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母 【青空と向日葵の会】

「母」
30歳で統合失調症を発病した貴女
木造の脳病院での13年間の入院生活
「いつか退院して結婚し家族を築き
 幸せな生活をしたい...」
そんな決して贅沢でも大きくもない
ささやかな夢を抱き続けていた貴女
ベルトコンベアから流れてくるオシボリを
たたむ工場での作業での障害者ばかりの寮に
退院
同じ病の父と出逢い
晩婚での私の出産
民生委員さんから
「あんたは生活保護にかかりこの子を育てなさい」
との助言にも
「いや、働く」と
当時は副作用のきつい精神薬を服薬しながら
鐵工所等で働いた貴女
父は精神障害1級で働くどころか
地域での生活などほとんど無理だった
父の分も働き
私を育て
仕事から帰ると夕食を作っては
自分は食べずに疲れて横になって居た貴女
お弁当等は買って来たことは無かった
「お薬飲んでたらハンデがある...」と少しずつ少しずつ
精神薬の粉薬の服薬を主治医の許可なくやめて
働き続けた貴女
父は精神科に再入院
貴女の精神病の再発もみるみるうちに
府営住宅の団地での生活の中
貴女は幻聴をかき消したい為に深夜、早朝関係無く
暴れまわってました
窓ガラスはいつも割れていた
ふすまは形を失ってガレキ状態
それでも清掃業を転々としながら働き続けた貴女
「幸せになりたい...」
その一心で歩み続けた貴女の後半の人生
働き者の貴女のそのふしくれだった手から
掴みたかった掴みたかった けど掴み切れ無かった
小さな幸せさえ 無情にもすり抜けっていった
イイことなんて何ひとつ無かったはずの
貴女の人生
なのに私に
「礼子、 頑張ってたらイイことあるから」って
微笑んでたっけ
どうして
そんな風に想えるの
どうしたら
そんな風に健気に笑えるの
「笑顔の向こうに
笑顔があるんやで...」
と教えてくれた貴女
95歳で貴女の苦しかった苦しいだけだったんじゃない
その人生、その命はもう終わってしまったけど
終わってしまったけど
いつも待って居てくれた貴女との人生は
決して幸せでは無かった
だけどね貴女と過ごした最期の3年間
私「幸せの入り口」に立てたように思えます
ありがとう
ありがとう
貴女の笑顔
大好きです
貴女の生き方
大好きです