まだ若い兵隊たち、いわゆるGIです。
「ああ、何ということか。何事もなく、主人の許に帰れるように。 神様、お助けください」
Aさんは、目を閉じて、心の中で祈る思いでした。
紺がすりのモンペ姿に白いズック靴。麻のリュックサック。ひっつめの髪の三十女。
戦時中の典型的な女性のスタイルでした。
しかし、若いアメリカ兵達の中に、ただ一人の敗戦国の女。
それは、狼の群れに迷い込んだ一匹の子羊の風情でした。
Aさんは、体の血が引き、頭の中も真っ白になっていました。
じっと目を閉じて、深く深く深呼吸をしました。
そうしているうちに、なぜかAさんから、自然に口をついて出たのが、 ため息と同時に、歌声だったのです。
それは子供の頃、幼稚園で習ったただ一つの英語の歌でした。
それまで、思い出したこともない、この歌が自然に口から流れ出たのです。
London bridge is falling down, falling down, falling down
London bridge is falling down My fair Ladys.
ロンドン橋の歌でした。
すると期せずして、アメリカ兵も続けて歌い出したのです。
彼らも楽しげに笑い合いながら、繰り返し歌いました。
しばらくすると、一人がたどたどしい日本語で、 「日本の唄を歌ってください」と言いました。
Aさんは、『赤とんぼ』『雨降りお月さま』『荒城の月』など、 思いつくまま、色々の唄を歌い、皆も静かに聞いてくれました。
なごやかで平和な空気を乗せて、貨車は上野に着きました。
Aさんにとって、とても長いような短いような不思議な旅だったと言います。
貨車から降りたら、どっと押し寄せる人の波にもまれながら、 Aさんは一人で線路を歩いていました。
さきほどのアメリカ兵達に、ひと言でもお礼を言いたいと 彼らの姿を探しましたが、見つかりません。
すると、後ろの方から、 「Don’t catch cold」 と、思わぬ方向から、はっきり英語で聞こえてきたのです。
Aさんは急いで振り返りましたが、アメリカ兵の姿はどこにも見当たりませんでした。
自宅にやっと辿り着き、Aさんはご主人とも再会することができました。
ご主人から教えてもらい、 最後の言葉が「風邪をひくなよ」という意味だと分かりました。
あらためて、Aさんはアメリカの若者達の優しさを感じ取ったそうです。
コメントをお書きください