もうひとりのヒロインともいえる存在が、りつ子である。りつ子のモデルは、確かな歌唱力と憂いのある歌声で「ブルースの女王」と呼ばれた、昭和を代表する歌手の淡谷さんだ。

「淡谷さんは東洋音楽学校(現在の東京音楽大学)の声楽科を首席で卒業した逸材で、1937年、服部良一さん作曲の『別れのブルース』が大ヒットし、名実ともに人気歌手に。その後はブルースだけでなくシャンソンにも挑戦。85才になっても新曲を出すなど、生涯を歌に捧げました」(音楽ジャーナリスト)

 その歌声は、戦中戦後の日本人の心に深く刻み込まれ、彼女の功績はいまもなお褪せることはない。また、彼女がお茶の間をにぎわせたのは、歌だけではなかった。

「『超』がつくほどの毒舌家としても知られ、痛快なキャラクターも人気を博しました。芸能界のご意見番として、数多くの名言を残し、それらは『淡谷語録』として語り継がれているほどです」(前出・音楽ジャーナリスト)

 毒舌の矛先は時代の先端を走る著名人らに向けられた。たとえば希代の歌姫、美空ひばりさん(享年52)。かつて淡谷さんと親交があり、現在は音楽プロデューサーとして活動する吉川智明さんが語る。

「1948年には笠置さんのブギをマネして人気を博していた、当時11才のひばりさんを『どんなにうまく歌ってもニセモノはニセモノです』と一蹴し、その後も彼女が好んで着ていたトレードカラーの衣装を揶揄し『あの紫色の女は何よ!』と周囲に話していました」

 1980年にデビューし、その年に発売した『青い珊瑚礁』が大ヒットしたばかりの松田聖子(61才)も、淡谷さんは1980年10月の新聞のインタビューで《歌の土台ができていなくて、リヒィーッとニワトリが首を絞められたような声》と酷評している。

 また、デビュー当時から高い歌唱力で知られた山口百恵さん(64才)にも厳しかった。

「1976年、当時17才ながら、『ひと夏の経験』などの人気曲を送り出し、『NHK紅白歌合戦』にも出場していた百恵さんの歌について尋ねられると『どうってことないですね。童謡だと思ってみてるから』とか、『鼻にかかったあの子の声、いったい何ですか』と雑誌のインタビューでバッサリ。インタビュアーを戦々恐々とさせたようです」(音楽関係者)

 しかし、すべての歌手を毛嫌いしていたわけではなく美川憲一(77才)のことは「ケンちゃん」と呼び、わが子のようにかわいがっていたという。2人の出会いは1966年。美川の『柳ヶ瀬ブルース』がヒットした頃に雑誌で対談したことがきっかけだった。淡谷さんとの思い出を彼女の盟友、美川は次のように振り返る。

「淡谷先生は、デビュー間もなくて不安でいっぱいだった私を、『ケンちゃん、どんなことがあっても負けちゃダメよ』と励ましてくれました」

 美川は、淡谷さんの厳しさについて「その人がきちんと努力をしているか、プライドを持ってやっているかどうかを見ていた」と話す。

「淡谷先生ご自身は毎日発声練習を欠かさなかったし、たとえ聴く人には姿が見えないラジオ放送でもドレス姿で歌っていました。ストイックな人だったからこそ、デビュー間もない若い人や、努力が足りないと感じた人に厳しかったように見えました」(美川)

「一緒にお風呂に入りましょう」

「辛気臭いから演歌は嫌い」と公言していた淡谷さんは、演歌界の新星にも当然、容赦はなかった。

 1972年、人気歌手への登竜門といわれた歌番組「全日本歌謡選手権」に出場した当時21才の八代亜紀(73才)に対し、「あなたの声は歌手に向いていないわ」と辛口のコメントを残した。

 しかし、のちに淡谷さんの八代に対する評価は変わっていったという。美川が続ける。

「あるとき、淡谷先生と一緒にエレベーターに乗っていたら、ドアが開いたときに偶然、亜紀ちゃんが立っていたんですよ。すると、先生は“フンッ”て顔をして後ろを向いてしまった。亜紀ちゃんはすかさず、『先生、おはようございます』って挨拶したのですが、先生は黙ったまま。亜紀ちゃんは先生の右側に回って、また『おはようございます』って。そうしたら先生はプイッと左を向いちゃったので、さらに亜紀ちゃんは左に回って『おはようございます』って言ったんですよ。それで先生はやっと『おはよう』って返事をした。先生はあとから『あの子は根性あるわよ』って亜紀ちゃんを褒めていました」

 前出の吉川さんは、淡谷さんの人となりをこう語る。

「淡谷さんは口ではキツいことを言いますが、とても思いやりがあるかた。スタッフへの気配りは欠かさないし、直筆のお礼状をくださったことも。歌手のかたへの厳しい指摘も愛情ゆえのもの。『頑張ればできるはず』というエールなのです」

 前述のひばりさんに関する「毒舌」についても、美川に言わせればある事情があったのだとか。

「淡谷先生はもともとひばりさんをかわいがって応援していたんです。デビュー間もない頃、彼女の方から『先生、一緒にお風呂に入りましょう』と誘ってきたので一緒に入浴し、ひばりさんの背中を流してあげたりしたことがあったとか。でも、のちに番組で共演した際に『淡谷さんとの思い出は?』と尋ねられたひばりさんは『何もない』と答えたそうなんです。先生は義理や恩を大切にする人だから、それでカチンときちゃったみたい」(美川)

 数々の毒舌伝説を残した昭和芸能界の大スターだからこそ、演じる側もプレッシャーとは無縁ではいられない。『ブギウギ』で、淡谷さんをモデルにしたりつ子を演じる菊地は、クランクインにあたり、ある場所を訪ねたという。

「菊地さんは淡谷さんをモデルにした役だと聞いて、生半可な気持ちではできないと気を引き締めたとか。気合を入れるために、淡谷さんのお墓に足を運び、『一生懸命努力するので、どうぞ怒らないでください』と挨拶をしたそうです」(テレビ局関係者)

 ドラマでは淡谷さんを彷彿とさせる毒舌交じりの「りつ子節」も炸裂する。淡谷さんの話し方や振る舞いを研究したという菊地がどう演じるのか楽しみだ。

※女性セブン2023年11月23日号

「聖子はニワトリ」「百恵は童謡」朝ドラ『ブギウギ』りつ子のモデル、淡谷のり子さんの愛ある毒舌伝説 美川憲一も秘話告白1 件のコメント
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