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最期まで男だったじいちゃん【青空と向日葵の会】

【最期まで男だったじいちゃん】
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生まれて27年、1度も母の顔を見たことがありません。
同じような人は一杯いると思うし、
それを理由にグレたりもしませんでした。
祖父母が親代わりになって、
とても良くしてくれたからだと思います。
24歳のお盆。実家に帰った時のことですが、
深夜に一人茶の間でテレビを観ていると、
じいちゃんがモソモソ起きだし、
通帳をポンとこたつの上に置き「やる」とひとこと。
見ると、身に覚えのない通帳なのですが、
僕の名前が書いてありました。
中を見てみると、100万近い預金。
「何これ?」と聞くと、…

じいちゃんは、ボソッと言いました。

「いいからだまって持っていけ」

僕が生まれた年から、1,000円、2,000円と少しずつ、 少しずつですが、じいちゃんは預金をしていたのです。

裕福な家庭とはお世辞にも言えない状況で、 20数年間、僕のためにコツコツ貯めてくれたのかと思うと、 それまで身内の前で泣いたことなかった僕ですが、 そのときだけは、涙があふれて止まりませんでした。

そんなボロボロ泣いている僕をみて、じいちゃんは僕の頭をたたき、 「男が泣くな」とひとこと言って、寝床に戻っていきました。

その数ヶ月後に、じいちゃんはガンで他界するのですが、 家族の誰も気づかず、ずーーっとガンだということを黙っており、 逆算すると、そのときはじいちゃんの身体は もうボロボロになっていたのです。

病院の先生も「普通は立つことも出来ないですよ」と言っていました。

今思うと、もう長くないことをじいちゃん、悟っていたのだと思います。

倒れてからは、病状がひどくなり、 自分の息子(僕のオヤジ)の顔も分からなかったらしく、 じいちゃん子だった僕がショックを受けるからと、 亡くなるまで、そんなこと知らされませんでした。

後から聞いたのですが、病院のベッドで息を引き取る寸前まで、 僕の名前を呼んでいたそうです。

言葉ではなく、行動で示すその姿勢に「男」を感じ、 最期まで僕のことを心配してくれたじいちゃんにありがとうを。