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デコトラ乗りが集う「アートクラブ」って単に愛車自慢のオフ会じゃなかった! 社会貢献までしている活動実態とは。Apex product

デコトラ愛好家のオーナーズクラブ

 トラックを綺麗に派手に飾るカスタマイズはデコトラと呼ばれ、すっかり国内外から認知されている現在。そして、デコトラ界でよくあるのが「アートクラブ」。「アートクラブ」と聞いても、正直どんな活動をしているのかよくわからない。そこで、アートクラブの実態や活動内容を紹介してみよう。

 アートクラブとは簡単にいうとデコトラ愛好家のオーナーズクラブ。乗用車でのオーナーズクラブと同様に、デコトラという共通の趣味趣向をもった愛好家たちによる親睦会だ。

 このアートクラブの起源は、1975年に公開された東映の映画『トラック野郎』の製作発表会で全国哥麿会が発足したことだろう。同会は、独自のボランティア活動のほか、当時は出演車両の手配など、映画製作に全面協力している。それから約半世紀を経たいまでも、最大規模の全国哥麿会を筆頭に、100を超えるアートクラブが存在しているのだ。

 全国に点在するアートクラブの活動内容はさまざまだ。とくに目玉はアートトラックイベントを開催し、自慢のデコトラを披露する場を設けること。年に一度の自クラブのイベントに向けてデコトラをカスタマイズしていくクラブメンバーも多いようだ。

 イベントでは参加者にチャリティを募り、交通遺児の支援機関に募金の贈与も行っている。また、列島各地での災害には見舞い金や炊き出しなどの復興支援で、社会貢献に功績を残しているクラブも多い。

 全国に点在するアートクラブの活動内容はさまざまだ。とくに目玉はアートトラックイベントを開催し、自慢のデコトラを披露する場を設けること。年に一度の自クラブのイベントに向けてデコトラをカスタマイズしていくクラブメンバーも多いようだ。

 イベントでは参加者にチャリティを募り、交通遺児の支援機関に募金の贈与も行っている。また、列島各地での災害には見舞い金や炊き出しなどの復興支援で、社会貢献に功績を残しているクラブも多い。

横の繋がりを大事にするアートクラブ

 近年では企業や団体に所属せず、フリーランスとして働く社会人が増えているが、趣味の世界であるデコトラシーンでも同じように、アートクラブに属さずフリーとして、また身近な仲間内だけのチームで活動するトラッカーも多い。一方で、「つながりに属すこと」には多面的な魅力や特徴があるのも事実だ。アートクラブに籍を置き、共通の趣味を持つメンバーたちとの交流や、社会貢献活動に精を出し、伝統的なクラブの看板を守ることで、貴重な体験を得られる場合も多い。

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 ここでは、あるアートクラブの取材を通してそんな魅力を改めて紹介したい。

 愛知県を中心に活動する老舗アートクラブ「鯱風船団」。その歴史は1990年まで遡る。鯱風船団の初代会長であり、現総会長の近藤明さんは、平日は2トン車のダイナ「初代藤乃丸」で酒類の配達をこなし、休日にはトラックアクセサリーショップでパーツ製作のアルバイトをしていた。

 当時、自身のトラックのニックネームを冠した「藤城グループ」の一宮支部長だったが、より自由な雰囲気を求めて同グループを脱退し、近藤さんを慕う仲間とともに鯱風船団を立ち上げた。クラブ名は名古屋城に輝く金色の鯱。それに伊吹おろしの風と、地元愛を強く打ち出した。

 当時活動していた東海や関西のアートクラブに挨拶を済まし、同時期に親しく接していた「車歌軍団」「蛍火船団」とアートクラブ3兄弟として大阪で開催した鯱風船団の発足式は、いまでもマニアに語り継がれる内容だったそう。数年後に2代目会長の急逝や、近藤さんが「アートフレンド」を独立開業したことも重なり、木全基文さんが3代目会長、伊藤義康さんが副会長に就任、近藤さんが総会長として若手をバックアップする体制となった。

 鯱風船団主催のチャリティ撮影会は2005年で一旦休止となっているが、各友好アートクラブへの応援参加や、30数年継続しているメンバーのための交通安全祈願など積極的に活動を続けている。この安全祈願はメンバーの事故が重なった頃、トラック運転手という稼業の大敵である「交通事故に合わないで欲しい」と願うアットホームな考えで始まって、いまでも継続している。

 これこそが個々の時代であっても、横の繋がりを大事にするアートクラブならではの醍醐味なのだ。