「おか一ちゃ一ん…」
私たちも大声で叫んだ。 私たちは、もうこれで大丈夫だと思った。
あちこちで火の手が上がりはじめた。
火がすぐ近くで燃え上がった。.
お母さんの顔が真っ青に変わった。 お父さんはまだ帰ってこない。
お母さんは、小さな妹を見下ろしている。
妹の小さい目も下から見上げている。
お母さんはズウッと目を動かして、 梁の重なりかたを見回した。
やがてお母さんは、梁の下のすき間に身を入れ、 梁の一か所を右肩に当て、下唇をうんとかみしめると、 「ウウウ…」と、全身に力を込めた。
バリッ、バリッと音がして梁が浮き上がった。
妹の足がはずれた。
お姉さんが妹をすぐ引き出した。
お母さんも飛び上がってきた。
そして妹を胸に固く抱きしめた。
その時初めて、私はお母さんの姿を落ち着いてみることができた。
お母さんは、私たちにお昼に食べさせるナスを畑でもいでいる時、 爆弾にやられたのであった。
上着もモンペも焼け切れ、ちぎれ飛び、 ほとんど丸裸になっていた。
髪の毛はパーマネント・ウェーブをかけすぎたように、 赤く短くちじれて、切れていた。
体中の皮は大やけどでジュルジュルになっていた。 …さっき梁をかついで押しあげた右肩のところだけ、 皮がペロリとはげて、肉が現れ、 赤い血がしきりに、にじみ出ていた。
お母さんはぐったりとなって倒れた。
そこへお父さんがよろめきながら走ってきた。
お父さんも大やけどを受けていた。
お母さんは、苦しみ始め、 もだえもだえて、その夜死にました。
以上のような作文であります。
まことに悲惨極まる地獄絵図です。
この作文に登場してくる萩野美智子さんのお母さん …私はお母さんとは本来こういう方だと思うのです。
すべてのものが救いを断念し、見放しても、 断念することができず、見放すことのできない存在、 それがお母さんという方だと思います。
遠い遠い昔から、生むこと、育てることに命をかけてきた存在。
摂取不捨の願いに生き続ける存在。
それがお母さんという方だと思うのです。
戦後、私たちの生活は、確かに豊かになりました。
町には物が溢れ、人々はこの上もなく快適で 便利な生活を送っているように見えます。
ところが、その反面、我が子の虐待やせっかん死というような、 まことに痛ましい事件が相次いで起こっています。
もし、この作文に見られるようなお母さんの存在があれば、 決して起こりえない事件だと思います。
私たち日本人は、いつの頃からか、 この作文に登場するお母さんのような生き方を 忘れてしまったように思われます。
私は、今の日本人の心の貧しさは このようなお母さんを失ってしまったことに あるのではないかと思います。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏 合掌
引用元URL:http://www.koumyouji.com/houwa/08.htm
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