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志穂美悦子が語った、渥美清さんの素顔と長渕剛との結婚で絶頂期に「引退」の理由

 1970年~1980年代にアクション女優として脚光を浴び、1986年の映画「男はつらいよ 幸福の青い鳥」でマドンナ役を演じた志穂美悦子さん。女優業を離れて、現在はフラワーアーティストとしても活動する。生い立ちから、「男はつらいよ」の裏話、夫・長渕剛さんとの馴れそめなどについても赤裸々に語ってくれた。

──『女必殺拳シリーズ』など、アクション女優として活躍された志穂美さん。学生時代から運動は得意だったんでしょうか?

 小学校、中学校、高校と運動ずっとやってきていました。小学校から足が速くて、マラソンも短距離も走ると1位なんですよ。運動神経を買われて、水泳部に助っ人で夏だけ呼ばれて試合に出場して、賞取っちゃうみたいな。

──すごいですね。

 当時はプールがやっとできたような時代なんです。だから、水泳部とかがそもそもなくて、泳げそうな人が集められるんです。夏だけ特訓されて大会に連れていかれる。備前地区では1位だったんですけど、岡山県全体ではタイムだけで判断されるのですがそれでは4位でしたね。中学高校は陸上部でした。

 だから私は、自分の運動神経を生かした女優になりたいというのは、もう、ふつふつと、中2くらいから思っていました。今でも思うんですが、気質が女優じゃないんですね。自分のことアスリートだと思っています。アスリート気質(笑)。

──「男はつらいよ」でマドンナ役には選ばれたときは、どう思いましたか?

 私は25才のときに「マドンナになりたい!」と思っていましたね。それが30才にオファーをいいただきました。「夢は叶う!」と思いました。

──周りの人には宣言していたんですか?

 いえ。人には言わなかったですね。女優になるとか、アクション女優に絶対なるとか、マドンナになるとかっていうの、絶対人に言わないタイプなんですよね。

──自分の中のルールみたいな?

 私の父親が軍人で、もうとてもかたい家に生まれているんですよ。うちの家の雰囲気っていうのか、「意志はしっかり持ちなさい」と言われていましたけど、あまりにも大きい夢やすぐ実現しそうにないものは、私は口に出さないです。それは父の影響なのか……父は陸軍中野学校を卒業している、バリバリの軍人で、戦争にも行っていましたし、意志の強さとか記憶力とか凄い良かったですね。父も曖昧な段階では口にしない!という性格なのでその影響は強いです。

──アクション俳優を目指されたのはお父様の影響ですか?

 いえ、一切ないです。もうとにかく芸能界なんてとんでもない家でしたから。そんなものを言葉にもできない。密かに2年ぐらい思っていて。父親にも母親にも私の思いは一切言ってないです。そもそも田舎の中学、高校なので「何考えてんの?」って話になりますし。大学で東京に出て行って、そうしたら自分の意志で一歩踏み出そう!としか思えなかったです。

──「男はつらいよ」のマドンナでは、それまでの役柄と違った演技をされていましたが、なかなか役作りも大変だったんじゃないでしょうか?

 そうですね。頂いた役が、福岡の炭鉱の町で、旅芸人の家に生まれる女の子でした。バイクに乗るシーンがあるんですが、それは山田洋次監督が私風にアレンジした設定でした。そういう設定はありがたかったのですが、一言一句、言い方とかを結構山田洋二監督から現場で「こういう風に言ってみて」「こういう風にしましょう」とか、言われました。一応、今まで私がやった役は基本、アクションがベースにあったりしたのですが、「可愛い女性」いわゆるマドンナっていう女性を監督は非常に求められました。私もそうなりたいと思っていましたが、山田洋次監督のイメージ通りのマドンナにはへだたりがありましたね。寅さんに自分の生い立ちを言うシーンで、「田川に生まれて、旅芸人の家を継いだんですけど、もう父親は死んじゃって……」と悲しい部分を言うところは何回何回もリハーサルされたのは覚えています。長渕剛さんとの共演シーンや掛け合いは、ほとんど指摘されなかったですね。

──渥美清さんとの思い出はなにか覚えてらっしゃいますか?

 渥美清さんって肺が1つないのご存知ですか? あ、今は公表されているんですね。松竹の撮影所のセットの中に、和室の部屋があって、撮影の合間に横になられるんですよ。当時まだ公表されてないし、SNSとかもなく、自分にそんな話していただいていいんですかと思ったのはすごい印象に残っています。すごく物静かな方でとても気さくで、自然体な方でした。

 撮影当時、渥美清さんは57~58才くらいですかね。今でこそ58才って若いですけど、当時はやっぱり美空ひばりさんが53才で亡くなられる、石原裕次郎さんも52才で亡くなられた、みたいな印象があったので、私は当時、ものすごく年上のベテラン大俳優の方という感じを受けていました。

 でもやっぱり渥美清さんのリアクションとか、間は素晴らしかった。芝居だったり、リアクションだったり、ちょっとした間が素敵でした。山田洋二監督とのコンビネーションは絶妙で、人間の温かみ、素朴さ、いさぎ良さ、ほのぼのとした柔らかさ、全てが表現された素晴らしい作品でした。

「音楽が溢れる」家庭にしたかった

──出演した際の反響はありましたか?

 もう、これが私の映画の最後の出演作品なんですよ。この後引退しちゃうから。引退するつもりもなかったのに。もう記念の青春メモリアル映画です。

──引退したのはどうして?

 引退はするつもりも全くなくて。この作品公開の翌年1987年に結婚して、そのあと長女と長男を年子で続けて出産しました。もうその子たちをおいて現場に出ていくようなことが、まず自分の中にできなくなった。1日2日で終わる単発のお仕事ならやれたかもしれませんがそれでは自分の中で納得がいかなかったです。いままで本当に大きな役を頂いていたし、そういうしっかりと集中して作品に入るようなものだと、子育てとか一切忘れて没入しないとできないぐらいのことだから、出来ないと判断しました。だから休止という感じでした。

──世間から見ると「引退したんだね」と思われてしまいますよね

 結婚の記者会見でも、引退なんて一言も言われなかったし、言ってないんです。でも年子の後に5年離れた第三子の次男が生まれて。ますます出来なくなっていきました。それから現場を離れて10年くらい経っていた頃ですね、すごい大役のお話があったんですよ。でも、もう現場を離れて長い時間が経っていたので自分にはその役を演じるだけの度胸がなく怖くてお断りしたのです。ちょっと離れていると、あれだけやりたかったのに、すごく良い役のオファーが来てるのに「背中をドーン」って押されなかったというか。自分から飛んでいけなかった……。

──その分、子育てが楽しかったということですか?

 はい、ものすごく充実していました。女優の仕事よりも、最優先になりました。役の中を演じて、女優面を大きく取り上げられるよりも、実人生を実り豊かにする方がとても心地よかったし楽しかったです。我が子という命と向き合う事が最優先という日々に変わっていきました。ちなみに、私は「音楽が溢れる」家庭が夢だったのでそれは叶いましたね。そして1人の女の子と2人の男の子を産みたいと思っていましたからそれも叶いましたね。

──マドンナといい、夢を叶える。すごいですね。

 そうなんですよ。強く思えば叶うのです。だからなんか私、魔法が使えるんですよ!(笑)。

──長渕さんとは、この作品の後に結婚されるんですよね。

 ドラマ「親子ゲーム」(1986年)でコンビ組んでるし、「男はつらいよ」でもコンビ組んでいて。撮影が終わってからも、「ライブを見においで」みたいな話から……なんだか……いつのまにか(笑)。

──もうお互い気持ちがあったんですか?

 さあどうでしょう(笑)。女優を「虚像」と言うのなら、虚像としての女優の仕事は、おかげさまで主演映画も頂いていたりしていたので、順風満帆でした。30才になった時に、このまま女優だけ続けていくのは、自分の実生活が寂しいと思いました。それははっきりと。今の30才はまだ全然若いですよ。ただ、私の時代の30才ってとても大きな節目みたいな感じがあって。ただ、もし私がまだ売れてなくて女優としてもがき続けていたら、まだ絶対結婚してないですね。まだこんなんじゃない! みたいなのがあったと思います。

【プロフィール】
志穂美悦子(しほみ・えつこ)/1955年生まれ、岡山県出身。JAC入会を経て、アクション女優として人気を博す。代表作に映画『女必殺拳』シリーズ、『二代目はクリスチャン』、ドラマ『影の軍団』シリーズなど。結婚後は女優業を休止し、現在は花創作家(フラワーアーティスト)として活動中。

撮影/宮本賢一