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「90秒ルール」訓練効果か 日航機、18分間で全員脱出

羽田空港の滑走路で炎上する日航516便と逃げる乗客ら(2日)=乗客提供・共同

羽田空港で日本航空と海上保安庁の航空機が衝突した事故は、速やかな避難誘導が乗客367人の安全確保につながった。90秒以内に全員が脱出する訓練が奏功したとみられる。避難完了までの18分間の状況が同社や乗客の話で明らかになってきた。

海保機と衝突した日航516便が北海道の新千歳空港を出発したのは2日午後4時15分。帰省や旅行から戻る客らでほぼ満席で、定刻から25分遅れて羽田へ飛び立った。

1時間半後に状況は急変する。午後5時47分の着陸時に滑走路上で海保機と衝突した。帰省先から搭乗した都内に住む女子大学生は「いつもより大きな衝撃を感じ、体が前に押し出されそうになった」と振り返る。窓からはエンジン付近から炎が出ているように見えたという。

「何が起きたんだろう」。知人女性と言葉を交わしていた男性会社員(28)は機内に白い煙が立ちこめてきたのを見て、会話を止めて手で口を覆った。客室乗務員が出口の状況などを同僚とやり取りするのを耳にし「ただごとじゃない」と感じ始めた。

「大丈夫です」「落ち着いて」。乗員が繰り返す間にも機内は緊迫する。窓の外が炎で赤くなり、子どもが泣き叫ぶ声が聞こえた。案内があるまで席で身をかがめるように指示があり「(乗員の)言うことを聞いた方がいい」と呼びかける乗客もいた。

出口が開くまでの時間は5〜15分ほどとみられる。アナウンスシステムが作動せず、一部の乗員はメガホンも使い誘導した。8カ所ある出口のうち5カ所は火災で使えないと判断。最前列の左右、最後尾の左の計3カ所から、滑り台状の脱出シューターで次々と乗客が機外に脱出を始めた。

海保に事故の連絡が入ったのは同じころとみられる。午後5時55分、海保機から脱出し、負傷した機長が羽田航空基地に通報した。「滑走路上で機体が爆発した。ほかの乗員については不明」

日航によると全員が脱出して安全な場所に避難を終えたのは衝突から18分後の午後6時5分。まもなく炎は機体全体に回り、3日午前2時15分ごろにやっと鎮火した。「間一髪で助かった」「無事でよかった」。取材に応じた乗客はそろって安堵の表情をみせた。

乗客乗員の脱出を支えた一因とみられるのが「90秒ルール」と呼ばれる原則だ。国際的な航空機の設計基準は、脱出シューターが開いてから、90秒以内に搭乗者全員が脱出できるように定める。

日航によると旅客機の乗員は年1回、90秒以内の避難誘導を訓練する。社員が乗客役となり、幼児がいる、機内外が暗いなど「様々な状況を想定して実施する」(広報部)という。

乗客からは「指示に従い落ち着いて避難を待った」(30代男性)、「大きなパニックになっている人はいなかった」(50代男性)との声も聞かれた。

元客室乗務員の児玉桜代里・明星大特任教授は緊急時の避難誘導について「トラブルが生じた原因や位置が分からないまま脱出を試みるのは危険性が高い。今回は状況の把握が特に難しかった可能性がある」と指摘する。

むやみに出口を開ければ、機内に炎が入り込む恐れもあったとして「訓練を踏まえた乗員の冷静な判断が乗客の安全確保につながったのではないか」とみる。

緊急時の避難誘導は過去の事故の教訓も踏まえて見直しが重ねられてきた。今回の事故でも避難の詳しい状況や改善点を日航などが検証するとみられる。(小川知世、髙橋彩)

羽田JAL機衝突、滑走路で交錯なぜ 交信記録解析が焦点

焼け焦げた日航機(3日午前、羽田空港)=共同通信社ヘリから

羽田空港で日本航空機と海上保安庁の航空機が衝突した事故で、運輸安全委員会による調査が本格的に始まった。同じ滑走路上でなぜ2つの機体が交錯したのか。経緯の解明には管制官との交信記録の解析と両機長らの認識の確認が重要なポイントになる。

運輸安全委は2日夜、現地に調査官6人を派遣した。3日から事故現場での調査が本格化するとみられる。

事故は2日午後5時50分ごろ発生した。札幌(新千歳)発羽田行きの日航機が着陸のためC滑走路に進入した。海保機と衝突し両機とも炎上。海保機の乗員6人のうち5人の死亡が確認された。日航機は乗客乗員379人のうち14人が負傷した。

焼け焦げた海上保安庁の航空機を調べる関係者(3日、羽田空港)

滑走路に複数の機体が入り込む事態を避けるのが安全な離着陸の前提となる。空港側の管制官が各機と交信し、滑走路への進入を許可したり誘導路での待機を命じたりし接触を避ける。

国交省によると管制官は通常、滑走路ごとに割り当てられる。同じ滑走路を使う場合は、民間機も公的機関の機体も同じ管制官から指示を受ける。誘導路から滑走路へ入る際は手前の停止ラインで一時的に待機することが多い。進入には許可が不可欠だ。

羽田空港での衝突事故を受け、記者会見する日本航空の青木紀将常務執行役員総務本部長(右)ら(2日深夜、国交省)=共同

海保機の動きは少しずつ判明してきた。能登半島地震での被災地への物資運搬のため離陸しようとして、誘導路からC滑走路へ入ったとされる。

一方、日航側は2日夜の記者会見で「現状は着陸許可は出ていたと認識している」と説明。乗員からの聞き取りをもとに「滑走路に通常どおり進入し、通常どおりの着陸操作を開始したところ衝撃があって事故に至ったことを確認した」と述べた。

調査で最も重要になるのが管制官と日航機、海保機との交信記録の解析だ。管制側には音声データが残されているとされ、運輸安全委は内容の検証を急ぐとみられる。聞き取りなどを通じて各機側の認識についても調べる。

現地では両機体の損傷状況も詳細に調査するとみられる。損傷状況の分析は両機の衝突当時の位置関係や炎上に至った経緯の解明につながる可能性がある。

運輸安全委の調査目的は事故の責任追及ではなく、原因究明と再発防止だ。調査を通じ必要と認めた場合には、関係機関に安全対策向上のための勧告などを出す。

羽田空港の滑走路で炎上する日航機(2日午後)

航空事故の調査結果がまとまるまでには年単位の時間がかかるケースが多い。1994年に名古屋空港で中華航空機が着陸直前に失速し墜落した事故では報告書がまとまるまで約2年3カ月かかった。

運輸安全委の調査と並行し、警視庁も捜査に乗り出す。同庁は3日、東京空港警察署に捜査本部を設置、業務上過失致死傷の疑いも視野に入れる。警察の捜査は刑事責任の有無を調べるのが主眼で、現場検証や関係者からの事情聴取を進める方針だ。

異例の事故が起きた原因として考えられる点などについて、識者の見方を聞いた。

「管制の情報共有が焦点」 元日航乗務員で航空評論家の秀島一生氏

管制側とパイロット側のどちらかに何らかの問題があったのではないか。羽田空港は国際線の導入が進んだ影響で過密状態にある。4本の滑走路は井桁状に設置され、同時着陸も可能となっており管制業務はとても複雑。管制による情報共有がうまくできていたか検証が求められる。

「原因解明、交信記録がカギ」 元日航機長で航空評論家の小林宏之氏

国内の空港において、これだけ大きな衝突事故は記憶にない。現時点の情報を勘案すると、管制の指示自体にミスがあったことや、海保の航空機が指示を聞き間違えた可能性が考えられる。いずれにせよ、交信記録が事故原因を解明する上でカギとなるだろう。

燃え上がるJAL機、緊迫の脱出 乗客「のど焼ける感覚」

羽田空港の滑走路で炎上する日航機(2日午後)

機体から激しく噴き上がる炎、煙が充満するなかでの避難――。2日に羽田空港での衝突事故で炎上した日本航空機の乗客367人は全員、脱出シューターで地上に避難した。乗客らは「ドンと突き上げるような衝撃だった」「生き残ったのは奇跡」と事故直後の緊迫した状況を振り返った。

「着陸するタイミングで、尻が浮き上がるほどの衝撃があった。間一髪で助かった。生き残ったのは奇跡だと思う」

北海道旅行からの帰りで事故機の窓側に乗っていた男性会社員(28)はすぐに窓の外を見て機体が燃えていることに気づいた。機内には煙が充満し、視界が遮られた。「サウナのように熱くなり、息を吸うと喉が焼けるような感覚だった」と語る。

男性ら複数の乗客の証言によると、事故直後から機内では「大丈夫です、落ち着いてください」「その場から動かず、鼻と口を覆ってください」とのアナウンスが繰り返された。

一部の席で頭上から酸素マスクが出た。脱出シューターの出口が開くまでの間、一部の乗客はパニックになり、「早く出して」「乗務員の言うことを聞いた方がいい」などの大声が飛び交った。乗務員の指示を周囲に伝言していく乗客の姿もあった。

脱出シューターで地上に降りると、乗務員が「機体から離れて」。ほどなく機体から『ボン』と大きな爆発音がしたという。火の手はみるみる広がり、30分もたたないうちに機体全体に回った。窓やドアから爆発するように炎が噴き出した。

札幌市の実家に帰省していたという男性会社員(59)は「5分ほどで全員が脱出できたと思う」と落ち着いた様子で話した。埼玉県の30代男性は「とにかく何が起こっているのか分からなかった」という。

同県和光市の女性(55)は2日午後5時57分ごろ、炎上した航空機に搭乗していた娘(29)から「火災があった。滑り台(脱出シューター)で飛行機から降りた」と電話を受け、驚いた。

短い電話が切れた後、娘からは「死ぬかと思った」とのメッセージがスマートフォンに届いた。機体が燃え上がる写真や動画も届いた。脱出中に撮影したとみられる写真には窓の外がオレンジ色に染まる様子が写っていた。

空港で娘を待つ女性は「飛行機から降りたと聞いても娘の顔を見るまで心配」と不安そうな表情だった。

脱出シューターは非常着陸による火災発生など航空機からの緊急脱出が必要な場合に備えて非常口に設置された滑り台。非常口を開けると自動的に膨らんで地上に展開する。

国際的な航空機の設計基準は、脱出シューターの展開後、90秒以内に搭乗者全員が脱出できるよう定めている。2007年に起きた中華航空機の事故では、火災で機体が大破したが、シューターを使った脱出で乗客ら165人が全員無事だった。