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⑤『おすすめの本・まとめ』Apex product 読書好きな方々・興味がわいた方、是非読んでみてください。

東野圭吾「11文字の殺人」
昭和末期、固定電話・ワープロ全盛の時代に起きた悲しい物語です。
推理作家の「あたし」は、交際2ヶ月で恋人・川津雅之を何者かに殺害されます…彼は生前、命を狙われていると漏らしていました。
担当編集者で友人の萩尾冬子と共に、真相解明に乗り出す「あたし」ですが、彼が通っていたスポーツクラブの主催したクルーズ旅行で、無人島に漂着するも溺死者が1人出たことが判明、次々とその時の参加者が殺害されます…雅之もその1人だったのです。
その中に、古沢靖子という、クラブの会員ではない女性も参加していて、行方不明とのこと。
その1周忌の意味も込めて、当時のメンバーと同じコースを辿るクルージングに参加した「あたし」ですが、今度は冬子が殺害され、全員にアリバイがある中、「あたし」が辿り着いた驚愕の真相とは…。
如何なる事情があろうとも、愛する者を殺された人間の哀しみと憎しみは計り知れません。
しかし、復讐しても愛する者は帰っては来ない現実を受け止めなくてはならなかったのだと思います。
「あたし」が恋人も友人も亡くしてしまった現実を受け止めて生きていくように…。
_無人島より殺意をこめて_
「アル中ワンダーランド」まんしゅうきつこ(扶桑社)
この自伝的コミックを読むのは、今回で5回目くらいかもしれません。正直、アルコール依存症の真の怖さを理解していなかった時には、完全に”他人事”として笑いながら読んでいました。
何よりも、作者のまんしゅうさんとカメラマンの弟さんとのやり取りが最高に面白かったので、「おすすめのコミックエッセイ」として自分のタイムライで紹介したのです。すると、その投稿を目にした同級生の女性が、「なんだか自分もアル中のような気がするから、早速読んでみるね」と意味深なコメントを寄せて来たのです。たしかに、彼女の投稿には、よく晩酌のお供のワインボトルの画像がアップされていました。しかし、お酒好きの方の投稿にはよくあることですし、下戸の私からしたら「お酒が飲めていいなあ」とむしろ羨ましく思っていました。
ところが、一年も経たないうちに、この同級生の女性は身体を壊して亡くなってしまったのです。そこでようやく、彼女のコメントの重みを実感して、改めて本書を読み返してみたところ、「本人が自覚できないからこその依存症なんだ」ということがよく理解できました。
作者のまんしゅうさんは、医師の元にカウンセリングに通い、処方された3種類の薬をきちんと飲み、断酒会にも参加し、わずか3か月ほどでアルコール依存症を克服出来ましたが、それは元々彼女に飲酒習慣がなかったからとも言えます。しかし、彼女のおじさんは、59歳の時にアル中による肝硬変で亡くなっています。
巻末の「アル中鼎談」の中で、重度のアルコール依存症を克服して、20年間禁酒生活を守っておられるコラムニストの小田嶋隆さんの
「アル中って、肝臓や脾臓などの内臓が優秀な”内臓エリート”しかなれないんですよね」
という言葉が印象的でした。それにしても、
「一日に日本酒を5合、多い時にはウィスキーボトルを1本くらい飲みます」
「お酒がなくなると、家にあるワインビネガーやみりん、料理酒、あとは化粧水用に買ってあったエタノールをトマトジュースで割って飲んでいました」
というほど無茶な飲み方をしていたまんしゅうさんが、
「血液検査はパーフェクトだったので、アル中とは思ってもみなかった」
というのを聞いて、アル中の底知れぬ怖さのようなものを実感できました。まさに、下手な学術書よりもためになる「アル中克服体験談」でした。
強烈なペンネームが印象的なまんしゅうさんですが、実は、TVでタレント活動されているほどのスレンダー美女なんですよ。
残酷依存症
櫛木理宇
 拉致監禁された3人の男子大学生。犯人の狙いは何か? 
疑心暗鬼に陥る被害者たち。極限状態で始まる残酷なゲーム。仲間を裏切らなければ痛みに七転八倒する拷問が待っている…。
 相変わらずイヤ〜な展開の連続だが抜群のリーダビリティで頁を繰る手が止まらない。ホント櫛木さんはイヤミスの女王😆
 間違って"依存症シリーズ"の第二作から読んでしまったが、残りの殺人依存症と監禁依存症も手に取りたい。
作品名 『そうか、もう君はいないのか』
著者『城山三郎』
大切な人を亡くした。 
その現実を忘れて過ごす日々。 
それでも、ふとした何気ない瞬間にたわいも無い出来事や懐かしい匂いを思い出し涙する。 
時には名前を呼びながら嗚咽し、 『そうか、もう君はいないのか』 と心の中でつぶやく。
『いらないねこ』ヒグチユウコ
 初めて読むヒグチユウコさんの本。猫🐈‍⬛の絵の方ね、くらいの認識しかなく、今まで手に取っていなかった。今回読んで、なんて愚かで勿体ないことをしていたんだ、と後悔した。
 絵の素晴らしさは言うまでもなく、内容も、余分なものはすべて削ぎ落とされていてとてもシンプルだけど、一文一文、そして、その文に丁寧に毎ページ添えられている絵が、心の機微を細かく描き出していて、心の奥深くに響いてきた。猫の表情の変化をどうやってこんなに繊細に描き分けてるんだろう?
 濃密な愛の世界が描かれていた。隙間なく愛されて育ち、存在を肯定されているという確かな自信を持たせてもらえる幸せ、そして、心から愛する者がいる幸せ。命あるもの、感情あるものが、真に幸福であるということはこういったことなのだなと納得した。皆がこんなふうに生きられたら、争いやいじめなど、嘘みたいになくなるのではないだろうか。
 他の本も早く読んでみたい。絵を見るだけでも十分幸せなのに、こんなに感動をもらえて嬉しかった✨
パロディではありません
かなり、忠実に描かれていると思います✨
「名画の中のネコ」
後半は大好きな映画がいっぱい
見てるだけで楽しいです💕
『司馬遼太郎の時代』  福間良明
司馬遼太郎は若い頃よく読んだ。全集を買うほど熱狂的な読者ではなかったが、文庫はすべて読んだ。気楽な読み物として単純におもしろかったのだ。
本書では司馬作品成立の背景と、なぜ多数の読者を獲得できたのかを解説している。
著者はまず、司馬遼太郎の兵役経験に注目している。司馬は戦車兵として満州に渡るのだが、ここであてがわれた粗末な戦車と陸軍の組織腐敗に憤るのである。
日本軍の戦車は鋼板が薄く、ロシア戦車の砲撃に一撃で破壊され、兵隊は戦車の中で「挽肉」になるしかなかった。しかも、敵戦車に砲撃しても、簡単に跳ね返されるような貧弱な砲身を持ったシロモノだったのだ。にもかかわらず、陸軍の上級参謀らは「鋼板の薄さは精神力で補う」と公言してはばからなかったらしい。
司馬は乗り込んだ戦車の小窓を通じて戦場を眺めたときに、自分を戦車というちっぽけで必定死の棺桶に押し込んだ体制に対する疑問を感じたという。
それは、非合理的な組織イデオロギーに奔走するエリート軍人に対する軽蔑と技術・戦術を軽視し精神主義に支配された昭和陸軍の組織悪に対するものだった。筆者は、司馬が後に書くことになる戦国・明治期の歴史小説への執筆の動機となるのが、この「昭和の戦にたいする幻滅」であったとしている。司馬にとって昭和戦争の象徴が矮小な日本軍戦車だったのだ。
司馬が描いたように戦国時代の合戦は、無駄な戦をしないで負けそうな戦には次の戦いに備えるため、あっさり降伏した。また、戦における「死」を美化しない現実的な合理性があり、それが結果として必勝主義になっていたという。そして明治の戦争においても、戦闘における合理性に基づいた技術至上主義をとっていた。司馬は自作の中で戦国・明治の戦において、斎藤道三、秋山好古などを描くことにより不毛な昭和の戦争を批判したのである。
また、彼は明治の戦争や当時の人々の素朴な楽観主義に基づいた合理的価値観を美化することによって「明るい明治時代」を書いた。著者は司馬のこの姿勢をあくまで「昭和の暗さ」を際立たせる背景を浮き上がらせるためだ述べている。
そして、司馬遼太郎が多くの人に読まれた理由は、彼の作品が出版された1960年代の高度経済成長の高揚感と列強にキャッチアップしていた明治期の昇り龍的状況が酷似していたからだという。読者は戦後の喪失感から、自信と自己肯定感の回復を彼の小説を通じて実感したのである。
その後、高度経済成長が終わりオイルショックによる低成長期に入った「昭和50年代」という混沌とした時代においても、組織(藩)の中の人格陶冶を描く司馬の小説が企業サラリーマン達にはうけた。
その頃の日本の企業は、低成長期になりながらも終身雇用制によって雇用を維持しようとしたため、従業員の組織への没入度が大きくなった。それで、半ば固定化された職場のなか、サラリーマン読者らは組織の中で自身のあり方を考えるようになったのである。
また、この時期はエンターテーメントの主流が映画からテレビに移行した時期だった。司馬の作品の多くが大河ドラマになり家族団らんで視聴された。そのフィードバックとしても司馬ブームは起こったのである。加えて、「歴史読本」や「プレジデント」といった歴史雑誌の創刊が大衆歴史ブームを起こし、一層彼の作品が注目されるようになった。
そして、同時期に司馬の小説が文庫化されるようになった。文庫は、サラリーマンがモバイル的に通勤時の断片読書をするのに向いていたのだ。当時の中堅サラリーマンの多くは中卒で、戦後の集団就職で働き始めた世代であり、大卒が享受した1950年代的教養主義に乗れなかった人たちだった。彼らが社内の中間管理職として余裕が出たことにより、若い頃実現しなかった教養の涵養に目覚めたことが、昭和50年代の大衆歴史ブームを牽引したわけである。
また、司馬作品の本文中に唐突に挿入される「余談だが」も、いわゆる司馬史観や彼の歴史解釈として読者の知的好奇心を揺さぶった。そこには、司馬の民俗学や政治学的な知見も表れており、彼の横断的博識が書き込まれていたのである。
代表作である『坂の上の雲』について司馬自身は「小説でも史伝でもなく、単なる書きものである」と述べている。しかし、それは小説として独自のスタイルで構成されており、既成の小説の枠組みから解放された読み物であった。そして、彼はこの作品で「事実」に拘った。ご承知の通り司馬は執筆にあたり膨大な歴史資料を渉猟した。なぜなら、彼は「単なる書きもの」としてのフィクションであるが故に、リアリティーを追求したからである。しかし、そういった彼独特の史実と創作が融合した小説技法は当時、文学・歴史学界両方で当惑の対象だった。
歴史学における司馬への冷遇ぶりは、現在でも根強くある。最近読んだ『実証史学への道』でも著者・秦郁彦曰く、「歴史家とは徹底的な史実資料を蒐集することにあると。事実のみの積み重ねに、ストイックに邁進すること、そのことであり、事実と事実を自分の想像力で結び付け、フィクションを創ることを厳に慎むべきだ」と述べている。同じく、歴史学者の大江志乃夫は『翔ぶが如く』を評して「史実と創作」の混濁とも言っている。
しかし、いずれにしても司馬の小説は人文知と大衆の橋渡しをしたのは確かである。司馬遼太郎は1996年に没するのだが、もし存命であれば最終的に昭和戦争を描きたかったのでは無かろうかと思う。それが、彼の戦車兵としての「昭和にたいする怨嗟」のルサンチマンになるはずだったのではないだろうか。
「美しく、狂おしくー 岩下志麻の女優道」
”これまでと違ったものに導かれていく時、
それに挑むのが好き。“
他の人間になれるという喜びに取り憑かれた一女優のディスコグラフィーとロングインタビュー。綺羅星のようなスターと監督たちのリアルガラスの仮面のようなエピソード満載です。
目隠しをして生活したり、卑弥呼の霊をおろしたり、丹波哲郎の催眠術を装ったナンパを天然でかわしたり(笑)夫である篠田監督との馴れ初めや五社監督との関係もさることながら、岩下志麻の「化粧と衣装」によって役に憑依していく気迫が文章から伝わってきます。
一流の哲学は、実にさりげなく狂っているものなのだと実感できる一冊です。
有川浩
🚋阪急電車
たまたま同じ電車に乗っていた人たちの人生が交錯する。8駅分の胸キュンストーリー。からの、折り返し…。
隣に座った女性は、よく図書館で見かけるあの人。
片道わずか15分のローカル線で起こる奇跡の数々。
偶然乗り合わせただけの乗客たち。
少しずつ寄り添いながら、やがて希望の物語が紡がれる。
登場する人たちは、みんな心に何かを抱えています。
もし、あのとき、1本でも違う電車に乗っていたら
もし、あのとき、あの駅で降りていなかったら
悩んでいたものを乗り越えられなかったかもしれない。
電車という、ごくありふれた、日常的な舞台で、小さな幸せに巡り合う楽しさを味わいました。
印象的なフレーズをほんの少し。。
珍しいものや知らないものを見つけると嬉しくないですか?だから電車に乗るといつも外が見えるポジション取っちゃうんです。特に、窓が大きいドアのそばが一番好きで
甘い恋の始まりや終わりの決意も。
誰もがみんなそれぞれの人生の主人公。
今日も人数分の物語を乗せて電車は走る。
心あたたまる物語です。
大切な人と電車に乗りたくなりました。
小池真理子「記憶の隠れ家」
記憶の奥底にあった衝撃の事実を呼び覚ます様々な家を舞台にした、全6編連作短編集です。
【刺繍の家】
部屋中を刺繍で囲まれた家に住む、パラサイト・シングルのかつての親友と再会し、その家に招かれた女性。そこで出迎えた母親は…。
【獣の家】
回収した廃品が整然と置かれた掘立小屋に住む男の元に入り浸る妹を危惧する男性医師。捨てた毒キノコが悲劇をもたらし、妹と秘密を共有することに…。
【封印の家】
箱や紙類が3畳しかない板張りの納戸に詰め込まれた古いマンションに住んでいた亡き継母。長女は遺品整理をする中、亡き実母の死の真相を知り…。
【花ざかりの家】
四季折々の花が咲き誇る家に住む、かつて妻と関係し、妻を自殺に追いやった男と再会し、家に招かれた男性。彼は再婚しても母とずっと同居していて、恐るべき事実が明らかとなり…。
【緋色の家】
かつて教鞭をとっていた教え子に再会した女性。その弟も問題児の教え子で、その父に相談に家を訪れてから、やがて関係を持つように。そのことを弟に知られてから、家が全焼、その母は焼身自殺し…。根底には弟の歪んだ愛が…。
【野ざらしの家】
夫が病死し、父の介護のために実家に戻った女性。夫の愛人の失踪の謎を調べるため、夫の秘密の隠れ家だった別荘に訪れるとそこには…。
最後の一撃にノックアウトされる作品が多いのですが、人は、恐るべき事実を知らないままでいた方が良かったのか、悪かったのか…。
背筋も凍る作品集でした。
いのちの停車場 南 杏子
東京の救命救急センターで働いていた、62歳の医師・咲和子は、故郷の金沢に戻り「まほろば診療所」で訪問診療医になる。命を送る現場は戸惑う事ばかりだが、老老介護、四肢麻痺のIT社長、小児癌の少女…様々な涙や喜びを通して在宅医療を学んでいく。一方、家庭では、脳卒中後疼痛に苦しむ父親から積極的安楽死を強く望まれ…。
「命を救う現場」から「命を送る現場」で働くことになった咲和子ですが、戸惑いながらも様々なことを経験し在宅医療を学んでいく姿に感動します。特に「人魚の願い」は涙なしには読めませんでした。安楽死は日本では認められていませんが、苦しんでいる父親を見て、咲和子が下した決断は正しいことなのか、間違っているのか、それは私には分かりません。色々考えさせられる話でした🍀
『「若者の読書離れ」というウソ』 
 飯田一史
本書を読んでまず思い浮かんだのが「最近の若者は………。」というステレオタイプの嘆きです。この手の一方的な認識不足による大人の決めつけは、古代エジプトや古代ギリシャから言われ続けてきました。
同じように大人は、自分を差し置いて「最近の若者は本を読まない」と思い込んでいます。
本書は、「若者の読書離れ」というウソを具体的な数字(主に学校読書調査)などを基に論証していきます。
結論から言うと、「子供、若者の本離れ」は虚妄であるそうです。小中高生の読書量は過去最高レベルまで達し、不読率も減っているのです。
よく言われるようなネットやスマホの影響で読書量や読書時間が減るという傾向はないそうです。
大人も含めての日本人の不読率(47.3%・平成30年)は「ふたりにひとりが本を全く読まない」状態で、これは1970年代より変わってない。
そして、読む人読まない人をならして換算しても、平均して月2冊本を読むという読書量もやはり不変のようです。
本書で著者が声を大にして述べるのは、本を読まなければダメだという大前提はナンセンスであるということです。
大人は、子供に読書を通じて知識や考え方を学んでもらいたいと思いがちですが、ヒトと話すことや動画で情報を得るほうが学習効果の高い子供もいるのです。つまり、「読書優生神話」も思い込みということです。
同じように大人は子供が読んでいる本など、ろくなものがないと決めつけがちです。ところが、大人目線で(上から目線で)読んでもらいたい本と子供が読みたい本は当然違います。
それは大人も同じで、自己啓発本や実用書ばかり読んでいるヒトに純文学や哲学書を読ませることは不可能です。同様に、子供に対して教養主義的抑圧で、むりやりハードルの高い本を読ませようとしても、読書傾向をかえることはできません。
それよりも、この時期に読書習慣をつけてもらうことが大切であり、生徒・学生は読んでいる本に関して嘆かれたり貶められたりする必要はないのです。
「コンビニ兄弟3」町田そのこ
 再びコンビニを訪れた美女に連れられ、その恋人役として結婚式に向かう太郎。その美女は店長の兄・ツギを深く傷つけた魔性の女だった…。北九州門司港の小さなコンビニを舞台に、大人たちの物語が幕を上げる。大人気シリーズ第三弾。
 ユーモア路線を全面に出し、バカバカしい展開の中にほろっとする良い話が散りばめられている本シリーズ。今回もサクッと読めて楽しい話が繰り広げられる。第三弾の主人公は、おそらく本シリーズの一番人気であろう、何でも屋を営むツギ。ツギの言葉に助けられた人々が続々と登場。ワイルドでカッコいいツギの魅力に溢れた一冊となっている。悩みを抱えり、弱っている人に届くツギの真っ直ぐな言葉、是非本作を読んで多くの人にも届いて欲しい。
 本作では、フェロモン店長とその取り巻き達の出番は少なめ。その分、コンビニ店員の太郎とパートの中尾さんの登場シーンが多めに。特にいつも冷静な中尾さんが推し活に勤しむ姿が微笑ましい。シリーズ3作までで、ツギと店長のミツ、妹の話はだいぶ温まってきたので、次作あたりでは謎の長男・イチあたりのストーリーが展開されるかもしれない。いつもながら次作が待ち遠しい、オススメのシリーズです。
「世の中と足並みがそろわない」
ふかわりょう
世の中との隔たりと向き合う、不器用すぎる歪な日常。歌人の穂村弘さんの「世界音痴」にも通じる、ちょっとひねていて、真顔でボケて、なのに変に突然鋭いエッセイです。
いろんなニュースがあって、芸人とは何かということが世間を騒がせている昨今。独自すぎる切り口から語られる“世の中”への違和感に、思わず深く頷いてしまうこと請け合いです。さすが「あるあるネタ」のパイオニア(?)。
・名前を省略することは、モノでもヒトでも
自分の支配下にあると主張するような気がして、
「まだそこまで親しくはない」と慎重になってしまうこと。
・額面通りに言葉を受け取って全く行間を読まない間違いが許されるのは綾瀬はるかだけであること。
・本当に気にしていなくさりげないのなら、わざわざぼっちや一人を強調しないはずであること。
わかりすぎる(笑)
かと思えば、
人間と深く関わって改良されていった羊は、
自分で仰向けから起き上がることができず、
”流れる雲を眺めながら、草原に溺れていく“。
その姿に自分を重ねる詩人の一面も垣間見せてくれます。
”振り返ればチャップリンとの出会いやバイトの経験などが橋脚のように人生を支えていますが、当時はそれを橋脚だとは思っていませんでした。”
”結局我々は、便利の果実と、わざわざの果実と、二つの果実を食べながら生きているのでしょう。“
自分の違和感を自分の言葉と自分のリズムで表現できると言うことは、ステキな“タレント・才能”だよなぁと思わせてくれる一冊です。
青山美智子さんの『月の立つ林で』を読みました➰❤️ポプラ社の青山さんの本は、いつもほっとさせてくれます。この本もそうでした。五章に分かれていて、主人公はそれぞれ違うのですが、少しずつ繋がっています。ラストの章は涙が溢れます❤️題名は、通して出てくるラジオ番組の主催者タケトリ・オキナの大切な思い出の言葉で、劇の題名です。それが最後に結び付くのです。まさか、ここで繋がるとは‼️
 全編通して、月の光のような温かさと優しさで溢れています。
 癒されたい方、是非読んでください✨
"「善人」と書いてヨシト、なのに空き巣で前科ニ犯の俺。
出所早々懲りもせず忍び込んだ豪邸の主は、なんと初恋相手の美女「マリア」だった。
後日、偶然を装って再開し、急速に距離を縮めていく二人……
だが、彼女に「夫を殺してくれない❓」と頼まれ困惑する俺……。"
                                           =裏表紙より=
各章の中に、現在と回想シーンが年月日をタイトルとして、交互に出てきます。
回想シーンでは、ヨシト、マリア、その他の同級生達が登場し、生い立ちや友情関係など、詳しく書かれています。
場面によっては涙がうるうる…なんて事も…
そして現在…
色々あろうとも、それぞれ大人になります。
描いていた未来予想図ではないかも知れませんが…
"不穏な現在と、懐かしく切ない平成の青春が交差する物語の結末は……
この逆転劇は絶対誰にも予想できない❗️"
                                 =裏表紙より=
はい❗️…
予想できませんでした…
"今回の逆転は…驚き&感涙‼️"
                               =帯より=
藤崎マジック…⁉️(とでも言いましょうか…)
興味が湧いた方、味わってみてはいかがでしょうか‼️
「逆転泥棒」
      藤崎 翔
「クローゼット」千早茜
 十八世紀のコルセットやレース、バレンシアガのコートにディオールのドレスまで、約一万点が眠る服飾美術館。ここの洋服補修士の纏子は、幼い頃の事件で男性恐怖症を抱えている。一方、デパートのカフェで働く芳も、男だけど女性服が好きというだけで傷ついた過去があった。デパートでの展示を機に二人は出会い…。
 京都に実在するという服飾文化研究財団。展示室を持たずに主に収集と修復を目的とする美術館らしい。この美術館を舞台に千早さんらしい、繊細で匂い立つような物語が展開されていく。始めは芳の人物像がしっくりせず、十分入いりこめなかったものの、纏子も含めて物語の展開に合わせて徐々に魅力が感じられるようになり、二人を応援したくなる。また、纏子の親友でキュレーターの晶や、補修士のリーダー雛子さんなど、魅力的なキャラクターも多い。それらの人々が最後にはちょっとやり過ぎなくらいの繋がりがある事が分かる。生きづらさを感じていたり、対人関係に多少の難がある人たちが再生していく過程を描くのが著者は本当に上手い。
 ファッション好きとしては、18世紀以降の服飾の歴史が語られていくのも楽しい。それもいつもながらの著者の描写の上手さから、脳内で映像として理解出来るから、なおさら嬉しくなる。文庫版には、著者と実在する服飾美術館のキュレーターとの対談が載っており、これを読むと千早さんが努力と好奇心の人である事を再認識できる。展開が読めないわけではないけれど、著者の作品の中でも評価が高い事に納得の一冊です。

NHKの番組で西村賢太さんを初めて知って読み始めて2冊目! 短編集、小銭をかぞえる+焼却炉行き赤ん坊。 いずれも同棲中の彼女との生活。 どうしようもない性根のひん曲がったクズ男…そして笑えそうで笑えないワサビが鼻に来るような貧乏の辛さ…。 読んでて私まで屈折しそうですが、しっかりした文体が好きで引き込まれます。

『夜明けのすべて』
瀬尾まいこ
今度、来年2月9日に映画が公開されるのもあり、読みました。松村北斗と上白石萌音で。松村北斗は、イメージと合っています。
「知ってる? 夜明けの直前が、一番暗いって。」人生は思っていたよりも厳しい。でも、救いとなる光だってそこら中にある。ささやかだけれど特別な、生きるのが少し楽になる、全く新しい物語。
PMS(月経前症候群)で感情を抑えられない美紗。パニック障害になり生きがいも気力も失った山添。友達でも恋人でもないけれど、互いの事情と孤独を知り同志のような気持ちが芽生えた二人は、自分にできることは少なくとも、相手のことは助けられるかもしれないと思うようになり、少しずつ希望を見出していく。人生は苦しいけれど、救いだってある。そんな二人の奮闘を、温かく、リアルに、ときにユーモラスに描き出し、誰もが抱える暗闇に一筋の光を照らすような心温まる物語。
お互い、相手のことになると張り切って積極的になるところ、よかったです✌
「震える天秤」
 染井為人
福井のとある町のコンビニに
高齢ドライバーがブレーキとアクセルを踏み違え突っ込み
そしてその店の店長が巻き込まれて亡くなる、という事故が発生。
高齢者の運転問題について調べ始めた
フリールポライターの律
しかし調べれば調べるほど納得のいかない問題がー
そして、被害者の過去や加害者の住む村の過去など取材を進めるうちに辿り着いた
どうにもやるせない真実……
死んだ方がいい人間
殺されても当たり前、の人間なんているわけがない
どんなに罪深い人間であろうと
許せない人間であろうと
しかし揺れ動く心
揺れ動く天秤
事件の結末とは別に
最近ニュースでもよく見かける
ブレーキとアクセルの踏み違え事件
認知症高齢者の運転による事故
しかし
車がないと生活が成り立たない地域もある
免許返納で簡単には済まされぬ
そう考えると、何てお粗末な行政
などと柄にもないことを考えちゃった。
「おかげさまで、注文の多い笹餅屋です」桑田ミサオ(小学館)
昭和2年生まれで、今年で94歳になられる作者の桑田さんの生き様が余りに素晴らしいので、再読してしまいました。
桑田さんは60歳の定年後に本格的な餅作りを始め、「笹餅屋」を起業したのは75歳の時でした。90代半ばを迎えた今でも、毎日のように27kgにもなる米袋を製粉機まで運んで製粉し、こしあんを作り、山へ分け入っては笹の葉を採り、たった一人で年間5万個もの笹餅を作っておられます。
特に感心したのは彼女の欲のなさで、「別にそんなに儲からなくてもいい」と言い切り、笹餅作りのために夜中に自宅に帰ると家族が心配するからと一人で加工所に寝泊まりし、彼女が寝ているのは押入れの上段なのです。さらに、三度の食事や山の幸を使った保存食だけでなく、日頃身に付けているセーターやニットの帽子、ジャケット、「ストーブ列車」で着る絣(かすり)の制服まで全て手作りし、未だに大型のママチャリを漕いで8km先の山中まで出かけて行くというのです。ちなみに、桑田さんの住んでいるのは雪深い青森県の津軽地方で、雪かきも全て自分でされているというので驚愕しました。
「私は小学校しか出ていませんから、やれることといえば手仕事くらいです。自分の手を使って働き、新しいことに挑戦するのに迷いはありませんでした。(中略)悩んだりするくらいならば、思い切って新しいことに挑戦してみてください。そのことが後半生をいかに楽しくしてくれるか、今の私には、そのことだけは自信を持って言えます」
このセリフが75歳で起業して、90過ぎてなお現役で働くご婦人の口から出たものだと思えば、平均して60代くらいまでは、まだまだ出来ることはいくらでもある筈。大いに勇気をもらえる一冊なので、皆様も是非ご一読くださいね。
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/19700
『777 トリプルセブン』
著 伊坂幸太郎  【角川書店】
『グラスホッパー』『マリアビートル』に続く、殺し屋シリーズ。個性豊かで、面白い名前の殺し屋達が、現れては消されていく、生死を賭けたバトルロ・ワイヤル。
ブラッド・ピット主演で映画の原作にもなった『マリアビートル』では、災難続きで新幹線から降りることができなかった不運な殺し屋・天道虫こと七尾。今度は、高級ホテルから出ることができなくなり、様々な殺し屋相手に、悪戦苦闘劇を繰り広げる。思わず、天道虫のに降りかかる後を絶たない災難に、思わず同情してしまう。
かなり過激なバイオレンス・シーンも描かれているが、決して、血生臭さを感じさせないで、シリアスさの中にも、ウィットに富んだ会話やコミカルさ感じさせる展開が、伊坂作品の真骨頂。また、クライマックスでは、それまで敵だと思っていた殺し屋が意外な方向で、サプライズを仕掛けてあるのも、面白い展開だ。
いつも通り真莉亜から、簡単な仕事と高級ホテルの一室にプレゼントを届ける仕事を請け負った天道虫。しかし、届け先の部屋番号を間違えたことで、ドミノ倒しの様に、次から次へと、殺し屋達の対峙することに…。
そんな折、ホテル内では、記憶力がずば抜けた女性・紙野結花を巡る殺し屋による事案も発生。紙野は、丁度ホテルに居合わせた天道虫に助けを求めた。しかし、紙野が狙われる事案の裏には、大物黒幕による陰謀が張り巡らされていた。果たして天道虫の運命は…?
◉ 荒木あかね 著 『 此の世の果ての殺人 』
講談社 2022年8月22日発刊 352P
今回の一冊は、昨年(2022年)の江戸川乱歩賞を受賞した作品。
若干23歳の女流作家によるミステリー、且つ冒険小説とも云える内容だった。
主人公となる23歳の小春(通称ハルちゃん)が、殺人事件に巻き込まれて活躍する物語だ。
直径7.7kmの小惑星「テロス」が、熊本県阿蘇郡に衝突を迎える日まで残り2ヶ月と迫っていた。
世界の社会秩序は崩壊し、人類はパニックに陥る。
日本人の多くは、熊本直撃を避けるために、海外へ逃げ出した。
また悲観的な人々は自暴自棄となり、自ら死を選んで街や郊外には死体が溢れていた。
小惑星「テロス」が地球に衝突すると、その衝撃波の影響を受けて30億人以上が即時に死を迎える。
熊本の地球の裏側に生き残った人々も、クレーターから舞い上がった粉塵による気象変動で、遠からず餓死か凍死が待っているのだ。
そんな絶望的な状況下にも関わらず、主人公のハルちゃんは通い続けていた自動車教習所へ出かけると、一人だけ教官が迎えてくれた。
お互いに訝しあいながらも、ハルちゃんは運転の教習を受け続けることになる。
教官のイサガワ先生は、元警察官だったことが影響しているのか、男勝りの性格と言葉遣い、そして圧倒的な行動力を示すもう一人の主人公だ。
教習車に乗ると、強烈な異臭が漂っているため、トランクを開けると女性の無惨な死体が遺棄されていた。
社会が崩壊した状況にも関わらず、元警察官のイサガワ先生は、殺人事件として犯人探しに奔走することになる。
そして何故かハルちゃんも行動を共にし、アドベンチャー的犯人探しに荒れ果てた無秩序な街に繰り出す。
どちらかと云うと引っ込み思案だったハルちゃんだが、ワイルドなイサガワ先生と行動を共にして、徐々に性格が変化する過程が面白い。
犯人探しに奔走している際に知り合う怪しげな二人とも親密になり、捜査にも協力してくれる関係になる。
捜査の過程で生じた怪我人の治療や死体の検視など、何も語らずに黙って協力してくれる医師の半田先生など、荒れ果てた世の中にも関わらず、人としての優しさと冷静さを捨て去っていない人の存在が、物語を凄惨なものだけにしていない。
荒廃した環境の中で、それぞれ問題を背負った仲間たちが協力をしあって犯人に迫って行く物語だ。
地球の終焉を迎えると云う設定は、しばしば物語として描かれる内容ではあるが、結末にそれぞれの特徴があるように思う。
『 此の世の果ての殺人 』の読了後は、決して暗い雰囲気にはならず、常に冷静な判断力と人としての矜持を持ち合わせて人生を全うすることができたならば、充実した人生と云えるのではと思わせてくれた内容だった。
23歳の若き荒木あかね女史の次回作は、どのような冒険に我々を誘ってくれるのか、とても楽しみだ。
東野圭吾【さまよう刃】角川文庫
フィクション小説 ミステリー小説?
長峰重樹の娘、絵摩の死体が荒川の下流で発見される。犯人を告げる一本の密告電話が長峰の元に入った。それを聞いた長峰は半信半疑のまま、娘の復讐に動き出す。遺族の復讐と少年犯罪をテーマにした問題作。
僕は、東野圭吾史上最も胸糞悪い作品上位だと思いましたが、少年犯罪や法の有り方が問われる作品だと感じます。特に娘さんがいる方はきっと、見ないようにしている方が居るほど、心を切り裂かれる作品。
でも、そんな方にこそ見てほしい。
東野圭吾が伝えたいことがこの作品にあると思います。
『人を殺して許される人許されない人 そんな区別があっていいのでしょうか』
日本を代表するミステリー作家 東野圭吾
「女のいない男たち」村上春樹
様々な事情で女に去られた男達の物語です。
説明もなく去られてしまった後、そのことをどう解釈し、痛みをどう解消すればいいのか?交換のきかない人生の一部であったことに気が付き、心を乱し、女を追想します。
中年手前まで来た男達にとって失うことの意味は、若い頃とはまた違う。
登場人物たちのストレートな心情告白があり、クールな初期の短編集とは違う印象でした。
「独立器官」を特に面白く読みました。
☆6編収録☆
なぜあの男と浮気したのか、そのことについて話そうにももう妻はいない。行き場のない感情、心理の流れを丁寧に描いた「ドライブ·マイ·カー」
人生の進み方がずれていくカップルの行方。
「イエスタデイ」
ある女性に恋をし、これまでとは違う自己と向き合わざるを得なくなった中年医師の内面は崩れていきつつあった。「独立器官」
シェエラザードと名付けた見知らぬ女が会うごとに語る奇妙な話。「シェエラザード」
やれやれと言っている余裕はもうない。「木野」
僕は2番目に孤独な男だ、世界で1番孤独なのは彼女の夫だ。
「女のいない男たち」
「わたしが消える」
佐野広実
自転車に乗っている時に交通事故にあい、その際脳の検査をしたことから、はからずも自分が認知症の前段階〝軽度認知障碍〞であると知らされてしまった主人公藤巻は、娘から自身が手伝いに通っている介護施設に入所する老人〝門前さん〞の身元を探して欲しいと頼まれる。
藤巻は、今はマンションの管理人をしているが、以前は刑事だった。
しかし、それももう20年ほども前に辞めているし、刑事は刑事でも県警の二課―――詐欺や偽造、選挙違反といった犯罪を取り締まる部署だった。
本当は他人のことなど考えている余裕は、ない。
早ければこれから1年で認知症に移行してしまうかもしれないのだ。
しかし、門前さんは施設の門前に置き去りにされた認知症患者だった事から、名前も何もわからず〝門前さん〞と呼ばれているのだった。
藤巻はこの門前さんに未来の自分の姿を投影し、「これは、自分に課せられた最後の使命なのではないか。」そう考え「この老人が何者なのか」という謎に向き合う事に決める。
調査が進むにつれ、何かが周りで静かに動き出す。
「これ以上調べ回るな。」
藤巻が仕事を依頼した弁護士が殺され、藤巻自身も駅のホームから突き落とされる。
何者かが、藤巻の調査を止めさせようとしている。
門前さんに関わる秘密とは、何なのか‼️
ページを重ねるごとに藤巻にふりかかってくるトラブルの危険度も増していき、この門前さんをめぐる謎の得たいのしれなさに引き込まれていきました。
悲しいお話だったのですが、終章で少し救われる思いを感じながら本を閉じました。
第66回江戸川乱歩賞受賞作です。
ぜひ😊
墓ってなんだろう
「葬る」  上野歩
「親父の墓どうしようかと
思ってる」と以前、馴染みの
ジャズ喫茶のママに話したら、
「うちの墓に入れたらいいやん。
空間ゆったりあるから」と言われた。
「高坂さんちなら、妹さんも姪御さんも
いるから、代々参ってもらえるやろ。
うちは嫁に行きそうにない娘ばっかりだから」と。
なんと悠長な懐の深い人、と僕は大笑いしたが、
さすがに、それは申し訳ない、とお断りした。
本作は、鎌倉の石材屋として生まれた娘が、
高額な都立霊園から永代供養、樹木葬、
散骨など、さまざまな”葬る”を考える
お仕事小説だ。
石材屋を訪れる客たちの過去、生き方、
エピソードが、粒立っていて、ぐっとくる
シンが多い。誰も経験する死をどのように
葬るか、自ずと考える。
いい言葉も多い。
「お墓とは、語りかける相手だと思います」
「古代・中世では野原に遺骨が散らばっている
風景が見られたが、これは遺棄葬ー野捨てだ。
死体を地中に埋めずにさらして、風化させる葬法。
風葬だな。そして、これに近い葬法が、樹木葬、
散骨などの姿で現代に復活し始めているわけだ」
「葬ればそれで終わりってことじゃな。
遺された人たちは、そこから次の道へ
歩き出す。そして、悲しみは消えたわけではない。
だからあたしは、遺された人たちが次の道に
歩み出したときに、生きる支えとなるような
葬り方ができるように、せめて相手の話を
よく聞かなければって改めて思った」
「お前がやってるのは、人がいきるために
必要な仕事だ」
「人が生きるため?亡くなった人のためではなく?」
「そうだ。そして、おまえはよくやってるよ」
”人が生きるための必要な仕事”
拓海に言われて、しみじみ嬉しかった。
 
自分をどうやって葬ってもらうのか。
いつの間にかそんなことを考える年になってました。
 
クラウディア・ゴールディン『なぜ男女の賃金に格差があるのか』(慶應義塾大学出版会)
著者は、米国ハーバード大学の経済学の研究者であり、今年のノーベル経済学賞を受賞しています。英語の原書のタイトルは Career and Family であり、2021年の出版です。本書では、コミュニティ・カレッジのような短大ではなく4年制の大学卒の学士、あるいは、それ以上の上級学位を持つ女性を対象にして p.30 に示してあるように、女性の大学卒業年として1900年から2000年の約100年間を取り、この期間における女性の職業キャリアと家庭の歴史を振り返りつつ、男女間の賃金格差を論じています。学術的な正確性ではなく、ふたたび大雑把にいって、職業キャリアは職=ジョブと職=ジョブをつなぐものくらいのイメージです。そして、タイトルにある "Family" は「家族」というよりは「家庭」です。その際、この100年間を大雑把に20年ごとの5期に分割しています。
第1期、すなわち、1900年から1920年ころに大学を卒業した女性たちであり、家庭かキャリアか、どちらか一方を選ぶ選択に迫られていました。キャリアを選ぶ大卒女性は結婚して家族を持つことを諦めざるを得ないケースが少なくなかったわけです。そして、第2期の1920年から1945年の大学を卒業したグループは、卒業後にキャリアを始めるものの、日本の「寿退社」に相当するマリッジ・バーによりキャリアを諦めざるを得ないことになります。
第3期の1946年から1965年に大学を卒業した女性たちは、米国人の早婚化に伴って早くに結婚し出産を経て、子供の手がかからなくなった段階でキャリアを積む世界に入りました。第4期の1960年代半ばから1970年代後半に大学を卒業した女性たちは、女性運動が成熟したころに成人し、避妊薬であるピルが利用可能になり、キャリアを積んでから家庭を持ちました。そして、第5期の1980年ころ以降に大学を卒業した女性たちは、キャリアも家庭も持つ一方で、結婚と出産は遅らせています。
ここで分析対象になっているのが、大卒ないし上級学位を保持する女性ですので、日本的なサラリーマンとは少し違うキャリアが垣間見えます。職業としては、医師、獣医師、会計士、コンサルタント、薬剤師、弁護士などが取り上げられています。でも、こういった職業キャリアには、代替可能性という観点で大きな違いがあり、弁護士業務では弁護士間での代替可能性が低く、例えば、極端な例ながら、裁判の途中で担当弁護士が交代するケースは考えにくいわけです。したがって、長時間労働は時間当たりの賃金単価を引き上げることになると、本書では指摘しています。他方で、薬剤師などは代替可能性が高く、誰が処方しても同じ薬が販売されるわけで、賃金単価は労働時間に影響を受けません。
そして、ここからが重要なポイントだと私は思いますが、現在までの経済社会におけるジェンダー規範により、男性が長時間労働を引き受け、女性が短時間労働で家庭内の役割を受け持つとすれば、弁護士では男性の賃金単価が女性よりも高くなるわけですし、薬剤師では賃金単価は男女間で変わらないものの、労働時間の長さにより一定期間で受け取る週給とか月給は男性の方が高くなりがちになります。といったような分析が明らかにされています。
ただ、私が大きな疑問を感じているのは、「男性は外で長時間働き、女性は家庭内の役割を引き受ける」というジェンダー規範を前提にしている点です。このジェンダー規範を前提にすれば、多少のズレはあっても、ほぼほぼ男女間に賃金格差が生まれそうな気がします。ですので、この根本となるジェンダー規範がいかに形成され、いかに克服されるべきか、を分析し議論しなければならないのではないか、と思うのですが、いかがなものでしょうか。例えば、人種差別が存在するのを前提として白人と黒人の賃金格差を論じるのは適当かどうか、私には疑問です。
歴史的な観点で女性のキャリアと家庭を分析する視点は大いに啓発されましたが、ノーベル経済学賞という看板を外すと、マイクロな労働経済学という私の専門外である点を考慮しても、やや物足りない読書でした。もっとも、当然に、私の読み方や理解が浅いだけかもしれません。その点はそれほど自信はありません。
立花隆さんの「死はこわくない」
この本は、様々な角度から、人の死を論じた
文章を集めています。
立花さんが書いています。
「人は死ぬ。人はみな行きつづけることを
求めて、毎日行き続けている。しかし、
どうすれば生き続けられるか誰も知らない。
永遠に生き続ける人は誰もいない。人は
すべてある日、死ぬのだ。」
「いくつになっても死ぬのが怖いと
大騒ぎする人はまだまだ若いのだ。
そういう人も別にあわてることはない。
そのうち自然と怖くなくなる。」
「ぼくは密林の象のごとく死にたい」
色々と考えさせられる本です。
・生とは?死とは?
『新火を産んだ母たち』
 井手川泰子 海鳥社
この作品集は、著者、井手川泰子さんがかつて日本最大の産出量をほこった筑豊炭田がすべて閉山した1973年と時を同じくして、この炭坑内で働いた女坑夫の人々への聞き書きをとおして、10年以上の歳月をへて完成させた驚嘆すべくドキュメント記録文学です。そしてこのタイトルの名付け親でもある作家・上野英信さんの『追われゆく坑夫たち』とともに筑豊炭田で働く人々の魂の轍の軌跡をたどるようにしてまるでその両輪であるかのように読む者に迫ってきます。
《後追いして泣く子を追い返して、こけて泣きよっても(中略)見らぬふりして先へ急ぐ。(中略)子供ができると産まなならん、生まれて口が増えれば、前にもまして働かなならん。
(中略)伝右衛門さんとかの、偉い人の一生なら話になって残るやろうが、私のごと取るにたらんげな昔の話が、何か役に立つことがあるかねえ。》こうして井手川さんが聞き書きした老女たちの数は、80人にのぼり、大正12年に筑豊炭田で、働く女坑夫は、5万人いたという。
《私は七つ八つから坑内に下がった女坑夫やきね、セナ籠の担い棒でこすった火傷のようなヤケの跡が肩にあるが、血の涙が出るほど痛かったよ。母の肩にもヤケがあったが、それを思うと、母の苦労がしみじみわかるバイ。》
この引用文からもわかるように、母親坑夫のその娘もまたいやがおうにも坑内に下りてゆかねばならず、当然ながら学校にもゆけず字の読み書きができない子どもたちが筑豊炭田ではめずらしくないという。
《うちは学校の学問はしてないけど、この体が学問してきちょるきね。世間の理屈はようわかっちょるばい。人は我が身。これが私の一生やったと》
この文集の聞き書き語りのなかで一番のお気に入りは『けんか女』です。これは、民俗学者の宮本常一氏の『忘れられた日本人』のなかに出てくる「土佐源氏」に匹敵する内容であると思いました。しかし何と言っても印象深い女坑夫は、古川目尾(しゃかのお)炭坑で《女ご先山》と畏れられ崇められた河島タカさんです。井出川さんが最初に聞き書きした方だそうです。宮崎県の日向から30歳を過ぎて子連れで夫婦ともども筑豊炭田に故郷に一旗あげるためにやってきました。
タカさんとの最後の別れの場面には、涙が溢れました。「タカさんが『死ぬまでにま一度、井手川さんに会えるやろうかなあ』と言いよりますき、また話聞きに来ならんですか」仲良しのトミみさんからの電話があって再会を楽しみにしていたその数日後にタカさんは、96歳で、彼女らしい潔さであっさりと永い眠りについてしまわれたそうです。
この本の語り口は、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』のアウレリャノ・ブレンディア一族の肝っ玉母さんであるウルスラを彷彿させ、中上健次のオリュウノオバを想起させる。口承文学の系譜に連なる稀有な作品です。
そして最後まで読みきったあとで奇妙な符号に気づいた。この本の聞き書きに、井手川さんが着手されたのが1973年である。この年に世界と日本で音楽のシーンで画期的な出来事がおきている。ベトナム戦争で米国が敗北し、帰還兵の精神を慰撫したのがピンク・フロイドの『狂気』で何十年にもわたりアメリカの音楽チャートにとどまりつづけ、日本の学生運動が挫折し個人主義と国家・社会の断裂を相対化したのが筑豊出身のシンガーソングライター井上陽水の『氷の世界』であり、LPレコードとして国内ではじめて100万枚のセールスを記録した。今年はそれからかぞえて50年である。奇蹟的なシンクロが起きていたのです。
タカさんが好んで口にした、「炭坑節」をもじった次の歌は紛れもないブルースであった。
♪好いて好かれて惚れおうて
 一夜も添わずに死んだなら 
  私ゃ菜種の花と咲き
   おまえ蝶々でとんで遊ぼ
        サノヨイヨイ♪ 
春になると遠賀川は咲きほこる菜の花で溢れかえるのです。
楡周平 『再生巨流』
理系頭脳の私が最も不得手とする経済小説である。
今や飛ぶ鳥を落とす勢いでベストセラー作家になった池井戸潤。
彼の作家としての分水嶺となったのは「鉄の骨」であった。
私が経済小説を読む契機となったのはこの本のお陰である。
さて『再生巨流』は宅配便大手のスバル運輸の敏腕であるが、その個性的人格が仇となり左遷の憂き目にあった吉野公啓が僅か3人の部下と共に斜陽下に陥ったスバルを起死回生のプランを興して、反勢力の横槍に七転八倒しながらも見事に再生していくビジネス現場を描いた佳品である。
この手の経済小説分野に於いては楡周平は頭ひとつ抜きん出ている。
私が楡周平をして一番感動を覚え一気にファンとなったのは、とある東北地方の財政破綻寸前の都市を一青年と仲間たちが再生していく「プラチナタウン」である。
映画化もされたのでご記憶の方も居ると思うが、大泉洋の快演もあり非常に魅力あふれる作品であった。
文庫本にして550ページに及ぶ長編ながら一気呵成に読者を引き込むストーリー展開は秀逸で読後の爽快感は秋空の如く晴れやかである。
ダイイング アイ 東野圭吾 光文社文庫
東野氏の得意分野の一つと言えるホラー・ミステリーです。 ある交通死亡事故を発端とし、その被害者のパートナーによる復讐行為によって主人公が記憶を喪失することから、不気味なストーリーが展開していきます。 被害者の亡くなる瞬間の目の記憶が主人公を精神的に追い詰めていくのですが、最後には主人公の記憶の回復と共に明らかになっていく真の加害者も破滅させることになります。 誰にでも起こり得る交通事故という事象が起点になっているためでしょうか、リアルな怖さがあります。
三浦春馬と高橋メアリージュンの主演でドラマ化もされているようですが、これを夜、一人で観ていたら怖いでしょうね・・・。
『人生論』 養老孟司著
先日ここで紹介されてた本です。
彼が65歳過ぎ、東大の教授を退職、振り返っての人生論。幼少期には昆虫に興味があり、そちらへの道も考えられたようだけど、お母さんが医者ということもあり?医学、それも解剖学へ。
そして、やはり彼にとって、戦争と学生紛争が影響をうけたようだ。物事をずっと考え続ける質?私とは正反対😅だからこんな本が出せる。
『バカの壁』も今読み返しています。更に、彼のお母さんの著書『ひとりでは生きられない ある女医の95年』も読んでみようと思ってます。👍
養老孟司の人生論 (PHP文庫) https://amzn.asia/d/aNpdDyA
この数年、「効率、非効率」「自分にとっての幸せ」について随分と考えた。効率ばかりが優先される近頃の社会ですが、非効率なプロセスの中にこそ大切なものがあり、そこに「幸せ」が隠されていくはずだ。と確信し、そういう価値観を大切にできる会社を作りたくて起業した。
「人生でそんなに効率的に生きたいのなら、生まれてからすぐに死んだらいいよな。。。」
と、思ったこともあったが、流石に人前で語るには過激過ぎかな〜と思いプレゼン等では言わなかった。
が!同じこと言ってる人見つけた!
またしてもひすいこたろうさんか!笑
昨日みたYouTubeでは斉藤一人さんも同じ事言ってました。 どっちが先かどうかとかはどうでも良くて、とにかく嬉しい。
この本、買い!!
『口訳 古事記』  町田康
やばいくらいに、めっさおもろいのでアッちゅうまに読んでもうた。町田康の本領発揮。『くっすん大黒』以来の会心の作ではないだろうか。
ご存じの通り『古事記』は日本建国の歴史を皇位正統性にしたがい、神話や詩を交えて書かれた書物である。本書もまさにその通りに書かれてある。しかし、当然町田のアレンジが加わっているので死ぬほど可笑しい。
出てくる神々がいちいち下衆で、子供のように無邪気で残酷なうえに喧嘩っぱやい。なかでも、大国主神は正統な皇位継承者であるにもかかわらず、アタマが弱いのかお人好しなので、これを疎ましく思う兄弟にカジュアルに何度も殺される。そのたびに母の命に「ほんまに殺されやすい子やで、この子は」と生き返らせてもらう。そんで、また性懲りも無く兄のところにララララーと踊りながら近づいて行って策略にはめられて殺されるを繰り返す。
しかし、なんといっても倭建命(日本武尊)の章が最高におもしろい。周知の通り倭建命は智力・武力に秀で、源義経ばりの戦の天才であった。しかし、時の天皇・景行天皇は彼を快く思わず、良いように各地に征伐に向かわせて疲弊させる。「なぁ、なんでも西のほうに、いい感じでたてつく地神がおるそうやで。いっちょかるくしばいてきてやりぃ」などといって倭建命を向かわせる。
彼は行く先々で敵をどつきまわし、「いきっとったら言わしてまうど、こらぁ」と恫喝を繰り返し、イケイケのムードで全国統一する。しかし、自分が天皇に嫌われていることを知っているので何かむなしい。そうこうするうちに段々、判断能力も衰え伊吹山で吹雪に遭いそれがもとで尾津の松で病に倒れ望郷のうちに入滅する。戦いに明け暮れ病死したヤマトタケルの死にざまが、哀愁漂って良いのである。
「なんか、こう最近おもしろくねぇなぁ」なんて思っているヒトには勧めです。スカッ!と笑えますから。
『ふりさけ見れば 上下』 安倍龍太郎著
上下巻計900ページの大作でした。8世紀、唐の時代に遣唐使として渡った、阿倍仲麻呂と吉備真備が主人公です。17歳で唐にわたり、科挙試験に受かり出世し、玄宗皇帝の側近までになり、30数年ぶり、鑑真と一緒に日本へ帰還。しかし、仲麻呂の船は南方に流され長安にたどり着き、結局皇帝に最後まで仕える。
かたや、日本へ帰り、途中藤原との権力争いにて、太宰府へ左遷も経験するが、最後まで政治の中心として生き抜く真備。
難解な時代だが、非常に読みやすい文章で、特に二人とそれぞれの婦人とのふれあい、会話は生々しく面白かった。仲麻呂の第二婦人は玄宗皇帝の婦人になった楊貴妃の姉、玉鈴である。✌️😍
読み応え有りのオススメ作品ですねー👍😌
ふりさけ見れば 上 https://amzn.asia/d/8jC7XK3
小川 理子著
『音の記憶 技術と心をつなげる』
ジャズピアニストの感性と音響心理学のコラボレーションとも言える書。好きだから、好きです。
Panasonic執行役員テクニクス事業推進室長 にして世界的ジャズピアニストでいらっしゃる小川 理子(みちこ)さん。関西フィルハーモニー管弦楽団との恒例の「バレンタインコンサート」では指揮者の藤岡 幸夫さんに『りこちゃん』と紹介される間柄。
また、松下幸之助さんのお心から、浅草寺雷門の大提灯は定期的に張り替えられてきました。提灯下端の輪っぱには『松下電器』の古びたプレートが受け継がれて来ています。
Panasonicになっても、ナショナルであっても受け継がれてきた 心 を其処に見る想いですね。 オーディオの名門Technicsを復活し現在のPanasonic CTOである小川理子さんのご著書『音の記憶』にも書いておられます。
写真は、2019年のバレンタインコンサートで小川さんにサインを戴いたご著書。
「複眼の映像 私と黒澤明」
橋本忍
世界で最も有名な日本人、黒澤明。
その生涯の代表作は?と問われれば、真っ先に上がるであろうのが「七人の侍」「生きる」「羅生門」。実はこれらは全てこの橋本忍氏との共同脚本なのです。そんな一見黒澤明の名声に隠れがちな氏の、魂の自伝が本書です。
“良きシナリオ無くして良き監督は存在しない”
がモットーの氏は、後年黒澤明と袂を分かってからも白い巨塔、八甲田山、日本沈没、砂の器、私は貝になりたい、八つ墓村などなど、そうそうたる作品の脚本を手がけてきました。ことごとくがそれぞれの監督の代名詞的代表作になっているのは凄まじいの一言です。
そんな橋本忍にとって、やはり黒澤明というのは一監督を超えた存在だったようで。二人の共同脚本制作の壮絶な風景や舞台裏などが確かな文章力で綴られていて、七人の侍が出来上がっていくその様子はもう高鳴るなという方が無理というものです。
が、実は本書はここからが強烈に面白いのです。
「これが最高傑作だ!!」という興奮、その後やってくる「生涯これを超えることはできない」という傑作を作ってしまったものへの天罰を感じる焦燥。。
黒澤明という映画監督がその後歩んで行った順風ではない道、職人から芸術家へ。
それを複雑な思いで見詰める橋本忍。
そして晩年。
俄然人物が立ち昇っていき、よりドラマティックによりリアリスティックに創作の業が描かれていきます。
著者が“失敗作”と断ずる「乱」の映画場面と黒澤明自身の描写が交互に展開されるくだりは胸にきました。
文字通り命をかけて黒澤明のことを最後に語るべく筆をとった著者の、病室での
“もし、、、”
は嗚咽無くして読めません。
日本映画の今後を誰よりも憂い。
細かいエピソード一つ一つが珠玉で映画史なのですが、人間讃歌としても非常に美しく、
「黒澤明」という人物を今後どう感じるか、その確かな補助線となってくれる一冊です。
龍應台著、天野健太郎訳『台湾海峡一九四九』(白水社、二〇一二年)
中国共産党との内戦に敗れて大陸から台湾に逃れた外省人の、それも下級兵士あるいは市井の人の立場から一九四五~一九四九年の国共内戦、国民党、国民軍の台湾遷占にともなう(混乱)状況を明らかにした本です。
中国共産党史観で書かれた抗日戦争、国共内戦の「歴史」が氾濫する現状で、同時期における中国共産党の残虐性を静かに告発したノンフィクションであり、中国大陸で発禁になっている理由がよくわかります。
台湾・天下雑誌出版から中国語版が出ているので、中国語を読める人は原書で読んでください。歴史と言語が密接に連関し、言語が歴史を形成するひとつの重要な要素であることが解ります。
台湾の文化大臣を務めたこともある著者の龍應台さんが、とてもチャーミングな女性である事実も行間に滲み出ています。
中国語版は、龍應台『大江大海一九四九』(台湾・天下雑誌、二〇〇九年)
井上文則著『軍人皇帝のローマ-変貌する元老院ト帝国の衰亡-』(講談社選書メチエ)を再読しました。
ローマ帝国史に興味がある方であれば、「3世紀の危機」と「軍人皇帝時代」という語は、必ず聞いたことがあると思います。軍事情勢が悪化し、貧富の差が拡大して帝国が混乱に陥った紀元3世紀、支配権は元老院階級からイリュリウム(バルカン半島)出身で下層民から登り詰めた軍人皇帝の手に移ります。軍人皇帝時代を代表する皇帝であるアウレリアヌス帝、ディオクレティアヌス帝、コンスタンティヌス帝などは皆、バルカン半島出身です。
当時のバルカン半島は、優秀な軍人を生み出す環境下にあったと考えられますが、4世紀の歴史家アウレリウス・ウィクトルは、ディオクレティアヌスら四分統治時代の皇帝を評して、「これらすべての者たちの祖国はイリュリクムであった。教養は欠いていたけれども、農事と軍務の苦難に慣れており、国家にとって最良の人たちであった」と述べており、これ以上にイリュリア人皇帝の姿を的確に言い表すのは難しいと、本書の著者は述べています。
それでは、何故、バルカン半島出身者の優秀な軍人が元老院階級に代わって台頭することになったのか?そのきっかけを作ったのが、ローマ帝国史に興味がある方であれば、これまた必ず名前を聞いたことがあるはずの人物、ウァレリアヌス帝だというのが、本書の重要なポイントの1つです。
ウァレリアヌス帝といえば、260年にササン朝ペルシア帝国のシャープール1世と戦って捕虜となったことから(エデッサの戦い)、3世紀の危機を象徴する無能な皇帝、との印象が一般的ではないでしょうか。
しかしながら、本書によれば、ウァレリアヌス帝は、出身階級にとらわれない能力本位の人材登用で軍隊を再建し、地方軍が僭称皇帝を擁立するのを防ぐために強力な中央機動軍を創設(事実、ウァレリアヌス以後、正式な皇帝が僭称皇帝と争って軍事的敗北を喫する事態は激減)、更には、広大な帝国防衛の責任を分担する共同皇帝を置くなどの改革を行った、優秀な人物だったということです。
※ウァレリアヌス帝の政策は、アウレリアヌス帝、ディオクレティアヌス帝、コンスタンティヌス帝などバルカン半島出身の皇帝達も基本的に踏襲しています。
近年は欧米でもウァレリアヌス帝の再評価が行われているようです。
上記のウァレリアヌス帝による諸改革の内容、それがバルカン半島出身軍人の台頭にどの様に関係するのかの詳細については、是非、本書を読んで確認いただきたいです。
軍人皇帝のローマ 変貌する元老院と帝国の衰亡 (講談社選書メチエ)
 https://amzn.asia/d/0KWz9PU
戦争のトラウマを雑嚢に詰めて帰還して来た兵士達の短編集。
戦後の遊園地に来た父子。ジェットコースターに乗れない零戦の元パイロット。お化け屋敷の中で土下座をする玉砕の島から生還した兵士。
「僕をあなたの腹におさめて国に連れて帰って下さい」と人肉食を懇願する兵士。心に刺さる台詞でした。
新人警察官の社会人としての成長物語。
主人公が交番勤務の新人警察官なので立番、巡回連絡、職質、ダメな先輩等知らない事が描かれていて面白い😀
怒鳴られながら頑張って組織人として地域を守る姿も良かった。
警察ものの定番の刑事や祖対の警官でないのが面白かったです。
作家が元警察官僚だったのでリアルなんですね。
シリーズで老警、女警等ありますけど信任警視も面白かった。😄
文庫本も出ているので警察もの好きな人は読んでみて下さい。😄
「元彼の遺言状」新川帆立 2021年
同著者の「倒産続きの彼女」に主人公の麗子が出てきたような記憶が。先日「競争の番人」も読んだが、本作が一番面白かった。言い換えると、このミス大賞受賞後の作品は、本作を超えられていないとも言えるかも。
主人公のキャラ立ちがよく、ここまではっきりしているとむしろ清々しささえ感じる。これが、本作の一番の魅力かも。後は、本職弁護士だけあって、ビジネスや法律についての記述が正確、合理的で、読んでいてストレスを感じない。いい加減な作品が多すぎる。誰だって、このヘンな遺言状を見たら、まず公序良俗を思い浮かべるはずで、ちゃんと手当てされている。
綾瀬はるかさんでフジでドラマ化されているが、どうもしっくりこない気がする。ドラマではなぜか銀治が省かれているが、黄色のロールスロイスが手当できなかったのか?残念。
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 第19回『このミステリーがすごい! 』大賞 大賞受賞作
「僕の全財産は、僕を殺した犯人に譲る」――奇妙な遺言状をめぐる遺産相続ミステリー!
シリーズ累計48万部突破!
テレビ・新聞・雑誌・WEBニュースほか各メディアで話題
(あらすじ)
「僕の全財産は、僕を殺した犯人に譲る」。元彼の森川栄治が残した奇妙な遺言状に導かれ、弁護士の剣持麗子は「犯人選考会」に代理人として参加することになった。数百億円ともいわれる遺産の分け前を勝ち取るべく、麗子は自らの依頼人を犯人に仕立て上げようと奔走する。ところが、件の遺書が保管されていた金庫が盗まれ、さらには栄治の顧問弁護士が何者かによって殺害され……。
『ぼくらの戦争なんだぜ』  高橋源一郎
高橋源一郎の「知」に対する姿勢は一貫している。それは、「懐疑」である。常に疑ってかかる態度であり、用心深く知と対峙することである。何事を述べるにしても書くにしても、立ち止まりつつ迷い疑いながら順序立てて外堀を埋めるようにじわじわと論拠を固めていく。
本書で「戦争」を考えるため、著者はまず世界の歴史教科書を読む。戦争の加害者の国の教科書と被害者の国の教科書の両方読むのだ。
先の大戦を各国は、どう自国の歴史の枠組みに位置づけたか、それを将来(子供)にどう伝えようとしているのかを確認していく。
次に、「戦争」を「大きなことば」と「小さなことば」という尺度で考えていく。
「大きなことば」の例として、いわゆる戦意高揚のために軍から依頼を受けて書かれた文学、ここでは高村光太郎の詩を掲載している。高村は戦地から遠く離れた安全な場所から、見てきたように勇ましくも神々しく戦う皇軍兵士の姿を高らかに讃える詩を書いた。
一方、「小さなことば」を語った人とは、名もない無名詩人たちのことである。彼らは一兵卒として前線に立ち、銃弾に倒れ大陸の土に朽ちていく友をつぶさに記録し詩に書いた。
そこで著者は戦争の本質を語っているのは、どちらであるかを問うている。そして、こういった前振りを長々と記述して、最終章に太宰治を持ち出してくる。本書の太宰治に関する考察が、衝撃的だったのだ。
一般的に太宰治は、戦争肯定側の作家と見なされている。僕もそのような文脈で彼の作品を読んできたし、そういう意味では体制の「犬」だと思い、軽蔑もしてきた。あれほど快楽的な人生を送った人間であれば、容易に体制側になびくであろうし、実際そうであったじゃないかと思っていた。
しかし、そうではなかったのだ。この最終章を読んで目からうろこであった。高橋源一郎は、もっと精緻に彼の作品を読み込み、そこに隠されたメッセージを正確に読み取っていたのである。
つまり、太宰は軍政下にあって、挙国一致のために結成された日本文学報国会の依頼に応じて小説を書いた。しかし、太宰はその小説に巧妙に「反戦」「厭戦」を書き込んでいると高橋は指摘するのである。
例えば、真珠湾攻撃当日の日記を装って書かれた「12月8日」という短編は、その日の夫婦の会話を通じて描かれている。主人(作家。おそらく太宰自身)と主婦である主人公の会話で、ラジオが伝える日米が開戦状態には入った西太平洋について話している。そこで主人は
「西太平洋って、どの辺だね?サンフランシスコかね?」
と、とぼけてみせる。当時、ほとんどの国民が神妙に聴き入った開戦のニュースの前で主人であるところの太宰は、道化てみせるのである。
また、この短編の別の場面でこの夫婦は、娘を連れて銭湯に出かける。しかし、灯火管制で帰りに街灯が消えてしまい真っ暗になってしまう。娘を背負ったまま立ちすくむ主人公の婦人の元に、後ろから鼻歌交じりに近づいてきた主人は
「なあんだ、おまえたちには、信仰がないから、こんな夜道にも難儀するのだ。僕には、信仰があるから、夜道もなお白昼のごとしだね。ついてこい。」と、どんどん先に立って歩いて行った。
ここでいう「信仰」とは、軍部と国民が創り上げた「戦争勝利」という物語のことであろう。太宰はこの「信仰」のもと、どんどん「夜道」という不確実な戦争の泥沼に進んでいく時勢を揶揄しているのである。
このように、太宰は深読みすればそれが反体制であるような文章を、日本文学報国会に提出する。真意が露見すれば、治安維持法で殺されるようなことを平気でしていたのである。彼は、戦時下という緊張状態のなか、死の前で道化を装ってみたのである。ギリギリのところで軽やかに踊ってみせたのである。
本書では「散華」という太宰の短編も掲載されている。これは、太宰を師と仰ぎ彼の元に小説の書き方を習いに来ていた「三田君」の物語である。三田君は激戦地アッツ島に出征し、太宰に4通の手紙を送ってくる。しかし、アッツ島の戦いは玉砕に終わる。当時使われた「散華」「玉砕」という言葉は、本来花が散る玉が砕けるという意味である。しかし、戦時中「散華」「玉砕」という言葉は、国家により動員された兵隊が死ぬ言葉にすり替えられてしまう。
この短編のなかで太宰は、三田君の小説はうまくなかったといっている。にも関わらず、彼は何度も太宰に小説を送りつけてきた。彼は、太宰に好かれたかったのではなく「文学」に好かれたかったのだろうと太宰は推測する。
三田君の最後の手紙はこう書いてあったという。
「お元気ですか。遠い空からお伺いします。無事、任地に着きました。大いなる文学のために、死んでください。自分も死にます。この戦争のために。」
太宰のこの短編は、国家に奪われた「散華」「玉砕」という言葉を、本来的な意味に使い戻すために書かれたのだと思う。つまり太宰は、これらの言葉は美しく死んでいった三田君のために使われるべきだと思ったのだろう。
手紙の中で、三田君は戦争で死ぬことを予期している。そして、彼はそのことを文学のために死ぬことだと言い換える。
彼もまた、国家によって奪われた自分の命と「言葉」を「文学」により戻すと宣言しているのだ。非常に遠回しであるが、太宰流の「反戦」の表明といえるだろう。
このように、太宰の戦中の文章は、すさまじい諧謔と皮肉に貫かれており、言論統制のなかスレスレの内容を小説に叩き込んでいる。当時彼の小説には、その手並みのすばらしさやキレが際立っていた。ある意味、こういう緊張状態だったからこそ、珠玉の作品が結実したのかもしれない。
戦後、彼は自殺するのだが、遺書には「小説を書くのが嫌になった」と書かれていたという。あるいは、戦後の弛緩した、ぬるま湯の中では書くことができなくなった、ということだったのかもしれない。
「失敗の本質」
現代日本でも散見される組織の構造的特徴や問題。
是非多くの方に読んで欲しいです。
《以下引用》
敗戦の原因は何か? 今次の日本軍の戦略、組織面の研究に新しい光を当て、日本の企業組織に貴重な示唆を与える書。ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ沖海戦、沖縄戦という大東亜戦争における6つの作戦の失敗の原因を掘り下げ、構造的問題と結びつけた日本の組織論の金字塔。
「障害者支援員もやもや日記」松本孝夫
「非正規介護職員ヨボヨボ日記」が良かったので読んでみた日記シリーズ!
これはもうボロボロに泣けました!!!
著者の松本孝夫さんは、70歳を迎えようとする歳に自分で経営していた会社が倒産し、職探しに奮闘していました。
ある日、新聞チラシで介護職の仕事を見つけ、高齢者ホームだと思い込み面接を受けたところ、そこは知的障害者向けグループホームでした。
こうして松本さんは70歳から、グループホーム「ホームももとせ」で、非正規障害者支援員として働く事になりました。
男女合わせて10名ほどの利用者がいて、松本さんは5人の男性の支援に8年間携わります。5人それぞれ色々な障害がありますがみんなそのホームから職場に通っています。
「ホームももとせ」では利用者を「ヒコさん」「ミッキーさん」などあだ名で呼んでいて、それぞれ抱える障害はまるっきり違うものの、利用者同士は兄弟のように仲良く暮らしています。支援員の松本さんは孫の様な年齢の彼らと暮らしながら、障害について学んでいったそうです。
私も、知的障害や精神障害についてまったく知識がなくこの本を読んだのですが、職員になった松本さんも「どこの知能が遅れているのかわからない」と言っているごくごく普通の若者もいて、健常者と障害者の区別は難しいと思いました。
松本さんは、2022年の1月に、脊柱管狭窄症と診断され、歩く事はおろか座る事すらできなくなり、8年間続けていた仕事を休職します。そして、2022年の12月までにこの本を書き上げ、「あと少しで復帰できる」とまだまだ続ける意思を最後に記しています。
なかなか障害への理解も偏見もなくならない今の日本。
松本さんはこの本を書く時に、自分が見てきたありのままの光景を本にする事で、障害者の人たちが置かれた環境や境遇をたくさんの人たちに知ってもらうことが、現実を変えていく力になると考えたそうです。
私はこの本を読んで、松本さんのようにどこまでも広い心と人間への深い愛情がなければこの仕事は務まらないと思いました。
そして70歳で見知らぬ世界に飛び込んで行く勇気と、朝晩関係なく一日中働く元気にも尊敬しかありません。
この本は実際に障害者支援員として働いている人にしか書けない貴重な体験談です!
医師や看護士が主人公の本はいくらでもありますが、障害者支援員が主人公の本ははなかなかないと思いますし、小説家が想像だけでのフィクションは書けない職業だと思います!!
興味の湧いた方はぜひ手にとっていただきたい一冊です!!!
「傑作はまだ」瀬尾まいこ
読み始めて「えっ、瀬尾さん。ちょっと設定が極端すぎへん?ありえへんのやけど。」って思いましたが、やっぱりそこは瀬尾さん。最後は温かい気持ちにさせてくれて、読後感は「やっぱり瀬尾さん、定期的に読まなきゃなー」って思いました。
引きこもりの作家、加賀野の元に突如現れた25歳息子の智。
実は初対面。
学生時代、飲み会の後一夜を共にした美月との間に出来た子供。生まれる前に、月10万円の養育費だけ送ってくれるだけでいい。わたし一人で育てると言われて、本当に一度も会わずにそうしていた25年間。
月一回、養育費を振り込まれた代わりに智の写真が送られてくるだけの25年間。
普通、ありえへんやろー。
でも母親の美月が凄い人で、色々影で息子のために動いていた。
子育ての大切さを考えさせられる一冊になったかな。
外観や流行のものに流されると内面が見えなくなる。
うちの孫も智の様な人に優しい綺麗な心を持った子に育ってほしいものだ。
市川沙央【ハンチバック】
文藝春秋 文学小説
第169回芥川賞受賞。
選考会沸騰の大問題作!
「本を読むたび背骨は曲がり肺を潰し喉に孔を穿ち歩いては頭をぶつけ、私の身体は生きるために壊れてきた。」
井沢釈華の背骨は、右肺を押し潰すかたちで極度に湾曲している。
両親が遺したグループホームの十畳の自室から釈華は、あらゆる言葉を送りだす――。
芥川賞受賞会見での市川さん。
今まで障害者の受賞が無いことに怒こってました。
この作品を見て良かったと思います!
次作も期待しています!
第169芥川賞受賞作 市川沙央
「さみしい夜にはペンを持て」
古賀史健
10代、20代のうちに出会っておきたかったと思う本でした。
「ぼくは、ぼくのままのぼくを、好きになりたかった。」
で始まる、蛸のタコジロー君が自分を探す冒険の本です。
学校をサボってしまった日、公園で出会ったヤドカリのおじさんに、日記を書いて自分のダンジョンを掘り下げていくことを勧められるタコジロー君なのですが、、、。
登場人物?(皆んな海の仲間)の名前や出て来る単語も素敵です。
久しぶりに感動しました✨
ラストはちょっと涙目に😅
自分を大切にするヒントを教えてもらいました。
その為に日記があると😊
日記文学も苦手だしなぁ〜と思っていましたが、日記は哲学かも?と浅学を恥じています(//∇//)
今からでも!!
原田ひ香「復讐屋 成海慶介の事件簿」
見た目はイケメンながら、辛口で、大物からの紹介と前金百万円!で依頼された「復讐」を請け負う成海慶介の関わった事件の数々を描いています。
【一、サルに負けた女】
飼っているサルが病気になり、治るまで結婚を延期したいと言われ、反発すると婚約破棄された女性からの、元婚約者一家への復讐依頼。
【二、オーケストラの女】
日本有数のオーケストラでコンマスの地位を得た女性が、新任の指揮者から虐めを受け、コンマスの地位を奪われたという復讐依頼。
【三、なんて素敵な遺産争い】
亡き舅の介護を押し付けられ、遺産も殆どもらえないことで夫の許を去った元妻が、戻ってくるようにとの父子の依頼。
【四、盗まれた原稿】
自身のシナリオを盗作し、新人シナリオライターとして活躍する相手への復讐依頼。
【五、神戸美菜代の復讐】
曾祖母を裏切った男への復讐依頼と、成海の押しかけ秘書・神戸美菜代が、自分を裏切って他の女性と結婚した元婚約者と再会し、心揺れながら、自身も復讐依頼。
「復讐」と聞くと物騒ですが、成海は金には汚く、ほとんど何もせず、「復讐するは我にあり(悪人に復讐するのは神である)」をモットーに、依頼者に新たなる道を選ばせたりと、復讐を思いとどまらせるのです。
そして秘書の美菜代は、婚約破棄以来、菓子パンしか食べられない摂食障害を抱えていましたが、成海の仕事を間近で見て、自らの復讐心を和らげていくことになるのです。
復讐は何も生み出さない、過去に囚われることなく、未来へと再生していく大切さを感じた作品でした。
「殺した夫が帰ってきました」桜井美奈 小学館文庫
読者である私は完全に、この展開に思い込みの誤った道に迷い込んでしまったようでした。
どの道を歩いていたのかと当たり前の様にいつも通い慣れていたはずの道から気づかぬうちに外れてしまっていました。
それ程、迷わされてしまう物語でした。
プロローグ: 私は夫を崖から突き落とした。
東京に出て来てアパレルメーカーで勤務する鈴倉茉菜は取引先の人間、穂高に自宅前で酷くしつこく絡まれているところを「夫」を名乗る男、鈴倉和希に助けられたのです。
その時は心臓がとまるかと思うほどに驚いたのは当然の事でありました。
あり得ない、そんな事があるはずがないのに間違いなくその顔ははっきりと記憶に残っているものでした。
しかしその男、和希は一部記憶喪失を患っていたのです。
突然の事に悪い夢をみているような思いでもあったのです。
ところが記憶を一部失くしていた夫、和希は5年前の暴力を散々振るった「夫」とはまるで違っていたのです。
別人の様に優しい男として茉奈の前に現れた「夫」を信じ難い思いもありながら受け入れてしまいたくもなるのです。
それでも、茉菜と過ごした記憶が、どこまで残っているのか疑心暗鬼な思いであった事も確かであったのです。
ただある日、和希が玄関ポストから取って来た怪しい茉菜宛の封筒の中に、
ーー鈴倉茉奈の過去を知っているーーと記されていたのです。
茉菜は半分は信じられない思いのまま「夫」和希と生活を共にする事となったのです。
目に映る分には何も怪しげな点は無く、暫く日常の生活の中で和希を尾行して確かめてみましたが結局怪しい点は見つかりませんでした。
いつ和希の記憶を取り戻すかと不安ではありながら、むしろ紳士的に変わった和希との生活に溶け込むようになっていたようです。
二度目の不審な消印が盛岡の封筒が届いたのです。
そして宮城県の警察からの連絡が入ったのです。
白骨化した鈴倉和希の遺体が山中で発見されたので確認をお願いしたいと言うものでした。
これまで見ていたものは何だったのか、
目に見えていない真実があるのか、
この先、更に驚かされる真実が見えて来ます。
読者の私自身がしっかりと見えていなかったと言える、この物語には同時にもう一つの裏の物語が展開していました。
「ガラスの海を渡る舟」寺地はるな(PHP)
ガラス作家だった祖父の志を引き継いで、「ソノガラス工房」を運営する兄の道(みち)と妹の羽衣子(ういこ)。手先は器用ながら中々突き抜けた作品を造れない羽衣子は、発達障害でコミュニケーション障害を持つ道の卓越したセンスの良さに劣等感を持っています。
大好きな祖父の葬儀の席で、祖父の白くて美しい骨を見かけた道は、右手の親指の骨をポケットに忍ばせます。それに気付いた斎場職員の葉山さんから、
「骨に素手で触ると、カビが発生するんでハンカチで包んだ方がいいですよ」
とアドバイスを受け、「手元供養」のための骨壺があることを知らされます。「祖父のための骨壺を吹きガラスで作りたい」という道の願いは、やがて「その人のために、オリジナルの骨壺を作ってあげたい」という思いに変わって行きます。
骨壺の一人目の依頼者は、長年病気がちだった一人娘の「杏美さん」を一年前に亡くした山添さんという女性でした。娘のお気に入りのワンピースを模した骨壺を見て泣き崩れる山添さんを慰めようと、羽衣子は「もう泣かないでください」と声を掛けます。それに対して、山添さんが
「いつまでも泣くなって、主人にも言われるんです。いいかげん、前を向く努力をしないとだめですね」
と返したところ、道は
「前を向かなくていいんです。準備が整っていないのに、前を向くのは間違っています」
と毅然と言い放ちます。
その後も、羽衣子の恋人である「まこと」が二股をかけていた上に、浮気相手の女性と彼女のことをばかにしていたと知るやいなや、すぐに彼らの下に赴いて、
「謝ってください。あなたは羽衣子にとても不誠実なことをしました」
「羽衣子は『どこにでもいるような子』ではありません」
としっかりと妹のことを庇ったりもします。
生まれつきの重度の発達障害ゆえ、「思ったことは何でも口にしてしまう」「具体的な指示がないと、相手の言うことが理解できない」兄のことをずっと疎ましく思っていた羽衣子は、この日を境に、道と一緒に食卓を囲むようになります。
長年、付き合っていた恋人と別れた羽衣子は、その後、何年も前から彼女を好きだったという茂木から告白を受けます。まだ失恋の傷が癒えていない彼女は道に、
「わたしは人を見る目がないのかもって疑いはじめたら、茂木くんのこと信じていいのか分からんようになってくる」
と本音を打ち明けます。その羽衣子に対して、
「信じるというのは、茂木くんになら傷つけられてもいい、と思うこと?あれ、違うかな?」
とアドバイスする道の思いやりに、心がホワッと温かくなりました。
一方、道が密かに憧れている「ますみ斎祭」に勤める葉山さんにも悲しい思い出がありました。数年前に、キャンプ場にある中州でバーベキューをしていて川に流された男性のうちの一人が彼女の高校時代の初恋の人で、「彼のお葬式をやり直したい」と頼んで来たのです。葉山さんは、彼ら3人がネット上で「自己責任だ」「自業自得だ」と叩かれているのを見て、ずっと胸を痛めていました。そんな彼女の様子を見て、羽衣子は「悼んではいけない死なんかない」と心の中でつぶやきます。
いくらか吹っ切れた葉山さんと、そっと手を重ね合わせる道の様子に、新たな物語の始まりを予感させたところで物語は終わっています。
作者の寺地さんは本作品を書き上げるために、大阪市にある「谷町ガラスHono工房」の浅井講師の元に通って、吹きガラスの作り方を一通り学んだそうです。この浅井講師が道のモデルになったのでは?と思わせるような素敵な方でした。https://tanimachi-glass.com/aboutus/
憚りながら
 後藤忠政
2011年5月
宝島社
出家した元やくざの組長
後藤氏が書いたノンフィクション。
なるほど、
やくざの世界やら、政治家との絡みやら、
巨大宗教との絡みやら。
そっかぁ、富士宮ではそんなことが。
ふむふむ。とても興味深いです。
内容が内容なのであまり詳細書けないので
是非、読んでみてください!
でもここまで書いても、
墓場まで持って行く秘密が
たくさんあるんでしょうね。
"性犯罪者たちの弁護をし、度々示談を成立させてきた悪名高き弁護士の、
「小諸成太郎」。
ある日、彼の九歳のひとり息子が誘拐される。
だが、「小諸」は海外出張中。
警察は過去に彼が担当し、不起訴処分となった事件の被害者家族を訪ねるが…。
この誘拐は怨恨か、それとも身代金目的か……。"
                         =裏表紙より=
十一月十八日(土)
「小諸」の息子の「在登」君が誘拐された日です。
犯人と思われる人物からの身代金要求の電話や、動揺する家族の気持ち、警察の行動、等など…
この一日を時系列で追っています。
…もし自分の子供が相当な被害に遭い、結果、殺害され、相手側の弁護士に「小諸」と同じような事をされたら…多分こう思うでしょう…
「弁護士とは言え人の子…この弁護士にも私と同じように、子供を亡くした親の思いを味わわせたい❗️」と…
となると…
この誘拐はやはり怨恨なのか…
しかし同時に「親は憎いとはいえ、子供には罪はない…」とも思ってしまうでしょう…
この物語、もう一つの視点からも追いかけてます。
これは、第一弾の「殺人依存症」から読んだ方が分かりやすそうです。
私は第三弾のこちらから読んでしまいましたが…
そして…
"最後の最後まで気が抜けない、二転三転の恐怖…ラスト一行に本当の絶望が待っている❗️"
後半徐々に…⁉️⁉️⁉️
想像もつかぬ結末でした…
こんなラストが待っていようとは‼️
興味持たれた方、
知りたくなった方❗️
是非読んでみてください。
「監禁依存症」
        櫛木理宇
村上春樹【街とその不確かな壁】新潮社
文学小説 純文学小説
その街に行かなくてはならない。なにがあろうと――〈古い夢〉が奥まった書庫でひもとかれ、呼び覚まされるように、封印された“物語”が深く静かに動きだす。魂を揺さぶる純度100パーセントの村上ワールド。
影との付き合い方は危険に満ちているが、その意義も深い。古い夢、半地下、図書館、壁抜けなど、村上ワールド満載の長編小説ではあるが、一つのシーンのような作品でもあった。もう一人の自分でもある影という無意識は意識を裏切るのか・・深層心理学の中のように影と対峙するのではなく、文学の中では影を抱きしめているようで、余韻を感じたり、結末を読者の判断に委ねられたりしている。そんな自我の壁を見つめた一方、書き直しのきっかけとなったコロナ禍の異様な環境下の中の分断の壁、そして今の戦禍の中、あのメッセージの中の壁が現れた。
『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』
を読んでから見ることをオススメします。
生ける文豪 村上春樹 久々の村上ワールド作品
「今朝の骨肉、夕べのみそ汁」工藤美代子(講談社文庫)
本書は、ノンフィクション作家・工藤美代子さんの波乱万丈な人生と、個性豊かな家族との絆を描いた激動的な家族史で、全て事実に基づいて書かれています。
彼女の父は新潟県小千谷の出身で、「ベースボール・マガジン社」創業者の池田恒雄です。一方、両国国技館の近くの老舗の「工藤写真館」の一人娘だった母は、父親から溺愛されて育った生粋の江戸っ子です。
見た目は地味でお洒落にも関心のない父は、その面倒見の良さから、生涯多くの女性と関わりを持ち続けます。
美代子が小学校に上がった時点で両親は離婚し、父は公子という穏やかな女性と再婚します。さらに、故郷から実母のセツと内縁の妻との間にできた長男の郁雄を呼び寄せた父は、新宿にあるお屋敷で家族で暮らし始めます。
一方、原宿にある美代子の自宅には、母と才色兼備の姉、重度心身障碍児の兄の「もっちゃん」、さらに、当時下宿屋を営んでいたために2人のお手伝いさんも住み込んでいました。
小3になった美代子と姉の下に、ある日「錦蘭子(にしきらんこ)」と名乗る若い絶世の美女が現れ、父の会社に連れて行ってくれます。その後も、毎月二回は彼女が運転する車で、新進気鋭のデザイナー「米村恵子」のアトリエや、ナイトクラブ「ミカド」での会食会などに連れて行ってくれるようになります。彼女は父親の「お妾さん」で、父は女優の卵であるこの美しい女性と再再婚するつもりだったのです。そんな豪胆なふるまいをする父に対して、お手伝いのヨシエさんと兄の「もっちゃん」の介護に追われる母は週に一度は爆発し、
「まったくねぇ、もっちゃんみたいな子をあたしに預けっぱなしにして、あの男はいい気なもんだわ」
「あたしね、あの男が死ぬまでは絶対に死なない。パパが死んだらお赤飯炊くからね」
と恨みつらみをまくし立てます。
さらに、夏になると、父は家族と暮らす茅ヶ崎の家に美代子と姉を招いて、二週間ほど泊まらせたりもしていました。とはいうものの、特に娘たちを可愛がる様子もなく、ただ「父親としての義務を果たしている」という按配だったようです。美代子は父に抱き上げてもらうどころか、手を繋いだ記憶さえないといいます。
「物心がついたときには、もう家にはいなかった父は、私にとってけっして親しい人ではなかったが、恋しい人ではあった。子供は父親を慕うものだと誰かから教えられたのか、それとも自然に湧き出た感情であったのかは、今でもよくわからない」
父の後妻である公子を「マミー」と呼ぶことは断固拒否したものの、まだ幼い異母兄弟の哲雄と嘉子のことは可愛がっていた美代子は、ある日、とんでもない事件を起こしてしまいます。
出来の悪い美代子と違い、父と一緒に暮らしていた兄の郁雄と美代子の姉は品行方正で非常に優秀でした。そのため兄はニューヨーク大学に留学し、姉はわずか15歳の時にハワイに留学します。その姉に同行して父と三人で初めての海外に出かけて行く美代子と姉のために、発売されたばかりの「アンネ(ナプキン)」を風呂敷いっぱいに包んで、トランクに詰め込む母の様子には胸がいっぱいになりました。
高校2年のとき、美代子はたった一人でヨーロッパ旅行に出かけて行きます。プラハに着いた彼女は、以前から父と親交のあった国営通信社の「チェテカ」の社長の別荘に滞在させてもらいます。帰り際、この社長から
「国際シンポジウムで知り合った日本女性のことが忘れられないので、彼女にプラハに来るように伝えて欲しい」
と頼まれ、紙包みを託されます。ところが、そのプレゼントというのは、実はソ連侵攻にまつわる重要な機密書類だったことを、後年になって知らされるのです。
美代子が高3になった時に、突然、父の会社が不渡りを出して倒産してしまいます。ところが、それまで父への不満ばかり口にしていた母は心機一転して、父から頼まれた原宿の家の権利書を手渡し、キャバレーのクロークの仕事に就き、一家の生活費を稼ぐようになります。元々、美代子の母は困っている人を助けるのが好きで、過去に何度も、借金に追われて行き場のない人たちを自宅に匿ってあげていたのです。
幸い「ベースボール・マガジン社」には「会社更生法」が適用され、父は社長として再出発します。東欧かぶれだった父は、ニューヨークから帰って来たばかりの兄を今度はハンガリーへ留学させ、次にロスから帰国した姉をブルガリアに送り込み、次女である美代子をチェコへと留学させます。ところが、美代子が留学するほんの一か月前に、ソ連軍の戦車がチェコスロヴァキア全土を蹂躙するという不穏な事態に陥っており、プラハでの暮らしは非常に不自由なものでした。さらに、人のいい彼女はKGBの手先である金髪に青い目の「レオ」から狙われ、命からがら日本に帰国する羽目になります。日頃は彼女に対して素っ気なかった父と母が国際電話局に何度も電話をして、娘の安否を確認していたという件には、「どんな娘でも、親は可愛いのだな」と感慨深いものがありました。
その後、三人の男性からプロポーズを受け、三人同時に婚約してしまった美代子は、結局、父にその「尻ぬぐい」をしてもらいます。ところが、その「婚約騒ぎ」から半年も経たないうちにに、彼女は突発的に大阪の人と結婚したものの、相手には古くからのパートナーがいると知り、一年足らずで離婚してしまいます。
一方で、50歳になった母は家族を養うために「虎ノ門珈琲専門店」を開いたところ、これが大ヒットし、その6年後には銀座に「ダリエ」というレストランもオープンします。手に職のない美代子は、母の店を手伝うたびに大きなミスを繰り返し、つくづく自分が「サービス業に向いていない」と実感させられます。その後、東京で開催された「ペンクラブの大会」で知り合った40代の男性からプロポーズされた彼女は、両親に結婚することは伏せたまま、彼と一緒にカナダに渡って所帯を持ちます。ところが、カナダで専業主婦としてのんびり暮らそうと思っていた彼女に対して、二番目の夫である男性は、
「早くキャリアを身に付けて、経済的に自立してください」
といって食費しか渡してくれないのです。英語力のなかった美代子はバンクーバー大学の学費を稼ぐために、カナダで購入した中古の毛皮のコートを日本に送り、それを日本で販売して粗利を稼ぐという生活を始めます。さらに、その合間にノンフィクション作家としてのデビューも果たします。
結局、この夫婦別居婚の生活を10年ほど続けた挙句に彼女は離婚するのですが、その離婚話を打ち明けた知り合いの編集長と意気投合し、衝動的に三度目の結婚をしてしまうのです。
作者の工藤美代子さんは、文中で何度もご自分のことを「不細工な上に、出来が悪い」と卑下して、優秀な兄や姉に対して深いコンプレックスを抱いていますが、私には才色兼備な彼女の兄や姉よりも彼女の方が人間力があって、情に深い印象を受けました。そして、生涯折り合いの付かなかった彼女の父とよく似て、その行動力と生命力の強さは半端ないものだと感心させられました。
いつかNHKの朝の連ドラにでも取り上げて欲しくなるような、息もつかせぬ展開のドラマチックなノンフィクション作品でした。
「レキシントンの幽霊」
村上春樹 (著)  
 古い屋敷で留守番をする「僕」がある夜見た、いや見なかったものは何だったのか?椎の木の根元から突然現われた緑色の獣のかわいそうな運命。「氷男」と結婚した女は、なぜ南極などへ行こうとしたのか…。次々に繰り広げられる不思議な世界。楽しく、そして底無しの怖さを秘めた七つの短編を収録。(「BOOK」データベースより)
 坂本龍一氏が亡くなって以来、追悼の意味で彼のアルバムを聴きまくっていて、映画「トニー滝谷」のサウンドトラックからこの短編集へとたどり着きました。ここのところ、SF小説で当たりを引けてなかったのですが、この作品集はホラー的な装いをしつつ、SF味も感じさせる作品集でもあり、素晴らしい読書体験となりました。オススメです。どの作品も味わい深いですが、是非ともこの作品集を読んだ後、映画「トニー滝谷」を見ていただきたい。市川準監督がイッセー尾形と宮沢りえを主演に素晴らしい作品に仕上げています。
ほんとうの味方のつくりかた
松浦弥太郎  ちくま文庫
カバー写真はネットから頂きましたけど。
もう何回読んだでしょうか。
いつも手元にある本
ではないのですが、
ふと読みたくなる懐かしい本です。
 暮しの手帳    の編集長を長く務めた著者が
自らの体験をもとにして
若い世代に優しく語りかけている。
なにを?
タイトルの通り、
ほんとうの味方のつくりかた
を、です。
味方というから、仲間や友だちかと思うと、
それだけではない。
人間が生きていく上に是非とも必要なもの。
健康であり、仕事であり、お金であり、
時間であり、家族も友人を含む人間関係も。
もちろん運も含まれており
けっこう詳しく書いています。
たくさんのことが挙げられていますが、
ここでは、
この本といえば、すぐ思い出すはなしを2つ
挙げておきます。
一つ。
大好きな本のはなし。
松浦弥太郎さんが若い頃、
ある一冊の本に巡り会う。
とても高価で手持ちのお金ギリギリ。
買ってしまうと、帰りの電車賃がない。
それでも、その本を読みたかった松浦少年は
その本を買い、歩いて帰ったといいます。
本好きの皆さんなら、お分かりですね。
この気持ち。
同じようなはなしを子どものころ、
ファーブルの伝記で読んだことを
思い出しました。
後年、昆虫学者になったファーブルも
貧しい青年時代、一冊の本に巡り会い、
持ち金すべてを使ってその本を買い、
おかげでごはんを食べる金がなくなった。
知識、本への限りない探究心、好奇心。
分かる分かる。分かります。
二つ。
人は人を探しているということ。
いまは人材不足ですから
というわけではなく、
人はいつも人を探している。
松浦弥太郎さんも人を探しているし
いろんな場面で、
あ、この人は一緒に働かないかと
いわれることが多い人だなと思う人を
見かけることがあると言います。
探しているということは
常に見られている
ということでもあります。
ってことは。逆に考えると、
もしかしたら?
自分もさりげなく見られているかも?
自分が一緒に働きたいと思われるかな?
そう考えると、
怖くもあり嬉しくもありますね。
そんなことあれへんやろお?
いや、体験的にも分かる気がする。
ぼくのささいな体験ですが、
ぼくも電車内でうちに来ませんかと
声をかけられたり、
以前の職場の先輩から
言われたことがあります。
職場の行き帰りに歩きながら本を読んでて
偉いさんに見られ、
部署変えを打診されたこともありました。
だからこそ、その一瞬を逃さないためにも
ほんとうの味方をつくり、
増やしていかなければいかんなと
思うのです。
実利的とかノウハウではなく
生き方、考え方を学ぶいい教材です。
これはもう、ぼくの絶対のおすすめです
『新火を産んだ母たち』 
井手川泰子 海鳥社
この作品集は、著者、井手川泰子さんがかつて日本最大の産出量をほこった筑豊炭田がすべて閉山した1973年と時を同じくして、この炭坑内で働いた女坑夫の人々への聞き書きをとおして、10年以上の歳月をへて完成させた驚嘆すべくドキュメント記録文学です。そしてこのタイトルの名付け親でもある作家・上野英信さんの『追われゆく坑夫たち』とともに筑豊炭田で働く人々の魂の轍の軌跡をたどるようにしてまるでその両輪であるかのように読む者に迫ってきます。
《後追いして泣く子を追い返して、こけて泣きよっても(中略)見らぬふりして先へ急ぐ。(中略)子供ができると産まなならん、生まれて口が増えれば、前にもまして働かなならん。
(中略)伝右衛門さんとかの、偉い人の一生なら話になって残るやろうが、私のごと取るにたらんげな昔の話が、何か役に立つことがあるかねえ。》こうして井手川さんが聞き書きした老女たちの数は、80人にのぼり、大正12年に筑豊炭田で、働く女坑夫は、5万人いたという。
《私は七つ八つから坑内に下がった女坑夫やきね、セナ籠の担い棒でこすった火傷のようなヤケの跡が肩にあるが、血の涙が出るほど痛かったよ。母の肩にもヤケがあったが、それを思うと、母の苦労がしみじみわかるバイ。》
この引用文からもわかるように、母親坑夫のその娘もまたいやがおうにも坑内に下りてゆかねばならず、当然ながら学校にもゆけず字の読み書きができない子どもたちが筑豊炭田ではめずらしくないという。
《うちは学校の学問はしてないけど、この体が学問してきちょるきね。世間の理屈はようわかっちょるばい。人は我が身。これが私の一生やったと》
この文集の聞き書き語りのなかで一番のお気に入りは『けんか女』です。これは、民俗学者の宮本常一氏の『忘れられた日本人』のなかに出てくる「土佐源氏」に匹敵する内容であると思いました。しかし何と言っても印象深い女坑夫は、古川目尾(しゃかのお)炭坑で《女ご先山》と畏れられ崇められた河島タカさんです。井出川さんが最初に聞き書きした方だそうです。宮崎県の日向から30歳を過ぎて子連れで夫婦ともども筑豊炭田に故郷に一旗あげるためにやってきました。
タカさんとの最後の別れの場面には、涙が溢れました。「タカさんが『死ぬまでにま一度、井手川さんに会えるやろうかなあ』と言いよりますき、また話聞きに来ならんですか」仲良しのトミみさんからの電話があって再会を楽しみにしていたその数日後にタカさんは、96歳で、彼女らしい潔さであっさりと永い眠りについてしまわれたそうです。
この本の語り口は、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』のアウレリャノ・ブレンディア一族の肝っ玉母さんであるウルスラを彷彿させ、中上健次のオリュウノオバを想起させる。口承文学の系譜に連なる稀有な作品です。
そして最後まで読みきったあとで奇妙な符号に気づいた。この本の聞き書きに、井手川さんが着手されたのが1973年である。この年に世界と日本で音楽のシーンで画期的な出来事がおきている。ベトナム戦争で米国が敗北し、帰還兵の精神を慰撫したのがピンク・フロイドの『狂気』で何十年にもわたりアメリカの音楽チャートにとどまりつづけ、日本の学生運動が挫折し個人主義と国家・社会の断裂を相対化したのが筑豊出身のシンガーソングライター井上陽水の『氷の世界』であり、LPレコードとして国内ではじめて100万枚のセールスを記録した。今年はそれからかぞえて50年である。奇蹟的なシンクロが起きていたのです。
タカさんが好んで口にした、「炭坑節」をもじった次の歌は紛れもないブルースであった。
♪好いて好かれて惚れおうて
 一夜も添わずに死んだなら 
  私ゃ菜種の花と咲き
   おまえ蝶々でとんで遊ぼ
        サノヨイヨイ♪ 
春になると遠賀川は咲きほこる菜の花で溢れかえるのです。
はずれ者が進化をつくる 生き物をめぐる個性の秘密(筑摩書房)稲垣栄洋
初めから最後まで、やさしい文章で、難しいことは一切書かれていないが、「目からウロコ」というかハッとするようなことが沢山書かれており、読んでいて楽しい本。
私たちの性格や特徴に個性があるということは、その個性が人間にとって必要だから、という認識はハッとする。
「平均値」や「ふつう」ということに関しては、実際の自然界には「平均」も「ふつう」もなく、あるのは「多様性」だけだというのは、なるほど、と思う。
何よりこの本の題名にもある通り、はずれ者が進化をつくってきたという事実。あらゆる生物は負け続けることで進化してきたという事実。我々ホモ・サピエンスもかつて同じ人類であるネアンデルタール人よりも体力的にも弱く、知能でも劣っていた。しかし「助け合う」という進化をした。ネアンデルタール人は助け合う進化が出来ず、環境の変化に対応できず、滅んでしまったのだ。
言われればそう思うが、当たり前ながら大切な事を改めて認識させてくれる、そんな一冊だった。
『ごんぎつね』
新美南吉 作
いもとようこ 絵
いたずら好きのきつね・ごんは、兵十がせっかくとった魚を川にぶちまけてしまう。でも、その魚は、病気の母親のためにとった魚。そして、母親は死んでしまう。そのことを知ったごんは、償いのために、魚や栗を兵十の家に密かに運んだ。兵十は親切な運び屋さんのことを知らない。ある日、ごんを見かけた兵十は、またいたずらに来たのかと思い...
新美南吉が18歳の時の作品です。
ふるさとを舞台に、身近な動物たちを描きながら、心の通い合いを美しい文章で、ストーリー性豊かに表現しています。
心理描写が巧みだな、と思います。
美しく、やさしい、日本の心を感じます。
ラストは涙がポロポロ。止まりませんでした。
いもとようこさんの描くごんは、とても健気で、より深く心に刺さるシーンでした。
いちど読んだら忘れられない名作童話。
みなさまも、ぜひ🥰
【新トロイア物語】
著者:阿刀田高 1994年に講談社より刊行
※画像はWebより拝借した文庫版
世界史の教科書にも載っている、伝説とされていた「トロイの木馬」で有名なトロイア戦争を主題にした阿刀田高さんの吉川英治文学賞受賞作品です。
物語の主人公はトロイア王子パリスではなく、その血に連なる重臣アイネイアスです。
紀元前13世紀、トロイの国の王子がスパルティの王妃ヘレネを略奪したことにより、大戦争が勃発しました。
スパルティに故国を滅ぼされたアイネイアスは、生き残った民たちとともに国の再興を目指し、諸国をめぐる旅に出ました。
果たして彼の悲願は達成されるのでしょうか。
実に読み応えのある歴史長編小説です。
古代の異国のお話なのにも関わらず、リアリティがあり、登場人物たちがすぐそばで生きているように感じられたほどの臨場感がありました。
自分も物語に溶け込み、その中の一人になったような感覚に見舞われたほどです。
神話世界とはいえ現実的で、謎めいた不可思議な事象や言い伝えも分かりやすく描写され、なるほどそういうことだったのかと納得し腑に落ちました。
世界の、人間の歴史はこうして繰り返されるものなのなのでしょう。
それはこの世に生誕した限り避けられない業や柵であることを筆者はこの壮大な叙事詩ともいうべき物語を通して読み手に伝えたかったのかもしれません。
自分の生涯の指針ともなる書でした。
素晴らしい一冊!読了して感じたことは刊行されたのが2010年なので既に13年の歳月が経過している。アーロン・プライヤーは2016年10月この6年後にシンシナティの自宅で長い闘病の果てに心臓病で逝去されているとの事。2023年現在の亀田昭雄さんは今はどうしているのかだろうか?Wikipediaによると、残念ながら昨年お亡くなりなってしまった。引退した後興した栃木県佐野市のボクシングジムや枇杷葉治療院は? 200年に一度の天才ボクサーと呼ばれた男が、もしも?大の練習嫌いでなければ、ベビースモーカーでなければソウルマンビーや金相賢に挑戦するチャンスがあればとあれこれと想像夢想するよりも、この作品はノンフィクションでリアルなインサイドストーリーだが、私はあたかも、ドキュメンタリーフィルムかドラマ又は映画でも観ているように気分になった。特に著者と亀田さんのラスベガスからデトロイトそしてシンシナティへの旅はまるでハリウッドのロードムービーばりではないか!亀田昭雄のボクサーとして生きた時代が違っていて日本ではなく、彼が日本人でなかったらどうだったのだろうか? エマニエル・スチュワートがトレーナーでデトロイトのクロンクジムの所属だったら?とか色々想像してしまうが
私は専門家ではないので、亀田昭雄さんの現役時代のプライヤー戦や辻本戦を今更に語るのは憚れる。
プライヤーと2度の激闘を繰り広げた名王者アルゲリョもニカラグア革命の荒波を乗り越えて、後に政治家となりマグアマ市長の時に自殺。享年57歳!プライヤーも60歳で鬼籍の人に。早過ぎる死である。亀田さんが指導したプライヤージュニアはその後どうしているのだろうか?
何よりも200年に一度、天才ボクサーのご健勝と益々の生々発展を祈念したい気持ちになった作品だ!
皆さま天国で会いましょうご冥福をお祈りします  合掌
【カネと暴力の系譜学】萱野稔人著
カネと暴力の関係、国家と資本主義の関係について考察された1冊。
貨幣の始原について、外套とリンネルを用いたマルクスの価値形態論はいまだ健在、というよりかむしろ通説。デヴィッド・グレーバーは貨幣の始原は貸借だと分析したって確かどこかで読んだような。一方萱野さんは本書で、貨幣の始原は徴税にあるとする。貨幣よりも先に税がある。ぼくにとってはすこぶる新鮮な見方。
もう一つ新しいのが資本主義の始まりについて。貨幣の始原についてと関連するんだけど、マルクスは資本の本源的蓄積についてエンクロージャーを挙げている一方で、萱野さんはドゥルーズ・ガタリを引きながら資本主義の前提に国家を置いている。マルクスは国家や徴税については触れていないけど、萱野さんは、資本主義には国家の存在が不可欠だと。
解説文が國分功一郎さん。見事に本書をサマライズしていて、解説だけでも立ち読みするに値する。
素直におもしろかったっす。
「葉桜の季節に君を想うということ」
著者 歌野晶午
推理小説なので内容は書けません(特にこの作品は)。
作者はこのアイディアが閃いた時、勝利を確信したことでしょう。
「ええぇぇ‼️」「はあぁぁ、そういうことなの」「なるほどねぇ。。」「うそだろぉ。。」「負けましたぁ。。」なんかを味わいたい人は是非ご一読を。
大奥づとめ
永井沙耶子
 大奥には、こんなに色々な仕事があるのか、大奥の印象が変わりました。上様の目に留まるようみんなが争っていたわけではなかったようです。
 旗本の推挙を得て、庄屋の娘登勢が大奥に入ります。体が大きく縁談が来なかったからです。でも、男性がいない大奥では、チカラもちの登勢(玉鬘と名前をもらい)は、お末となり掃除、洗濯、水仕事からはじめ、籠かきなどに適任とわかります。
 そこには皆に慕われる夕顔さんという2年目の先輩がいました。夕顔はマジで上様の目に留まることを目指しており、様々な工夫を凝らし、上様となんとかやりとりしようと必死です。笑っちゃう。
 他にも衣装係が歌舞伎役者に相談に行ったとき、
「衣装は己のうちの何をみせるか」といわれ、 自分は何も見せたくないのだ、だから何をきてよいかわからないと知り、大きく成長します。仕事を通して1人ひとりが変わる物語りでもあります。
よしながふみさんの漫画「大奥」がTVドラマで放映中、合わせて読むと楽しさ倍増です。みなさんにオススメします。 — クール。
刑務所しか居場所のない人たち 
学校では教えてくれない、障害と犯罪の話 
山本譲司
2018年5月
大月書店
著者は元衆議院議員。2000年某事件で刑務所へ。
そこで見た現実に驚愕。
刑務所には極悪人がゴロゴロいるかと思いきや、
認知症の高齢者、重病者、障害のある人たちだった。
まるで福祉施設。
刑務所の壁が守っていたのは私たちの安全でなく、
助けてもらえない冷たい社会で
生きづらさを抱えていた人を守っていた。
■受刑者の20%が知的障害者     
知的障害者の犯罪で1番多いのが窃盗。
特徴は金額が少なうすぐバレる方法。
30円の窃盗で懲役3年になった人もいる。
次に多いのが覚せい剤取締法違反。
その次が詐欺罪。
犯罪に走る理由の一番は「生活苦」
■高齢者の犯罪
高齢者も窃盗が最多で7割。
女性は9割が窃盗。
要介護の人も多く、刑務官、
受刑者が高齢者の介護をしている。
受刑者7万人超だった2006年の
刑務所の医療費は32億円/年。
10年後、5万人切ったのに
医療費は60億円に膨れ上がった。
一方、働けない受刑者増加で
刑務作業の収入は減る。
■憧れの医療刑務所
全国4か所しかない医療刑務所。
医療費は国負担。
重病人しか入れない。
次に重篤な人用に医療重点刑務所があるが、
全国6か所のみ。
会話が出来る知的障害者は
どちらにも入れず一般刑務所になる。
■高い再犯率
2007年出所者全体で57%が仮釈放。
だが知的障害者だけを見ると20%。
65歳以上の高齢者は27%。
受け入れ先がないからだ。
家族から二度と会いたくないと
言われることが多い。
家族にもそれまで色んなトラブルに巻き込まれ
ヘトヘトになっている場合が多い。
出所が怖いという人も少なからず。
出所後、家族がない、仕事がない、
お金がない。
満期出所の半数近くが5年以内に
再犯で刑務所に戻る。
社会全体で支える体制を作らないと
再犯率は下がらない。
■日本の障害者福祉予算1兆円
「軽度障がい者を受け入れても利益にならない」
日本の障害者福祉の予算が海外と比べ断トツ低い。
軽度障がい者は身辺の世話は不要だが、
自由に行動できる分誰かがそばにいる必要がある。
一見普通に見えるのでトラブルを起こすと、
迷惑な人と認識される。
生きづらさを抱える大きな原因。
■刑務所は贅沢?
お花見、クリスマス会、お正月、
誕生会、バレンタインデー。
ささやかならがも行事がある。
犯罪者に余計なお金使うなんて贅沢?
受刑者は長年生きていく中で
こういう行事を楽しむをしてこなかった人が多い。
だからあえてする。
少しでも「自分も生きてる価値がある」
という自覚につながる。
刑務所に1人300万円/年。
介護・投薬が必要だと500万円/年。
本来、福祉が支援するべき対象でもそれをせず、
臭いモノにはふたのように刑務所に入れる。
■徐々に広まる出口支援・入口支援
出所後の再スタートを支える出口支援。
福祉や支援団体とつなげる。自立支援をする。
刑務所以外の行き先を探すのが入口支援。
社会福祉士、弁護士などが
支援計画を立てて被疑者を守る。
出所後「住まい」「仕事」に
並んで欠かせないモノ。
それは「役割」
障がい者が役割を担っていけるかは
社会の目にかかっている。
【感想・行動】
なんとなく聞いたことがあるけど、
刑務所の現実に驚いた。
思った以上に深刻な問題です。
社会全体で考えていかないといけない問題。
ここが解決すると治安は良くなるし、
税金の使い道も変わる。
その為に、たくさんの人が
現実を知ることが大切だと思う。
青木俊 『潔白』
隠れた佳品である。
物語は無実の罪で死刑が確定した男の死刑執行場面から始まる。
冒頭から読者をぐいぐい引き込む筆力は
秀逸で琴線に触れる。
死刑確定後僅か2年での死刑執行であった。
彼の冤罪は当時日本で初めて採用されたDNA鑑定であった。
無実を信じる娘のひかりは、免田事件で再審を勝ち取り無罪を証明した弁護士と共に、日本では嘗てない死亡した被告の再審請求を起こす。
ここで新たになるのが起訴後99.9パーセントの有罪率を誇る検察庁と警察庁との癒着の魑魅魍魎の世界である。
検察がこの案件の任に高瀬を充てる。
高瀬検事の存在はこの小説の中では漆黒の闇に包まれた中の一筋の光である。
現在、巷間では袴田氏の再審裁判が話題ですが、この小説を読むと如何に検察が縦割り社会で一旦起訴したら有罪を勝ち取るために凡ゆる手段を使うという恐怖である。
その中で正義の力の前に果たして検察庁、警察庁が屈するのか!
ストーリーはまさに薄氷を履む展開で手に汗握る。
作品名 
ある閉ざされた雪の山荘で
作 者 東野圭吾
あらすじ
舞台のオーディションに合格した男女7名が、演出家からの手紙によって人里離れた山荘に召集された。演出家の手紙によると、舞台設定と登場人物以外はまだ決まっていない。舞台設定は七人の客が豪雪により閉ざされ、電話もつかえなくなった山荘に閉じ込められてしまう。演出家の狙いは、そこで次々とアクシデントが起こり、それに客たちがどう対処していくか、どう考え、どのように心が動くかを新しい舞台の脚本のヒントにし、各人のテストも兼ねるというものだった。山荘での生活がはじまり、殺人が起きていき、客が一人ずつ消えていく。現場には死体はなく、殺人を示す手紙が残されている。これは芝居なのか現実なのか、演出家に連絡したり、山荘から外に出たらテストに失格というルールにより、各人は誰が犯人または犯人役か、本当に殺人が起きたのかどうか確認する術もなく疑心暗鬼に陥っていく。
「まんしゅう家の憂鬱」まんしゅうきつこ(集英社文庫)
「アル中ワンダーランド」で、ご自身のアル中克服体験談話を赤裸々に語ったまんしゅうさん。本書では、ご本人と実家の家族の衝撃的な逸話が紹介されています。
27歳で結婚した旦那様の風俗通いにショックを受けた「おぼこだった」まんしゅうさんは、一年あまり実家に帰ってしまいます。ところが、父親が経営していた工務店は火の車で、彼女も家計を助けるべく、日中は会社員、夕方からはキャバクラ嬢として働き始めます。
「おむつ倶楽部」の面接に落とされたまんしゅうさんは、バイト先のキャバクラで仲良くなったアミちゃんから、「お茶するだけで5万円のバイト」を紹介してもらいます。その他、「脚フェチサイト」の撮影会にモデルとして参加したり、レースクイーンやバニーガールとしても活躍しますが、結局、「自分には適正がない」と気づき、再び、夫の下に帰っていきます。
元々、旦那様の風俗通いがショックで家出したのに、敢えて、その風俗業界ギリギリのところで働こうとするまんしゅうさんの気迫と矛盾ぶりが、何とも面白く感じました。
個人的には、あの井之頭公園の中ほどにある池に、日中、飛び込んで泳ぎ出したものの、「怪しげな何か」に足を引っ張られ、必死で岸まで戻った話が最高でした。
また、酔っぱらった挙句に、息子の高校の同級生たちに「決闘」を申し込む父や、その父に対して半ば諦めの気持ちをもって接している母、そして、まんしゅうさんとは真逆のタイプの妹のまゆみさん、家出常習犯で17歳で父親から勘当され、後にプロのカメラマンになった弟のたかしさんなど、超個性的な家族との関りも正直に描かれていて、非常に興味深い内容でした。
澤田瞳子 『名残の花』
「若冲」を読んで一気にお気に入りになった澤田瞳子。
なかでもこの『名残の花』は実に小気味良く、読了後に心温まる小品である。
歴史学者でもある筆者はその力量を余す事なく見事に発揮し、読者をして心地よい感動を与えるのである。
日本の歴史の中でまさにターニングポイントとなった幕末から明治になった頃。
嘗ては江戸南方奉行であり、妖怪と揶揄された鳥居甲斐守忠輝は二十余年間の蟄居を解かれて東京(江戸)に放たれる。
文明開化の中、鳥居はあの徳川幕府の時代の日本人の矜持は何処に行ったのかと義憤を抱えながら悶々と日々を過ごしている。
頑固爺いであるが、彼の心の裡に流れる私達が忘れている誇りと信条に私は目から鱗がとれるのである。
ここに書き綴られる物語は、純真無垢であり二百数十年間他国の干渉を受けずに独自の文化と歴史を築いてきた日本人の心根をリスペクトした感動作である!
『空海の風景』著:司馬遼太郎
あの司馬さんをもってして、
史上類を見ない天才、と言わしめた空海。
その業績はあまりにも多くて列挙するだけで眩暈がしそうです。
その空海の思考・足跡・史実・時代背景をたどっていくことで、
この霧の中に浮かぶ怪人の姿そのものとまではいかなくとも存在した”風景”を感じたいという思いで全編が描かれています。
先日四国を巡った際に、空海の存在が今現在も生々しく活きているのに驚きました。当時、それまでの仏教にはなかった現世利益という考え方を中心とした密教というとらえどころない呪術と仏教の流体が唐で育ちつつありました。しかし体系化とは程遠く、雑多な秘密、雑密と呼ばれていました。それを日本から渡った空海という個人が結晶化、正密までにいたらしめるというそのダイナミズムはまさにまぶしいほど。
時代はちょうど平城京から平安京への境目で、日本が唐から巣立って独自の文化を築き始めるあたりです。それには空海のもたらした思想体系が欠かせませんでした。まさにモンスター。
その歴史的意義もさることながら、空海の戦略的な行動の数々(20年分の渡航費を2年で使い切って通常では考えられない金遣いで評判となるなど)もこの本の読みどころです。対比して描かれる最澄とのドラマは、読みながら、あぁぁぁ、さいちょぉぉぉぉとなりつつも(最澄の愛弟子が空海のもとへ奔ってしまう、その絶縁状を空海が代筆するが途中から空海の言いたい放題モードが炸裂するなど)空海への憧憬をつのらせる巧みな描かれ方をしております。
思えば産学連携の世界も多分に雑密に似たところがあり、これを正密のように体系化して結晶となるにはまだ遠い道のりにあると言わざるをえません。その道を歩む者の一人として、空海の存在に勇気づけられると同時に身震いもするのであります。
『小やぎのかんむり』 市川朔久子
 家庭内で父親のモラハラに悩む中3の夏芽は、耐えられず、夏休みを利用して寺のサマーステイに行く。そこでの体験を通して、生きていくうえで大切なことを学ぶ。
 読みながらメモを取らなかったので、色々と取りこぼしている気がしますが、メモを取ることで途中で意識を途切れさせたくないほどに、本の世界に引き込まれました。親子関係、摂食障害、親からの虐待、子供を亡くすこと…など、様々な深刻な問題が出てきますが、それぞれの事象のことだけを書いているのではなく、あらゆる問題の根底に必要な力、理解、想いなどを教えてくれています。大人が読んでも考えさせられたり救われたりしますし、子供も、早い段階で知っておくと助けになることを、ヤギと人との触れ合いの楽しい描写が大半の中、所々に、優しく教わることができます。
人に大切なことを教えることができる人。ここでは寺の和尚のタケじい。とても厳しいんだけれど、相手を想ってくれているが故の厳しさで、自分を大切にしなさい、一人一人が宝なのだよと教えてくれる。良くない所もしっかりといさめてくれる。未熟者であっても、相手や自分と真摯に向き合っている人であれば、チャンスを与え、その人の成長を見守りながら育ててくれる姿に心を打たれた。
ほんの少しですが、心に残った所を…
📗その我慢は、自分を生かす我慢か。それとも殺す我慢か? ( 和尚のタケじいの言葉)
📗うたをうたうといいよ。かなしいときはね、
すきなうたをうたうと、じかんがたつよ。
  (親に虐待されていた5歳の雷太の言葉)
📗 親子は、縁だ。あんたとこの世を結んだ、ただのつながりだ。それ以上でもそれ以下でもない。愛とか絆とか、そこに意味を持たせようとするから、なんだかおかしなことになる。そんなもの、運がよければ後から出てくるもんだ。ないものをあると仮定するから、ゆがむ。苦しむ。はじめからありはしないのに
 別に何かを学ぼうと思わずとも純粋に物語を楽しめるし、しかも、押し付けがましくなく心に響く事が書かれている、この上ない良書でした。人も世の中も、転がり落ちるように歪んで崩れていっているここ最近。このような本が必要だと思います✨
南杏子
「ヴァイタル・サイン」
終末期の患者が入院する病棟。死と隣り合わせの酷烈な職場で、懸命に働く30代女性看護師。命の最前線にいる緊張やストレスがあるにもかかわらず、献身的な日々の姿がリアルに描かれています。
作中に出てくる、ヒエラルキーのミルフィーユや、感情労働という言葉は、看護師さんたちが日々晒されているストレスの元凶なんだと、強く感じました。
『感情労働』というのは、肉体労働、頭脳労働に続く第三の労働形態。患者や家族が求める優しい声や表情、態度を提供するために、看護師は自分の感情を酷使するのも仕事のひとつとして求められる。
もちろん、医療現場に限らず、接客業やサービス業全般でもとめられているけど、数ある仕事の中で、最もこの感情労働を強いられるのが、看護の現場。無償の愛と限りない善意を貫く『白衣の天使』であり続けねばならない。
看護師たちの仕事の辛さから目を背けたくなる場面もあります。看護の現場で、どれほど追い詰められていたかを想像すると、息苦しくなるほどでした。あるツイッターアカウント…そこには、プロとしては決して口にしてはならない看護師たちの本音が赤裸々に投稿されています。過酷な業務に心身ともに追い詰められたリアルな声です。
この作品で、白衣の天使の過酷な日常を知りました。世間から理解されない看護、介護の重労働を。
だからこそ、改めて思いました。
死について考えることは、生について考えること。
他人を幸せにするには、まず、自分がハッピーでいること。
--- 患者さんに笑顔でいてほしいから、まずは私たちが笑顔でいなきゃね ---
罪の轍    奥田英朗著    新潮文庫   
 2022年12月発行
昭和38年、東京オリンピックを控えた東京で、実際に起きた少年誘拐事件をモチーフにしたお話。文庫で800頁を超える大作でした。さすがに読み終えるのに少し時間がかかってしまいました。
なんと言っても犯人を追う刑事たちの執念。まだ、携帯電話や逆探知、監視カメラ、遺伝子調査など科学的な捜査ができなかった時代のお話。刑事たちは丹念に証拠を集め、犯人を追い詰めて行きます。
主役は北海道礼文島で暮らす宇野寛治。ニシン漁の番屋に泊まり込んでいる。寛治は知能障がいがあり、長く記憶していることができない。また、他の漁師のように上手く漁をすることもできず、みんなから馬鹿にされている。この寛治の造型が秀逸ですね。
寛治はこどもの頃から空き巣を50回以上も繰り返しており、少年刑務所にも収監されていた。寛治に感情移入できそうで、なかなかできませんね。
そんな寛治は仲間に嵌められ、海に流される。そして、盗みを繰り返して東京へ。そこで発生した少年誘拐事件。その事件を追うのはベテラン刑事の大場と大学出の落合。
****************************
途中から、このお話は「吉展ちゃん事件」をモチーフにしていることはわかったものの、話がどう展開していくのか、読めなかった。寛治の障がいが事件を複雑にし、警察を翻弄する。
寛治は本当に「莫迦」なのか、それとも単なる記憶障害の病気なのか。感情や心はあるのか?
さらには、寛治の友人となる明男とその姉で山谷でアパートを経営するミキ子、寛治の恋人(?)の里子、弁護士の近田や新聞記者の松井など多彩な登場人物たちが登場し、話に深みを持たせていきます。
警察が、マスコミに犯人からの電話を公開するシーンがありますが、当時はそうだったんですね。被害者の家族は悪意・善意の電話に悩まされます。今ではちょっと信じられませんね。
また、寛治の生い立ちを探るために大場と落合が礼文島を訪ねるシーンがありますが、やはり現地でしかわからないことがありますね。
警察官が被害者を平気で殴りつけるところなど、古い時代はそうだったんだなあと感じます。
現実に起きた事件をモデルにして時代を浮き彫りにした社会派ミステリー。読むのに少しエネルギーが入りますが、期待を裏切りません。
桜井美奈『私が先生を殺した』(小学館文庫)を読みました。
著者は、ミステリ作家であり、私はこの作者の『殺した夫が帰ってきました』を読んだ記憶があります。
このミステリは、トップ校ではないまでも、そこそこの進学校である才華高校を舞台に、全校生徒が集合する避難訓練中、学校でナンバーワンの好感度を誇る人気教師の奥澤潤が校舎屋上のフェンスを乗り越え飛び降り自殺します。しかし、奥澤が担任を務めるクラスの黒板に「私が先生を殺した」というメッセージがあったことで、自殺ではなく殺人事件の可能性が浮かび上がるわけです。
この飛び降りの前段階で、奥澤が校内で女生徒と「淫らな行為」に及んでいる動画がSNSにアップされていて、自殺であれば、その一因とも目されます。そして、この自殺/他殺の謎が解かれるわけです。
各章は、何らかの動機があって、奥澤を殺した殺人犯の可能性ある4人の生徒の1人称で語られます。当然ながら、すべて、奥澤の担任クラスの生徒です。まず、授業態度が悪くて、勉強が進まず大学進学を諦めかけている砥部律です。クラスでも孤立気味で、親身になって接してくれる奥澤のことを逆に嫌っています。勉強もせずにSNSにのめり込み、動画を拡散して奥澤を追求します。続いて、勤勉で成績もよい生徒で、特待生として才華高校に通う黒田花音です。しかし、彼女は大学進学に当たって特待生として推薦入学の学校枠が確実といわれながらも、奥澤から推薦候補を外された旨を知らされます。もちろん、奥澤はその理由を明かすことはしません。続いて、素直で明るい性格で、奥澤のことを恋愛感情で見ている百瀬奈緒です。特定されませんでしたが、動画に奥澤と写っているのはこの女生徒です。自分では判っているわけです。最後に、進路について病院経営する父親や研究者の母親と意見があわず、奥澤に相談を持ちかける小湊悠斗です。しかし、黒田花音に代わって大学特待生の推薦枠を与えられたのがこの小湊悠斗で、しかも、その事実を黒田花音に知られてしまいます。
ストーリーが進むに連れて、徐々に真相が明らかになる私の好きなタイプのミステリだと思って読み進むと、何と、最後の最後に大きなどんでん返しが待っていました。
最後の最後に、軽く、宮部みゆきの『ソロモンの偽証』の影響を読み取ったのは私だけでしょうか?
52hz のクジラたち   町田その子   中公文庫 
多分すでに紹介されたであろう2年前の本屋大賞作品。
題名は 他のクジラが聞き取れない高い周波数で鳴く孤独なクジラが 象徴する 魂の孤独。 
大分県の海辺の町に都会で 家族の修羅場を体験したきなこと呼ばれる若い女性貴瑚が移り住む。
その家に母親に愛されず言葉を失い自分をムシと呼ぶ 少年が転がり込む。
きなこは学習塾のアンさんと美晴の手を借りてムシこと愛・いとしを52と呼び、 母親から切り離し彼の安心できる場所を探しだす旅にでる。
52を庇護するつもりが いつしか逆に希望を与えられていることに気づくきなこ、そしてアンさんの秘密の悲しい結末。
裏切られて孤独な彼らが 紡ぎだす魂の番の物語。ラストの 深い安堵とやすらぎは読書ならではの得がたい体験とも言える。
連続殺人鬼カエル男 
中山七里
2011年2月
宝島社
グロテスクでした!!
ナツオの状況が特に苦しい。
順番に残酷な方法で殺される4人。
【吊るす、潰す、解剖する、焼く】
4人に共通することは?
そして二転三転する犯人。
幼少期の家庭環境ってほんま大事やね。
グロ過ぎて、読むのが辛かった💦
ドラマ化しているようですが
どうやって描いたんだろう。
グロテスク好きな方にはおすすめです!
データベースより
マンションの13階からフックでぶら下げられた女性の全裸死体。
傍らには子供が書いたような稚拙な犯行声明文。
これが近隣住民を恐怖と混乱の渦に陥れる殺人鬼
「カエル男」による最初の凶行だった。
警察の捜査が進展しないなか、
第二、第三と殺人事件が発生し、
街中はパニックに……。
無秩序に猟奇的な殺人を続けるカエル男の正体とは?
どんでん返しにつぐどんでん返し。
最後の一行まで目が離せない。
「全員がサラダバーに行ってる時に全部のカバン見てる役割」岡本雄矢(幻冬舎)
相方のシモさんと「スキンヘッドカメラ」というお笑いコンビを組んでいる岡本さんは、札幌在住の「歌人芸人」さんです。ご本人いわく、いつも「人よりもちょっとだけ不幸な体験をしてしまう」性分らしく、その実直な思いを「五・七・五・七・七」という三十一文字(みそひともじ)の短歌の中にしたためています。
いくつか代表的なものを挙げると、
「左手に見えますホストに座られているのが僕のスクーターです」
「僕よりも優秀な人だ一発で縦列駐車を綺麗に入れた」
「スキップに近い足取り 立て替えたお金がさっき戻ってきたぜ」
「おごるって言ったのはアイスの話で、それチョコレートパフェじゃねーかよ」
「柄本明目当てで見始めた連ドラの第一話で死んじゃう柄本明」
「とりあえず頷いているが僕バック・トゥ・ザ・フューチャー見たことがない」
「死にたいと呟くあいつの腸に生きて届いているビフィズス菌」
「このバッターはアイドルと婚約したので三振をしてほしいもんだな」
「置くだけのブルーレットとなんとなくただここにいるだけのぼくたち」
「ぬるくなり炭酸抜けているこれはあの人がくれたオロナミンC」
「くるくると回すタイプの窓を開け 助手席から母が見送る」
「父親の待望だった長男は 今コピー機を詰まらせてます」
などなど。
驚いたことに、岡本さんはこの本が大ヒットした印税で、念願の「ワンコイン・サラダバー」をオープンされたとか!さらに、既に、こちらの本の映像化も決まっているそうです。
思うに、岡本さんは「小さな不幸」を呼び寄せるタイプというよりは、表題に「全員がサラダバーに行っている時に 全部のカバン見てる役割」とあるように、いろいろと気遣いが出来る上に、それを声高に主張できない心根の優しい性格なんだと思います。なんともいえない温かみと、他者への思いやりを感じられる素敵な短歌集でありました。