【酒井商店】2011年3月11日 14時46分あの日からまもなく5年がたとうとしています。酒井新

 

2011年3月11日 14時46分

あの日からまもなく5年がたとうとしています。

 

皆さんはもう5年ですか?まだ5年ですか?

それとも時は止まったままですか?

 

色々な思いがあると思います。

あの日の事を少しだけ思い出して、今の現状を少しは同じ日本国民として考えてみませんか?

 

国土を守る為に、

放射能を浴びながら福島では毎日何千人もの人々が原発と言う目に見えない怪物と戦って、自分の命と引き換えに

終息活動をしています。

 

岩手、宮城、福島の海岸では、警察官の方々が1列に並び、網を片手に砂浜で砂をふるいにかけ、行方不明者の方々につながるものを探し続けています。

 

被災地の子供達は、大切な家や使い慣れた物だけではなく、大切な人を失い、通いなれた学校にも行けずに、他の学校へ通い、隙間風のある寒くて、狭い仮設住宅で生活しています

仮設住宅に住むじいちゃん、ばあちゃんは以前の顔見知りがいなくなり、外に出歩く事も少なくなり、体が弱って、孤独死して、何日も見つからない事もあります。

 

港町で生計をなり立ててた人達は、色々な事がハードルが高く、思う様に事業を再開出来ずに、奮闘している人もいます。

 

奮闘する事に疲れ果てて、せっかく助かった命を自らたってしまった人もいます。

 

大切な人がいまだに見つからず、あの日から止まったままの人もいます。

 

町並みは復興したと言う人がいました。

 

先日、石巻の街を歩いて来ました。

確かに他の街と代わり映えは無い気がします。

 

よく目を凝らして見ると、道路と歩道との境界のコンクリートや生き残った電柱には、無数の傷があり、道路と道路の間には取り切れない、掃除しても掃除しても砂や泥が貯まっています。

まだまだ更地も目に着きます。

足を延ばしてみると、解体されずに残っている家やドライバーが引取りに来るのを待っているかの様な車もあります。

 

そして何より、全ての人が自分の家に帰れていない現状があります。

 

数百キロ先にまだそういう現状があるって事を・・・・・

 

同じ日本でそういう思いをしている人がいると言う事を。

 

再度、ここに誓います。

 

俺達、酒井商店グループ一同は

東日本大震災における壊滅被害を受けた東北3県が全て復興し、

全ての人々が自分の家に戻り、普通の生活を取り戻し、笑いが絶えない港町になるその日まで、

原発が終息して、除線が終わり、もとの街並みに戻り、穏やかな生活が送れるその日まで、

東北3県の被災地復興物資の輸送、東北3県からの発送を優先的に受け入れ、走り続けます。

 

トラッカーとして、

日本人として、

同じ国に住む者として、

トラックが日本の物流を支えているとプライドを秘め、俺達は笑顔が溢れるその日まで走ります。

 

全ては日本の為に。

東北の笑顔の為に、俺達が耐えられる限りやり続けます。

 

3月11日 14時46分 1分間の黙とうを宜しくお願い致します。

 

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コメント: 16
  • #1

    岩間は、凄かったよ!! (月曜日, 07 3月 2016 12:00)

    俺が見てきたのは、岩間っていう小名浜から少し南に行った先にある町だ。
    小名浜からすごい急な下り坂を下りた先に岩間があって、そこを抜けて勿来の方に行く。

    岩間は本当に目の前が海。

    ↑勿来方面
    海 ∬ 砂浜 ||道路|民家民家民家Σ山
    ↓小名浜方面
    という感じになっている。

    俺は勿来方面から見に行ったのだが、岩間に行く途中の道路では何処かの家の物置が流されて道路の真ん中に転がっていたり
    家の塀や瓦が崩れ道路に散乱してた。

    岩間に行くと防波堤は崩れてる、車はひっくり返ってるわ潰れてるわ、家なんて無事なところがあるのかというぐらいの潰れ具合。
    車に乗っていた全員が言葉を発せなかった。

  • #2

    名無しさん@ (月曜日, 07 3月 2016 12:05)

    早いような、長いような…。

    時の流れとともに記憶が薄れがちになりますが、亡くなられた方々の御冥福をお祈りするとともに、普通の生活が送れることに感謝しなくてはいけませんよね。

  • #3

    名無しさん@ (月曜日, 07 3月 2016 12:06)

    もう5年かぁ。
    まだ仮設に住んでいる方、たくさんいるんですよね。
    福島の方もそうだけど、あの日を境に生活が一変してしまった人がたくさんいるんですよね。。。

  • #4

    名無しさん@ (月曜日, 07 3月 2016 12:06)

    当時、妊娠中で本当に怖かったことを覚えています。
    その後、無事に出産出来たけどテレビもトイレも使えなくて寒かったなぁ。
    今日は息子と黙とうします。

    あれ以来、水の買い置きはしてる。
    あと乾パンとか缶詰など。懐中電灯も何個か買いました。

  • #5

    名無しさん@ (月曜日, 07 3月 2016 12:07)

    関西に住んでますが、発生時
    震度3か4くらい揺れたのを覚えてます。
    すごく大きな地震でしたね。
    亡くなった方の冥福を祈ると、共に1日でも早く復興出来る事を願います。

  • #6

    名無しさん@ (月曜日, 07 3月 2016)

    ちょうど大学受験の移動日に地震がありました
    地震のために試験時間が遅れたり、試験自体がなくなったり、クラスメイトたちにもいろいろ影響がありました
    でも受験生の比じゃないくらい被災された方々はもっとつらくて大変な状況に今もいらっしゃるんですよね
    しっかりしないとなぁ、なにかほんの少しでも手助けできたらなぁ、と思っていますが、募金くらいしか手段が思いつかず、なにから始めればいいのかわかりません

  • #7

    名無しさん@ (月曜日, 07 3月 2016 12:11)

    3年ほど前に知り合った方が震災でお子さんを亡くされた事を最近知りました。
    東京なのでそこまで被害はなく、どこかでテレビの世界と感じていました。
    今年は復興の願いを込めて少し募金をしに行きます。

  • #8

    名無しさん@ (月曜日, 07 3月 2016 12:13)

    地元が宮城で、両親と連絡が取れなくて職場で泣いたなぁ。結局は無事だったけど。
    私は被災者ではないけど、しばらくは誰々のお母さんが津波に流されたとか、お母さんの友達が…とか、道にいる死体見ながら帰ったとか、悲しい情報が耳に入りつづけて気が滅入ったよ。

    そして関東とかで買い占めに走る婆達、ガソリン入れるのに凄い並ぶの〜、ってテレビに映る人達、死ぬほど腹たった。

  • #9

    名無しさん@ (月曜日, 07 3月 2016 12:13)

    あの日から色んなものの価値観や考え方が変わりました。
    きっと日本に住んでいる方、全員がそうだと思う。
    今、平和に生きていることに感謝です。
    1日も早い復興を願うばかりです。

  • #10

    名無しさん@ (月曜日, 07 3月 2016 12:14)

    毎日無事に普段の生活ができること、家族と一緒に過ごせることがどんなに幸せなことかを思い知らされた。

    もうこんな災害は起きてほしくない。

    被災した方達が少しでも早く落ち着いた生活を取り戻せますように!
    亡くなった方達が成仏してくださることを願っています!

  • #11

    亡くなられた方のご冥福をお祈り致します。 (月曜日, 07 3月 2016 12:24)

    富岡 アスパラ農家 長男

    とうちゃん、かあちゃんが、頑張って頑張って、一生懸命 真面目にやってきた事が全部無駄になってしまった。なんで。今だに戻れない。生活は出来ない。ご先祖様からもらった土地、畑。種はまけないが、毎週 耕しに行く。5年はあっと言うまでした。まだ何も変わってないです。酒井さんブログありがとうございます。泣けてきました。泣いても何にも変わらないから頑張ります。俺だけじゃないし、今 生きている事に感謝してまた、いつの日かアスパラを富岡で作れる様に祈りながら土地を耕します。ありがとう。やるしかないね。

  • #12

    柳&吉田より。 (月曜日, 07 3月 2016 12:30)

    亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、一日も早く心安らかに暮らせるよう 本当の意味での復興を願います。それまで我々は微力ですが、今 出来ることを共にやって行きましょう。酒井社長 今後とも宜しくお願い致します。頑張りすぎて体をこわさないようにお願いします。

  • #13

    終わらない、まだ続く、でも始まっている。 (金曜日, 11 3月 2016 11:39)

    あれから、5年。人手不足と高齢化。復興えの歩みは続く。

  • #14

    柳&吉田 (金曜日, 11 3月 2016 11:53)

    黙祷。

  • #15

    鹿児島鹿屋市の仲間 (土曜日, 12 3月 2016 18:29)

    私達も、お力になれればと思っております。酒井社長頑張って下さいね。応援してます。

  • #16

    起て、楯の会 (月曜日, 10 10月 2016 12:55)

    今の時代に楯の会があったら、どんな行動をしていたのだろう。尖閣諸島や竹島を守ろうとしていたかもしれない。三島由紀夫のような毅然とした日本男子がいれば、日本も、もう少し背筋の通った国になっていたかもしれない。