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「なんやオリックスかい」→「お疲れさんで」 阪神ファンが“リスペクト”を抱き始めた「歴史」を追う

 阪神対オリックスという59年ぶりの“関西ダービー”が実現したプロ野球・日本シリーズ。優勝パレードには大勢のファンが駆け付けた。関西在住の野球ライターが、両球団の歴史とファン気質を解説する。AERA2023年12月4日号より。

 11月23日、阪神とオリックスの優勝パレードが神戸市の三宮と大阪市の御堂筋で行われた。沿道のファンは100万人に達したという。

ファン気質の違い

「どや、近頃の阪神は」

 月に1回行く、かかりつけの医者は診察室に入ると、必ずこう切り出す。筆者が野球に関する仕事をしていると知っているからだ。筆者は関西生まれだが、常々「阪神ファンだったことは1秒もない」と言っているのだが、医者は知らない。

「サトテル(佐藤輝明)、どないやねん。もっとしっかりせんとあかんやろ」

「ええなあ森下(翔太)は、岡田(監督)に叱られてもはね返すやないか」

 みたいな話で診察の大半が終わり、数千円也の診察料を取られるという寸法だ。

 先日、優勝が決まってから初めていくと、

「やりおったなあ、忙しなるやろ、頑張ってや」

 と立ち上がって握手を求めてきた。勝手に激励して、数千円也である。

 一方、行きつけの散髪屋はオリックスファンである。薄くなった頭頂部をうまくリカバリーしてくれるので、信頼しているのだが、こちらはいきなりバファローズの話をしたりはしない。「最近、どんな人に会ったん?」と話を振ってくる。

「○○高校の××監督に取材した」と答えると、「へえ、オリックスの△△の恩師やん」と目を輝かせたりする。そして、どんな監督なのか? どんな指導?など細かく聞いてくる。

 筆者は取材をして原稿を書くのが仕事だが、この散髪屋の大将と話をしていると、論点が整理される気がする。

 頭の中がまとまったころには、散髪もおわり、「今回も、わからへんようにしといたで」と頼もしい言葉ももらって数千円也である。こちらの方がお得感がある。

 一般論だが、阪神ファンは「タイガースのこと」と「巨人の欠点」だけはよく知っている。あとはよく知らない。

 件の阪神ファンのかかりつけ医に「このあいだオリックスの誰々に会って」と言っても「誰やそれ、オリックスいうたら山本由伸しか知らんわ」みたいな感じなのだ。

 しかしオリックスファンはパ・リーグを中心に、広く野球界のことに詳しい。誰の同期は誰で、みたいな話から、昔の名選手の話まで。野球が好きで、中でもオリックスが好き、という感じだ。

 このファン気質の違いは、阪神とオリックスという二つの球団の「歴史」を背景にしていると思う。

一筋縄ではない歴史

 阪神は、プロ野球草創の1936年に読売新聞の正力松太郎の呼びかけに応じて球団を発足して以来、経営も本拠地も変わっていない。歴史は一本道であり、アイデンティティーは不変だ。だから阪神ファンも生一本で「関西で生まれたんやから、阪神を応援するのは当たり前や」と思っている。

 しかしオリックスの歴史は一筋縄ではいかない。元をたどれば「阪神電鉄が甲子園で職業野球を始めるらしい」と聞きつけたライバル阪急電鉄の創業者、小林一三がアメリカの出張先から「うちも球団を作れ、西宮に球場も作れ」と指示し、阪神と同じく1936年に発足したのが始まりだ。

 しかし阪急はずっと不人気球団で、「灰色の球団」と言われた。63年に西本幸雄が監督になってから強くなったが、「地味な球団」が「地味で強い球団」になっただけだ。

 そして1988年、突然買収され、翌年から「オリックス」という耳慣れない球団名になると発表された。

 阪急ファンの多くは、阪急沿線に住み阪急電車に乗って西宮北口の西宮球場に行き、ガラガラの球場で阪急を応援した。しかしオリックスは91年には、阪急電車が通っていないグリーンスタジアム神戸を本拠にした。「なんやこれは」と多くのファンが離れていった。

 しかしそれでも1994年にブレークしたイチロー人気で少しはファンが戻ったが、イチローは2001年にMLBに挑戦、そして04年には大阪近鉄バファローズとの合併が決まったのだ。

 同じリーグのライバル球団との合併。それは背信以外の何物でもない。オリックスファンも、近鉄ファンも、納得できないままオリックス・バファローズは再スタートを切った。

阪神がリスペクトを

 さらなる災難が降りかかる。2006年、オリックス・バファローズの正統なルーツだった阪急ブレーブスの親会社、阪急電鉄がこともあろうに阪神電鉄と経営統合して阪急阪神ホールディングスになったのだ。今、オリックスの試合では近鉄のユニフォームのファンはちらほら見るが、阪急のユニは皆無だ。

 そんな紆余曲折を経ても、まだ「オリックスファンや」という人は、筋金入りだ。プロ野球にも深い造詣がある人々が多いのだ。

 阪神甲子園球場と京セラドーム大阪は路線名こそ阪神なんば線、阪神本線と変わるが、一本の路線でつながり、そのまま近鉄奈良線に乗り入れている。

 阪神とオリックスの試合があるときは、両チームのファンが「呉越同舟」よろしく乗り合わせる。試合が終わって甲子園駅から乗った阪神ファンは「ドーム前駅」で、オリックスファンが乗り込んでくると、薄目を開けて「なんやオリックスかい、けっ」みたいな視線を飛ばしていたものだ。

 しかしオリックスが、阪神が一度もしたことがないリーグ3連覇をした昨今は、「あ、オリックスさんでっか、お疲れさんで」みたいに変わった印象だ。多少のリスペクトが生じてきたのだ。

 今年の日本シリーズ。阪神は初戦でオリックスの大エース・山本由伸を攻略したが、山本は第6戦で再び登板。阪神の厳しい攻めをしのぎ最終回、「Frontier」という登場曲を背にマウンドに上がった山本の雄姿には、三塁側の阪神ファンからもため息が上がった。

 山本が138球で完投すると虎の法被のおっさんも惜しみない拍手を送った。

セ・パ同日は史上初

 さて、優勝パレードである。1985年の優勝時には「御堂筋のドン突き(正面)の大阪球場は誰の本拠地やと思てるねん」と南海ホークスファンに凄まれて御堂筋パレードを断念したと言われた(公式には「安全面などの諸問題」が理由)阪神だが、ホークスが福岡に去ったのちの2003年、05年と御堂筋パレードを実施した。昨年はオリックスが初めて御堂筋パレードを実施したが、京都の時代祭行列みたいに穏やかなものだった。

 ファンからは「日本シリーズで勝った方がパレードするのはどや?」みたいな声も上がったが、結局、午前は阪神が神戸、オリックスが大阪、反対に午後は阪神が大阪、オリックスが神戸で両チームが仲良くパレードした。セ・パの優勝球団が同日に優勝パレードしたのは史上初。

 沿道は圧倒的に阪神ファンの方が多かったようだが、彼らはオリックスのパレードにも拍手を送った。阪神ファンもここへきて、ようやく「関西のもう一つのチーム」に気が付いたのだろう。(ライター・広尾晃)

AERA 2023年12月4日号