大相撲初場所は、横綱白鵬が優勝賜杯を受け取りました。
これまでのレコードだった大鵬の優勝回数32回を、
44年ぶりに塗り替えました。これで前人未到の地に歩をひとつ進めたことになります。
偉業を為す人の多くが、不遇の場から出発する、
白鵬もその例外ではありませんでした。
2000年の10月といいますから、白鵬がまだ15歳の頃でしょう。
6人のモンゴルの仲間とともに、日本にやってきました。
5人の身柄は、早々に引き取り手が決まり、
各々がしかるべき相撲部屋に入門できました。
白鵬の場合は、ほっそりとした体格(当時175cm、体重60数キロ)で、
どうみても、相撲取りの恵まれた体型に見えませんでした。
そのため、白鵬の引き取り手は、なかなか見つからなかったのです。
当時日本語が分からなかったためか、
英語で"I don't want to go back..."と言って泣いたといいます。
そのまま、失意を抱えて帰国をせざるを得なかった白鵬です。
帰国の前日のことでした。
運命的な救いの手が、白鵬に降りました。
彼を哀れんだモンゴルの先輩力士、旭鷲山が、
自らの師匠の大島(元大関・旭國)と会食中に相談し、
大島は友人であった宮城野(元幕内・竹葉山)に受け入れを申し入れたのです。
結果、白鵬は、この宮城野部屋に入門できることになりました。
まさか、その白鵬が、一大横綱として、部屋のみならず、
相撲界に大きく貢献する力士に大化けするなど、誰が想像できたでしょうか。
さらには本日、相撲界の歴史を塗り替えるような
偉大な力士として名を残すことになったのです。
モンゴル人だから、日本人力士でないから、ということで、
拍手を惜しむ人もいます。
しかし、徒手空拳で見知らぬ外地に渡り、寂しさをこらえ、
つらい稽古に耐え抜いてきた、体力に恵まれない少年の気持を慮るとき、
大きな賞賛をもって、白鵬の今日の栄光を称えてあげたいと思うのです。
むしろ、僕はモンゴルの人だからこそ
「よくやった!」と誉めて差し上げたいと思うのです。
※「モンゴルの人」と記述しましたが、身も心も、そして社会的立場上も、
白鵬が日本人であろうとする立ち居振る舞いを皆が認識しています。
白鵬、スマステで批判問題を謝罪「お詫びしたいです」
大相撲初場所の優勝一夜明け会見(26日)で日本相撲協会審判部の13日目(23日)の勝負判断を痛烈に批判した横綱白鵬(29)=宮城野=が、31日のテレビ朝日系「SmaSTATION!!」(後11・15)に生出演し、審判批判問題を謝罪した。
横綱は番組冒頭で「あらためてこの場を借りて、33回優勝し、平成の時代にこの偉大な記録、また新記録を見せることができて大変、幸せに感じております」と挨拶。
続けて「場所後の件ですが、多くの方にご迷惑、ご心配をかけ、お詫びしたいです。そして、これからも頑張って行きたいと思います。相撲の発展の為に」と自らの言葉で謝罪した。
初場所で史上最多33度目の優勝を達成した横綱白鵬は26日、東京都内での一夜明け会見で13日目(23日)に同体で取り直しとなった大関稀勢の里戦に言及。「疑惑の相撲が1つある。いかがなものか。家に帰ってビデオを見たら、子供が見ても分かることだった。なぜ取り直しにしたのか。(審判も)元お相撲さんでしょ?」と勝負審判の判断を批判していた。
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今井、斎藤。 (月曜日, 26 1月 2015 18:24)
優勝おめでとうございます。貴方は、立派な日本人です。国技を守って頂き助かります。広く世界が賞賛してくれてます。貴方も相撲も日本の宝です。ありがとう。
ラッスンゴレライ教えてね。 (土曜日, 31 1月 2015 08:06)
ちょっと待て、ちょっと待て お兄さん。ラッスンゴレライって、なんですの❓
ドッコイ大作 (火曜日, 03 2月 2015 19:07)
差別は、して無いと思いますよ。でもご本人の思いは、違うんでしょうね。辛いことが沢山あったんでしょう。