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関ヶ原での家康圧勝を決定づけた「一豊のひと言」 のちに驚愕の論功行賞を生んだ小山評定の舞台裏

三成に遅れを取った家康の行動とは(画像:NHK大河ドラマ『どうする家康』公式サイト)
NHK大河ドラマ『どうする家康』第41回「逆襲の三成」では、謀反の噂があった上杉を討つために家康が伏見城を重臣・鳥居元忠に預けますが、この2人の別れのシーンが話題になりました。第42回「天下分け目」では、家康と三成による大戦で諸将がどちらにつくかの趨勢が決まる小山評定が描かれます。その過程について『ビジネス小説 もしも彼女が関ヶ原を戦ったら』の著者・眞邊明人氏が解説します。
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徳川家康が上杉征伐のために諸将を率い出陣した隙を狙って、石田三成は挙兵しました。家康は、自分が留守の間に三成がなんらかの動きをすることは予想していましたが、毛利輝元と宇喜多秀家という五大老の2人までもを巻き込んで挙兵することは、おそらく想定外だったでしょう。

三成は前田玄以、増田長盛、長束正家ら豊臣三奉行を動かし、家康への弾劾状である「内府ちがひの条々」を全国の大名宛に送付します。これにより家康を反逆者とし、政権内でのクーデターを成功させます。このあたりの手際のよさは、有能な官僚である三成ならではのものです。

さらに三成は、三奉行を介して大坂や伏見にいる諸将の妻子を人質に差し出すよう命令を下し、続いて伏見城を預かる鳥居元忠に城の明け渡しを迫ります。

 

後手に回ってしまった家康

家康は、この段階では三成に先手を取られ後手に回りました。江戸にいた家康は上杉征伐を中止せず、そのまま会津に出陣します。これは7月19日のことで、三成の挙兵から1週間ほど経っていました。この行動には重要な意味があります。

会津征伐を中止したら、参陣していた諸将が大坂もしくは所領に戻って、三成につくかもしれません。そうすると家康は東西の敵を一手に引き受けることになります。それは家康にとって、どうあっても避けたい最悪の事態でした。

家康にしてみれば、会津征伐のための兵力をそのまま対三成に転用できるか否かの重要局面が訪れていたのです。ここで家康は会津征伐を計画どおり進めるという体で、諸将を小山に集め、軍議を開くことにしました。

小山での評定は家康にとって正念場でした。家康は、まず三成らのクーデターの正当性を徹底的に否定し、あくまで「三成の反乱」と位置づけます。そのうえで参陣している諸将に、その行動についての判断を任せると伝えました。これは賭けでもあります。

もしも、ここで三成側につく者が多数あらわれてしまえば、家康は完全に孤立するおそれもありました。しかし家康は、この賭けに勝つ自信があったようです。それは、家康自身が「有形の権威」だったからです。

三成は、クーデタ−によって政権を奪い取り、豊臣政権という「無形の権威」をもって諸将を味方につけようとしました。しかし結局のところ戦国武将は、実質的な得か力あるカリスマについていくものです。

三成の言うところの豊臣政権も、秀吉という「有形の権威」がいたからこそ成立したもの。家康に対抗する毛利輝元は、石高こそ家康に次いでいましたが、その実力は天と地ほどの差があります。

真田家は生き残るため別陣営に

さらには、反三成派の加藤清正や福島正則らの秀吉子飼いの武将にとっては、三成のクーデターの正当性など端から認められるものではありませんでした。そういう背景からも家康は、あえて寛容な態度を示すことで「有形の権威」を高める態度に出たのでしょう。そして、その狙いは見事に的中します。

この家康の発言に真っ先に福島正則が反応しました。参陣した諸将は次々と家康支持を表明します。例外として真田昌幸・信繁親子が陣を引き払い国元に帰る判断をしましたが、長男の信幸は、そのまま徳川方につきます。家康は、まず三成方に対抗する兵力を確保しました。

石田三成は鮮やかな手際で家康を逆賊という空気をつくりました(画像:NHK大河ドラマ『どうする家康』公式サイト)

福島正則の家康支持の発言はもちろん重要でしたが、多くの武将が正則と同じ考えでもありました。この正則よりも重要な発言をした武将がいます。

なんと自城を差し出した山内一豊

それが山内一豊です。一豊は秀吉配下の古参の武将で、このとき55歳でした。遠江掛川城主であった一豊は、小山評定に際して自身の掛川城を差し出すことを申し出たのです。この案は、そもそも一豊と旧知の堀尾吉晴のものであったのを一豊が自分の案のように申し出たという説もありますが、この申し出は激しく家康を感動させました。

これは、とんでもないことだったのです。城を差し出すということは、単に家康に味方するというだけでなく、いわば家康に臣従するという表明でもありました。一豊のこの申し出に東海道の他の諸将も追従します。彼らのほとんどは秀吉恩顧の諸将であり、これは事実上、家康が彼らの盟主となったことを示しました。

彼らは関ヶ原の戦いのあと、さかんに「新恩」という言葉で家康への忠誠を表現します。豊臣家には旧恩があるが、それと同等に家康には新恩があり、家康への忠誠は武将として当然だという論です。

このときの一豊の発言は、家康に臣従することで家康から恩を受けるという理屈を成立させたのです。これによって家康率いる東軍は一枚岩となり、この後、統制のとれた動きを取ります。

山内一豊が家康に差し出しを申し出た掛川城(写真:papa88/PIXTA)

ご存じの通り天下分け目の関ヶ原の戦いは、いわゆる東軍の圧勝に終わります。家康は戦後の論功行賞で、破った西軍諸将の所領だけではなく豊臣家の直轄領を削りに削って、大盤振る舞いします。自身は145万石を加増し、なんと400万石となりました。

小山評定において真っ先に家康支持を打ち出し、関ヶ原の合戦でも奮迅の働きをした福島正則には安芸広島49万8000石を与えるなど、東軍諸将に大幅加増を行います。その結果、豊臣直轄領は222万石から65万石に。実質的な天下は家康の手中に収まりました。

この論功行賞の中で意外な大加増を受けたのが、山内一豊でした。一豊は土佐一国20万石を与えられます。関ヶ原の合戦では山内軍は、南宮山の毛利・長宗我部の抑えについており、毛利・長宗我部軍が動かなかったため、さしたる働きもありませんでした。

戦功のない山内家の加増に周囲は驚きましたが、家康は「小山での一豊の申し出が我を勝たせた」と言って高く評価しました。家康にしてみれば、あの一豊の言葉で関ヶ原の戦いは勝ったも同然だったのでしょう。

その後の山内家

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一豊は、土佐に入りますが、その領国運営は至難を極めました。そもそも直前まで長宗我部家が治めていた場所であり、その気風も荒く、よそ者である山内家に強く反発します。

一豊は彼らの懐柔を試みるのですが、結果として頻発する反乱に厳しい態度で臨むことになります。これが土佐独特の、山内家に直参家臣である上士と長宗我部の家臣である下士という身分制度を生みました。

両者の対立は幕末まで続き、その下士から坂本龍馬や武市半平太があらわれます。そして彼らの殿様であった山内容堂は熱烈な徳川家への忠誠心を持ちながら、倒幕へと引き込まれていくという数奇な運命をたどることになるのです。

鳥居元忠、1800人で4万の軍を凌いだ苛烈な13日 関ヶ原の戦い前哨戦で命を賭して時を稼いだ忠臣

幼少期より家康に仕えた鳥居元忠は、何を願っていたのでしょうか(画像:NHK大河ドラマ『どうする家康』公式サイト)
NHK大河ドラマ『どうする家康』第40回「天下人家康」では、秀吉の政を愚直に追いかけ人心をつかめない三成は佐和山城に隠居することになり、家康が政の実権を握りました。第41回「逆襲の三成」では、家康は謀反の噂があった上杉を討つべく会津に向かうために、伏見城を鳥居元忠に預けることに。この家康の忠臣・元忠の生涯について『ビジネス小説 もしも彼女が関ヶ原を戦ったら』の著者・眞邊明人氏が解説します。

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鳥居元忠は1539年、鳥居忠吉の三男として生まれました。『どうする家康』では松平家譜代の家臣である元忠の父・忠吉をイッセー尾形さんが演じ、その息子・元忠(彦右衛門)は音尾琢真さんが演じています。

元忠は、家康が松平竹千代と呼ばれていた時代から側近として仕え、家康より3つ年上ゆえ幼いころの家康にとっては兄のような存在だったのかもしれません。

元忠は三男だったので本来、鳥居家を相続する立場にはありませんでしたが、長兄の忠宗が戦死、次兄は出家していたため、1572年に忠吉が死去すると家督を継ぐことになります。

家康の側近として主要な戦に

元忠は家康の側近として、姉川の戦い、長篠の戦い、高天神城の戦いなど、徳川の主要な戦いには、すべて参戦しました。

本能寺の変で織田信長が倒れ混乱に陥った甲斐・信濃をめぐって北条氏と対立した天正壬午の乱では、北条氏忠らを打ち破る武功をあげます。この功により武田家家臣だった小山田氏の旧領の支配を命じられ、この頃には元忠は徳川家臣団のなかでも軍団長のひとりとして家康から重用されていました。

その元忠の軍歴に傷がついたのは、1585年の第一次上田合戦です。上杉景勝に通じた真田昌幸を討伐するために、大久保忠世、平岩親吉とともに真田の居城である上田城を7000の大軍で攻めますが、老練な昌幸の防御戦の前に散々に打ち破られてしまいます。

この敗北は、当時最強と言われた徳川軍の惨敗として大きく喧伝され、真田昌幸の武名を大きくあげる結果となりました。

 

この後、家康は関白となった羽柴秀吉に臣従する決断を下します。家康は秀吉政権のナンバー2として、天下統一の仕上げとなる小田原攻めに参戦。その功により関東を与えられた一方で、三河をはじめとする領地は召し上げられることになります。

このことにより徳川家中は大幅な組織改編が必要となり、元忠も下総矢作城4万石を与えられました。元忠は徳川傘下の大名となります。家康は、秀吉から東日本の抑えとしての役割を与えられており、元忠はその要の役割を期待されていました。

秀吉の死後、家康の大勝負に命を賭ける

豊臣政権では、諸大名が国元を離れて大坂や京に詰めることが多く、家康もまた、その多くの時間を転封された江戸ではなく京や大坂で過ごします。

秀吉の晩年は、彼の念願であった明への進出が政策の中心となり、多くの大名は朝鮮への派兵を義務付けられましたが、家康およびその配下の大名は、外されていました。そのことが、家康にとって大きなアドバンテージとなります。

秀吉の死後、朝鮮出兵の戦後処理をめぐって、石田三成ら五奉行と、加藤清正ら遠征諸将の間で軋轢が生まれます。豊臣政権の行政を担っていた三成の「無形の権威」に対抗する形で清正らは、家康という「有形の権威」で対抗します。

家康はこのチャンスを逃さず、三成をてこにして、政権内の権力を一気に握ろうとします。かつて秀吉が織田政権を乗っ取ったときは、彼は織田軍団の中では末席で、まわりはかつての上司や同僚ばかりでした。

しかし、このときの家康は、その年齢、実力、かつては織田家と対等の同盟者であったという事実もあり、あっという間に権力を我が手に集中します。家康は秀吉と同じく、政権内での抗争から合戦を引き起こし、豊臣政権から徳川の政権への移行を画策します。

家康はあえて秀吉の遺言を無視する形で、周りを挑発します。さらには浅野長政、前田利長の謀反の噂を立てるなど、抗争を煽ろうとしますが、家康と他の大名との力の差があまりにも大きく、なかなか家康が望むような合戦にまでは発展しません。

石田三成は、家康から豊臣の天下を守るべく挙兵しました(画像:NHK大河ドラマ『どうする家康』公式サイト)

家康の挑発に乗った上杉景勝と石田三成

そんな中、ついに家康の挑発にのる大名が現れました。五大老のひとりである上杉景勝です。家康はすぐさま上杉征伐を決定し、その準備をはじめます。

1600年6月、家康は諸将を集め上杉征伐に出陣します。このとき家康の留守を任されたのが元忠でした。元忠は、伏見城の留守居役となります。手勢が3000人だったので、家康が兵を多く残せないと謝ると、元忠は、

「天下を取るためにはひとりでも多くの手勢を」

と言い、

「なにかあれば自分は討ち死にする覚悟ができている」

と告げます。

その言葉に家康は感涙し、ふたりは飲み明かし別れを惜しみました。このとき家康は三成の挙兵を見越し、元忠が討ち死にすることを予想していたと言われています。

もっともこの話に、どれほど信憑性があるかは疑わしいところがあります。なんらかの動きが留守中の大坂で起こる可能性は警戒していたのでしょうが、三成が挙兵することまでは考えていなかったように思います。おそらく何かを予感する程度だったのではないでしょうか。

4万の軍勢に囲まれても降伏せず

家康の予感は現実のものとなり、石田三成が宇喜多秀家、毛利輝元の五大老を巻き込んで挙兵します。三成らは、元忠のいる伏見城に殺到しました。元忠は降伏勧告を退け、13日間に及ぶ攻防戦を繰り広げます。

これは関ヶ原の戦いの前哨戦です。三成らの4万に対して、元忠らはわずか1800人で戦います。その勇猛な戦いぶりは、かつて元忠を苦しめた真田勢をも上回るものでした。

そして、のちの世で西軍と呼ばれる三成らにとっての最初の誤算は、この伏見城の攻防戦に13日間も費やしたことです。奇襲の日数的メリットをここで大きく失ってしまいました。

元忠は最後まで戦い抜き、鈴木重朝との一騎打ちの末に討ち取られます。享年62歳でした。

 

家康はこの元忠の死を悼むとともに、その戦いぶりを賞賛します。伏見城に残された血染めの畳を引き上げ、江戸城にある伏見櫓の階上に置きました。江戸城に登城する大名たちはつねに、この血染めの畳を頭上に見上げたと言われています。

この畳は明治維新での江戸城明け渡しまで設置され、その後、壬生藩鳥居家に下げ渡され、鳥居家によって丁重に、元忠を祀る精忠神社に埋納されました。また、畳の下の床板は「血天井」として、京都の源光庵などに今も伝わっています。

源光庵の血天井の足跡(写真:barman/PIXTA)

元忠の具足も今に伝わるものです。伏見城の戦いで元忠を討ち取った鈴木重朝は、元忠が着用していた具足を元忠の嫡男・忠政に形見として返還を申し出ます。しかし忠政は丁重に断りました。

「名誉とともに、ご子孫に伝えてほしい」と。

鈴木家はこの具足を家宝として大事に守っていくことにしました。この具足は現在、大阪城天守閣に寄贈されています。

家康にとってこの伏見城の戦いがいかに重要であったかは、その後の鳥居家の処遇に現れています。後を継いだ忠政は最終的には山形藩22万石を与えられました。父の元忠からなんと6倍の加増でした。

この後、鳥居家は何度かの改易にあいますが、いずれも取り潰しにあっても仕方ないところを「元忠の勲功」に免じて改易で済んでいます。

「徳川四天王」と比べると存在感の薄い感のある元忠ですが、徳川家にとっては特別な存在だったのです。

「どうする家康」小早川秀秋を演じるのは?12年ぶり大河で関ヶ原の戦いのキーパーソン


第42回「天下分け目」より嘉島陸演じる小早川秀秋 - (C)NHK

第42回「天下分け目」より嘉島陸演じる小早川秀秋 - (C)NHK

「どうする家康」真田父子登場!兄弟を演じているのは?

日向亘演じる真田信繁 - (C)NHK

 27日に放送された松本潤主演の大河ドラマ「どうする家康」(毎週日曜、NHK総合夜8時~ほか)第33回で、真田昌幸(佐藤浩市)とその息子・信繁(日向亘)、信幸(吉村界人)が初登場し、ネット上では歓喜の声で沸いた。

【画像】カッコ良すぎると大反響の佐藤浩市版真田昌幸

 第33回「裏切り者」は、家康(松本)の古参の家臣・石川数正(松重豊)をメインにしたエピソード。家康と手を結んでいた織田信雄(浜野謙太)が独断で秀吉(ムロツヨシ)と和議を結び、さらに秀吉が関白となったことから徳川は一気に劣勢に。秀吉は家康に上洛及び息子を人質として差し出すよう迫り、秀吉の臣下になるよう進言する数正と、秀吉と戦うべきとする本多忠勝(山田裕貴)や榊原康政(杉野遥亮)ら家臣たちとの間に亀裂が走るさまが描かれた。

 秀吉が家康を揺さぶる手段としてちらつかせたのが、かつて武田に仕えた真田の存在。昌幸は家康が独断で領地の沼田を北条に与えてしまったことを恨んでおり、徳川と揉めていることをかぎつけた秀長(佐藤隆太)が接触。「お手伝いできることがあれば何なりと……」と調略した。徳川との戦いでは信玄から受け継いだ権謀術数をもって圧勝。息子たちにひょうひょうと「(徳川の軍を)城内に引きずり込み封じ込めよ。皆殺しにせい」と告げる貫禄たっぷりの姿が「かっこよすぎる!」と注目を浴びていた。

 2016年の大河ドラマ「真田丸」でも親しまれた真田親子とあって、昌幸が登場するなりSNS上では「真田きたー!」と歓喜の声が続々。昌幸を演じる佐藤浩市は「鎌倉殿の13人」に続いて2年連続の大河出演。「鎌倉殿」では“武衛(ぶえい)”こと上総広常を好演。鎌倉殿のファンであれば誰もが記憶に刻まれているであろう第15回「足固めの儀式」で、源頼朝(大泉洋)の策略により無残な運命をたどっていただけに、1年経たずしての大河への“復活”に喜びもひとしおだったかもしれない。

吉村界人演じる真田信幸

 その父から不屈の精神を受け継いだ次男・信繁を演じるのは、「仮面ライダーリバイス」シリーズなどで知られる日向亘。2020年公開の映画『太陽は動かない』で6,000人を超えるオーディションを勝ち抜き、スクリーンデビュー。藤原竜也演じる凄腕エージェントの高校時代に抜擢された。今年1月期の日曜劇場「Get Ready!」では白瀬剛人(通称スペード)役で藤原と再共演。本多忠勝役の山田裕貴が主演を務めた4月期のドラマ「ペンディングトレイン-8時23分、明日 君と」では大人に不信感を募らせる医者志望の高校生を演じていた。

 のちに真田家存続のためと徳川との間で葛藤することになる長男・信幸に、『ジャパニーズスタイル/Japanese Style』『遠くへ,もっと遠くへ』『』など近年、映画主演が相次ぐ吉村界人。現在、監禁事件の犯人を演じる主演映画『海の夜明けから真昼まで』、「ナンバMG5」シリーズなどで知られる小沢としおの青春漫画を実写化する『Gメン』(高校生役)が公開中。放送中のドラマ「ハレーションラブ」では何者かによって殺害される大学の学生課職員を演じている。2018年に第10回TAMA映画賞最優秀新進男優賞を受賞した。

 なお、日向、吉村ともに本作が大河ドラマ初出演となる。(編集部・石井百合子)

「どうする家康」鳥居元忠役・音尾琢真、伏見城の戦いで「想像もしていなかった最期」

第42回「天下分け目」より音尾琢真演じる鳥居元忠 - (C)NHK

 松本潤が徳川家康役で主演を務める大河ドラマ「どうする家康」(毎週日曜夜8時~NHK総合ほか)で、“三河武士の鑑”とも呼ばれる家康の忠臣・鳥居元忠(彦右衛門)を演じた音尾琢真。2015年放送の「花燃ゆ」以来8年ぶり、3度目の大河ドラマで約1年をかけて同役を演じた音尾が、クランクアップを迎えた心境や、退場回となった第42回の裏側、劇中で苦楽を共にした徳川家臣団を演じたメンバーとの絆を振り返った(※ネタバレあり)。

【画像】伏見城の戦い、鳥居元忠の名場面集

 音尾が演じた鳥居元忠は、鳥居家代々の家訓に従い、人質時代から家康に付き添い、生涯を通じて主君を守り続ける徳川一筋の忠義者という設定。とりわけ秀吉(ムロツヨシ)が天下をとった以降は、石川数正(松重豊)、大久保忠世(小手伸也)、酒井忠次(大森南朋)ら複数の家臣たちが出奔、死などさまざまな理由で姿を消していった。音尾は、クランクアップを迎えた気持ちを「次々と他の家臣団がアップしていったので、いつか自分もと思ってはいましたが、いざ迎えてみるとやっと抜け出せたような、寂しいような……。長いこと撮影していましたので、本当に終わったんだろうかと、実感が持てず不思議な気持ちです。でもこの作品に参加できて良かったなと、しみじみ感じております」と“ロス”を告白する。

 元忠と言えば、第36回「於愛日記」では元武田の間者で長らく姿を消していた千代(古川琴音)を匿っていたことが判明し、突然のことで視聴者を驚かせた。千代は家康の妻・瀬名(有村架純)の死にもかかわりがあり、もともとは徳川と敵対する関係にあったが、家康は元忠と千代の関係を認める決断を下した。音尾自身、台本を読む前の段階では「はいつか寝首をかかれるのかなと想像していた」という。

 「役について学ぶ中で、武田家の女性をちゃっかり自分の奥様にしていたというエピソードは知っていたので、今作でも描かれるのかなと気にはなっていました。結果的に千代さんを妻にするという思いもよらない形で描かれました。当初は想定されていなかったそうですが、ある日突然、監督から“千代と結婚することになりそうなんですけど、彦さんどうですか”“武田の女性を見つけ出して妻にしたという言い伝えとジョイントした形にはなるんですけど……”と言われました。相手がまさかの千代ということで、台本を頂く前はいつか寝首をかかれるのかなと想像しましたが、いざ台本が完成すると、彦さんはOKだけど周りの皆が反対するという形。なるほど、と思いました。このエピソードを描いてくれて良かったなと思いましたけれど、これは千代人気が高かったから再登場させたんじゃないか!? と個人的には訝しんでおります(笑)」

第41回より、家康と元忠が杯を交わしたシーン

 10月29日放送の第41回では、上杉景勝(津田寛治)ら豊臣派との決戦を前にした家康が、元忠に伏見城の留守を任せる場面が描かれた。家康と元忠が言葉を交わす最後のシーンとなり、音尾と松本の涙ながらの演技が視聴者を揺さぶった。撮影前の段階から「これは泣けるな」と松本と通じ合っていたそうだが、音尾は本シーンをこう振り返る。

 「事前に台本を読んでいる時点では、お互い涙する場面なのかなと想像はしつつも、泣けるのかな……一気にそこまでいけるのかな……と一人で考えていました。でも殿と予め読み合わせをして、目を見た時、『これは泣けるな』とすぐに分かりました。殿にもそう伝えると、『俺もやばい、泣く場面のもっと前から泣きそうでどうしよう』と言っていまして(笑)。戦のない太平の世を成し遂げるまでは涙の別れはしない、という思いでやっていたと思いますが、すぐ泣きたくなっちゃうらしいので。あの撮影の間、殿も泣かないように頑張っていたそうです。この作品を振り返ると、改めて殿って本当によく泣くなと思います(笑)。お芝居の中ですけど、松本潤という人は感情がピュアでよく泣けるというか。ストーリーの中にすっと入って涙を流される方で、いつもすごいなと思っていました。それがこのシーンでも、現れていたと思います。単純にセリフとセリフをぶつけ合うのではなく、役としての気持ちと気持ちの交換がきちんと出来る人なんだなと思っていました」

第42回、伏見城の戦いで千代(古川琴音)と

~以下、第42回のネタバレを含みます~

 5日放送の第42回「天下分け目」では、「関ヶ原の戦い」の前哨戦とも呼ばれる「伏見城の戦い」が展開。家康に伏見城を託された元忠が宇喜多秀家(柳俊太郎)らが率いる西軍にわずかな軍で立ち向かい、奮戦のすえ最期を迎えた。音尾は元忠の最期を「幸せでしかない時間だった」と振り返る。

 「伏見城の戦いと言えば、“血天井”をご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、配下の皆さんとともに戦い抜いて死ぬ、古風な時代の男らしさというか。壮絶で孤独なにおいがするイメージでした。でも今作では千代さんが側にいるので、妙に幸せなムードもあるというのが新しいなと思いました。伏見城で千代と最後に言葉を交わすシーンで、僕は遠くを見ていました。そのシーンの撮影後、監督から『あれはどういう表情だったんですか。殿を思っていたんですか』と聞かれましたが、改めて振り返ると『違うなぁ』と思って……。武士として殿のために死ねるというだけで幸せなのに、隣をみたら千代がいて最期まで一緒にいられて更に幸せで。元忠さんにとっては、本当に幸せでしかない時間だったのかなと思いました。撮影が始まった頃には全く想像もしていなかった最期になりました。元忠さん一人で最期を迎えていたら、もっと混沌とした空気になっていたんじゃないかと思いますし、従来の戦国作品であればこういう描き方にはならないと思いますが、まだまだ幸せが続きそうとさえ思えるような、『どうする家康』ならではの新しい描き方になっていて良いなと思っています」

 そして、石川数正、大久保忠世、酒井忠次、榊原康政(杉野遥亮)、本多忠勝(山田裕貴)ら徳川家臣団と過ごした日々を「家臣団メンバー皆が、クランクインしてからずっと変わらず持ち続けていた共通の思いがあると思っていて。それは、役として徳川家康という人を支えたいし、役者として松本潤さんという人を支えたいという気持ちです。それを、一人ひとりが、それぞれのやり方で実行してきたという感じがします。誰もが自分勝手じゃなくて。自分が“こうしたい”“こう魅せたい”ということよりも、何より殿を支えたいという気持ちを持って作品に参加していたと思うので、それが素晴らしいし、良いチームだったなと思っています」と振り返った。

(編集部・石井百合子)

「どうする家康」佐藤浩市への“じいじコール”に涙 謎の口パクも話題

じいじ~! - (C) NHK

 松本潤が主演を務める大河ドラマ「どうする家康」(日曜、NHK総合・午後8時~ほか)第42回(11/5放送)で、佐藤浩市ふんする真田昌幸と孫のエピソードが泣けると話題になっている(※一部ネタバレを含みます)。

【写真】恐るべき茶々…第42回(10枚)

 「天下分け目」と題した第42回では、関ヶ原の戦いを前に、敵対する家康と三成(中村七之助)が着々と準備を進めるさまが描かれる。その中で、三成側についた昌幸は、家康側についた長男・信幸の沼田城を訪ねる。主が留守のため、信幸に嫁いだ本多忠勝(山田裕貴)の娘・稲(鳴海唯)が対応するが、しゅうととはいえ敵味方に分かれた間柄であるため、「ここから先は一歩も通しませぬ!」と入城を断固拒否した。そんな勇ましい嫁の姿に「さすが、本多忠勝の娘じゃ」と感心しつつも、どうしても孫たちに会わせてくれと頼む昌幸。

 4人の幼い孫たちと柵越しの対面を果たすが、近くに行こうと馬を降りようとする昌幸に対し、稲は「降りてはなりませぬ!」とぴしゃり。さみしさと愛おしさが混じったような眼差しを孫たちに向け、何も言わずに去っていく昌幸。

 そんな昌幸の背中越しに響き渡る、孫たちの「じじ様~!」「じいじ~!」の声が切なく、SNS上では「じいじコールが泣ける」「いつの時代も孫は可愛いよな……。」とじいじと孫のやり取りに涙したという声が多く寄せられた。

 さらに、孫たちに声を掛けなかった昌幸だが、去り際に口パクで何か言っている様子だったことから、「何て言った?」と気になる視聴者が続出した。「『また来る』と言っていたと思われる」「何となく三文字っぽかった?」「『あっぱれ』かな?」「『またな』かな」など、昌幸の気持ちになって、何と言ったか想像する声が相次いだ。(今井優)

「どうする家康」本多忠勝の娘を演じているのは?父そっくりなキャラ話題

第36回「於愛日記」より、本多忠勝(山田裕貴)と娘の稲(鳴海唯) - (C)NHK

 24日に放送された松本潤主演の大河ドラマ「どうする家康」(毎週日曜夜8時~NHK総合ほか)の第36回では本多忠勝(山田裕貴)の娘・稲(鳴海唯)が真田に嫁入りを迫られる事態となり、稲の“父譲り”なキャラクターが注目を浴びた(※一部ネタバレあり)。

【画像】そっくり!本多忠勝&稲、父娘

 稲は、17日放送・第35回「欲望の怪物」で初登場。家康(松本)の家臣で「生涯戦うこと57回、かすり傷一つ負わない」との逸話の残る戦国最強武将の一人である本多忠勝の娘。父に似て頑固で肝がすわっている。第36回「於愛日記」では、北条と真田の領地を巡るいざこざに頭を痛めていた家康が、真田昌幸(佐藤浩市)から北条に領地を渡す代わりに徳川の姫が欲しいとの交換条件に四苦八苦。年頃の娘をもたなかった家康は、忠勝の娘・稲を養女にして嫁がせようとするが、稲は「真田は好きではない」と言い、父と共に断固抗う。

父譲りで頑固な稲

~以下、第36回のネタバレを含みます~

 幼いころより父から武芸をたたきこまれ、父を組み伏せてしまうほど“たくましく”成長した稲。そんな折、かつて武田の間者で家康の妻・瀬名(有村架純)とかかわりのあった千代(古川琴音)が鳥居元忠(音尾琢真)にかくまわれている事実が発覚。忠勝は千代が真田の間者であると信じて疑わず、一層娘を手放すことを拒否し、元忠の家に押し入る始末。

 一方、家康は千代と対面すると「処断されるか、再び忍びをさせられる」という元忠の懸念とは裏腹に、かつての因縁を水に流し「幸せになることは生き残った者の務めだとわしは思うぞ」と、忍びの過去を捨て元忠の妻になるよう千代に命じた。さらに、家康に助言した於愛(広瀬アリス)の「わたくしはただ、人の生きる道とはつらく苦しいいばらの道。そんな中で慕い慕われる者があることがどれだけ幸せなことか。それを得たのなら大事にすべきと思うまで」との言い分を聞いていた稲は態度を一変。それでもなお千代が真田の忍びである疑いは拭えないと駄々をこねる父を「彦殿(元忠)が(千代に)寝首をかかれたら、私は真田親子の寝首をかきます。それでおあいこ」「夫婦をなすのもおなごの戦」「本多忠勝の娘としてその名に恥じぬよう、立派に務めを果たしてまいります」と諭した。

 父・忠勝を組み伏せてしまうシーンではそのやんちゃぶりで「平八郎そっくり」「強い!」と沸かせていた稲。終盤、毅然とした態度で自身の宿命を受け入れる姿にネット上では「立派じゃ!」「素敵」「かっこいい」「確実に忠勝パパの血を受け継いでいる」と絶賛の声が相次ぐ一方、娘を手放す寂しさに男泣きする忠勝が「可愛すぎる」と沸いていた。

 稲を演じる鳴海は、本作で大河ドラマ初出演。2018年公開の映画『P子の窓』で女優デビュー。2019年放送の連続テレビ小説「なつぞら」で注目を浴び、くしくも同作では山田と義理の兄と妹という設定で共演していた。2021年には主演映画『偽りのないhappy end』が公開。2022年にディズニープラスで配信された燃え殻原作のドラマ「すべて忘れてしまうから」では、主人公(阿部寛)の行きつけのバーのアルバイト、ミトを好演。今年8月にはファースト写真集「Sugarless」が刊行された。10月には舞台「あの夜であえたら」が控えている。(編集部・石井百合子)

【来週11月12日のどうする家康】第43話 ついに関ヶ原!三成も“タイトル回収”3人目にネット沸く


大河ドラマ「どうする家康」第43話。ついに天下分け目の「関ヶ原の戦い」。石田三成(中村七之助)は…(C)NHK

大河ドラマ「どうする家康」第43話。ついに天下分け目の「関ヶ原の戦い」。石田三成(中村七之助)は…(C)NHK

「どうする家康」井伊直政役・板垣李光人、本多忠勝と異なる熱さ表現 「平八郎が炎なら直政は氷」

第43回「関ヶ原の戦い」より板垣李光人演じる井伊直政 - (C)NHK

 松本潤主演の大河ドラマ「どうする家康」(毎週日曜夜8時~NHK総合ほか)で“徳川四天王”と呼ばれる家康の側近たちの一人、井伊直政(万千代)を演じた板垣李光人が、直政の歩みや“座長”松本との共演を振り返った(※ネタばれあり、第43回の詳細に触れています)。

【画像】井伊直政、関ヶ原の戦いの勇姿

 大河ドラマへの出演は2015年の「花燃ゆ」(吉田松陰の少年期)、2021年の「青天を衝け」(徳川昭武)以来、3度目、2年ぶりとなった板垣。「どうする家康」で演じた直政は、井伊家の御曹司で頭の回転が速く、女性にモテる男。一方でプライドが高く、思ったことをすぐ口にしてしまってトラブルを引き起こす一面も。初登場は4月23日放送の第15回。信長の命を受け、遠江を鎮めるために引馬城(浜松城)に移るべく遠江にやってきた家康に、直政(当時は虎松)が女性を装って斬りかかった。しかし、家康は直政を不問にし、第20回では家臣に加えた。


 初登場シーンでは板垣の“美少女”ぶりも話題を呼び、秀吉(ムロツヨシ)の母・仲(高畑淳子)もとりこになった一人。人質として徳川家に送られた際には直政にくびったけとなり、直政もまんざらではない様子だったが……。板垣は直政の歩みをこう振り返る。

 「ほとんどの家臣団は第1回から登場していましたが、直政(当時・万千代)は第15回からの登場でした。そして徳川四天王の中では酒井忠次(大森南朋)さんの次に早く亡くなるので、物語にスピード感があって、短い時間で人生が濃密に描かれていたなという印象です。“赤鬼”とも呼ばれていたように、戦においての功績が目立ちやすい直政ですが、彼の魅力はそれだけではないと思っています。例えばドラマの中でも仲(高畑敦子)さんとのエピソードで描かれたように、物事を有利に運ぶためなら戦略的に人間関係を築いたりする一面も。そういう知的なところも魅力的だなと思っています」

 役を構築する上で意識したことについては、同じく徳川四天王の一人で山田裕貴が演じる本多忠勝(平八郎)とのキャラクターの差別化だったというが、思わぬ気づきが突破口になった。

 「血気盛んという面では平八郎とも近いところがあると思いますが、違う“熱さ”をどう表現できるかは当初悩みました。でもある日、家臣団が揃っているシーンを現場のモニターを確認していた時に、僕一人だけ異様に白くて、ちょっと異質さを感じまして(笑)。それを見た時、『あ、これだ!』と思いました。史実でも部下からすごく恐れられていたというのが残っているそうですが、特に小牧長久手の戦いのあたりからは、平八郎が炎の熱さだったら、直政は氷のような。どちらも近付くのが怖いけれど、その方向性が少し違うというイメージを持って演じていました」

 織田信長の息子・信雄(浜野謙太)を擁する家康と、秀吉が激突する「小牧長久手の戦い」が展開された第32回では、直政が真っ赤な甲冑を着用し、武田兵を率いる勇姿が注目を浴びた。本シーンは、板垣自身にとっても印象に残っているという。

 「第32回で殿と本多正信(松山ケンイチ)と3人のシーンがあり、そこでさらっと『武田の兵をまとめられるか』と殿から言って貰えた訳ですが、戦国の世を生きて殿(家康)に仕える者としてすごく光栄なことですし、一人の武将として力を認めて貰えたというのが実感出来るシーンだったので印象に残っています。実際に鮮やかな陣羽織と真っ赤な甲冑を着用し、武田の残党を率いて声を上げるシーンは、これまでの直政の人生を思うと感慨深かったですし、僕自身の高揚感も重なったように思います。でも甲冑はかなり重みもあるので、撮影で1日中着用していると地面に沈んでいくような感覚になりました(笑)」

第43回より家康(松本潤)と直政

 12日放送の第43回では、天下分け目の戦いと言われた「関ヶ原の戦い」のエピソードが描かれ、直政が負傷。家康に介抱される場面があった。調略戦で石田三成(中村七之助)を追い詰め戦を制した家康を、直政はこれまでにない笑顔を浮かべ、涙ながらに「ついに……ついにやりましたな。天下を取りましたな! 信長にも秀吉にもできなかったことを殿がおやりになる。これから先が楽しみだ」と称えた。家康役の松本との共演については「基本的にどのシーンにおいても、気持ちの先にいるのは常に殿なので。殿あっての家臣団だし、殿のために我々は動く、というのはずっと軸にしていました」と板垣。撮影現場では、アーティストとしての経験も積んだ松本ならではの手腕に圧倒された様子だ。

 「松本さんと芝居をさせていただいて『やっぱり凄いな』と思っていたのが、撮影時に“ステージング”にも拘られていたことです。こう見せて、こういう動きを付けたらどう? とか。それが映像になった時にどう見えるかというところまで計算して、作品全体のことを考えてリハーサルで意見されている様子を見て、いつも凄いなと思っていました。アーティストとして様々なステージに立たれて、更に芝居の経験も積まれていて、両者を経験されているからこその視点なのだろうと思います。その作品のテイストや周りの役者さんの空気感を踏まえて自分が役としてどう立ち回るべきかということであったり、自分のキャラクターの付け方であったり……それはいつも意識していますが、ステージング的なところや魅せ方、このシーンでどういう動きがあれば効果的かというところまではなかなか考えが及びません。自分にはハードルが高いかなと思いつつも、松本さんの背中を追いかけたいと思える一面でもあります」と、劇中の直政さながらに松本へのリスペクトを表した。(編集部・石井百合子)

「どうする家康」茶々の“ご褒美ビンタ”に戦慄 「ラスボス感すごい」

第43回より茶々(北川景子)と毛利輝元(吹越満) - (C)NHK

 12日放送の松本潤主演の大河ドラマ「どうする家康」(毎週日曜夜8時~NHK総合ほか)第43回では、放送前から期待が寄せられていた「関ヶ原の戦い」のエピソードが描かれ、北川景子演じる茶々の凄み漂う“ビンタ”に戦慄の声が上がった。

【画像】関ヶ原の戦い名場面集

 第43回「関ヶ原の戦い」では、家康率いる東軍と石田三成(中村七之助)率いる西軍、合わせて15万の軍が激突する大決戦が描かれた。三成、真田らの策略により家康の息子・秀忠(森崎ウィン)率いる主力軍が遅れ、西軍に圧倒的な兵力の差をつけられていた家康たち。しかし、もはや百戦錬磨の家康は動じることなく、調略戦によって三成を追い詰めていく。

 これまでも秀吉(ムロツヨシ)の臨終シーンなどで度々視聴者を震え上がらせてきた茶々。第43回では二度にわたって戦慄のシーンが展開。初めが家康の側室・阿茶局(松本若菜)が死を覚悟で茶々のもとを訪れたシーン。徳川の調略はかなり進んでおり、秀頼はこの戦に関わるべきではないと進言する阿茶局に、茶々は「身の程をわきまえよ!」と怒号を飛ばし、「帰り道には気をつけよ」と凄んだ。余裕の笑みを浮かべつつも沸々と怒りをたぎらせる茶々の姿にSNSでは「ひょえええ怖」「茶々怖すぎる」「女の戦い、怖すぎて泣いた」などと悲鳴が上がった。かつて茶々と対峙した際には表情を崩さなかった阿茶局も、帰途につくなり「ああ…おっかないおなごだわ…」と青ざめるほど。

 二度目が、三成の敗北を知らされたとき。西軍総大将の毛利輝元(吹越満)に「機を見誤るなよ」と圧をかけていた茶々だが、戦はあっという間に徳川が逆転。輝元はこんなに早く勝負がつくはずがないと慌て、「三成じゃ、やつがしくじりおったのじゃ!」と責任転嫁しようとすると、茶々は無言で近寄り強烈なビンタをお見舞い。「そなたを頼ったわたしの過ちよ。去れ!」と怒りをあらわにした。この一部始終に、「ビンタでご褒美」「こわ」「茶々様、ヤバい」と仰天する声のほか、「ラスボス感すごい」「ひゃー、かっこいい!」などその“勇姿”に絶賛が相次いだ。

 なお、北川は茶々とその母・お市(織田信長の妹)の一人二役を演じているが、第19回「お手付きしてどうする!」ではお市が秀吉を平手打ちするシーンがあり、「(浅井)長政殿とともにご自害されておったら、わしの首が飛ぶところでごぜぇましたわ」と近づく秀吉に対し、「気安く触れるな、猿!」と凄んでいた。(編集部・石井百合子)

「どうする家康」山田裕貴、序盤のアドリブがカギに 台本を超えた瞬間振り返る

第43回「関ヶ原の戦い」より山田裕貴演じる本多忠勝 - (C)NHK

 松本潤主演の大河ドラマ「どうする家康」(毎週日曜夜8時~NHK総合ほか)で徳川家康(松本)の家臣たちの中でもとりわけ強い猛将・本多忠勝(平八郎)を演じた山田裕貴。黒の面頬に蜻蛉切(忠勝が戦場で愛用したという槍)という出で立ちも反響を呼んだ山田が、本キャラクターの裏側や、松本との共演について語った。

【画像】「どうする家康」関ヶ原の戦い名場面集

本多忠勝の人柄は衣装にも表れている

 大河ドラマへの出演は2017年の「おんな城主 直虎」(井伊家の家老・庵原助右衛門朝昌役)以来、約5年ぶり、2度目となる山田。演じる忠勝は、ドラマの公式サイトのキャラクター紹介には「生涯戦うこと57回、かすり傷一つも負わないといわれる戦国最強武将のひとり」とある。約1年半にわたって演じた忠勝について、山田は「人のことを思える人」だと評する。

 「衣装として身につけているものなども含めて感じられたのは、忠勝は助けてくれた人に対して、ものすごく敬意を持っているし、人のことを思える人だということ。例えば、肖像画にもあるように忠勝の冑には鹿の角がついていますが、家康、忠勝には戦のなかで道に迷った時に、鹿に導いてもらったという逸話があります。数珠は、自分が殺した人、あるいは失った人たちの命を背負って戦うという意味合いがあるらしく。そんな人なんだというのは、初回から頭に置いていました」

ようやく頼ってくれた“殿”松本潤に感激

第43回より忠勝と家康(松本潤)

 忠勝は初回から常に家康の側に構えていたが、山田自身「どのように忠勝は殿の隣にいたんだろうっていうことだけを考えていた」と振り返る。12日放送・第43回では、家康率いる軍が石田三成(中村七之助)の軍と激突する「関ヶ原の戦い」が描かれた。その時に家康を一番近くで守っていたのが忠勝だった。天下分け目の戦いと呼ばれる激戦だが、本シーンでの忠勝を山田は以下のように振り返る。

 「実は、関ヶ原の地にいた昔からの徳川派の武将って忠勝と井伊直政(板垣李光人)だけなんですよ。福島正則(深水元基)、黒田長政(阿部進之介)、藤堂高虎(網川凛)が前線に張っている。彼らはみな元豊臣派だったのでもし彼らに裏切られたら総崩れとなってしまう。最初は、忠勝は前線にいるものだと思っていたんですけど、実は一番殿の近くにいた。おそらく、それは殿が福島たちに裏切られた時に守れるよう布陣していたんじゃないかと。ただ、シーンとしては思いを吐き出す場面があまりなかったので、佇まいだけで感情を見せなければいけない難しさがありましたが、忠勝にとって殿の命が一番で、この戦いで自分は死んでもいいと思っている、といったことを考えていました」

 劇中、主従関係の設定で共演した松本とはプライベートでも親交が深く、山田がパーソナリティを務めるラジオ番組「オールナイトニッポンX」で、松本が山田の誕生日を祝福してサプライズ出演することもあった。松本との関係について山田は「プライベートと撮影現場にいる時の自分たちは全く違う」と話す。

 「殿に何かあったら寄り添っていようという姿勢は貫いていました。例えば、松本さんから何かを聞かれたら真剣に考えて答えようとか。本当に家康と平八郎みたいな感覚で現場にいましたけど、一度だけ、松本さんが“この言い方さ、もっとこう言った方がいいかな”ってぽろっと聞いてきてくれたことがあって、“救われた”と思いました。“よかった、やっと頼ってくれた”と。すごく嬉しかったです」

序盤のアドリブが役づくりの手掛かりに

 初回で若かりし家康(松平元康)が大高城に家臣を残して逃走した際、力ずくで連れ戻したのが忠勝だった。主君・今川義元(野村萬斎)が討ち死にしたうえに織田軍が迫り、恐怖に耐えきれなくなった家康。忠勝は海で家康を見つけるなり槍を手に追い詰め、「恥ずかしくないのか!」「主君などと……俺は認めぬ」と怒号を飛ばした。そこから月日は流れ、徳川と豊臣軍の対決「小牧・長久手の戦い」の前夜を描いた第31回「史上最大の決戦」では、家康の逃走劇はもはや笑い話となっていた。忠勝はここでも「今もまだ認めておりませぬが。天下をお獲りになったら、考えてもようござる」と憎まれ口をたたいていたが、かつての意味合いとは全く異なる。山田は「種明かしをすると、第2回ですでに忠勝は家康のことを認めています」と話す。

 「これは台本に描かれていたのではなく、僕が演出の方に提案させていただいたことなんですが、大樹寺で殿が家臣たちを助けるために腹を切ろうとしたとき、“虎の目”を宿した忠勝が殿の目を見て1歩下がっているんです」

 “虎の目”というのは、家康が幼いころ信長(岡田准一)に「白兎」と呼ばれ、いたぶられていた日々の中で、ある時“竹千代は兎ではない! 虎なんじゃぞ!”と牙をむいた回想シーンで登場したもの。その際、信長は「そうじゃ、その目じゃ」と家康の勇気を称えた。その時の気持ちを思い出した家康が、“虎の目”になったという流れだ。

 「その後、今度は大樹寺に隠れていた殿が門を開けて松平昌久(角田晃広)に宣戦布告し、“そなたたちのことはわしが守る!”と言い放つところでも、忠勝が1歩下がっています。それ以降は信長が来ようと、信玄(阿部寛)が来ようと引き下がるまいと決めていました。その時点で“俺を1歩退かせたのはこの男しかいない”と忠勝が家康を認めていることにしようと。だから忠勝は口で“認めていない”って言っているだけなんです」

 なお、キーとなったセリフ「主君などと……俺は認めぬ」は、第1回のラストで山田がアドリブで口にしたことも。迫りくる織田軍にガタガタ震える家康に、家臣たちが口々に「どうする殿!?」と指示を仰ぐ場面。忠勝は台本上では「……」だったが、山田が「俺は……認めぬ」と口にしたところ、そのまま使われたという。山田は「台本を超えた瞬間から、ようやく役を生きることができたと感じられる」「思ってもみなかった感情になる瞬間が面白い」と思い出深い瞬間を噛みしめていた。

 取材時はクランクアップ前日だったが、山田は「武士としてまだ戦っていたいという気持ちと、引かなければならないという思いがグルグルしていて……。僕自身は引き際がわかっている武士の方がかっこいいと思っている。だけど、殿に感化されて、もっと戦いたいと思ってしまっている忠勝の武士としての部分が拮抗しています」と吐露し、忠勝役への思いの丈をうかがわせた。(編集部・石井百合子)

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コメント: 8
  • #1

    名無し (月曜日, 06 11月 2023 13:11)

    前半、中盤と脚本家として描きかったのだろうけど、瀬名との絡みが長すぎました。結果、戦なき世と結びつけたかったのでしょうが。。。
    後半が足早すぎますし、家康がこれより修羅の道と言った割には、鎌倉殿のような演出は見られません。。。
    葵徳川三代までとはいかないまでも、関ヶ原の戦いの演出は期待してます。

  • #2

    名無し (月曜日, 06 11月 2023 13:12)

    中村七之助さんが演じる石田三成は、好演だと思う。

    もっと登場シーンを増やしてほしい。
    終盤だから作品が締まると思う。

  • #3

    名無し (月曜日, 06 11月 2023 13:12)

    主演の松本潤さんから落ち着いたトーンのシーンでは家康の重厚感があって好演だと思う。一方で声を張るシーンではどうしても松本潤さんの年相応の若さが感じられる。

  • #4

    名無し (月曜日, 06 11月 2023 13:13)

    茶々が天下を取るつもりなら、秀頼に西軍総大将に就けるべきだし。
    最低でも千成瓢箪を三成に与えるべきなのに何もせず、西軍大将毛利輝元を城内に入れてるんだからどう考えても西軍寄りなのにいざとなれば三成を切り捨てた。タダの女で天下を切り盛りする器量なんてないでプライドは高かったみたいだけど。

  • #5

    名無し (月曜日, 06 11月 2023 13:14)

    前回の景勝陣営で、
    新たに城を築くとするなら、
    ってセリフがあったけど、
    あれが後の
    一国一城
    につながるのかな。

    伏線にタイトル回収、
    脚本家って
    自然な流れにするために大変な作業しているんだね。

  • #6

    名無し (月曜日, 06 11月 2023 13:14)

    真田昌幸を描いてる意味がイマイチわからない展開。
    多分スケジュールの都合だろう。
    いろいろ切り取り入れてるけど。

    関ヶ原から大坂の陣までも早そう。

  • #7

    名無し (月曜日, 06 11月 2023 13:15)

    「葵徳川三代」の関ケ原は
    相当お金をかけていて見事
    だったけど、それ以降はも
    うひとつ。
    お金たくさん使ってエキス
    トラを大量に雇って撮って
    欲しいな。

  • #8

    名無し (月曜日, 06 11月 2023 13:16)

    この大河ドラマって時間感が変。今の時代のテレビ中継並みに即座に情報が手に入る感じ。見えない、わからない中で推測し生きていた当時を無視してすぐに情報が入る感が変