工場での障害者雇用のお話です
2人の少女が入社した日のことは今でもよく覚えています。
きれいに晴れた暖かい日でした。2人がタドタドしく挨拶するのを社員たちは温かいまなざしで見守っていました。
そして拍手で2人を迎え入れたのでした。
「私たちがめんどうをみますから」という社員の言葉に嘘はありませんでした。
みなが2人の少女をかわいがり本当によくめんどうをみてくれました。
社員の多くは子育てを終えた女性たちでしたから、知的障害のために実際の年齢よりも幼くみえる少女たちを世話することに、もう1度子育てをするような喜びを感じていたのかもしれません。
ところが、私はといえば、たまに作業場に顔を出すくらいで
「おまかせ」を決め込んでいました
経営に専念しなければならないという事情もありましたが
「面倒をみてくれると言ったのだからよろしくお願いしますよ」
というのが正直なところだったのです。
ただ、私なりに2人の存在がずっと気になっていました。
どうしても、わからないことがあったのです。
彼女たちは雨の日も風の日も満員電車に乗って通勤してきます。
そして、単調な仕事に全身全霊で打ち込みます。
どうしても言うことを聞いてくれないときに、困り果てて「施設に帰すよ」と言うと泣いて嫌がります。
どうして施設にいれば楽に過ごすことができるはずなのに
つらい思いをしてまで工場で働こうとするのだろうか?
私には不思議でなりませんでした。
そんなある日のことです。
私は、とある方の法要のために禅寺を訪れました。
ご祈祷(きとう)が済み、参集者のために用意された食事の席で待っていると、空いていた隣の座布団に偶然にもご住職が座られました。
しばらくお互いに無言でいました。
私は「若輩者である自分から何か話しかけなければ」と焦りました。
そして、こんな質問が思わず口をついて出ました。
「うちの工場には知的障害をもつ2人の少女が働いています。施設にいれば楽ができるのに、なぜ工場で働こうとするのでしょうか?」
一瞬、間がありました。
そして、ご住職は私の目をまっすぐに見つめながら、こうおっしゃったのです。
「人間の幸せは、ものやお金ではありません。
人間の究極の幸せは次の4つです。
人に愛されること、
人にほめられること、
人の役に立つこと、
そして、人から必要とされること。
愛されること以外の3つの幸せは働くことによって得られます。
障害をもつ人たちが働こうとするのは、本当の幸せを求める人間の証なのです」
私は、しばし言葉をなくしました。
そして、深く考えさせられました。
確かにそうだ。
人は働くことによって、
人にほめられ
人の役に立ち
人から必要とされるからこそ
生きる喜びを感じることができるのだ。
家や施設で保護されているだけでは、この喜びを感じることはできない。
だからこそ、彼らはつらくても、しんどくても、必死になって働こうとするのだ。
働くことが当たり前だった私にとって、この幸せは意識したことすらないものでした。
しかし、意識していなくても、その幸せはずっと私の心を満たしてくれていたのです。
それがいかにかけがえのないものか、私は生まれて初めて考えさせられました。
2人の少女の姿が脳裏に浮かびました。
一心にシールを貼り続ける、その姿。
そして
「ありがとう、助かったよ」
と声をかけたときの輝かんばかりの笑顔。
私は、ご住職の言葉によって、その笑顔の意味を教えられたのです。
同時に、障害をもつがゆえに、当たり前の幸せを手にすることができない人々の悲しみや苦しみに思いをめぐらせました。
すると、強い思いがこみ上げてきました。
なんとしても、少女たちが懸命に握り締めている「幸せ」を守らなければならない、と。
その後、私は2人の少女とまっすぐ向き合うようになりました。
そして、毎年、少しずつ養護学校の生徒を迎え入れるようになったのです。
夢も与えられました。
知的障害者を主力とする会社をつくろう。
障害者雇用のモデルとなる工場をつくろう。
それは、決して平坦な道ではありませんでした。
知的障害者には理解力に限界があります。
そのため「戦力」になってもらうためには
さまざまな工夫をこらす必要がありました。
経営的に厳しい時期もありましたし、社会の無理解に苦しんだこともありました。
その度に、歯を食いしばって知恵を絞りながら、1つひとつの困難を乗り越えてきたのです。
試行錯誤の連続でした。
しかし、その過程で私は実に多くのことを学ぶことができました。
「人のせいにしないから、自分が磨かれる」
「本気で相手のためを思う。それが強い絆を生む」
「自分を去れば、強く生きられる」
「迷ったときこそ、人のために動く」
「利他の積み重ねが、幸せな自分をつくる」
すべて、知的障害者とともに働くなかで気づかされたことです。
そして、人間が生きていくうえできわめて重要なことばかりです。
「知的障害者のために」という思いで頑張ってきたつもりでしたが、
実は「与えられていた」のは私のほうだったのです。
そして、いま私は、こう考えています。
知的障害者から学んだことは、昔から不変の真実なのだ、と。
なぜなら、知能に障害をもつ彼らは、時代や社会の影響を受けることがほとんどないからです。
健常者の心は社会の動きによって移り変わるものですが
彼らのあり様はいつの時代も変わらないはずです。
移ろいやすい世の中の「定点」のような存在と言ってもいいでしょう。
※ 人もためにとやってきたことが、
実は自分の方だったってことありますね。
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