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元大関朝潮の長岡末弘さん死去 67歳、小腸がんで闘病…「大ちゃん」の愛称で人気 朝青龍ら育てる


元大関朝潮の長岡末弘さん(2020年撮影)

元大関朝潮の長岡末弘さん(2020年撮影)

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コメント: 20
  • #1

    名無し (土曜日, 04 11月 2023 18:29)

    身体を大きくする…健康的なリスクは大きいよね。
    体重を増やして突進力をつけるのが相撲では有利。
    ただし、そうなると成人病等のリスクも背負うことになる。
    平均寿命が80歳を超えている現代で60代で亡くなってしまうのは
    相撲で強くなる代償のような気がする。
    引退後の健康管理をシステム化するべきだと思う。
    有識者が力を合わせれば何とかなる気がする。

  • #2

    名無し (土曜日, 04 11月 2023 18:30)

    67才か。まだまだ若いのだが力士は長生きできないとよく言うけれども、やはり体を酷使してきたり食生活が偏ったりしたせいもあるのかな。
    現役時代は北の湖に強かったが中々大関に昇進できず勝負弱さを指摘されていましたが優勝も1回達成しており大関在位もそれなりに長かった。ただ残念ながら綱には手が届きませんでしたね。それでも千代の富士や隆の里、若島津、北天祐などの強敵がいる中で頑張ったと思います。ご冥福をお祈りいたします。

  • #3

    名無し (土曜日, 04 11月 2023 18:30)

    今から38年前自分が六本木のショーパブで働いていた時、半ば常連でいらっしゃいました。
    何を言われたか忘れましたが、「おいっ!ボク!」って19歳の自分に声をかけてくれたのを、何故かすごく印象に残ってます。
    有名人に声をかけてもらったという、思い出を残していただいて、ありがとうございました。
    ご冥福をお祈りします。

  • #4

    名無し (土曜日, 04 11月 2023 18:31)

    昭和後期〜平成初期に一時代を築かれた方、ご活躍された方がこの世を去っていきます。自身が年齢を重ねたと実感するとともに、何か寂しさを感じてしまいます。コロナやウクライナ、パレスチナ情勢、経済の低迷、明るい未来につながるトピックが少ないのもそうさせるのかもしれません。

  • #5

    名無し (土曜日, 04 11月 2023)

    子供の頃の地元出身力士としていつも応援していました。
    大関になっても勝ち越し負け越しを繰り返す成績でもどかしく思うこともありましたが、勝利後のインタビューでは明るく取り組みの内容を話しているのが面白かったです(普通は相手に作戦を明かしたくないから喋らないものですが…)
    引退後の相撲解説などはすごく解りやすかったし、名門高砂部屋を盛り上げてくれました。
    あの憎めない笑顔は忘れません。
    天国から角界を見守ってください。

  • #6

    名無し (土曜日, 04 11月 2023 18:32)

    また昭和時代に活躍した力士がいなくなった。
    愛嬌のある顔立ちに、前へ出る相撲で人気に火がついて、大関にまで昇進したけど、ついに念願の綱取りは果たせなかった。
    その綱取りを弟子の朝青龍がやってのけたのだが、不祥事が続いて引退。
    ご本人も引退されてその後は聞かなかったが、この状況下でご病気だったのかと。
    まだ67歳は早いよね。
    ご冥福をお祈りします。

  • #7

    名無し (土曜日, 04 11月 2023 18:33)

    大関になる前の、小結や関脇の頃の強さが印象的でした朝汐時代の。とにかく頭から当たって毎回のように額から血を流す、その突進力は当時の横綱大関陣でも脅威でしたね。本当に、これはすぐにでも上にいく、ものが違うと思いましたもん。
    それが優勝決定戦では何度も負け、ようやく大関になったら九勝六敗くらいが多かったイメージで、若い頃の方が鮮明に印象が残っています。ご冥福をお祈りいたします。

  • #8

    名無し (土曜日, 04 11月 2023 18:33)

    幼稚園の頃だったか、この方が優勝されたときに祖父に連れられて一緒に写真を撮ってもらったのをうっすらと覚えています。
    特に相撲に興味があったわけではありませんが、それ以来勝手に親近感を覚えていました。

    力士の方は体作りのためにかなり無理をして大きくなっているためか、平均よりも早く亡くなる方が多いように思います…
    本当に残念でなりません。

    ご冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

  • #9

    名無し (土曜日, 04 11月 2023 18:34)

    北の湖に強かったですよね。
    頭の回転が速くて話も面白かった。
    2人の弟子の不祥事がなければ協会ナンバー2ぐらいになったかも。
    同じ一門の八角さんが理事長になれたかどうか。
    まあ、弟子の不祥事は親方の監督不足もあったわけで。
    でも個性派のユニークな人でした。ご冥福をお祈りします。

  • #10

    名無し (土曜日, 04 11月 2023 18:34)

    相撲消しゴムで名前を覚えました。
    消しゴムではまだ十両になる前の髪型で長髪オールバックだった記憶があります。
    四股名もまだ長岡でしたね。
    消しゴムの中では個体が大きく前重心だった為、紙相撲みたいな勝負では強かったです。
    久しぶりに聞いた名前でしたが懐かしい記憶が蘇りました。
    心よりご冥福をお祈りします。

  • #11

    名無し (土曜日, 04 11月 2023 18:35)

    以前にサンリオピューロランドでお会いしたことがあります。
    テレビでは強面で近寄りにくい方だと思ったのですが、この時はご家族で来ていたプライベートにも関わらず一緒に写真を撮ってくれたり笑顔で握手をしてくれました。
    今は笑顔の優しい顔の朝潮さんしか残っていません。
    ありがとうございました。
    安らかにお眠りください。合掌。

  • #12

    名無し (土曜日, 04 11月 2023 18:35)

    チャームポイントだった口下手な性格が、親方になってから裏目に出てばかりだったのは見ていて本当に可哀想だった。
    朝青龍、朝乃山ら弟子たちは揃って問題児と言われてたけど、優しく大らかな親方の下だったからこそ才能が潰されず伸び伸び活躍できたのだと思います。

    本当に素晴らしい力士、親方、人間だったと思います。
    早すぎるお別れが本当に残念です。

    あなたがいたから、あなたの育てた力士がいたから大相撲は面白かった。
    ご冥福をお祈りいたします。

  • #13

    名無し (土曜日, 04 11月 2023 18:36)

    びっくりしました。長岡さんが大関に上がる前、四股名がまだ「朝汐」だった時に2ショット写真を撮ってもらいました。当時子供が嫌いな「江川・ピーマン・北の湖」、憎たらしいくらい強かった北の湖キラーで、どっちが横綱かわかんないほどお得意様にして圧勝してたのになぜか下位力士に取りこぼして横綱にはなれなかった。メンタルの弱さがあったかもしれない。朝青龍、朝乃山を育てるなど師匠としても功績を残されました。67歳は早い。ご冥福をお祈りします。2ショットの写真、探してみるか。

  • #14

    名無し (土曜日, 04 11月 2023 18:37)

    先ずは元大関朝潮の訃報に際して心よりお悔やみ申し上げます。67歳…普通なら退職して第二の人生を始めるようなまだまだこれからの年齢ですが病気には勝てなかったのが無念であったことでしょう。親方としては横綱朝青龍と大関朝乃山を輩出しそれぞれに不祥事が起き 指導を問われ 良い時と悪い時の波のある波瀾万丈の親方人生だったと思います。朝乃山は師匠の恩に報いる為にも力を落とさずに頑張って欲しい。

  • #15

    名無し (土曜日, 04 11月 2023 18:37)

    とにかく、やさしい関取だった。
    その優しさが現役時代にも、弟子育成にも影響を与えていたと思う。
    それでも、大関まで行ったし、朝青龍という横綱を生み出した。
    実績は十分果たしたと思う。
    力士は短命な人が多いし、とりわけこの方は人一倍苦労されてきた方だしね…
    今はゆっくりお休みください。
    ご冥福をお祈りいたします。

  • #16

    名無し (土曜日, 04 11月 2023 18:38)

    子供の頃、わんぱく相撲の大会でゲストで来られてファンになりました。朝汐関の頃です。子供多数との対戦でぶつかっていった時、この世のものとは思えない大きなお腹に軽く跳ね返されてしまいました。あの感触は今でも鮮明に覚えています。力士としては、千代の富士全盛の時代で、なかなか越えられませんでしたが、立ち合いで額が割れて血を噴き出していた時は、低く強く正面からぶつかっているので調子の良さのバロメーターでしたね。親方になってからもいろいろと苦労があり、周知の通り、角界からの去り際は少し寂しい感じでした。病気と闘っていたことは知りませんでした。昭和の名力士がまた一人、旅立っていきました。心からご冥福をお祈り申し上げます。

  • #17

    名無し (土曜日, 04 11月 2023 18:39)

    室戸の漁師町で育ち漁で鍛えられ、四股名もそこから来ていると言われている。
    高知県人としては、初の大関誕生にかなり湧いたのを子供ながらに覚えている。
    地方巡業で相撲仲間でありライバルだった千代の富士を、態々駅まで出迎える等気さくな人柄で愛されていた。しかし親方になるとその性格が災いし、逆に朝青龍の振舞を許す遠因にもなった。要は親方としては優し過ぎて、厳しく育てられなかったのだろう。
    しかしながら、相撲界の長年の功績には頭が下がります。ご冥福をお祈りします。

  • #18

    名無し (土曜日, 04 11月 2023 18:40)

    小学生中学生時代、相撲をよく見ていた頃の人気力士でしたね。
    現役時代は違うけど、髷を落としてからの風貌はなぜか少しだけ私の叔父に似ていた。豪放磊落なイメージのその叔父も今年大病を患って痩せてしまったが、同じ年に親方の訃報に接する。
    時の流れには逆らえない。私自身も朝潮関の勇姿を見ていた頃は遠い昔。それにしても67歳は早いが。ご冥福を祈ります。

  • #19

    名無し (土曜日, 04 11月 2023 18:40)

    自分の年代では馴染みのあった大関の一人でした。
    朝潮、北天祐、若嶋津。
    強烈なぶちかましで、たまに額から流血するシーンがあったのを覚えています。
    そういえば「なんと孫六」にもモデルになったキャラ「朝田」がいましたね。初登場時は中々の貫禄でしたが、いつのまにやらヘタレキャラにw
    鮫洲とのコンビは、いい味出てました。

  • #20

    名無し (土曜日, 04 11月 2023 18:41)

    第二の故郷の大阪、85年春の若島津との争いを制しての優勝も忘れられないですが、最も魅力的だったのは「朝汐」を名乗った三役時代だと思います。

    特に北の湖キラーで、81年の千代の富士の大関、横綱昇進の影の立役者みたいな感じでした。

    もちろん北の湖だけでなく、他の上位陣にとっても脅威の存在だったはずです。

    現役時代から喋りは達者で、不謹慎ながら、将来の神風、玉の海さんのような解説者になって欲しいなんて思ってました。

    それにしても突然の訃報にビックリしました。まだ心の整理がつきません。