俺には何人ものオヤジがいる
オヤジ・・・・・
連想すると本来は自分の父親ひとりのはずだか、
俺は人生を左右した全ての人をオヤジと思っている。
その中で1人のオヤジの話をします。
今から十数年前、俺は1人でごみ屋を始めた。
始めかけの頃、食っていくのはもちろんその日の燃料代もままならなかった。
廃品で売れる物は何でも集めた。
古紙、屑鉄、ビール瓶、家電・・・・・
民家の軒先に乗っていない様な自転車があれば、声を掛け、
電気屋さんの裏に山積みになっている家電屑から売れる物を拾い出し、
農家の納屋からほこりまみれの鉄くずを貰い・・・・・
何年か過ぎた。
毎日行く問屋には新車のダンプやアームロールが来ていた。
いつか新車を乗ってやると・・・・・
そんなある日、ふと考えた。
男だったら一度は華の都、東京で仕事をしたい。
東京だったらこんな小汚い屑じゃなくて、もっといい物があるはずだと・・・・・
何も知らない小僧の俺は、東京に行った。
ビルだらけの街に、色々な仕事、人間模様が映って来た。
びっくりしたのは、ビルの解体現場に出入りする鉄くず屋が産廃許可を持ち、
空調機や湯沸かし器を産廃として捨てている模様だった。
すっとボケて、ある解体屋の現場のガードマンに聞いてみた。
「あのコンテナに入っている空調、産廃ですか?」
と、聞くとびっくりした回答が来た。
「あんなん売ってもいくらにもならないからね。」
と、いわれた。当時、リサイクル法もなく、非鉄と鉄が入り混じる鉄屑は解体しても日本では賃金が合わず、破砕して埋め立てられるか、雑品として二束三文でバイヤーに売るかのどちらかだった。
ぽ~けっと聞いていると、年配のおじさんが出て来た。
すかさず、「もし取りに来たら、あういう空調や湯沸かし器、
売って貰えますか?」と、すると、
「いや~あんちゃんの二トン車じゃ積み切れないし、
何回も来られたら邪魔になるからね~」と言われた。
とりあえず、名刺を差し出すと名刺交換をしてくれた。
当時の俺は始めて株式会社の会社の社長さんの名刺だった。
そこから、一年位後に、中古の四トンダンプを買った。
知り合いのガス工事屋さんの紹介で社宅の解体前の湯沸かし器を頂けるとの事で
四トンダンプとスタッフを引き連れて、約束の解体現場に行った。
見憶えのあるロングのユンボが二台並んでいた。
すると、一年前に名刺交換をした社長がいた。
「あんちゃん、こんな現場にも来る様になったんか?」
「時代はアームロールだぜ。ダンプじゃな・・・・・・」
と苦笑いされた。「何かあったら連絡するよ・・・・・」
と言われ、後にした。そこから、一か月後知らない番号から電話が来た。
そこの社長だった・・・・・・「明日、ダンプで五回来てくれ・・・・・」
「頼むわ・・・・・」と言う内容だった。
当日、俺は社長に会うなり、「ありがとうございます。」
と言うと、そこの社長は、
「仕事は儲けるもんじゃねぇんだ・・・・・」
「相手に儲けさせてやるもんだ・・・・・」
「お前の地元で俺らが解体やってるんだから、今度は儲けさせてやるばんだ・・・・・」
とそこのオヤジは呟いた。それから、十数年、
オヤジも、もう70半ばになった。
今まで、何回も怒鳴られたり、こずかれたりもした。
でも、初めて取引してもらったと同時に数多い中の師匠のオヤジの一人だ。
「相手に儲けさせてやる・・・・・」
今の世の中なかなか出来るもんじゃないけど、
俺もお客さんや運転手、仲間、俺に関わる人々にそうして行きたいと思う。
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ショウデン鈴木。 (金曜日, 05 9月 2014 13:51)
お世話様です。天馬さんを可愛がっていただき有難うございます。
ふところの大きな社長さんへお願い致します。辛い時助けてあげて下さい。鈴木。
軽トラ野郎 (金曜日, 05 9月 2014 17:38)
実感します。良い話だね。俺にもそんな親父がいたらなぁ~。俺の親父は俺が5歳のときに自殺しました。借金まみれでした。母親もその2年後、過労で死にました。俺も少し道をはずしましたが、今は何とか鉄くず拾って食ってます。トラック野郎子供の頃見ましたよ。憧れたな。笑える。でもどんなに苦しくても俺は自殺はしない。死んだ跡まで人様に迷惑掛けたくないから。今日も生きるよ。なんか、ありがとう。
目黒のさんま 親父 (日曜日, 07 9月 2014 22:00)
今日は、雨で、7000匹用意した、さんま焼くのに苦労したよ。わざわざ遠くから来てくれた友人ありがとう。酒井さんも来年来てくれや。
将太の寿司 (水曜日, 10 9月 2014 17:05)
親父はおやじ。されど親父。あなどれない。
紅い流星750 (木曜日, 11 9月 2014 18:04)
酒井さんですか?私、トラック見た事ありますよ。違うかなぁ〜(;^_^A