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元関脇寺尾の錣山親方が死去 60歳

元関脇寺尾の錣山親方 

大相撲の元関脇寺尾で筋肉質の体と甘いマスクで人気を誇った錣山(しころやま)親方(本名=福薗好文=ふくぞの・よしふみ)が死去したことが17日、日本相撲協会関係者の話で分かった。60歳だった。最近は持病の不整脈の影響などで入退院を繰り返し、関係者によると9月下旬から東京都内の病院に入院。17日未明から容体が悪化したという。

鹿児島県出身で、父は元井筒親方(元関脇鶴ケ嶺)。1979年名古屋場所初土俵で、長兄の元十両鶴嶺山、次兄の元関脇逆鉾(いずれも故人)とともに「井筒3兄弟」として人気を博した。

きっぷのいい突き、押しを武器に活躍し、2002年秋場所限りで現役引退した。三役在位は13場所で、幕内在位は史上6位の93場所。

引退後は年寄「錣山」を襲名。元小結豊真将の立田川親方や22年九州場所で初優勝した阿炎らを育てた。〔共同〕

元関脇寺尾の錣山親方死去 60歳 細身の体で闘志あふれる突っ張り 親方として阿炎ら育成


元関脇寺尾の錣山親方(10年2月)

突っ張り一本やりの気っぷのいい相撲と、甘いマスクで一世を風靡(ふうび)した元関脇寺尾の錣山親方(本名・福薗好文)が17日、東京都内の病院で死去した。60歳だった。父が名関脇、3兄弟も関取で逆鉾との兄弟同時関脇も達成。通算出場など、数々の出場回数記録で歴代10傑入りするなど、116キロの細身の体ながら“鉄人”の異名も誇った。以前から不整脈など心臓に持病を抱えていた。先月の九州場所も全休して約2カ月間入院。その後退院し、復帰に向けてリハビリを続けてきたが、体調が急変した。 【写真】阿炎ら弟子たちに見守られながら、錣山部屋に戻った錣山親方のご遺体  錣山親方の危篤の報を受け、弟子の小結阿炎(29)らは急きょ、冬巡業が開催されていた関西から帰京した。入院していた都内の病院で錣山親方は、関係者らにみとられたようだ。先月の九州場所も不整脈で入院し休場していた。昨年九州場所で愛弟子の阿炎が、錣山部屋史上初の幕内優勝を果たした時も心臓の病気で入院中だった。「心臓で入院しているのにバクバクさせるなよ」と、嬉しそうに話していた同親方。その2年前、コロナ禍でガイドライン違反が発覚し、3場所出場停止からはい上がってきた阿炎の復活優勝。師匠としてこれ以上の喜びはなかった。あれから1年。夢見心地のまま、師匠は天国に旅立った。  父は、もろ差しの名人と言われた元関脇鶴ケ嶺の井筒親方。その父が部屋を構える東京・墨田区で生まれた(協会発表の出身地は鹿児島県姶良市)。母節子さんを慕い、その母が死ぬ際に「相撲取りになって」の言葉で角界入りを決意。長兄で元十両の鶴嶺山、次兄で元関脇の逆鉾の後を追うように、79年名古屋場所で初土俵を踏んだ。食べても太れない体質で、細身の体は最高でも116キロ。それでも闘志あふれる小気味の良い突っ張りを武器に5年後に新十両、85年春場所では新入幕を果たした。元号が平成になった89年3月の春場所では、逆鉾との兄弟同時関脇を果たし井筒部屋の栄華を誇った。昭和38年生まれの「花のサンパチ組」として横綱北勝海、大関小錦、関脇琴ケ梅らと土俵を彩りもした。  闘志を全面に押し出す敢闘相撲で、敗れた相撲でも好角家を喜ばせた。横綱千代の富士をあと一歩まで追い詰めながら、吊り落としで敗れた一番。のち横綱貴乃花となる貴花田との初顔合わせでは敗れた悔しさで、さがりをたたきつけながら引き揚げる姿がファンを魅了した。  細身の体でケガの多い力士生活だったが、それでも土俵に立ち続けたからこその勲章がある。通算出場(歴代4位)、幕内連続出場(同4位)など、休むことなく土俵に上がり続けた末の記録で「鉄人」とも称された。  02年9月の秋場所限りで現役を引退。年寄錣山を襲名し井筒部屋で後進の指導にあたり、04年1月に分家独立し錣山部屋を創設した。15年に検査入院するなど不整脈の持病がありながら、熱心な指導で阿炎、小結豊真将らを育て上げた。次兄は19年に58歳で、長兄は20年に60歳で他界。太く短い人生だったが、果敢に立ち向かっていく真っ向勝負の「漢寺尾」の相撲は、永遠に相撲ファンの心に刻まれる。  ◆錣山瑛一(しころやま・えいいち)1963年(昭38)2月2日生まれ、鹿児島県加治木町(現姶良市)出身(出生は東京都墨田区)。本名・福薗好文(ふくぞの・よしふみ)。2人の兄(長兄の鶴嶺山、次兄の逆鉾)を追うように、父の井筒親方(元関脇鶴ケ嶺)が師匠を務める井筒部屋に入門し、79年名古屋場所で初土俵。84年名古屋場所で新十両に昇進し、しこ名を母の旧姓だった「寺尾」から「源氏山」(30代横綱西ノ海が横綱昇進直後まで名乗っていたしこ名)に改名も、1場所限りで戻した。85年春場所で新入幕、89年春場所では逆鉾との兄弟同時関脇を果たす。02年秋場所限りで現役を引退。185センチ、116キロの細身の体から繰り出す小気味のいい突っ張りと甘いマスクで一世を風靡(ふうび)した。現役引退後は年寄錣山として井筒部屋の部屋付き親方として後進を指導。その後、分家独立して錣山部屋を興し阿炎らを育てた。通算成績は860勝938敗58休。三役在位13場所、三賞受賞7回、金星7個。通算出場(歴代4位)通算勝利(同10位)幕内在位場所数(同6位)幕内出場回数(同5位)初土俵からの通算連続出場(同7位)幕内連続出場(同4位)など“鉄人”ぶりも示した。

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コメント: 20
  • #1

    名無し (月曜日, 18 12月 2023 19:49)

    若い頃、後援会の人に両国の井筒部屋に連れて行ってもらったことがあり、稽古を拝見しちゃんこをご馳走になったことがあった。
    逆鉾関と共に寺尾関も活躍していた頃で、稽古の凄まじさには驚いたものだった。

    寺尾関は実際に会っても本当に端正な顔立ちで、物静かで優しい感じの人だった。力士としては小さいと言われるが、背が高くとても大きい人に感じた。
    ちゃんこを「たくさん食べて。」と言われても緊張して遠慮がちになってしまったけど、気さくに一緒に写真を撮ってくれたりもした。
    若くして亡くなってしまい残念で悲しい思いだが、忘れられない貴重な経験になった。

    心からご冥福をお祈りしたい。

  • #2

    名無し (月曜日, 18 12月 2023 19:49)

    親方がテレビ解説の日、阿炎関が不祥事で謹慎するタイミングだった。NHKアナウンサーに解説を振られた第一声が、その前にちょっと、、と言って謹慎の事情説明とお詫びを話された。過去の相撲会の様々な不祥事を思い出してみると触れずにいたことが多かったように思うが、錣山親方は潔く、責任者として堂々と説明をし謝罪をした。なんて親方なんだと、とても感動したことを覚えている。こういった親方が理事会に残って相撲協会を牽引してほしかった。悔しくとても残念だ。御冥福をお祈り申し上げます。

  • #3

    名無し (月曜日, 18 12月 2023 19:50)

    一度だけ国技館の出待ちファンの列の中に紛れてみたことがあります。大きな力士はほんとうに大きく、小さな力士と思っていた力士も歩く岩塊のような印象を受け実際に観るとやっぱり凄いなと思わせてくれました。
    しかし一番印象に残ったのは現役晩年の寺尾関で、付き人さんから何度か「そろそろ行かないと」と促されていても、集まってくるファンに誠意持って対応されていた姿でした。最後は付き人に袖を引かれていましたが。

    どうか、安らかに。

  • #4

    名無し (月曜日, 18 12月 2023 19:50)

    お相撲さんはやはり長生きするのが難しいのでしょうか?自分が子供の頃から活躍していた方なので、本当に悲しい。
    相撲解説者の出羽錦忠雄さんが寺尾さんのことを「銭の取れる相撲取り」と仰ってましたね。鶴ヶ嶺という名力士の子息という華やかな血筋。回転のいい突っ張りが小気味良く、浴衣姿も粋な男前でしたね。
    現役時代、一番心に残る取組は?と聞かれて、「貴乃花関との初顔合わせで敗れた一番」と答えていました。私もリアルテレビ中継で観ましたが、お互い真っ向から全力で向かった一番でしたね。
    先日亡くなった元大関朝潮さんとも、活躍した時代が重なります。時代の移り変わりを感じずにはいられません。

    長い間お疲れ様でした。安らかに。

  • #5

    名無し (月曜日, 18 12月 2023 19:51)

    寺尾は、幕内在位93場所、初土俵から引退まで、140場所も務めた角界の鉄人だった。80年代から90年代にかけ、横綱や大関と真っ向勝負をし、金星を7個獲得した。錣山親方になってからは、阿炎や豊真将等の関取を育てた。彼の兄で、長兄の元十両の鶴嶺山は、2020年3月28日に亡くなった。次兄の逆鉾は、その前の2019年9月16日に亡くなった。そして、元寺尾は、今年2023年12月17日に亡くなった。20世紀の角界を盛り上げた福園家の井筒の三兄第は、みんな天国に逝ってしまった。

  • #6

    名無し (月曜日, 18 12月 2023 19:51)

    やはり力士の方達は短命な方が多い気がします。
    急激な体重の増加を意図的にしているので身体への負担が半端じゃないんですね。
    若い時はなんとかなりますが、積もり積もったものは年を重ねた時に取り返せないものになります。
    良いか悪いかは別として、とにかく体を大きくするため食べまくれ、取り組み終わったら風呂入って寝る、の時代は終わり、力士の身体のことを考えた体重制限なども必要になってくるのかなと思います。

  • #7

    名無し (月曜日, 18 12月 2023 19:52)

    イケメン力士で女性ファンも多く千代の富士から若貴兄弟の相撲全盛期の中で人気の火付け役の1人だったけど熱い相撲、魂と技術もあって力士としても魅力的な方だった。

    また国技館でチケットのもぎりをされてる時も気さくに写真撮影に応じていただき一緒にとっていただいた写真はずっと大切にしている。何かと問題がある相撲界の中でも素晴らしい御仁で相撲界は本当に貴重な方を若くして失ってしまった。

    ご冥福をお祈りします。

  • #8

    名無し (月曜日, 18 12月 2023 19:52)

    ただただ悲しい。本当に残念です。

    顔がカッコいいのは、皆さんご存じだと思いますが、相撲の内容も見ていて気持ちがいい、つき押し相撲の真っ向勝負。ファンも大勢いましたよね。

    親方になってからも、厳しさと優しさを兼ね備えた親方として知られており、多くの関取を育てました。

    今までどうもありがとうございました。

  • #9

    名無し (月曜日, 18 12月 2023 19:53)

    子供の頃体格がすごい力士が多い中で小さな寺尾関が大きい力士を倒しているのをテレビでみてカッコいいなと思いファンになりました。親も応援してたぐらいでした。

    最近見かけなくなったなと思ってましたが持病がおありだったのですね...
    まだまだお若いのに残念です。ご冥福をお祈りします。

  • #10

    名無し (月曜日, 18 12月 2023 19:53)

    子供の頃、特に相撲ファンでもなく、父が見てるテレビを横から見る程度でしたが、細身で普通の人(大きな力士たちの中ではそう見えた)が凄まじい巨人を押し出す姿が、とにかくかっこよくて、大好きでした。
    今までで唯一好きになったお相撲さんです。
    まさかこんなに早くお亡くなりになるとは思わず、切なくてたまりません。
    御冥福をお祈りいたします。

  • #11

    名無し (月曜日, 18 12月 2023 19:54)

    強敵にもいつも本気の真っ向勝負。
    千代の富士に叩きつけられたり、貴花田に負けた時の悔しい表情が忘れられません。
    貴闘力と張り合ったり、小錦にも真っ向から行って勝ったり。

    「今日一日の努力」という言葉——長い先を考えたら気が遠くなって嫌気もさすが、とりあえず今日一日だけはがんばろうという心持ち——を肝に銘じていたと、平成の名力士シリーズのDVDで見ました。
    自分も折に触れてそれを思い出します。

    今の時代にしては早い旅立ちで、ご自身も無念かと思いますが、どうか安らかに。

  • #12

    名無し (月曜日, 18 12月 2023 19:54)

    父は言うまでもなく、両差名人の元関脇鶴ヶ嶺。兄は十両の長男鶴嶺山、次男の関脇逆鉾とともに井筒三兄弟で名前を馳せました。母親の節子さんも若くしてお亡くなりになっていました。亡き母の思いを胸に母方の姓の寺尾をしこ名に、下の名も節男を名乗って大活躍でした。私が印象に残っているのは平成3年3月の貴花田フィーバー時にストッパー役を果たせず、敗れて悔しそうにしていた一番。回転の速い突っ張りで溌剌とした力士でした。兄の逆鉾といい、寺尾関、逝くには早すぎるよ。ご冥福をお祈りいたします。

  • #13

    名無し (月曜日, 18 12月 2023 19:55)

    実は個人的な印象ではあるのですが、9月場所で解説を担当された際にお顔を拝見したのですが、かつての親方からは考えられない程何か、生気が抜けた顔をされていて、話し方もなにかいつもよりもぎこちなく感じていたので、どこか悪いのではないかと思っていたさなか、九州場所中は入院されていたとのことで、突然の訃報に驚くばかりです。当時の相撲界からしても小兵力士ではありましたが、回転の速い突き押し相撲で三役まで上がられて、千代の富士から外掛けで金星を得た相撲は本当に圧巻でした。引退後も弟子育成では阿炎の癖の強い性格に結構苦労されていた印象ですが、阿炎親方のような突き押し相撲で幕内優勝を見せてあげられたのは本当に良かったと思います。心から、御冥福をお祈りします。また昭和の相撲が遠くなり、平成の相撲すら遠くなり始めたなぁと実感しております。

  • #14

    名無し (月曜日, 18 12月 2023 19:56)

    自分が小学生の頃伯父達と両国に相撲観戦に行った際、国技館に入る当時の寺尾関の事をジーッと見つめていたら歩み寄ってくれて僕のことを担いで肩に乗せてくれたことを覚えています。その頃の自分は相撲の事を倒されたら負けというだけの認識でしたが、寺尾関のファンサービスに一気にファンになり、相撲観戦にのめり込みました。あの時の肩の上からの景色は今でも忘れません。
    相撲が好きになったのも寺尾関のお陰でした。

    先程ニュースを見て衝撃を受けました。まだ60歳なんて若すぎます。
    大変残念ですが、謹んで御冥福をお祈り致します。

  • #15

    名無し (月曜日, 18 12月 2023 19:56)

    亡くなったのか。言葉がない。
    子供の頃、相撲は若貴フィーバーを筆頭に大人気だったが、小さな身体でツッパリ相撲を見せる寺尾、飛んだり跳ねたりとても相撲チックな形ではない取り組みをやる舞の海が好きだった。
    寺尾も現役時代からよくテレビ番組に出ていた。錣山親方を襲名してからも、ハウフルスが制作する番組などにはよく出ていて、朝潮のポジションを受け継いだと勝手に思っていた。部屋持ち親方になってからも、スカウトに稽古にとかなりアグレッシブに活動されていた。
    お父さんは70代で亡くなったが、お母さんやお兄さんなど、あまり長寿家系ではなかったのかもしれない。それにしても早すぎるし、ショック。

  • #16

    名無し (月曜日, 18 12月 2023 19:57)

    六十歳、お若いし指導者としてはまだまだこれからだったのに残念ですね。重量級の、大柄なお相撲さんは、見るからに負担重量が多いから心臓に負担かかってたいへんだろうなと思うが、現役時代からずっと締まった体型で、むしろ軽量過ぎて悩んだくらいの寺尾さんでも、こんなに若くして心臓を患われる。改めて相撲って本当に健康をすり減らして勝負するスポーツなんだなと思わざるを得ない。
    寺尾関が活躍されていた頃がいちばん相撲が面白かったと思う。親方の衣鉢を継いで、体格の不利もトレーニングと技術と、闘志で跳ね返す力士が育ってほしい。ご冥福をお祈りいたします。

  • #17

    名無し (月曜日, 18 12月 2023 19:57)

    素晴らしい指導者だったと思います。
    角界が暴力事案で揺れていたとき、暴力は認められないが厳しさがなくなったら相撲の指導はできないと仰っていた。
    阿炎がコロナのガイドライン違反を犯した際も敢えて突き放した厳しい姿を世間に見せることで弟子を守った。
    優しさが根底にある正しい厳しさ。
    やんちゃだった阿炎が優勝して今でも力士を続けているのは錣山親方あってこそだったなと。

    ふと先週、もし子どもが力士になりたいと言ったら錣山部屋を勧めるだろうなと思った矢先に突然の訃報に接して、残念でならないし、まだ現実味がわきません。
    本当に角界にとって貴重な存在が旅立たれてしまいました。
    ご冥福をお祈りします。

  • #18

    名無し (月曜日, 18 12月 2023 19:58)

    元寺尾関が亡くなってしまったのか…この人突っ張りで一世を風靡した、そして何よりイケメンで海外巡業の時も外国の女性にも人気があった。

    お兄さんの元逆鉾さんも亡くなっていたんですね、知らなかった…

    記事にもあるように細身であったのでもう少し長生きしてくれると漠然と思ったが…
    残念です、レスラーや格闘家はあまり長生き出来ない感じがするけど、その中でも相撲取りは特にその人生が短い…

    ご冥福をお祈りします。

  • #19

    名無し (月曜日, 18 12月 2023 19:58)

    力士の方はやはり現役時代の無理な体重増で、心臓に相当な負担をかけているのかなと思わずにいられません。文字通り命をかけて土俵に立っているんですね。
    闘志あふれる相撲と対照的な俳優のように甘いマスクで、強く印象に残る力士でした。今頃はお兄さん達と相撲の話で盛り上がっているでしょう。長いこと相撲界に尽くされ、多くの勝負を見せてくれてありがとうございました。

  • #20

    名無し (月曜日, 18 12月 2023 19:59)

    以前現役の頃にディズニーランドでバッタリお会いしました。
    浴衣姿のちょんまげでキャラクターより目立つ為、ファンの方達がひっきりなしに一緒に写真を撮っておられ、少し離れた所で奥様が微笑みながらベビーカーに乗ったお子様とずーと待っておられていたのが印象的でした。

    折角の家族とのプライベートなのに嫌な顔ひとつせずファン対応で優しい凄い人だなぁと感心したのを思い出しました。
    まだ60歳早過ぎます。

    心よりご冥福をお祈り申し上げます。