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ママになった元男性 離婚、自殺未遂経て見つけた新しい家族の形

48歳で性別適合手術を受け、改名した今西千尋さん=京都市で2023年10月28日午前9時10分、北出昭撮影
48歳で性別適合手術を受け、改名した今西千尋さん=京都市で2023年10月28日午前9時10分、北出昭撮影

 今西千尋さん(57)は1965年、京都市内の鉄工所の長男「文彦」として生まれた。幼い頃から、男性であることに「違和感」を感じていたが、94年に知人の紹介で博子さん(57)と結婚、2人の子供を持った。

 良き夫、良きパパとして生きる一方、女装クラブで、女性の姿になることに「自分らしさ」を感じていた。だが、2004年、博子さんに「女として生きたい」とカミングアウト。夫婦とも38歳、長男竜太さん7歳、長女奏絵さん3歳の時だった。

 別居、自殺未遂、離婚を経て、48歳の時に性別適合手術を受け、「千尋」に改名。戸籍は男性のままだが、博子さんと養子縁組を結び、再び、「家族」となった。今西さんが語る半生や性的少数者(LGBTなど)が生きる社会とは。【北出昭】

――「違和感」に気付いたのは。

 5歳のころ、押し入れの中で一つ年上のお姉ちゃんの服を着るのが楽しかったんですよ。正体はわからなかったのですが、こそこそしていたので子供心に罪悪感があったのかもしれません。振り返ればそれが「違和感」でしょうか。小学生になっても続き、「女性に生まれた方が良かったのに。でも現実は違うし」と葛藤していました。1970年代後半、カルーセル麻紀さんがテレビに出ていた時代。私も(73年にカルーセルさんが受けた性別適合手術を)受けられるかなあ、と思いましたが、テレビの向こうの遠い世界のことでした。

 大学生になり、大阪の有名な女装クラブへ通うようになりました。本当の自分を出せる、なりたい自分にひととき変身できる場所でした。安心感というか高揚感というか、そういうものがありました。初めて行った日の帰り、メークを落として男性の服に戻って外へ出たら、(客引きに)「いい娘いますよ」と声を掛けられたんですよ。先ほどまで正反対の姿でいたのに。現実は男性として生きていくのか、と強烈な印象を持ちました。

 ――そして博子さんと結婚した。

 28歳で結婚しました。博子さんはすてきな女性で、私には無いものを持つキャリアウーマンでした。好きになった人がたまたま女性だったということでしょうか。当時は性的少数者が理解される時代ではなく、周りから求められる性の役割がありました。親の鉄工所は長男の私が継ぐという役割です。女性になりたいという気持ちはパンドラの箱に押し込めて生きるしかなかったんです。女性として生きるという選択はありませんでした。

 ――その気持ちに変化が生じたのは?

 2000年代に入り、インターネットでいろいろな情報が取れるようになりました。01年、テレビドラマ「3年B組金八先生」で上戸彩さんがトランスジェンダーを演じたことはとても大きなことでした。私の中で女装趣味というだけでは納得できないものがずっとあったのですが、それが何であるかは、ネットの情報とドラマによって、初めて「私もそう(トランスジェンダー)なんや」と。でも、男性として家庭も築いていたので「女性になって人生を変えられるか?」と悩みました。

 ――自身がトランスジェンダーであると妻博子さんにカミングアウトした理由は?

 04年ごろ、博子さんが私のカバンから女装用の下着を見つけました。1、2回は「博子さんのと違うのん」ととぼけました。しかし、3回目に「私はこんなボロボロの下着は着ない」と言われ、浮気も疑われたので、正直に話しました。博子さんは怒りませんでしたが、何とか自分の中で整理しなければと思っている様子でした。子供はまだ幼かったので伝えませんでしたが、髪を伸ばし、家でも女性っぽい服を着るようになったので徐々に気付いていったようです。周りや身内からいろいろ言われ、居酒屋で知らない人から「汚い」と言われてお酒を掛けられたこともありました。

 自分に正直に生きようと思ったきっかけは11年3月の東日本大震災です。阪神大震災から16年、また大地震を経験しました。志半ばで多くの人が亡くなったのに私は隠し事をして生きている。そう思うことがしんどくなってきました。地震の2週間後、家族と別居して女性として生きようと思いました。しかし、どう生きたらいいのか、自分が何者かわからない。その年の夏、会社の倉庫で首にロープを掛けました。その時、博子さんから電話がかかってきて、命が救われたのです。

 ――自殺未遂(11年8月)後に医師の診断を受けたのですね。

 ブログ仲間から、性同一性障害だと言われていました。しかし、診断してもらえる病院が滋賀や京都には無く、やっと見つけた大阪のクリニックも2カ月の予約待ちでした。11年11月に診断を受け、病院で女性ホルモンを1週間に1回打つようになりました。女性ホルモンの投与で、体が丸みを帯びます。体にいいことはないでしょうが、打つとそれだけで安心感があるんです。

 性別適合手術は3年後、48歳の時でした。すぐに文彦から千尋に改名しました。しかし、戸籍は変更していません。トランスジェンダーと言ってもさまざまで、手術しない人も、手術をしても戸籍は変えない人もいます。手術後も女性ホルモンを続けていましたが、小さな脳梗塞(こうそく)の跡がいくつか見つかったんです。脳神経外科の先生から「望みの性で生きたいのなら、投与はやめたほうがいい」と言われ、やめました。女性ホルモンの副作用で胸が大きくなっていたので、やめたらどうなるのかと思いました。膨らみは女性として生きたい象徴だったので。でも杞憂(きゆう)でした。

 ――博子さんとの関係は変わりましたか?

 

長女奏絵さん(後列右)の20歳の誕生日を祝って今西さん(前列左)、博子さん(同右)、長男竜太さんの4人で撮影された家族写真=2021年11月27日、今西さん提供
長女奏絵さん(後列右)の20歳の誕生日を祝って今西さん(前列左)、博子さん(同右)、長男竜太さんの4人で撮影された家族写真=2021年11月27日、今西さん提供

 自分らしく生きることに理解してくれた博子さんも、「文彦」という「男性」と結婚したのであり、「女性」としての私を受け入れるのはしんどいということで手術前の12年に離婚しました。ただ、別居中から経済的には私が支え、家族でよく食事もしていました。しかし、家族のような関係であっても、離婚した博子さんは法的には他人です。遺産を相続できないなど、私は博子さんに十分な責任を果たせません。そこで18年に博子さんと養子縁組を結んで私の娘になってもらい、再び家族になりました。長男竜太は結婚して独立していますが、今年から博子さんと長女奏絵と一緒に暮らしています。

 ――性の多様性への理解を進めるためのLGBT理解増進法の成立を当事者としてどう受け止めていますか。

 法律ができたことで何が変わるのか正直わかりません。しかし、法律がどうあれ、未成年への支援は大切です。不登校やいじめも出ます。時には本来受けられる教育が受けられなくなることもあります。家庭、学校、地域、医療が連携しないといけません。家庭だけで解決するものではないのに、法律は理解の増進について「家庭および地域住民その他の関係者の協力を得つつ」などとしています。「まずは家庭から」と言っているように私には感じられます。

 世の中には性的少数者の枠から外れるセクシュアルマイノリティーもいます。LGBTばかりを論議するとそういう人たちは埋もれてしまいます。また、本来は同性婚やジェンダーレストイレなどは別々に論議しなあかんことですが、いっしょくたにされている気がします。これまで当事者の努力もあって問題になっていなかったことも問題とされ、どこかで線を引くとなると逆に息苦しくなってしまうこともあります。

 ――性的少数者を巡っては先日、最高裁が生殖機能を無くす手術を性別変更の条件とする性同一性障害特例法の規定を違憲とする決定も出た。

 裁判官15人全員が違憲としたことはすごく重く、当事者の人権を認めたことに時代の流れを感じます。ただ、ナンセンスな心配かもしれませんが、当事者が嫌な思いをする新たなガイドラインができたり、性別変更の家事審判が厳しくなったりしないでしょうか。私は戸籍を変えていませんが、長女奏絵が20歳になった時、戸籍変更要件の「未成年の子供がいない」をクリアしました。これで全ての要件を満たしたので特別な思いを持ちました。いろいろな考え、受け止め方があると思います。

 ――女性として生きていくということは。

 今でもどういうことか、本当はよく分かりません。見た目は女性でも体の仕組みは男性だから、子供を産めません。答えは見いだせません。女性の世界の片隅にそっといさせてくださいという気持ちですね。私は男性が好きで、女性になったわけでもない。ただ女性として生きたいというだけ。表現するのは難しいですが。

 女性としては声が低いので気になるのですが、それは周りが決めることで、自分の生きざまを全うすることの方が大事です。見た目を追いかけるのではなく、社会の中でどう生きていくかということですよね。性的少数者だけでなく誰もが幸せな人生を送るため日々頑張っています。私たちの家族がテレビに取り上げられたことでユーチューブに残り、知らない人から「見ました! 頑張ってください」と言われることがあります。でもね、これ以上、私だけが頑張ってどうすんねんと笑っちゃいますね。

 どんな生き方をしても優しい社会であってほしいです。LGBTだけでなく男も女も、障害があってもなくても、誰もが生きやすい世の中になってくれたらいいなと思います。人生は、あっという間です。そんなこと思ったら、自分がしたいこと、自分が選択したことができる幸せは結果がどうあれ、大きいと思います。