· 

まとめ(不思議な話・怖い話)Apex product

フランスのエジプト学者が偶然にもギザの大ピラミッド奥深くに「エイリアン・マミー」と秘密の部屋を発見した
✍️ https://tr.ee/wpy8h6-lcQ
#UFO #alien #Egyptologists

古代都市で見つかった骨格が東アフリカの歴史的謎を明らかに #ufos #ufo #aliens #alien #ovnis #ufosighting #area

考古学者は巨人の骨格を見つけ、かつて地球上に巨人が生きたことを証明した

将来、いくつかの分野で地球外生物と人間がコラボする可能性は非常に高い。 現時点では冗談のように思えるかもしれないが、将来的には可能性の領域を超えていない

① 好奇心
この話は私が30代後半くらいの
話になります。
今はしていないのですが、昔
京都の祇園にお水の派遣会社を
経営していたのです。
元々は美容院に来られている
お客様がやっておられた派遣会社
なのですが、そのお客様が地元の
沖縄にどうしても帰らなければ
いけなくなり美容院以外に
輸入雑貨などの会社経営をされてる
なら会社経営は慣れてらっしゃると
思うので会社を引き継いで
くれないか?
と言う話が入ってきたのです。
やり方はスタッフが全部知ってる
し、登録しているコンパニオンも
そのまま引き継いで欲しいと言う
話でした。
色々と調べてみると
会社も黒字経営だし、女の子の
人数も揃っている。
そこそこ需要もある会社。
祇園や木屋町のお店に女の子が
足りない時に割高で派遣すると言う
仕事なのです。
スタッフ一人一人面接をしてみると
真面目でしっかりしたスタッフ
ばかりと言う事で、引き継ぐ事に
したのです。
そんなわけで私は祇園に行く事が
多くなったのです。
まぁ、やる事はスタッフが全部
やってくれるので、私は会社に
顔を出す程度でした。
実は私はお酒が飲めないんです^^;
なので祇園なんかに夜行く事は
無かったんです。
祇園は昼と夜の顔は全く違い
夜の祇園をよく散歩していたのです。
河原町通の裏路地を抜けて
八坂神社横道に入って行くと
遠くの方に二人の人掛けがあった
のです。
近ずいて行くと二人の女性。
一人は俯いて立ち竦んでいて
もう一人がその女の子を睨みつける
ように女の子の周りをゆっくり
回っているんです。
何をしてるんだろう?
お水の女の子が先輩に怒られて
るんだろうか?
そして真横を通った時に気付いたん
です。
強烈な気に
あ!生きてる人間じゃ無いんだ。と
しかし、真横を通り過ぎたのに
振り向きもせずに女の子を睨んでいる
その時
自分の好奇心が出たのです。
引き返して真横を通ってやろうと
直ぐに引き返して真横をゆっくり目に
歩いたんです。
しかし、やはり見向きもしない。
今度は真横で止まってやろうと
また引き返したんです。
そして真横で止まり二人を見る。
う~ん
見ないなぁ~  生きてる人間は
見えないのだろうか?
何か喋りかけてやろうかなぁ~
通り過ぎて、また引き返しす。
そして真横で、オィ、コラ!
しかし振り向かない。
やはり見えてないんだ!と気付くと
怖いもの無し!好奇心だけが大きく
なっていたのです。
今度は立ち止まって
オィコラ!何弱いもの虐め
しとるんじゃ!お前に言っとんねん!
聴こえんのかボケ!
と言うと
女性は歩くのをピタッとやめ
ゆっくりとこちらに振り向いたんです。
あっ…気付かれた。
そしてなぜか一瞬、驚いたような顔を
した後睨んで来ました。
私もちょっとびっくり。
この場を離れようと歩き出すと後ろを
着いてくる。
さっきまでずっと立っていた女の子は
居なくなっていました。
私が立ち止まると女も立ち止まる。
また歩き出すと、女も歩き出す。
ん?これ怖がっているのか?
また好奇心が湧いて来ました。
急に振り返って追い掛けてやれば
どうするんだろう?と
私はピタッと足を止めて
くるっと方向を変えてその女が居る
方へ小走りで近いて行くと
また驚いたような顔になり消えて
しまったんです。
なんだ、面白くない。
しかし、何を恐れていたのだろう。
私の馬鹿さ加減?それとも私を守護
しているもの?
そう思ってその日は自宅に帰りました。
そして次の日も祇園の事務所から出て
来ると。河原町通を隔てた向かい側に
その女が立ってこちらを見ていたん
です。
仕事場までつけられている。
河原町通を歩くと向かい側の道を
並行して着いてくる。
そして
うっとおしいから横断歩道で向かい側
へと、追い掛けると姿を消す。
そんな事が1~2週間続きました。
その後ピッタリと姿を見なくなったん
です。
気になり最初に目撃した場所へも
行ってみましたが、姿はありません
でした。
何だったのでしょう?
そこの事務所は4年ほど続けて
いましたが、長年頑張ってくれていた
事務所のスタッフに会社を譲りました。
② 美容師の仕事でわかってしまう事
以前、常連のお客様の紹介で
ある女性のお客様がいらっして
ました。そのお客様が
四度目に来店された時に、髪を
触ると体にゾワっとした感覚が
走り、なんとも言えないダルさ
が来たのです。
今までは何も無かったのに
どうしたのだろう?って思って
いたのです。
そのお客様が帰られたら
今までのダルさはなんだったの
?ってくらいで。
だから初めは変なモノをつけて
来られたのかな?って思って
いました。
それからしばらくして
最近その方が来られないなぁ~
と思っていた時に
その方を紹介して下さった方が
来店されたのです。話を聞けば
実は彼女は癌で1週間前に
亡くなられた事を聞かされた。
それがゾワっと来る原因だった
のかは分かりませんが...。
キツいモノを憑けているなって
方も分かります。
仕事をしているとそう言う事が
たまにあるんです。
これも違うパターンですが
お客様のシャンプーやお流しを
している時も
このお客様 脳梗塞や脳血栓...
脳での病気になるかも...って時が
あります。
以前も
何年もずっと来て下さってた
お客様なんですが
ある日、シャンプーをしていて
頭を持ち上げようとすると異常
に頭が重い。わざと体重を頭に
かけているかのような重さ。
普通は頭を持ち上げようと
すると首が曲がるので、ほぼ
頭だけの重さが手に加わるん
です。
しかし、頭を持ち上げようと
すると、背中が浮く感じ。え?
わざと?っと思うほどなんです。
その後、その方の来店が無い。
どうしたのだろう?って思って
ると、半年以上すぎた頃
娘さんに付き添われて車椅子で
来店されたのです。
話を聞くと、5ヶ月ほど前に
スーパーで買い物中に倒れて
そのまま救急車で病院へ
左半身麻痺が残ってしまい
美容室に来る時はいつも娘さん
の付き添いが無ければ来れなく
なってしまいました。
他にも何人かいるんです。
頭が重いお客様が...
いきなり来なくなり 後々脳血栓
や脳梗塞になられたと聞く方が
あります。
みんながみんなそうとは限りま
せんが非常にそう言う事が多い
のです。
今日もそんな方が来店されたの
ですが、言えないですよね
もしかしたら脳梗塞になられる
かもしれないので病院に行って
下さい...って
③ 刀なんて買う人は居ないと思いますが〜。
私の友人に、刀職人が居ます。元某県警でして、退職して今は趣味の傍ら某地方で職人をやっています。
彼の元に、「古い刀を所有してから不吉なことが起きる。安くて良いから処分してくれ。」という依頼が来ることがあるそうです。
それも、一人二人ではなく、枚挙にいとまがない程だとか。
古い刀は、やはり人を殺めたりだとか、色んな怨念が宿っているから、買わない方が良い…という考え方もあると言っていましたね。軍刀とかも、そういう依頼が多いそうですね。
その人が二十代の時に、現代刀匠に初めて刀を打ってもらったそうです。
で、お寺で心(シン)を入れて貰ったそうです。魂入れですね。
何でそんな気持ち悪いことをしたのかよく分かりませんが〜。
そしたら、そんなことをする位好きだったその刀が、何故かだんだん嫌いになって、手放そうとしたそうです。
しかし、3回手放しても3回とも自分のところに戻って来たそうです。
で、自分の菩提寺の日蓮宗のお坊さんに見てもらったら、その刀にはあなたの魂が入っているから、あなたから離れないよと言われたのだとか。で、魂を抜いてもらったそうです。それで、漸く手放せたのだとか。日蓮宗の坊さんは、そういう霊的なことに強い人が多いのだとか。
「刀が嫌いになった」っていうのは多分、刀に自分の魂が宿って、自分自身を見ているような状態になったからでは、と私は感じましたね。
東東日本大震災の災害復興で福島、宮城、岩手と各県を歩きましたが、中でも岩手(大槌町)の現場で、ガードレールに‼️
べっとり…ッと血糊が付いているのを見た事が‼️強烈な印象でした。
当時の現地は、地面に赤旗の付いた棒が要所要所に立てられてました。
※棒の下に、ご遺体が……ッと言う事です。
我が屋は嫁、子、母と4人暮らし(海から40キロ位離れた地域)です。
子供が3、4才位の時だったと思うんですが……
ある時…
『ボク津波が来た時は幼稚園に居たんだょ‼️お兄ちゃんとお姉チャンは学校に居たんだょ』
ッて言たんですよ😅
因みに子供の声でしたが…
※我が子が生まれたのは2013年です。
もしかして被災地から着いて来てたんですかね?
子供が関わる不思議な体験は、この1回きりです。
⑤5年ほど5年ほど前の事で,花巻温泉と恐山で起きたことです。
いま私はフェリー⛴️の中で車で北海道旅行の予定です。
以前にも🏍️🚗などで何度か旅行しましたが車の時は夜間に山,峠を越えたことも有りとても怖い😨思いをしたので今回は夜間移動せず気を付けたいです。
ホテル名は忘れたが宮古の龍泉洞から,確か山の中に‥当時は震災の復興工事であちらこちらで道路が閉鎖して泥道を走り車が泥はねで酷かった。
ホテル前には湖?写真撮りましたので誰かご存知な方がいらっしゃるかも?
その後は盛岡わんこ蕎麦を食べて花巻♨️に向かいました。其処は花巻温泉のはずれで老舗♨️が"名前は伏せます"後で写真を見たらわかる方もいられると思いますが奇妙な経験をしました。
旅館と言うより江戸時代で見るような造りで番頭さんとだけお会いした。
夕飯にはずっと側に居て🍶お酌をして頂きました。
私達の他にお客様が居ると言っていたのですが迎え側にある駐車場の停車無し,私は旅館の右隣で車の泥はねを洗っていたが落ちなかった,しかし他のお客様が居る気配が全く感じず不思議に思った。
私が夜に駐車場に洋服を取りに行って来たら玄関の戸が全く開かない❗️
一緒に行った友達が心配して玄関まで迎えに来た時に開いたので,鍵🗝️かけたと聞いてみたら、玄関に触れてないし私が余りにも遅かったので下まで降りて来たと言われどうやら私は20分以上🅿️にいたようです。
そんな記憶は全く無い数分で洋服をトランクから出した記憶でした。
この後に檜風呂に入ったが風呂場が暗くて薄気味悪かった,部屋には70centiほどの着物を着たうさぎの置物も怖かった。
宿泊するお部屋の左隣に三階に行く一段の格子戸あって🈲と有り‥‥興味半分に上がってみようと思ったが辞めました。
殆ど寝ること出来ず朝になってから友達が"昨夜わたしの上に着物姿の女性が乗っていたと"聞かされ朝食を摂るときに
番頭さんにその事を話したら何も返事が有りませんでした。  
私達は後でこの旅館のことを調べましたら昔は置屋だったらしい‥‥‥だから玄関に入ったら迎え側の壁にガラス張りで沢山の鼈甲の櫛が飾ってあったのだと納得しました。
あの格子戸の3階は開かずの間だったのでしょうか???
次の日に出発する時は女将が仙台に居ると聞かされ綺麗に刺繍されたハンカチとお礼状を頂きました。最後まで番頭さん1人しか見てなかったです。
この先は恐山に向かって走るのですが、運転手は私1人だったのでしんどかった続きは今度にします。
⓺ キューピーアホ
この話は私が小学校の低学年の
頃の話になります。
私が行っていた小学校の近くに
16歳くらいの男性が住んで
いました。
小学校・中学校では特別学級と
言えばわかるのでしょうか?
他の生徒にはついていけない
学級に居たと言う噂で
中学を卒業した後は学校も行かず
近所をフラフラしてるような
男性でした。
いつも手にはビニール袋に
お菓子をいっぱい詰めてそれを
食べながら近所をブラブラと徘徊
小さな子どもが好きなのか
子どもが居るとビニール袋から
好きなお菓子をあげると言い
子ども達に配って歩いていたのを
よく目撃していました。
私も何度がお菓子を貰った事が
あります。
要らないと言えば貰うまで着いて
くるんですから^^;
そのうちにその話が学校中に広がり
学校からも絶対に貰ってはいけない!
と言う話になりました。
その男性は、
急に誰もお菓子を貰わなくなったの
ですからパニックでしょう。
その頃から誰が名ずけたのか
分からないのですが、多分高学年の
誰かでしょう。
キューピーアホとアダ名がつけられ
ました。頭の毛がセンターに寄り
まさしくキューピーのようでした。
彼を見かけると
キューピーアホや!
キューピーアホが来た~とみんなが
逃げるようになったのです。
彼は寂しそうでしたが、ある冬の事
事件は起きました。
彼が大量の肉まんを袋に詰めて
小学校に入って来たのです。
そして、肉まん食うか~
肉まん食うか~と生徒を追いかけ
捕まった生徒の口に肉まんを無理やり
押し込むんです。
生徒はパニックでキューピーアホが
来た~と叫びながら逃げ回る。
騒ぎを聞き付けた教師達に彼は
押さえ付けられどこかへ連れて
行かれました。
そんな騒ぎがあってから彼の姿を
見なくなっていました。
周りでは、キューピーアホは死んだ
とかの噂が広がっていた頃
何ヶ月か過ぎた時に突然と姿を現した
のです。
また学校の近くで彼を見かけるように
なりました。
その時の彼は
今までのように手にお菓子袋を持って
いるのでは無く、手には吹き矢と
ビニール袋の中には矢が大量に入って
いたのです。
矢は自分で新聞紙を丸めて作った物で
矢の先には黒い接着剤なのか鋭く
とがってビニール袋から先端が
飛び出している。
それを家の木の壁に吹き矢で突き刺して
いるんです。
学校の近所の家の壁は矢だらけになって
行きました。
小学校の生徒の中では
キューピーアホが居なかった時期は
山にこもって吹き矢の修行をしていた
んだと噂がたっていました。
しばらくしての事。
学校の先生が吹き矢で狙われ出した
のです。
学校の外から先生のお尻目掛けて矢が
刺さると言う事件が発生して行ったの
です。
彼にとっては捕まえられた仕返し
だったのでしょうか。
ほとんどの先生は被害にあってしまい
警察が出る騒動になったのです。
しかし、彼はなかなか捕まらなかった
のです。家にもずっと帰って無い
との事。
どこかに姿を潜めていたのでしょう。
そんな騒動は突然無くなったのです。
そして彼の姿も見かけられなく
なりました。
捕まって施設にでも入れられたん
じゃ無いかと噂が出だした頃
彼が見つかったのです。
近くの山で死んでいたのです。
山を囲うフェンスに引っ掛かって
亡くなっている所を犬の散歩に
来た人が発見し警察に通報
頭に怪我をしていたので足を滑らし
落ちたのではないかと言う事でした。
そしてしばらくした頃
また家の壁に吹き矢の矢が刺さる
ようになったのです。
取っても取っても朝にはまた矢が
刺さっている。
そのうちにキューピーアホを見た!
と言う人が増えて来たのです。
そして、私も彼が住んでいたアパート
の窓から彼が外を見ている姿を
目撃したのです。
お兄ちゃん!と声を掛けたのですが
見向きもせずに外をぼーっと眺めて
ました。
彼には兄弟は居ません。
アパートの二階に母親と2人で
住んでいたのです。
母親は水商売で息子の面倒も見ず
警察が家に来ても居留守を使い
彼がご近所に迷惑かけても知らん顔
そんな事がしばらく続いた後に
ピタリと無くなったそうです。
彼のアパートは学校の通学路に
あったので、窓が気になり見ていた
のですが、彼の姿を目撃したのは
1回きりでした。
亡くなったと言うのは事実だった
ので、亡くなった後も吹き矢で
遊んでいたのでしょうか。
私は子どもなからに
彼は悪い人では無い
みんなにバカにされて可哀想だ。
と思ってたので話し掛けて来られると
話してました。
そんな事がありました。
⑦ 個のこの話は自分が20代の時に実際に体験した話しです。
当時はカラオケボックスが流行った時があって、当時にお付き合いしていた女性と地元のカラオケボックスをあっちこっち、巡り歩いていた時期のお話です。
カラオケボックス巡りをしていて、こんな部屋がありました。
その部屋は部屋のすべての壁にお経が書いてあり、その部屋に入った瞬間に誰かに見られているような違和感を感じあまり歌う気にはなれなかったのですが、一方の彼女は歌う気満々のご様子。
とりあえず、歌いたい曲を入れて歌い始めると何故か1番で曲が終わってしまうのです。
自分は彼女が部屋も部屋だったので怖さを出すためにイタズラでカラオケを止めたと思いました。
なので、彼女が歌う番になって歌い始めました。正直、同じイタズラをしようと思ったのですが彼女の歌が上手だったのでイタズラはせず最後まで聞いてました。
そして、次は自分の番になって歌い始めると
何故か1番で終わってしまう。
さすがにおかしいと思い彼女になんでとめるの?
と、聞くと彼女はとめてない。勝手に1番でカラオケが切れるんだよ。
と、言うので歌う前にカラオケのリモコンをテーブルの上(自分の前)に置いて、カラオケを歌い始めると誰も触っていないカラオケが1番で勝手に止まるのです。
その時ばかりは早くここから出たいと思いましたが、彼女は楽しんでいるご様子。
いちようは時間までいることになりました。
帰りにフロントに話をしたら、スタッフの方がビックリしていて、速攻で部屋を改良しますと話してました。
⑧ 合掌と合掌と念珠の話。
仲の良かったロックミュージシャンの先輩が49歳で亡くなって10年ほどたった頃、夢に先輩が出て来られました。
そして「ウチの母ちゃんは歳を取っても友達を乗せて車であちこち出掛けるくらいアクティブで元気が良いんだから買い物なぞ連れて行ってやらんでもいいぞ」と言うのです。
その頃、先輩の高齢のお母様は体調を崩され歩くにも杖が必要、運転も辞め買い物にも不自由していました。
そこで時々お母様の気分転換も兼ねて時々車で連れ出して買い物や食事に行っていたのです。
夢の中で私は先輩に言います、「何を言ってるんですか、お母様は入退院繰り返されて歩くにも杖が必要、車の運転どころじゃないですよ。」
それを聞いた先輩は驚いた顔をしています。
「そう言えば最近お母様の枕元に立ったらしいやないですか。」
~この夢を見る少し前にお母様と会った時、お母様が自宅で朝方まだ暗いうちに目を覚ますと、息子(先輩)がベットの脇にボンヤリ立っていた。
自分も半分寝ぼけていたので生前そのままの感覚でこんな寒いのだからこっちに来てコタツに入りなさいと声を掛けたら無表情のままス~っと消えたんだよと聞いていたんです。~
「お母様に伝えたいことがあったから枕元に立ったんじゃないですか?何です?」
と先輩に尋ねるもモジモジして黙っている。
しつこく何度か尋ねていると、「ウチの母ちゃん、もうそんなに長くないからねぇ」と。。
お母様が心配になって枕元に出てきたのでしょう。
そこで私は「お母様の命が長くないとか分かるのに、お母様が杖ついてまわりよるとかの現状は分からんとですか?」と尋ねました。
先輩「大まかなことは感じて分かるが、細かいことは良く分からん」と。
私「でも俺がお母様を買い物連れて行ってたのは何で分かったとですか?」
先輩「母ちゃんが仏壇で念珠持って掌合わせてもの言いよる時だけ聞こえる」と。
そこで目が覚め(朝5時頃)、7時まで待ってお母様に電話して夢の内容をお伝えしました。
そうです、お母様は一日の出来事(今日は買い物に連れて行ってもらったよとか)を仏壇で息子(先輩)に報告してたのですが、自分の体調不良や入院の事などは伝えてなかったそうです。
無意識に息子に心配かけまいとしてたのでしょう。
念珠を手に持ち、合掌して声に出して語りかける。
こうしなければ声が届かない、聞こえないということかもしれません。
先輩が夢で教えてくれた話でした。
今はお母様と親子水入らずのことでしょう。
⑨ 今日は今日は亡くなってから2年になる愛犬の遺骨を犬猫霊園に納骨して来ました。
愛犬は17年6ヶ月我が家に居ましたが、ほぼ毎日一緒に寝ていました。
昨晩は愛犬の遺骨と過ごす最後の夜なので枕元に遺骨を置いて就寝しました。
寝ている時突然私の身体の上に何か重さを感じたので目を覚ました。
布団の中の手を動かしてみると尻尾のような細長い物がありました。
あっ最後に布団の中に入って来てくれたのかなとすぐに感じましたがなぜか目を開けることが出来ずそのまま寝てしまったみたいです。
夢だったのかもしれませんが、この手で触った感触を今でも覚えています。
⑩ 6月に父が亡くなったときのこと。斎場の親族用の部屋で一晩過ごした翌日の早朝、不思議なものを見ました。
葬儀が始まるまですることもないのでボーっと考え事をしていたら、目の前をす~っと影が横切りました。母がトイレにでも行くのかなと思いましたが、母は向こうの方でテレビを見ていました。気のせいかなと思ったら、目の前の襖の一部がキラキラと光り始め、雲のようなフワフワした白いものが漂い始めました。そのうちに煙のようなものが漂ってきて、何かを探しているような不思議な動きをし始め、ある一点でクルクルと回り出しました。そしてしばらくそこで回っていましたが、やがて吸い込まれるように煙が襖の中に入っていき、全て消えたあとにキラキラした雲のようなものが薄くなって消えて行きました。
2、3分のことでしたが、ずいぶん長い時間に感じました。父は向こうの世界に行ったんだな…。キレイなお迎えが来て良かったと心から思いました。
このあと、四十九日あたりで不思議な夢を見ました。この話はまた後日。
 
⑪ ディスプレイの仕事
私が経営してる美容院のお客様で、
デパートなどのディスプレイの
仕事をされている方がいるのです。
その方からの相談で、
あるデパートの浴衣のディスプレイ
が終わった後に、社員4人で
出来上がったディスプレイの前で
記念撮影をしたら、変な物が
写ってしまったと言うのです。
その写真を撮ってから
社員さんが次々と怪我をする。
それは写真の赤い光の線が身体に
当たっている場所を。
そんな相談でした。
私は、その写真は消したの?
と聞くと
消して良いものか
供養でお寺に持って行けばいいのか
分からないので、まだ入っている
との事。
実際、そのお客様も仕事中に左腕に
四針縫う怪我をして包帯を巻かれて
いたのです。
怪我だけじゃ無いんです。
スタッフみんなの夢にも出てくるん
です。墓地の中に無数の誰かが
立って全員がこちらを向いてる
そんな夢を毎日毎日見るんです。
それ、どんな写真が撮れたの?と
聞くと、今もスマホに入ってるので
見ますか?と
それで見せて貰うと
こんなに鮮明に写ってる心霊写真は
見た事が無いと言うほどの写真
だったのです。
デパートの中のディスプレイには
浴衣を着たマネキンが並んでいて
夏祭り的なディスプレイで
その前にスタッフ4人の姿
スタッフの上半身と下半身の
間に真っ赤な斜めの光の線が入り
下半身が写らなきゃいけない場所には
墓地の風景。
ぼんやりでは無く
墓地の写真を撮ったかのように
苗字まで分かる墓石がずらっと
写ってるんです。
赤い線が無ければ2枚の写真を
斜めに切って繋ぎ合わせたぐらい
ハッキリと。
実はそのデパートが建っている場所は
以前は墓地でした。
今でもそのデパートの横には少しですが
墓石が並んでいます。
そんな関係で写ったのでしょうか。
私はそのお客様に
写真を貰って知り合いの霊能者に
鑑定して貰いました。
その写真を貰ってから霊能者に
会うまで私も毎日毎日夢を見ました。
墓地に無数の人
みんな悲しそうな顔をしている。
そのうち私に気付いてぞろぞろと
近ずいてくるんです。
何かを必死に言っているが分からない。
あぁ~お客様が見ていた夢はこれか
と分かりました。
霊能者に会い
鑑定をして貰ったら
このデパートが建っている場所は
元々は墓地だな。
墓をまともな処理もせずに潰してる。
怒りと悲しみを感じる。
そう言いました。
その霊能者は地方から京都に来た人
たがら元々墓地だった事など知らない。
どうすればいいのか聞くと
写真は直ぐに消した方がいい。
消す前にはっきり気持ちを伝えた
後で削除。
こちらでも供養しておくとの事。
直ぐにお客様に連絡して
お皿に塩を盛り、その上に
1本の線香を立てて
私に訴えて来られてもどうする
事も出来ません。とはっきり
伝えてから写真を削除すればいい
と伝えました。
私も同じ事を行い
般若心経を唱えました。
みんな次の日から全く夢を見なく
なったそうです。
京都で一番有名なデパートです。
 
⑫ 家の天井
私のまだ幼い頃の話になります。
今では風邪すらひかない健康そのもの
の私ですが、幼い頃はしょっちゅう
風邪をひいて熱を出している子ども
でした。
熱を出すと必ずと言っていいほど
見る夢があるのです。
それは赤い大きな球体が徐々に近ずき
その球体に押し潰されていくような。
体が痛い、重い~と思っていると
男の声がして
苦しいか?退けてほしいのか?と。
苦しい~退けて~と言えば
思っきり複数の笑い声がする。
そして、汗びっしょりで目が覚める。
そんな事が続くんです、毎回。
それで怖くて寝れずに部屋の天井を
見ていると、天井の木の杉板が波打って
見えるのです。
そして、波板の隙間から真っ暗な屋根裏
が見えてしまい誰かに見られているような
気がしてしまうんです。
でも気になってずっと見てしまうんですね。
それをずっと見ていると段々と波打つ
強さが激しくなって来て、隙間が5cm
ほどになって来て、その隙間に白い物が
動いているように見えて来るんです。
それで怖くなり布団を被って寝る。
寝れば球体が襲ってくる。
そんな事が毎回あるんです。
親に言っても熱があるから目の錯覚やと
言われるだけ。
だから風邪をひくと、風邪でしんどい事
より、それが1番嫌でしたね。
そんなある日
また風邪をひいて、夢を見て目を覚ます。
そして天井の波打ち。
その時はふといつもと違う事に気づいた
のです。
いつものように杉板が波を打ち出し、
隙間が出来る。
その隙間に白い小さなツブツブが並んで
いるのです。
何かなぁ?と見ていると、それは次第に
伸びているのがわかるんです。
5・6センチほど伸びた時に手だと
分かったんです。無数の真っ白な
手なんです。
最初に見た白いツブツブは指先でした。
それが腕まで伸びてきて無数の手が
天井をまさぐるのです。
そして、天井の隙間に何人かの目が
浮き上がっていたのです。
この時は完全に目は覚めている。
びっくりして親を起こして今の出来事を
説明しても熱で夢見てたんやと言われる
だけでした。
実際に親に言った時は手は無くなって
普段の天井がそこにあるだけ。
それからはずっと熱を出すと腕と目が
現れるようになりました。
そのうち天井から下りてくるんじゃ
ないかと熱を出す度恐怖でした。
しかし、下りて来たりと言う事も無く
私が小学生の4年生になった頃にそれは
ピタリと無くなったんです。
 
毎回必ず起こっていた現象は
何だったのでしょう。
まぁ、実際なのか
幻覚なのかは分かりませんが。
 
⑬ 事故現場の花
よく事故現場に花がお供えしてある
場所がありますよね。
花が萎れて来たら新しい花に代って。
あれってあまり長い日数は置くもの
じゃありません。
亡くなられた方が、その場所で命を
落とされ、その場所に未練など
残さないよう慰霊の為に置くわけ
ですが、せめて1週間で置かれた方が
片付けに行くべきなんです。
今回は、そんな話をさせて頂きます。
以前、こんな事がありました。
私の仕事場までの通り道で夜中に
事故があったようです。
朝、仕事場に向かっていると
大きな交差点に花や飲み物やお菓子
がお供えしてありました。
昨日の帰りには無かったので夜中に
死亡事故があったんだなぁ~と
会社に向かったのです。
次の日にはもっと花やお供え物が
増えていました。
そして花の横に座ってビールを飲む
50代くらいの男性。
花を供えに来た人かな?
そして、仕事の帰りにふと見ると
朝見た男性がまだそこに座っている。
次の日の朝にも同じ男性が・・・
やはり亡くなられたご本人だった
ようです。
そこを通る度にその男性と目が合う
んです。
1週間が過ぎ2週間が過ぎ
1ヶ月経っても花や供え物が次々と
置かれていてその男性もずっと
その場所に居るんです。
何か疲れ切っている感じがして
最初の頃に見た彼とは随分
雰囲気が変わってきていました。
あまり長く花やお供えを置くと
彼の居場所がそこになってしまう
んです。
1週間を過ぎる頃には
お仏壇やお墓に供え物をするべき
なんです。
結局、供え物の量は減ってきた
ものの3ヶ月ぐらい供え物は絶える
事が無かったんです。
見ていて彼が可哀想でした。
最後のほうはずっと寝転んで
いましたね。
体が無いのにしんどそうでした。
花を持ってきている人に会えば
言ってやろうと思っていたのですが
会う事無く3ヶ月が過ぎた頃に
供え物は無くなりました。
彼もやっと成仏出来たのでしょう。
姿を消しました。
そんな事がありました。
 
⑭ 二条城の二条城のお堀
友達と2人で買い物に出かけた帰り
二条城の脇道を車で通ったんです。
日が沈んで間もなくと言う時間だった
ので辺りは薄暗くなり始めていました。
助手席の友達が、あれ撮影してるの?
と指をさしたので、そちらの方向を
見てみると
真っ白な着物を着て
髪は1つに束ね三箇所ほど紐で縛って
あり、腰の辺りまでの長さの髪。
そんな女性が二条城のお堀の中に立ち
両腕を真っ直ぐに左右に開き
立っていたのです。
ライトアップされてるかのように
白く輝いていたので
私も撮影だ  と思ったのですが
他のスタッフもカメラマンも近くに
見当たりませんでした。
私達は車を道路脇に止めて見ていると
ある違和感に気付いたのです。
大きいのです。
離れた場所から見ていたので直ぐには
気づかなかつたのですが
どうも2m以上はある身長
私が友達に
なぁ⋯あれ  と言うと友達が
デカいよなぁ~と言ったのです。
友達も気付いていたのです。
しばらく見ているとその女性は
両腕を広げたままクルクルと回転を
始めました。
初めはゆっくりでしたが、次第に
回転が早くなり
ありえない速度になっています。
そして  ふぁ~と浮き上がったかと
思うと丸い光の玉になって
スパン!と二条城の石垣の上に
飛び込んだのです。
見るとそこには小さな祠が建っており
その中へ吸い込まれて行ったように
見えました。
私達は何が起こったのか分からず
しばらく放心状態。
今の何?
霊?神?
何だったのでしょう。
もしかして人柱にされたものなので
しょうか?
そんな事がありました。
 
⑮ 呪い
この話は一昨日
10月15日に初めてYouTubeで話した
話になります。
自分の親しい仲間の死に関する話
だったので語る事に躊躇していました。
私がまだ20代後半の頃の話になります。
私の高校の同級生に(本名)広瀬と言う
友達がいたのですが、
スピードスケートでは国体に出るなどで、
将来はオリンピック選手にと、周りの
関係者が推薦するほどの実力者
だったのですが
その広瀬が高校三年生の時に
ジョギング中に車にひき逃げされて
選手生命を失う事になってしまった
のです。
彼は、スケートを引退した後も
ずっと友達として付き合い
私の地元の友達とも知り合いになり
みんなで遊ぶ事も多くなったのです。
そんなある日
その広瀬が、スピードスケートの
仲間だと言う友達を紹介して来た
のです。
彼の名前を(仮名)福本貴史とします。
広瀬は貴史とは中学も違うし
高校も違う。接点はスケートだけ
そんな貴史だけど、明るくて超イケメン
スケートではファンクラブが
出来ていたくらいで歩いていると
女の子が振り返って見るくらい
なんです。
ただ彼がだらしなかったのは
女関係。
好きな子が出来たら直ぐに付き合って
飽きたら捨てる
二股三股は当たり前
なので私達の仲間は貴史の事を
明るくて楽しい奴!と言う者はいても
良い奴と言う者は誰も居ませんでした。
だいたい貴史はいつも私達仲間と
一緒に居ると言う事も無くたまに会う
程度の仲間。だから仲間は受け入れて
いたのでしょう。
今日は貴史は来てないの?
女のとこじゃね・・・と
そんな貴史でしたが
ある日、貴史が
女が妊娠したみたいだと言うのです。
で、どうするんだ?
おろさせるのか?と聞くと
いゃ、産ませるつもりだ。
今の彼女と結婚しようと思ってる。
そう言ったのです。
広瀬が、
お前またそんな事言って
どうせ飽きたからと1年もしない内に
違う女連れてるんじゃないのか?
そう言うと貴史は
今の女は違う。
一緒に居ても自分を作らなくても
いいし、こいつとずっと一緒に居たい
って思える女なんだ。
だから結婚して親父になるよ!(笑)
そう言ったのです。
他の仲間は
いつまで持つかな?って思っていました。
それからも貴史は彼女を連れて私達に
会いに来るようになっていたのです。
彼女さんも凄く明るく派手では無く
優しい女の子らしい感じの子
貴史に良い子みつけたなぁ~とみんなが。
赤ちゃんが産まれて1年ほどした頃
貴史の彼女さんから
貴史はそちらに行ってますか?
電話しても電源が入ってないようで。と
たまに電話が入るようになって来た
んです。
仲間は
あいつ小さな子どもが居るのに
どこをほっつき歩いとるんや! 
また病気が出とるんと違うの?
って怒っていたら、案の定浮気でした。
彼が勤めてる建築会社の新人社員と
恋仲になっていたようなんです。
それからしばらくした頃に
彼女に他に好きな子が出来たからと
別れ話をしたらしいのです。
勿論仲間は貴史と縁を切りました。
どうも彼女との間に子どもが出来た
のに籍は入れていなかったようです。
彼女さんは
赤ちゃんも生まれたし結婚して
生活が出来ると思っていたのに
いきなり振られて普通の精神状態
ではありませんでした。
仲間みんなが彼女さんに気を掛け
連絡を取っていたのです。
そのうち彼女さんは貴史に対して
恨み言を言うようになって行った
のです。
赤ちゃんが出来たと分かった時も
貴史は喜んで、産めばいい
結婚しよう!俺、親父になるのか~
って喜んでくれたのに結局籍も
入れてくれないままだった。
私は赤ちゃんを抱えてどうしたら
いいのか分からない。
子どもと一緒に死んだ方が楽に
なれる。
今の女も彼女が居て赤ちゃんが居る
と分かっているはずなのに私から
貴史を奪った。許せない!と
鬱状態にもなっていたのです。
彼女さんがそんな状態になっていた
ので彼女さんのお母様ともお会いして
原因を全て話しました。
そして貴史とは縁を切った事も
彼女の自殺をほのめかす発言も
全て話しました。気を付けておいて
下さい何かの時は私達も力に
なりますからと。
そして彼女はマンションを引き払い
両親が居る実家暮らしを始めたの
ですが、そんなある日の事
みんなが心配していた事が
現実になってしまったのです。
母親から連絡があり
私が目を離した間に
娘が近くのマンションから身を投げ
自殺してしまいました。
今まで本当にお世話になりましたと。
私はお母様に赤ちゃんは?と心配して
聞くと、赤ちゃんはベッドに
寝かされていて、その横には
置き手紙(遺書)があったと言う事です。
私達は急いで彼女の実家に向かいました
が、彼女の遺体はまだ警察病院の方で
検視や検案が行われる為に明日の夜
にしか帰って来ていないと言う事で、
彼女とは会う事が出来ませんでした。
母様と
お会いして遺書を見せて貰いました。
遺書には母宛の手紙とは別に
貴史を絶対に許さない!呪
私の人生をめちゃくちゃにした女
絶対に許さない!呪と
遺書に書いてありました。
広瀬が貴史に彼女の悲報を直ぐに
知らせたらしいのですが貴史は
葬儀にも姿を見せる事はありません
でした。
彼女の葬儀も終え10日ほど過ぎた頃
貴史の新しい彼女の悲報が飛び込んで
来たのです。
交通事故でした。
トラックに巻き込まれ即死だった
ようです。
テレビでもニュースで報道されて
いました。
そしてその4日後に貴史が仕事中に
現場のビルの4階から転落
死にはしなかったものの下半身不随で
一生車椅子生活をする事になったの
です。
広瀬が見舞いに行くと
貴史は殺されると怯え切っていた
との事です。
毎晩夢に元カノが出て来て許さない
思い知らせてやる!と言われ続けて
いたと言うのです。
そんな時に
今の彼女が亡くなったんだと。
直ぐに元カノがやったんだと分かった
らしいのです。
次は俺の番か…と恐怖したと。
彼女の葬儀が終わった後に
仕事中に両足を掴まれたと言っていた
そうです。
もう付き合いはありませんが、
貴史は今も生きています。
車椅子のバスケット選手として活躍
した後、今はコーチとして選手を
育てているらしいです。
貴史の命まで奪わなかったのは
彼女の優しさでしょうか?
それとも一生苦しめ…と?
そんな事がありました。



イースター島の像には遺体がある。 イースター島の記念碑的な石の頭は有名ですが、話にはもっとあります:昔から彫刻は密かにトルソを持ち、地球の下に埋めていました。 考古学者はモアイとして知られる巨大な像のうち887点を記録していますが、島には1000点ものうちあるかもしれません。 #ufos #ufo #aliens #alien #ovnis #ufosighting #area
アイスランドの考古学者が人魚の骨を発見し、100年前のエニグマに終止符を打つ
ここで読む👉 https://worldnownewses.com/nhung/archaeologists-in-iceland-have-discovered-mermaid-bones-putting-an-end-to-a-hundred-year-old-enigma/

#archaeology #AmaZing
写真は2007年12月15日にメキシコのサンルイス・ポトシのリアル・ド・カトルチェで撮影。 #usa #ufo #ufosky #ufoball #aliens #ufosighting #ufoalien #ufocommunity #realufos #viral2023 #viral #fb.
『遊覧船沈没事故』

 両親に連れられて、初めてあの場所を訪れたのは、幼稚園の年長頃の夏休みの真っ只中ではなかっただろうか?

 父にとって大自然に恵まれた景色の良い所であっても、私には不快でしかなかった。

 幾度か子ども時代に家族旅行で訪れてはいるが、何時も感じる事は、その土地が私を嫌っているかの如く、私は帰りたくなるのだ。

 遊覧船に乗れば、ある一定の位置より、木々や湖水のざわめきを感じ、やはり帰りたい気持ちにさせられる。

 何処へ行っても、この様な現象が起きる事はなく、この場所のみで起きるのである。

 もう、あれから十数年は経っているであろう。
 仕事の関係で、紅葉狩に訪れた時、遊歩道にて紙芝居がされていた。

 母より、修学旅行生が乗った遊覧船が転覆し、沢山の方が亡くなったと聞いた事はあったが、その転覆事故の紙芝居だった。

 昭和9年3月。とある小学校の修学旅行を迎えた日、その日は朝より天気が崩れ、雨天の予報が出ていた為、修学旅行の延期話も出ていたが、子ども達が楽しみにしていた事もあり決行された。そして、遊覧船を乗り始めた頃、雨がポツリポツリと降り始めた。

 浸水事故は、渡船場を離れ、あの紅い橋の近くで起き、引率の教師2名と12名の生徒が生命を落としたとの事だった。

 私は、この紙芝居で、自身が救われていた事に気付かされた。

 何故?この土地が私を嫌がっている様に、帰りたい気持ちにさせられていたのか?

「遊覧船に乗るんじゃない」

 それを伝えたかったのだろう。自分たちの二の舞にならないように。

 慰霊碑は、その遊覧船沈没事故で犠牲になった引率の教師である。
 この紙芝居の年より数年後に撮った写真ではあるが、あの向かって左横の影の主は居ない💦
 私の肉眼で見えた陰である。

 因みに心霊スポットでもあり、私以上の霊感体質の方、この土地に踏み入れられないとの事。
 霊障の話も有名らしいです。

[UMAー未確認生物]。
最初に見たのは小学校の図書室だったと思います。後に木曜スペシャルで[ネッシー]特集をしていたのも良く見ていました。
後は色んな本を買って夢中で読んでましたね。
自分の子供の頃の昭和40年位は本当に世界の何処かで未知の生物が見つかると思っていた時代が懐かしいです。
娘が中学生の頃、クラスの男子を撮ったスナップ写真です。