そのとき陛下は、部屋の中の三人の女の子の、 真ん中の子が胸に抱きしめていた二つの位牌を じっと見つめておられたのでした。
そして、女の子に、静かな声でお尋ねになりました。 「お父さん、お母さん?」 「はい、これは父と母の位牌です」
「どこで?」 「はい。父はソ満国境で名誉の戦死をしました。 母は引き上げの途中、病のため亡くなりました」 「お一人で?」 「いいえ、奉天からコロ島までは日本のおじさん、おばさんと一緒でした。 船に乗ったら船のおじさん達が親切にしてくださいました」 「お淋しい?」 「いいえ、淋しいことはありません。私は仏の子です。 仏の子は亡くなったお父さんとも、亡くなったお母さんとも お浄土にまいったら、きっともういちど会うことができます。 お父さんに会いたいと思うとき、お母さんに会いたいと思うとき、 私はみ仏さまの前に座ります」 その時、陛下のお顔が変わったように随行の者は思えました。 すると、陛下は、部屋の中に入られました。 そして、右手に持たれていた帽子を左の手に持ちかえられ、 右手をすっと伸ばされて、 位牌を抱えている女の子の頭をお撫でになりました。 何回も、何回も。
そして、おっしゃいました。 「仏の子どもはお幸せね。これからも立派に育っておくれよ」
そのとき、天皇陛下のお目からは、 ハタハタと数滴の涙がお眼鏡を通して畳のうえに落ちていきました。
そのとき、この女の子が、小さな声で「お父さん」と呼んだそうです。
これを聞いた陛下は、深くおうなずきになられました。
その様子を眺めていた周囲の者は、皆、泣いたそうです。
東京から随行してきていた新聞記者も、肩をふるわせて泣いていました。
いよいよ陛下が、御料車に乗り込まれようとしたとき、 寮から見送りにきていた先ほどの孤児の子供達が、 陛下のお洋服の端をしっかりと握り、 「また来てね」と申したそうです。
すると陛下は、この子をじっと見つめ、にっこりと微笑まれると 「また来るよ。今度はお母さんと一緒にくるよ」と申されました。
御料車に乗り込まれた陛下が、道をゆっくりと立ち去っていかれます。 そのお車の窓からは、陛下がいつまでも御手をお振りになっていました。
宮中にお帰りになられた陛下は、次の歌を詠まれています。
みほとけの 教へ まもりて すくすくと 生い育つべき 子らに幸あれ
出典:調寛雅(しらべかんが)著(教育社) 「天皇さまが泣いてござった」
コメントをお書きください