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褒められて育った子が災害ボランティアをすぐにやめる理由…綺麗事ではない理不尽な世界を生き抜く知恵の不足

 年初来、能登半島を襲った大地震で身の回りも騒がしくしております。被災された方々や亡くなられた方、ご遺族の皆さまには深くご同情申し上げます。

 また、激甚災害への対応につき、救難や復興に努力されている政府関係者や公務員の皆さま、消防・警察・自衛隊や海保の皆さま、道路や電気関係、通信関係など民間事業者の皆さまにも深く御礼申し上げます。

 私の関係する大学や施設が甲信越に集中していることから、年始早々から慌ただしく私もあれこれ対応しておりました。通学していた大学生が帰省中に被災し残念なことになってしまったのはさすがにショックで、居ても立っても居られない学友の皆さんが大学の手配で現地の復興ボランティアに登録することになったのは、凄惨な災害に対する人々の心のつながりが再確認できたところではあります。

 現在、被災地各地ではボランティアの募集をしている自治体もありますが、ボランティアなどが現地入りして問題ない状況であるかは受け入れ先の自治体によって状況が異なりますので、検討されている方はまず自治体サイトなどでチェックしてみていただければと存じます。

 で、今回能登地震といっても被災地の「石川県」は能登と加賀では状況が異なり、金沢では震源地よりやや遠く普段通りの生活となっている一方、逆に震源地に近い富山県氷見市などでは一部の生活インフラに影響が出たと見られます。

 経済的な復興支援をお考えであれば、被害はなかったけど客足の途絶えた石川県の金沢周辺や富山県、福井県あたりを訪れて飲めや歌えとおカネを落とすのが最適ではないかなと思いますのでご一考ください。

過酷な状況に心を折ってしまって失意のうちに帰ってくる子たち

「まずはできることから」ということで、大学や関係先に集まってきたボランティア希望者のうち40名ほどが避難所での物資輸送や割れた道路にはみ出たがれき撤去などの作業をするというので送り出したのですが…現地に行って、数日ほどで過酷な現状に心を折ってしまって失意のうちに帰ってくる子が複数出ております。

 この記事を書いている間にも、メンタルやられ気味の子からのSOSが舞い込んできたので「世話になったお礼だけ頭下げてしてきて、すぐ帰っておいで」と促したりしております。

 送り出した側からすれば「え、もう帰ってくるの」と言いたくなるところではありますが、オンラインとはいえ窓口をしている私としては彼らが直面した被災地の状況に思いを致すと「確かに非日常すぎて、単に善意で現地に行ってもなかなか大変なんだろうな」と思う部分はあります。

 ボランティアとして入れる避難所は割と震源地より遠く、道路も復旧して二次避難も要らない(かもしれない)という状況だったようなのですが、その避難状況というのは声もかけられないぐらい悲惨で、職員も被災者も疲労困憊の状態のため口数も少なく、報告を聞く限りでは、ボランティアの若い人に対して「動きが遅い」とか「こんなこともできないのか」などと非常に攻撃的な口調で命令されたり批難されたりされるケースもあったようです。

 人間、長く生きていても想定外に辛いことが起きるとギスギスしてしまうことは往々にしてあり、ましてや突然の被災で住み慣れた我が家を追われて不自由な避難所生活を送ったり、身近な家族・親族の不幸もあって心に傷を抱いたりしながら、はっきりしない未来に不安を抱いて暮らしている人たちのことを考えれば、恨み言のひとつも言いたくなって当然です。

 福島で復興庁の作業も多少は経験している私からすれば、そういう彼らの「ボランティアで行ったのに召使のように使われた」というのは定番の愚痴ですが、それを乗り越えて被災した人たちや、日々現地で奔走する地方公務員の皆さんに寄り添えるかどうかはかなり人格の深さを持った子か、黙々と物事に取り組めるタイプの子しか順応できないように思います。

後悔ばかり抱いて何とか戻ってきた

 また、状況が分からず所属したNPO団体の仕立てたワゴン車に乗ったまま能登半島奥地まで行ってしまった子が精神的にも肉体的にも大変衰弱した状態で帰ってきていました。

 さながら現地は戦場みたいなもので、被災者を差し置いて勝手に水洗トイレを使うことはできないが軽装備でNPO団体が現地入りしたため手持ちのトイレットペーパーもすぐに底をついただけでなく、食糧も水も不足しているばかりか帰りのガソリンも心許ない状況だったことで、何のために現地に行ったのかという疑問と調べず安易に来るんじゃなかったという後悔ばかりを抱いて何とか戻ってきたとのことでした。

 さらに、野外活動中に割と強めの冷たい雨が降ったことで、これはもう居られない、助けに来たのに自分がどうにかなってしまいそうだと感じたそうです。

 人生、勉強の連続であります。

 そういう非常時もあるのだといういい経験をしたのだと声を掛けてあげたいけど、人間、若くても数日飯が喰えず先が見えない環境に放り込まれると途端に衰弱してしまうのだ、というのは大事な知見だろうと思うのです。とはいえ、いい経験したじゃないかと肩を叩いて激励できるような状況に戻るまでどのくらいかかるのかよく分かりません。

 通信が回復した被災地の避難所からは、一日何回か、まだ現地で頑張っている子たちから連絡を頂戴します。現地で盗難があるという噂でピリピリする中で変な疑いをかけられそうになって参ったとか、普段運動していなかったので被災地では朝から晩まで荷物を運ぶことになり身体が辛いとか、そういう話はたくさん来ます。

 何事もない日常が、こんなにありがたいものなのだと思えたというのは共通した意見で、靴底の薄いスニーカーを履いて現地に行った子が倒壊した家屋のがれきに刺さっていた釘を踏み抜いてしまい帰ってきたのを見ると、学びというのはそういうところにあるのだと思わずにはいられません。

 地方の大学は特に、地方公務員を目指す子たちが一定数いることもあって、公的な仕事で頑張るに当たって、こういう天災が起きたときに率先して住民のために働く使命を負っていることを体験できるのは大事なことだろうと思います。他方で、普段見ていて人格円満で、褒められて育った自信満々の子たちが、現地入りした割と早期からストレスを溜めた被災地の皆さんとのコミュニケーションに行き詰まり、帰ってきてしまう現象が今回特に多いような気がしています。

同情や善意だけでは、理不尽な環境を乗り越えられない

 落ち着いたところで全員に話を聞きたいところなのですが、少し話を聞いた限りでは、やはり大変な経験をされた被災地の人たちへの同情や善意だけでは、理不尽な環境を乗り越えられるだけの覚悟や準備ができていなかった、ということのようです。  キラキラした瞳で「被災地を助けたい」と両手に同情と善意とを抱えて悲惨な現地に行った若者が、理不尽で不合理な現実に打ちのめされて死んだ魚の目になって帰ってくるわけですよ。

 そもそも天災なんてものは理不尽の塊で、その理不尽な事態で苦労している人たちは疲れ切っており、剥き出しの人格がストレスで表出してしまうのは仕方のないことなのです。

 そして、いまの若い人たちの普段の家庭や学生生活において、存在自体をいきなり否定されたり、身に覚えのないことで叱責されたり、本人なりに頑張っているのに感謝されないどころかまったく認めてもらえず、新たなしんどいタスクをどんどん要求されたりするような過酷な状況は昨今そこまでないんじゃないかと思うんですよね。

 意味のない変な校則に縛られたり、不思議な教師からブチ切れられる程度の経験しかないと、なかなかこの辺の理不尽を捌くコントロールはむつかしいのかなあとも感じます。

 何かしてあげて、素直に「ありがとう」と返してくれる人が少数であったとしても、あるいは、挨拶をしても無視してくる人たちが仮に過半だったとしても、気持ちの続く限り何かをしてあげ続けなければならないし、皆さんに挨拶やお声がけを繰り返す必要があります。

 かといって、女の子が現地入りして気さくに対応していたら性被害を受けかねない状況になったという話もある以上、なるだけ妙齢の女性は単独で現地入りしないことはやっぱりマストなのかなと思ったりもします。ジェンダー問題というのはある程度状況が落ち着いている環境でしか成立しない面もあるのかなと強く感じるところです。

 被災した人たちに対して必要なことは圧倒的な物資とそれに伴う安心感に尽きるのかなあと思うところがあって、あなた方の生活は当面大丈夫ですよと一刻も早く言ってあげられる状況にすることが政治に期待されることなのでしょう。

被災した方々の生活をどこまで復興させるか

 他方で、災害復興に関しては東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故の影響で15兆円以上の国富が復興庁などを通じて被災地に注ぎ込まれ、また、熊本地震や北海道胆振東部地震でも激甚災害の指定と共に被災した人たちの生活をどこまで復興させるのかという議論が繰り返し行われてきました。

 おそらく、今回被災した奥能登の集落などは高齢者の極めて多い人口構成から、復興で「元の生活に戻す」選択は政策的に採用し得ないことも踏まえて地域や住む人たちにとって何が最善かは考えていく必要があります。

 元旦の災害対応としては総理の岸田文雄さんの対応はほぼ完璧だった一方で、限られたリソースの中で、どこまで現地に寄り添って能登半島の復興に力を注ぐべきなのかという程度問題について、きちんと議論していかないとなあと感じる次第です。

 …と、ここまで書いたところで、学校でボランティア部なるものに入っている長男が被災地に行くかどうか悩んでいたので、いやせめてちゃんと大学入って超身体鍛えてからにしろよと、親として思いました。