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「死亡が確認されるまで平均約15分」死刑はこのように行われる、「500円玉、初めて見た」無期懲役囚 37年ぶりの“社会”…死刑と無期懲役の実態に迫る【報道特集】

賛否両論ある死刑制度ですが、その情報は全く漏れてきません。絞首刑が執行される際、密室で何が起きているのか?そして死刑を免れた無期懲役囚の胸中とは?その実態に報道特集が迫りました。

執行の約2時間前に突然の告知 絞首刑の実態とは

『死刑は刑事施設内において絞首して執行する』(刑法11条)

絞首刑は憲法が禁じる“残虐な刑”に当たるとして、死刑囚3人が死刑執行の差し止めを求める訴えを起こした。

水谷恭史弁護士
「絞首刑の執行方法を知ったときに死刑は存続すべきという判断になりうるのか、世に問うていきたい」

死刑に関する情報は法務大臣が執行後に行う臨時の記者会見のみだ。

死刑はどのように行われているのか。実は、執行命令を受けた拘置所では、執行の専門家2名を中心に死刑囚の体型に合わせた人形を使い、入念なリハーサルが行われる。

東京拘置所 元部長
「刑場の施設は極秘です。技術が高い民間に委託することは出来ないので、拘置所の技官だけで造ります。リハーサルをやっても、本番で電気系統が故障してロープが動かなかったことも何回かありました」

死刑の執行前、職員に迷いが出ないように死刑囚の事件記録を読ませる幹部もいたという。

死刑は執行の約2時間前に突然告知される。独房から刑場に連行中、自力で歩けなくなる死刑囚もいる。抵抗が予想される場合に備えてエレベーターは二重構造になっている。

刑場の中の教誨室で遺言や所持品の整理が行われる。ここで精神を安定させる為に教誨師と約30分間過ごす。

その後、執行室の隣の部屋へ。拘置所長が「お別れの時が来ました。今日までよく頑張りましたね」などと“死刑の宣告”をする。

目と口を大型のマスクで覆われ、体の前で手錠

死刑囚がキリスト教徒なら教誨師と一緒に賛美歌を歌い、仏教徒ならお経を唱える。これが最後の儀式だ。

儀式が終わり、教誨師が部屋を出ると同時に取り囲んでいた刑務官が一斉に動く。

死刑囚は目と口を大型のマスクで覆われ、体の前で手錠を架けられる。この間、わずか数十秒だ。

カーテンが開き踏み板の上に載せられる。

両足を縛られ首にロープがかけられる。首にあたる部分は柔らかい鹿の皮が使われている。

3人が一斉にボタンを押す。誰のボタンが作動したかは分からない。

踏み板が開き、体が約4メートル下に落ちていく。前後、左右に激しく揺れ、履いていたサンダルは遠くに飛ぶ。そして体は激しく痙攣する。

10分後、拘置所の医務部長が心臓に聴診器を当てる。心音が消えたところで所長に“絶命”と合図を送る。

約15分後、死刑囚の死亡が確認される。

「一番、残酷なのは絞首刑」亡くなるまでの平均時間は約14分30秒

死刑囚の死亡が確認されても遺体は直ぐには下ろされない。

『死刑を執行するときは、絞首された者の死亡を確認してから五分を経過した後に絞縄を解くものとする』(刑事収容施設法)

死刑は法律に従って淡々と進められる。

藤本哲也 最高検参与は、絞首刑に替わる執行方法を検討すべき時期になっていると主張してきた。

藤本哲也 最高検参与(矯正協会会長)
「一番、残酷なのは絞首刑だと言われている。死刑囚はポンと落ちた瞬間にベロが出るとか、あるいは糞尿が出ることがあるんですが、亡くなるまでは平均して14分30秒かかっている。そういうことを考えると、本人はポンと落ちた瞬間に首が外れて亡くなっているから苦しくないのだと、こういうんですが、果たしてそうだろうかという疑問は出てくるでしょうね」

執行手当は“2万円” 「(刑場での立ち会いに)行かせてください、なんていう検事はいません」

絞首刑に立ち会う職員の精神的な負担は計り知れない。執行後、関係者で簡単な葬式を行い、会議室で弁当を食べるのが慣例だが、会話は一切ないという。

執行手当は2万円。家族に知られないように現金で渡される。死刑執行には高等検察庁の検事も立ち会う。

東京高検 元幹部
「異動してきた日付が一番遅い検事が立ち会います。同じ日だったらくじ引きです。『行かせてください』なんていう検事はいません」

「Aの体はサンダルを履いたまま静止した」夢に現れた死刑囚

1981年、東京都心のビルの火災現場から2人の遺体が発見された。

A元死刑囚は会社の金の使い込みが発覚し、上司とビルの警備員を殺害し、自分の服を警備員に着せ替えて偽装、放火して逃走した。数年後Aは逮捕され、死刑が確定した。

Aの執行に立ち会った刑務官が刑場での葛藤を語った。

東京拘置所 元刑務官
「執行の朝、Aを独房に迎えに行きました。Aが『ちょっとトイレに行かせてください』と懇願しました。執行後の排泄物を垂れ流した姿を見られたくないのだと直感しました」

「当時の東京拘置所の刑場は平屋の一戸建てでした。渡り廊下が途切れて50メートルほど外を歩きます。Aは堂々と歩きました。勿論、命乞いのようなことも一切ありません」

「普通、落下直後、ロープに繋がれた死刑囚の体は激しく揺れ動き、サンダルは遠くに飛んでしまいます。しかし、何と落下したAの体はサンダルを履いたまま静止したのです。排泄物の垂れ流しもありませんでした」

「先輩が『決まった』と呟くのが聞こえました。『苦しませなかった』という意味です」

「死刑囚の最期の意地を見た思いがして震えが止まりませんでした。その夜からサンダルを履いたAが三日三晩、夢に現れました」

「サンダルですか?履かせたまま執行します。踏み板は鉄製なので冷たい思いをさせたくないのです。最後の気遣いです。遺骨は弟が受け取ってくれるはずでしたが、断られました。無縁仏になったと聞いています」

「血が流れてきて羊羹のように固まって」死刑執行が当日告知になったきっかけを目撃した元死刑囚

太平洋戦争の戦犯が処刑された巣鴨プリズンの跡地には高層ビルが建つ。

ビルが見下ろす広大な霊園の片隅に、無縁仏になった死刑囚たちの納骨堂がある。供養に訪れるのは拘置所の職員たちばかりだ。

免田栄さん(1983年)
「自由社会に帰ってきました」

1948年、熊本県人吉市で起きた祈祷師一家殺傷事件で死刑が確定。34年間、死と隣り合わせだった免田栄さん。

83年、死刑囚としては初めて再審無罪となった。免田さんは3年前に亡くなったが、生前、私たちの取材を受けていた。

故・免田栄さん
「1時間か2時間ですね。ぐっすり眠れるのは。今でも(刑場の)綱が夢に出てきます」

拘置所内で作業する免田さんの映像だ。あまり緊張は感じられない。

当時、死刑の宣告は2日前だった。刑場に向かう死刑囚同士が最期の挨拶もしていたという。

故・免田栄さん
「各舎房を回って挨拶して。今日いきますから、お世話になりましたと。こちらはそれに対応するだけの言葉はないです」

死刑が当日告知になったきっかけは、免田さんが目撃したある事件だった。隣の独房の死刑囚が執行の前の夜、自殺したのだ。

故・免田栄さん
「居房の入り口に下駄箱があって段差があるんですが、それに半分ぐらい血が流れてきて羊羹のように固まっていました」

この事件以降、死刑の告知は当日行われる様になった。しかし、不服申し立ての時間が与えられないのは憲法違反だとして死刑囚が提訴している。

「死刑制度には死刑を執行する人がいることを忘れてはいけない」

千葉県袖ケ浦市の曹洞宗真光寺。寺を樹木葬の墓園が取り囲んでいる事で知られている。

岡本和幸住職は20年以上、教誨師として死刑を免れた無期懲役囚達の精神的な支えとなって来た。          

岡本和幸 住職:
「(犯罪記録を)見たときは反吐が出るぐらい凄まじい犯罪。でも会えば普通の人です。死刑制度には死刑を執行する人がいることを忘れてはいけない。その人に殺人という罪を犯させている。刑務官たちがその人たち(死刑囚)と一緒にすごしている。“罪を見て人を見ず“になっている社会の大きな間違いじゃないかと思っている」

死刑と無期懲役の“差”とは

岡山刑務所。受刑者440人のほぼ半数が死刑に次ぐ厳罰、無期懲役囚だ。全員が初犯。ある日突然、人の命を奪う重大事件を起こして服役している。

死刑と無期懲役、2つの厳罰の差を服役している彼らはどう感じているのだろうか。

無期懲役(二審死刑)服役23年
「これはものすごい差がある。“生きる”ということと“生きることが許されない”状況ですから。しかも、今日“お迎え”がくるかもしれない」

無期懲役・服役41年
「紙一重ですからね」

無期懲役・服役23年
「未成年でなかったら死刑だったのかな」

死刑を免れても30年以上服役しなければ仮釈放の審査の対象にすらならない。

高齢化は深刻で“獄死”も後を絶たない。無期懲役の“終身刑化”が現実のものとなっているのだ。

37年ぶりに社会に戻る死刑を免れた無期懲役囚

塀の中の一角に社会復帰に馴染ませるための部屋がある。

彼は60代後半、強盗殺人の無期懲役囚だ。仮釈放となり、明日、37年ぶりに社会に戻る。

無期懲役・強盗殺人 60代前半
「この頃ずっと(仮釈放で)出た人がいない。自分もダメかなと思っていた」

 

仮釈放が出たとの情報は、たちまち無期懲役囚たちの間に広がる。

無期懲役・強盗殺人 服役23年・70代前半
「長いなんて言っていられない。目標がありますから。出させてもらいます」

そして翌朝。 受刑服を脱ぎ、社会に帰る為の私服に着替える。 

--夕べは眠れましたか?

無期懲役・強盗殺人 60代前半
「眠れなかったので今眠いです」

仮釈放の手続きが進む。作業報奨金は83万円。これからの人生を生きる全財産だ。

無期懲役・強盗殺人 60代前半
「お金を扱うのは37年ぶりです。500円玉(見るのは)初めて」

総務部長
「無期懲役の仮釈放は生涯続く。何かあったらまた戻ってきてしまう。そういうことが決してないように」

死刑を免れた無期懲役囚が37年ぶりに一般社会に帰っていく。

“死刑より無期懲役囚として一生、被害者への贖罪を続けさせるべき”

仮釈放された無期懲役囚。凶悪な事件を起こした彼は故郷には帰れず、更生保護施設「古松園」に身を寄せる。早速、岩戸顕園長から遵守事項の説明を受ける。

更生保護施設 古松園 岩戸顕 園長
「お酒を一切、飲まないこと。キャバクラなど接待を伴う飲食店に出入りしないこと」

彼に個室が与えられた。刑務所の独房との違いに戸惑いの連続だ。

仮釈放された無期懲役囚
「新鮮に映りますね。(慣れるのが)大変。若いときと違いますからね」

岩戸園長は服役中の無期懲役囚70人の身元保証人になっている。

彼らと接するうちに、死刑よりも無期懲役囚として一生、被害者への贖罪を続けさせるべきだと考えるようになった。

更生保護施設 古松園 岩戸顕 園長
「死刑だったら一瞬の間で終わりますからね。ただ重みが死刑というだけであって、あっという間に終わり。だけど無期懲役は延々といつ出られるか分らない30年、40年以上も続くわけですからね」

法務省内で死刑に関して議論されているが、詳細は殆ど明らかにされていない。

藤本哲也 最高検参与(矯正協会会長)
「人の命を奪ってはいけないと言っている国家が、刑罰として人の命を奪うことが許されるかという大きな疑問がある。この制度を作ったのは政治家ですから、政治家がどう判断するか。言い換えればその政治家を選んだのは国民ですから。国民がどう判断するかなんですよね」

凄惨な事件が後を絶たない中、“死刑”と“無期懲役の終身刑化”の狭間で、死刑制度そのもののあり方が問われている。