※今年の下半期は、味方だと思っていた、長いお付き合いの会社に裏切られて経営が苦しくなりました。また、ストレスで体調もくずしてしまいました。その会社いわく昔の義理人情は昭和に忘れて来たらしいです。お人好しが馬鹿を見る時代だそうですね。相変わらず騙されてばかりの人生。人を直ぐに信じてしまう性格。当たり前ですが、ボランティアばかりじゃ食べていけないですよね。会社組織として利益追及して行かないと駄目なのは理解してるのですが、人と争うのが苦手なので経営者失格です。
しかし、私達はどんなに理不尽な事をされても堅実に責任施行で邁進努力して行かなければなりません。色々と不満はありますが頭にきたところで、何も変わりません。相手と争う事でまた、憎しみが生まれます。誰かが何処かで我慢して我慢して止めないと笑って止めないと大きな争いに発展してしまうからです。
子供じゃないから、大人の対処をします。従業員さんの給料は、下げられないので、頑張って営業するしか無いのです。思えば幼い頃から、本心を言えない子供でした。辛く苦しい時でも我慢して笑ってました。貧乏を楽しんでました。楽しむ様にしてました。そうしないと悲しくなるからです。次男坊だからか我慢強くなりました。損ですね。不器用な生き方しか出来ませんでした。
誰にも言えず1人で全て抱えて来ました。だから、人に頼ったり相談したり出来ないのです。私、元来人見知りなんです。よく40年近く営業で食べて来たなと思います。
そんな性格の私に今日の稼ぎと明日の未来を託して来てくれる人達がいます。もう駄目だと諦めたいのに
「まだまだ、出来ますよ。私達の為に、もっともっと頑張って下さい」と、けつを叩くのです。信頼できる営業力のある人が一人でもいてくれたら楽なのに。とも思う時があります。経営者はいつも孤独です。
そもそも営業職を選んだのも本来の性格とは真逆なので、毎回アポどりや商談の際は全開のテンションで取り組みます。
終わると胃が痛くなる程です。でもお客様に喜んでもらった時・感謝された時【有難う・助かったよ】と言われた時があるから、どんなに疲れても達成感が湧いてきて
営業を商いとして選んで良かった。自分が頑張って仕事を取ることで周りの皆に感謝されている訳ですから
やりがいはあります。
来年は、またどん底からスタートです。誰も恨みません。そんな事考えてる暇が無いです。
前に前に進みます。私の知り合いで
起業した皆様は、売上(高さ)ばかりで争い天狗になってますが、高さばかり争う時代は終わりました。継続(飛距離・長さ)を大切に弊社は商いして参ります。
恨み辛みは2023年に捨てて、新たな気持ちで、新しい仲間と2024年を迎えます。晴々とした気分で元日を迎えられる様に、一日一日を大切に悔いない様に暮らします。
人間は弱い生き物です。頼れる仲間が必要です。弱音をはける仲間を作りたいものです。それが世に言う家族なんでしょうね。金で買えない、今の私の周りの方々に感謝感謝です。その方々には今年は色々、ご心配をおかけしましたが、もう大丈夫です。忘年会、新年会、必ずやりましょうね。皆さんの明るい笑顔が、今の私には、1番のエネルギーですから。
つまらない愚痴でしたが、今年一年色々とお世話になりました。本当にありがとうございました。
来年も宜しくお願い致します。
最後に、2022/12/5の日を忘れません。
尊敬する人の分まで長生きして恩返しします。頑張りますから、天国で応援していて下さいね。まあ、私も歳ですからそう遠く無いと思うので、首を長くして酒呑んで待っていて下さい。それじゃ。
「ストレス耐性が高い・低い」といった言葉を聞いたことはありませんか。ストレス耐性とはストレスにどれくらい耐えられるかのレベルを指しますが、早稲田大学名誉教授で心理学者の加藤諦三氏によると、ストレス耐性は生まれつきではなく生き方の問題。「我慢していると、ストレス耐性度が落ちてしまう」といいます。同じ状況でストレスを感じる人とそうでない人がいるのはなぜか。その理由を氏の新刊『我慢して生きるのは、もうやめよう
「ストレス耐性低めの人」が幸せになる心理学』(青春出版社)より抜粋して解説します。
「ストレス耐性の心理学実験」の意外な結果
アメリカの心理学者マーティン・セリグマンの著作に紹介されていた実験に次のようなものがある。
一つは都会のストレスにどれだけ耐えられるかを騒音で実験するものである。さまざまな音のまじりあった騒音を大学生に聞かせる。そして騒音が耐えられなくなったらボタンを押せば騒音を停止できるグループと、そうでないグループに分ける。
すると騒音が耐えられなくなったらボタンを押して停止できる人々の方が騒音を不快でなく感じるし、その間校正の仕事をよくできる。
さらに次のような実験もある。暴行死体のカラー写真を被験者の学生に見せる。それがどの程度恐怖と不安を与えるかを皮膚の痙攣的な反応で見る。それをGSR(ガルバニック皮膚反応)と言う。
ある学生はボタンを押せばそのカラー写真を見せられるのを終わらせることができる。別の学生は何秒写真を見せられるか事前に教えてもらえるが、自分でボタンを押して写真を見るのをやめることはできない。
さらに別の学生は、終了時間を知らされず、ボタンを押して自ら終了もできない環境に置かれる。そして実際にはどの学生も平均的に同じ時間を見るようにしておく。
するとボタンを押せば写真を見ることをやめられる学生が皮膚の痙攣反応が最も少なかった。つまり恐怖や不安が最も少ないということである。
要するに、実際にコントロールできるかできないかではなく、その人がコントロールできると思っているか、思っていないかでストレス耐性は違うということである。
そう考えると、自分はストレス耐性があると思うことがストレス耐性を上げる。まず自分はこの事態をコントロールできると思うことが大切である。
ストレスに対する対処能力があっても、自分が「ない」と思えば実際に対処能力はなくなってしまう。
自分が自分をどうイメージするかで、「実際の自分」は影響を受ける。
心の姿勢が“受け身”の人は、こうして逆境に弱くなる
先に述べた自分が状況をコントロールしているという感覚は、“受け身”と正反対の感覚である。
受け身の人はストレスに弱い。逆境に弱い。逆境ですぐに心が折れる人は、多くの場合ストレスそのものに負けたのではなく、自分の受け身の姿勢に負けたのである。自分に負けるな!
物事を「ああされた、こうされた」と受け身で解釈していると恨みになってくる。「あいつのためにこうなった」と解釈していると悔しさで消耗する。
しかし能動的に解釈すると自分の中に力を感じることができる。そこでストレスを払いのけることができる。自分の中に力を感じるということは心の中に核ができるということである。心の砦ができると言ってよいかもしれない。
自分の中に力を感じることと、物事を能動的に解釈することは好循環するところがある。自分の中に力を感じることができるから、自分の置かれた状況を能動的に解釈することができ、能動的に解釈するから自分の中に力を感じることができるというように好循環する。逆に受け身と心の中に核がないことは悪循環する。
ハーバード大学のエレン・ランガー教授が離婚に関して調査を行ったところ、離婚を元の配偶者のせいにした人の方が、自分の状況に対して考えられる数多くの解釈を見出した人よりも長いこと苦しむと分かったと言う。
このエレン・ランガー教授の研究は苦しんでいる人間、悩んでいる人間について考える時の一つのヒントになる。つまり常に責任逃れをして生きてきた人はその「ツケ」をきちんと払わされているのではないかということである。
責任転嫁の得意な人がいる。何か面白くないことがあるとすぐに人の責任にする。何でも悪いことがあると「おまえのせいでこうなった」と相手を責めている人がいる。その場は相手を責めることで心理的に楽になるかもしれないが、それはコントロール能力、対処能力の喪失につながる。
何でもかんでも悪いことがあると人のせいにして他人を責めている人を見ると、あれだけ人のせいにできれば楽だろうと思うが、実は逆なのである。彼らは周囲から見るとなんて迷惑な勝手な人なんだろうという気がするが、本人は周囲の人より苦しんでいる。
我慢をするほど「ストレス耐性」度が低下する理由
もう一つ、ストレス耐性の度合いは、我慢をしているうちに落ちてくる。
自分の不満をうまく表現できない抑制型の人は、我慢をする以外に怒りに対処する方法が分からない。だから来る日も来る日も我慢、我慢になる。ただただ我慢をする日が続く。
毎日イヤなことが重なって、ただ我慢する以外にない時には、怒りは次第に心の底に積もっていく。その時その時の怒りは小さくても、その怒りが蓄積されて合計されて、心の底に根雪のように積もっている。ほんのささいなことにも耐えられなくなっている。
肉体的に疲れていれば、わずかな坂でもつらい。「もう歩けない」と思う。しかし元気な時には、それが坂であるということすら気がつかないで歩いてしまう。心も同じである。心理的に疲れている時には、ささいなことをものすごい困難に感じる。
そうなると、どうなるか? 極端にストレス耐性度が落ちてくる。何でもないささいなことが「許せない」ほど大きな問題になってくる。相手のささいな言動にものすごく不満になる。ちょっとしたことにひどく腹が立つ。
一つ一つ悔しいことを毎日関係者に説明をして処理すればいいものを、その感情を抑圧して怒りに蓋をしてしまう。
もう我慢する生き方は、やめた方がよい。今何にしがみついているからそんなに我慢しなければならないのか。今にしがみつく生き方はやめれば、もう我慢しなくてもよい。
アメリカの心理学者デヴィッド・シーベリーが言うように、人間の唯一の義務は自分が自分であることである。あなたが今、その価値にしがみついた生き方をするから、その生き方は価値ある生き方と感じているだけである。今の生き方をやめてみれば、自分はガラクタにしがみついていたと気がつく。
世界には悲しいことに
紛争や対立はなくなりません。
皮肉なことに
ほとんどの
戦いをやめて和平を望んでいるのに
大きな戦火でたくさんの尊い命が
亡くなっています。
和平を望むのに
結果は傷つけあう
なぜ、望むことと真逆の結果が
起きてしまうのでしょうか?
もちろん要因は一つではありません。
政治指導者やその基盤団体が
自分の利益を優先して
和平を望んでいない場合もあるでしょう。
しかし、
もし仮に和平を望んでいたとしても
結果、戦争に入ることがあります。
みんなが平和を望んでいるのに
戦争状態になることなどあるのだろうか
と思う人もあるでしょうが
実際に世の中、そんなことだらけです。
例えばAさんとBさんに争いが起きて、
お互い拳銃を相手に突き付けたとします。
もちろん、お互い打ちたくないです。
自分を守るために脅しとして拳銃を抜いたのですが
厄介な問題がでてきました。
どうしたら拳銃を収めて仲直りできるでしょうか?
1番 僕も銃を捨てるから君も捨てようという
→先に捨てたら打たれてしまうと思って捨てられない。
相手の言うことが信じられるならそもそも、こんな対立は生じない
2番 いっせいので一緒に捨てましょう
→ひょっとしたら、違う武器を持っているのではという不信感があると同意できない。
こんな感じで実際に銃を捨てることは難しいのではないでしょうか。
他にもいろいろなパターンがあると思いますが、
協力したい、争いたくないと思っても、争いを避けることが難しいことがあります。
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名無し (水曜日, 08 11月 2023 02:25)
【 自分を甘やかすのも大事 】
つらい時ほど無理してしまう
良くないものを溜め込むのは
身体にも心にも悪いから
辛いときには思いっきり
わっーと泣いちゃって
吐き出すことも大事だよ
苦しいときは思いっきり
誰かに甘えちゃって
ときには自分を甘やかす
のも「大事」だよ!!
いつか必ず笑える時が来るから
名無し (水曜日, 08 11月 2023 02:34)
人生、苦しい時の方が多いよ。
でも、少し楽しい時があるから
生きる喜びが湧いてくるんじゃないかな。
苦しみも楽しんじゃおうよ。
名無し (水曜日, 08 11月 2023 07:58)
あなたに敬意を払わない人に、
あなたが敬意を払う必要はない。
あなたのことが嫌いな人を、
あなたが好きになる必要はない。
あなたを大切にしない人を、
あなたが大切にする必要はない。
さとる (水曜日, 08 11月 2023 16:34)
また、1から2人で会社を建て直しましょう。
裸で生まれて裸で死んでゆく。
何も恐れる事はありません。
全員敵に回してもやり遂げます。