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⓺『おすすめの本・まとめ』Apex product 読書好きな方々・興味がわいた方、是非読んでみてください。

15歳の叫びあんな大人になりたくない 
-10代の自分を最高に好きになる方法-
松谷咲
2023年
みらいパブリッシング
小・中・高と受験を経験。進学校を退学。
自力で一人暮らしを経験し、
現在タトゥー彫り師。
16歳の赤裸々な声を聴いてみませんか?
著者のお母様を知った時が
丁度この本の出版時でした。
この立派なデンタルクリニックの
娘さんが中卒でタトゥー彫り師??
なんて寛容なお母様と思ったけれど
本を読むと、お母様にも
たくさん葛藤あったよねぇ。
親の「良かれと思って」は、必ずしも
子どもにとってプラスになるわけではない。
わかっているんだけど、親の立場になると
「良かれと思って」の言動になりますよね。
私も子どもの時の選択基準は「母が喜ぶ方」だった。
重要なことは押し付けではなく、
親の背中を見せることですかね。
今はもう「いい学校」「いい会社」の時代じゃない。
「自立と共生」
子ども達は本能でそれを感じ取っているので、
大人のルールで支配される学校へ行かないという
選択をする子どもが増えているのだと思う。
著者も感じていたが、学校(会社)と
家だけだと関わる人は40人程度。
しかも似ている環境の人ばかり。
☆たくさんの人に会うこと。
☆色んな価値観を知り、認め、尊重すること。
これが本当に大切なことだと思います。
著者はこれが出来たことで、一気に世界が広がり、
自分が大好きになり、やりたい仕事が見つかった。
読んでいる間の脳内BGMは尾崎豊。
「この支配からの卒業~♪」
 
16歳が綴る、人生哲学。
老若男女、全ての人に読んで頂きたい一冊です。
 
 
傲慢と善良 辻村深月
控えめな性格に見えて、実は『傲慢』であり、良い子ようで、ただ無知であるだけの『善良』。
痛いところをつかれて、まさに自分の中の傲慢と善良とを振り返りつつ、読み終えました。
何らかのしがらみがあると、人はそこで適応、対応しようとしてしまうのかなと。そして、そこで他者と比較することで傲慢さも生まれるのかなと。この本で言う善良さは、人の言いなりになって何も知らないまま育ったような人の持つ特性で。何も知らず聞き分けがよく、言うことを素直に聞くことのよう。
ラストが良かったです。
近年、やたらと発達障害とあちこちで聞こえて来ます。エジソン、アインシュタインも発達障害のレッテル。
子供は発達途上、未熟で当たり前と思うし、昔はそんなのなかったし、疑問に思うこの頃。そこに見つけた、発達もどきという本。子育て中の親御さんには、是非読んで欲しい。
東野圭吾 「あなたが誰かを殺した」
加賀シリーズの新刊が出ていたので買ってみました
 
ある別荘地にてパーティーをしていた団体のメンバーが次々と殺害される事件が発生した。犯人は逮捕され、死刑になるために誰でも良いから殺害したかったと供述しているが、被害者家族たちはそれに納得できなかった。そこで彼らは再び事件のあった別荘地に集まって真相を探る会を開催することにし、その中の一人が解明の手助けとして長期休暇中の加賀を連れて参加することとなった。
彼自身も事件には興味を持っており「誰でも良かった」と犯人は語っているが多くの中からこの団体を標的にした理由が何かあるはずだと考え、この会でそれを解明しようとする、というお話。
 
シリーズ物のミステリー作品となります。
警察の捜査が一通り終わった後という設定なので新しい手がかりを探すよりもいかに参加者たちから情報を引き出すかと言う部分を中心に描かれています。このあたりはこれまでの加賀シリーズの中にはなかった展開で見所の一つとなっています。
真相の内容なども話が進むにつれて徐々に明らかになったり、予想してない方に向かったりなど話の展開も面白くて最後まで飽きずに読めます。色んな作家さんを読んでから東野さんの作品を読むと、構成や書き方などの上手さはやはり凄いと改めて感じますね。
それとシリーズ物ではありますが前作と特につながりはないので本作だけ読んでもOKです。
 
このシリーズはどれも面白いので気になる方はぜひチェックしてみてください。
原田マハ
「フーテンのマハ」
猫舌じゃなくて熱々大歓迎の鉄舌?を持つ原田マハさんが、親父内蔵型弁天様と呼ぶ編集者、大学時代の同窓生御八屋千鈴さん等々引き連れて、ぽよよんグルメ旅と称する、美味いもの目掛けて、地図もその土地の名勝も頭に入れず、ついでに変な買い物をしがちな、フーテンの旅をした顛末を記した本書。取材旅行先のパリでイケメンに釘付けになるわ、遠野で座敷童に願い事するわ、高知で絶品餃子に出会い前世は餃子と称するわ、八面六臂の見事な食べっぷり。ついでに?作者の処女作「カフーを待ちわびて」の制作秘話にも行き着く、お買い得すぎる一冊。
塚本邦雄『ことば遊び悦覧記』
和漢洋に及ぶ深い教養。一読すぐそれと分かる強靭な文体。小説から評論まで幅広いジャンルを自在にまたいだ旺盛な作品群…もはや達人や巨匠、といったくらいでは収まらない、「日本語の怪物」としか呼びようのない存在がいて、私にとっては石川淳とこの塚本邦雄がそうです。
本書は古代歌謡から現代詩に至る作品群から塚本が選び抜いた言語遊戯の作品をまとめたアンソロジー。いろは歌のヴァリエーション、物の名前を織り込んだ和歌の数々、回文など先人たちの洗練された遊び心がどのページにも躍動しています。
中でも圧巻なのは碁盤や山形に言葉を配した「形象詩」の一群でしょう。いわゆる「カリグラム」や「タイポグラフィ」ですね。塚本自身も本書の中で、藤原定家等の歌を散文詩に翻案し、かつシンメトリカルな幾何学的図形に配置した創作を披露しているのですが、よくぞここまでのものを思いつき、作品化したものだと、感嘆を通り越して畏怖すら感じてしまいます。まさに帯で竹本健治が述べてるように「宝典である以上に毒の蜜」なのです。
佐藤愛子の最後のエッセイということだが、死ぬまで書くということで連載中とのこと。
戦争を経験している人は多かれ少なかれ戦争体験を語ることが多い。彼女のエッセイも戦争の体験が語られている。「我が大君に召されたる いのち栄えあるあさぼらけ…………」などの歌が披露されているが私も歌ったことを思い出した。今日11月5日が彼女の誕生日なので100歳を迎えたことになる。
「あの女」とは…どの女❓
多分"あの人"なんだろう…と途中まで思っていましたが、読んでいくうちに、それは人それぞれの解釈で良いのでは…という思いに変わりました。
登場する全ての"女"に癖あり、悪あり、胡散臭さあり…
この物語に登場する人物で、共感できる人はいません。
"もちろん"女"ですが、そんな"女"にくっついている"男"もです…
"タワーマンションの最上階に暮らす売れっ子作家『三芳珠美』は人生の絶頂。
一方、売れない作家『根岸桜子』は安マンションで珠美を妬む日々。
あの女さえいなければ…
ところが珠美がマンションから転落。
女たちの運命が逆転するのか…"
                                  =一部裏表紙より=
第一章から第五章までありますが、短編ではありません。長編小説です。
"次々現れる怪しい女、女、また女❗️
女がいるところに平和なし…"
                                       =裏表紙より
語り手が細かく変わりながら、物語は進んでいきます。
平和なし…ですが、ドロドロあり…
そしてビックリの結末ありです。
"あの女"、自分なら"どの女"を思うか、是非、確かめてみてください。 
*解説から読まないでください。
ネタバレ注意❗️です。
「あの女」 真梨幸子
「黒い糸」
染井為人
亜紀が結婚相談所でアドバイザーを始めたのは9年前。
5年連れ添った夫と離婚し、当時3歳の息子を女手一つで食べさせていくためだった。
結婚相談所の業務内容はけっして楽ではない。
面倒な会員の相手をしなくてはならないし、理不尽なクレームを受けることも日常茶飯事だ。
そして、今まさに、面倒な客を担当していた。
江藤藤子。
アポもとらずいきなり事務所に押し掛けてきては、何度もしつこく難癖をつけてくる。
事務所で、とうとう亜紀と彼女が言い合いになってからというもの、亜紀の家には、不審な無言電話が度々かかってくるようになった。
そんな亜紀の息子・小太郎が在籍する6年2組では、約2ヶ月前の12月4日、小堺櫻子ちゃんという女子児童が小学校からの帰宅途中に行方不明になっていた。
櫻子ちゃんがどこへ消えたのか、未だ誰にもわからない。
その件のすぐ後、精神的なことからか、担任の女性教師はいきなり辞めてしまい、4年1組の担任を務めていた祐介が、急遽、6年2組の担任を任されることとなった。
それらの出来事から間を置かず、今度は亜紀と小太郎のアパートの玄関の外が、まるでそこが刺殺事件現場であるかのように、血の海と化しているという不気味な嫌がらせが起きる。
その後も、そのクラスではまた女児が暴漢におそわれ、意識不明の重体となってしまうという事件が起こった。
誰がやったのか―――。
2ヶ月前、女児が行方不明になり、今度は男子生徒の家が凄惨な被害を受けた。
加えてまた別の女児が暴漢におそわれた。
まさかこれらの事件が繋がっているなんてことは・・・・・・。
特定のクラスの周辺で立て続けにおきる事件の犯人は同一なのか、またその目的とは・・・❗️
こいつが怪しい。
いや、こいつか❓️んん❓️こっちか⁉️
何度も右往左往しながら、やっぱりこいつか‼️と思った時には、想像の遥か斜め上をいく真相に驚愕させられる‼️
祐介の兄の風介のキャラがかなり独特です~❗️
ラストは、もう、ホラー‼️
怖かった~😂
ゾワゾワしたい方、ぜひ😊
「ラン」
  森絵都
9年前に13歳で家族を事故で失った環、
その後、一緒に暮らしていた叔母も亡くなり
ひとりぼっちになる寂しさよりも
あの世(冥界)の方がリアルに身近に感じ
そしてある日とうとうその境界線を突破してしまった。
そこでは亡くなった家族が楽しそうに暮らしていた。
家族に会いたい一心で自らの足で冥界への道のりを走り抜く決心をするが……
あの世(冥界)とこの世を行ったり来たりとか
現実離れした話ではあるけれど
なんだか納得できちゃったりしてね。
生と死は紙一重なんだよね。
要するに成仏できてないのだけれど
それは亡くなった人が残して来た人への思いばかりでなく
送った側の後悔やら哀しみもあるんだ、と。
哀しみを乗り越え
人間としても成長し
一生懸命に生きていく姿を描いているストーリー。
フルマラソン42.195キロなんて
ただただ苦しい距離
でも
「42.195キロ先でまた会おう!」
なんて清々しいんだろう。
さてさて
みんな無事にゴールできたのかな?
ラーメン赤猫(1)/アンギャマン著
少年ジャンプ+にて連載中の少年作品。
”異色なラーメン屋さん”
珠子、ヒロイン兼主人公。
ある日、ラーメン屋の面接に行った。
そこでは働くのは猫だらけ。
「犬派」というNGワードを言ってなぜか採用されてしまい...ラーメン漫画開幕!!!
子供向けかな?って思ったら意外と楽しめました。
最強ジャンプでもOKなのかな~って思ったが何だか違ったので「(少年ジャンプ)+」で良かったかも
コミックス1~5巻発売中☆
2022年10月に発売された漫画を紹介していきまぁ~す!
「憚りながら」 後藤 忠政
著者は日大最大の暴力団「山口組」直系の舎弟として「後藤組」を立ち上げた元組長です。いわゆる経済ヤクザの先駆者で数々の企業の裏方経済に関わって来ました。引退後に神奈川の某寺で得度、仏門に入り、現在はカンボジアに居を構えているそうです。
不良少年時代の生い立ちは鑑別所との往き来と良くあるパターンですが、彼の祖父にあたる人は桁外れの人物で、静岡県富士宮の駅から2キロ範囲の土地を持つ大地主でした。「駿河銀行」や「現伊豆箱根鉄道」、東電に吸収された「冨士川発電」の創設などに関わり、日本に居た頃の「蒋介石」の世話をしていたり、戦後になって東京湾から旧陸軍が沈めた金塊を引き上げたりしました。この金塊はGHQに持っていかれたそうですが。とにかく大財閥であった訳ですが、父親の代で土地以外は失ったそうです。
ヤクザの世界に入るとすぐ頭角を現し、山口組門下で芸能プロダクションを起こして興行で成功しますが、歌手、俳優、力士の実名がドンドン出て来ます。
政治面では元公明党の大物「竹入義勝」や「矢野絢也」との関わり、そして創価学会との攻防があります。また笹川良一をバックにのし上がった元参議院議員「糸山栄太郎」襲撃事件。「ミンボーの女」の監督「伊丹十三」襲撃事件も後藤組の若い衆がやったと後で知り、ヤクザの理論を振りかざして喝采しています。
消費者金融の大手だった「武富士」が、株式市場からの批判があったにも関わらず上場出来たのは何故か。詐欺グループ「投資ジャーナル」の中江滋樹との関わり。このあたりの話は実際に関与している訳ですから凄く面白いです。
右翼には珍しい理論派の「野村秋介」との友情は読みごたえがありました。朝日新聞東京本社で社長や首脳陣の前で拳銃自殺しましたが、三島由紀夫並みの本物の行動右翼ですね。
すでに反社会的勢力はかつて無い程追いやられつつある現代であり、反社との関わりが少しでもあれば抹殺されかねず、その家族であるだけで「社会の仮想敵」扱いになります。それを「極道」なりの道を説いて、社会の正義を語るのはお門違いも甚だしい事で、得度したからって好き勝手を言うなと最後に思いました。良くある社会に責任転嫁する「いてもいいだろこんな馬鹿」のパターンです。
闇の部分を知る意味で面白い本です。 
「彼女たちの犯罪」横関 大(幻冬舎文庫)
久々に、本格派のミステリーを読みました。この作家さんの本は初読みですが、文章力がある上にストーリー展開も巧みで、一気に読ませる力がありました。
世田谷の高級住宅地に住む神野由香里(じんのゆかり)は、ある日、嫁ぎ先から失踪し、一週間後に伊東の海で遺体となって発見されます。
現場付近には、由香里のものと思われる白いパンプスも残され、警察は「自殺の可能性が高い」とみなして事情聴取を始めます。
一方、大手自動車メーカーの広報に務める日村繭美は、理想的な伴侶と出逢うべく、お見合いを繰り返していました。
ある日、取材先の野球グラウンドで打球に当たった彼女は、意識を失って病院に担ぎ込まれます。そこで彼女を診察した外科医は、偶々、大学時代の一つ先輩の野球部の神野智明でした。
彼女は大学時代にチアリーディング部に属しており、学園祭の夜、一番可愛がっていた後輩のA子が、この神野に乱暴されたのを目撃していたのです。その後、A子は学校を辞めて田舎に帰ってしまい、繭美はずっとA子のことが気にかかっていました。
ところが、その後、神野の方から積極的なアプローチがあり、彼の口から
「実はA子の方から告白され、あの夜のことは合意の上だった」
と打ち明けられます。
現役の医師で魅力的な神野と付き合いだした繭美でしたが、ある時、彼の忘れ物のネクタイを病院に届けに行った際に、彼がすでに何年も前に結婚していた事実を知らされます。
一度は別れを決意した繭美でしたが、智明の妻の由香里を目にした彼女は、
「あんな地味な妻は智明には相応しくない。彼女さえいなければ、私が彼と結婚できるのに」
と思い詰め、由香里に急接近します。ところが、当の由香里の口から出たのは、
「彼とそのまま別れないで欲しい」
という予測も付かない言葉でした。
由香里の葬儀からしばらく経った頃、彼女が崖から身投げしたとされる日に、近くの食堂で男性と一緒に食事をしていたという目撃情報が上がってきます。
そこで、世田谷署の刑事の上原武治は部下の熊沢理子と共に、由香里事件の捜査を開始したところ、彼は医師の智明とOLの繭美が不倫関係にあったことを突き止めます。
ある日、赤坂の超高級ホテルに呼び出された繭美は、ホテルの一室ですでに「亡くなっていた」筈の神野由香里と、大学時代に智明と強引に関係を持たされたA子と再会し、彼女たちからある提案をされます。それは、智明の妻の由香里と愛人の繭美、智明に恨みのあるA子の三人が「全員幸せになれる」という壮大な計画でした。
ともかく、二転三転するストーリー展開と、登場人物たちの複雑な相関関係なども含めて、最初から最後まで目が離せないミステリーの大作でした。
こちらの作品は、2023年の7月から、深川麻衣さん主演でドラマ化されており、すでにご覧になった方も多いかもしれません。しかし、原作とドラマでは微妙に結末が違っているそうなので、是非、本書もお読みになってみてください。
過労死、過労自殺の現代史
熊沢誠著  岩波現代文庫
2018年12月刊
先日から
宝塚歌劇団員の自殺で
遺族、歌劇団が会見を開き
話題になっていますし
医師の働きすぎによる自殺も
遺族が怒りの告発をしています。
働きすぎに倒れる人たち
というサブタイトルが
本書の性格、主張、怒りを表しています。
この本の刊行当時、
著者の熊沢誠さん(甲南大学教授)とは
フェイスブックで繋がってまして、
新刊が出ると予告されたので
5年前に新刊で出たときに買い
大事にしまいすぎて(笑)。
上のような事件を目にして
いざもう一度よみたくなったときに
どこに置いたか分からず借りて来ました。
400ページ超えのゴツイ文庫ですが、
著者の想い、パワーに押されるし、
読みやすくて一気に読める。
長時間の
しかもしばしば深夜にまで及ぶ労働、
しかも強制ではなく自発的な?労働
を事実上強いられる上に
最近の特徴として、
各種ハラスメントが絡む事件が多い。
宝塚の事件でも歌劇団と遺族の主張が
この点で争っている。
ちなみに
宝塚事件でしばしば解説されている
時間外労働が月100時間を超えて
行われたときに過労死が業務と結び付く
という基準が採用されたのは
2001年の新基準からで
それまでは労働時間との関連では
基準がなかったのだ!!
(25ページ(1)参照)
また心因性の精神障害による自殺も
1999年の新基準で業務上と
判断される至る(28~29ページ
心理的負荷評価表参照)。
宝塚事件の事例では
睡眠時間が3時間しか取れなかった
というほどに長時間労働で
心身ともに疲れきっていたと思われ、
心理的負荷は相当にきつかったと
考えられる。
そして宝塚だけでなく
あらゆる職種あらゆる業種で
脳、心臓疾患につながる長時間労働が
行われておりバブルのモーレツを超える
とまで書いており
その構造的な背景事情にも言及している。
あいまいな労働時間管理、要員の不足、
ストレスの多い仕事、上司が抑圧的
厳しいノルマ等等。
いくつかは宝塚の例にも見られる。
本書はこうしたハラスメント付きで
長時間労働が事実上強制されている
日本の労働実態を90年台前半と以降に分け
さらに職種別に詳細な分析をしている。
トラック輸送、工場、事務系、教員等。
次に若者たちの過労死過労自殺を扱い、
ハラスメント、過重労働の実態に入る、
そしてハラスメント付きで自殺の背景には
過酷な労働実態を見て見ぬふりをする
企業別労働組合の実態があるのではないか?
という問題をつきつけている。
また長時間労働ででもガンバル他はない
という決意をせざるを得ない労働者の覚悟は
個人処遇化に抗わず、
個人の受難に寄り添うことを放棄した
労働組合に対する労働者の距離感の表明
でもあったとまで書いている。
そんな困難な状況ででも
めげずに立ち向かう遺族や弁護団の力、
真実究明に向けての監督署や裁判所の役割、
資料としての判決文や裁判資料が
なかなか表に現れてこない
企業労務の実態を明らかにする
手がかりになることが多いし
90年台のある時期までは
働きすぎ、過重労働による死亡を
労働災害とは認めなかったのであり
その開かずの門をこじ開けて
労働災害と認定させたのは
労基署でも労働組合でもなく
真実究明に向けた遺族の執念であり
遺族の想いに応えて闘った弁護団の執念だ
と書いている。
全国で初めての過労死110番の開設が
1988年6月、初日だけで135件
相談の電話があったという。
また宝塚事件の弁護団弁護士は
例の電通事件のときの代理人も務めている。
大学を退職して研究資料にも
簡単にはアクセスしにくい状況で
これだけの資料を集め
ゴツイ告発の書を書き上げた著者の執念も
やはりスゴいです。
絶対のおすすめです!!
なお、今夜19時30分からの
クローズアップ!現代は
職場の死を防ぐには  過労死防止法10年
ご覧ください。
昭和ブギウギ   輪島裕介 NHK 出版新書 
朝ドラ ブギウギの関連書としては最も学術的価値の高い本である。 筆者は大阪大学の芸術学の教授。
この本は笠置シヅ子と服部良一を軸としながら道頓堀 ジャズやスイングからブギウギまでの大衆音楽史を縦糸に、松竹 東宝 吉本などの 関西興行資本の東京進出を横糸とした昭和芸能史である。
朝ドラが笠置シヅ子の出生など事実を踏まえながら 趣里が好演している背景がわかる本でもある。
音楽的にいくつか面白かったことは 当時の淡谷のり子 が正統派のベルカント唱法であるのに対し地声の笠置を配置したことや 昭和モダンの服部が 笠置以外にも 1市丸の三味線ブギウギ  高峯秀子の銀座カンカン娘を 巧みに作曲していることがわかる。
 ちょうど今 数年前の 服部良一カバー集CDを聞いている。福山雅治が東京ブギウギを 陽水が胸の振り子  ラッパと娘を松浦亜弥  蘇州夜曲を小田和正が歌っている。テレビの前のラジオの時代の芳醇な音楽が 素晴らしいことがわかる。
「羊と鋼の森」 宮下 奈都
2016年本屋大賞の大ベストセラーですね。
タイトルを見ると何のことか分かりませんでした。読み進めれば、ピアノという楽器を見事に表現した標題であり、内容であると思いました。
17歳の主人公「外村」が、担任から板鳥さんという「調律師」を体育館にあるピアノに案内するよう言われ、そこで初めて調律作業を耳にします。普段気にも止めなかった古い黒い大きなピアノ。その人が調律を始め鍵盤を叩くと、開いた蓋の下から肌に染みる森の匂いがしました。鍵盤に繋がった鋼の弦を、羊毛のフェルトがハンマーになって叩くと、音の景色が森となって浮かんだのでした。
この衝撃で彼は「調律師」になることを決心、板鳥さんの薦めで調律師養成学校で学び、板鳥さんの居る楽器店に就職します。そこで色んな調律師の技術や考え方を知り、色んなピアノに出会い、色んなピアノ奏者の物語を知るようになります。
ハンマーのフェルトの固さを感じ取り微妙に針を刺して調整する繊細な技術ですが、奏者の思いを聞き理想の音をつくり出せる調律師とは、まるで生物と対峙する自分の哲学を持っているかのようです。
ホールのピアノと家のピアノは、床の固さや脚の向き等で全く別の生きものと知り驚きでした。
外村は挫折を繰り返し、自分が調律師として目指す音を追いながら、厳しいプロの目に揉まれ成長して行きます。
ようやく一人立ちが認められ、ある一軒の新規客のもとに向かいます。長年一人で引きこもり状態だった青年のピアノで、両親を亡くした15年前から調律していないとカードに記してありました。たった一人の15年は辛い思いであったのでしょうが、両親の思い出のためにピアノを弾き直す決意のようでした。調律を終え外村が促すと、一音の鍵盤を叩いた瞬間青年の沈んでいた表情が一変し、15年を取り戻すように忘れていた熱情がよみがえったようでした。
外村の調律師としての真意はきっとここにあるに違いないと思いました。
外村の大切な顧客となった「和音」と「由仁」と言う双子の姉妹がいます。ぶつかり合う才能があり、この二人のための調律が微妙に違うことが物語の深みを作り上げています。ピアノ調律師の職人たる技術の深さに感銘しました。
映画も見ました。上白石姉妹の熱演が素晴らしかった。
読み初めてすぐに、翌年の本屋大賞「蜜蜂と遠雷」を思い出しました。こちらはピアニストの物語でしたが、文章から沸き上がるピアノの音色のイメージが良く似ていると思いました。
 
おもかげ  浅田次郎 /講談社文庫
たくさんの方がご紹介していた作品です!
表紙の写真で「また、この作品?」と思われてしまうかもしれません😆
でも、やっぱり紹介させてください!
読んでいる最中から
〝そうなの?
本当にこんな風に
人生の終焉に懐かしい人や記憶の彼方にいた
人々が会いにきてくれる?
埋もれていた記憶の中から真実を教えてくれるの?
そうだったらいいなぁ。
と、しみじみとそんなことを思いました!
****
65歳の退職の日に地下鉄の中で倒れてしまい
病院のベットの上で〝死線を彷徨う〟主人公。
その主人公の脳内には
病室で本音を語る家族や友人の声が
全て届いていて、思い出が蘇っていく。
そればかりではなく
その危篤状態の、此岸と彼岸の狭間で
誰とも知らない人との信じられないような
出来事や経験が繋がっていって。。。
何度も現れる地下鉄のシュチエーションが意味することは何なのか。。。
あらゆることが
自分の脳内で繋がって、腑に落ちた時に
彷徨っていた彼の魂はどうなるのか、
身体に戻ってくるのか、それとも…。
********
私自身の仕事柄、とても興味深いテーマでもあり〝信じたい〟と強く思いました!
「地下鉄に乗って」とこの作品は
きっと作者自身の思い入れなのでしょうね!
未読の方、おすすめします^_^!
『天皇はなぜ紙幣に描かれないのか』 
 三上喜孝
書名のごとき日本史の疑問が全部で30個、解説されている。堅苦しい実証主義的歴史学から離れて、身近な史物から自由にイマジネーションを拡げている。傍流の歴史、俗史、サブカルヒストリーといったところか。興味の赴くままに、フィールドワークを重ねて「謎解き」を行っている様が、痛快である。
例えば、「源義経 = チンギスハン」説のような荒唐無稽な歴史デマも丁寧に解き明かしている。
面白かったのが、天童市にある若松寺の観音堂の落書きの解読を進めるうちに、同じ定型の落書きが全国のお寺にあることを発見する件である。
ネタばれになるので詳細は言わないが、このしょうもない落書きに書かれた当時の(江戸時代)庶民の風俗や感性が深く読み取れるのだ。この「定型落書き」が全国に流布していった過程が、ツイッターの「リツイート」だったという著者の指摘がスルドイ。
ならば、観音堂は「掲示板」なのだな。と。
内容も文章もライトなので、歴史に興味がなくとも、おすすめです。
中村淳彦
『東京貧困女子』
東洋経済オンラインで1億5千万PVを突破した人気連載の書籍化。女子大生風俗嬢、派遣OL、シングルマザーなど、貧困にあえぐ女性の心の叫びを著者が丹念に聞き続け、「個人の物語」として綴ったノンフィクションです。
貧困なんて他人事だと思っていた。
彼女たちはなぜ躓いたのか..
奨学金という名の数百万円の借金に苦しむ女子大生風俗嬢
理不尽なパワハラ・セクハラが日常の職場で耐える派遣OL
民間企業よりもひどい、まじめな女性ほど罠に陥る官製貧困
明日の生活が見えない高学歴シングルマザー...
貧困に喘ぐ女性の現実…。
個人の資質や心がけなどという単純なものが発端ではない。構造的に貧困を生み出すようになってしまった日本社会。階層化はますます深刻になっていく。
リストラが蔓延し、年功序列もなくなり、将来どうなるか分からないから、親も自分たちの生活の方が大事になる。成人した子どもは自分で何とかしろ、ってなる。
経済的な貧しさの他にも、病気、孤独、希薄な人間関係 … 出るのはため息ばかり。
いま日本で拡大しているアンダークラスの現状。
これは決して他人事ではない。
重いテーマですが、これまでちゃんと話が聞けてない分野の話にまで深く、踏み込んだ内容です。ひどい現状ですが、まだまだ「下り坂の途中」。
共感できたのは、著者の立ち位置。社会の糾弾者でもなく、支援者でもない。「徹底した傍観者」。これまで見ようとしなかった、見ないふりをしてきた現実が克明に語られた今作を、同じ視点で読むことに、まずは大きな意味があると思いました。
今年、読んだ中で、とても印象深く心に残った一冊です。
14歳。徴兵検査など、受けずに徴用。
直接の戦闘には加わらないが、過酷な任務が、付与される。最後は、死ぬも生きるも自分で決めろか。
日本の軍部はプライドと面子にこだわり、国民を悲惨な目に遭わせ、戦禍を拡大させた。
もし、昭和20年3月10日の東京大空襲で、戦争終結に動いていたら・・・
「子やぎのかんむり」 市川朔久子
有名私立女子校に通う夏芽が田舎の山寺でのサマーキャンプへ。
安くて家から遠ければなんだっていい!と選んだサマーキャンプでしたが、なんと参加者は自分1人?
しかし初日からトラブル続きで…
父親に問題がある夏芽、母親に置き去りにされた雷太。謎がありそうな大人達。いい加減に見えて全てを包み込むような住職のタケじい。
これは本当に児童書?大人も読まなきゃもったいない!
問題を抱えた子どもも大人もお互いを癒し、癒される場所。
恩に着ることなんかない。子どもはみんなのうのうと生きてればいい。
心と体の良いバランスを覚えておく。
親子は縁。ただのつながり。それ以上でもそれ以下でもない。
みんな宝だから。
この子達。この人達みんなに宝山寺があって良かった…そして、迷えるみんなにあればいいのに。と思ってやまないです。
「手のひらの音符」 藤岡陽子 新潮文庫 

主人公水樹の日々の生活状況が語られながらも、その合間に過去の思い出が立ち替わり現れて同時に物語が進行しつつ過去と現在がいつしか自然と一つになっていくようでした。

それが、どの登場人物達も愛おしいような、
どこか悲しいような、それなのに温か味が充満していて心を静かに、それでも我慢出来ないくらいに震わせる物語です。

それこそ、全体を振り返ってみれば小説としては特別に驚くような出来事もなく、派手さは皆無であり素朴さが一番に来る様な作品ではあります。

しかし、とても真摯に前を向く姿が何より心を掴み苦しいくらいに心を揺さぶって来ます。

水樹は服飾メーカーに勤める社員のデザイン部門に就いていたのですが、他の業務にも水樹は掛け持ちをしなければならない程の大手とは違う会社状況ではあったのです。

そんな折、社長から服飾業界から撤退すると通達があり来春で会社を閉鎖するとの内容に水樹達は塞ぎ込んでしまい戸惑ってしまうのでした。

水樹の過去と現在が交差する様に進行し、最後に名古屋から新幹線で信也の居る京都に向かった場面、昔懐かしい日向町の競輪場でした。
信也の姿に叫びそうになり、鼓動が急速に早くなるのです。
そして、そこには諦めない心の先に何かがあるのかもしれないと水樹に思わせ、心を決めさせていました。
「男たちの旅路、車輪の一歩」山田太一

山田太一さん・・・、倉本聰さんと共に、
ドラマは脚本家で観るという道筋を切り開いた先駆者だ。
数多くの山田さんの脚本の中でも、
衝撃的な感動を受けたのが「男たちの旅路~車輪の一歩」だ。
この作品の問題提起に心動かされ、衝撃を受けた。

車椅子の若者たちが生きていくうえでの心の葛藤、苦悩と希望が
見事に描かれていく。
ドラマの中で、吉岡警部補は障がいのある若者に言う。
「迷惑をかけることを怖れるな。」と。

バリアフリー、ユニバーサルデザインへの道筋への
きっかけともなった作品だ。
社会を変えていく力となるのは、一人一人の思いや意志が
積み重なって、繋がっていくことに他ならない。
人が人として生きることの強みは、共に生きること。
「車輪の一歩」のラストシーンが
当たり前の世の中になることを切に祈りたい。

山田太一さん、素晴らしい脚本をありがとうございました。
心よりご冥福を祈ります。
『戒厳』 四方田犬彦

熱い物語である。

本書は、著者が大学を卒業したてのころ、韓国の大学に日本語教師として招聘され、そこで体験した1979年当時の隣国・韓国のドキュメントである。この物語は、小説ということになっているが、登場人物も実名なのでノンフィクションであり、作者の実感がこもっていて生々しい。

教師として赴任した主人公は、自分と年端が違わない学生たちと一緒に呑み、ポシンタンを喰い、議論を交わし、ロードムービーさながらに全羅南道へ旅までする。

若さというものは、共感力を増幅し他者理解を容易にし、異文化に同質化しやすくするのかもしれない。しかし、一方でこういった優れた共感力や同質化能力は、著者特有の他者視線の獲得を容易にしてもいる。それは、この小説において韓国人の立場で韓国を見、同じ目線で日本を見ることで高い客観性と批評性を同時に獲得しているということだ。

そして、主人公は彼らとの交流を通じて、韓国という地政学的困難とイデオロギーを日本との関係性で実感していく。

そこでの描写は、今の韓国にはなくなってしまった国の勢いや熱意と、未だアジアの混沌を残していた昔の韓国がある。

そして、常に比較対象としての日本が持ち出される。常時北朝鮮との臨戦態勢で緊張の続く韓国と、ちょうどバブル期に向かおうとしている「おきらく大国」日本を比較して、主人公は自己嫌悪に陥るのである。自国の行く末と政治を熱く語る韓国人学生に、学生運動に敗北したばかりの日本人である主人公は、彼らに対して既視感を抱くとともに、自己嫌悪も引き起こされるのだ。

そして、後半部分で彼は訪韓してきた学生時代の友人と会う。彼は、彼女が持ち込んできた「日本的ぬるさ」の空気感とともに、ある小説をうけとる。本書には、うすくその物語のプロットが書かれているのだが、それは紛れもなく村上春樹の「風の歌を聴け」なのである。彼はそれを読み進めるうちに、小説の主人公がまとうアメリカンポップなお気軽さ、カジュアルに女子とセックスするチャラさに嫌悪していく。それと対照的に常に自国の政治を熱く語り、無骨に軍隊生活に耐え、ヒリヒリとした現実に実在する韓国の若者を思い出す。村上春樹の現実味のなさを具現化した主人公に、軽薄に成り行く日本への危惧を感じ、自国と自身へのジレンマにおちいるのである。

この小説は、著者の青春回顧録といって良い。ただ、青春小説にありがちな感傷や青臭さが、国家や政治を絡めることでタフなロックへと昇華されている。作者は、70年代終わりの「政治の季節」が終わった日本から、これからそれが始まる韓国に身を投じた。そして、若い頃の活動的な熱い想いと、手に余る違和感をもった熱量の多い異国・韓国の印象がクロスーバーし、チープなセンチメンタルを焼き尽くしたのだ。
厳寒の町
   アーナルデュル・インドリダソン

 北極の氷が風になって光り輝く、厳寒のアイスランド。
レイキャビク警察の捜査官、エーレンデュルには、遠いむかし、激しい吹雪のなか、弟の手を離してしまった、いまもその苦悩は消えていない。
そんな記憶を蘇らすかのように、地面には厚い氷が張り、凍り始めた血だまりの上で発見された、十歳のタイ移民の男の子。
---母国を離れて移り住む、それは簡単なことではないはず---
---若者たちは、もう移民は十分だと---他文化に関心はない、どうでもいと---
そんな会話に、アイスランドの実情と、物語の行方が見えてくるようです。

 鋭い刃物で刺された移民の子に何があったのか。
学校の教師や、生徒仲間の反応、男の子の兄の存在、そして優しくて真面目なタイ人母親の姿も明かされて。
一人の少年の死、そこにはアイスランド人が移民に抱いている戸惑いや、不安、不満、さらにはもっとデリケートな感情がみえます。
なので、紡ぎ出された思わぬ結末を、せめてもの救いとは感じられず、読み手にも戸惑いが残りました。

 戦争や、天変地異により、いまや世界中のどこで起こるか分からない難民や移民、そんな将来の日本はどちらの側になるのだろうか、本書ではあえて直接的に切り込んでいないので、余計いろいろな思いを膨らませてくれる物語でした。
 そんな厳寒のアイスランドでしたが、つい最近火山活動が再び活発化し、ある地区では住民の避難が始まったと聞きました、遠く厳寒の地が平穏でありますように。
貴志祐介
『悪の教典』

-- まるで出席をとるみたいに、先生は皆を殺し続けたんだ --

イケメンで爽やか、生徒からも信頼の篤い高校教師・蓮実。人気者の彼はハスミンと呼ばれている。

まさに理想の教師で、同僚やPTAからも評価は高い。でも、彼の正体は、自分にとって邪魔な者を平気で殺すサイコパス。ばれそうになったハスミンは、最後の手段に打って出る。それは文化祭の前夜…。

学校は、生徒を守ってくれる聖域なんかではない。読む側は、弱肉強食の生存競争の場をただただ傍観。生き残るために必要なのは、幸運か暴力的な才能💧

サイコパスの教師と、たくさんの生徒たちやほかの教員たちの間で繰り広げられる惨劇。この私立高校はすでに、暴力生徒や問題父兄、淫行教師など、学校が抱える病理に骨まで蝕まれていたのだが..

ちょっといくらなんでも、残酷。でも、妙に惹きつけられるストーリー展開!
貴志祐介さんの手腕、さすがだな。

息もつかせぬ展開で、とても読みやすく、サクサク一気読みでした。
とは言え、とても怖い、猟奇的なサイコホラー。
これから読まれる方は、体力気力に自信のある時に、ぜひ!

ラストもすごいな、✫ ゜・
    … ハスミンの最後のゲームは始まった …
明日12月8日(金)出版される小学館からの箱根駅伝小説です。
良くある新興チームが箱根駅伝に出るタイプとは全く異なります。
あまり知られていない戦時下に開催された昭和18年大会、昭和36年から第22回大会に認定された正式大会をモチーフに、現代の長距離選手を中心にストーリーが展開して行きます。
作品は、フィクションですが、ベースになった出来事は、ほとんど本当にあった出来事や登場人物が参考にされてます。その意味では、リアル感抜群です。
特に戦争中平和のイベントである学生スポーツ大会が、なぜ開催できたのか?この部分の著述は、圧巻ですね。他の追従を許しません。それだけでも一読の価値があります。

戦争の時代を必死に生きた方々の箱根駅伝にかける生きた証を後世に残されて、21世紀の今の箱根駅伝に継走された理由❗️それがよく分かる作品です。

私には、稀有な、推し作品❗️
これがタスキ彼方です。
「続 窓ぎわのトットちゃん」
 
・東京大空襲の数日後、青森を目指して、ひとり夜行列車に乗ったトットを待ち受けていた試練とは?
・「おめえのジンジョッコ、描いてみろ」。疎開先の学校で、みんなとなかよくなりたいトットが、考えついた方法とは?
・「咲くはわが身のつとめなり」の言葉を胸に、トットが通った女学校や音楽学校の思い出は、映画、オペラ、ラーメン、それから?
・「そのままでいいんです」。NHKの専属女優になりたての、トットが救われた一言とは?
・アルバムからお借りした写真や、いわさきちひろさんの絵もたっぷり。

今回印象に残ったのは相変わらずのトットちゃんの
自由奔放さもですが、一番はママの明るさとたくましさです
パパが戦争に行っている間は不安で心細かったと思いますが子どもたちの前では気丈に振舞って、商売も
始めて、家まで建ててしまうんですからものすごいガッツです☺️
パパも素敵な誇り高い音楽家です
無事に戦争から戻ってきたときはホッと胸をなでおろしました
この人がトット助と言ってなかったらこの本も
世に出ていなかったかも
この二人の深い愛情を受けてトットちゃんが育った
んだなぁと改めて思いました😌
そして日本が二度と同じ過ちを犯さないように
しないといけませんね
国民にあんな悲しい思いをさせてはいけません
世界ではまだ紛争が絶えず心を傷めます🥺
わずかな寄付と平和を祈ることしか出来ませんが
世界に穏やかに明るく自分らしく暮らせる日々が
増えますように🙏
『人間標本』
著 湊かなえ  【角川書店】

 『人間標本』のタイトルからして、サイコパスなミステリーの香りがプンプン匂ってくる、湊かなえらしい新刊。内容も、若き画力のある6人の少年達を芸術の為と称して惨殺し、その遺体を蝶に擬えた美しい人間標本として展示しようとする、悍ましき連続殺人事件を描いている。

 その人間標本を描いた高松和樹の口絵が、一見、美しい描写の中に、そこはかとない不気味さを湛えて、観る者の恐怖を煽ってくる。

 物語は、サイコパス殺人事件の経緯を、犯人の手記を基に展開していくのだが、読み進めていく度に、犯人像が二転三転し、後半まで著者のミスリードに引っ張られ、ラストにはイヤミスの極みに突き落とされる。

 幼き頃に描いた、蝶の目に映る世界の絵を背景に、蝶の標本箱を作り、そのことを契機に蝶に魅せられて研究者になった榊史郎。一方、当時その標本箱を欲しがった少女・留美は、独創的な色彩絵画を生み出す異端な芸術家となっていた。その色彩感覚は、第3の目と称する蝶の目が見る視界による色彩でもあった。

2人は何十年の時を経て再会したが、病で余命が短くなった留美が、自分の芸術の後継者選びにと、6人の少年を山奥の屋敷に迎え入れるところから事件は端を発する。しかし、そこで繰り広げられたのは、あまりに美しくて無惨な5人の人間標本づくりだった。そして、最後の6人目に祀られた人間標本とその犯人に、後味の悪さに後を引きながら本を閉じた。
「天才とは99パーセントの努力と1パーセントの才能」という言葉は、実は99パーセント努力してもたった1パーセントの才能が無ければ報われない、という事実、
ここに出てくる人達は常人には出来ない努力と精神力を持って、そしてそれをストイックに持続して来た、いわば「勝ち組」の人達、しかしそんな人達にも越えられない壁が、才能というしかない大きな壁が存在するという事、努力は報われないという現実があるという事、を思い知らされます。
しかしその現実はまた未来にも繋がる、という事も。
『ともぐい』
著 河﨑秋子 【新潮社】

第170回 直木賞受賞作品。

明治時代の北海道の山中を舞台に、野生の熊とその熊を獲って生業とするマタギとの壮絶な死闘を描いた作品。マタギとしての生き様、昔ながらの質素な暮らしぶりや自然に対する敬意、人と動物の業や悲哀にも触れる中で、重厚で且つ臨場感溢れる描写力で、開拓前の雪深い北の大地へと導いてくれる。

狩猟後の動物の肉の処理の仕方や熊との死闘の末の惨い傷跡、一人の男として揺れ動くマタギの心情等、時にグロテスクに、時に繊細にそれぞれのシーンが、生々しい映像や匂い、触感などの五感を通して伝わってくるかのような感覚に包まれる。

世間とは隔離された山中で、唯一人、昔ながらのマタギとして生活している熊爪。そんなある日、穴持たず熊に襲われて、瀕死の重傷を負った男を助けることに。そして、その穴持たずの熊を何としても仕留めようと山中に入った熊爪の前に、別の赤毛の熊と死闘を繰り広げている穴持たず熊が現れ、今度は熊爪が、二匹の死闘に巻き込まれて重傷を負ってしまう。怪我の為に思う様に動かなくなった体をかばいながらも、マタギの本能で、赤毛の熊と対峙することを決意するのだが…。

そして、標題となった『ともぐい』の意味が、最終章での熊爪の壮絶なラストシーンによって、読者の心の奥底を抉り取っていく、直木賞に相応しい作品だ。
『モチモチの木』
斎藤隆介 作 / 滝平二郎 絵

豆太は峠の漁師小屋にじいさまとふたりで住んでいる。おくびょうな豆太は夜中に小屋の外におしっこに行くのが怖くてしかたない。小屋の前にある大きなモチモチの木が夜になると、「オバケェ~!」っておどかすからだ。

モチモチの木というのは、家の前の木に豆太が付けた名前。秋になると艶のある茶色の実をたくさんつける。じいさまがその実を石臼でひいて粉にして、餅に捏ね上げる。ほっぺたが落っこちるほど美味しい餅。

ある晩、じいさまが腹痛で体を丸めてうなり出した。豆太は医者を呼ぼうと、夜中飛び出して、峠の坂道をふもとへと駆け出していった...

幼い豆太と優しいじいさまの心温まる物語。
怖がりっ子豆太が、勇気を奮い立たせて真っ暗な夜道を走る。
じいさま お医者さま 豆太 … 3人から本当の優しさ、思いやりが伝わります。

霜月二十日の晩、モチモチの木に火が灯るという言い伝えは、夢のように美しく、目の前で繰り広げられる。

切り絵が秀逸な名作絵本です。
モチモチの木がページいっぱいに木枝を広げた幻想的な風景にウットリ!

じいさまの言葉にもじ~ン!!
まぶたの裏が熱くなりました。

      ... にんげん やさしささえあれば
  やらなきゃならねえことは  きっとやるもんだ ... * ✰


『月下のサクラ』 柚月 裕子 著

物語は、警察事務職員だった『森口泉』は、公安職の警察官に転職。

配属された職場は、現場で収集した情報を解析・プロファイリングをし、解決へと導く機動分析係だった。

森口泉は当初、機動分析係を志望していたものの、実技試験に失敗。

しかし、係長・黒瀬の強い推薦により、無事配属されることとなる。

鍛えて取得した優れた記憶力を買われたものだったが、特別扱い「スペカン」だとメンバーからは揶揄されてしまう。 

自分の能力を最大限に発揮し、事件を解決に導く。

泉は早速当て逃げ事件の捜査を始めるが、そんな折、会計課の金庫から約一億円が盗まれていることが発覚した。

メンバー総出で捜査を開始するが、犯行は内部の者である線が濃厚で、やがて殺人事件へと発展してしまう。

本作品は、あの『朽ちないサクラ』の続編。

『朽ちないサクラ』で仲間が殺されても警察事務職員では何も出来ないジレンマから正式に刑事への道へと鞍替えします。

かつての仕事柄、警視庁の人と一緒の机を並べて仕事をした事がありますが、あの『朽ちないサクラ』で一事務職員の『森口泉』が刑事に接触して仕事する事はまずあり得ない話ですよね。

だから、今回はやはり正式な警察官として本作品に登場させてます。

本作品はかなり前に単行本で出版されいますが、2月9日に文庫本がでるようです。

第一作を読んで、本作品が未読な人は9日に書店で触ってください。
筒井康隆 『パプリカ』

夢探偵パプリカをめぐって、夢と現実が入り乱れるSFサイコスリラー。

精神医学研究所に勤める敦子は、ノーベル賞候補の研究者であり、サイコセラピスト。だが、彼女にはもうひとつの秘密の顔があった。18歳の少女に変装し、夢探偵パプリカとしてpT(サイコセラピー)機器で精神病の治療もしている。非合法な治療だ。

ある日、研究所内からPT機器が盗まれてしまう。この、人格破壊も可能なほど強力な最新型精神治療テクノロジー「DCミニ」。
敦子はDCミニの危険性を考慮し奪還しようとするが、この機器をめぐる争奪戦は刻一刻とテンションを増し、殺人事件も起こってしまう..

研究所内での派閥争い、敦子のノーベル賞受賞妨害なんていう、同僚たちのちまちました話から、夢と現実が交錯し始めたところからスケールは大きくなり、驚愕のサイコスリラーへ突入!

どろどろの深層心理がテーマの物語。
テンポがいい!
登場キャラが魅力的でコミカル!!

読めば読むほど、夢と現実の境目が曖昧になる。
最後まで読むと、さらに曖昧になる。

このサイケデリックさ、おしゃれなラストに夢心地でした ⭐️ ゜
小坂流加『余命10年』
 
📓あらすじ
「ちゃんと生きて!」
死ぬと分かっている者にできるのは残された者への思いやりだった――。
20歳の茉莉は、数万人に一人という不治の病にかかり、余命が10年であることを知る。笑顔でいなければ周りが追いつめられる。何かをはじめても志半ばで諦めなくてはならない。未来に対する諦めから死への恐怖は薄れ、淡々とした日々を過ごしていく。そして、何となくはじめた趣味に情熱を注ぎ、恋はしないと心に決める茉莉だったが……。涙よりせつないラブストーリー。
(文芸社サイトより)
 
💬感想など
 今から数年前、高校生のときに読んだ本です。当時、私の中で「泣ける本や恋愛の本を読んでみようかな」期がやってきたときに購入しました。
 2022年3月に映画化され、話題になりました。
 
 『余命10年』は、2007年刊行の単行本に加筆・修正したうえでカバーイラストを変更し、2017年5月に文庫で発売されています。
 しかし、この作品の著者・小坂流加さんは難病を患っており、編集が終わった直後に病状が悪化。文庫版の発売目前、3か月前の2017年2月にご逝去されました。
 
 この作品はフィクションですが、ここで描かれている心情描写はきっとそうではないのだろうと思います。著者が主人公の茉莉に何を思っていたのか、今となっては知るすべはありません。しかし、物語の中の言葉ひとつ、行動ひとつから、著者の思いの一欠片二欠片を感じられたように思い、胸がキュッとなりました。
 特に、物語終盤に飾られる茉莉のモノローグからは、病と向き合うその姿、その感情がひしひしと伝わってきました。
 
 自分だったらどうするだろう。もし余命が10年だと宣告されたら、私は何をして、何を思って、そしてどう生きるだろう。読みながらそう考えずにはいられませんでした。
「なぎさホテル」伊集院静

伊集院静氏の自伝的小説です。

まだ、小説家としても作詞家としてもなんの才能も開花していない、金のない若者だった作者が、すごした逗子海岸にある「なぎさホテル」

そこで、生涯忘れられない大切な人々との出会いと、作者の挫折から成功への道が描かれたいわゆる"青春小説"
この本では、名前は出てきませんが、夏目雅子さんとの出会いと別れも描かれているのが印象的です。
作者が20代、30代に、どれだけお金がなく、荒んだ生活をしていたかも描かれ、前に読んだエッセイでのセレブっぷりとの対比がリアルで新鮮でした。

仕事もなく、金もなく、離婚して、天涯孤独だった若き日の作者が、たくさんの人と出会い、愛し愛されていく中で、作家の仕事も作詞家の仕事も舞い込んできて、どんどん成長していくサクセスストーリー。
義理や人情を描いていながらも、暑苦しくなく、押し付けがましくない、サラリと読める作品でした。

それにしても、なんでこんなスマートな文体を書く作者が「ギンギラギンにさりげなく」なんて歌謡界一クソダサい歌詞を書いたのか謎・・・と思ったけど、よくよく考えたら歌った人が日本歌謡界一クソダサい人だったから、そのイメージに合わせたんだな?!と後から納得!

読んだ人がみんな、間違いなく逗子海岸に行きたくなる、そんな本です!!!
「ラウリ・クースクを探して」
宮内悠介 直木賞候補作品
旧ソ連時代のエストニアを舞台にして主人公は友達もいない少年時代に何故かコンピュータの知識が優れて一目置かれはじめ、そしてソ連からの独立を目指すエストニアの中で運命に翻弄されて挫折したが独立エストニアが国を挙げてのIT先進国を目指し大国ロシアに対抗しようとする一員に、主人公はまたそのITの世界に戻っていく!上品な物語です!
エストニアの人たちが支配するソ連(ロシア)に対してどういう気持ちを抱いていたかが書かれています!

宮本常一  歴史は庶民がつくる    畑中章宏著    講談社現代新書    2023年5月発行

読書会のテーマである「忘れられた日本人」に関連して購読した本書。宮本常一の人となりがよく理解できました。

著者も民俗学者。柳田國男を「心の民俗学者」とすれば、宮本常一は「ものの民俗学者」だという。そして、他の民俗学との違いを実践に結びつけたかどうかだという。

戦中戦後の大阪府下での農村指導をはじめ、新潟県でも山古志村や佐渡の宿根木では、民俗文化財の活かし方を考え、地域興しの先駆的な指導を行った、とのこと。

特に佐渡では小木民俗博物館の設立や「おけさ柿」の栽培奨励、「鬼太鼓座」創設への協力、山古志村では錦鯉の養殖や「牛の角突き」の復興による活性化など多方面で指導を行った。

宮本は自分自身が周防大島の離島出身ということもあってか、離島振興法の制定にも尽力した。

本書では旅する巨人としての宮本を評価し、軽やかなフィールドワーカーとして、民俗学のイメージを作り上げたとしています。

私の好きなコミックの登場人物である諸星大二郎の「稗田礼二郎」のモデルだったのかもしれません。イメージにぴったりです。

「忘れられた日本人」に世間師が登場します。世間師とは共同体を出て見聞を広め、世間の知識を共同体にもたらすこと、公共性への道を開くことだという。いわば、共同体から公共性への架け橋だという。

共同体を良くしていくには共同体を出ていくものが必要なんですね。

明治以前の日本では、農民や漁民、山民も生きて行くうえで文字を必要としない「無字社会」であった。一方、武士や僧侶、貴族などは「有字社会」である。

宮本はその「無字社会」に注目し、「民俗文化」を書き記そうとした。確かに、それはもう残っていないので、復元することはできません。

私の実家も田舎の農村集落だが、子どもの頃に行われていた祭りのお囃子や太夫舞など、失われていったものが多くある。集落で農作業を休む「旗日」というものを定めていた。当日は、神社の前の竹竿に白い旗を掲げるのである。これらの慣習もなくなっていった。

宮本民俗学で「世間」の重層性や複数性が語られるが、それを担保するものとして年齢階梯性が取り上げられる。これは一定範囲の若者・子どもたちの集団が、年中行事や祭礼等で重要な役割を果たしてきたことを言う。横の結びつきが大切だということですね。

宮本思想の源流には渋沢栄一の孫である渋沢敬三の教えがあるという。それは「大事なことは主流にならぬことだ。傍流でよく状況を見ていくことだ。舞台で主役をつとめていると多くのものを見落としてしまう」ということ。

なるほど。それはオルタナティブの重要性ということですね。

宮本フィールドワークはまず「良い老人」に会うことだという。そういう人たちは祖先から受け継いだ知識に私見を加えないからだという。若い人たちは私見が加えて議論するようになる。

宮本の言葉として谷川健一が伝えたことに「民衆の世界が世間に知られるのは不幸によってである」と。
なるほど、今回の能登半島地震によって輪島塗りや漁業などが注目されたことも同じ理屈ですね。

本書は110頁という薄い新書ですが、宮本常一の全体を網羅し、入門編としては十分ですね。この世界、まだまだ奥深いものであることを知りました。
中原の虹①②③④
浅田次郎

蒼穹の昴から珍妃の井戸、そして中原の虹4巻ようやく読めました。

①総攬把「張作霖」は、貧しい流民の子として生まれたが、字は書けないものの頭脳明晰で体力も有り、銃の腕前も抜群な馬賊の長で部下達の全信頼を受け、その中に市場で買われた「春雷」も仲間になり頭角を現していく。乾隆帝の示す『龍玉』を手に入れて中原を越える事を夢見る。

②いよいよ西太后の時代が終わりになる時、宦官の「春児」は帝と西太后の連絡網を米国の記者達に頼み、線を繋いで話しが出来るシステムを作り出す。西太后と皇帝を同時に極楽浄土へ旅立たせる為に。

③一度は追放された「袁世凱」でしたが、混迷した北京に呼び戻され、皇帝になる事を目指して国の長になろうと画策していた。

④新生中華民国に現れた指導者「宗教仁」が暗殺される。日本に亡命していた「文秀」は家族と帰国を望まれ、妻の「りんりん」は、2人の兄との再会を果たす事に。

太祖愛新覚羅と張作霖の時代が交差して長城を超えてきた時が同時に書かれていて、長い間の壮大な大地が産んだとてつもない歴史とそれぞれの人生の物語に感動しました。
国を守ってきた人達の、『他を照らす』素晴らしい考え方は、今は見られない遺物なのだと思うと寂しいですね。
中山七里著 「作家刑事 毒島」

2020年に佐々木蔵之介主演でドラマ化もされた本作。
元捜査一課の刑事でありながら現役の人気作家である毒島真理と、新入り女性刑事の高千穂明日香がバディ(高千穂自身不本意ながら)を組んで事件を解決するサスペンス。
毒島はとにかく毒舌を吐きまくり、蛇のごとく纏わりつくように犯人を追い詰めていく。
こんな人に取り調べを受けたら間違いなく落ちるわ。

奇人変人と実直刑事のバディものは、間違いなく面白いですわ。テッパンです。
本作はトリックはそれほど難解でもないし、人間関係も複雑に絡むことはない。でも、文壇の世界や出版業界、エンタメ業界がいかに歪な世界かを中山七里さんが風刺しているのが面白い。

2016年刊行の本作だが、後の京アニ事件や先日の漫画家芦原妃名子さんの亡くなられたニュースなどを暗示しているような内容があり、中山七里さん自身警鐘を鳴らしていたのではと思ってしまう。

名だたる賞を受賞するのは、司法試験より難しいと言われる文壇の世界。そしてそれを取り巻く異様な人々。
その光と闇は遠目で眺めるぐらいがちょうどいいのかな、とつくづく思ってしまう。
5篇からなる本作は、文章も軽く読めるのでサクサクっと読みたい方にオススメです。
幸福な生活 / 百田尚樹

永遠の0を書いた人とは思えないぐらい面白かったです🎶

短編集なのですがページをめくった所に一行だけオチが書いてあると言う構成😆

読み進めて行くうちにオチを自分で考えて、「やったー。当たったー」と思ったり「えっそっち?」と裏切られたりと本の内容も面白いですが、オチを考えるのもまた面白い🤔

サクッと読める一冊でした😄
『再び宇能鴻一郎シリーズ』3

芥川賞作家にして、官能小説の巨匠の宇能鴻一郎が、各地の美味・珍味を堪能しながら列島を縦断。

喰いつき、口中にふくみ、すすりこみ、飲み下す。

食も官能も生命力の源。

貪婪な食欲と精緻な舌で味わいつくす、滋味豊かな日本味覚風土記です。

本作品には新たにエッセイ「男のなかの男は料理が上手」が追加されており、また、巻末ではあの近藤サトさんと宇能鴻一郎さんとの楽しいやりとりも載ってますよ。

本作品は、当初、日本交通公社から発売され、のちに中公文庫から文庫化されています。
「ははのれんあい」by窪美澄読了。一昨年からのマイブームの窪さんの新刊文庫本です。今まで読んだ窪さんの大好き本から比べると趣はかなり違っていて少しテンションが落ちますがリアルな細かい心理描写はさすがでグイグイ読ませてくれました😙
どうして母がははとひらがななのかは最後までわかりませんでした。ただ母が後半違う母に変わるんですよね。

お互い好きで結婚して双方の親も問題ないのに子供が出来た頃から少しづつ気持ちがすれ違っていく夫婦の様がなんともリアルでした。子供が生まれてからの母親の大変さはひしひしと伝わってきてやはり自分(父親経験者)は何もわかってなかったなぁと痛感しました。
結局家族のかたちってときに変わっていくんだけれど正解も不正解もないんだよな と思わせてくれました。
それにしてもこのお母さん、どんどん強くなっていくのと息子(長男)が健気でよく出来た子供過ぎるのよね🙄

「ほんとうの悪人なんてなかなかいないのよ、悪いことするのはいい人よ。いい人がいちばん悪いことするの」
『光のとこにいてね』 一穂ミチ

おすすめポイント:終わらない二人の女性の人生の輪唱(カノン)。主人公二人の視点で語られる人間の身勝手さ、哀しさのリアルが読者の胸を穿ちます。

こちらのグループのレビューが素敵だったので普段読まないジャンルの本ですが手に取ってみました。

実に不思議な小説でした。
何が不思議か?
物語は二人の女性の1人称で交互に語られるのですが、主人公の女性二人と親を含めて彼女たちの人生に関わる全ての人が何か自分の人生を他人事の様に眺めていることが一番の不思議です。

この物語の中で二人の女性の人生は8歳の頃、15歳の頃、そして29歳の時に三度交差します。
医者の家に生まれて裕福な環境で育つが肉親の愛情を感じたことがない結珠(ゆず)
自己愛に満ちたシングルマザーに育てられた果遠(かのん)
二人は小学校2年生の時に偶然に邂逅し、物語の最後までお互いを自分のミッシングリンクであるかのように求め続けます。

人の世界に紛れない野生動物のような、なりふり構わない真っすぐさを持つ果遠。
いかなる時もTPOを弁えて賢く大人っぽくふるまう結珠。
けれど彼女たちは二人とも母親から十分な愛情を受けて育ったと感じられず、それがお互いを求めあう理由かもしれないと彼女らの人生を俯瞰する読者には察しられるのですが
彼女たちがお互いの環境を知りも理解もしないうちから魂の片割れのようにお互いを求め続ける理由が見えず
もどかしさを感じながら読み進めました。

29歳で夫々が家庭を持って再開した後のドラマが本書のメインとなります。
自らの育った過程と、我が子に対する関わり方、親とのかかわり方。
二人が再び出会ったことにより夫々の人生で見ないふりをされていた歪が軋みだし、
やがてこれまで取り繕ってきた仮初の安定が最初は小さく、徐々に勢いをつけて崩壊していくドラマティックな流れが海辺の静かな町を舞台に描き出されます。
そして29歳の二人の人生の輪唱はこれからも続いてゆくことをほのめかすような結末…

文学とはその時代の人々の内面を映し出したものであるとすれば
私がこの小説を読んで感じた離人感ともいえる不思議さは、例えば明治の頃の小説を読んで感じる古めかしさと相対するものなのかもしれません。
文化史的に見ても何が変わったとはっきりと示すことができない時代の息吹なようなものを、いち早く捉えてゆくのが文学というものなのかもしれません。
原宏一さんの『間借り鮨 まさよ』を読みました➰❤️題名のごとく、色々な飲食店が営業していない時間にその店を間借りして鮨やをしている雅代さんが主人公です。でも雅代さんは縁の下の力持ちとして登場するだけで、三つのお店の経営についてのお話でした。第一貫は日本橋人形町の本格バスク料理店。開店して調子良かった椋太と佑衣がコロナで経営が苦しくなっている時に、雅代が間借りした話。第二貫は、能登でマロン亭を父から引き継いだものの色々悩みがあり、そんな時に町家バーに間借りした雅代に出会う話。第三貫は、東京で一旗挙げたつもりになっていた晃成が自己破産し、地元に帰り四方田食堂を手伝う。その時間借りしていたのが雅代。
 飲食店の経営の難しさがよく分かりました。雅代はどの店でも絶品の鮨を登場人物に食べさせながら、やはり一番大切なのは人間力だと、そっと教えてくれるいいお話でした。
『そしてあなたも騙される』
志駕 晃

借金が原因で精神を害してしまう人は結構いる。そして借金を苦に鬱病になり、自殺してしまう人も少なくない。借金の原因は人それぞれ

読み終わった感想
この本は、騙し騙される物語。騙される人も騙す人も不幸になる。不幸になりたくて今を生きてる人はいない。それなりに一生懸命、みんな生きている。でも一度、道を踏み外すと人生転落します。
楽しい話ではない!

私が読みたかった本なので個人的には面白かったです。お金ない人でも今を生きるためにはお金は必要です。そんな時どうする?それが知りたくて最後まで一気に読むことができました

この本を紹介してくれた人に感謝します

『死に山』ドニー・アイカー
1959年2月、ソ連ウラル山脈北部の山中で青年登山チームの9人が遭難、以後雪の中から全員の死体が発見される。なぜメンバーは防寒服も着ることなく氷点下30度の雪の中へ出ていったのか。別々の場所で発見されたのはなぜか。様々な憶測がされ、「未知の不可抗力によって死亡」とされた事件について、50年以上の時を経て、アメリカの一人のジャーナリストが徹底的な取材と現地調査を行う。本書はその詳細な記録、ノンフィクションです。
このグループで紹介され手に取った1冊。極限状況を描いた作品に対する興味から読みはじめたが、当時の写真と記録の叙述、現地の取材旅行を通して一番感じたのは、遭難した9人のメンバーが温かいどこの国にもいるような青年たちであったということ。プラスして当時のウラル地方、取材時のロシアの人と生活、取り残された友人や親たちの様子が心に迫ってくる。
あとがきにも述べられているが、ネット社会の現在、冷戦下のソ連であったことや、死体の状況などから様々な憶測が飛び交うけれど、この作者の徹底した取材や調査、資料の読み込み、現地取材とその分析と追求には頭が下がった。科学的な真相は脇においておいて、興味本位からの憶測や噂のようなものの危険性を考えるという意味でも読む価値のある本だと思う。
グループで紹介してくださった方々。ありがとうございました。おもしろかったです。
本(獣の戯れ)

三島由紀夫の長編小説で、昭和36年6月から9月まで13回に渡って週刊新潮に連載され、その後単行本として出版されました。「文豪ナビ 三島由紀夫」ではこの小説を、フランスの小説家ラディゲに対抗した作品との解説があり、その影響を受けたとも書いてあります。

個人的にも大学生の頃、当時女子大生の間でラディゲブーム(多分)が起きており、私も読んでみましたが「ダイヤモンドのような硬質で華麗な文体」に衝撃を受けた記憶があります。
ラディゲの「ドルジェル伯の舞踏会」は、青年フランソワと伯爵夫人マオのとの関係を描いたものですが、「獣の戯れ」では青年幸二と逸平の妻である優子との関係が描かれています。

先述した「文豪ナビ 三島由紀夫」にも書いてあるように、三島は山よりも海を愛したと言われるように、物語の舞台は西伊豆の小さな魚村となります。物語の冒頭、村の寺にある2つの墓とその隣にある寿蔵が紹介されますが、この描写が物語の結末を端的に物語っているといっても過言ではありません。さらに幸二の刑務所での生活も描写されており、この事実も徐々に解明されていきます。

東京銀座の陶器商だった逸平の店に、大学の後輩である幸二がアルバイトに来たことから、逸平とその妻優子との付き合いが始まります。逸平夫婦が西伊豆に移り住んだのは、ある重大な事件が原因であり、文中に何度も出てくる幸二の「悔悟」という言葉に集約されています。さらに比喩を多用した文章は、思わす比喩マニアの村上春樹を思い出してしまいました。

西伊豆での3人の共同生活は、愛情や嫉妬、羨望や妬みなど、あらゆる感情が複雑に交錯するものであり、心理小説の「ドルジェル伯の舞踏会」をも凌ぐ展開になっています。3人の関係では身体が半ば不自由になった逸平が、幸二と優子の中間に位置し、この立ち位置が両者に微妙に影響を与えています。

この作品は心理小説なので、明快なストーリー展開はここでは書けませんが、読み終わった後に各個人がそれぞれに感想を抱くものだと思います。複雑な3人の心理描写を読みながら、冒頭の2つの墓と1つの寿像は、作者が意図する猟奇的とも言える結末に向かうことになり、まさに20歳で夭折した天才作家ラディゲの才能に対抗心も露わな作品になったのではと感じました。もっともラディゲの作品の内容は、もはやほとんど記憶にありませんが。

最後にあくまでも個人的な感想ですが、「仮面の告白」以来、三島はゲイであるとの先入観からの定説がありましたが、この作品を読む限りでは、女性も愛せるバイ(セクシュアル)ではなかったかと感じました。
親を憎むのをやめる方法 益田祐介 KADOKAWA

自分だけでなく親の心の状態を、地図の上に読み取れるようにして、目指すべき方向を明確にして歩み出すために、うつ病、 統合失調、発達障害、パーソナリティ障害などを始めとする代表的な精神疾患を、まるでカウンセラーが口頭で説明してくれるようなわかりやすさで具体的にイメージにできるように示してくれる。
またそれらに加えて、時代や社会的な背景を照らし合わせ、親はなぜあんなに酷い仕打ちしたのかを客観的に理解させてくれる。
しかしこの本の 優れているところはこの先である。苦しんでいる患者が、自分に対する理解をなかなか進められない時に、医師と患者の間で最後に交されるぶつかり合いは何かということを教えてくれるのだ。
キーワードは転移( 自分が親にしてもらえたかったことを医師に期待すること)、あるいは逆転移(患者の期待に沿って医師が患者の期待する役割を演じてしてしまうこと )である。
この時医師は私はあなたの親ではないとはっきり告げることで、カウンセリングは ピークに達する。
事の顛末を是非この本を読んで確認していただきたい。
事実の認識を超えて深層心理を浮き彫りにし、自分らしさへの道へ踏み出す大切な一歩となるに違いない。

#益田祐介 #読書


◉ 小川洋子 著 『 猫を抱いて象と泳ぐ 』
文春文庫 2011年7月10日発刊 373P

寡黙且つ孤独な少年が、詩を奏でるような美しいチェスを指すようになるまでのお話だ。
冒頭から最後まで、不思議な異世界ながらも、優しく心に訴えかけてくる世界が綴られていた。
時代背景、国、登場人物の固有名詞など、ほとんどが不詳とされているのだが、話の核にチェスが設定されている。

少年は、唇を閉ざした状態で生まれた。
手術で唇を開き、脛の皮膚を移植したことから、唇には産毛が生えてくる。
それが原因で少年はコンプレックスを抱き、寡黙で孤独な道を歩むことになるのだが、誰も彼の口から恨み辛みを聞いたことはない。

母親が幼少の頃に亡くなったこともあり、少年は優しく思いやりのある祖父母に育てられた。
祖母は時々デパートに連れて行ってくれ、屋上で飼われていた亡き「インディラ」と名付けられた小象に想いを馳せるのが、少年のデパートでの過ごし方だった。
デパートの開店記念のために屋上で「インディラ」を客寄せとして披露していたのだが、好評だったために動物園に引き渡す時期を遥かに超えてしまう。
そのために「インディラ」は大きく成長し、エレベーターに乗り込むことも出来ず、階段を降りることもできない状態になっていた。
その結果34年間、「インディラ」はデパートの屋上で鎖に繋がれての一生を過ごすことになり、少年は「インディラ」の気持ちへ思いを巡らすのが常となった。

少年の家と隣の家との間には、狭い隙間があった。
そこに入って行った少女は、その隙間から抜け出ることができずにミイラになってしまったと、大人たちは噂した。
少年はミイラを少女の名前だと思い、寝る時に壁に向かって亡霊ともいえる小柄な少女の「ミイラ」に話しかけるようになる。
少年が心を許す友達は、「インディラ」と「ミイラ」の二者だけだった。

ある日、少年は廃車となったオンボロバスの中で、「ポーン」と云う名の猫と暮らす「マスター」に出逢い、彼からチェスの手ほどきを受ける。
途端に少年はチェスに夢中になり、毎日オンボロバスに通ってチェスの指南を受けることになる。
優しい「マスター」は常に甘いおやつを食するために巨漢となり、バスから出ることも出来ず、亡くなった時にはバスを壊して「マスター」を運び出さなくてはならなかった。
その光景を眺めていた少年は、大きく成長することへの恐怖心と嫌悪感を覚える。
「インディラ」、「ミイラ」、「マスター」と接して肉体的な成長を恐れるようになった少年は、11歳から成長することを自ら止めてしまう。
しかもチェスを指す時にはチェス台の下に縮こまり、チェス台の底を仰ぎ見ながら駒の動きの音を聴き分けて指すようになった。

少年のチェスの腕前は飛躍的に向上し、大人の世界でも評判となるのだが、少年は自分の狭小の世界に閉じこもることを良しとしていた。
「インディラ」も「ミイラ」も「マスター」も、少年のお友達は皆狭い世界で生きてきたのだ。
少年は狭い世界の中で、雄大なチェスの世界を三者を仰ぎ見ながら泳いで生きる。
深い大海で「インディラ」を仰ぎ見ると、鎖から解放された太い足を動かして自由に泳ぎ、隣では少女の「ミイラ」が踊るように泳いでいる光景を文章から想像させられる。

少年が指すチェスの棋譜は、ただ単なる駒の進行の記録を遥かに超えて、詩のような世界へ棋譜を読む者を誘う。
過去の偉大な棋士「アリョーヒン」の名を引き継ぐことになった少年は、「リトル・アリョーヒン」と称されるようになる。
しかし、「リトル・アリョーヒン」がチェスを指す姿を見た者は殆ど存在しない。
同じ「リトル・アリョーヒン」と名付けられたカラクリ人形の中に入って、肉体の「リトル・アリョーヒン」はチェスを指していたためだ。
カラクリ人形の空間は、異様な程に狭小な世界に思えてしまうのだが、「リトル・アリョーヒン」にとってはきっと雄大な海原なのだろう。
そしていよいよ「リトル・アリョーヒン」は、本当に一人になってチェスの道を歩むことになる。

多くの人は開放感や自由などと簡単に言葉にするが、それ以前に自分の世界観を擁しているか否が真の幸福感に繋がるのではないのかと問われている物語だった。
現実的な世界とはかけ離れた場が描かれている物語だが、「リトル・アリョーヒン」の心の動きに引きずられる想いで読み進んだ一冊だった。
「田舎のパン屋が見つけた『腐る経済』」渡邉格(講談社)



「パン」についての本を読んだのでご紹介します。鳥取県のパン屋「タルマーリー」の店長の渡邉格(わたなべいたる)さんが書かれた「田舎のパン屋が見つけた『腐る経済』」です。題名に「経済」という言葉がある通り、マルクス主義的論理を展開しているこの本は、経済や流通についての深い洞察力にうならされる一方で、イースト菌のように人工的に培養された菌は、本来「腐敗」して土に還るべきものを無理やり食べ物に変えてしまう力があるなど、「目から鱗」の知識が満載でした。その他「有機栽培米」と「自然栽培米」の違いなどについても、非常に勉強になりました。

鎌倉の Kamakura24Sekkiさんでも「自然栽培米」から作ったパンを販売されていて、オーナーの方もこの「腐る経済」はお読みになったとおっしゃっていましたっけ。

本文中にある「ナチュラル・ハーモニー」の社長の河名氏が岡山までパンの買付けに訪れるシーンを読んでいて、「タルマーリー」さんのお名前になぜ聞き覚えがあったのかを思いだしました。それは数年前まで、多摩市の聖蹟桜ヶ丘駅ビルの中に「ナチュラル・ハーモニー」さんの支店があって、偶にこちらで「タルマーリー」さんのパンを買っていたからなのでした。

美味しいパンというのは、まさに幸福な人生の象徴ですよね。
「ナカスイ!」村崎なぎこ
海なし県の水産高校

海なし県栃木の水産高校(栃木県立那珂川水産高校)へ、何をやっても普通な自分を変えたいと決意し、入学した鈴木さくら。
クラスで女子は3人。
一人は芳村小百合、大人しくて目立たないが魚を愛する気持ちは誰にも負けない。
もう一人は、この二人の下宿先の娘、大和かさね。アニメ好きのギャル志望女の子。

さぁ、このどう考えても合わない3人が、「ご当地おいしい!甲子園」を目指す

地元の特産品などを使ったオリジナル料理で勝負するこの大会。

この3人の周りを固める先生や友人がめちゃくちゃ濃いキャラで面白い。

高校野球で甲子園を目指すって何となくイメージは湧くけど、さて料理となるとどう?
いや、やっぱり同じですね。

熱い!

青春やー!

それぞれ色んな悩みを抱えながら気を使い合ったり、ぶつかり合ったり。

普通のさくらちゃんが、ドンドン青春と共に進化していく過程が気持ちいい。

この本に「青春」って題名の詩の一部が載ってます。作者はサムエルウルマン。

この詩が62歳の僕にめちゃめちゃ勇気をくれます。
若い🟰青春❓
違いました。

ネタバレになるのでなかなか書けませんが、何歳になっても青春出来ます。
さぁ、明日は何でワクワクしましょうか❓
「自分のせいだと思わない」
小池一夫

本屋さんに並んでいた時に、この本のタイトルに惹かれて買った本です。

残念ながら小池一夫さんのことを私は知らなかったのですが、本を読んでいるうちに、素晴らしい方だな、と思いました。

物語のような文章ではなく、例えば、タイトル通りに「自分のせいだと思わない」と、本の上の方に書いてあり、その事について語りかけるかのように、メッセージが書かれています。

語りかけるってゆうほど、優しくはないのですが、強く、優しい言葉で書いてあり、すごく納得しました。

本書は、小池一夫さんのTwitterのつぶやきをもとにしたメッセージ集だそうです。

中身も、写真を撮りたいくらい、素敵なメッセージばかりで、感銘を受けました。

気になった方は、本屋さんで立ち読みしてみて下さい。

かなり、心に響きます!
「ペコロスの母に会いに行く」 岡野 雄一

シンガーソングライターで漫画家でもある岡野氏が当初自費出版した漫画が大ヒット。映画化もされ、その年のキネマ旬報ベストワンに。

地元長崎で認知症の母親との交流をほのぼのと描いた、珠玉の四コマ漫画です。包み込むような長崎弁で綴られる一コマ一コマが、私の地元でもないのに不思議に郷愁を覚えます。

氏は団塊の世代で私の一世代上ですが、貧困にまつわる状況は同じです。

認知症の母親が子供時代に返ったり、亡き夫の心の病いや暴力を思い出したり、原爆で亡くした娘に会えたりと、息子だから分かる心情がユーモアをまじえて画かれます。

ペコロス(玉ねぎ)のようなハゲ頭を見て触って息子だと認識するお母さんとのコミニュケーションが、3頭身描写の可愛さと馴染んで、涙と笑いを誘います。

映画も見ましたが、コマ漫画の面白さを見事に描いて、泣けてきました。  
六人の嘘つきな大学生
浅倉秋成

初任給は50万円。
超人気IT企業 スピラリンクス には5千人もの学生がエントリー。最終選考に残った六人の就活生に与えられた課題は「グループディスカッションで、六人の中から一人の内定者を決める」ことだった。
ただ一つの席を奪い合うディスカッションの最中、前代未聞の禁じ手が繰り出された…。
 『俺ではない炎上』でもスッカリ騙されたが、本作も伏線と睨めばミスリード、逆に読み流していた描写がキッチリ伏線と見事なストーリーテリング。そして『果たして人は人をどこまで理解できるのか?』というテーマがクッキリ浮かび上がってくる。
岩井俊二『リップヴァンウィンクルの花嫁』(2015)

舞台は現代の東京です。岩手県の花巻出身である派遣教員の皆川七海は、SNS で知り合った同じ教員である鶴岡鉄也と結婚しますが、友人が多い鉄也に比べ、七海には結婚式に出席してくれる親戚も友人も少ないことから、結婚式の代理出席を「なんでも屋」の安室行舛に依頼します。
新婚早々、鉄也の浮気を疑った七海は、義母のカヤ子から逆に浮気の罪を被せられて家を追い出され、ついには鉄也と離婚します。苦境に立たされた七海に安室は奇妙なアルバイトを次々と斡旋し、その中で七海は女優の里中真白と出逢います・・・。
岩井俊二氏の作家性は、映像作品でその本領が発揮されるのですが、標記はそこで描き切れなかった人物の出自や、エピソードに至る細かい背景が語られており、映像作品を補強するのみならず、完結した小説としての完成度としても高い作品と言えるでしょう。
本作は、SNSに依存した生活を当り前のように送るヒロインの七海が、そのことによりフェイクな事象に巻き込まれて生活が破綻していくプロットが展開されるのですが、岩井監督はその主題について、閉塞した現代社会において、そこからドロップアウトしていくことが、むしろ堕ちているように見えて実は昇っているような話として捉えているようです。
その理路としては、文学にその楽しみを求めることにも、大きな違いはないとは思いますが、その前提となるここで描かれている若者たちによる、閉塞した現代社会の感受とは、特に「幸福の限界」に切なさを感じる真白が、お金を基に自身の虚構性をも日常化している点や、安室が虚構自体を職業として成立させている事、尚且つ、そのフェイク(虚構)の上で日常を送ることになる七海の被投性が強調されながらプロットが展開され、SNSのプラットホームに身を委ねた日常化している生活が、表象では七海にとっての罪として描かれていることです。
その点はむしろ、そうした虚構の中に「本来性=ほんとう」を求め続ける七海のビルドゥングスロマンとしての主題も受け取れるような気がしますし、その七海のキャラが少なからず安室に影響を与えていくところに、この作品の興味深い特徴を見いだすことができると思います。
しかしそこには、私のような臆病な高齢者から見れば、面識もないSNS上のみでの人との繋がりは、あくまでもそこが仮想空間であることから、リアルな人間関係とは異質なものとして距離を置きがちです(それだからこそ、例えば孤独にさいなまれた空虚な日常を送る人がいるならば、そうしたSNS上のコミュニティでの繋がりから「オフラインミーティング」などを通して、その関係をリアルなものにしていくことも、それを埋めていく1つの有効な方法かもしれません)が、特にここで描かれた七海は、その虚構と現実との境がないことを面白がりつつ、更には匿名のハンドルネームでその経験をネガティヴに吐露してしまうという生活を送っています。
そのことでリアリズムを確認するようなキャラとして七海を描いたことは、岩井監督なりの時代感受のなせる業でしょう。そんな七海に対して安室は次の様に囁きます。
「人生とは奇想天外なものですよ。(中略)奇想天外を望む本能は誰にでもあるんです。その衝動をバーチャルなもので癒しているのが現代人ってところでしょうか。ドラマやニュースもスポーツもゲームも、みんな自分たちの中から摘出して皿の上においてみた奇想天外本能細胞です。」
私はその本能を自身のロマンの源泉としてとらえて、数多の文芸作品の中からこの「超越への希求」を巡るような主題に興味を置いてきましたが、この安室の言葉を受けて七海は次の様に思い至ります。
「この世の中が是としている正義とか善なる世界には、実は大きな欠陥があるんじゃないだろうか?安室の言う通り、現代人はこの衝動を悉く封じ込めて、正義たらんと骨を折り善人にならんと心を砕き過ぎているのかも知れない。正義とか善とかいう名のアスファルトをすべての場所に敷き詰めてしまい、土が見えなくなって、草も花も居場所も奪われてしまった。そんな状態になってやしないだろうか。」
こうしたシーンは、観念的なので映像作品には観られなかったのですが、言語表現の特性を生かした小説としての面白さを受け取れる、作品の主題とする「虚構性」を象徴する件として印象に残りました。
novel907
喪を明ける    太田忠司著    徳間文庫    2022年11月発行

2030年代?の日本、舞台は名古屋。AIが社会の中に入り込んでいる時代。でも、日本は度重なる震災と原発事故で行き詰まっていた。

還暦間近の靴職人の楢原卓弥は、数年前に妻の夏美が安楽死を選んだことにショックを受けて立ち直れずにいた。

一方、息子の勇斗は1歳になったばかりの娘カヤを亡くし、妻とも別れ、父のもとに帰ることに。

父と息子、男やもめ二人の生活。二人の寂しい心情がひしひしと伝わってくる。静謐な雰囲気が漂う近未来小説ですね。物悲しい雰囲気が漂います。

大きなことが起こるわけではありませんが、それぞれの厚情とふれあい、そして小さな変化が少しずつ気持ちを変えていきます。

ラストはとても良いですね。ぎこちない男二人の生活ですが、私も息子との二人暮らしを想像してしまいました。とても父親の卓弥のようにカッコよくは生きられませんけどね。

太田忠司さん、様々な毛色の作品を書いていますが、こんな叙情的な作品も書けるんだ、という一冊。爽やかな気持ちになれます。
宮尾登美子「藏」

私の在住する新潟が舞台で、新聞連載していた頃から夢中になって読んでいた愛読書です。

時は大正8年の吹雪の夜、旧家にして蔵元の田之内家に、死産・夭折を繰り返す中、待望の女児が産まれ、当主・意造は烈と名付けます。

身体の弱い妻・賀穂は、独り身の妹・佐穂を田之内家に呼び寄せ、烈の面倒をみさせることに。

しかし烈は、6歳にしていずれ失明するとの宣告を受け、病気回復祈願の礼所詣りに出た賀穂は倒れて亡くなり、意造は後添えに年若い芸者・せきを迎えます。

せきに反発する烈は、ますます佐穂を慕い、せきに異母弟・丈一郎が生まれると、将来、厄介払いされる自分と佐穂に離れを作り、遺産も4等分にするよう遺言状を意造に書かせます…これがまたすごい!

しかしその直後、意造は中風で左半身不随になり、さらには丈一郎がせきの目を離した隙に、事故で亡くなってしまいます。

意造とせきの夫婦仲も冷める中蔵を閉じる決意をした意造に、完全に失明した14歳の烈が、自分が後を継ぐと言い出し…。

目まぐるしい展開で一気読みさせるのはさすがですが、長年意造に想いを寄せ、田之内家に尽くしていながら、せきに後添えの座を奪われた佐穂の苦悩やそれでも烈の叔母として愛を注いだ謙虚さ、自分に優しく接してくれた蔵人・涼太への烈の恋、何より、失明を乗り越えて先祖代々の蔵を守った烈の姿には、名前の通り、困難に負けない強さを感じ、胸を打たれた作品でした。

_あの蔵を全部、烈に下せ(くんなせ)。烈がお酒造りをしてみせるわね_
ひのまどか
『戦火のシンフォニー  レニングラード封鎖345日目の真実』(2014)

物語そのものやその美的表現からロマンへの耽溺を目的とすることで、小説は自分にとって現実逃避の1つの有効なツールなのですが、音楽も正にそうしたガジェットの1つです。
その点、自らのロマン性に添うことで作品を受け止めている為、標題音楽もそのテーマにあまり縛られて聴いてはいないのですが、本作で中心的に語られているショスタコーヴィチの『交響曲第7番ハ長調作品60』は、その作者によって下記の通りに表明されたことから『レニングラード』という通称を持っています。
「私は自分の第七交響曲を我々のファシズムに対する戦いと我々の宿命的勝利、そして我が故郷レニングラードに捧げる」
この『レニングラード』という表題の意味が、この作者の想いを更に広げて戦争期を生きた人々に受け止められた1つの物語として綴られたのが本作です。
楽曲が創作された当時の1942年は、ナチスドイツに完全包囲され、すべてのライフラインを断たれた古都であるレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)では、その実数が100万人を超えるとも言われる死者を出したことで知られています。
その死因の97%が餓死であると伝えられていますが、そうした極限状況下のこの都市において、それでも演奏をやめなかったオーケストラがありました。
本作は、当時の人々の証言を基に、当時の市民の悲惨な生活の実情を語りながら。音楽がいかにそうした人々を精神的に支えたかを克明に綴っています。
そして1942年8月9日、カール・エリアスベルク指揮により、この物語の中心であるレニングラード放送交響楽団(現在のサンクトペテルブルク交響楽団)の演奏で、この『交響曲第7番ハ長調作品60』がレニングラードでの初演が決行されるのですが、そこに至る楽団員たちの死に物狂いの努力の過程が細かく描かれています。
そこには、スターリンの圧政下で作曲活動を行ったショスタコーヴィチの数奇な運命も触れているのですが、この楽曲に対する作家による前述の意図が、何処から紡がれたかという仮説も披露しながら、当時のソ連政府の音楽におけるプロパガンダの位置付けなどにも言及した歴史物語としての面白さも受け取ることができます。
しかし、その主題としては、「生きることに絶望しかけた人々に、音楽が与える意味」を深く問いかけたことのように思います。
私は、ショスタコーヴィチの交響曲では『第5番』の次にこの『第7番』が好きでよく聴いているのですが、こうしたショスタコーヴィチの音楽をガジェトとして、この主題を更に展開させたスティーブン・ジョンソン『音楽は絶望に寄り添う: ショスタコーヴィチはなぜ人の心を救うのか』(2022)も、関連図書としてお勧めです。
小野寺史宜「ひと」

高校生の時に交通事故で父を亡くし、故郷・鳥取から東京の私大に進学させてくれた母が急死、主人公・柏木聖輔は20歳の秋、独りになります。

大学は中退し、働く決意をしますが、あてのない日々が続く極貧生活の中、空腹に負けて吸い寄せられた砂町銀座商店街の惣菜屋で、最後に残った50円のコロッケをおばあさんに譲ったことから、店主に親切にされ、その店でアルバイトとして働くことになります。

店主夫婦、バイト仲間の先輩たち、大学時代のちょっとルーズな友人、そして高校時代の女子同級生・青葉たちとの日々が、聖輔の日々に彩りを与えてくれる「ひと」になります。

しかし、「ひと」は誰しもがそうだとは限りません。

聖輔から金をたかる親戚、親しくなった青葉とヨリを戻したがっている常識外れで上から目線の大学生など。

それでも、「ひと」は決して1人ではない、理解し合える「ひと」と「ひと」は繋がっているからこそ生きていけるのだと、改めて感じた作品でした。

北陸地方は、今夜から大雪警報が出されました。

被災された方々、くれぐれもお気をつけください。

_大切なのはものじゃない。形がない何かでもない。人だ。人材に代わりはいても、人に代わりはいない_

◉ 内館牧子 著 『 老害の人 』
講談社 2022年10月14日発刊 355P

昨今、メディアなどで盛んに報じられる事の一つに、人生の終焉を迎えるに当たって考えることがあります。
具体的には「断捨離」、「墓仕舞い」、「遺言執行依頼」、「小さなお葬式」などなど、死後に遺される者たちに迷惑を掛けないようにと、「死ぬ前にやっておくこと」が附和雷同の如く唱えられています。
言い換えれば「いかにして死を迎えるか」とのように思えてなりません。
果たして自らの死を迎えるにあたり、準備万端整えて誰にも迷惑を掛けない方法などあろう筈も無いと思うのです。
死後、遺っ者たちに混乱を来たさぬようにする配慮であれば理解できますが、死を前にして本人自らが総て事を済ますと云うのは無理があると思います。
健全な家族であれば、生前に会話があれば混乱は最低限で済むと思われます。
ここに家族の意味、大切さがあるのでしょう。
但し1人で人生を歩んで来た人や、相続する子供が居ない高齢者たちは、死後の残務を極力生前に済ませておくことは必要だと思います。

この一冊は、『如何にして死を迎えるのか』を考えるよりも、『如何に人生をまっとうするのか』を第一に考えようよとの応援歌のように思えました。
内容は決して暗いものではなく、さすが内館女史独特の語りで面白おかしく、老害ジジババたちが動き回る物語です。
主人公の戸山福太郎が提唱して、「若鮎サロン」と命名した年寄りが集まる場を、娘婿が経営する会社の一室に設立してしまいます。
当初集まった6人の仲間以外に、徐々に老害を撒き散らすジジババが集い、「若鮎サロン」は存在意義を作り上げて行きます。

主な登場人物は…
◉戸山福太郎 85歳
おもちゃメーカーの2代目。
社長職を娘婿の純市に譲り、悠々自適なご隠居の身分を謳歌しています。
しかし、周りの人たちに昔の思い出話、自慢話を何度も延々と繰り返し、福太郎の撒き散らす老害にヘキエキとしています。

◉竹下勇三 76歳
クリーニング店の2代目で、未だ現役で仕事をしています。
2ヶ月の入院を経験して以来、如何に大変な手術だったかを自慢し、老人の病のエキスパートを自認しています。

◉吉田武 90歳
70歳に至るまで、小さな印刷工場にて勤め上げた体力が自慢な最高齢のお爺さんです。
88歳まで撮り鉄が趣味でしたが、89歳からは「詠み鉄」に転向し、文学的要素を加味した鉄道の俳句を詠むようになりまた。

◉吉田桃子 87歳
武とは相思相愛の夫婦で、武が詠む俳句の唯一の理解者です。
武が詠んだ俳句の心象風景を絵に描こうと水彩画を始めたのですが、誰も独特の画風を理解できないでいます。

◉春子 (年齢不詳)
「私はもうじき居なくなる。食欲もないし」が口癖のお婆さんですが、出された食事はペロリと食べ、未だ病院通いとは縁遠い状態です。
寄り合いなどでも必ず遅刻して登場し、皆の視線を集めたがる癖を備えています。

◉村井サキ 78歳
大学を主席で卒業し、60歳まで高校教師、その後70歳まで公民館の館長を勤めたキャリアを誇示します。
退職後は、悠々自適の読書三昧な暮らしなのですが、レストランや病院ではモンスター・クレーマーと化します。

◇戸山明代 54歳
戸山福太郎の一人娘です。
看護師の娘と、高校生の息子の二児の母親。
未だ孫の存在もなく、老害をばら撒く年寄りと、孫を自慢する孫バカに対してヘキヘキとしています。

◇戸山純市 60歳
おもちゃメーカーの3代目を拝命した明代の婿さん。
福太郎には頭が上がらず、明代からはNoと言えない優柔不断な態度を非難され、両狭間に立ってヘキエキ気味です。
会社の一部屋を引退した義父のために用意し、暇な時間を費やしてもらおうと優しい気持ちを擁しています。
以上、強烈な個性のジジババたちが繰り広げる老害物語です。

この物語を読み終わっての感想は、死を前にして考えることは大事だとは思いますが、それよりも自分の人生を最後まで自分らしく生き抜く気持ちが大切なのだと、新たに認識しました。
それにしても最近の内館牧子女史が綴る老人たちは、異様に元気が良いですね。
この世にたやすい仕事はない 津村記久子 新潮文庫

こちらのグループで見かけて読みたくなって買い求めました。
よくあるお仕事頑張る話とは少し違いましたが

最初はずーっと淡々と読んでました。
内容が入ってこないし、やめようかなぁと思うと
たまにすごく引っかかる部分が顔を出します。
地味か派手かでわけると地味な本ですね。
本当にこんな仕事あるかなぁ
と思うのですが、
大きな組織だとしても
なんでこんな作業が必要かなぁ
と思うこともあるので(私個人の考えです)
すべての人が働くことに思いを傾けるかと思いました。

泣けませんし、爆笑もないですw

でも読んで良かったし、明日からも頑張りたいと思いました。
『一線の湖』 砥上裕將
 
 前作に続き、とても繊細で優しく、芸術の核の部分に触れるような体験ができ、楽しく読んだ。人を育て、同時に育てられるということも描かれていた。

 ただ、水墨画を描いている様子や、気持ちが少しずつ変化していく描写が、私にははっきり理解できないところがあり、実際どんなことを言っているんだろうと、細かく理解したいのにわからないのがもどかしいこともあった。

 作中で描かれている絵を頭の中で想像してみる。全く絵心のない私でも、描写を頼りに少しは描けるのだが、もっと鮮明に見たくなる。やはり、前作の映画を観てみようかと考え直した。

 映画のキャストが自分の中の想像とかなりズレていたので、大好きな本での世界が壊れてしまいそうで観るのが少し怖い。私の中では、なぜか西濱湖峰は芸人のバイキングの西村さん、篠田千瑛は茅島みずきさんが、前作から棲みついてしまっている。主人公の友達の古前巧役の役者さんの細田佳央太さんだけはイメージそのものだった。

 湖山先生の存在が、今作では際立っていた。その大きさが、全体を包み込んでくれている。主人公の習作に、湖山先生が表題をつけていたシーンは痺れた。

 前作に引き続き、この本を読んでいると、心穏やかで、優しい人間になりたいと強く欲するようになる。直ぐその気持ちを忘れるので、毎日読んでおきたいくらいだ。絶望や悩みに打ちひしがれ、抜け出せないような気になっても、この主人公は、周りの人々の言動を見て、素直に学び取り、度胸や強さ、そして大らかさを手に入れて行く。物語なので、上手くいきすぎている感はあるけれど、それでも、ぎっしりとなぞるように描かれた描写で、その成長や心の動きが、読者にも丁寧に追えるようになっている。

心に留めておきたいキーワードは、心の内側の余白、広さ。気韻生動。(ここでは生き生きとした線を引くことや絵を楽しむこと)

今作も映画化して欲しい気持ちもある。キャストも監督も一新させて、新しいものを作るのも面白いかもしれないな、なんて思う。

特に心に響いたところ

📕心を重ねられるものは別に、完成されたものじゃなくてもいい…気がするんだよ

📕長時間の訓練、精密で複雑な動作、自分の内側の動きを無視した努力を続けても、どこかで行き詰まってしまうのだろう。そもそも自らの中の『伸びしろ』を『伸ばしきってしまった』後にはどれだけ叩いても伸びることはない。ただ自分を痛め、歪な形に変えてしまうだけだ。重要なのは『伸びしろ』そのものを伸ばすことだ。心の内側に余白が必要なのだ。

📕運び続け、与え続け、分かち合いなさい。優しい言葉、たった1度の微笑み、穏やかな沈黙。誰かを見守ること。心を使い、喜びを感じ、分け合うこと。同じ時を過ごしているのといると認めること。(湖山先生の言葉)

📕見つめているのが、苦しくなるほど美しかった。(略)何の衒い(てらい)もない。僕が到達したいと思っていた線のさらに数歩先を行っているかもしれない。
「喫茶おじさん」
原田ひ香

男の人生というのは、理想的な喫茶店を探す旅ではないか。
松尾純一郎、57歳。
大手ゼネコンを早期退職し、現在無職。
妻子はあるが、妻は大学生の娘と二人暮らしすると言い出ていき、ただいま別居中。

喫茶店巡りが好きなおじさんの話かと思いきや、純一郎は、早期退職で得た退職金をつぎ込んで始めた喫茶店をあっという間に潰してしまい、娘にはあきれられ、妻には出ていかれるというダメダメなおじさんなのだ。
でも、とにかく、喫茶店が好き。
な事だけは、ひしひしと伝わってくるよ。
なんとも情けないおじさんなんだけど、周りの人から見たら、なぜだか憎めない感じ...なんだろうか。

この作品の中には、新たな一歩を踏み出そうとする人達が登場します。
そんな中、ダメダメな純一郎は、いったいどこへ向かってどう生きていくのか。。。

出てくる喫茶店のコーヒー、食べ物の描写がとても美味しそうで、喫茶店でゆっくり時間を過ごしたくなったわぁ♥️

作品の中に登場する喫茶店の数々は、実際に存在する純喫茶の名店のようですよ。
都内にお住まいの方であれば、この本を片手に、純喫茶巡りも楽しいかもしれません🎵

ぜひ😊
『ほしとたんぽぽ』 金子みすゞ

🌸 なつかしくて あたたかい 
        たくさんの子どもたちに親しまれている 
      みすゞさんの詩の世界 🌿

    青いお空の底ふかく 
     夜がくるまで沈んでる  ...

    散ってすがれたたんぽぽの
     瓦のすきにだァまって
    春のくるまでかくれてる  ...

    見えぬけれどもあるんだよ
    見えぬものでもあるんだよ

金子みすゞさんは、大正末期から昭和初期にかけ、すぐれた作品を発表。「若き童謡詩人のなかの巨星」とまで称賛されながら、1930(昭和5)年、26歳の若さで世を去りました。

自然のものすべてに優しい目を向けたみすゞさん。
この作品では、昼間の星とたんぽぽの根っこ。
もしかしたら、見えないものの方が大事なのかもしれない。
視点を変えてみると、今まで見えなかったものがみえてくる…。

雪や氷が解け始め、降る雪は雨へと変わって田畑を潤すこの季節。
大地の下で流れ始めた水の音へ耳をすますように、春の兆しを見つけたくなります。

みすゞさん、だい好き!
綺麗なことばがいっぱいの本。
命の尊さや輝きにあふれてます ⭐️⭐️ *
●ファミリーツリー
小川糸

長編小説🙂

小川糸さんの本は、どの本も優しくて心をぎゅっと掴んでくる🍀

家族と親戚の話だけど、人と人とのつながりや
命の意味を考えさせられる話で

曾祖母の優しさや偉大さ、温かさの中で
主人公リュウと、リリーが成長していく様を描く

コロコロと涙が転がり落ちて
何度も何度も家族の深い心を感じた

主人公リュウの目線で最後まで描かれているところも良かった🙂

未読の方は是非🍀

2012年出版の本だけど、出版されてから12年経過していても古さを感じず、懐かしい心も感じさせる五感に触れてくるストーリーです🙂

※注
性の描写もたくさん出てくるので、良い本はいつも娘にも勧めるのですが15歳の娘にはまだ早いかも、と思いました🙂
「100万回死んだねこ 覚え違いタイトル集」福井県立図書館



図書館のリファレンス部門に問い合わせのあった「覚え違いのタイトル」の中でも、”突拍子もない”問い合わせばかりを集めたこちらの「偽タイトル集」。

私もかなり思い込みの激しい方ですが、世の中には、

「どうしたら、そんなに間違った覚え方を?」

と聞き返したくなるような人が結構いらっしゃるんですね。

特に、大受けしたのが

「あと全部ホリディ」

「先生が好きな等式」

「大木を抱きしめて」

「おじおじの誕生日」

「いろんな客」

「中村屋の坊主」

「白い器」

「私、残業しません」

「滅びた後のシンデレラ」

「背中を蹴飛ばしたい」

「俺がいて、俺だけだった」

「『ぶるる』みたいな旅行の本」

中でも、最高だったのが

「これこれちこうよれ」

「とんでもない場所」

「ひやけのひと」

「あだしはあだしでいぐから」

「年だから解雇よ」

特に、最後の本の題名が分かる人がいたら、表彰物でしょう!

ともかく、何度読んでも面白いので、手元に置いておいても飽きないかも。
よしながふみ/公式ファンブック「大奥」総攬

普段は新刊はなかなか買わないのですが、昨日、酔って書店に寄ったついでに、残り1冊、ついつい買ってしまいました(笑)。

昨年のNHKドラマ化で、すっかりメジャーになりましたが、まだまだ大奥熱の冷めていない方に、特におすすめです!

内容は、原作の雑誌掲載時のイラストカット、原作ダイジェスト解説、原作者☓脚本家☓NHKプロデューサーインタビュー、ドラマ主要キャストインタビュー、ドラマ衣装解説などなどになっています…インタビュー写真の仲里依紗(綱吉)には、ビックリしますよ(笑)。

NHKプロデューサー・岡本幸江さんは、連載当初からドラマ化したいと思っていたようですが、連載が終了したのがちょうどコロナ禍の最中で、作中登場する、若い男子が罹患し、致死率の高い謎の伝染病・赤面疱瘡と重なり、原作の素晴らしさもさることながら、NHKドラマは大当たりしたのでしょう。

過去実写化作品は、そうした実感がないからか、あまりヒットしませんでしたからね…正直。

また大人買いした「大奥」を読み始めたくなりそうです。
『悪の芽』
貫井 徳郎 著
久しぶりに貫井さんの作品を手に取りました。
もう読んでる途中から、こちらに投稿することを
決意しました。

一流大学を出て、一流企業に務め、
高級住宅地に立派な家を建て、
妻と二人の娘と暮らす安達。
 
その安達の小学生時代の同級生の斎木が
大きなイベント会場で大量無差別殺人を犯し、
その場で自ら命を絶ってしまった。
 
斎木は小学生の頃、集団いじめにあい、
小学5年生の2学期から登校拒否になり、
大人になっても正社員にはなれず、バイトを転々とし、
凶行に至ったのではないか?と報じられ、
安達は愕然となる。
なぜなら、安達がいじめの発端の渾名をつけたからである。
それから、安達の苦悩が始まり、
パニック症候群に陥りながら、
斎木の動機を探る。
そして、驚愕の真相が・・・
 
実は昔、私は中学校の友達に渾名をつけたことが数回あるのです。
幸いいじめにはなっていませんが、
この作品を読むと怖くなり、
その他にも考えさせられる点が幾つかありました。
 
久しぶりの貫井さんでしたが、
さすがでした。
 『乱反射』も読もうと思います。
なれのはて    加藤シゲアキ    講談社
ご存じの通り、「NEWS」のメンバーとして活動しながら「ピンクとグレー」で作家デビュー。「オルタネート」で吉川英治文学新人賞、高校生直木賞を受賞。華々しい経歴ですが、アイドルが小説?ちょっと色眼鏡で見ているところがありましたが、本作を読んで、彼の作家人生におけるフェーズが変わったなと実感しました。読み応えのある作品でした。

とある事件をきっかけに報道局からイベント事業部に異動を命ぜられたテレビ局員、守谷京斗。失意の中の異動先で出会った吾妻李久美が祖母から譲り受けた、「ISAMU INOMATA」という正体不明の作家の絵を使って「たった一枚の展覧会」を企画したいと相談を受ける。その絵の持つ不思議な魅力に心を奪われ、どうしても世に出したいと言う。ところが、出展の許可を得ようにも作者も権利継承者もわからない。守谷の記者魂に火が付く。素性の全くわからないイサム・」イノマタの名前だけを手掛かりに調査を開始する。行きついたのは秋田…、土地の有力者猪俣一族の持つ暗く深い秘密にたどり着く。

時は1945年8月15日未明の秋田・土崎空襲にさかのぼる。原爆投下、そして終戦。戦争は猪俣傑、勇の兄弟の心に深い爪痕を残す。兄弟の確執。秋田は日本でも数少ない油田のある土地。猪俣家はその油田を背景に成り上がった一族であった。

猪俣傑の死、勇の失踪?遺された道生という謎の子供…。守屋と吾妻は深まる謎を、絡まる糸を一本ずつほぐしていくように、一歩一歩真実に近づいていく。一枚の絵に秘められた真実とは…。

一枚の不思議な「絵」から始まる運命のミステリー。

「死んだら、なにかの熱になれる。すべての生き物のなれのはてだ」

小説の後半にようやく表題の「なれのはて」が出てくる。ここにきてようやくその意味が分かる。

本格的なミステリー仕立ての大作です。おすすめです。
ストレスと適応障害 岡田尊司 幻冬舎新書
人は生きていく上で、安心感を支え、その人の潜在的な力や、持ち味が発揮できるようなバックアップをしてくれる安全基地という存在を必要とする。安全基地というキーワードはこの本の最も言いたいことの一つとして各所に出てくる。言葉を変えて言えば、支援者は相談者に対していかに安全基地となることができるかということが大事だということである。相手を認め、相手に興味を持ち、相手に共感することが必要であるが、このことは多くのビジネス書 で語られているのはご存知の通りである。しかし適応障害という観点から、こんなにも明確にこれらのことが必要だと関係づけられてる本は珍しい。職場での人事の問題でその解決を当たる時にいつも考えていたことは、相手の課題となることは何か、そしてその課題をどのように自主的に理解させるかということである。日頃から信頼関係を結ぶことができなければ、相手の本音を聞き出すことはできないし、ましてやネガティブフィードである自身の課題などを理解させることはできない。この信頼関係という言葉は、この本に出てくる安全基地となる存在にいかになるかということと一致する。多くの理論的な背景や著名人の実例をもとに、このことを丁寧に解説しているが、最も興味深いのは最終章の葛藤と試練を乗り越えるという箇所である。ネタバレになるので、この内容は書くことを控えるが、自分自身のかつての問題を明快に解きほぐし、再び頭をスッキリして、もう一度問題に立ち向かっていく勇気を与えられることは間違いない。この章に出てくるミラクルクエスチョンを自分自身に問いかけた時、私の中に新たな力がみなぎってきたことに歓喜した。

#岡田尊司 #読書
スピノザの診察室
夏川草介 著

これで良かったのか…の問いかけはしないことにしている
良かったのか悪かったのかは突き詰めれば結果論でしかない
反省も検証も大切だがあくまでそれは生者の領分で死者に手向ける言葉にはならない…原文より

大学病院に勤めていた哲郎は妹の死により
甥の保護者になり大学病院をやめ原田病院に勤務先をかえた

哲郎が担っている患者は死を目の前にしている患者さんが多く、往診もする
死に直面している患者さんに対してユーモアを交えながら相対している哲郎先生はとても素晴らしい

一方大学病院の准教授の花垣は最先端の医療を確立すべく奮闘している
哲郎と花垣はかつて一緒に働いていた先輩と後輩で
真逆の世界にいる二人の信頼と尊敬も心奪われる
世間ってなんだ(講談社)鴻上尚史

鴻上氏に関しては、劇作家・演出家ということを認識していただけで、劇団の演劇を見たこともなければ、彼が書いた本などを読んだこともなかった。この本を手に取ったのはまさに「世間」という概念に興味があったから。
鴻上氏は「世間」と「社会」という概念を明確に分けており、その捉え方、考え方には思わず共感。世間=共通項のある人が対象、社会=共通項のない人が対象、となるとしている。要するに「世間」は、身近な人の世界であり、「社会」は知らない人たちの世界である。また、「世間体」を「根拠のない恐怖」と定義しておりこの考え方も妙に納得してしまった。日本人は、「世間体」を気にするあまり=「根拠のない恐怖」のために、頑張ってしまうのだ、という。御祝儀に一生懸命ピン札を用意しようとしたり・・・。世間体を基準に行動してしまう。
一方、社会とのつきあいは苦手で、どうしていかわからなくなってしまい、社会に属する人とは概してうまくコミュニケーションをとることが出来ない。「世間」との付き合いは出来るが、「社会」との付き合いは0か100の付き合いかたしか出来ない、という。
「世間」と「社会」の違いのほかに、昔に比べて日本および日本人が、「面白いことは少しくらい危険を冒してもやってみよう」というよりも、「面白くても少しでも危ないものは止めていこう」方向に向かっていて、だんだんつまらない世の中になっている、という鴻上氏の考えがこの本の中で貫かれているような気がしており、この点も共感できる。
榎本博明『勉強ができる子は何が違うのか』

 本書によりますと、成績の良い子は、次の3つの能力、すなわち①認知能力(いわゆるIQなどで図られる知的能力)、②非認知能力(感情をコントロールして、自分をやる気にさせたり粘り強く物事に取り組んだりする力)、③メタ認知能力(自分を客観視する力)を身に付けているそうです。

 これらの3つの能力があるか否かは、子どもが成績を上げられるか否かだけではなく、私たち大人が資格試験やダイエットという目標を達成できるか否かにも影響してくるのではないでしょうか。私自身、とある資格試験の合格通知を先日いただきましたが、試験勉強を通じて、目標達成には長期にわたる学習計画を淡々とこなしていく力や学習記録をつけて計画の進捗状況を把握する力が必要であることを改めて実感しました。

 お子様の成績を上げたい方だけでなくご自身の目標達成したい方にもおすすめの本です。手に取ってみてはいかがでしょうか。
【なぜ人と組織は変われないのか】
ロバート・キーガン

自分を変えたい、成長したいと思っていても、自分の内にある固定観念を変えないと、なかなか行動に移せないと学べる一冊でした。

変わりたくても、行動に移すのがしんどい人におすすめです。
「太郎とさくら」小野寺史宜(ポプラ社)



小野寺さんの作品を読む度に、市井の人々の日常の暮らしを書かせたら、この人の右に出る人はいないのではないか、と毎回思わされます。

本書の主人公は「太郎」という20代半ばの若者で、東京にある食品メーカーの営業マンとして働いています。彼には、6つ上の姉の「さくら」がいますが、実はこの姉とは血がつながっておらず、母「房子」の再婚相手の「春夫」が「太郎」の実父に当たります。

物語は、故郷の静岡で行われた「さくら」の結婚式に、「さくら」の実父の「野口」が突然現れるところから始まります。親戚一同から反目を買い、式場から追い出された「野口」に同情した「太郎」は、思わず彼の後を追いかけて自分の会社の名刺を渡します。

人付き合いのいい「太郎」は、上司からの誘いで会社の草野球チームの一員として休日にはグラウンドで汗を流し、姉の結婚式で久々に再会した元中学・高校の同級生である「花子」から誘われて、「野口」の働く居酒屋に二人で飲みに行きます。

60歳手前にもなるのに居酒屋でアルバイトをして、「エアコンも付いていない寮で一人暮らしをしている」という彼の事情を知った「太郎」は、「自分のアパートで同居をしませんか?」と提案します。

一方で、「太郎」には付き合って数年になる「紗由」という恋人がいて、彼は彼女との結婚も考えています。ところが、「花子と二人で飲みに行った」ことを正直に打ちあけたところ、彼女は「なぜ、事前に相談してくれなかったのか?」と怒り出してしまいます。

傍から見たら、単なる「お人良し」に見える「太郎」ですが、「正直者」で裏表がない彼のことを疎ましく思う人はいないのではないでしょうか?東京育ちの上、若くして故郷を離れて東京に出て来た人たちというのは、早くから自立を迫られて大変な面がある一方で、「故郷の人たちとの再会」や「故郷に帰省する」楽しみがあるので、内心、羨ましく思っています。

ご紹介して下さった神藤好彦さん、本当にありがとうございました!
真っ当なエッセイ
「ヘイケイ日記」 花房観音
性を描く作家が好きだ。
直球で「生きること」を書いている
人が多いからだ。
彼女もそのひとりで、僕は
ほとんどの作品を読ませてもらってる。
本作は、そんな花房さんが50代を前に
した女性の本音を余すことなく
描いたエッセイだ。
彼女のしごく真っ当な意見に、共感すると
ともに、根っこにある真面目さがうかがわれ、
何度も拍手した。
裏カバーのコピーがこの本の内容を
わかりやすく伝えているので、引くことにします。
40代。溢れ出る汗、乱れる呼吸、得体の
知れない苛立ち……。
心身の異変を飼いならしながら、それでも
女を生きていく。
いくつになろうが女たるもの、問題色々煩悩色々。
綺麗な50代をなぜ目指さないといけないのか、
死ぬまでにあと何回「する」のか、
グレイヘアを受け入れられるか。
更年期真っ盛りの著者が怒りと笑いに満ちた
日々を綴る「女の本音」エッセイ
『今夜、すベてのバーで〈新装版〉』 著:中島らも

 のっけから主人公のγ-GTPが1300という現実離れした数値にのけぞると同時に、そのあっけらかんとした医者とのやりとりやどこか超然とした態度に爆笑してしまいました。もちろんその後も、アル中とマンドリンの関係、検尿や検便のごまかし方など、ここには書くことがはばかれるようなシュールでブラックなジョークが続きます。この本は作者自身の体験がベースになっているらしく、アル中の行動あるあるが克明にユーモアたっぷりに描かれます。

  あらすじ。
 アル中でよれよれになった主人公は病院の庭で最後のワンカップを飲んでいた。飲んで吐いてを繰り返し、もう歩くのも困難になるまで衰弱した彼は一人で病院までたどり着き診察を受けたところだった。黄疸、フォアグラのような肝臓、入院。病室の準備ができるまで一時間かかると言われた彼は最後の酒を飲むことにしたのだ。やがて案内された病室は相部屋で、すでに四人が入室していた。八十前後の老人二人、四十がらみの男、そして十七歳の少年。目が覚めた主人公はぶっきらぼうな口をきく大柄な主治医の診察を受けるのだが・・・。

 アル中の人って、普段どんなことを考えてどう感じているんだろう? とこちらで紹介されたときに興味を持ち手に取った本です。じつは私の父はアル中で死にました。直接の死因は肺水腫による心停止とかなんとか、と老衰みたいな記載になるのですが、結局のところアル中でした。若いころから酒が好きで、やがて正真正銘のアル中となり、医者に止められても飲み続け、この本の主人公とほとんど同じような症状で入院、たぶん診察結果も同じだろうと思います。その後も入退院を繰り返し、断酒会に入り一応は酒は断ったものの、どこまで本当なのか怪しいです。身体と内臓はボロボロと弱り、平均寿命よりもずいぶん早く死にました。なので終盤で明らかにされる主人公のマネージャー家族の顛末は他人事ではありませんでした。私も酒は嫌いではありませんが、基本的に平日は飲まず、γ-GTPは20前後をキープし、深酒しそうな時はいつも自分に言い聞かせています。「酒では何も解決しない」。

 世間にはアルコールの他にも、薬物、ニコチン、ギャンブル、買い物、ネット、などありとあらゆる依存症があるようです。私は父の姿を見てきた経緯から依存症に対して厳しい見方をしています。少し軽蔑しているかも知れません。自己統制能力の欠如、自分勝手、自己欺瞞、意志薄弱・・・と辛辣な言葉が浮かんできます。好きで飲んでアル中になった人の治療で健康保険が使えるならば、好きでなったわけじゃない近眼や老眼のメガネにも保険適用するべきじゃないのか、なんて思ってます。作中で蕎麦を食べたくなった主人公が病院を脱走して、つい飲んでしまってベロンベロンになる様子には、父の姿を思い出して、そうそう酒飲みっていっつもこうなんだよな!と腹立たしいような、情けないような気持になりました。

 なのに酒飲み主人公を描いたこの本を楽しく、時には可笑しさに吹き出しながら最後まで読めたのは、何故なんだろう? それはたぶん作者さんの文章力とユーモアセンスが一番の理由だと思いますが、それに付け加えて、作者さんの分身である口の減らない主人公が時々発する本質を突いた言葉や視点が、この作品の魅力を高めているように思います。

 なかでもとても印象に残る話が2つありました。
 ひとつはタイムカードと酒飲みの考察。これはじつに興味深かったです。人は自由を求める反面、何かに縛られることで、それを拠り所にしているんだ、と妙に納得しました。もうひとつは教養について。教養とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことであると。これには本当にうまい表現だと大きく頷きました。

 そう言えば、死んだ親父は司馬遼太郎全集を持っていたっけな、とふと思い出しました。まったく、酒なんかで時間をつぶさないで、本でも読んでれば良かったのに!と腹立たしい反面、この主人公のように好き勝手に結構おもしろおかしく生きたのだろうな、と思うと羨ましくもあり、ちょっと安心もしました。

 ともあれ、とても興味深く読める本です。裏表紙には「すべての酒飲みに捧ぐアル中小説」とありますが、酒飲みにだけに読ませるなんてもったいない、すべての活字中毒の方へも強くおすすめしたい小説です。

 以上
novel926
ぼくが愛したゴウスト    打海文三著    中公文庫    2008年10月発行

これは、切ないお話でした。タイトルから想像される幽霊との恋愛譚ではありません。2007年に亡くなられた打海文三さんの作品、私にとって2冊目です。

お話は11歳の少年の成長物語ですが、そこには家族との別れ、友人との別離、国家機密、そして思いもしなかった人との生活、いろんなものが詰め込まれています。後半の展開も凄いですね。

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小学5年生の田之上翔太は、友人とガールズロックバンドのコンサートに都心まで出かけることに。ところが友人は待ち合わせ場所に現れない。

それでも、どうにかコンサートを見て、帰る途中の中野駅で人身事故。事故の様子を見ようと身を乗り出したところ、「ぼうず、見るな」と若い男に肩を掴まれる。

そして、遅く家に帰ると、家族がどうもおかしい。電話したはずの母は聞いていないと言い、みんな腐乱卵のような変な匂いがする。

駅で翔太を呼び戻した若い男が、翔太の周囲に現れる。

そこから、翔太の知っていた世界が変貌していきます。

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本当に切ないお話でしたね。家族は思い出を共有していても家族じゃないんでしょうか。翔太の孤独がよく伝わってきます。

これでは早く大人になるわけですね。自分の足下が崩れていく感覚とこの世界で生き抜いていくたくましさ。そして、翔太を支援してくれる意外な人たち。

小5の自分だったらどうするかなあと考えましたが、どう考えても翔太のようには生きられませんね。

一人ひとりが良くかけています。泣けて来ますね。
『やさしい訴え』 著:小川洋子

 ピアノらしき楽器を弾く白いパッチ姿の男と目を閉じて横たわる裸体の女。しかも女の胸元にはパッチ男の手が! さては女の「やさしい訴え」に便乗して人妻と知りながら手を出したのか?! あかんやろそれ!! おいおい犬が覗いとるで~・・・と表紙とタイトルから勝手な想像してしまった私ですが、なんとびっくり、このタイトルはラモーという作曲家がつくったチェンバロ曲でした。
 私はチェンバロの持つオルゴールに似た懐かしい響きが好きで、以前からよく聴いていたのですが、この曲は知りませんでした。さっそくYouTubeで探してみると、チェンバロ製作者兼演奏家と名乗るちょっとごつい雰囲気のおっちゃんが弾いてました。作中では物語のかなめとなるいくつかの場面で流れるのですが、とても柔らかい感じの良い曲です。興味のある方はぜひ聴いてみてください。

 あらすじ(・・・だいたい想像通りの展開だった)
 他所に愛人を作り、しかも酔うと暴力をふるう夫から逃れ、母の所有する山荘に隠れるように単身移り住んだ瑠璃子は、そこで近所に住むチェンバロ作りをしている新田氏とその女弟子の薫さんに出会う。新田氏も薫さんもそれぞれ過去に傷を抱えていた。三人は交流を深め、やがて瑠璃子は新田氏と肉体関係を持つことになるのだが・・・。

~主な登場人物~
日野瑠璃子:36才 ほぼ肉食系
新田氏:40代半ば ほとんど草食系
薫さん:30才前後 たぶん草食系
ドナ:新田氏に飼われている老犬

 登場人物には固有名詞があるし(主人公はフルネームまで!)、舞台となる場所はある程度特定できるし、日本の地名がいくつも出てくるので、この作者さん特有の無国籍ワールドを期待すると全体に漂う純国産品とも言える趣にちょっと肩透かしを食らいます。きっとドラマ化すると、冒頭のあらすじの通り、女二人と男一人が織りなすひと昔前の昼メロにしかならないだろうと思うのですが、そこはさすが小川洋子さん、ドロドロな三角関係に陥ることなく、高尚な愛の軌跡にまで昇華させる手際はすばらしい。文章の持つ力って偉大だなあ。

 獲物に食らいついたら離さない的な瑠璃子がちょっと疎ましく感じる時もあれば、彼女がこれまで置かれていた状況とひとり激情を空回りさせる様子が哀れで応援したくなる時もあります。鍵盤楽器ながらピアノと異なり、弦を弾いて音を出すチェンバロは、音量が小さく強弱をつけることもできません。そんな草食系のような楽器を製作し、奏でることのできる二人の間に紛れ込んだ異物のような瑠璃子は、まるで居場所を失った子供のようでもあります。この作品は主人公の瑠璃子が好きか嫌いかで評価が分かれる気がしました。

 そしてラスト。そのチェンバロの旋律は、冬の始まりとともに失われた主人公の恋のように静かな湖面に漂い続けた・・・な~んて書くと、ひとり孤独に立ち去っていく姿が浮かんで涙が溢れそうになるところですが、そんな見え透いた同情は瑠璃子の望むところではありません。そこはやっぱり肉食系、転んでもただでは起きませんでした。彼女はとっても素敵な置き土産を、二人の間に残して去っていくのでした(瑠璃子のそういうところが私は好きです)。
 
 いろいろ書きましたが、最後にひとつだけ。作中ではたくさんの美味しそうな料理といくつものチェンバロの名曲がながれます。いい音楽を聴きながら美味いものを食べる、これって人間の根源的で普遍的な、そしてもしかすると官能的ですらある至福の瞬間かも知れません。ぜひお読みになって、チェンバロ曲に興味をもっていただければ幸いです。
 
 以上
「横浜」をつくった男
高木彬光著
この小説は、幕末から明治初期にかけて横浜の近代化、文明化に大きく貢献した実業家・易学家高島嘉右衛門の破天荒な人間ドラマを描いた物語。
横浜の住民なので、高島嘉右衛門が日本で初めてガス灯の事業化を進めたことや高島町、高島町駅に名を残している程度は知っていた。しかしこの小説を読んで、彼の父親も含めて幕末の大名、明治の元勲達と渡り合う勇気を持ち合わせ、いかに時代の先を行くスケールの大きい仕事を進めてきたかを再認識させられた。彼の洞察力がなければ、そして横浜近辺の海面埋め立事業の着手がなければ、新橋横浜間の鉄道事業は決してうまくいかなかったと言っても過言ではなさそう。商売の手違いから投獄され、そこで学んだ易学にも卓越した能力を発揮して易聖と呼ばれるまでになった。日清戦争では三国干渉を予言し、日露戦争では戦争そのものを予言し、伊藤博文、山本権兵衛、東郷平八郎らの相談に応えたとの展開には、つい本当?と読み直すほど。
高木彬光は伝記ものもなかなか凄い、文明開化の時代を知るにはおすすめの作品です。
「定年オヤジ改造計画」 垣谷美雨
定年退職した庄司恒雄の、自画自賛で物語は始まる。
この出だしで、早くも不穏な雰囲気を感じる。
恒雄には恒雄の言い分がある。そのあたりが細かに描かれているので、逆に見事なまでのズレっぷりが際立ってくる。
夫が、妻が、娘が、息子が、嫁が、男vs女に分かれて、じんわりと静かにバトルを展開。
戸惑って、諦めて、呆れて、泣きそうになって。
はたして、女たちの反撃は成るのか?
自分に都合のいい思考法のオヤジ(に限らず、男たち)の行く末はどうなる?
雲行きは、男たちの自滅を暗示しているような情勢。

ゲームチェンジャーとなるのが、幼い孫たち。
人生初の子守を通じて、恒雄は、自身の誤りに気づき、少しずつ考え方が変化して行く。
と、当然に行動も変化する。
改造計画を、自ら自主的に成すに至り、家族との関係も良好になる兆しが見えてくる。
何とか、破滅の危機から脱出できそうだ。
シリアスでサスペンスな状態に振り切れそうな物語を、茶化し過ぎないユーモラスな筆致で描いていて、スイスイと面白く読める。
いかにも垣谷さんらしい。

私は、年齢的には同じ「オヤジ」に分類されるが、30数年間に渡り、つれあいと共に自営業を営んでいるからか、『定年オヤジ』の心境が実感しにくい。
その考え方や行動を、批判的に見ていることが多い。
とは言うものの、読んでいて、しばしば背筋に冷や汗が流れる感じがするのはナゼ?
恒雄の姿を笑ってばかりは居られんぞ。思い当たる節もある・・・
人の振り見て我が振り直せ。
ですな。
まなの本棚(小学館)芦田愛菜

芦田愛菜さんいえば、今や俳優であり大学生でもある素敵な女性に成長したが、私としては本当に幼く、それこそ「愛菜ちゃん」と世間から呼ばれているの頃からTVで成長を見守ってきた。読書家ということは知っていたので、この本は読む前から楽しみだったし、実際に幼い頃からの読書遍歴を楽しく読ませてもらった。
小さいころからの親御さんの絵本の読み聞かせ、小中学校の読書環境(読書に関して語り合える環境がすごい!)、今も忙しい中、ちょっとした時間でも読書をしたい、しようという姿勢。そして何より彼女の好奇心。それは、素敵な人間が出来上がるだろうな、というのが正直な感想。
私は今でこそ年間100冊以上本を読んでいるが、小さいころから高校くらいまで全く本を読まない子どもだったので、基本的な知識がないとか、大切な根の部分が抜けている、という劣等感を持っている。愛菜さんは、幼いころから絵本、図鑑、古典、日本文学、海外文学、現代もの、あらゆる分野に接して、何に関しても興味をもって読み続けて現代に至っている点、心から読書が好きで楽しみ、人間として成長していることが感じられて、とても微笑ましい。
この本の中に、IPS細胞の山中教授と愛菜さんが大好きな辻村深月さんとの対談があるが、この対談も愛菜さんならではの好奇心が垣間見えて、読んでいて楽しかった。
『君が手にするはずだった黄金について』
著 小川 哲   【新潮社】

2024本屋大賞にノミネート作品。

作家・小川哲が、自ら主人公の僕となって、多分これまでの体験や経験を基に描かれているエッセイのような物語。例によって、小川氏特有な難解な哲学的な表現で、プロローグは始まるが、その先からは、主人公の人生に関わってきた人々の『偽り』をモチーフに、人の性として『承認欲求』や『見栄』へと膨れ上がっていった人々の心理を読み進めていく。

同時に、作家自身も、虚構の物語を綴る事を生業としていることにも触れる中で、小説の生みの苦しみと偽物との違いにも、逡巡する姿が伝わる。

本作では、
●東日本大震災のあった前の日の3月10日の自分の行動を思い出せない、自分のモヤモヤを描いた…『三月十日』
●友人の妻を小説家になるように勧める占い師のインチキを暴こうとする、夫と僕の作戦を描いた…『小説家の鏡』
●80億の大金を動かすトレーダーになり、SNSでも話題となった、胡散臭い同級生を描いた…『君が手にするはずだった黄金について』
●一見、好感色ながら、ロレックスの偽物を腕に巻き付ける、僕を気に入ってくれた漫画家の嘘を描いた…『偽物』
●そして、クレジットカードを悪用されてその手続きに悪戦苦闘しながらも、新作短編に取り掛かる作家としての自分を描いた…『受賞エッセイ』

等の嘘を取りあげながら、そうせざるを得なかった者の刹那的な快楽、そして苦悩と悲哀が感じ取れる。また、そこに作家としての自分自身の立ち位置や社会的な役割を反映して模索している、小川氏らしい作品。
「夜果つるところ」恩田陸著

世の中には何度もテレビや映画で映像化されている小説がある。

映画で大ヒットして、数年後、主演俳優や監督を代えて新たに映画化されても、また話題作になったりする。

世代を超えて小説もまた読み継がれていく。

ところが反面、決して映画化する事が出来ない小説がこれまた存在する。技術的な問題ではない。

この小説はかつて3回映画化されようとした。だが3回が3回とも、撮影中に不慮の事故が発生して、中止となってしまったのだ。まさに呪われた小説だ。

それが謎の作家飯合梓(いいごうあずさ)の書いた、この「夜果つるところ」と言う小説である。

...と言う設定で

実際には恩田陸がこの「夜果つるところ」と言う小説と、もう一つ「鈍色幻視行(にびいろげんしこう)」と言う小説を刊行したのは、昨年6月である。

「鈍色」では、この小説に深い関心を持つ小説家、編集者、映画関係者たちが豪華客船に一同に集まり、この小説や作家に対する謎解きが始まる

...そうだ。まだ読んでへんけど🤣

恩田陸さんはここ数年、めちゃハマってる作家だ。めちゃ面白いと思う小説がいくつもあり、しかもジャンルがまた幅広い。

恩田さんはこの構造を「メタフィクション」への挑戦と読んでいる。

去年、10月くらいにこの2冊の小説の存在を知り、すぐ図書館で予約した。

大阪府25館の図書館に各1冊ずつあり、それぞれ連携しているのだが、ようやく昨日僕も手に取ることが出来た。

ちなみに「鈍色」の方はまだ96人の先客があり、多分、まだ当分は読めそうにない。

ちなみに「夜」は、リバーシブル仕様になって居て、カバーを裏返すと著者が「飯合梓」になってる。

出版社も集英社ではなく、「照隅舎」となっている。作者だけでなく、出版社も挙げての「メタフィクション」への挑戦。

おそらく2冊の独立した小説にも凝った伏線が張り巡らされているに違いない。

小説家としての筆力だけでなく、企画力でも並々ならぬ、恩田陸さんへ敬意を改めて深めた次第である。

#読書 #恩田陸 #夜果つるところ #鈍色幻視行 #ミステリ #ミステリー
『死刑にいたる病』 櫛木理宇

理想とかけ離れた大学で、充実感のない学生生活を送る雅也。彼の元に一通の封書が届く。差出人は、連続猟奇殺人犯として拘留されている榛村。24人の少年少女を監禁し、拷問したあげく惨殺。死刑を宣告され、現在控訴中の未決囚。

雅也の実家近くで、パン屋を営んでいた榛村は、人当たりも良く優しい顔立ちの青年。事件の犯人と知った時、近所の人がこぞって言っていたのは、「まさか、あの人が … 」

刑務所から出された手紙に興味を持ち、雅也は拘置所に面会に行く。榛村は訴える、「自分が犯したとされる殺人のうち、最後の一人は私が犯したものではない。冤罪だ。調べてほしい。」と...

榛村のサイコぶり、切れ者ぶりは、異常なレベル!
何を考えているか、底が見えない怪物が潜んでいる、キャラクターが強烈でした。

本の冒頭、デンマークの著名な哲学者キェルケゴールの「死に至る病」の言葉が引用されています。。

  「絶望とは、死にいたる病である」

この「病」を直すために、自分に絶望しないために、榛村は自分にとって大切なものを見つける。
それは、人をコントロールすること 人を殺すこと …。

「死にいたる病」を直そうとして、「死刑にいたる病」を患ってしまったのだ、と考えてしまいます。

白石和彌監督の映画も観ました。
シリアルキラーの凄まじさは「孤狼の血」に匹敵するほど強烈!
映画版オリジナルのラストもよかった、というか、怖っ!!

原作でも映画でも、雅也はじめ、弁護士や刑務官など、周りの人間が榛村にどっぷりと洗脳されていく。鉄格子の向こう側から、「病」を感染させ続け、その病が無くなることはないのだろう...とも、思ってしまいました ✤.
"埼玉で小料理を営む『藤原幸人』を襲った脅迫電話。
電話の主が店に現れた翌日、『娘・夕見』から遠出の提案を受ける。
その場所は…
新潟県羽田上村…
偶然にも『幸人』と『姉・亜沙美』の故郷であり、痛ましい記憶を封じ込めた地だった…"
        =一部裏表紙より=

毎年行われる新潟県羽田上村での祭り(儀式)、神鳴溝。
31年前の神鳴溝の時に起きた、『幸人』の母の不審死…
30年前の神鳴溝の時に起きた、毒殺事件、落雷…
時は経ち…
15年前に起きた、埼玉での事故…
そして
現在の脅迫電話…

これが、どう繋がっていくのか…

自分の頭の中で想像していた事が
「違うのか…」と思いきや、読んで行くうちに、「やっぱりそうだったのか❗️」と思いきや、またまた「えーやっぱり違うのー」と…
何度も何度も裏切られ、最後は私の思考回路を、見事外してくれました。

自分以外の相手への思いやり、優しさ、使命…などの度合いが大きければ大きいほど、感情は重くのしかかる…そして、それがエスカレートすると、取り返しのつかない事になる…

こう書きながらも、この物語の登場人物を悪く思いたくはありません。
(一部を省いてですが…)

そして…
人間の心理をついた、どんでん返しが、もう一つ…待ってます…

未読な方は是非、読んでいただきたい作品です。

「雷神」       
               道尾秀介