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伊集院静氏「流儀が人と会社を育てる」(本物の大人は斯くあるべき・ブラック企業の取締役さんは、心して読みなさい。Apex product ) ご冥福をお祈り申し上げます。合掌

PROFILE
[いじゅういん・しずか]1950年山口県生まれ、66歳。立教大学文学部卒業。CMディレクターなどを経て、81年『皐月』で作家デビュー。91年『乳房』で吉川英治文学新人賞、92年『受け月』で直木賞、94年『機関車先生』で柴田錬三郎賞、2001年『ごろごろ』で吉川英治文学賞受賞。著書に『いねむり先生』『伊集院静の「贈る言葉」』『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』(集英社)など。2014年『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』で第18回司馬遼太郎賞受賞。

逆境はチャンスだと思った方がいい。
家族全員で避難所を見に行くことが大事。

大人の生き方をズバリと書いた『大人の流儀』(講談社)シリーズがミリオンセラーとなりました。「本物の大人はかくあるべし」という在り方をガツンと言い切ったところが共感を得ているのでしょうか。

伊集院 静氏(以下、伊集院): もともとは『週刊現代』が一時、かなり調子悪くなった時に、何か硬派な意見を書いてもらいたいと言われまして。『硬派も何も、自分の意見を言うよ』ということでコラムの連載を始めたんですね。そうしたらちょうど、東日本大震災が起きた。私は仙台に住んでいるから、震災直後の話を書いたりした。当時、作家で震災の話を書く人はいなかったし、現場にもいなかった。そんな重なりが読者の信頼を得る始まりだったのかもしれません。

 2年目ぐらいからは、言いたいことを言おうという思いもあってね。例えば、今、世の中では幼稚園や小学生の子が携帯を持っても、位置情報を取れるので誘拐防止に役立つという感じになってる。でも、世の中、誘拐犯であふれているわけではないし、そもそも親が携帯に頼っていいのか。それじゃ世の中おかしくなる。そんなことを書いたりするわけです。そういうところが、理解されたようです。

苦しさを乗り越えてこそ

シリーズは第6弾まで来ました。今回、『不運と思うな。』というタイトルを初めてご自身で付けたそうですね。

 

本物の大人としての生き方をズバリと言い切って強い共感を集めた『大人の流儀』シリーズ(写真=上:村田 和聡、下:西﨑 進也)

伊集院:そう大げさなものでもないのです。いつもは編集長などが提案してくれます。今回も『不運な生き方をするな』みたいな感じだったんだけど、それじゃタイトルにならないというようなことを言って変えたわけです。

 週刊誌に連載したエッセーは、本にしても何冊か出したうちの1つが売れるようなものらしいですね。『大人の流儀』のように6冊、ずっと売れて100万部を超えるという例はないらしい。それだけ信用されたということでしょうか。

『不運と思うな。』では、苦しいことが人を育てると書いていますね。

伊集院:苦しいこと、切ないこと、つらいことを経験していなかったら、申し訳ないけど一人前になりませんよと。若い人に『どうしたら乗り越えられるのですか』とよく聞かれるけど、ある程度、もののできている人は、口には出さないけどみんなそんな環境を越えてきているんだよと言ってます。それどころか、自ら苦しいことを選んでいたりする。

 その基本というのは企業もほとんど同じじゃないかと思いますね。100年以上続いている企業は日本にたくさんあるわけでしょう。苦境がなかった企業はほとんど伸びてないね。逆境、苦境だけが企業を伸ばしているといってもいい。

 サントリーの創業者、鳥井信治郎は『社員を大事にしろ。だが、社員を鍛えろ』と言っているんですよ。要は、その方法でしか人は大きく育たない。柱はきちんとならないということです。

人も企業も逆境に立つと、避けたり、逃げたりしたくなりますね。

伊集院:俺は学歴が…とか、家柄もいいわけじゃないし…とか、考えてしまう。でも、たとえ今、逆境にあっても、それはチャンスだと思った方がいい。難しいのは分かるけど。

 逆境は、自分だけにあるものではないと思うことが大事なんです。苦しいことが人生では当たり前で、私なんかも弟が死んだり、前の女房が死んだりした。その時は、何で俺だけこんなふうになるんだろうなと思ったんだけど、3年、5年とたっていくうちに分かってくるんです。周りにも同じような境遇の人がいるのに気が付くんです、待てよと。今、日本人のおそらく半分以上の人間が、何かしら形の違う悲しいこと、切ないことに遭って、何とか乗り越えてきている。

 そうやって考えると、昔から人間の生きる形はそういうものなんだと分かるんです。私は今、66歳ですが、朝起きた時いつも『今日だ』と思うんです。昨日どれだけ飲んで二日酔いでも、『今日だ。今日のはずだ。今日は今まで書けなかったものが書ける日だと信じよう』と。今日は必ず自分にとって大事な1日になるぞということを、あえて思うようにしているんです。

鳥井信治郎の信心深さに驚く

鳥井信治郎のことは今、日本経済新聞で連載している小説、『琥珀の夢』でも書いていますね。彼にも同じ流儀があるのですか。

伊集院:鳥井信治郎について何を書きたいかというと、やっぱり日本人ってすごいわということ。これが日本人というところが書ければいいと思っているのです。

 先日も80代のサントリー元社員5人にインタビューしました。鳥井信治郎に直接会ったことのある人はもうみんな、80歳を超えているわけです。そこで話をしていくと、共通点は一つなんです。『この会社に勤めたことは誇りです』と。

 これはなかなか言えない。何だろうと思うと、鳥井信治郎は、関東大震災の時に取引先の大きな問屋に自らトラックを運転して行って、いきなりサントリーからの仕入れ伝票を破いたそうです。そして、『これはもう何も要らん。消えたものにしてくれ』と言いながら、トラックに積んできた商品を置いて、『これでやり直してくれ』と言ったというのです。他の被災した店も全部、関係ないところにも回って、見舞金を持って行ったのです。

 それでも会社にカネは残っていた。すると、不動産業者がやってきて『今なら、全部ただ同然の値段で土地を買えまっせ』とやってきた。そうしたら、鳥井信治郎は『土地はそうやって増やすものじゃない。俺たちはものを作って企業を大きくするんだ』と追い返した。元社員の人たちは、その生き方が脈打っている会社に誇りを持ったのでしょうね。

そもそも鳥井信治郎に興味を持ったきっかけは何ですか。

伊集院:実はお墓を見に行って、その信心深さに驚いたのです。私は無神論者だったから。彼にとっての信心というのはすごいんですよ。サントリーには、神社仏閣に関する部署まであったというぐらいです。

 これもさっきの80代の元社員の人たちに聞いたのですが、年末には全国にある350ぐらいの寺社に寄進するんですと。それを鳥井信治郎自らが、寄進額まで決めていたようです。そのおかげというのか、京都に隣接した主力の山崎工場は、近所のお寺同士が合わせて広い敷地を売ってくれたらしいのです。山崎は、水はとてもいいけど、平らな土地の少ないところで、鳥井信治郎じゃなかったら、あの場所に工場は建てられなかったでしょうね。

 最近、サントリーは米国のウイスキーメーカー、ビームを買収しました。大事なのは、会社のスピリッツ(精神)だというんですね。どんな技術が大事で、どこに費用をかけようとか、そういう考え方が合うことが分かると技術者同士の目の色が変わるというんだね。大事なのは、やはりスピリッツなのです。

男の生き方、流儀が会社を作ったというわけですね。

伊集院:そうですね。今、我々は何ができるかというと、新しい世代、それと今、一番働いている人たちにここは守れよと言い続けることなのだと思いますね。『大人の流儀』シリーズも、原点はそこにあると言っていい。

 生き方の作法のようなことだけじゃないんですね。私は震災を経験していることもありますが、家庭がある人には特に言いたいことがあります。1度は必ず、最寄りの避難所を家族で見に行けということです。

 例えば、2000人を収容することを想定していた避難所があります。ひとたび災害などが起きたら、5000人とか8000人が集まって来ちゃうものなんです。災害はいつやって来るか分からない。だからそこに住んでない人たちも、一斉にそこへやって来るからです。

 人が集まって膨張状態となり、まさに阿鼻叫喚の世界になるわけです。そんな時に家族を捜そうとしても、とても難しい。名前を呼んでも全然聞こえない。だから、週末にでも家族と一緒に避難所を見に行って、『何かあった時はこの木の下に来るんだぞ』と必ず子供と奥さんとおじいちゃん、おばあちゃんに言っておくこと。

 そこでまず会って手を握れば、その後は何とかしようということになる。捜し続けるという作業は、途方もなく疲れるものなんです。奥さんや子供はパニックになりやすいから、これは絶対やっておかなきゃだめなんだ。

「自分さえ良ければ」ではだめ

大人の責任ですね。それもまた大人がいつも意識すべき生き方であり、流儀であると。

伊集院:家族はやっぱり一緒に暮らすべきなんですね。家族が一緒になっていると、だいたい何とかなるんだよね。

 大人の男は、生き方の根みたいなところを外さないことが大事だと思うんですね。『男はつらいよ』というのは素晴らしい言葉で、大したものですよ。地震や天災の時に、さっきの話のような状況で家族のところへ行こうとしていたとする。でも、そこにおばあさんが倒れていたりしたら、家族の方が大事だという言い方はできないわけですよ。

 『おばあちゃん、ちょっと起きて。今、救急車呼ぶから』と。そのせいで家族のところに行くのが2日、3日と遅れることがあるかもしれない。だけど人を助ける人間になれてないとだめだ。鳥井信治郎はまさにそれで、仕事で成功した人には、それがある。自分だけ良ければそれでいいという発想で仕事をしたやつは、必ず潰れている。

伊集院さんのエッセーは、大人の男に向けたメッセージなのに、読者層としては女性ファンがかなり多いそうですね。

伊集院:そうそう。何で女性ファンが多いのかなと考えてみたことがあります。おそらく、いちるの望みのようなものかなとも思うんですよ。

 女性が自分の旦那の尻をたたいて、子供をちゃんと育てたいと考えた時に、本を手にして『あ、この考え方、悪くないんじゃないの』ということがあるんじゃないですかね(笑)。それで、『こういう考え方をする人はやっぱり多くなった方がいいんじゃないの』ということから、本を手にする人が増えているのかもしれないですね。

傍白
 『大人の流儀』のほか、伊集院さんは『無頼のススメ』というエッセー集も出しています。この中で「無頼」を「頼るものなし」と定義していて、1人で生きろ、と説いています。今回のインタビューにも出てくる「苦しいこと、切ないこと、つらいことを乗り越えろ」というメッセージはまさに、1人で生き抜く大切さを強く訴えています。
 大橋巨泉さんや永六輔さんなど、本音で世に問いかける方が相次いで鬼籍に入りました。それだけに、伊集院さんの存在は光ります。「口酸っぱく言う人が少なくなって、日本の将来が心配ですね」と問うと、「いや大丈夫。私があと10年は生きるから」と言って、ニヤッと笑いました。避難所の話は経験した人でないと分かりません。すぐ実践します。

(日経ビジネス2016年9月12日号より転載)

エッセー集『大人の流儀』(講談社)シリーズが145万部を突破する大ベストセラーとなった。「本物の大人」の生き方を描き、幅広い層の共感を得た。サントリー創業者、鳥井信治郎の連載小説も手がける。

(聞き手は 本誌編集長 飯田 展久)