Apex product 【東日本大震災・脱原発】⑤

いつも、ご訪問頂きありがとうございます。

2011年3月11日の東日本大震災と、東京電力福島第1原発事故から4年。犠牲者は1万8000人を超え、いまだ20万人以上が避難生活を送っています。一方、復興への取り組みは本格化し、産業面など新たなモデルを目指す試みもあります。東日本大震災に関連するニュースをまとめました。ご覧下さい。そして忘れないで下さい。

まだまだ、これからです。私達に出来ることをやっていきましょう。

今も苦しんでいる全ての人に、笑顔が戻るその日まで。援助支援活動は続きます。震災で亡くなられた方々のご冥福と被災された方々の安寧な生活が一日も早く訪れますことを、町が元気に復興されますことをお祈り申し上げます。

 

 

2015年3月11日

- 青空と向日葵の会  Apex product  代表 柳 伸雄-

【連絡先】

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復活の双葉町盆踊りの開催について

 

13年ぶりの町内開催!

2022年8⽉30⽇に双葉町の⼀部の避難指⽰が解除されたことで、住⺠居住が進み双葉町での⽣活が11年ぶりに再開しました。⼀⽅で震災前の賑わいや地域の担い⼿が減少し、双葉町の⽂化継承が難しくなっており、町の賑わい創出と担い⼿育成を⽬的に未来双葉会を発⾜しました。

13年ぶりの双葉町内での盆踊り。たくさんの⽅にご来場いただけたら嬉しいです。ぜひお運びください。

【双葉町盆踊り開催概要】

  • 日時 2023年7月15日(土) 17:00-20:00
  • 場所 双葉駅前広場(双葉町大字長塚字町西39-2)
  • 雨天決行 ※荒天の場合は中止します。中止の場合は
  • 前日までに本イベントページでお知らせいたします。

【タイムスケジュール(予定)】

  • 17:00 開会式・来賓挨拶
  • 17:15-19:55 盆踊り櫓競演
  • 19:55 閉会式

【出店者(予定)】

  • 双葉町ペンギン
    ハンバーガー(チキン・ビーフ・フィッシュ)/お好み焼き棒/フランクフルト/ハムカツ/コロッケ
    ハイボール/レモンサワー/焼酎
  • 夢ふたば人
    焼きうどん/枝豆/生ビール/ノンアルコールビール/紫蘇ジュース/ソフトドリンク
  • 商工会青年部
    かき氷

【会場図】


【主催・協力・協賛】

  • 主催 未来双葉会
  • 協力 双葉町 / 双葉町商工会 / 夢ふたば人 
  • 協賛 福島クリエイト / 福田工業 / 勝山工業 /
  • 双葉郡地域観光研究協会

【問合せ】

  • 未来双葉会 事務局(山根) 070-5074-9804 / yamane@f-atras.jp
【いわき市海水浴場の海開き】
いわきで夏を満喫しよう! 
Aloha!今年もいよいよ、「フラシティいわき」が輝く夏の季節がやってきました!
そして夏といえば「海」。「海」をなくしていわきの夏は語れません!
いわき市では、7月15日(土)から8月15日(火)までの約1カ月間、「四倉(よつくら)」、「薄磯(うすいそ)」、「勿来(なこそ)」、「久之浜・波立(ひさのはま・はったち)」の4カ所の海水浴場で海水浴が楽しめます!
7月15日(土)には、各海水浴場で海開き式が行われ、メイン会場である四倉海水浴場では、フラガールズ甲子園出場校によるフラダンス披露などが行われます❀
〔詳しくはこちら〕▸ https://kankou-iwaki.or.jp/event/50470 
今年の夏は、いわきを満喫してたくさん思い出をゲットしましょう!
以上、いわき地方振興局の観光盛り上げ隊長♪佐藤がお伝えしました(*^_^*)/~
※写真は、昨年の海開きの写真です。
【ボランティア精神】
ボランティアとは何でしょう?
倫理用語集にこう書いてあります。
「個人が自由意志に基づき、
自分の時間や労力を提供して社会に貢献すること。
ラテン語で『意志する』を意味する【volo】に由来する。
形態は多様だが、
ふつう、
自主性を前提に、
非営利目的で、
政府や企業とは無関係に公共の利益のために行われる民間活動をさす。
また、
これらの点から、
公平性を重視する政府や私的な利益追求を最優先する企業には生み出せないサービスを提供できるという独自の強みがあり、
保健・医療・福祉を筆頭に、
街づくり、教育、
文化・芸術・スポーツ、
環境、国際協力、災害救援など、
社会の様々な分野で独自の大きな役割を果たすとされる。
歴史的には、
キリスト教の隣人愛や市民社会の精神を基盤として、
イギリスやアメリカなど欧米諸国で発展してきた。
欧米諸国と比べ日本ではまだ定着していないものの、
1995年の阪神大震災を機に普及しつつある。」
では、
ボランティアにとって大切なことは、
何だと思いますか?
これについて、
NPO法人アジアチャイルドサポート代表理事の池間哲郎さんは、著書
『最も大切なボランティアは、自分自身が一生懸命に生きること』
(著者 池間哲郎 現代書林)
の中で、
ボランティア活動に必要な戒めとして、
次の4点を挙げています。
(203頁〜206頁)
「① 心から尊敬すること
まず1つ目に大事なことは
『現地の人々を心から尊敬すること』
です。
現場での上から目線は、
絶対にダメです。
現地の人々を変えてみせる、
助けてあげる、
教えてあげる、
つくってあげる、
お金をあげる、
物をあげる。
こうした
『あげる、あげる』
という姿勢は、
非常に失礼なことだと私は思っています。
まず、
そういう上から目線を取り除くことです。
懸命に生き抜く人々の精神的なものは、
豊かさの中で暮らしている日本人よりも、
はるかに高いものがあると私は感じています。
親のために懸命に働く子どもたちには、
いつも頭が下がります。
『なぜ、これほどまでに苦しい中で笑顔が出てくるのか』
と感動します。
国際協力の基本は、
その土地の人々を心から尊敬することです。
② 知ることも大切なボランティア
同じアジアに暮らす人々でさえも、
毎日、貧しさのために多くの命が奪われています。
失われる命のほとんどは子どもです。
アジアだけではありません。
日本人のように豊かな国で暮らしている人々は、ごくわずかです。
途上国の現実を、
懸命に生き抜いている人々のことを知ってください。
知ることも大切なボランティアです。
③ 少しだけ分けること
3番目は
『少しだけ分ける』
ことです。
知って理解すれば、
それに対して、
どうすればボランティアになるのでしょうか。
自分のやさしい心を少しだけ分けることです。
100%の愛はいりません。
ほんのちょっと1%だけでいいのです。
私は100円のお金がないために失われる命を見てきました。
日本人の私たちにとってはわずかなお金ですが、
それが確実に大きな命に変わっていくのです。
やさしい心を、
ほんの少しだけ、
一生懸命に生きている人々、
子どもたちに分けてください。
余裕があるから、
いらないからあげるのではありません。
少しだけ何かを我慢し、
分ける心が大切なのです。
④ 自分自身が一生懸命に生きること
最後は
『最も大切なボランティアは、自分自身が一生懸命生きる』
ということです。
これが一番お伝えしたいことであり、
私が自らにも毎日言い聞かせている言葉です。
一番大切なボランティアは何かということです。
『誰かのため、人のため、貧しい国の恵まれない子どもたちを助ける』。
それも大事です。
しかし、
もっと大切なことがあります。
それは自分自身が一生懸命生きることです。
最初のほうでお話したように、
私が国際協力ボランティアに本気で取り組むようになったのは、
ゴミ捨て場で生きる子どもたちとの出会いでした。
深刻な貧しさの中でも、
決して笑顔を失うことなく必死になって生き抜いている彼らの姿に衝撃を受け、
大きな感動を得たからこそ、
この活動を本気で生涯続けていこうと決断したのです。
『最も大切なボランティアは、自分自身が一生懸命に生きること』。
これは自己体験から自然に出てきた言葉です。
(中略)
フィリピン・スモーキーマウンテンのゴミ捨て場で、
素っ裸の5歳くらいの男の子が懸命に働く姿に出会ったときのことです。
足の先から頭のてっぺんまで真っ黒。
足は傷つき血が流れている。
ゴミを拾う手を見ると爪がめくれている。
そんな少年を見ていて最初は
『可哀想だなあ』
と思いました。
しかし、
しばらく見ていたら自分の中で信じられないことが起きたのです。
突然、私の目から涙がボロボロ流れてきました。
そして、こう思ったのです。
『こんな小さな子どもでさえも必死に生きている。
それなのにオレは一体、今まで何をしていたのだ。
恥ずかしい』
『真剣に生きていかないと、この子たちに失礼だ』
と心の底から思いました。
これまでの自分の無様な人生、生き方に深い反省が生まれたのです。
そして、一生懸命に生きることを誓いました。
すると、
子どもたちを心から尊敬し、
大切だと思うようになったのです。
一生懸命に生きるからこそ自分の命も他人の命も尊いと思えるのです。
真剣に生きてこそ、
人の痛みや悲しみは胸に伝わってくると思います。
最も大切なボランティアは、自分自身が一生懸命に生きることです。
断言します。」
煎じ詰めれば、
仕事もボランティアも生き方そのものも、
『自分自身の最善を尽くすこと』
のようです。
天性を活かし、
天職に就き、
天命を全うしましょう❗
天命とは、
『世の為、人の為、天の為に最善を尽くすこと』
です。
『我が為になすは我が身の為ならず 人の為こそ我が為と知れ』
“Do good; thou doest it for thyself.”
(慈悲を施せ、それは汝自身のためにすることになる)
『最も大切なボランティアは、自分自身が一生懸命に生きること』
(著者 池間哲郎 現代書林)
自衛隊の東日本大震災での活動の様子がわかります。
自衛隊に感謝。

ホリエモンが処理水放出の反対者へ怒り「お前ら一回、中学校からやり直せ」

ホリエモンこと実業家の堀江貴文氏(50)が25日、YouTubeチャンネルを更新。東京電力福島第1原発処理水の海洋放出を批判する声に対し、「お前ら一回、中学校からやり直せ!」と怒りをあらわにした。

堀江氏は「十分に放射性物質を薄めた上で海へ排出するということが、何か知らないけど一部のマスコミと左翼の活動家みたいなアホが大騒ぎしてるんで、コイツら本当、頭が悪すぎて、“薄める”っていう概念が理解できないみたいですね」と、あきれ笑いを浮かべつつ言及。放出される処理水について「本当に微量だけトリチウム(が含まれ)、そしてそれ以外の汚染物質等はできる限り除去して海洋放出する。十分に海水で薄めた状態で環境にほぼ影響が無いような状態で排出をする」と解説した。

政府と東電が漁業関係者らをはじめとする国内外の理解を得られないまま放出に踏み切ったことに批判の声があがっているが、堀江氏は「いつ放出しても文句言うやつは文句言う。難癖つけて、放射性物質を盾にしたやくざみたいなもんですよ」と指摘。「びっくりするぐらい僕の知り合いとかも、『もう海の魚は食べない』とか『政府とかマスコミのことは信じない』とかバカなこと言いやがってコイツら……。人付き合いが難しくなりますよ、本当に」と嘆いた。

続けて「福島第一原発の高レベル放射性物質なんかは半減期が何千万年とか、そういった物質に関しては厳重に保管されてもちろん海洋放出なんかしないわけですけど、低レベルの放射性物質、あるいはそれを洗浄した、主にトリチウムなんかが含まれている処理水は、自然の放射線よりも放射線が出ないような状態にまで十分に薄めて、海水と混ぜて環境に最大限配慮して放出している」と、処理水に関する説明を繰り返し、「これに文句言うのは、本当に難癖」とした。

その上で、処理水放出に反対する政治家や著名人らに向け、「お前ら一回、中学校からやり直せ!科学の教科書読め、バカ。芸能人とかインフルエンサーで『福島や東北の魚は食わねえ』とか言ってるバカ。お前のことだよ!お前らちゃんともう一回勉強しろ。少なくとも経済産業省が出してる処理水のホームページくらい読め。あなたたちがあおってることが国益を害している。東北の人達を苦しめている。胸に手を当てて考えろ!」と訴えた。

堀江貴文氏(2023年1月撮影)© 日刊スポーツ新聞社
『釜石ラーメン物語』
地味な映画です。東日本大震災後に崩壊に瀕した家族の再生と地域との「絆」を描いた作品。シネコンしかない当地での上映は望めず、高速を使って宇都宮のマイナー館「ヒカリ座」で観ました。シニア割りで1,200円ですが、駐車場代に900円を要し高い鑑賞代です。
実に単純明快なストーリー、予想された通りに展開します。そしてその単純なお話に単純に泣かされた単純な私…。「単純」って高度な脚本技術なのかも知れません。ミステリーじゃないのですから、予想外の展開に騙される必然はありません。良作だとは思うのですが、宣伝力もないしエンタメ性も無し、地方都市宇都宮での上映も1週間限り、人知れず埋もれてしまう作品なのでしょう。勿体ない。

<東日本大震災11年 あの日>落語で、伝え続ける 岩手県出身・桂枝太郎 実話から新作「ユキヤナギ」

 東日本大震災から十一日で丸十一年。あの日の実話から一つの新作落語が作られていた。タイトルは「ユキヤナギ」。作者は、岩手県衣川村(現奥州市)出身の落語家桂枝太郎(44)だ。「当たり前の日々は簡単になくなる。震災の記憶を風化させてはいけない」。重い話を笑える落語ネタにして寄席で語り続ける枝太郎の思いを、ダイジェスト版とともに紹介する。 (ライター・神野栄子)
 「おまえたち、掃除をしなさい。今日からおばあちゃんが来るんだ。十年ぶり? いや十一年ぶりだぁ」
 「ピンポ〜ン」「来た来た! 遠いところすまなかったねぇ。上がってよ!」「久すぶりだンね、あんだも元気そうで」「お母さま、ご無沙汰しております」「ユミコさぁん! あんだも久すぶりだね。これ、岩手県のみやげだ。『かもめの玉子』。食(け)ぇ」
 「マユミ、お茶ぐらい出せよ」「うぃーす! ばあちゃん、お茶」「バ〜カ。こういう時は『粗末なお茶でございます、緑茶をどうぞ』って言うんだよ」「粗末なお茶でございます、緑茶をどうぞ」「お茶菓子も出せよ!」「粗末なお茶菓子でございます。『かもめの玉子』をどうぞ」
 「わだすが持ってきたンだけんども。ケンイチ、おばあちゃんだよ。忘れぢゃったンだべが?」「ばあちゃん、お願いがあるんだけど」「膝まくらでもすてほすいが?」「会わなかった分のお年玉たまってるよね。今すぐ全部ちょうだい!」「二人どもあんだの子だ。よく似てっぺ」「すみませんね、甘やかして育てちゃって。陸前高田はどう? 何か変わった?」
 「きれいになったよぉ。掃除すて、花植えっぺって。ユキヤナギがきれいに咲いでっぺ。一本松って知ってっちゃ?」「あぁ、津波で流されたんだけど、一本だけ松が残ってたって」「今じゃ防腐処理もすてな、モニュメントどして立ってる。待ち合わせ場所なんかでも使われでっぺ」
 「だろうね。松(待つ)っていうくらいだから…」「…ツッコミが必要だべが? 町のみんなはな、親しみを込めで『松ちゃん、松ちゃん』って呼んでんだ」「ワイルドだろ〜」「それはスギちゃんだ!」
 「あの日…大っきな地震きた…津波きた…昔から『津波てんでんこ』って言葉があってな、津波がきたら誰かれかまわず逃げろって。自分の命だけ大切にすろって。でもなぁ…母親が柱につかまって…子どもの手を離せずに二人とも流されでった…ンな光景、いっぺぇ見できた…」「子どもの手は離せないよ。なぁ母さん」「父さんの手ならすぐ離しちゃうけど! むしろ蹴飛ばしちゃう」「おい!」
 「おら、捜すたんだ、おめぇだづのごと。でも見つかんねくてなぁ…やっと見つけだ、一週間後。安置所で、ろう人形のように固まってよ…情げねくてなぁ。『何、ババァ一人で生ぎ残ってんだ』って、首くぐって死のうとしたンだ。でも、もう少しすれば寿命で死んづまう。だったら、被災地がどれだけ復興すたがを目に焼き付けて、おめぇだづに話してやるんだって、みっともねぐ生ぎできた」「知ってたよ。おばあちゃんはさ、闘ってたんでしょ。風化させないように」
 「皆、変わったよ。町の人だづの意識も、チャラチャラすてだ若者も。人の嫌がるごどを進んでするようになった」「俺だって前からやってたよ。満員電車の中で屁(へ)をしたり」「そういうことじゃねえんだ! 名物も盛んだ。牡蠣(かき)の養殖がうめんだ」「高いんじゃないの? 牡蠣(火気)現金(厳禁)って言うから」「いいかげんにすろ!」
 「こっちは意外と快適だよ。会社だってあるし。学校だってある。おじいちゃんはね、老人ホームに行ってる。そっちの方が気楽だって。すごいんだぜ、松方弘樹、田村正和、田中邦衛に、歌舞伎は団十郎、三津五郎、勘三郎、吉右衛門、寄席だって三遊亭円丈、柳家小三治、笑福亭仁鶴、桂歌丸もいるんだよ! あっちの世界も大変だったでしょう。コロナだっけ? でも、人間そんなに弱くないよ。絶対に復興する! 今日から一緒に暮らすんだ、じしん(自信)はあるの?」「いや、じしん(地震)はもうこりごりだぁ」
<かつら・えだたろう> 1977年生まれ。桂歌丸に入門し、2000年二つ目、09年真打ち。乃木坂46への落語指導、世界初のVR落語会出演など多彩に活動。
 枝太郎の公演詳細 https://www.edatarou.com/ 

津波被害の旭市で地元の子どもたちがクロマツの苗木植樹 千葉

02月18日 15時19分

東日本大震災の津波で大きな被害を受けた千葉県旭市で、海岸沿いの保安林を再生させようと地元の子どもたちなどがクロマツの苗木を植樹しました。

千葉県旭市は海岸沿い86ヘクタールにわたって保安林が整備されていましたが、13年前の東日本大震災の津波の影響で被害を受けました。

保安林は強風への対策のほか、津波の力を弱める効果も期待できることから市が再生の取り組みを進めていて、18日は井戸野地区で地元に暮らす26人の親子が植樹を行いました。

子どもたちは保安林の管理を委託されている造園会社の担当者に教わりながら、クロマツの苗木を2メートル間隔で植えていました。

苗木は250本用意され、順調に育てば10年から15年ほどで2メートルほどまで成長するということです。

初めて参加した男性は「松林について詳しくはなかったので知るきっかけになりました。体験を通して先人たちの知恵がつながっていけばと思います」と話していました。

また、毎年参加しているという女性は「毎年やりかたが違いますが、うまくできたかなと思います」と話していました。

旭市農水産課の池田勝紀課長は「5年から10年で保安林としての効果が出てきます。自分たちの地域で保全活動をすることで思い出だけでなく郷土愛にもつながることを期待します」と話していました。

3月11日(月曜)東日本大震災津波(平成23年東北地方太平洋沖地震)の発生時刻  14時46分に黙とうを捧げましょう

東日本大震災津波の発生から13年となる3月11日(月曜)に、尊い命をなくされた多くの方々の御冥福をお祈りし、心から哀悼の意を表するため、県民の皆様には地震発生時刻(14時46分)に黙とうをお願いします。

データで見る東日本大震災13年 復興に影を落とす課題も<岩手県>

岩手めんこいテレビ

東日本大震災から13年、三陸鉄道は今 人口減の中、乗客数は?「震災を気にかけながら鉄道の旅楽しんで」

まいどなニュース

東日本大震災から間もなく13年 教訓を後世に

平成23年3月11日、巨大地震と大津波による戦後最悪の自然災害と福島第一原発事故の放射能汚染が東北地方を襲った東日本大震災から13年がたとうとしています。 全国の皆様からの心温まるご支援に改めまして感謝申し上げます。 本村は、基幹産業である漁業の施設・設備などは壊滅的な被害を受けましたが、普代水門と太田名部防潮堤が機能し、行方不明者は1名だったものの、死者ゼロ、住宅浸水ゼロと人的被害は最小に抑えられました。明治・昭和の大津波で439名の犠牲者を出した村にとっては本当に奇跡でした。

震災遺構 村を守った「奇跡の普代水門」

 

故・和村幸得村長

明治三陸大津波の15.2mを教訓に建設された15.5mの普代水門
東北一の高さを誇る普代水門が機能し、村の中心部の家屋等に被害はありませんでした。

奇跡の普代水門

普代水門建設は、故和村幸得元村長が、明治、昭和と過去2度の大津波で犠牲者が出た教訓から構築を訴え、県営工事で実現。計画当初は財源や土地活用に村内でも賛否が分かれました。しかし和村村長は反対派を説得し、12年の歳月をかけて1984年総工費35億6千万円を投じて完成させました。高さは明治の大津波の15メートル級にこだわり、15.5メートルの威容を誇ります。

千葉出身の新成人フラガール、金尾陽菜さん「復興支援する先輩に感銘」 東日本大震災13年


新成人フラガールの金尾陽菜さん(スパリゾートハワイアンズ提供)
新成人フラガールの金尾陽菜さん(スパリゾートハワイアンズ提供)
東日本大震災から11日で13年。千葉市出身の金尾陽菜(ひな)さんは、甚大な被害を受けた福島県いわき市にあるレジャー施設「スパリゾートハワイアンズ」のダンスチーム「フラガール」で活躍している。当時の記憶や被災地への思いを聞いた。
大震災で、いわき市は468人が犠牲になり、9万棟以上の建物被害が出た。ハワイアンズも休館した。
フラガールは踊る場所を奪われた。だが、発災後、全国をキャラバン隊として慰問し、福島の復興のために元気な姿を発信した。
「自らも被災者でありながら、ひたむきに頑張る先輩たちの姿に感銘を受け、私もフラガールになりたいと思った」
高校時代は浦安市のフラダンス教室に通っていた。
「踊ると気持ちが高ぶる。自分を表現できることが楽しくて仕方がなかった」
令和4年春にハワイアンズに入社した。デビューに向けて寮生活を送りながら、練習に打ち込んだ。限られた時間でハワイの文化を学ぶ講座を受けたり、クラシックバレーも学んだ。
同年7月に初めてステージに立った。舞台袖から多くの観客が見えたとき、頭が真っ白になったが、先輩たちの励ましもあり、無事に乗り越えられた。それから連日、昼と夜のショーで笑顔と元気を届けている。
「これまで60年の歴史あるハワイアンズの舞台で歴代の先輩方が築き上げてきた思いを自分も引き継ぎ、次世代につなげたい」
千葉からいつも背中を押してくれる両親や妹への感謝の気持ちを忘れることはない。
1月6日にはフラガールの成人式があった。晴れ着姿で「何事にも向上心を持ち、さまざまな可能性に挑戦し、一人の大人として自己研鑽(けんさん)に努めたい」と抱負を語った。自分が生まれた年にリリースされた一青窈(ひととよう)さんの恋愛ソング「ハナミズキ」をハワイ語でカバーした曲「カアナアレ」を華麗に踊った。
元日には能登半島地震が起きた。故郷では、2月下旬から千葉東方沖での地震活動が続いている。
「いつまた3・11のような大地震が来て、当たり前の生活ができなくなるか分からない。ステージで踊れなくなる日が明日かもしれない。だからこそ私は一回一回のステージを大切にしている。大好きな踊りができることに感謝し、笑顔で舞台に立ち続けたい」
(村上智博)

津波襲った千葉・旭市、小中学生に初の「防災給食」提供 東日本大震災13年に合わせ


非常食を使った献立の給食を食べる旭市立飯岡中の生徒たち=11日、同校(松崎翼撮影)
非常食を使った献立の給食を食べる旭市立飯岡中の生徒たち=11日、同校(松崎翼撮影)
東日本大震災は11日、発生から13年となった。千葉県内で最大の被害が出た旭市内の小中学校では、震災の記憶がない児童、生徒らに食を通して防災への意識を高めてもらおうと、備蓄食品を使った「防災給食」が提供され、災害に備えることの大切さを学んだ。
【表で見る】「防災給食」の献立
市内の給食センターでは、自然災害などへの備えとして、東日本大震災をきっかけに開発された3年6カ月保存可能な非常食「救給カレー」と「救給コーンポタージュ」を令和5年9月から各5千食備蓄している。それぞれ温めずに食べることができる。
この日の献立は、「救給カレー」のほか、日持ちする野菜を使ったあえ物や、常温保存の豆乳などを使ったカップケーキなどで、18校に計3674食が振舞われた。
旧校舎が大津波で浸水した市立飯岡中学校(同市横根)では、2年の生徒約60人が防災給食を味わった。食前には大震災の当時の状況とともに「非常食は災害時に命をつなぐもの。備蓄について家族と相談してみましょう」と呼び掛ける動画を鑑賞した。
2年の橋本陽茉里(ひまり)さんは「非常食は被災したときにも便利だし、思っていたよりも味はおいしい。災害に備えて備蓄品を準備したい」と力を込めた。消防士だった父親から市内の津波被害の状況を聞いたという伊藤菜々海さんは「災害はいつ起こるかわからないので、家族との時間を一日一日大切に過ごしていきたい」と話した。(松崎翼)

「閖上の記憶」で追悼「今日の青空は天の子供たちからのプレゼントだと思う」


メッセージを書いたハト形の風船を飛ばす参加者(11日午後2時52分、宮城県名取市閖上で)
メッセージを書いたハト形の風船を飛ばす参加者(11日午後2時52分、宮城県名取市閖上で)
 東日本大震災の発生から13年となった11日、津波で約800人の死者・行方不明者が出た宮城県名取市閖上(ゆりあげ)では、伝承施設「閖上の記憶」で追悼の集いが行われ、県内外から訪れた約400人が地震発生時刻に合わせて黙とうした。

発生時刻に手を合わせる人たち(11日午後2時46分、宮城県東松島市で)
発生時刻に手を合わせる人たち(11日午後2時46分、宮城県東松島市で)
 施設を運営する一般社団法人代表の丹野祐子さん(55)は長男の公太君(当時13歳)を亡くした。丹野さんは「今日の青空は(犠牲となった)天の子供たちからのプレゼントだと思う」とあいさつ。参加者らはハト形の風船を手に1分間の黙とうを行った後、空に放った。

地震発生時刻に合わせ、黙とうする被災者ら(11日午後2時46分、宮城県南三陸町で)
地震発生時刻に合わせ、黙とうする被災者ら(11日午後2時46分、宮城県南三陸町で)
 300人以上が犠牲となった同県東松島市大曲浜地区では、地区を襲った津波の高さと同じ約6メートルの慰霊碑の前に地元住民らが集まり、黙とうをささげた。

午後2時46分に合わせて黙とうをささげる来園者(11日、宮城県石巻市の石巻南浜津波復興祈念公園で)
午後2時46分に合わせて黙とうをささげる来園者(11日、宮城県石巻市の石巻南浜津波復興祈念公園で)
 同県南三陸町では、町職員ら43人が犠牲になった旧防災対策庁舎周辺に遺族らが集まり、犠牲者の冥福(めいふく)を祈った。同庁舎は今年7月から町有化し、震災遺構として保存することが決まっている。
 多数の犠牲者が出た同県石巻市南浜地区の石巻南浜津波復興祈念公園では、「がんばろう! 石巻」と書かれた看板の前に来園者が集まり、大切な人に思いをはせながら手を合わせた。
 仙台市宮城野区の宮城野体育館では同市主催の追悼式典が開かれた。遺族ら約220人が参列し、同市の郡和子市長は式辞で「震災の記憶を風化させることなく、広く世界と次の世代へ伝えていく」と決意を述べた。

母親としての本能が働いたのでしょうか

【母親としての本能が働いたのでしょうか】
https://yuru2club.com/wp/?p=273

3.11 東日本大震災で自らを犠牲にして
わが子を守ったある母親の実話です。

地震の鎮まった後、救助隊は、ある若い女性の家に到着し、
そこで瓦礫に埋もれた彼女の遺体を発見しました。

しかし、彼女の遺体はどういうわけか
奇妙なことに膝立ちし、あたかも祈りを捧げるかのように、
身体を前方にやりながら、
両腕に何かを包み守っているかのようでした。

倒壊した家屋は、彼女の背中と頭にのしかかっています。

数々の困難な状況にありながらも、救助隊リーダーは、
狭い壁の隙間に手を入れ、
何とか彼女の身体に触れようとします。

彼は、彼女にまだ息があるものと信じていました。

ですが、彼女の冷えて硬直した身体は、
彼女がもう既に亡くなっていることを物語っています。

彼と隊員たちは、その家を後にし、
隣の倒壊したビルに向かおうとしました。

そこで途中、リーダーは思うところあり、
急きょ彼女の家に引き返す指令を出したのです。

彼はそこで再びひざまずき、
今度は瓦礫の隙間から、彼女の遺体の下の、
小さな隙間に手を入れてみました。

そこで彼は突如、興奮して叫びました。

供だ!子供がいる!」

そしてチーム全体が協力し合い、 彼女の遺体周りの瓦礫を除去していきました。

するとそこには、母の身体の下で、 花柄の布に包まれた生後三ヵ月の小さな男の子がいました。

その母の姿は、明らかにわが子を救う、 究極の自己犠牲の姿でした。

家が倒壊する時に、 彼女は自分の身を投げ打って、 息子の命を守ったのです。

救助隊が救い出した時、 幼い男の子は、未だ静かに眠りについたままでした。

医師は速やかに幼子の容態を確かめに駆けつけます。

布を開くと、そこには携帯電話も包まれています。

そのスクリーンにはこう書かれていました。

「もしもあなたが生き残れたなら、  わたしがどれだけあなたを愛していたか、  どうか憶えていてね」

携帯はそのままその場の全員に手渡されました。

そのメッセージに皆涙をこらえきれませんでした。

「わたしがどれだけあなたを愛していたか、どうか憶えていてね」