筆頭に、
『女と味噌汁』「カミさんと私」「おんなの家」「ぼくの妹に」「はじめまして」「家族」「道」「愛」「心」「出逢い」
など、数々のホームドラマをヒットさせます。
数々のヒット作に携わったことから、
一部のメディアから
「作品選定の確かさと配役の妙を以て大ヒットドラマを生んだ」
と評されるように。
1974年にTBSを退社後、
「TBS専属のフリーランスプロデューサー」の立場でしたが、
2000年代以降は
「想いでかくれんぼ」(2000年)、
「夫婦」(2006年)、
「結婚」(2009年)など、
橋田壽賀子脚本・渡哲也主演のスペシャルドラマをテレビ朝日で手掛けています。
ただし現在(2022年)は
再びTBSと専属契約しており、名刺もTBSのものを携帯。
義父・伊志井寛の勧めで
1968年11月の新派公演「なつかしい顔」(新橋演舞場)から舞台の演出を手掛けるようになり、
以来足掛け40年に渡り386作品を演出。
近年は舞台作品の演出が活動の中心に。
伊志井寛との関係から劇団新派との関わりが深く、
京塚昌子を筆頭に新派出身の役者を多く自身のドラマや舞台に起用。
劇場は、
名鉄ホール・芸術座・新橋演舞場・明治座・帝国劇場・飛天・近鉄劇場・松竹座・博多座・御園座・中日劇場・日生劇場・ル テアトル銀座・大阪新歌舞伎座・京都南座・新宿コマ劇場・三越劇場などで
演出実績があります。
長年の活動により、
過去に3度ギネス世界記録に認定(1985年に「テレビ番組最多プロデュース」(1,007本)、2014年に87歳342日の「世界最高齢の現役テレビプロデューサー」、2015年に舞台初演作演出本数183作品)。
2014年4月より
淑徳大学人文学部表現学科客員教授に就任。
(石井ふく子)
角川春樹(角川映画)映画界席巻
75年出版社(角川書店)の2代目社長となった角川春樹が書籍の販売向上を目論見、翌76年映画界に進出。大々的なテレビCMなど広告、宣伝に力を注いだ。当時は異例で同氏は異端児的に見られたが結果は大成功となり次々とヒット映画を連発、後に映画のテレビCMは当たり前になり、薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子の三人娘を映画界からアイドルとして生み出すなど一躍時代の寵児的存在となった。
そんな角川も映画界進出から10年をすぎる頃から独自の上映劇場を持たない角川映画は既存の映画会社と配給、分配をめぐってのトラブル、カリスマ的であるがゆえ(?)の社内での対立、テレビ局の映画界参戦などで徐々に失速。(角川映画が第6の映画会社になることを危惧した既存の映画会社の妨害があったとも言われます。)
現実感からはかけ離れた内容の作品が多かった気もしますが角川映画は停滞していた当時の映画界にセンセーショナルを巻き起こし、映画界のみならず多方面にも多大な影響与える等大きな功績を残したと思います。

♥️2023💃9/3 チャーリー • シーン(58歳)𝑯𝒂𝒑𝒑𝒚 𝒃𝒊𝒓𝒕𝒉𝒅𝒂𝒚🕺🖤

こんな時代がありましたね🥰🐼❤️

楳図かずおさん
(1936年9月3日あるいは9月25日-)
漫画家・タレント・作詞家・作曲家。
和歌山県伊都郡高野町に生まれ、
奈良県五條市に育ちました。
1955年に貸本漫画家としてデビュー、
『週刊少年サンデー』などに作品を発表。
代表作に
『漂流教室』『まことちゃん』『わたしは真悟』など。
作品は
恐怖ものからSF、ギャグもの、時代劇まで、
少年もの、少女もの、青年ものを問わず幅広いですが、
一般にはホラー漫画の第一人者として知られます。
1995年以降、
腱鞘炎などといった理由で漫画は休筆中で、
現在はタレント活動を精力的に行っています。
東京都武蔵野市吉祥寺南町に住居兼オフィスを構えています。
(楳図かずお)
千葉市内に映画館が駅から歩ける部分に結構ありました。
京成ローザ
京成サンセット
千葉京成
京成ウエスト
千葉劇場
東宝
東映・東映パラス1、東映パラス2
シネロマン千葉(ポルノ映画)
全部行った事があります(笑)
当時は映画は1本だけではなく同時上映がありました。映画は上映途中から入れたし、途中で出る事もできました。入れ替え制もなく何回も見てる人が何人もいました。
同時上映は両方面白かった時もありましたし、両方微妙な場合もありましたが2本も見れてお得でした。
今はなくなりましたが様々なジャンルの映画を見れた事は映画大好きの自分からしたら感謝しています。今はDVDも出ない作品も数多くあるので。
同時上映も今復活してほしいと切に願います。

♥️2023💃9/4 荻野目慶子(59歳)𝑯𝒂𝒑𝒑𝒚 𝒃𝒊𝒓𝒕𝒉𝒅𝒂𝒚🕺🖤

小林薫さん
(1951年9月4日-)
俳優、馬主。
身長175cm。
京都府生まれ。
京都府立洛東高等学校を卒業。
1971年から1980年まで唐十郎が主宰する状況劇場に在籍。
退団の際、
その才能を惜しんだ唐が説得のために包丁持参で小林の住むアパートを訪れるも、
危機を感じた小林が先に逃げ出し説得は失敗、
そのままうやむやのうちに退団を認めたというエピソードが。
1984年に女優の中村久美と結婚するも、
1995年に離婚。
2009年12月に、女優・モデルの小梅と再婚し、
2010年に第1子となる男児が誕生。
2000年からは
『美の巨人たち』のナレーションを担当。
(小林薫)
グリーンの妖精
ローラーポー

地方出身者の安心の助。借金という行為をカジュアル化させた魔物ちゃん♥バブルは気のせい、BGMは夜霧のハウスマヌカン。

藤岡琢也さん
(1930年9月4日-2006年10月20日)
俳優、声優。
兵庫県姫路市出身。
身長165cm、体重71kg。
兵庫県立姫路西高等学校卒業、関西学院大学文学部中退。
姫路市にて会社員の父・憲一の第一子として誕生。
当時としては裕福な家庭に育ち、成績は優秀。
広島陸軍幼年学校在籍時に終戦を迎え、
その後、兵庫県立姫路西高等学校を卒業。
1949年、関西学院大学文学部に入学するも、
翌年に病気のため中退。
入院中にラジオ作家の堀江史朗の弟と知り合い、
退院後、芸能界入りのため堀江を頼って上京。
1957年に劇団「葦」へ入団。
当初は「平凡な顔立ち」という理由で、
外国ドラマ・アニメなどの声優としての活動をしていましたが、
1966年に『事件記者』に急逝した清村耕次の後任としてレギュラー出演し、
世間に広く知られました。
続いて『横堀川』での
主人公を慕い協力する寄席芸人・ガマ口役で
その演技力を認められ、第4回ギャラクシー賞を受賞。
映画ではお調子者の中間管理職や中小企業の社長役を演じました。
初の主演映画は1970年の『喜劇 頑張れ!日本男児』。
映画では、小狡い小悪党の役も巧くこなし、
単なる善良な父親だけではない幅広い役柄を演じました。
1969年から森繁久彌主演の映画『社長シリーズ』にも数本出演し、
1970年には明治座において森繁劇団10周年記念公演に出演。
1986年10月29日から、
TBS系で放送された森繁主演のテレビドラマシリーズである
『おやじのヒゲ』に10年にわたってレギュラーとして出演。
森繁からはプライベートでも実弟のように大変可愛がられていたといいます。
小林桂樹とも昔からの共演が縁でとても仲が良かったそうで、
晩年はツーカーの携帯電話のCMで一緒に共演。
テレビドラマでは、
大阪を舞台とした商人ものやホームドラマなどに数多く出演。
特にホームドラマでは、
小太り・黒縁の眼鏡・口ヒゲといった特徴的な風貌で登場し、
「家に帰ると背広から和服に着替えて一杯飲む」という、
昭和時代の典型的な日本の父親を務めて演じた点での功績が大きいです。
同系統の役柄を多く演じたのは1960年代には森繁が挙げられますが、
その後継者的位置を確立。
また、
演じる役柄によっては関西弁を強調した話し方もこなしました。
1975年、
橋田壽賀子脚本「愛ってなぁーに」の出演をきっかけに、
その後、多くの橋田作品に起用。
特に1990年よりスタートした『渡る世間は鬼ばかり』での
五人姉妹の父親である岡倉大吉役は
晩年の代表作と言われ、認知度も高いです。
1969年から2004年までの35年間、
サンヨー食品の「サッポロ一番みそラーメン」のCMに出演。
2006年2月21日、
肺炎のために『渡る世間は鬼ばかり』を降板。
同年10月20日午後3時18分、
慢性腎不全のため東京都新宿区の慶應義塾大学病院で死去。
76歳没。
「渡る世間は鬼ばかり」2005年3月放送の第7シリーズ最終話が遺作。
(藤岡琢也)
梶原一騎さん
(1936年9月4日-1987年1月21日)
漫画原作者、小説家、映画プロデューサー。
本名格闘技やスポーツを題材に、
男の闘う姿を豪快に、ときには繊細に描き出し、
話題作を次々と生み出しました。
自身の型破りで豪快な生き方や数々のスキャンダルでも話題を呼びました。
身長180cm、体重85kg。
空手五段、柔道二段。
1966年から『週刊少年マガジン』に連載された漫画『巨人の星』の原作者として名声を上げ、
以後『あしたのジョー』(高森朝雄名義)、
『タイガーマスク』など、
いわゆる「スポ根もの」分野を確立した功績をはじめ、
多くの劇画・漫画作品の原作者として活躍。
弟は漫画原作者、空手家の真樹日佐夫。
妻は高森篤子(1945年3月5日 - 2015年4月6日)。
1973年から1985年にかけて離婚期間があり、
その間の1979年から81年にかけて
台湾の有名タレント、白冰冰とも婚姻関係を結びました。
高森篤子との間に2人の娘と3人の息子がおり、
白との間に娘・白暁燕。
(梶原一騎)

♥️2023💃9/6 澤穂希(45歳)𝑯𝒂𝒑𝒑𝒚 𝒃𝒊𝒓𝒕𝒉𝒅𝒂𝒚🕺🖤

♥️2023💃9/6 谷亮子(48歳)𝑯𝒂𝒑𝒑𝒚 𝒃𝒊𝒓𝒕𝒉𝒅𝒂𝒚🕺🖤

♥️2023💃9/5 キム・ヨナ(33歳)𝑯𝒂𝒑𝒑𝒚 𝒃𝒊𝒓𝒕𝒉𝒅𝒂𝒚🕺🖤

永井豪さん
(1945年9月6日-)
漫画家。
石川県輪島市出身。
石ノ森章太郎のアシスタントを経て、
1967年『目明しポリ吉』でデビュー。
代表作に
『ハレンチ学園』『あばしり一家』『デビルマン』『マジンガーZ』『キューティーハニー』など。
少年漫画の世界に性やバイオレンスの表現を大胆に取り入れ、
後続の漫画家に大きな影響を与えました。
ナンセンスなギャグマンガからシリアスな劇画まで
シームレスにこなすという点でも異色の存在。
また1972年の『デビルマン』以降、
多数のテレビアニメ作品に共同企画者・原作者として関わっています。
1980年、『凄ノ王』により第4回講談社漫画賞を受賞。
1996年より1999年まで日本SF作家クラブ会長、
2005年より大阪芸術大学キャラクター造形学科教授。
また、
2009年より手塚治虫文化賞選考委員。
2023年4月時点で、日本漫画家協会理事。
現存する四大週刊少年誌(週刊少年ジャンプ、週刊少年マガジン、週刊少年サンデー、週刊少年チャンピオン)
及び、
休刊した週刊少年誌4誌(週刊ぼくらマガジン、週刊少年キング、週刊少年宝島、週刊少年アクション)全てに
連載経験を持つ唯一の漫画家。
(永井豪)
楳図かずおさん
1936年9月3日生まれ、
87歳。
和歌山県出身
高校3年でデビュー。恐怖漫画の創始者として知られる他、人間心理を追求した作品も多い。大ブームを起こした「まことちゃん」は発表されてから47年も経つ。1995年から漫画は休筆中でタレント活動をしている。
仲村トオルさん
(1965年9月5日-)
俳優、タレント。
デビュー作は1985年の映画『ビー・バップ・ハイスクール』。
特技は乗馬、スキューバダイビング。
妻は女優の鷲尾いさ子。
1992年、
自身の主演するドラマ『俺たちルーキーコップ』で相手役を務め、
その共演が交際と結婚のきっかけに。
長女はモデルのミオ。
東京都大田区に生まれ、
0歳から3歳まで大阪府寝屋川市で育ち、
幼稚園に入る前に神奈川県川崎市に転居。
小学校3年から千葉県流山市で育ちました。
専修大学松戸高等学校、専修大学文学部卒業。
専修大学文学部在学中の1985年に
『ヤングマガジン』に連載されていた漫画『ビー・バップ・ハイスクール』の映画化に際し
公募された主演オーディションに応募し合格。
映画主演デビューでの芸能界入りを果たし、
本作の演技により第10回日本アカデミー賞などの
様々な映画賞で新人賞を受賞。
1986年に『あぶない刑事』でドラマ初出演し、
本作はシリーズ2作、SPドラマ1作、映画全7作
という30年間に渡り制作されるヒット作に。
『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズ、
刑事ドラマ『あぶない刑事』と人気となった作品に立て続けに、
「トオル」役で出演したことで、
広い世代に顔と名前が浸透し、人気を得ました。
1988年公開の映画『ラブ・ストーリーを君に』では
主人公(後藤久美子)の元家庭教師(大学山岳部員)・明を演じました。
以後
2008年の『チーム・バチスタの栄光』(フジテレビ系)を始めとする『チーム・バチスタシリーズ』など、
多数のドラマ・CM・映画に出演。
1990年代からは海外作品にも参加するようになり、
2002年の韓国映画『ロスト・メモリーズ』で
第39回大鐘賞映画祭男優助演賞を受賞するなど高い評価を受けました。
また、
日本のODAを紹介するドキュメンタリー番組『仲村トオルの地球サポーター』の司会を担当。
(仲村トオル)
荻野目 慶子さん(女優)
1964年9月4日生まれ、59歳。
熊本県熊本市で出生、埼玉県比企郡嵐山町や千葉県柏市、同佐倉市などで育つ。
舞台『ミュージカル リリー』
1984年公演 シアターアプル
荻野目慶子、山下真司、山崎イサオ、渡洋史
吉本の主要メンバーがだいたい揃っていました。
みなさん若いです。
草刈正雄さん
(1952年9月5日-)
俳優、モデル、歌手、司会者、タレント。
福岡県生まれ、同県小倉市(現・北九州市)出身。
身長185cm。
父親は
アメリカ合衆国ノースカロライナ州出身で、
福岡県築上郡八津田村(現在の築上町)の築城基地に派遣されていた
米兵のロバート・H・トーラー(Robert Hunter Tolar)(1930~2013)。
母親は
同県京都郡行橋町(現在の行橋市)でバス車掌として働いていた草刈スエ子(1932~2010)。
2人は恋仲となり築城や東京で一緒に生活していましたが、
スエ子が正雄を身ごもった後にロバートが帰国し、
スエ子は福岡県に帰郷して正雄を出産。
米軍兵と日本人女性の間に生まれた子供が増え
「あいの子」などと差別されることも多かった当時、
スエ子は地元のしがらみのない土地を求めて
正雄と共に小倉市(現在の北九州市小倉北区)へ移住、
仕事を掛け持ちし正雄を育てました。
子供時代は「バービー」という愛称で呼ばれていました。
貧しい家計を少しでも楽にしようと、
小学生より新聞配達と牛乳配達の仕事を掛け持ちして登校。
少年時代は
現在の小倉北区昭和町、北九州市立中島小学校界隈で過ごし、
小倉祇園太鼓にも参加、
また母が好きだったこともあり、
東映の時代劇映画を頻繁に見ていたそうです。
1964年頃に、
北九州市立中島小学校学芸会で「火の山」の主役を演じました。
時代設定は古代日本で、
後に演じる『卑弥呼』や『火の鳥』を思わせる舞台装束。
中学卒業後は世界文化社の代理店で本のセールス、
小倉の文具店の配達員などで働きながら
福岡県立小倉西高等学校の定時制に通い、
軟式野球部のピッチャーとして全国大会に出場。
アルバイト先のスナックのマスターが
「正雄は見てくれがいいから、モデルになったほうが稼げるかもしれないよ」と、
東京のモデル事務所を紹介、
たまたま福岡市で開催されたファッションショーを観に行った際スカウトされ、
17歳で上京して東京都立青山高等学校定時制に転校、卒業。
福岡時代はアルバイトなどで月給1万9千円だった収入は上京後月5万円に増えました。
上京後約2年で地元から母スエ子を東京に呼び寄せました。
1970年にCMディレクター・杉山登志に起用される形で資生堂専属モデルとなり、
MG5のCMで団次郎の弟分としてデビューし売れっ子モデルに。
デビュー当初から甘いルックスと軽快な語り口で人気を得て、
2年余りのファッションモデルを務めた後、
俳優へ転向。
1974年に東宝の専属となり、
『卑弥呼』で映画デビューし、
同年映画『沖田総司』にも出演、
製作者協会新人賞を受賞。
1975年にはエランドール賞・新人賞を受賞。
1976年には大河ドラマ『風と雲と虹と』に出演、
大河ドラマ初出演。
1977年のテレビドラマ『華麗なる刑事』でロサンゼルス帰りの凄腕刑事という主人公に扮し、
同ドラマでは挿入歌『センチメンタル・シティー』も歌い、
オリコン年間77位のヒットに。
20代半ばで人気は絶頂となり、
また同年にはマルベル堂のプロマイド年間ランキング俳優部門1位を獲得。
俳優としての転機は、
千葉真一と共演した1978年のテレビドラマ『十字路』。
おしゃべりで朗らかなセールスマンを演じた草刈はコメディに目覚めました。
映画『汚れた英雄』・テレビドラマ『華麗なる刑事』・『プロハンター』などのダンディな正統派二枚目から、
『十字路』での軽妙でコミカルなキャラクター、
『真田太平記』では名将・真田幸村と、
さまざまな役柄で主役を演じ、
市川崑・深作欣二・今村昌平らの映画にも出演。
1990年代以降は
『花の乱』『毛利元就』『古畑任三郎』などの悪役、
『イグアナの娘』『南くんの恋人』でのヒロインの父親役など、
脇に周りつつも新たな境地を開拓し、
演技の幅を広げています。
『汚れた英雄』のレースシーン撮影では
スタントマンとして現役レーサー・平忠彦が用意されていたましが、
ライディングシーンの一部は実際に草刈がレーシングマシン『TZ500』を走行。
草刈の認知度の高さは、
筑水キャニコムが2001年グッドデザイン賞を受賞した商品・草刈機に「まさお」と命名したことからも窺えます。
2004年のテレビドラマ「ケータイ刑事 銭形シリーズ」では、
『華麗なる刑事』の役柄と同じ「ロス」こと高村一平の役名のままで出演。
2007年映画『0093 女王陛下の草刈正雄』に主演、実の娘である草刈麻有と共演。
NHK北九州放送局が開局80周年を迎えた2011年は、
アナログテレビジョン放送が完全終了することもあり、
『美の壺』のレギュラーでもあった草刈を主役に起用した独自のキャンペーンドラマが制作され、
同年2月14日に放送を開始。
また、名字の「草刈」にあやかり、
マキタの充電式草刈機のCMにも出演(娘の紅蘭と共演)。
2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』では真田昌幸を演じました。
『真田丸』で再び人気が再燃し、
2017年には『真田丸』からの写真などを盛り込んだ、
初の写真集『草刈正雄ファーストフォトブック』が発売。
2017年、上田市の観光プレジデントに就任。
2018年、
出身地である北九州市の市制55周年アンバサダーに就任。
2019年NHKの朝ドラ『なつぞら』に出演し、
ヒロインに大きな影響を与えるキャラクターを演じ、
その演技が感動と話題を集めました。
(草刈正雄)
若林豪さん
(1939年9月5日-)
俳優。
身長177cm。
長崎県長崎市茂木町出身。
海星高等学校、専修大学経済学部中退。
三男は俳優の若林久弥。
専修大学中退後の1965年、劇団新国劇に入団。
その後フリーになり、
若林プロモーションから2006年11月東宝芸能へ移籍。
のち、2015年ごろから、エ・ネストに所属。
島田正吾の直弟子としてデビュー。
芸名は、
新国劇に入るより前に仲間内で演じていた三島由紀夫の『近代能楽集』から
「源氏葵若林光」というくだりを気に入って「若林」を是非にと決め、
豪の名前は新国劇に入った後、
「若く猛々しい」というイメージからに劇作家の榎本滋民に名付けられました。
1971年、
映画『暁の挑戦』で映画デビューを果たし、
『人間標的』で初主演を務めました。
1977年『Gメン』シリーズにレギュラーとして出演開始、以降5年間出演。
1989年より山村美紗が、
この役は絶対若林にとの願いで、
山村原作のサスペンスドラマシリーズ『赤い霊柩車』(フジテレビ系)などで
狩矢警部を局をまたいで演じて、
当たり役となりました。
1990年代にはテレビショッピング番組に司会者として出演。
2006年4月、
舞台『同期の桜-君にめぐり逢いたい-』 で主演を務めました。
2008年3月5日、
慢性硬膜下血腫のため名古屋市中区の病院にて手術を受け、
このため同市で出演中の舞台からは降板することとなりました。
術後の経過は良好で、仕事に復帰。
2009年には
NHK大河ドラマ・『天地人』に島左近役で出演。
(若林豪)
外山高士さん
(1930年9月5日-)
俳優・声優。
北海道北見市出身。
拓殖大学商学部貿易学科卒業。
在学中は新聞部で、
大学の先輩である佐佐木隆を取材したのが機縁となり、劇団文化座に入りました。
1952年に同劇団の『陽気な地獄』にて初舞台。
『怪傑黒頭巾』で正義役をしていましたが、
その後、
時代劇で悪代官・悪徳商人、現代劇でも悪役を中心に出演。
一方で『燃えよ剣』の伊東甲子太郎、
刑事ドラマ『西部警察 PART-III』の第9話「白銀に消えた超合金X! -福島・前篇-」では
善人役の冷静に状況説明する科学者など、
悪役に限らず演じています。
吹き替えにおいては
日本で始めての吹き替え海外ドラマ『ロビンフットの冒険』で、
主人公ロビンフット役を担当。
また多数の作品で
リチャード・イーガンを担当。
『ジャングル大帝 進めレオ!』のレオ役、
『サスケ』の大猿大助役(サスケの父)などアニメの声優としても活躍。
2004年には
生まれ故郷である北海道北見市の『きたみ観光大使』に任命され、
80歳を超えてからも舞台を中心に精力的に活動。
(外山高士)
1969年、『サザエさん』が生まれたのは、
昭和44(1969)年10月5日、フジテレビで
第1回が放送されたのがはじまりです❣️
ジャングルの王者ターちゃん♡
    
    
『ジャングルの王者ターちゃん♡』は、
徳弘正也による日本の漫画作品、
およびそれを原作としたアニメ作品。
途中、『新ジャングルの王者ターちゃん♡』に改題した。
    
   
概要・あらすじ
ジャングルの平和を守る男ターちゃんは、
密猟者たちを退治しながら、
妻ヂェーンや動物たちと仲良く暮らしている。
野生の力で驚異の強さを誇る
ターちゃんの評判は世界に轟いており、
助けを求めに来る者や挑戦者たちが後を絶たない。
争い事は好まないが優しくて
弱い者を見捨てられないターちゃんは、
一番弟子のペドロや仲間たちと共に
今日も正義のために戦い続ける。
    
    
登場人物・キャラクター
ターちゃん
アフリカのジャングルに暮らす筋骨隆々の男。身長187cm、体重110kg。動物たちと心を通わせており、ジャングルの平和を乱す者は許さない。マッチョな肉体にパンツ一丁の姿。人間離れした強さと驚異的な回復力を持つ。世界中の猛者に名前を轟かせているが、少年のように無垢な性格で、争い事は嫌い。 スケベであり本能を隠さないので、作中ではよく勃起する。妻ヂェーンの尻に敷かれており、畑仕事や家事すべてをこなすのが日課。アルバイトとして観光客のガイドをすることもある。金玉の皮をムササビのように広げて空を飛べる。ピンチになるとジャングルの様々な動物のパワーを模した特殊能力を発揮することも。 助けを求めに来た者は見捨てられない優しさを持つので、様々な戦いに巻き込まれることとなる。捨て子だったが、猿のエテ吉親子に拾われ育てられた。野生児として育ったが、その後結婚したヂェーンに人間界の常識を教えられた。ラスベガスの富豪アレクサンド・コーガンの息子かと思われたこともあったが、血液型が違うとわかり、誤解だと判明した。
    
ヂェーン
ターちゃんの妻。かなりの肥満体。強気でズケズケ物を言い、ターちゃんを完全に尻に敷いている。下ネタや天然ボケの多いターちゃんのツッコミ役。料理は下手で、お金にもがめつい。恐妻のターちゃんを毎日こき使っているが、心の中ではターちゃんを世界一愛している。 元はニューヨークのトップモデルだったが、ターちゃんと結婚しアフリカに移住した。モデル時代はナイスバディだったがターちゃんと暮らすうちに幸せ太りしてしまった。読書が趣味で語学も堪能、かなりのインテリであり、ターちゃんたちの参謀的存在でもある。梁師範の妻蓮苞からもらったやせ薬の効果で、一時的にナイスバディに戻った。 しかし、その後、太古から蘇った軍神アペデマスに瀕死の状態に追い込まれ、智光が皆の気を集めて送り込んだことで命は取りとめたが、気を送りすぎたせいで太っちょ体型に戻ってしまった。
エテ吉 (えてきち)
ジャングルに暮らすオスの猿。エテ吉の父がジャングルに捨てられていた赤ん坊のターちゃんを育てた。エテ吉はターちゃんの兄弟や友達として共に成長した。ターちゃんとヂェーンはサル語がわかるのでエテ吉と会話できる。スケベかつ浮気性で、メス猿を見かけるとすぐ手ごめにする。 そのスケベさはターちゃんに受け継がれたようである。
      
ペドロ・カズマイヤー 
ターちゃんの強さに心酔し一番弟子となった空手家の青年。フランス人。ターちゃんのことを「先生」と呼ぶ。生真面目な性格で、ターちゃんのボケにも真面目に反応する。恋愛に関しては不器用で、苦手。ターちゃんと共に様々な死闘を潜り抜ける中で着々と強くなってゆく。
     
アナベベ
アフリカの部族ウポポ族の戦士。昔ターちゃんと戦い、引き分けになったことがある。陽気でスケベなお調子者。妻のズベタは爬虫類や両生類が大好き。ユンケル帝国で開催されたトーナメントに優勝し、多額の賞金を得て成金になった。豪勢な屋敷に住み外車を乗り回すなど、富豪生活を満喫している。 それでもターちゃんたちが戦いに巻き込まれた際には、文句を言いながらも助太刀する情の厚い男。
     
趙 (しょう)
中国拳法・白華拳の拳士。身体の小さい少年だが流派の中でトップの実力者。気を駆使しテレパシーやサイコキネシスも使える。同門の黒龍拳の拳士たちが力を邪悪に使おうとしていることを危惧し、同門のトーナメント大会で黒龍拳を負かすため、アフリカまで遠征し、ターちゃん、ペドロ、アナベベに大会に参加してくれるよう懇願した。
    
梁師範 (りょうしはん)
中国拳法・白華拳の拳士。口ヒゲをたくわえ鋭い眼光、顔の中心に大きな傷を持つ。白華拳随一の実力者。大導師の蓮苞は婚約者。大導師と門下の者は結婚できない掟なので、ターちゃん流空手道に入門した。そのためアフリカで暮らす羽目になった。ターちゃんの良き友達となり、一緒に様々な悪と戦ってゆく。 気を使い、怪我の治癒を行なうこともできる。
      
リサ・コーガン (りさこーがん)
父アレクサンドの経営する格闘カジノで活躍し、ラスベガスではスター。ターちゃんに本当の親を伝えにアフリカへやって来た。父アレクサンドがターちゃんをラスベガスに迎え、兄弟そろって仲良く暮らせると無邪気に考えていた。しかし父アレクサンドはターちゃんを実子と思っておらず、マイケルとマットを守るための身代わりとしか考えていないことを知り、苦悩する。
    
マイケル・コーガン
コーガン一家の長男。父アレクサンドの経営する格闘カジノで活躍し、ラスベガスではスター。格闘エリートとして育ち、プライドが高い。ターちゃんのことも田舎者と軽蔑していたが、格闘カジノでターちゃんに敗れたことでつまらないプライドを打ち砕かれ、改心した。
     
マット・コーガン
コーガン一家の次男。父アレクサンドの経営する格闘カジノで活躍し、ラスベガスではスター。ターちゃんに会いにアフリカを訪れた際に梁師範を負かしたが、復讐のため渡米した梁師範とラスベガスの格闘カジノで再戦し、真の実力差を思い知らされた。
    
アレクサンド・コーガン
アラブのある王国の騎馬隊長だったが、王妃と恋に落ちた。不倫の果てに王妃は子供を宿したが、不義密通がばれ、子供はアフリカに捨てられた。アレクサンドは国外に脱出してアメリカに渡り、ラスベガスで格闘技をギャンブルとする高級カジノを経営し巨万の富を築いた。 成功する前に地下格闘組織MAXに所属していたが、殺人プロレスに嫌気がさし、足抜けの代わりに子供を組織に残した。その子供ソドム兄弟が自分の愛する息子たちマイケルとマットを自分への復讐のため殺そうとしていることを知り、ターちゃんとソドム兄弟を同士討ちさせようと企む。
      
ロド・ソドム
地下格闘組織MAXに所属する格闘家。アレクサンド・コーガンの子供。生まれた時から格闘マシーンとして過酷な人生を歩んできた。そんな境遇の原因である父アレクサンドを恨んでおり、父の愛を受けて育ったマイケルとマットを殺すため、アレクサンド主催の格闘カジノへ参戦した。
     
ニド・ソドム
ロド・ソドムの弟。アレクサンド・コーガンの子供。兄ロドと同じく地下格闘組織MAXで幼い頃から格闘マシーンとして過酷な人生を歩む。そしてMAXの残酷な方針によりロドとニドは互いに殺し合いをさせられた。結果として弟ニドは負けて死んだと思われていたが、MAXの科学力により自我の無い殺人改造人間として蘇生した。 痛みを感じず驚異的な力を得たニドはMAXの指令によりコーガン一家やターちゃんたちの命を狙い、アポロニア仮面という覆面レスラーに扮し、格闘カジノに参戦した。
      
シーマ・マルソー
ルーマニアの辺境にあるヴァンパイア王国の王女。父である国王ダン・マルソーが退陣に追い込まれ、ツェペシ一族に国を支配されかけ、ターちゃんに助けを求めに来た。悪の医学組織ケルベロスのメンバーのエドガーに恋をしており、彼らに利用されていることに気づいていない。
      
ランジェラ・ツェペシ
ヴァンパイア。国王に謀反を起こしたツェペシ一族の御曹司。婚約者のシーマを追ってターちゃんたちの前に現われ、対戦した梁師範の血を吸った。そのため梁師範はヴァンパイア化してしまった。一週間以内にワクチンを打たないと助からないとシーマに知らされたターちゃん一行は、ワクチンを合成できるダン国王を助けるため、ルーマニアへと旅立った。
      
アリサ・ミラノ
19歳の女性。フリーライターと称して取材のためターちゃんの前に姿を現わしたが、正体はCIAの諜報部員。ターちゃんたちの情報収集のために近づいてきた。当初は怪しい行動を取っていたが、真の目的は悪の医学組織ケルベロスからターちゃんたちを守るためであった。
    
アイアン・マスク
全世界格闘王決定トーナメントに参戦しているマスクの戦士。悪の医学組織ケルベロスがターちゃんの細胞から培養したクローン人間である。身長・体重ともにターちゃんを上回る。ターちゃんゆずりの回復力と攻撃力を持ち、相手の強さを学習し驚異的なスピードで強くなる。 身体は大人だが知能は子供同然。ケルベロスの所長を母親と思い込んでおり、戦って相手を殺すことが善だと洗脳されている。
     
ドロシー
ショートカットのアメリカ人女性。アフリカのジャングルで密猟者から動物を守る私設レンジャー隊員。このレンジャー部隊に秘密裏に資金提供をしているのはヂェーンである。動物好きが高じてレンジャー入りをした。動物保護に熱い意欲を燃やしており、ターちゃんたちのことを尊敬している。 いつの間にかペドロと恋仲になっていた。
   
中村 政彦
一流総合商社の会社員だったが、自分の会社が業績のため環境汚染をしている事に嫌気がさし退職。罪ほろぼしのため密猟者から動物を守るレンジャー部隊へと入隊した。メガネに七三分けでワイシャツ姿という典型的なサラリーマンの格好。身体は強くないが、会社員の経験からレンジャー部隊の経費削減に貢献している。 妻とともにアフリカに移住し暮らしている。
      
智光 (ちこう)
中国拳法・白華拳の師範代。中国に戻った梁師範に代わりターちゃん一家を守るためアフリカへやって来た。見た目はちんちくりんの中年男。しかも筋金入りのスケベ。ふだんはバカな行動ばかり取っているが、ターちゃんたちが強敵と戦う際には気を用いて回復役として後方支援を務める。
   
アンリ・ノート
考古学者。長年探していたアフリカの伝説の古代文明ルシュ王国の遺跡を60年前に発見し、そこで不老長生の水を飲み、それから老化が止まった。現在130歳。その後も調査を続け、ルシュ王国の軍神アペデマスの眠る石棺を発見した。助手の裏切りにより封印されていたアペデマスが復活してしまい地球支配をもくろみはじめたので、ターちゃんに助けを求めた。
アペデマス
古代文明ルシュ王国で軍神と呼ばれた男。恐ろしいほどの美貌の大剣の使い手。侵略に来た5000人の兵を一人で三日で全滅させた伝説を残す。森の剣聖ナパ・火神アグニ・風神ヴァーユ・獣人バルカン・智将メロエら五人の特異能力を持つ戦士を従えていた。国王が発達しすぎた文明を捨て自然と共存する農耕生活に還る方針を命じたことに反発し、アグニとヴァーユを従え反乱を起こした。 反乱は鎮圧され、3人は封印された。現代に蘇ったアペデマスは5000年前の野望を叶えるため、アフリカ及び世界を支配しようとする。予知能力を持ち圧倒的な強さの冷酷非道な男で、ターちゃんたちを瀕死に追い詰め、苦しめる。
     
シブチ
ターちゃんたちの暮らす地域を領土とする国家ザソビアの環境大臣。ターちゃんの続けてきた動物保護活動に勲章を与えた。一見温厚で誠実そうだが裏では密猟団と通じ、環境保護の名目で頭数調整をしたゾウの死体から象牙を売りさばくなど、私腹を肥やしている。
     
ローズ
希少動物の密輸商に雇われターちゃん暗殺の使命を受けた美女の殺し屋。確かな腕前を持つが、アフリカへ行きターちゃんたちの周囲にいると彼らのノリに巻き込まれ、常に間抜けな理由で暗殺に失敗してしまう。ペドロだけが何となく彼女は怪しいと考えているが、ターちゃんやヂェーンは全く気付いていない。 何度も暗殺のチャンスをうかがうも失敗し続け、しまいにはアフリカに馴染んで住み着いてしまった。
    
エンド
西暦2045年の未来からやって来た女性。ターちゃんとヂェーンの間の末娘。やせていた頃のヂェーンにそっくり。外魔瑠派教団が人類の救世主空総を赤ん坊の時に殺し歴史を改変しようとする計画を阻止するため、後を追ってタイムスリップして来た。後に親となるターちゃんたちに事情を説明し、助けを求めた。
    
    
集団・組織
 ハンター組合
『新ジャングルの王者ターちゃん』に登場する組織。アフリカで動物の密猟を行なうが、ジャングルの平和を守るターちゃんにしばしば妨害されるので、彼を目の敵にしている。様々な殺し屋を雇いターちゃんを倒そうとするが、いつも返り討ちにあっている。
     
 ケルベロス
『新ジャングルの王者ターちゃん』に登場する組織。世界中の医学者が集結した医学組織。ヘリの遭難を装いヴァンパイア王国へ侵入し、目を治療すると偽りダン国王の脳内に装置を埋め込み、思いのままに操った。組織メンバーのエドガーは王女シーマを誘惑し利用している。その目的は、ヴァンパイアを征服し彼らの不老不死能力を手に入れることであった。 地下格闘組織MAXの資金源のひとつであり、MAX配下の改造人間手術にも関わった。最先端の遺伝子研究技術を持ち、ターちゃんの細胞から培養したクローン人間を生み出した。
    
 外魔瑠派教団 (げまるはきょうだん)
『新ジャングルの王者ターちゃん』に登場する宗教団体。未来において隆盛を誇る。西暦2045年、地球に小惑星衝突の危機が訪れた。地球防衛軍は対策を講じていたが、末法思想を旨とする外魔瑠派教団は人類が滅びるのが神の定めであると考え、地球防衛軍と全面衝突した。当初は外魔瑠派教団が優勢だったが、彼らの前に空総という坊主が立ちふさがり、戦況は一変した。 追い詰められた外魔瑠派教団は過去にタイムスリップし、生まれたばかりの空総を殺そうと計画し、科学力によって生み出した兵器の昆虫人間たちを過去に送り出した。
     
     
イベント・出来事
 異種格闘技オープントーナメント (いしゅかくとうぎおーぷんとーなめんと)
『新ジャングルの王者ターちゃん』に登場する格闘技の大会。アフリカの小国ユンケル帝国で開催された。優勝賞金1000万ドルで、世界各国から強者が集められた。真の目的は国防大臣が開発したバイオ戦士の兵器としての性能を試すことだった。大会に参加したターちゃんたちはバイオ戦士を破り、国防大臣の野望を打ち砕いた。
     
 全世界格闘王決定トーナメント
『新ジャングルの王者ターちゃん』に登場する格闘技の大会。主催は地下格闘組織MAX。世界中から格闘家を招待し、衛星チャンネルで全世界に放送された。ターちゃんたちも招待された。会場は悪の医学組織ケルベロスの研究所のある島。真の目的は、ケルベロスの製造したMAXの改造人間やクローン人間の手で宿敵のターちゃんたちを始末すること。
      
        
その他キーワード
 ルシュ王国
『新ジャングルの王者ターちゃん』に登場する用語。紀元前3000年にアフリカ全土を支配していたと言われる伝説の古代文明。象形文字・太陰暦を使い、首都アクムスには近代都市を思わせる高層ビルが立ち並ぶなど高度に発達した文明だった。その文明を授けたのは異星から訪れた円頭人と呼ばれる民だという。軍神アペデマスを頂点とした最強の軍隊を持っていた。 最期はエジプト王国に侵略され、地上から姿を消した。

1977年(昭和52年)の12球団子供用ヘルメット一覧。

覚えていますか?テレビのコマーシャルで流れていた「ハヤシもあるでよ。」名古屋弁ということも知らず、又しても、学校で流行っていました。「それだけではなく、他にもある」という文脈の時にも、このセリフが使われていました。オリエンタルカレーのコマーシャルでした。私は、ハヤシライスなるものをそれまで食べたことがなく、どんなカレーなのだろうと憧れていました。
カレーと言えば、もう一つ強烈なコマーシャルがありました!「インド人もびっくり!」です。エスビーカレーのコマーシャルでした。これまた、流行っていました。本来は、カレーの本場のインドの人でもびっくりする程、おいしいカレーという意味と思いますが、意味もなく驚いた時にこのセリフが飛び出していました。
すっかり浸透していて、驚いた時に反射的にこのセリフが出る程でした。今考えると、インドの方もひきあいに出されて、さぞかし迷惑だったでしょう…。
今、振り返ると、可笑しいやら、面白いやら、不思議な懐かしい昭和の想い出です。

妹の様に思いました(^_^;)

だいぶ前からテレビCMしなくなった
ねえ~?売ってるんだろうけど。
吉田竜夫さん
(1932年3月6日-1977年9月5日)
昭和時代中期から後期の漫画家・アニメ原作者。
弟の吉田健二(タツノコプロ第2代社長・初代会長)と
九里一平(タツノコプロ第3代社長)とともに
アニメ製作会社竜の子プロダクション(タツノコプロ)を設立し、
初代社長となり、数々のアニメ作品を世に送りました。
京都府京都市出身。
京都府京都市生まれ。
終戦後間もなく両親を失います。
絵は独学で学び、
地元・京都の新聞社で働いた後東京へ行き、
1954年頃から挿絵画家・絵物語作家として活動。
その後漫画家に転向。
1955年、
梶原一騎原作の絵物語『鉄腕力也』で漫画家デビュー。
『チャンピオン太』、『ハリス無段』等、
梶原とのコンビによる漫画を続けて発表し、
原作者と漫画家の提携による漫画制作という形態を確立させました。
また、
『パイロットエース』、『少年忍者部隊月光』等、
オリジナルの漫画でも人気を博し、
50年代後半から60年代初期を代表する漫画家の一人として活躍。
1962年、
弟の健二、九里一平と共にアニメ制作会社「竜の子プロダクション」(タツノコプロ)を設立。
初代社長に就任し、
これ以降は漫画執筆から徐々に離れ、
アニメに専念。
タツノコプロの数々の名作アニメの原作を担当。
また天野嘉孝とともにキャラクターデザインも担当。
1977年9月5日午後9時10分、
肝臓がんのため東京都千代田区の日本医科大学付属第一病院で死去。
45歳没。
(吉田竜夫)
西村京太郎さん
(1930年9月6日-2022年3月3日)
推理小説家。
人気シリーズである
十津川警部シリーズや、トラベルミステリーで知られます。
東京府荏原郡荏原町(現東京都品川区)生まれ。
国民学校卒業後、
東京府立電気工業学校(東京都立鮫洲工業高等学校の前身)に進むも中退し東京陸軍幼年学校に挑戦。
100倍の競争率を突破して入学するも、
在学中の15歳で終戦を迎えたため、
工業学校へ復学し、卒業後、
臨時人事委員会(後の人事院)に就職。
11年勤務後に退職し、
トラック運転手、保険外交員、私立探偵、警備員などを経て作家生活に。
初期は社会派推理小説を書いていました。
じきに
スパイ小説、クローズド・サークル、
パロディ小説、時代小説など
多彩な作品群を発表。
中でも
海難事故もの(西村本人が海が好きだったため。また、十津川警部は大学ヨット部出身という設定。)、
誘拐もの(あらゆる犯罪の中で最も知能を要するので推理小説にふさわしいと考えたため)が多数。
日本中にトラベルミステリーというジャンルを示すきっかけとなった
ヒット作『寝台特急殺人事件』から全面的にトラベルミステリーに移行。
自身が考えた、
鉄道などを使ったトリックやアリバイ工作は、
そのリアリティが功を奏し根強い人気がありました。
シリーズキャラクターである十津川警部や左文字進などを生み出し、
その作品の多くがテレビドラマ化。
年6度の取材旅行で12社分の小説を書くという執筆スタイルを続け、
オリジナル著作は2019年3月時点で619冊。
本人によれば最高年収は7億円。
その後も新刊の刊行は続いており、
累計発行部数は2億部を超えています。
2022年3月3日午後、
肝臓がんのため神奈川県の病院で死去。
91歳没。
死後、
文藝春秋社が2022年4月に発行した『文春ムック 西村京太郎の推理世界』によると、
生前に出版した単行本の数は647冊。
(西村京太郎)
黒澤明さん
(1910年3月23日-1998年9月6日)
映画監督・脚本家・映画プロデューサー。
位階は従三位。
身長182cm。
第二次世界大戦後の日本映画を代表する監督であり、
国際的にも有名で影響力のある監督の一人。
ダイナミックな映像表現、劇的な物語構成、ヒューマニズムを基調とした主題で知られます。
生涯で30本の監督作品を発表し、
そのうち16本で俳優の三船敏郎とコンビを組みました。
青年時代は画家を志望していましたが、
1936年にP.C.L.映画製作所(1937年に東宝に合併)に入社し、
山本嘉次郎監督の助監督や脚本家を務めたのち、
1943年に『姿三四郎』で監督デビュー。
『醉いどれ天使』(1948年)と『野良犬』(1949年)で日本映画の旗手として注目されたあと、
『羅生門』(1950年)でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞し、
日本映画が国際的に認知されるきっかけを作りました。
その後
『生きる』(1952年)、
『七人の侍』(1954年)、
『用心棒』(1961年)などが高い評価を受け、
海外では黒澤作品のリメイクが作られました。
1960年代後半に日本映画産業が斜陽化する中、
ハリウッドに進出するも失敗し、
その後は日本国内で製作資金を調達するのが難しくなりましたが、
海外資本で
『デルス・ウザーラ』(1975年)、
『影武者』(1980年)、
『乱』(1985年)、
『夢』(1990年)を作り、
国内外で多くの映画賞を受けました。
1985年に映画人初の文化勲章を受章し、
1990年にはアカデミー名誉賞を受賞。
没後、映画監督初の国民栄誉賞が贈られました。
[監督作品]
※はプロデューサーを兼任した作品。
姿三四郎(1943年)
一番美しく(1944年)
續姿三四郎(1945年)
虎の尾を踏む男達(1945年製作、1952年公開)
わが青春に悔なし(1946年)
素晴らしき日曜日(1947年)
醉いどれ天使(1948年)
静かなる決闘(1949年)
野良犬(1949年)
醜聞(1950年)
羅生門(1950年)
白痴(1951年)
生きる(1952年)
七人の侍(1954年)
生きものの記録(1955年)
蜘蛛巣城(1957年)※
どん底(1957年)※
隠し砦の三悪人(1958年)※
悪い奴ほどよく眠る(1960年)※
用心棒(1961年)
椿三十郎(1962年)
天国と地獄(1963年)
赤ひげ(1965年)
どですかでん(1970年)※
デルス・ウザーラ(1975年)
影武者(1980年)※
乱(1985年)
夢(1990年)
八月の狂詩曲(1991年)
まあだだよ(1993年)
(黒澤明)

懐かしの昭和子ども向けキャラクター手帳。お馴染みの「#スパイ手帳」などは、当時の子どもたちを夢中にさせました。跡形もなく「溶けるメモ紙」は、特に衝撃でした!

俺たちの勲章 1975
中村雅俊と松田優作
中村雅俊はこのドラマがきっかけで
五十嵐淳子と結婚した。
雅俊のパンタロンスーツ。
ラッパズボン(ベルボトム)に
襟が広い背広、幅広ネクタイは
リバイバルはもう無いでしょうね。

♥️2023💃9/7 岡崎朋美(52歳)𝑯𝒂𝒑𝒑𝒚 𝒃𝒊𝒓𝒕𝒉𝒅𝒂𝒚🕺🖤

日本のパン文化は戦後ヨーロッパ化してきた生活様式に関連していると思われがちですが、その大きな無視できない要素の一つは、実は給食、つまり学校給食です。 日本の給食は明治22年(1889年)に始まり、最初は家庭の困っている学生を助けるためでした。 その後、大正12年(1923年)に、関東大震災の後、栄養失調の子供が増加したため、子供の栄養状況を改善する措置として、政府は全国的に給食を推進し始めた。
アメリカの物資支援がなければ、パンの給食文化は持続するのでしょうか?
湯川秀樹さん
(1907年1月23日-1981年9月8日)
物理学者(理論物理学)。
学位は、理学博士(大阪帝国大学・1938年)。
京都大学・大阪大学名誉教授。
京都市名誉市民。
1943年(昭和18年)文化勲章。
位階勲等は従二位勲一等旭日大綬章。
京都府京都市出身。
原子核内部において、
陽子や中性子を互いに結合させる強い相互作用の媒介となる中間子の存在を1935年に理論的に予言。
1947年、
イギリスの物理学者セシル・パウエルが宇宙線の中からパイ中間子を発見したことにより、
湯川の理論の正しさが証明され、
これにより1949年(昭和24年)、
日本人として初めてノーベル賞を受賞。
(湯川秀樹)