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ロス続出?「セクシー田中さん」結構ヒットした訳 令和のドラマらしい「穏やかさ」が安眠導入剤に

『セクシー田中さん』(日本テレビ系 日曜22時半〜)が最終回を迎えたら、絶対ロスになる人が多発する。それほどまでに『田中さん』は2023年10月期ドラマの思わぬ収穫だった。『セクシー田中さん』は日曜日の夜の癒やしであり、視聴率面でも、昨今、注視されているコア視聴率(13~49歳をコアとした個人視聴率)が高く、男女共に見られている。

 

「セクシー」だけが売りではない

女性が主人公のドラマながら、男性にも注目されているのは、主人公・田中さん(木南晴夏)が、美しいくびれを強調した衣裳で、タイトルのごとくセクシーに舞い踊るからだろう。

だが、それだけでは断じてない。“セクシー”という扇情的なワードとビジュアルは入り口に過ぎないのである。ドラマの世界に一歩入ればそこは、やさしい世界。繊細な心の内面をそっとなでてくれるような手触りで、月曜の朝に向けての安眠導入剤のようなドラマなのだ。登場人物の話し方が控えめで、心を不必要に波立たせない。令和のドラマは、この穏やかさが求められているのではないかと思う。

終わりが惜しまれるなか、田中さんはクライマックスに向けて、憧れの人・三好(安田顕)と、はじめてできた男友達・笙野(毎熊克哉)との間で揺れている。これまで友達も恋人もできたことのなかった田中さんに最終回で恋人ができるのだろうか、それともまったく違うラストが待っているのであろうか――。

ではここで、改めて『セクシー田中さん』を振り返ろう。田中さんはアラフォーの会社員で、仕事は優秀ながら、社内では地味で目立たない。ところが、一歩会社を出ると、腰をくねらせ情熱的に踊るベリーダンサーへと変貌する。同僚・朱里(生見愛瑠)は偶然、田中さんの意外な面を知って、心惹かれていく。

社外で、自由に生き生きと自分のしたいことをしている田中さんに比べると、朱里は縛られて生きている。安定した生活を求め、合コンに参加し、そこで男性に気に入られるような言動を心がけるような日々を過ごしてきた朱里は、他者の目を気にして生きていることに劣等感を覚えている。でも、田中さんから見たら、そんな朱里のほうこそ、コミュニケーション能力に長けていてうらやましい存在だった。

田中さんはアラフォーの今の今まで、友達も恋人もできたことがなく、だからこそ、思い立ってベリーダンスをはじめたのだ。すると、それまで猫背で、まるで老婆のようだった見た目が、みるみる背筋が伸びて、田中さんを輝かせていったのである。

 

仲良くなっていくにつれて互いに変化が

まるで対照的に見える田中さんと朱里は、それぞれ悩みを語り合い、おしゃべりを通して、仲良くなっていく。最初は、むすっと口数が極端に少なかった田中さんが、朱里と恋バナしたり、自宅に招いたりするようになると、じょじょに表情が柔らかになり、モノローグも増えていく。そしてますます見た目も輝いて注目度が上がっていくのである。

余談だが、田中さんがひとりでブツブツ言っているときの口調が、映画にもなった『ミステリと言う勿れ』(フジテレビ系)の主人公・整くん(菅田将暉)みたいだと思ったら、脚本が同じ相沢友子だった。

これまで無駄にコミュ力を振りまいてきた朱里も、他者に媚びるようなことなく、自分の意見をちゃんと言えるようになって、老人ホームのメイクボランティアを通してやりがいを見つけていく。

こんなふうに、1人で悩んでいたことが、誰かに聞いてもらうことで解決していくことは喜ばしい。人は誰だって悩みを抱えて、その解決策を探しているが、1人ではなかなか難しい。かといって、誰かにぐいっと方向を変えられるのも嬉しくない。

外側から強い力によって変えられるのではなく、自分らしさを大事にしながら、ゆるやかにより良い方向に変わることができたらどんなにか良いだろう。田中さんは、一見ふしだらに見えて、自由の象徴のようなベリーダンスの本質を例に自分の生き方を考える。

「他者の意見をはねのけて強くありたいか。すべてを内包してやわく共存したいか」

この哲学的な問いは極めて重要である。

田中さんに影響され、男性陣も変わっていく

変わっていくのは、田中さんや朱里だけではない。男性陣もまた……。合コンを率先して仕切っていたちゃらい小西(前田公輝)は実はかつて非モテだった。社会人になると肩書で女性が寄ってくるようになり、そのことに虚しさを感じながら遊ぶ日々を過ごしていた小西は、田中さんや朱里たちとの交流を通して、朱里に真面目に交際を申し込むまでに変化していく。

また、小西の仕切りで朱里と合コンをしたことのある笙野は過去、手ひどい振られ方をして、女性不信なところがあった。はじめて、田中さんのベリーダンスを見たとき、ベリーダンスをふしだらという先入観から、おばさんが無理していると軽蔑するようなことを言う。

ちゃらい小西よりも、エイジレス、ジェンダーレスの時代に逆行する笙野のほうが最低最悪な人物と視聴者の反感を買ったものの、彼もじょじょに変わっていく。田中さんの内面に惹かれて、逆に、田中さんを応援し、彼女が会社での立ち位置を変えるほどの影響を与えるようになる流れは清々しかった。

一方的に男性たちを責めるのではなく、彼らの女性に対する失礼な言動の要因は実は女性にあったという観点は、とてもフェアである。

やがて、笙野はお見合いで、理想的な女性・ふみか(朝倉あき)に出会うが、彼女が気に入ってくれている自分の良い面は、田中さんとの交流を通して引き出されたものであることに気づいて、心をざわつかせる。

一方、田中さんは、憧れの三好にも好意を持たれ、キスまで進みそうになるが、笙野のことがちらついて……。別居中とはいえ妻がいるらしいのに、田中さんに「キスしていい? 嫌?」と甘い言葉をささやく三好がこのドラマで最も「セクシー」であるという声もSNSでは飛び交った。ともあれ、別居中の妻がいるらしいことが問われないほど、魅力的であることは、ひとえに安田顕の演技力の賜物であろう。

ここで改めて、田中さんの考える「他者の意見をはねのけて強くありたいか。すべてを内包してやわく共存したいか」が筆者には思い出された。自分らしく自由に生きたい。他者の目を気にせず、自分で選び取った道を邁進したい。とはいえまったくの孤独はさみしいもので、やっぱり誰かと共存したい。

漫画はまだ続いている中での結末は?

田中さんが踊っている、ペルシャ料理店Sabalanはゆるやかに人とつながれる理想の空間であり、ベリーダンスを通じて、田中さんも、ほかの人たちも、自分の意思と他者との共存という難問に向き合っているのだろう。

第9話の状況を見るに、田中さんと笙野は結ばれて然るべきではないかと思うが、旧時代のドラマだったらそうなるであろうところ、友情のままでいてほしいという声も少なくない。これがまた令和のドラマの面白いところだ。

『セクシー田中さん』は漫画が原作で、この漫画がまだ完結していないので、ドラマオリジナルのラストになるだろう。完結していない漫画のドラマ化の結末は大抵悩ましいものではあるが、『田中さん』に限っては、最終回前の第9回と最終回の脚本を、原作者・芦原妃名子自らが手掛けているので間違いないだろう。原作者自ら脚本を書くドラマはあまりないので、それも注目ポイントである。

ドラマのなかには、さんざん期待させてがっかり最終回というものもある。が、『田中さん』に限ってはそんなことはないと思いたい。ぜひともナットクの最終回で、田中さんロスにさせてほしい。