見ていると、おじさんは、丁寧に、 錆びついて固くなったネジを一本一本はずしにかかりました。
そして、 「出来るだけ壊さずに取りますから。 そうすれば、また使えます」
ウンウン唸りながら、おじさんは錆びついたネジをはずしていきました。
私は、その時も、 「いえ、壊していいですから」 という言葉を飲み込んでしまいました。
というのも、おじさんの額に吹き出している汗を見たら、 そんなこと言えなくなってしまったのです。
その一生懸命な姿に、私は思わず「フーッ」とため息をもらしました。
あきらめた。ここはもう腹をくくって待つことにしよう。
私は深呼吸と、またそれと同じくらい深いため息によって、気づかされました。
そうなんだ。おじさんは丁寧に仕事をやってくれてるんだ。
「ゆっくり」と「丁寧」とは違う。
おじさんは、この自転車と、利用する私のことを考えて、 丁寧な仕事をしてくれてるんだ。
待つこと30分、やっと錠がはずれました。
「お待たせしました。やっと取れました。 錠を壊せばすむことですが、それではもったいないですから」
そう言って、額の汗をぬぐうおじさんに、 「本当にありがとうございました。お世話になりました」 と、心から感謝の言葉を言えました。
イライラした一日だったのです。 何でもないことに腹を立ててました。 そして、とどめのように帰路で起きたイライラ事件。
でも、おじさんが教えてくれました。
錠をはずす、いわば一番無駄に思える時間、 そこが、一番必要な時間だったのです。
思えば「忙しい」というせかせかした気持は、 自分で自分のことを追い込んでいるようなものです。
最も大切な、人さまの優しさや親切すら 見落としてしまいそうになります。
だから、よく言われるように「忙しい」という字は、 心を亡くすと書くんですね。
帰宅して振り返ったら、忙しいと思ってたことなど、 実は取るに足りないことだった、 そのことにも思い当たりました。
参考本:涙が出るほどいい話 第四集(「小さな親切」運動本部編)
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