· 

「シルエット・ロマンス」大橋純子さん急逝 73歳 3月に食道がん再発判明、闘病中の突然の悲報…

 1970年代後半から80年代前半にかけて「シルエット・ロマンス」「たそがれマイ・ラブ」などのヒット曲を放った歌手の大橋純子(おおはし・じゅんこ)さんが9日に死去した。73歳。北海道出身。死因は明らかにされていないが、食道がんで闘病中だった。

 圧倒的な歌唱力で人々を魅了した大橋さん。晩年はがんと闘いながら、最後まで歌手としてステージに上がる努力を続けていた不屈のボーカリストだった。

 体調が急変したのは1週間ほど前。緊急入院したまま帰らぬ人となった。最初に初期の食道がんを公表したのは2018年3月。翌4月に左胸に乳腺がんも見つかり、放射線と抗がん剤の治療を併用。翌19年3月に治療を終えて活動再開したが、今年3月の定期検診で食道がんの再発が判明した。治療に専念し、コンサートも無念の中止となった。その間も復帰に向けて、ボイストレーニングに取り組んでいた。「もんたよしのりwith大橋純子」名義で83年に発表した曲「夏女ソニア」のデュエット相手、もんたよしのりさん(享年72)の訃報が伝えられた先月22日には追悼のコメントを出すなど「元気だった」(レコード会社関係者)だけに、周囲の人たちは突然の悲報にショックを受けている。


 プロ歌手を志し北海道から上京。74年、アルバム「フィーリング・ナウ」でデビュー。78年、TBSドラマ「獅子のごとく」の主題歌に起用された「たそがれマイ・ラブ」がヒット。79年の第30回NHK紅白歌合戦に「ビューティフル・ミー」で初出場した。81年から82年にかけてロングヒットした「シルエット・ロマンス」は約50万枚を売り上げ、第24回日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞した。そのステージには同じ所属事務所だった北島三郎(87)と、俳優の田中邦衛さん(享年88)が駆けつけた。ショートカットにドレス姿で伸びやかに歌い上げる姿で輝きを放った。

 07年には生まれ故郷の北海道夕張市が財政再建団体に認定されたことを受け、夕張応援のためのチャリティーアルバム「Terra」を発売。中島みゆき(71)や松山千春(67)、GLAYら北海道出身のアーティストをカバーし話題となった。

 大橋 純子(おおはし・じゅんこ)1950年(昭25)4月26日生まれ、北海道出身。短大在学中にバンド活動を開始。「大橋純子と美乃家セントラルステイション」として77年に発売した「シンプル・ラブ」がヒット。プライベートでは79年に作曲家の佐藤健氏と結婚。仲人は北島三郎夫妻が務めた。

「シルエット・ロマンス」の歌手・大橋純子さん、73歳で死去 3月に食道がん再発で療養中

 大ヒット曲「シルエット・ロマンス」などで知られる、歌手の大橋純子(おおはし・じゅんこ)さんが、9日に亡くなっていたことが11日、明らかになった。73歳だった。今年3月に食道がんが再発し療養中だった。

 大橋は18年に食道がんの治療のため休養し、同年4月に入院する直前の検査で、左胸にあった腺腫が乳腺がんとなっていることが判明。4月から6月下旬まで、放射線と抗がん剤で食道がんを治療、その後7月末に左胸を全摘出し、12月に再建手術を行った。

 19年に活動再開していたが、今年3月に食道がんが再発し、最近は療養中だった。大橋さんは「定期健診で、再発が判明。大橋はやっと世の中も緩和の兆しが見えてきていよいよこれから!と張り切ってリハーサルを始めた矢先の出来事にとても残念な気持ちでいっぱいなのと、楽しみにしてくださっている方々に申し訳ない気持ちでいっぱいです。皆さまの前で歌えるようしばらくお休みを頂戴いたします」とコメントしていた。

 先月22日に、83年に「夏女ソニア」でデュエットしたもんたよしのりさんの訃報が伝えられた際は、所属事務所を通じて「もんたさんの突然の悲報に接し現実のこととは思えず、ただただ茫然(ぼうぜん)としております。私が療養することになったり、自粛期間があったりで、タイミングが合わなくてご一緒することがかなわず、とても悲しくてなりません。どうかゆっくりお休みください…」とコメントしたばかりだった。

 大橋さんは北海道・夕張市生まれ。短大在学中にバンド活動を始め、74年に上京、アルバム「フィーリングナウ」でデビュー。77年に「大橋純子&美乃家セントラル・ステイション」として発売した「シンプル・ラブ」がヒット。卓越した歌唱力で人気となり、78年「たそがれマイ・ラブ」で日本レコード大賞金賞、82年「シルエット・ロマンス」で同大賞最優秀歌唱賞を受賞した。79年には作曲家佐藤健氏と結婚していた。

大橋純子さんの訃報に追悼メッセージ相次ぐ 土屋昌巳、麻倉未稀、尾崎亜美、林哲司らがコメント

歌手、大橋純子さんの訃報は芸能界にも大きな悲しみを与えた。一報が伝えられた11日、親交があったミュージシャンたちが追悼のメッセージを寄せた。

ロックバンド「一風堂」の土屋昌巳は11日、自身のX(旧ツイッター)を更新し、「大橋純子さんの突然の悲報…」と絶句。「70年代、まだ学校を卒業したばかりの僕は彼女のバンド“美乃家セントラル・ステイション”でR&Bやファンク・ミュージックを自由に演奏することを学ばせて頂きました。本当に優しくて卓越したヴォーカリストでした。たくさんの思い出をありがとうございました」と悼んだ。

歌手の麻倉未稀は「悲しすぎて手を合わせることしかできない」とポスト。シンガー・ソングライターの尾崎亜美は「純平さんが?信じられない。美乃家セントラル・ステイションの演奏でソウルフルに歌う大橋純子さんが大好きでした。しばらくお会いしていませんでしたが何度かご一緒させて頂きました。大橋純子さん、安らかに」とつづった。

作曲家の林哲司は「昨夜、突然の訃報に接し驚いています」とし、「アマチュア時代から一緒に、夢をあたため公私ともに過ごした仲間でした。大橋純子さん、純ペイちゃん!あなたは僕らが待っていた、ポップスを歌う新しいボーカリストだった。どうぞ安らかに…」と回想した。

サンスポ(電子版)によると、大橋さんは9日に亡くなっていた。73歳だった。大橋さんは3月にオフィシャルサイトで食道がんを再発したことを発表。2018年に食道がんを患い休養後、19年より活動を再開してきたが、定期検診を受けるなか、食道がんの再発が判明。医師の診断と先々の音楽人生のことをかんがみた結果、4月以降の公演中止が決定し、療養中だった。

大橋さんは1974年にメジャーデビューし、78年の「たそがれマイ・ラブ」が大ヒット。同年末には日本レコード大賞の金賞を獲得した。81年発売の「シルエット・ロマンス」は翌年に入ってロングヒットを果たし、同年末には日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞した。