随喜同業の殺生罪
仏教では生き物を殺すことを殺生罪といいます。
その殺生罪の中に、随喜同業(ずいきどうごう)
といわれるものがあります。これは、
他人が殺生をしているのを見て喜ぶ心があれば
同じ殺生罪だということです。
自殺・・・自らの手で殺す
他殺・・・他人に命じて殺させる
と
随喜同業との関係をわかりやすい例で
お話ししますと
ある家で、仕掛けたカゴに鼠がかかったの
で、さてどう処分すればよいか困っている所
へ、近所のおじさんが来たので、
「あんた、殺してよ」
と奥さんが頼みました。頼まれたおじさんは、
「よっしや」
と引き受けて、川へ行き、カゴを水に沈めて
鼠を殺しました。水中でもがき苦しんで死ん
でゆく鼠を見て、一緒に喜んでいます。
実際に鼠を殺したのは近所のおじさんです
から、近所のおじさんは「自殺」の罪を造っ
ていますが、
頼んだ奥さんは「他殺」の罪を造ったのです。
見て喜んでいる者は、「随喜同業」の罪を造っています。
戦争や紛争で、敵対する市民や兵士を公然と
処刑するショッキングな映像が流出することが
あります。実際に銃の引き金を引いたものは自殺の
罪をつくったのですが、命じて殺させたものは
他殺の罪を作ったのです。
それを見て、楽しむ心があれば、何もしていなくても
同じ殺生罪を造っているのです。
この殺生罪という教えに照らしてみると
殺生せずして生きている人はあるのでしょうか
私たちが生きるということは、おびただしい生き物
の命の犠牲の上になりたっているのです
コメントをお書きください
名無し (月曜日, 03 10月 2016 17:45)
自分勝手なご都合主義は、やばし!
さとる (月曜日, 03 10月 2016 17:46)
確かにそうですね。納得です。
HERO (月曜日, 03 10月 2016 22:22)
身勝手な生き方をやめろ。
野武士 (水曜日, 05 10月 2016 23:23)
勉強になります。