酒井商店【ヤンボコ】権田です!!

こんばんわ😄
久々の登場の権田隊長です✨
今日は…
会社の話をしょうと思います👍
良く会社の中の話で出て来る言葉
「ヤンボコ」
社長、自称専務、龍さん言わく、ヤンキーは自分より強い奴にボコられて、痛みを感じ、時には我慢をしてお互いで分かち合い、仲間が生まれる」と言う意味らしい💨

自分も少し道を外れた時もあったが、多分社長と専務、特に龍さんは半端じゃなかったらしい💦

それはさておき、
11日の深夜にちょいとした出来事があった😱

社長、専務、自分で深夜の撤去中の出来事だった。
3台で同時積み込みをしている最中に、社長が「イテー」と叫び声が聞こえた💦

振り返り見ると、社長がよろめきながら、立ち上がっていた。
話を聞くと、積み上がった荷台から飛び降りた所に運悪くレバーブロックがあり、その上に足が乗り、くじいたみたいだ🌀

社長は立ち上がり、「大丈夫だ」と言い、積み込みを始めた❗
良く見ると、足をびっこを引いている。
大丈夫かな~と思いつつも作業続行。

が、問題は次の朝。

社長はびっこを引くどころが足が付けられずに、一歩出すのも数十秒かかる程になり、足は靴が入らない位に膨れ上がり、アンパンマンみたいになっている。

にも関わらず、湿布を張り、段ボール回収に出かけた。
気になり、昼間電話をすると「楽勝」との事。
が、悪化したのはその晩。
今度は激痛と熱で寝られず、翌朝また出社。
今日は病院に行く様に説得するも、午後に行くとやはり回収へ。
ようやく午後に病院に行くと、骨にヒビが入り、靭帯が切れる寸前まで伸びてるとの事😱

ギプスで固定するといわれるも断り、サポーターと湿布と薬を貰い帰社🏃

社長は笑いながら、「すぐ来ないとダメだよ~と怒られた半面、良く仕事してたね~と褒められたよ」と言いながら、「こういう風にするといいんだってよ」と足を心臓より高くするように椅子に座りふんずり返りながら呟いた。
「こんだけ痛いのは生きてる証拠だよな…」
「みんなもっと苦しんで、痛い思いしたんだべな…そう考えれば大したことねぇな」と呟いていました。
確かに社長が震災直後後に言った一言。
俺らがどんなに現場に行っても、話し掛けても、何かしても同じ気持ちにはならない…

でも、自分の大事な家が流されて、車が無くなって、大切な人が亡くなってしまって、全て無くなってしまったらどんな気持ちになるかわかるべ?と言われたのを思い出しました。

社長のブログには想像以上のコメントが来ています。それは真実で現実だと実感しました。

俺達も何度も被災地に運送で行きました。
その時、社長は「銭じゃねぇ…やれまわり近所は銭いいだのなんだの言ってるけど、俺達の運ぶ荷物を必要としている人に思いを運んでるんじゃけん」と呟いてました。
いつも、専務が言う言葉、「誰かは見てるからいつか評価される。苦労無しに評価無し、苦労せずに頂いた評価に感動無し」と言っています。

お礼を言うのは、俺達かも知れません。
こんな平々凡々に生きている俺達が色々な感謝の気持ちやお礼を貰い、すまない気持ちもあります。
でも、うちの会社は日本の誰よりも被災地を思い、出来る事は全力でしょうと言う気持ちは負けないつもりです。
これからも親父の言うように、出来る事やうちの会社は被災地優先の荷を運ぶと思います。
荷を運ぶ。思いを運ぶ。
その荷を待ち、喜ぶ人の顔を思い浮かべて、また来週から走り始めます。

震災の4月に、石巻で被災した街で、津波にのまれ、ボコボコになり横転していた車の窓ガラスから顔を出していた坊やを思い出しました。
その坊やはこう言いました。
「これぼくんちの車」
それ以上は語りませんでした。
それ以上聞けませんでした。
こんな自分みたいなくそガキでも熱くなるんだな、思うこともあるんだなと思いました。俺達も見たもの、聞いたもの、感じたものを伝えていこうとおもいます。

俺は頭がないんで、コメントを頂いた方々に何て言えばいいかわかりません。
でも、助かった命粗末にしないで下さい。
生きる事が亡くなった人の供養だと思います。
亡くなった大切な人の元に行きたいのもわかります。仕事も家もなにもかもない辛さもわかる気がします。でも、生きてればきっと。
絶対、何かあると思うから。
すんません。
何もわからない奴が色々言ってすみませんでした。

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コメント: 1
  • #1

    トラック仲間 (水曜日, 18 3月 2015 19:59)

    震災で海に流された。
    当時仕事で石巻に行ってて渋滞巻き込まれてこりゃダメだと車捨てて逃げたら津波に巻き込まれた。
    何か掴まるものを探してたら運良く家の柱流されてきてそれに掴まる。
    その後沖に流されるとき小型の漁船が近くで流されてたから拝借。
    取り敢えず助かったが今度はくそ寒い。
    漁船探してもなにもなし。
    どうすっかなと思ってたらどっかの工場から流されてきたのか梱包用のラップが流れてた。
    これしかないと思って海に飛び込んでラップ回収。
    身体中にラップ巻きつきて暖がとれた。
    多分凍死した人もいただろう。


    次の日適当な板切れ見付けて陸まで漕ぐ。
    丸一日かかった。
    それから仙台の自宅まで徒歩で帰宅。
    3日かかった。
    自宅は無事だった。
    帰ったときの嫁のリアクションは結婚以来初めて見たと思うくらい喜んでた。
    諦めなけりゃなんとかなるもんだな。いつも
    俺らのこと、支援してくれてて、ありがとよ。
    やっぱり あったかい言葉が1番しみるよ。あんたらも無理するなよ。本当 サンキュー。