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今日は何の日 紙の記念日(12月16日)|意味や由来・広報PRに活用するポイントや事例を紹介

12月16日は「紙の記念日」。今回は「紙の記念日」の意味や由来を解説します。

また、「紙の記念日」をきっかけに広報PR活動を行う効果やポイント、関連の広報事例もご紹介。広報やマーケティングネタを探している方、特に印刷・出版業界の方や、紙にまつわる商材の企画・販売を行っている方は、ぜひ参考にしてみてください。

「紙の記念日」の意味・由来とは?

12月16日は「紙の記念日」です。東京王子にある抄紙会社の工場が1875年12月16日に営業を開始したことから制定されました。

実業家・渋沢栄一が大蔵省紙幣寮から民間企業として独立させた抄紙会社であり、明治時代に入って間もない1873年に設立されました。この抄紙会社は、当時輸入に頼っていた洋紙の国産化を推進させ、王子製紙株式会社の前身となりました。

その後合併を繰り返し、国内市場8割超となる巨大製紙会社へと成長していきました。

1949年に戦後の財閥解体政策によって解体されるものの、苫小牧製紙・本州製紙・十條製紙の3社によって受け継がれました。

「紙の記念日」を制定したのは、西洋水準に対抗するための本の普及や、出版事業の活性化が主な目的であったとされています。

「紙の記念日」をきっかけに広報PR活動する効果

「紙の記念日」は、メディアがトレンドとして取り上げやすいテーマです。プレスリリースを始め、「紙の記念日」に関する自社の取り組みを発信することで、普段は接点が少ないメディアの目にも届く可能性が高まります。

特にSNSの場合、時節やトレンドにあった内容は、企業アカウントの投稿も受け入れられやすいもの。「紙の記念日」をネタにした投稿は、ステークホルダーとのコミュニケーションを取りやすく、自社に親しみをもってもらえるきっかけになります。

自社プロダクトやキャンペーン、自社の取り組みなどを合わせて紹介することで、より自社のことを知ってもらえるチャンスが生まれるでしょう。

「紙の記念日」を元に発信をする流れ

「紙の記念日」をきっかけとした広報PR活動は、以下の流れで行うことが一般的です。

STEP1.「紙の記念日」の由来や、意識調査などから情報収集を行い、今年の傾向を掴む

STEP2.コミュニケーションを取りたいターゲットやゴールを決める

STEP3.自社サービスやプロダクトと「紙の記念日」をかけ合わせ、発信内容を検討する

STEP4.発信するコンテンツを作成する

STEP5.媒体を選び情報発信する

特に、メディア関係者に届けたい場合はプレスリリースの配信がおすすめです。生活者とカジュアルにコミュニケーションを取りたい場合はSNSを活用するのもよいですね。

トレンドキーワードを元に、広報PR活動に落とし込む詳細は以下の記事からご確認ください。

「紙の記念日」を広報PRに活かした事例

「紙の記念日」を具体的にどのように広報PRに活かすのか悩む方も多いでしょう。

次に、これから「紙の記念日」に関するイベントやキャンペーンなどを検討する際の参考になる事例と、GOODポイントを紹介します。記念日に関した事例ではないものも、今後「紙の記念日」を広報PRに活かすうえでヒントになるでしょう。

事例1.サステナブルな社会とビジネスを考えるメディア

新井紙材株式会社は、同社が運営するメディア「環境と人 -human at nature-」を2022年7月1日にリニューアルしたことを発表しました。

本メディアは、サーキュラーエコノミーの実現に向けて、環境と人のより良い関係構築を目的に情報発信をしています。リリースでは、より幅広いユーザーに興味を抱いていただくために、動画コンテンツを新たに拡充したことが紹介されています。

運営メディアの目的と、そのコンテンツ内容が上手に紹介された広報事例です。

参考:サステナブルな社会とビジネスを考える循環思考メディア「環境と人 -human at nature-」がリニューアル。

事例2.古紙から作られた再生紙ノートの出版

株式会社バリューブックスは、古紙回収に回すはずだった本から再生紙ノートを作り、クラウドファンディングでの発売を開始。

オンラインの古本買取販売がメイン事業の同社では、年間約365万冊もの古本が古紙回収に回されていました。もっと別の形で価値を提供したいとの想いから、『本だったノート』の制作に取り掛かり出版。

使いながら環境についても考えられる、同社製品ならではの魅力が感じられるリリースです。

参考:【クラファン開始から4日で目標達成!】年間「約365万冊」。古紙回収に回すはずだった本たちから作られた再生紙ノート『本だったノート』を出版します。

事例3.使用済み紙おむつのリサイクルに関する共同研究

大王製紙株式会社は、株式会社リブドゥ―コーポレーションと共同で使用済み紙おむつを資源に、再利用するための共同研究に取り組むことを発表しました。使用済み紙おむつの構成部材となるパルプ・ポリマー・プラスチックを分離回収し、研究材料とします。

「世界中の人へやさしい未来をつむぐ」を理念とする同社は、衛生・人生・再生の3つの「生きる」をビジョンに、事業を通じて社会課題の解決に取り組んでいます。

同社の理念に基づく研究内容を周知するにあたり、本リリースは良い広報事例となっています。

参考:大王製紙とリブドゥコーポレーション、使用済み紙おむつのリサイクル事業に関する共同研究を開始

事例4.紙パルプ産業のサステナブル社会に貢献する動画紹介

日本製紙連合会は、紙製品や紙ならではの良さを紹介する動画、サステナブルな社会実現に向けた取り組みを紹介する動画の2本を、同社ホームページに公開したことを発表しました。

動画制作の目的は、紙ならではの良さを再認識してもらうことや、紙パルプ産業におけるサステナブル社会実現への想いや取り組みを認知拡大することです。

本動画は子どもが主役でありながら、大人も含めて改めて紙の存在感や価値を発見できる内容になっています。メディア関係者だけでなく、生活者の興味関心を引くリリースとなっています。

参考:「わたしたちの周りには紙がいっぱい」、「紙といっしょにサステナブルな社会へ」紙の存在・価値、そして紙パルプ産業のサステナブル社会への貢献を紹介する動画2作品を公開

事例5.紙を使用したパッケージで環境配慮への取り組み

大日本印刷株式会社(DNP)は、脱炭素社会・循環型社会・自然共生社会の実現に向けた取り組みとして、クラフト紙を使用したパッケージを開発。資生堂サンケア製品で初めて採用されたことを発表しました。

クラフト紙を使用することで、紙ならではの外観や耐性をいかしつつ、環境負担の低減につながる仕様を開発しました。紙パッケージの開発を通して、同社の環境保全に対する取り組みが認知拡大するきっかけとなる内容です。

参考:大日本印刷 「DNPラミネートチューブ 紙仕様」が資生堂サンケア製品で初採用

「紙の記念日」をきっかけに広報PRの取り組みをしてみよう

12月16日の「紙の記念日」は、紙製品に興味・関心が集まりやすい日です。また、紙と連想して環境保全について想起させるきっかけにもなる日です。

紙製品の製作や販売に携わる企業の方や、紙に関連する事業を展開している方にとっては特に、「紙の記念日」を切り口として自社商品・サービスの魅力を伝える良い機会になるでしょう。

お伝えした事例を参考に、ぜひ自社商品・サービスと「紙の記念日」をかけ合わせた広報PR施策を考えてみてください。


 王子の製紙場 ~東京都・北区~

『青淵』No.886 2023年1月号|情報資源センター

  見よや王子の製紙場 はや窓ちかく来りたり
            すきだす紙の年にます 国家の富もいくばくぞ(注1)

 明治時代に発表された鉄道唱歌に歌われた「王子の製紙場」は、1873(明治6)年2月、「抄紙会社」として設立しました。今からちょうど150年前のことです。

 渋沢栄一は、あらゆる事業の隆盛には一般社会の知識の発達が必要であり、文運の進歩に資する書物や新聞の原料となる紙、特に印刷が容易で安価に製造できる洋紙が不可欠と考えていました。そこで御為替方(注2)であった三井組、小野組、島田組とともに、洋紙の製造会社である抄紙会社の設立を計画しました。設立当時、政府の役人であった栄一は同社の発起人にはならず、政府を辞して実業界入りを果たしたのちに社務を委託されています。同社は後年、王子製紙株式会社と改称し、栄一は取締役会長となりました。

 「王子の製紙場」の開業は会社設立から数年後のことでした。工場用地の選定のため、栄一や雇用した外国人技師らは直接候補地を巡っています。用地には紙の製造と運搬、原料となるボロ布の搬入のため、清らかで豊富な水量のある川と東京市街地との交通網が必要でした。栄一たちは神田や 三田、品川、玉川などの候補地を巡りましたがなかなか決定打がなく、ようやく王子の地に辿り着きます。当地は石神井川と市街地への街道が通っていたことが決め手となりました。工場は鹿島岩蔵が請け負い、のちに栄一が居を構える飛鳥山の麓に建設されました。その後、軌道に乗った王子工場は第2、第3工場を増設し、会社自体も日本各地へと工場を拡げ、ついには大王子製紙と呼ばれる大企業になりました。

 しかし、王子工場は突如終焉を迎えます。第二次世界大戦中の1945(昭和20)年4月、王子工場は王子・滝野川を襲った空襲により被災、建屋や機械の多くを失いました。終戦後に復旧作業が試みられたものの断念。工場としての歴史にピリオドを打ちました。残された土地は、戦後の財閥解体の影響により王子製紙から誕生した十条製紙株式会社(現・日本製紙株式会社)が引き継ぎ、社宅などとして活用されました(注3)。1972(昭和47)年には十條ボウル王子センター(現・王子駅前サンスクエア)となり現在に至っています。鉄道唱歌にも歌われた製紙工場があったことは一目ではわからなくなりましたが、敷地の一角には「洋紙発祥の碑」が建立され、日本近代製紙業黎明の地の一つであることを伝えています。

【注】
1.『鉄道唱歌』第4集(三木佐助、1900年)3番。
2.国庫の出納事務を担当する機関。
3.空襲で焼け残った電気室は戦後、製紙記念館(現・紙の博物館)となる。

王子製紙株式会社王子工場

王子製紙株式会社王子工場

飛鳥山から眺めた王子工場。石神井川を挟んだ両岸に工場の関連施設が建ち並ぶ。工場の開業当時、西洋式の工場建築は珍しく、新しい東京名所の一つとして人びとに近代産業の幕開けを感じさせた。
 手前の三角屋根はボイラー室と電気室。その奥に第1・第3工場が広がり、左奥が第2工場。第2工場は1887(明治20)年に清水満之助が建築を請け負った。1923(大正12)年の関東大震災で被災し写真に写る建物は再建改修中のもの。
(写真は『王子製紙株式会社案内』(王子製紙、1925年)より)

 

洋紙発祥の碑

洋紙発祥の碑

1953(昭和28)年に十条製紙株式会社により建立された。当地が日本の製紙業発展の始まりの地であるとともに現・王子製紙、日本製紙両後身会社の発祥の地でもあることを伝えている。なお日本製紙株式会社は現在も登記上の本店所在地を王子としている。(2022年10月14日撮影)


【主な参考文献】
『渋沢栄一伝記資料』第11巻、別巻第10
『鉄道唱歌』第4集(三木佐助、1900年)
『王子製紙株式会社案内』(王子製紙、1925年)
『王子製紙社史』第1巻(王子製紙社史編纂所、1956年)
『十條製紙社史』(十條製紙、1974年)
『百万塔』創立四十周年記念特別号(紙の博物館、1990年)


【参考リンク】
デジタル版『渋沢栄一伝記資料』
・第11巻|抄紙会社・製紙会社・王子製紙株式会社
https://eiichi.shibusawa.or.jp/denkishiryo/digital/main/index.php?11#21030601

渋沢栄一関連会社名・団体名変遷図
・製紙業〔商工業:紙パルプ〕
https://eiichi.shibusawa.or.jp/namechangecharts/histories/view/1

渋沢栄一ゆかりの地
・王子製紙株式会社
https://www.shibusawa.or.jp/eiichi/yukarinochi/album/13-J-0173-B0012-ph01.html

※本記事は『青淵』2023年1月号に掲載した記事をウェブサイト版として加筆・再構築したものです。