鎮火後、それでも石出帯刀は、一縷の望みとともに、 罪人たちの戻りを寺で待ちました。
帯刀はじめ、部下の役人たちは目を瞠りました。
罪人たちが、一人二人と戻って来るではありませんか。
約束の三日目には、 なんと『切り放し』した罪人全員が戻ってきたのです。
石出帯刀は罪人達に聞きました。 「よく戻って来てくれた!」 「しかし何故戻って来た!死罪になることが分かっているのに!」
ひとりの答えが皆の気持ちを代弁していました。 「石出様、あっし達はろくでなしの罪人ですが、 卑怯者にはなりとうございません。 私らを助けてくれた方に腹を切らせたら 外道に成り下がります」
そののち帯刀は、義を重んじる罪人たちの態度に感じ入り、 老中に伺いをたて、彼らの罪は罪一等を減じられることになりました。
この話には後日譚があります。
その後も小伝馬町は町中にあるため、よく火災に遭いました。
明暦の大火後、幕末まで十数回も火災に見舞われ、 そして、そのたびに囚人の『切り放し』を繰り返していたのです。
なぜ、そんな場所を移転して、 人里離れた「火」から安全な場所に牢を置かなかったのか。
火災による類焼の多い牢屋敷。 そして、「切り放し」のたびに、 期日までに帰った者への罪を一等減じる慣例。
火災と減刑。
言いかえれば、類焼の危険性が高い場所に牢獄があれば、 囚人の刑が軽減されるチャンスも多くなるのです。
このため幕府は「牢屋敷を小伝馬町から移転させなかった」 そんな記録が残されています。
当時も、色んな議論が重ねられた形跡がありますが、 結局は「仁慈」を大切にしよう、 罪人たちに「人間に戻る」契機を与えよう、 という結論に落ち着いたようです。
お人好しでお情け主義かもしれませんが、 日本人の僕らの先輩たちが、 そんな結論を導いたことに嬉しさと誇りを感じます。
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