· 

《覚せい剤で逃亡、大胆なビキニ、セーラー服》酒井法子52歳‟マンモスうれピー”本格復帰「ビキニフィットネス界の女王が最近の‟推し”…」

「ツインテールにセーラー服の姿はとても52歳には思えず、アイドル時代の彼女を彷彿とさせる華やかさがありました」(観客)

 9月9日に初日を迎えた舞台『ごりょんさん~親子三代ママ稼業~』で“時空を超えた”セーラー服姿を披露したのは、酒井法子(52)。

 実に6年ぶりの主演舞台で演じたのは、「中洲の女帝」と呼ばれた九州・博多の名物ママだ。

「酒井さんはママと同じ福岡出身。“あの一件”以降、ほそぼそと芸能活動を続ける酒井さんが表舞台に返り咲くきっかけになればと、ママ本人が『私の役にのりピーはどげんね?』と提案したとか」(スポーツ紙記者)

“あの一件”とは、2009年の覚醒剤取締法違反での逮捕のこと。あれから14年、昨年には歌手デビュー35周年を迎えた酒井。振り返ればその半生は波乱に満ちていた。

ドラマ『ひとつ屋根の下』に出演 女優として支持を集める

 中学3年生の時に参加したオーディション企画でサンミュージックの重鎮に見出され、1987年にアイドル歌手として『男のコになりたい』でデビュー。当時としては珍しく中国語歌唱曲を発表し、台湾や中国、香港にも活動の場を広げて“アジアのアイドル”にまでのぼりつめた。

 そんな酒井を一躍人気女優にしたのは、93年のドラマ『ひとつ屋根の下』(フジテレビ系)だった。芸能記者が振り返る。

「幼い頃に両親を亡くしてバラバラになっていた6人兄弟が再び一緒に暮らすという物語で、酒井さんが演じたのは、養女ながらほかの兄弟の母親代わりを務める長女役。『やっピー』『いただきマンモス』といったのりピー語を使うアイドルの彼女とは裏腹な役どころでしたが、これが見事にハマった。

『碧いうさぎ』が自身初のミリオンセラーになり、紅白へ初出場

 実は、酒井さんは2歳で両親が離婚し、幼い頃から親戚の家を転々としたり、里子に出されたりと複雑な家庭環境で育っている。そんな生い立ちが影響してか、女優としての酒井さんはどこか寂しさのある役を演じて支持を集めていった」

95年の『星の金貨』(日テレ系)でも、聴覚障害を持つ少女を好演。さらに同ドラマの主題歌だった『碧いうさぎ』は自身初のミリオンセラーになり、NHK「紅白歌合戦」への初出場を果たした。

 プライベートでは、98年に当時プロサーファーだった高相祐一と結婚し、翌年ハワイで長男を出産。育児と女優業を両立させながら、2007年の日中文化・スポーツ交流年には文化親善大使を務めるなど充実した生活を送っているはずだった。

警察からの任意同行を拒否して6日間逃亡

 しかし2009年、運命は暗転する。8月3日、夫の高相が東京都渋谷区の路上に駐車中の車内で覚醒剤を隠し持っていたところを逮捕されたのだ。

「現場に駆け付けた酒井も警察からの任意同行を求められたが、『子供を預けているので、あとで行きます』と拒否。自宅マンションに戻った彼女は大量の荷物を持って外出し、コンビニATMで現金40万円を引き出したうえに、カップ麺や飲料水6000円分を買い込んで姿をくらました。

 酒井の身を案じた事務所社長が探索願を出したが、4日後に事態は一転。高相が酒井も覚醒剤を使用していた旨の供述をし、自宅から酒井の唾液が付着した吸引具も発見されたため、逮捕状が請求されたのです」(社会部記者)

 酒井が弁護士を通じて警察に出頭することを伝えたのは、8月8日。実に6日の逃亡劇だった。

「旧知の建設会社の会長に助けられ、山梨にある継母の家や都内、箱根などを転々としていたそうです。取り調べで酒井は覚せい剤について、『私の部屋にあったのなら、私の私物で間違いないと思います』と認め、『夫に勧められたが、自分の意思だった』と明かした」(同前)

 覚醒剤取締法違反で起訴され、同年11月に懲役1年6カ月、執行猶予3年の判決を受けた酒井。公判で、「芸能界を引退して介護の仕事をやりたい」と話し、翌年には通信制の大学への入学も果たしたが、やはり芸能界への未練は断ち切れなかったようだ。

「10年12月には自叙伝『贖罪』を出版し、PRのためにテレビ出演。さらに12年9月には執行猶予中にもかかわらず、同年 12月に女優復帰となる舞台に出演することが発表されるなど、いささかフライング気味の復帰計画に世間は驚かされました」(前出・芸能記者)

デビュー30周年を記念した写真集でビキニ姿を披露

 しかし、その舞台の公演中に実弟が恐喝と覚醒剤使用で逮捕。さらに、2015年に公開予定だった主演映画『空蝉の森』の製作会社が公開直前に倒産するという不運も続き、本格復帰には至らなかった。

「その後、酒井さんは活動の場を日本から中国、香港、台湾に移動。アジア各地で定期的に開催しているコンサートは盛況で、かつての“アジアのアイドル”が健在であることを見せつけました。一方で2016年にはデビュー30周年を記念した写真集をネット限定発売。45歳のビキニ姿を披露して日本のファンの心も取り戻した」(同前)

 元夫・高相が16年に危険ドラッグで、20年に覚醒剤で逮捕され、その度に触れられたくない過去が取り沙汰されたが、逆風に負けることなく地道に活動を続けてきた酒井。

 21年には『空蝉の森』が6年の時を経て公開され、スクリーン復帰。今年はデビュー35周年を記念したベストアルバムを発売するなど、「表舞台」へ返り咲きつつある。

酒井が今ハマっているもの

「子育てがいち段落したことをきっかけに、21年に独立し、個人事務所を設立した。今年7月にはニコニコチャンネルプラス内に自身の公式チャンネル『のりニコッ!』を開設。そのPRの記者会見では、代表曲の『碧いうさぎ』を生披露したうえ、『マンモスうれピーので、ニコニコしながら待ってて欲しいピ』と、『のりピー語』を交えて語った。6月には『テレ東音楽祭2023夏』(テレビ東京)に出演し、地上波復帰も果たしましたし、禊を終えて、いよいよ本格復帰といったところでしょうか」(前出・スポーツ紙記者)

 そんな酒井が今、ハマっているものがあるという。

「ビキニフィットネス界の女王、安井友梨さんの生き方を尊敬しているそうで、たびたび彼女の話題に触れています。そんな“推し”の影響もあってか、最近の酒井さんは運動にハマっているようで、日課の1日1万歩のウォーキングのほかに、筋トレやヨガ、バーレスクダンスなどを取り入れて体型を維持していると語っています」(同前)

 あるインタビューで、「自分がハッピーじゃないと、相手もハッピーにできない」と語った酒井。激動の半生を経て、ようやく“マンモスハッピー”な生活を掴むか。

「タトゥーもクスリも離婚も乗り越えて」酒井法子52歳が再び歩む“シン・のりピー”へのイバラ道《波乱万丈すぎる35年の内実、介護は…》

 6月28日に放送された「テレ東音楽祭2023夏」(テレビ東京)に女優・歌手の酒井法子(52)が出演。1995年にリリースした代表曲『碧いうさぎ』を歌唱した。

「アイドル時代に一世を風靡した『のりピー語』を歌唱前のトークパートで振り返ると、ネット上では関連ワードが次々とトレンド入り。酒井が同局で音楽番組のステージに立つのは26年ぶりとあって、大きな話題となりました」(テレビ局関係者)

 7月4日には、13日からニコニコチャンネルプラスで配信される『酒井法子公式チャンネル のりニコッ!』初回放送に先がけ、記者会見を都内で行った。酒井は報道陣を前に「蒼いうさぎ」を生披露したうえ、「マンモスうれピーので、ニコニコしながら待ってて欲しいピ」と、“のりピー語”を使いこなしチャンネルをアピールしたという。

酒井は中学3年生で参加したオーディション企画でサンミュージックの重鎮に見出されると、1987年2月にアイドル歌手として『男のコになりたい』でデビュー。その直前から長年にわたり酒井の取材を続けているアイドル評論家の中森明夫氏は、当時の印象をこう振り返る。

「酒井さんの笑顔は“本物”。だからファンが異常なまでに熱心」

「デビュー前にインタビューしたとき、一目見て『この子は売れるな』と直感しましたよ。アイドルファンは自分に向けられた笑顔が作り笑いかどうか感覚的にわかってしまうものですが、彼女の笑顔は“本物”なんです。だから酒井さんのファンは異常なまでに熱心で、他のアイドルのファンとは全然違っていた。すごく明るいのに、一瞬どこかに影が見えるのも独特の魅力で、そこには生い立ちも関係しているのだと思います」

 1971年に福岡県で生まれた酒井だが、2歳のときに両親が離婚。酒井は親戚に引き取られたものの、再婚した父親の家と行ったり来たりするなど、複雑な家庭環境で育った。

 しかし、その不遇な境遇を糧にするように、酒井はスターダムを駆け上がる。デビューから数年後には台湾や中国、香港にも活動の地を広げて絶大な人気を博し、台湾でゴールデンタイムのドラマ主演を務めるなど“アジアのアイドル”へと成長した。

 日本では1993年に出演したドラマ『ひとつ屋根の下』(フジテレビ)が最高視聴率37.8%を記録。続けて1995年に大沢たかおとW主演した『星の金貨』(日本テレビ)もヒットし、同ドラマの主題歌だった『碧いうさぎ』は自身初のミリオンセラーに。同年末にはNHK「紅白歌合戦」への初出場を果たした。

「幼い頃に両親を亡くしてバラバラになっていた6人兄弟が再び一緒に暮らすという設定の『ひとつ屋根の下』では、養女ながら甲斐甲斐しく兄弟の世話を焼く長女・小雪を好演。聴覚障害を持つ少女を演じた『星の金貨』も、酒井の“薄幸の美少女”というイメージにピッタリのハマり役でした」(芸能ライター)

『ひとつ屋根の下』の脚本家・野島伸司とは、事務所公認の交際関係にもあった。野島の自宅に手作り弁当を届ける現場を撮られると本人も関係性を認め、何度も結婚が囁かれたが1997年に破局。その直後に出会ったプロサーファーの高相祐一と1998年に結婚し、翌年7月にハワイで長男を出産した。

「産休から復帰した年にデビュー時から担当していたマネージャーが自殺するという事件もありましたが、それを乗り越えて母親と女優を両立。公的なイベントへの起用も多く、最高裁判所が制作した裁判員制度のPR映画にも出演するなど着々と“国民的女優”への階段を上っているところでした」(同前)

6日間の逃亡、そして覚醒剤で逮捕

 ところが2009年、築き上げてきたイメージは一転する。ことの発端は8月3日、夫である高相が東京都渋谷区の路上に駐車中の車内で覚醒剤を隠し持っていたところを逮捕されたことだった。

「夫の逮捕現場へ駆けつけた酒井は警察から事情聴取を求められたが、子供の世話を理由にその場を離れると、食料品や衣類を買い込んで姿をくらませた。4日後には高相が酒井も覚醒剤を使用していることを供述し、酒井の唾液が付着した吸引具も発見されたため、逮捕状が請求された」(社会部記者)

 結局、6日間にわたる逃亡の末、酒井は警察に出頭し逮捕された。

「高相の素行の悪さは結婚前から有名で、クスリの噂も絶えず、いくつものクラブを出禁になっていた。酒井は結婚を機に刺青を入れるようになったと言いますから、そっち側に傾倒してしまったのでしょう。事務所関係者も『結婚がすべての間違いだった』と頭を抱えていましたね」(前出・芸能ライター)

 覚醒剤取締法違反で起訴された酒井は、同年11月に懲役1年6カ月、執行猶予3年の判決を受けた。裁判では「芸能界を引退して介護の仕事をやりたい」と述べ、実際に翌年には通信制の大学へ入学している。一方で「芸能界への復帰も早くから画策されていた」という。

「介護の勉強は早々に諦めたようでした。2010年12月には告白本『贖罪』を出版し、その半年後には夫と離婚。2012年11月に執行猶予期間が終了するとその翌日に復帰会見を行いましたが、その前から同年末の舞台での主演が決まっている周到ぶりでしたよ」(同前)

 しかし、その主演舞台の公演中に実弟が恐喝と覚醒剤使用で逮捕され、活動は早くも下火に。さらに2014年に撮影され、2015年に公開予定だった主演映画『空蝉の森』の製作会社が公開直前に倒産。度重なる不幸に見舞われ、復帰計画は順調とはいかなかった。

「酒井さんは14年間も捕まっていません」

 一方で近年、酒井の動きは活発になってきている。

「2020年にかつての写真集が次々に電子書籍化されると、『空蝉の森』もコロナ禍での再延期など続発したトラブルを乗り越え2021年2月にようやく公開された。特に今年はデビュー35周年ということで露出を加速させており、7月19日には16年ぶりの新曲を含むベストアルバム『Premium Best』のリリースも控えています」(同前)

 音楽番組では冒頭の「テレ東音楽祭」に加え、7月22日からのフジテレビ系「FNS27時間テレビ」内の目玉企画「FNS鬼レンチャン歌謡祭」への出演も決定。さらに9月には6年ぶりとなる主演舞台が予定されている。前出の中森氏も期待を込めて語る。

「薬物事件は再犯が多く、特に著名人は売人にも警察にもマークされるものですが、酒井さんは14年間も捕まっていません。それは今の彼女が良い人たちに囲まれているからではないかと推測しています。奇しくも今年は、酒井さんを育てたサンミュージックの創業者・相澤秀禎さんが亡くなって10年の節目でもあります。彼女のことをずっと心配されていた相澤さんを安心させるためにも、酒井さんが今年復活して活躍してくれたらと願っています」