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義援物資としてパンが飛んでいく【青空と向日葵の会】

【義援物資としてパンが飛んでいく】
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栃木県那須塩原市に、株式会社パン・アキモトという
パンのメーカーがあります。
1995年に発生した阪神・淡路大震災のとき、
パン・アキモトの秋元社長は報道を通じて、
被災地の悲惨な状況を知りました。
居ても立ってもいられず、社長は、被災者を救援するために、
約2000食ものパンをトラックに積み込んで、
一路神戸へと向かいました。
被災者たちは喜びますが、
社長は焼きたての美味しさを提供できず、
悔しい思いをしました。
また混乱の中で劣化し、捨てざるを得なかったパンもあり、
大変な無念を味わうことになりました。
被災の各避難場所からは、
「乾パンのように保存ができて、
食パンのように美味しいパンがあれば」
との声が聞こえてきました。
そんな声を丹念に拾い上げ、
秋元社長は、さっそく開発を始めます。
そして1年後、秋元社長の思いを実現する商品が出来上がりました。
その商品は、現在、世界の飢餓救済のプロジェクトとして
実を結ぶまでに普及し、成長することになりました。
その製品とはこのようなものでした

年後、完成したのは『パンの缶詰』でした。

パンを缶の中に入れ、そのまま缶ごと焼き上げる という方法を取り入れ、パンの缶詰を完成させたのです。

しかし、防災の日のイベントに参加したり、 自治体に無料提供したりしても、 あまり売上は伸びなかったそうです。

ところが、2007年に大きな転機が訪れます。

新潟県中越沖地震の際に、 パンの缶詰を備蓄していた自治体があったのです。

その自治体が救援物資として、パンの缶詰を送り、 被災地で高い評価を得たのでした。

メディアなどを通じて、商品の良さは広まり、 会社には注文が殺到するようになりました。

秋元社長の、困った人を助けたい気持ちには、 まだ留まりがありません。

現在では、賞味期限が1年になったパンの缶詰を、 積極的に下取りしています。

その商品をどうするか。

世界にはあらゆる飢餓地域が存在しています。

秋元社長は「救缶鳥プロジェクト」と銘打ち、 海外に義援物資として送るなどの国際貢献活動を行っています。