
この時の両横綱の激突に対し、「八百長ではないか」 との談話をした若手の作家がいたのです。
「日本の文化を汚した」との非難を両横綱に向けました。
そのインタビュー記事は新聞に掲載されたものですから、 相撲協会も沈黙するわけにはいきません。
当時の時津風理事長(元双葉山)は、両横綱を呼び出し、 事情聴取をしました。
「八百長をするような横綱はいらない。 お前たちはどうなんだ?」 と理事長が詰問します。
両横綱とも「絶対に八百長はやっていません」と断言。
理事長は二人の目を見て、それ以上の追及はせず、 名誉棄損の訴訟準備を始めたといいます。
柏戸の心境はこうでした。
柏鵬時代と言われつつも水をあけられ、怪我で4場所も休場。
不安と恐怖に苛まれながらも復活を信じて、 一生懸命頑張ってその結果の全勝優勝。
横綱になって初めての優勝!
今までの苦しみもこれで吹っ飛ぶはずだったのです。
それが不名誉な「八百長」の嫌疑がかけられた。
その悔しさはどうにも我慢できず、 帰りのタクシーで同乗した大鵬の前ながら、 柏戸は車内で号泣してしまいました。
ライバル視して、それまでろくに口もきかない二人でした。
大鵬によると、 この時、初めて心が通じ合ったような気がしたそうです。
その後、大鵬は北海道の実家に帰り、 実家の玄関に、自分の横綱姿を映した大きな写真を見届けました。
実に威風堂々たる写真ではありましたが、 大鵬は不満そうな表情でした。
その理由とともに、大鵬はこうお願いしたそうです。
「相撲の人気は自分だけのものじゃない。 柏戸関も半分支えているんだ。 だから、柏戸関の写真も一緒に飾ってくれないか」
余談となりますが、八百長を指摘した若手の作家とは、 その後、国政に進出して名を成し、やがて都知事にもなった、 あのお方でした。
相撲協会からの訴訟の話を聞き、 慌てて「ほんとの話」を暴露したのです。
実はこの作家さん、この取り組みを実際には見ずして、 「八百長」を論じていたのです。
不利な側が勝利したこと、 知り合いの記者から八百長だと耳打ちされたことなど、 薄弱な根拠で、名のある作家が無責任な発言をしたわけです。
この作家の軽い舌は、しかし図らずも 両横綱の友情を深める契機になったようです。

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