太宰治の生家「斜陽館」からほど近い青森県五所川原市金木町に、津軽に伝わる笹餅を作る津軽名物の桑田ミサオばあちゃんがいる。75歳で「笹餅屋」という屋号で起業した事務所兼作業場では、今年93歳になったミサオばあちゃんがこの日も黙々とひとりで笹餅を作り続けていた。

四角い蒸し器から湯気が上がり、餅粉とこし餡を混ぜた生地が蒸し上がると、まだ熱い生地を1個分の量に分けていく。まるで計ったように同じ大きさの小さな玉が次々と生まれ、それらを手際よく鮮やかな緑の笹で包むと、再び1分程度蒸して出来上がり。なめらかな食感と、やわらかな甘味。笹の葉の先をちょっとだけ出してそれを引っ張ると手を汚さずに食べられる細やかな気遣いがうれしい。

「笹餅の作り方はかっちゃに教えてもらったんだけど、かっちゃは1度しか蒸さなかった。どうしたらもっとおいしい笹餅さできるかずっと考えながら作ってきて、今の作り方になったんだ」
母から教わった作り方は、生地を笹に包んでから蒸すので蒸し時間が長くなる。するとどうしても笹の葉の色が悪くなってしまう。こし餡と餅粉を水で合わせた状態のまま包むにはある程度の固さが必要になって、食感のやわらかさに欠けてしまう。それらをどうしたら解決できるか。餅米を製粉する時に2度挽きし、さらに何度もふるいにかけてこし餡と混ぜるとなめらかになる。生地を寝かせる時間は1時間がベストで、とろとろの生地だけを1度先に蒸すという答えを見出した。
「自分で納得できるものになるまで5年くらいかかったかな」
子供の頃から慣れ親しんだ味に満足せずに、もっとおいしくしたいという思いの強さと、長年のカンに頼るのではなく時間や分量を変えながら実験を繰り返して正解を求める科学的なアプローチに驚く。身長145センチと小柄な体で大きな自転車に乗り、朝7時半から作り始めて時には夜8時くらいまでほぼ立ちっぱなし。その体力にも驚く。自分が年間何個ぐらい作っているのか知らなかったが、伝票を数えてくれた人がいて、約5万個と判明したのだそうだ。5万個の笹餅を作る5万枚の笹は、笹藪に入ってひとりで採ってくるという。
「笹を採るのは6月から8月のお盆くらいまでだね。6月の笹はいいのが少ない。7月8月は毎日のように山さ入って笹を集め、それをよぐ洗って水さ切って真空にして冷凍庫に入れるまでの作業で忙しいね」
笹を採りに行く時のいでたちは、首まで覆う日よけ帽を被り、蜂から守る網を顔の前に垂らし、長袖のジャンパーに長靴。青森といえども最近は暑い日が多い。
「そだよ。去年は2度も具合が悪くなって病院行ったら日射病だってさ。点滴して薬もらったらよくなったけどね」
餅米は近くの畑で作ってもらい、小豆は自分でも作っている。すべて目に見える材料で防腐剤や添加物は一切使わない。最後の工程は、賞味期限を書き込んだ袋に笹餅を2個ずつ詰めて金色のテープを巻いて商品にする。まさに、ひとり6次産業である。
この作業所で摂る3度の食事も、漬物もおかずもすべて手作り。割烹着も服も髪をまとめるキャップも手作り。
「そう、すべて手作りだ。この頭さ被るの作りたいから教えてくれって言う人がいるのさ。小さい時からものを買うということはあんまりながったな。小学校5、6年の時は自分の着るものは自分で縫ってたもの」
一家の大黒柱として働く
桑田ミサオは、1927年に現在の北津軽郡中泊町(なかどまりまち)で生まれている。幼い頃は体が弱かったのだという。
「すぐに腹を病む子でな。病院に行くと4、5日は学校さ行かれなくて、かっちゃはその間仕事さ出られないから頼まれた着物を縫う内職をして、私は針に糸通す手伝いをしながら縫い方も教えてもらった。かっちゃといろいろ話っこするのが楽しみだったんだ。何かわがらないことさあっだば人に教えてもらいなさいとか。1を聞いたら10を知らねばいげないよとか。10本の指は黄金の山だとかね。かっちゃから教わったことで、今の自分があるんだなって思うんだ」
誕生した時にはすでに父は亡くなっていて、父の顔を知らないミサオはやがて母の再婚によって金木町に住むようになり、45年に19歳で結婚している。
南方から復員してきた夫は、戦地でマラリアに罹患しその後遺症もあってなかなか働きに出られない。子供2人を育て、家事をこなし、病弱な夫の世話をしながら、生活費の調達もミサオの双肩にかかっていた。
「働かねばならないから、県の農場(現・弘前大学金木農場)さ米作の手伝いの仕事に出てたんだ。農場ではハムやソーセージも作っていて、買って帰ったら何とおいしいもんだろうと感激して、次の日に農場の先生に『どうやって作るんですか?』と聞いてしまったんだ。聞かねばよかったのに。そしたら、その先生が怒ってな。『これを作るのにどれだけ労力や時間がかかっているか。簡単に聞くな』って。泣きそうになりながらすみませんって謝ったけどな」
家に帰ってよく考え、やっぱり自分が悪かったともう一度謝りに行ったら、その先生が自分もちょっと強く言い過ぎたなと笑ってくれた。
「本当にうれしかったな。その先生が、いろいろな工夫やスパイスが味を作っているって教えてくれた。その時にはまさか笹餅作るとは思ってもなかったけど、今考えるとその言葉にすごく助けられたんだよね」
わからないことがあったら誰かに聞きなさいという母の言葉は、探求心旺盛なミサオに、出会う人々から多くのことを学んでほしいという願いだったのだろう。社会や人々が、小学校にしか行けなかったミサオの女学校にも大学にもなってくれたというわけだ。
「農場では10年ほど働いたけど、とてもよくしてもらった。でも、冬場の12月から3月までは休みでね。4カ月収入がないと生活が苦しいのよ。町に保育園さできるって聞いて、掃除や給食の手伝いをする用務員として働かせてもらうようになったんだ」
そこで、調理師の資格を取得している。調理員が休んだ時に資格があれば給食を任せられるのにと言われて一念発起、勉強を始めたのだという。
60歳からの新たな道
保育園には25年近く勤めて、60歳で定年を迎えたのが87年。働きづめだったから少しはのんびりしようという気持ちにはならず、本格的に畑を始めた。

「野菜作りたいなあと思って。いいもん作ろうと肥料やってたけどよくならないの。篤農家の人が通りかかったから、なんぼ肥料やっても白菜よくなんないのさって言ったら、作物植えたら毎日畑さ来て作物と話っこせねばいいもんとれねえんだって。今日何がほしいか、水っこさほしいか、肥料さほしいか、わかるようにならねばダメだって。それわかるのに何年かかるの? って聞いたば10年だって。10年か、だば70歳になるまでやってみようと思ったんだ」
同時に、金木町の当時の農協婦人部が直売所を始めるので何か出してほしいと声がかかった。そこで笹餅や粟餅や赤飯を出したのだが、ミサオのものはよく売れた。
「自分のものが売れるのはうれしいけど、同じものを出して残っている人がいると心が痛むのよ。申し訳なくて。それで誰も作らない笹餅ひとつにすることにしたんだ」
笹餅を作って売る。60歳で新しい仕事が始まった。無人直売所への出品は、言ってみれば自由参加。いつ止めてもいい。が、ある出来事が餅作りを一生続けようとミサオに決心させたのだという。当時、金曜会という女性だけのお楽しみ会があって、ミサオも誘われて入会していた。
「特別養護老人ホームが近くにできたから慰問さ行くべということになってな。みんなで粟餅作って持って行ったのさ。そしたら涙流して喜んでくれたの。きっとみんな、昔は自分で餅を作ってたんだよね。餅っこひとつでこれだけ喜んでもらえるんだば、一生餅を作り続けようって思った」

一生の仕事になった笹餅作り。よりおいしくするための試行錯誤を繰り返し、進化していく笹餅は評判を呼び、注文も多くなって、75歳の時に地元の大きなスーパーから店で売りたいと声がかかった。こうなると、それまでのスタイルでは対応できない。個人事業主として登録し、菓子製造業やそうざい製造業の営業許可が必要になる。そのほかにもさまざまな条件をクリアしながら、思いもかけなかった「笹餅屋」を起こすことになったという次第。
次に訪れた転機は80歳の時。冬場にストーブ列車を走らせて観光客を呼びこもうと頑張る津軽鉄道を応援する「津鉄応援直売会」が生まれ、ミサオもひと肌脱ぐことになったのだ。車内で笹餅を売る最年長のミサオは、時に客のリクエストに応えて歌う民謡とともに大人気を呼び、NHK東北の「ここに技あり」という番組が取材に来て、一気に知られることに。地域への貢献によって平成22年度農林水産大臣賞を受賞している。そして3月10日に行われた東京での表彰式から青森に帰った翌11日に、東日本大震災が東北を襲った。
あまりのショックに震えが止まらず気持ちも落ち込んだままだったが、被災地の高校に千羽鶴の代わりに1000個の笹餅を贈ろうと決め、3年間続けたという。笹餅を食べた高校生たちから、75歳で起業したミサオに励まされ若い自分たちが復興に向けて頑張るという手紙がたくさん届けられ、今もミサオの支えになっているという。
93歳の今冬も、絣(かすり)の着物に赤い前掛け姿でストーブ列車に乗った。聞くところによると、車内はかなり揺れるらしい。
「まだ大丈夫だったよ。ちゃんと自分で台さ持って販売できたから」
これまで、疲れたとかもう辞めたいとか考えたことはなかったという。立ちっぱなしの作業の合間に、作業場の中を爪先立ちでスクワットしながら10周して足腰を鍛え、笹採りも自転車もストーブ列車もみんなトレーニング。今でも27キロの餅米の袋をひとりで持ち運ぶ。自分なりに多少は鍛えてるんだよと笑った顔には、精一杯生きてきた長い道のりが培った強さとやさしさと美しさが溢れていた。
写真=佐々木実佳
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