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芸能生活60周年!西川きよしが明かす「最後の夢」…「横山やすしとコンビを組んだ理由」「中曽根総理と素っ裸で電話した夜」

今も全国の舞台に立ち続ける

9月22日、西川きよし(77歳)の姿は宮崎県にあった。海鮮料理店『魚益』で、地場の魚介を豪快に使ったメニューが運ばれてくると、西川は大きな目をさらに見開いた。

「うわ、おいしそやな!」

7月から、BSよしもととYouTubeで『西川きよしのコツコツ大冒険!』が始まった。この番組では、SNSで影響力を持つ「インフルエンサー」と各地の魅力を発信しながら、西川自身もインフルエンサーになることを目指す。

「年を取った今でも、新しいことを日々勉強中です。ただね、僕が『インフルエンサーになる』言うても、大阪のお年寄りはインフルエンザのことやと思ってる。『(妻の)ヘレンさんにうつさんようにせんとね』って心配されるんです(笑)」

生粋の漫才師の主戦場は、やはり舞台の上だ。芸能生活60周年を迎えた西川は、記念公演で全国を回っている。翌日に宮崎市内で行われた「西川きよしのプレミアム大感謝祭」には、西川や人気芸人を目当てに大観衆が詰めかけた。

西川が勢いよくステージに登場すると、客席からは万雷の拍手が送られる。人気芸人たちもそれぞれのネタで会場をどっと沸かせた。

出演者全員によるゲームが始まると、西川のギアはさらに上がった。後輩芸人との絶妙な掛け合い、誰よりも笑いを起こすボケ、会場を大いに盛り上げる絶妙なお客さんいじり……。

「緞帳が上がれば、そこは戦場です。もちろん、全体のバランスを見ながら、あまりウケていない子には、うまいきっかけを作ってあげたりもする。ただ、そうやって舞台を俯瞰しながらも、僕自身もまだまだ現役。ホームランだって積極的に狙いにいきます。若い子には負けられませんよ」

横山やすしの誘いを二十数回断った

後に伝説のコンビと呼ばれる「横山やすし・西川きよし」。2人が出会ったのは'66年のことだった。

当時、西川は吉本新喜劇に所属していたものの、端役しか回ってこない。そんな時期に「お前とコンビを組みたい」とアプローチしてきたのが、横山やすしだった。

「二十数回は断ったと思います。漫才はやったことないからできません、って。すでにやすしさんはコンビの解散を4回経験していたので、崖っぷちやったんでしょう。その頃交際中だったヘレンに相談したら、『そんなに愛してくれているんだったら、一回やってみたら?』と言われまして、それで心が決まりました」

「やすきよ」はスターダムを駆け上がっていく。横山が暴行事件を起こしたことでコンビ活動の休止を余儀なくされるも、復帰後はそれまで以上に仕事に忙殺された。'73年に始まった『プロポーズ大作戦』(ABCテレビ)では司会を務め、2人はその地位を不動のものとした。

西川は'86年、40歳を前に参議院選挙に出馬する。老人ホームへの慰問活動などを通して高齢化問題を肌で感じてきたことがきっかけとなった。芸人に何ができる―そんな下馬評を跳ね返し、トップ当選を果たす。初登院の日のことは、今でも忘れられない。

「その晩、入浴中に自宅に電話がかかってきました。弟子が『総理大臣の中曽根さんからお電話です』と言うので、慌てて風呂から飛び出して、すぐに受話器を取ったんです。そしたら『本日は首班指名で私の名前を書いていただき、ありがとうございました』とご丁寧に言われまして。素っ裸のまま総理大臣と話したことのある人間は、僕くらいじゃないですか(笑)」

再び、お笑いの世界に

政治家・西川きよしが掲げたテーマは「福祉」だ。高齢者の生活を支える年金制度の不備にも切り込んだ。その一つが「現況届」だ。年金を受給する高齢者は年に一度、本人が役所まで出向いて届け出をしなければいけなかった。

「真夏にそんなことをすれば熱中症になるかもしれない。寒い地域だったら凍死の危険だってある。関係省庁が連携すれば簡単に確認できる話です。

でも、省庁の縦割りは予想以上にひどかったですね。まるで取り合ってくれない。それでもあきらめずに訴えるうちに、だんだんと話を聞いてくれるようになりました。最後は家族など本人以外の提出が認められ、届け出の郵送も可能になりました。議員も役人も同じ人間。結局は誠意が大事なんやと思います」

3期18年を務め上げ、'04年に議員を引退。お笑いに専念し舞台に立ち続ける。

「地位も、カネも、学もない。そんな人間でも、人を笑かして有名になれば、それまでの人生が一変する。本当に夢のある世界です。今でも僕はこの仕事が大好き。楽しくて、楽しくて、しょうがないんです」

「小さなことからコツコツと」

だからこそ、人を笑わせるための努力も苦にならない。日々のニュースをチェックし、気になった話題はスマホのネタ帳に記録する。

「やすしさんは稽古が嫌いで、『出たとこ勝負で笑わすんが本物の漫才師や』と言っていました。だけど、僕は少なくとも漫才師に天才はいないと思っています。地道にネタを書き、稽古を重ねる。そうやって積み重ねてきたものが、笑いにつながっていくんです」

ただし、腕の立つ漫才師がいるだけでは、決して舞台は成立しない。それをよく知る西川が、舞台の前に必ず行うことがある。

「会場のキャパを確認したら、一番安い席に座る。公演中、どの辺に目配せして、手を振ってあげたらいいのかな、と実際に座って確かめるんです。たとえ金額が違っても、わざわざ木戸銭(入場料)を払って観に来てくれているお客さんに変わりない。そこまで目配りすると、やっぱり会場は喜んでくれますし、僕もうれしくなるんです」

小さなことからコツコツと―。西川がたびたび口にするこのフレーズは、まさに彼の生き様を表している。そんな西川は、人生という舞台の最後をこう思い描いているという。

「AIやロボットやって言うてますけど、高齢化社会に向き合うのは生身の人間やないですか。だから最後は、福祉のためにお笑いをやっていきたいと思っているんです。小さな村や町の公民館にお邪魔して、お年寄りたちに生のお笑いを届けて回るとかね。漫才師としてそんなお客さん孝行ができたら、僕もきっと、幸せに人生の幕を下ろすことができるんやないかな」

「週刊現代」2023年10月14日号より